音楽と身体の「同期」と「独立・分離」

このエントリーをはてなブックマークに追加

 映像は10年前のデュリサイタルで演奏した、サラサーテのツィゴイネルワイゼン。
代々木上原ムジカーザでの演奏です。
 今回のテーマは、多くの生徒さん…特に大人の生徒さんたちが頭を悩ませる内容です。

 まず音楽を演奏する時に使う身体との関係です。どんな楽器でも声楽でも「身体」のどこかを使って音楽を演奏します。コンピューターが自動的に音楽を演奏してくれる状態は「演奏」とは言いません。敢えて言うなら「機械の操作」です。
 音楽を演奏する人にとって、自分の「身体の「どこ」を「どう」動かすのか?そしてそれが「思ったように」動いているか?を常に考える必要があります。「無意識」に身体の一部を動かすこともできますが、まず!自分の意識で筋肉や関節を「思った通り」に動かせるようにする訓練が必要です。
 演奏を「運動」として捉える時に「音楽との同期」を考えることが先決です。わかりやすく言えば「音楽と身体の動きを紐づける」ことです。小さな子供が音楽に合わせて体を動かしたり、首を激しく振ったり、手を叩い理するのも「音楽に合わせて体が動く」ことの表れです。逆の例え話だと、音楽に合わせて手拍子をしている人の中で、少しずれている人が必ずいるものです。

 音楽を聴いて「感じる」もの。耳が聞こえる人なら「音=空気の振動」で、耳の聴こえない人なら「身体に感じる振動」です。
「音」と「音楽」の違いがあります。音は音楽とは限りません。車の走行音、鳥の鳴き声などを音楽とは感じません。音楽に感じるかどうか?は個人差もありますが、ほとんどの人…音楽を普段聞かない人も含めて「音楽」に感じるのは「メロディーに聴こえる音」「和音に感じる音」が聴こえた場合です。メロディーとは「音の高さとリズム」で創られます。
しかも「ランダム=不規則」に音の高さと長さ(リズム)を組み合わせた「音の連続」は音楽に感じる人はごくわずかです。
 また同じ高さの音を同じ長さで、延々と繰り返していると「何かの機会の音」に感じます。電話の「話し中」の音や、アラームの「ピピ・ピピ・ピピ・と言う音に感じます。
 和音は「異なる高さの二つ以上の音が同時になったときに響き」ですから、半音違う二つの音が同時になっていても「和音」です。

「聴きなれた和音」例えば「ドミソ」のような音の重なりを聴くと、音楽を知らない人でも、何の音か?わからなくても「安心感」「親しみ」を感じます。 

 音を音楽として感じられた後の「感覚」として、速さ・強さ・明るさを感じられます。
 速さは「音の長さ・短さ」でも感じますし「拍と拍の間隔」にも左右されます。さらに言えば「楽譜で見た目」の速さと実際の演奏で感じる「速さ」は別のものです。
 冒頭の動画「ツィゴイネルワイゼン」で後半に演奏するヴァイオリンは「速い」と関zる部分です。演奏する「テンポ」を変えれば、遅く感じます。当たり前です。

 音の大きさは「生」で聴く場合と「録音」を再生して聴く場合で全く違います。生で聴く場合も「大ホール」の後ろで聴く場合と「サロン」で目の前の演奏を聴く場合で違います、
 「明るさ」は音楽的に「長調・長音階・長三和音」として判断できる人は限られています。「なんとなく」感じるのが音楽の明るさです。本来「調性」とは無関係の「ゆったりした静かな音」は暗い…と思われがちで、「速く大きな音の音楽」は明るいと勘違いする人もいます。歌詞がある「歌」なら歌詞の内容や歌い方でも暗いと感じる人もいます。

 演奏する人が音楽に合わせて動けるか?感じた「明るさ」「強さ」を身体で表現できるか?を考えます。例えば「振付」や「ダンス」を真似事でも良いので考えることができるか?という事です。激しく速く明るい音楽を「身体全体」を使って表現するとしたら、どんな動きを想像しますか?逆に、緩やかで穏やかな暗い音楽を表現するとしたら?
 まずは「ここから」だと思います。

