演奏家に特別な素質はいらない

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 動画はクライスラーの「コレルリ・バリエーション」です。私のガラケー着信音がこれです。聴こえたらすぐに探さないと恥ずかしいから最適!(笑)
 大人の生徒さんや、生徒の保護者が自分や子供に「才能がない」とか「素質が足りない」などと言われることがあります。思わず「私に才能があると思うんですか?」と聴くと「そりゃあ、先生だから」と意味不明なお応えが帰ってきます。演奏家に必要な「素質」ってあると思いますか?

 先天的に耳の聴こえない人もいます。手の指がない人もいます。色々な個性が人間にはあります。もっと言えばたとえ一卵性双生児でも個性が違います。まったく同じ人間は、地球上に自分しかいないのです。それぞれが異なった個性を持っています。それらの個性の中で、演奏家に適した個性があるとしたら、どんな個性でしょうか?
 ・聴力がある。
 ・両腕と指がすべてある。
それさえ、「絶対条件」ではありません。右手の指がない人でもヴァイオリンを演奏しています。右手が動かなくても演奏されるピアニストもいます。ベートヴェンは晩年、踏力を失ったことは有名な話で。それでも第9を書き終えました。
 「身体的なことではなく、能力が…」とこれまた苦しい理由を考える人もいます。演奏能力の優劣を、どんな基準で比較するのでしょうか?
 以前にも書いた「低年齢で演奏技術が優れている」と「神童」とか「天才」と呼ばれますが、私はそう思いません。その人にお会いしたことがありませんが、生物としての「人間」に大きな違いがあるとは思えません。先述した通り「個性」はあります。小さく生まれる子供もいます。だからと言って、生後3日で言葉を話す子供はいないはずです。2歳で楽器の音を出すことは天才ではないことは誰でもわかります。ところが5歳で「○○作曲のコンチェルトを演奏」と言うと突然、神童扱いされます。本人だけの意志と力でそれができるわけがありません。親が「やらせた」だけです。
 ご存じの方も多いと思いますが、ひらがなを読めない幼児に先に「漢字」の読み方を教えると、教えられたすべての子供が漢字を見ただけで読み方を答えます。「図形」と「音」を覚えただけなのに。それを「天才」と言うでしょうか?
私はこの世に「天才」は未だかつて一人もいなかったし、これからも生まれないと思っています。当然、演奏家にしても同じです。どんなに神のような技術を持っていると言われる演奏家でも天才ではなく、単に努力した結果だと確信しています。

 では、努力はみんな同じでしょうか?「精一杯、努力した」と言っても人によって内容も時間も違うのです。同じものがあるとすれば、1日が24時間であり1時間が60分であり…という時間だけです。あとはすべて、人によって違うのが努力です。
 どんなに練習してもじょうずになれない。と誰もが思うものです。
それは練習の内容と時間に問題があるのであって、自分の思う「一生懸命」のどこかに間違いがあるのです。
 生徒さんに同じことを、同じ言葉で同じようにレッスンで教えても、すべての生徒さんの反応が違い、出来るようになるレベルも時間も違うのが当たり前です。その差を「素質」とか「才能」で片づけるのは逃げの気持ちだと思います。
 なぜなら、出来るようになった実感があれば「素質が足りない」とは思わないからです。他人より時間がかかったとしても、それは才能がないのではなく、自分の練習時間・内容が、他の人より少なく・効率が悪かったことが原因なのです。
 自分の練習を分析する技術を身に着けるために、本当に長い時間がかかります。常に誰かに練習を聴いてもらい、修正してもらい、自分で考えなくても練習できる環境の大人は、恐らくいないでしょう。子供の場合、多くは親がそばで口を出します。「音程が悪い」「リズム、間違ってない?」「弓が曲がってる」「姿勢が悪いよ」などなど。私の母も、私が中学3年生になるまで、自分(母親)の見える場所で練習させました。これが一番嫌でした(笑)が、それが当たり前だと思っていました。
 高校生になった私が、自室で自分の演奏に大声で「へたくそ!」「音程が悪いんだよ!」と独り言を言いながら練習するようになって、時々ドアの隙間から心配そうに部屋の中をのぞいていました(爆笑)相当、心配だったようです。「ついに…」と思ったのかもしれません。

 他人と自分の演奏技術を比較するのは、技術の向上と新しい発見のために必要なことです。他人の演奏は客観的に聴くことができます。小さなミスにも気づけます。多くの場合「自分よりじょうず」と思います。それで自信を無くすのではなく、目標にすればよいのです。その人と同じ演奏は誰にもできません。その人自身も、その時の演奏と完全に同じ演奏は出来ません。CDやYoutubeを繰り返し聴いて、自分との違いを見つけることも大切だ思います。
音を聴けば予備使い、ボウイングのほとんどすべてを聞き分けることができるようになります。音だけで指?一つの音だけでは、開放弦以外の指を言い当てることは不可能です。ただ、前後の音色と開放弦(弦の最低音)より低い音は、低い弦で演奏している(G線は別)ことを判別できますから、演奏している弦を判別することができます。スライド(短いグリッサンド)と前後の音を考えると、弦と指番号がわかるのです。

 下の動画は、パデレフスキー作曲クラスラー編曲のメロディーを、パールマン大先生が演奏されたCD(音源)から指使いを模索して書き込んだものです。
私の聴いた演奏と若干違うかも知れませんが、ご覧ください。

 動画と素質、才能は関係ありませんが「出来ない」と思い込まず、時間をかけて考えることも大切だと思います。
自分の個性は自分が一番わかりません。それでも、他の人とは違う一人の人として、親にもらった身体とDNA、さらに自分にしかない「考え方」こそが素質です。それを磨き、作られるものが才能です。才能は生まれつきのものではないのです。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

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