歌声の個性と楽器の個性

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映像は、ヘンデル作曲「オンブラ・マイ・フ」をカウンターテノールでアンドレアス・ショルが歌っているものと、私がヴィオラで浩子さんのピアノとデュオリサイタル5(代々木上原ムジカーザ)で演奏した動画です。比べちゃダメ(笑)って憧れのショルさんの歌声ですからね。

 さて、今回のテーマですが人間の身体を楽器として演奏する「声楽=歌声」と、楽器を使って演奏する…たとえばヴィオラやヴァイオリンとを「個性」の面で考えてみるものです。
 当然ですが、まったく同じ身体の人間は「クローン」を使用しない限り「一卵性双生児」ですら存在しないはずです。見た目にまったく同じ「双子」でも発達によってその身体には違いがあります。
 それでも「声」に関して言えば、親子で声が良く似ていることは珍しくありません。私も父親・兄と声が似ているそうで、母に電話をすると「だれ?」(笑)
当時「おれおれ詐欺」がなくて良かったと痛感するほどです。母でさえ、親子兄弟3人の電話口の声を聞きわけられなかったのです。もちろんお互いに聴いている自分の声は、他人が聴く「私の声」と違うので、お互いに「私の声はふたり(私から見れば父と兄)とは全然違う!」と主張します。兄も父も(笑)同じ主張をしますが、母だけは「その言いあっている声が同じなの!」

 昔「ザ・ピーナッツ」と言う双子姉妹の歌手が歌っているのを聴いたことのある人なら、あの「そっくり!」の歌い方を思い出せると思います。考えてみると、自分に聴こえる自分と相手の声が違うはずですから、第三者が聴いてどちらの声がどう?もう一人と違うのかを指摘していたはずです。すごいことだったんだなぁと今更に思います。

 声楽家の話し声と歌う声は、まったく同じではありません。特にクラシック音楽を歌う「声楽家」の場合には、身体が出来てから自分の歌う「声」を育て作っていきます。それは「技術」と「練習」で作られる声=音です。
同じ「声域=音の高さの範囲」の歌手でも、それぞれに声に個性があります。
声楽家ではない私が感じる「個性的な声楽家」は、単にうまい!と言うだけではい「独特の個性」を感じるのです。一言で言ってしまえば、生理的な好みなのかもしれません。「それを言ったらおしまいだろ!」と怒られそうですが(笑)、誰にでも「好きな声」と「嫌いな声」ってありませんか?その好みが他人と一致しないことも感じたことがあると思います。おそらく理由はないのです。自分の好きな「声」はもしかすると両親の声に近いもの?だとしたら、私は自分の声を録音して聴くのが「なによりも嫌い!」なので、考えると混乱しますね(笑)

 パヴァロッティの歌声はどんな曲を歌っていても「あ!」とわかるのは、私だけではないはずです。では、音だけを聴いて「ハイフェッツ」と「オイストラフ」と「アイザック=スターン」の誰の演奏か?すぐに当てられる人は、かなりのマニアでは?録音の個性…ノイズ=雑音で聞き分けるのは「反則」です(笑)とは言え、まったく同じ録音状況は存在しませんから、私たちが今聴くことのできる「偉人」たちの演奏は録音状態によって変わってしまいます。
 それでも!ハイフェッツの演奏する「個性」とオイストラフの「個性」は間違いなくあるのです。どうして?それを言い切れるのか。

 ヴァイオリンと弓と弦、細かく言うなら使う松脂の種類も「すべて同じ」状態で、違う二人の演奏家が弾いた時、なにが起こるでしょうか?
「格付け」番組で高い楽器と安い楽器を当てる遊びは目にしますが、同じ楽器を二人の人が弾いて「どちらがプロでどちらがアマチュアか?」って絶対にないですよね?何故だと思います?(笑)ダンスや吹奏楽で「プロ・アマ」を当てるコーナーはあるのに、なぜか?ストラディヴァリとペカットの組み合わせで、プロ・アマを当てるコーナーがありません。演奏するプロのプライドか?(爆笑)
 テレビはともかく、間違いなく演奏者が変われば音は変わるのです。
「楽器と弓が同じなのに?」と思うのは、人間には、同じ身体の人が二人いないので、比較の方法がありませんが、もし!まったく同じ身体の人間が二人いたとして、それぞれが違った環境で育てば、好きな歌い方が違ってくるはずです。自分の好きな「歌い方=声」を出そうとするはずです。仮に話し声が同じでも、歌う声は違っても不思議ではありません。
 楽器・弓・弦を使って、演奏者が自分の好きな音を出そうとします。
その好きな音が全員違うのです。まったく同じ「好み」の人間がふたり揃う確率は天文学的(笑)に低いと思っています。
 実際、私の楽器と弓を私の自宅で、ある尊敬する先輩に、少しだけひいてもらったことがあります。「自分で聴く自分の楽器の音」は自分の声と同じです。離れた場所で聴く「私の演奏する音」は違って聞こえます。なので、先輩が演奏される「私の楽器」の音を聴くことはとても新鮮でした。
 その時、先輩が演奏し始めた時から、次第に音が変わっていくことを感じました。その原因は?
 演奏者の「出したい音」を楽器と弓を使って「探す」からです。
この探すと言う作業が演奏技術「そのもの」です。楽器と弓の「個性」を自分の演奏技術をフルに使って「探る」ことで、楽器の音が変わっていくのです。
 要するに演奏者が変われば、同じ楽器・弓でも、出てくる「音量」「音色」が違うのです。それが「演奏者と楽器の個性」なのです。

 生徒さんが楽器を選ぶとき、どんな楽器を演奏しても同じように感じるとおっしゃることがよくあります。正確に言えば「何がどう違うのか言語化できないから、好きとか嫌いと言えない」のです。その楽器を「ひきこなす」ことは、その楽器の「個性」を引き出す技術を持つ子です。
 個性のない楽器はありません。しかし、大量生産された楽器の「個性」は製作者の「こだわり」がいっさいありません。おそらく完成した大量生産のヴァイオリンを「試し演奏」することもせずに売られているものが多いと思います。
製作者のこだわりがない楽器にも個性はあります。しかしそれは「癖」と呼ばれるものに近く、良いものではない場合がほとんどです。
 一方で、製作者の魂を感じる楽器には、弾き方によって「そうじゃない!」「それ!」と言う声を感じます。楽器に問いかける「技術」に対して「違う」とか「あったりー!」というレスポンスがある楽器こそが、本物の楽器だと信じています。
 長くなりましたが、最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

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