 自分が演奏するわけですから、自分の「頭の名K」で決めた「速さ・大きさ・明るさ」を自分の身体を動かして楽器を演奏することになります。頭の中にそれらがなければ?ただ、「音が出た」と言う結果だけが残ります。出してしまった音に「同期」することは不可能です。なぜなら「同期」するためには「予測」が不可欠だからです。次に演奏🅂る「音」の「時間」「大きさ」「明るさ=音色」を決めてから演奏することが「音楽との同期」だからです。誰かが演奏する生音楽に、完全に同期させることは物理T劇に不可能です。当たり前ですよね?予測できないからです。「聴こえた音に反応する」のでタイムラグが起きます。つまり「遅れる」か「飛び出す」ことになるのが当たり前なのです。偶然にタイミングが合うこてゃあり得ても、それは「まぐれ」です。同期とは言いません。

 最後に「独立・分離」の話を書きます。
一般に体は「同時に同じ動きをする」ものです。例えば、右手と左手で同じ「グー」「チョキ」「パー」を続けて出すことは誰でもできます。でも右手と左手で、いつも違うグー・チョキ・パーを続けることはものすごく難しいことです。
 ヴァイオリンの生徒さんの多くは「右手と左手」が一緒に動いてしまいます。例えば、弦を押さえるのと同時に「弓を返す」こてゃ出来ても、「先に弦を押さえたり離したりする」つまり、右手が止まった状態で左手の指だけを動かすことが出Kないのが普通です。
 スラーの場合は、右手を動かした状態で左手を動かすので「何とか」出来ても、移弦を交えると右手の移弦の運動とスラーが「分離」出Kません。さらに左手の動きとスラーが無意識に同期=一緒に動いてしまいます。
 私たちが日常生活の中で、左右の手足・指・声・注視するものなどを「バラバラ」に動かしている場面があります。車の運転、自転車の運転、原稿を読みながらのスピーチなどが思い浮かびます。

 運動神経と呼ばれるものにも「瞬発力」「持続力」「反応速度」などがあります。
音楽家に「運動音痴」が多いのも事実です。幼いころ個から楽器だけを演奏し、球技は「柚木を痛めるから御法度」(笑)で育った人も多いので仕方ありません。
 キャッチボール、サッカーをして遊び、縄跳びや跳び箱は小学校の体育の時間に習います。球技の場合は「予測」と「反応」が重要です。ボールが飛んでくる場所を予測し、そこにグローブやバットを出すと言う一連の運動です。
 他人の動きを「予測する」「反応する」ことが求められるスポーツの代表が、ボクシングだと思います。いくら腕力が強くても相手の動きが「読めない」ボクサーは勝てません。
 他人とシンクロするスポーツの一つが「シンクロナイズドスイミング」と「新体操」です。音楽に合わせて全員が「それぞれに」動く。音楽の「拍」を予測する能力と、身体を同期させる技術が不可欠でです。
 スポーツではありませんが「マーチングバンド」の場合にも楽器の演奏をしながら、歩幅を完全に一致させながら「歩く」「曲がる」「止まる」ことが求められます。

 楽器を演奏する時、音楽を聴いて楽しむ場合とは異なる「運動の制御」が求められます。
1.自分が作りだす「体内時計=インターナルクロック」は演奏する前から始動させます。
2.自分が作った「速さ=流れ」が決まったら、音を出す」前」から運動を開始させます。実際に指や弓を動かす運動ではなく「音を出すための予備運動」です。「力を貯める」「動きながら音を出す」「ヴィブラートをかけは踏める」なども予備運動です。
3.音を出しながら次の「運動」を感が増す。当然「今現在、出ている音を聴きながら」の運動です。
4.運動を意識して音を出す練習を繰り返すことで、意識しなくても運動を同期・分離できるようになります。習得に係る時間は様々ですが「必ず」出来るようになります。
5.演奏しようとする音楽・音と、そのために必要な予備運動と実際に音を出す運動、さらに次の音への「リレーション」を、「音色」「音量」「ピッチ」それぞれに考える習慣をつけましょう。
 大切なことは「音を出してから考え・動く」のではなく「考え・運動を開始してから音を出す」ことです。聴いている人には「突然始まる」音楽であっても、演奏者には「その前」が必ずあるのです。

 違う言い殻を擦れば「音を出す目の運動があって音を出す運動につながる」のです。
 手漕ぎボートを想像してください。ボートが進む=動くためには、オールを自分の身体より「後ろ」の水面に沈めなければ、水を「掻く」ことは出来ません。
 演奏中、常に「音」の前に予備運動があり、音を出す運動も様々な筋肉や関節を「バラバラ」あるいは「同時」に動かす技術が必要になります。常に自分が「音の前に居る」意識を持つことが大切だと思っています。

 下の演奏は、作曲者サラサーテ自身が演奏しているツィゴイネルワイゼンの雑音を消去したものです。

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です