音楽の「味つけ」「色付け」「香りづけ」

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 演奏は2023年10月17日に木曽町のおもちゃ美術館でのライブ風景です。この夜、アンコールも含め12曲を響き豊かな、木の香りに包まれた会場で演奏させていただきました。
 今回のテーマは、音楽を演奏する際の「表現」を、味覚や視覚、嗅覚に置き換えて考えてみるものです。
 一般に使われる言葉に「色気」という表現があります。
単に女性・男性の「妖艶さ」「性的なアピール」以外にも、雰囲気を表す時にも使われる言葉です。行き過ぎれば「いやらしい」イメージになりますが、良い意味での「色っぽさ」は音楽にも必要な場合があるように思いま宇す。「色気」の色が何色?と言う定義はありませんよね?でも「色」と言う言葉が使われます。

 味・色・香りに「薄い(弱い)」と「濃い(強い)」という差があります。感じ方は人それぞれです。
科学的に分析した数値が同じでも、薄いと感じる人と濃いと感じる人がいます。また「無色」「無味」「無臭」という言葉もあります。これらが「悪い」とは限りません。
むしろ「純粋」「清らか」というイメージを感じる場合もあります。

 音楽の表現は「大きい・小さい」「高い・低い」などの表現が使われますが、物理的な「音圧」「周波数」よりも、感覚的な表現が音楽には多用されます。
 演奏に「味」「色」「香り」を加える…と言うのは「比喩=たとえ」ですが、聴覚以外の感覚に例えるとイメージしやすくなります。ワインのソムリエが「味」「香り」「色」を表現する時に様々な表現=比喩を使うのも同じ理由だと思います。
1.無味無色・無臭な演奏とは?
「一定の音量・音色・テンポの演奏」かも知れません。
楽譜に書かれた「音の高さ」「リズム」を一定のテンポで同じ音色で演奏した場合が該当すると思います。
2.薄い味・色・香りの演奏は?
上記1.に「少しだけ」変化を付けたもの…
と言っても、楽譜に書かれた音の高さとリズムを変えてしまえば「違う」味・色・香りになってしまいます。
薄い・少ない変化と感じるためには、繊細な感覚が必要です。音楽でも同じです。
濃い・大きな変化は、誰にでも感じられます。
「薄ければ良い」「濃ければ良い」と言うものではありません。食べる人・見る人・嗅ぐ人の好みによりますが、弱すぎれば「物足りない」と思われ、強すぎれば「刺激が強すぎる」と思われます。
 味も色も香りも「相対=比較や変化」で印象が変わります。甘いものを食べた後に、酸っぱいものを食べると刺激を強く感じます。甘いものに少しだけ「塩味」を加えると甘さを強く感じます。明るい場所から暗い映画館に入ると「暗く」感じます。香水も慣れてしまうと感じなくなってしまいます。

 味と香りの組み合わせで「錯覚」することもあります。
おなじ甘さのキャンディに「オレンジの香り」を付けると「オレンジ味」に感じ、「イチゴの香り」を付けると「入り味」に感じますが錯覚です。
 音楽の場合も同じです。聴いていて「飽きる」のは、変化がないからです。変化を少なくすることで「穏やか」にも感じます。

 薄味が好きな人もいます。淡い色彩の絵画が好きな人も、ほんのりした香りが好きな人もいます。
 濃い味つけ・原色・強い仮が好きな人もいます。
演奏にも同じことが言えます。ただ、音楽によって「変える」ことも必要だと思います。音楽=楽譜の違いは、素材・描く対象・香りをTPOによって「適した薄さ・濃さ」があるのと同じです。
 淡白な味の素材に「濃い味付け」をしてしまえば、素材の味は感じられませんよね?「空と雲」を描く時に原色だけを使って描く人はいないでしょう。学校の保護者参観に「きつい香水」を付けていくのは?嫌われますよね(笑)
どんな音楽にどんな味つけ・色付け・香りづけをするのか?は決まっていません。自分の慣性だけが頼りです。
 怖がって「無味無臭・無色透明」な演奏をするのも間違っています。
 恐れず・謙虚に音楽に自分独自の「色・味・香り」を付けることが、私にとって一番楽しい時間です。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

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