どこが好きなの?

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 上の動画は、私がクラシック音楽の中で好きな部分を切り出した動画です。
もちろん、ほんの一部です。クラシック以外の音楽も入れたらきりがないかもしれません。「序列」はつけたくありません。ただ、好きな音楽なのです。

 自分で見ていて、なんでこんなに暗い音楽が好きなんだろう?と思わず笑ってしまいます。短調好きは今に始まったことではなさそうです。なぜなんだろう?

 人によって好きな音楽が違うのは当たり前です。その音楽のどこが?好きなのかを言語化することを「野暮」と言ってしまうこともできますが、音楽を演奏する人なら、その技術も必要だと思うのです。それを「音楽理論」という知識と技術を使って解き明かすことも、音楽家には必要なことです。
料理を職業にする人が、材料や調味料、レシピにこだわるのと似ています。家庭料理と違うのは、料理を再現できる知識と技術を持っていることです。

 ソムリエがワインの味を表現し、産地や銘柄を言い当てられるのも経験と知識があるからこそです。音楽を表現する「言葉」が私たちには必要なのです。

 和音の種類の中で、私は「減七」の和音が好きなようです。
また「サスペンド4」からの解決も好きです。借用和音や意外性のある転調も好きです。どこかひねくれた性格の用です。つまりは、普通の1度→4度→5度→1度の和声進行よりも、2度7や偽終始、半終始が好き。全体的に「短三和音」が好きなようです。

 音の厚みに関して言うと、必ずしも共通点ばかりではないようです。
ブルッフのヴァイオリン協奏曲中間部分は、明らかに弦楽器の厚い=熱い響きと旋律がたまらなく好きです。チャイコフスキーのくるみ割り人形、花のワルツでチェロとヴィオラがユニゾンで歌い上げるメロディーも熱くなります。
 一方で、フォーレのレクイエムは、研ぎ澄まされ、磨き上げられた純粋な音に背中がぞくぞくします。アンドレアス・ショルのカウンターテノールの澄み切った声と合唱とオルガン、ハープの絶妙なバランスも聴いていて涙が流れます。

 ここまで書いていると、実は「楽曲の一部」に好きな部分があることに気が付きます。一曲全部を通して、作品として=全体として好きな音楽…ないこともないですが、私の場合はすごく少ない気がします。むしろ、曲の一部分に魅力を感じることがほとんどです。子供っぽいですね(笑)
 コース料理は、料理を出す順序と内容で、前菜から最後のデザートまでを楽しめるかどうかが決まりますよね?
音楽で言うなら、1楽章から最終楽章までの内容と演奏が、聴いている人にとって飽きの来ない、かといっておなか一杯で苦しくもならない内容が求められると思います。得てして演奏者は自分の演奏を誰もが聴き続けて苦痛に感じないと思いがちです。バッハの無伴奏ヴァイオリンソナタ・パルティータ全曲演奏会に一度だけ伺いました。正直に言って、「これ、修行?」と感じました。演奏は素晴らしい!のですが、長すぎる。椅子が固い。背中が痛くなる。それでも演奏は続く。演奏者は気持ちよさそうに最後まで弾き続ける。さすがにアンコールはなかったのですが、疲労感しか残りませんでした。
 ワンプレートの料理でも、美味しい料理はあります。お弁当一つに、すべてのおいしさの要素が詰まっているものもあります。コース料理だけが高級料理ではないと思うのです。

 クラシック音楽のネガティブイメージは、
・暗い・長い・わからない
もちろん、間違った先入観でもあります。明るい曲、短い曲、わかりやすい曲もあります。ポピュラー音楽と比較しても、単純な違いではありません。
演奏形態にしても、有名なゲーム音楽「ドラクエ」はれっきとしたオーケストラの演奏です。昔、ドラクエのCDを子供が聴いているのを見た親が「やっと我が子もクラシック音楽に目覚めたのか!」とぬか喜びした笑い話があります。
 先入観がクラシックコンサートの来場者を増やせない理由でもあります。
クラシックの演奏家の多くが、ポピュラーのライブを知りません。
ライブで予め演奏曲が発表されていることは「稀」です。会場で始まる「好きな曲」にオーディエンスが一斉に盛り上がります。ライブでのMC=トークでアーティストの「素顔」を感じられるのもファンにはたまらない魅力なのです。
演出も含めて、来場者に楽しんでもらおうとする「おもてなし」を感じます。
クラシックの演奏会場で「おもてなし」って、ほとんどないですよね?
「いらっしゃいませー」とプログラムを渡され、帰りは見送りもない。
来場者への感謝と、自分の演奏への反応を知ることが不可欠だと思うのです。
まるで「きかせてやる」「黙って聴け」「演奏が気に入らないなら帰れ」と言わんばかりのクラシックコンサート。残念ながら、ないとは言えませんよね。
 自分の演奏をを好きになってもらう以前に、聴いてもらう人への配慮を忘れないことです。演奏するのも聴くのも「人間」なのですから。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

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