時を体感する

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 映像は、アルボ・ペルト作曲の「シュピーゲル イン シュピーゲル」日本語に訳すと「鏡の中の鏡」というタイトルの曲です。
一定の規則、「常にAで解決する」ではじめは、Aの一音下のGからA。次は一音高いBからA。FGA。CBA。GFEA、BCDA…と常に「対象」の音型で音楽が進む様子が、まさに鏡に映った鏡の映像のように感じます。

 今回のテーマ「時」は、音と同様に目で見ることは出来ません。
音楽を演奏する時、この「時」はとても重要な意味を持っています。
音符や休符の長さは、つまるところ「時間」です。聴いていて速く感じる音楽とは、短い時間演奏される音「短い音」が連続する音楽です。鏡の中の鏡で考えるなら、ピアノは一秒間に3回演奏されるほどの、一定の「長さ」の音符を弾き続けています。一方ヴァイオリンは、2秒または3秒の長さの音を連続して演奏しています。聴いている人には「ゆっくりした音楽」に感じるはずです。

 時間、時刻、時計、時空。時という漢字を含む熟語はたくさんあります。
時間を考える時に、秒、分、時間という単位の他に、日、週、月、年といった長い時間の単位も、何気なく使っています。地球の歴史や天文の話になると、私たちの感覚では理解できないような「長い時間」も出てきます。

 一方で音楽の世界では、全音符の半分の時間=長さが2分音符。2分音符の半分の長さ=時間が4分音符。つまり、秒という単位ではなく、「比率」で音符と休符の「長さの比率」を決めています。比率が決まっているだけで実は「速さ」は決まっていません。速さは通常、基準になる音符=1拍として定める音符の「時間」で決まります。たとえば、4分の3拍子の音楽ならば、基準となる1拍が「四分音符」です。その四分音符の長さを決めることで、音楽の速さ=テンポが決まります。1拍を1秒なら、1分間に60回四分音符という表記で、テンポを表します。4分音符1拍が1秒なら、16分音符のひとつ分の「時間」は?0.25秒。
普通、考えませんね。でも事実としてその時間、演奏しているのです。

 さて、今度は日常生活での時間について考えます。
好きな事をしていると、「時間を忘れる」ことがあります。
一方で、イライラしている時、たとえば病院で呼ばれるのを待っている時などは、時間が長く感じます。同じ速さで、時間が過ぎているはずなのに。
人間の感じる「時間」は案外といい加減なものなのです。
心臓の鼓動「心拍」は、運動したり驚くと速くなります。逆にゆっくりなるのは「眠っている時」です。一日が長く感じたり、一週間が短く感じたり、1年が…感じ方は、その時々で変化します。

 楽器の練習をしていて、時間を忘れることがありますか?(笑)
子供は正直ですから、飽きるとすぐに練習をやめるものです。「疲れた」「手が痛い」「足が痛い(謎)」色々理由をつけて、練習をやめようとします。親は「30分、頑張る約束でしょ!」と鞭をふるい、「頑張ったらおやつをあげるから!」と飴をだしながら。練習の内容と時間は、「必要な」という冠言葉を付けないと意味がありません。必要な練習時間は、練習したい内容によって変わります。長ければ良いというものではありません。

 コンサートの時間について、感じることがあります。
なぜ?多くのコンサートが開演から終演までが「約2時間」なのでしょうね?
開場時間は、開演時間の30分前というのがほとんど。
休憩時間は15~20分が多いですよね。
これ。誰が決めたんでしょう?考えたこと、ありませんか?
 映画は大体2時間。途中に休憩はないのが普通です。映画館でドリンクを飲みながらポップコーンを食べながら過ごす時間は「至福の時」ですがなぜ?2時間なのでしょう。
 昔なら、映画上映のフィルムの長さに決まりがありました。ニューシネマパラダイスを思い出します。映画の途中でフィルムを入れ替えるシーンがありました。
 レコード全盛だった時代、30センチLPの片面の収録時間に制限がありました。途中で音楽が切れて、裏面にひっくり返して続きを聴きました。
カセットテープには、色々な長さのテープがありました。
30分(もっと短いものもありましたが)だと、片面15分録音できました。
45分。60分。90分。120分のテープはテープの厚さが薄くて、伸びてしまったり切れてしまう事故がありました。
 さて、コンサートの時間はどうして?

 演奏する人の体力と集中力だけで、コンサートの長さを決めますか?
聴く人の体力も考えることも大切だと思います。もちろん、演奏時間や上演時間を、内容を理解した上で来場する人なら、たとえ4時間かっかる演奏会でも喜んで聴くのは理解できます。映画なら「上映時間」が必ず書かれています。
 人間の感じる「長い時間」はどのくらいなのでしょうか?
テレビ番組で考えると、15分に一度くらいコマーシャルが入ります。
その昔、野球中継をテレビで見ていてコマーシャルの間に、トイレに行った記憶があります。私だけ?ゲバゲバ90分という番組が流行したとき、90分の番組がいか珍しかったか思い出します。
 自宅ではなく、会場に出かけていくのにかかる「時間」もあります。
片道1時間かけてコンサート会場に行って、30分の演奏だとちょっと…という感覚はありますよね?満足感と「時間」のバランスは、とても微妙です。

 作品自体が長い場合、演奏者にはどうすることもできません。
作品の一部だけを演奏することは、作者に申し訳ない気持ちもあります。
ソナタやコンチェルトを全楽章、演奏するのが作曲家への敬意だとも思います。
映画やドラマの「抜粋」と近いものです。それでも楽しめる人はいます。
マーラーやブルックナーの音楽を聴くのが、好きな人と我慢できない人に分かれます。好みの問題、価値観の違いですからどちらも正しいと思います。
どちらかの考え方で「理解できない人が劣っている」とか逆に「時間の無駄だ」と公言するのは、いかがなものかと思います。激辛ラーメンの好きな人も嫌いな人もいるのですから。

 音楽は「時間」の中で存在する芸術です。もちろん「空気=空間」も必要ですが。
絵画の場合には、時間という概念がなくても美しい芸術です。音楽をマラソンのように、休みなく音を出し続けることが目的の「スポーツ」のように扱うのは間違いです。

 聴く人が時を忘れ、楽しめる「空間」が音楽です。
時間が長く感じるのは、肉体的な疲労と精神的な疲労の両面が関わっています。
 心地よい時間を演出するのが音楽会のあるべき姿だと思います。

音楽を学ぶための音楽は、音楽の本質ではないと思います。
その時間のために、練習する時間を必要とします。音楽の音符や休符に使われる時間を大切にすることから音楽を考えると、私たちが感じる「時」を大切に感じることが出来ると考えています。
 最後までお読みいただきありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

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