サーカスではないテクニック

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 アイザック・スターン。2001年に亡くなってからすでに20年以上の時が過ぎました。
 2023年の今、世界で演奏しているヴァイオリニストがいる一方で、世を去ったヴァイオリニストたち、スターンやハイフェッツ、オイストラフ、シェリング、グリュミオー、などのように録音や動画が残っている「偉人」たちが数多く存在します。

 歴史に名を遺す演奏家の「演奏」は言うまでもなく、実際に聞いた人の感動が何よりも大切です。時代の変化と共に、録音された演奏での「比較」も大きなウエイトを占めるようになりました。
 演奏を「音楽」として感じるべきなのか「技術」を重視すべきなのか?スターンいわく「完璧な技術でその時の自分の演奏に自信をもって、考えずに音楽に向き合う」と、こんな演奏が出来るそうですが…。技術の高さは音楽に向き合うためにあるものだと、改めて感じる演奏です。

 現代の若手ヴァイオリニストが、昔より高い演奏技術を持っているのは事実です。
だからと言って、彼らが皆、スターンのような演奏をするか?と言えば答えは違います。
 音楽に向き合う姿勢は、その人の「人間性」でもあります。人が考えていることを、他人が完全に理解することは不可能です。その意味で「精神」はまさに固有の財産です。同じ楽譜、同じ楽器で演奏しても、まったく違う演奏になるのは、身体が違うからではなく「考え方」が違うからです。
 技術も人それぞれに固有のものです。スターンの技術は永遠に、彼にしか出来ない技術です。すべてのヴァイオリニストが違った技術を持っています。「速く正確に」演奏することが演奏の「優秀さ」だと勘違いする傾向が年々、強くなっている気がします。
 私が年寄りだから…でもあります。スターンの音楽に惹かれるのは、ただうまいから…ではない気がします。
 スターンがなくなる1年前の演奏動画を見ました。もう往年のテクニックはありませんが「音楽」は生きていました。
 見習いたいともいます。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

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