「ストラディヴァリ信仰」の弊害

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 映像は陳昌鉉さんの製作されたヴァイオリンで演奏した「ふるさと」
木曽福島でのコンサートをビデオカメラのマイクで録音された音声です。
この映像をお聴きになる環境=イヤホンやパソコンのスピーカーなどによって、お聴きになる方たち全員違う音を聴いていることになります。さらに音の好みがあります。
 陳昌鉉さんは「ストラディヴァリのヴァイオリンの謎」に挑戦したいと言う弓を持って楽器を作り続けられました。
 ヴァイオリンに限らず過去に作られた「物」の素晴らしさを探求し再現しようとする試みは、人類の英知だと思います。人間以外の動物が生きるための知恵や阿曽儀を「学習」することはパンダや子猫を見ればわかります。ただ「物を真似して作る」知恵は人間にしか出来ません。
 今回もテーマにするストラディヴァリ信仰の「害悪」ですが、音楽やヴァイオリンに関心のない人に対しても「嘘」を公言するメディアと一部演奏家に怒りを感じます。

 以前にも述べた通り、ストラディヴァリのヴァイオリンを貶す意図はまったくありません。ストラディヴァリのヴァイオリンが「最高のヴァイオリン」でそうでないヴァイオリンは「ストラディヴァリ以下」と言う考え方が間違っているのです。
 さらに言えば、ストラディヴァリのヴァイオリンが10億円以上の金額で取引されている事をもって「最高のヴァイオリンである」と言う嘘を知って頂く必要があります。このバカげた金額は演奏家が評価した結果ではありません。「投資目的」で売買されるうちにこの金額になっただけのことです。言ってしまえば金儲けの道具にされているだけのことです。投資家に責任はありません。彼らは一円でも稼げるならなんにでも投資します。ヴァイオリンの価値など関係ありません。
「土地ころがし」ならぬ「ストラディヴァリころがし」の結果なのです。

 先日ある日本人ヴァイオリニストが新作のヴァイオリンとストラディヴァリを比較してどんな違いがあるか?リポーターに問われ「ぬいぐるみと生きている犬ほど違う」とおっしゃっていました。耳を疑いましたそしてこのヴァイオリニストの人格を疑いました。自分以外の人間が作った「ヴァイオリン」の例えとしてあまりに知性がなく下品なものでした。ましてやご自身がヴァイオリニストであり演奏活動をしている立場で、ストラディヴァリ以外のヴァイオリンをぬいぐるみ扱いする神経はいったいどこから生まれるのでしょう。
 新作ヴァイオリンが「悪い」ストラディヴァリが「良い」と言う科学的根拠もなく、多くの実験結果で聴き比べてストラディヴァリを言い当てられない現実をすべて否定したとしても、生き物とぬいぐるみに例える演奏家の知的レベルの低さをメディアで露呈することになりました。

 地球上に「最高のヴァイオリン」は過去にも未来にも存在しません。
ある人にとって「最高」はあって当たり前です。他人の楽器を悪く言うヴァイオリニストの知性の低さは明らかです。ヴァイオリンを神格化し他のヴァイオリンを蔑(さげす)む考え方は新興宗教と変わりません。信じるのは個人の自由ですがそのことによって多くの人が「騙される」ことに耐えられません。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

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