溶けあう音と浮き立つ音

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 映像は、クライスラー作曲の浮く奇しきロスマリン。杜のホールで撮影した動画です。相模原市緑区橋本駅前にある客席数525名のホールです。
音楽ホールとして作られ、特に弦楽器や室内楽の演奏に適した残響時間と響きで、近隣にはあまりない私の好きなホールです。吹奏楽の演奏だと残響が長すぎるとかの理由で不評なようですが(笑)メリーオーケストラの演奏会は、このホールの誕生と共に始まり、現在も続いています。

 さて、今回はアンサンブルやコンチェルトでの話です。
1種類の楽器だけが演奏する場合と違い、いくつかの違う音色の楽器が演奏する場合、客席で聴くお客様に届く音はそれぞれの楽器の音が「混ざり合った音」で届きます。当たり前です。言ってみれば「ひとつの音」としてお客様の耳に届きます。
 音楽学校で私たちが学んだ「ハーモニー=和声聴音」という特殊な技術があります。同時に鳴っているピアノの音=和音を、限られた時間=演奏回数で五線紙に書き取ると言う能力を身に着けます。この技術は、ピアノの和音に限らず、ヴァイオリンとピアノが同時に演奏している時にそれぞれの音を「分別して聴く」能力でもあります。さらに言えば、オーケストラの指揮者は、常にこの技術を使って同時に鳴っている、10種類以上の数十人が演奏する音の中から、間違った音を聴き分ける能力が求められます。その昔、聖徳太子の「10人が同時に話す内容を聞き取れた」という話は、聖徳太子が聴音の練習をしていたからだと言う説が。ない?
 とにかく、この技術は訓練すれば誰にでも身に着けられますが、音楽を楽しんで聴くうえでは案外「邪魔」になるだけではなく、演奏する私たち自身が「溶ける音」を意識ぜずに演奏しているかも知れないことに気が付きます。

 コンチェルト=独奏楽器とオーケストラの協演の場合、独奏楽器と同じ楽器がオーケストラでも使われることがあります。
 ピアノコンチェルトは、オーケストラにピアノがないので、ピアノの音が浮き立ちます。
 ヴァイオリンコンチェルトの場合は?オーケストラに何十人ものヴァイオリン奏者がいますよね?その人たちが演奏するヴァイオリンの音と、ソリストの演奏するバイオリンの音が完全に「溶けて」しまったら、お客様にどう聴こえるでしょうか?
 ソリストと言えども、音量=音圧はオーケストラのメンバーが演奏している楽器と同じ「ヴァイオリンの音量」です。アンプで増幅して演奏しない限り(笑)
 はっきり言えば「聴きとれない」か、聴こえたとしても一つのオーケストラパートにしか聞こえないですよね?いくら指揮者の近くで、ひとり立って演奏していても、音だけで言えば「浮き上がらない」可能性が高いのは事実です。

 そこで、ソリストが用いる技法のひとつに「ビブラート」を他のヴァイオリン奏者よりも速く、大きくするという事で「浮き上がる=目立つ」音色にしたのが、現代の速いビブラートを生み出したきっかけだと思っています。
 ソリストのビブラートは確かに「速く・大きな音の変化」が圧倒的に多いのです。ただ、それをオーケストラメンバーが全員でやったら?目立たないどころか、さらに速く・大きなビブラートをソリストがするように「いたちごっこ」が始まると思うのです。その積み重ねで、現在の「高速ビブラート」がもてはやされるようになったと推察します。
 弦楽四重奏で、だれかがこの「高速ビブラート」で演奏したら、他の3人はそれに合わせてやはり「高速」にするか、練習時にだれかが、「それ…必要?」と疑問を呈するはずです。ひとりだけ「浮く」音色で演奏するのは、アンサンブルを壊します。

 ピアノとヴァイオリンが二人で演奏する場合ではどうでしょうか?
もとより、ピアノとヴァイオリンの音色は音の出る構造=原理から違います。
同じものがあるとすれば「ピッチ」と「音楽」です。
その異なった音量と音色の楽器が、まったく違うリズム=音の長さで、違う高さの音を演奏し続けるのが「二重奏」です。その音はひとつに溶け合って、会場のお客様の耳に届きます。これが録音と違うところです。録音は、それぞれの音を「別個」に録音したほうが、あとで処理=加工しやすいのです。バランスを機械的に変えたり、音色を楽器個別に変えることができるからです。
 録音ではなく「ライブ=生演奏」の音が、溶け合った音で伝わるか?水と油のように溶け合わない、耳当たりの悪い音に聴こえるか?これを演奏者が考えなければ、それぞれの演奏者の「独りよがり」になると思うのです。「私の音はこれ!」って音を聴衆は求めていないと思うのです。
 うまく溶け合った音は、料理で言うなら異なった素材の、それぞれの美味しさを溶け合わせて「ひとつの美味しさ」に仕上げるシェフの技です。
 私の好きな「香水」の世界で言えば、様々な香りの中で「甘さ」「からさ」「苦さ」のバランスを試行錯誤しながら造り出す「調香師」の技術と同じです。

 溶ける音を作り出すためには、それぞれの楽器の音量と音色の特性を、お互いが理解し「寄り添う」演奏が必要だと思うのです。ピアノの音は正しく調律されている限り「揺れない音」で、音が出た瞬間から必ず音量が減衰=弱くなる楽器です。
 一方でヴァイオリンやヴィオラは、揺れない音を出すことがまず演奏技術として難しい楽器です。さらに、発音した瞬間から、音の強さを大きくすることも、同じ大きさで保つこともできる点がピアノと大きく違います。
 音量で言えば、ピアノの音圧=デシベルは、ヴァイオリンよりはるかに大きな音が出せます。一方、弱い音の場合、ピアノで出せる一番弱い音を「速く連続して」演奏することは、物理的に不可能です。鍵盤をゆっくり押し下げる「時間」が必要だからです。16分音符のピアニッシモをピアノで演奏した場合の、ホールで聴く音量と、ヴァイオリンが同じ音符をひと弓で演奏したピアニッシモの音量は?当然、ピアノの音が大きく聴こえるはずです。
 ピアニストにヴァイオリニストが「もう少し弱く」と言う注文を出す場合、えてしてピアニストにすれば「これ以上弱くなりません!」と思っているケースが多いと思うのです。逆に、ヴァイオリニストに「もう少し大きくひいて」とピアニストがリクエストする場合に、ヴァイオリニストは「せっかく弱くしたのに!」という気持ちがどこかにあるのではないでしょうか?
 解決策は?まず、それぞれの楽器の音が空間に広がって溶けるまでのプロセスを、一緒に考えることだと思います。
 音が出る瞬間の事ばかりを、演奏者は気にしがちです。自分一人で練習している時には、それしか聴く音がないのですから当たり前です。一緒に演奏した場合に、空間に広がる音は「ひとつの音」になるわけで、うまく溶けて聴こえるかどうかが一番の問題なのです。
 もちろん、音楽の種類によって=パッセージによって、どちらかの音を「浮き立たせる」ことも必要ですし、それまでの音色と意図的に違う音色で演奏する「変化」も必要です。

 動画は アンネ=ゾフィー・ムターの演奏するモーツァルトヴァイオリンソナタです。冒頭部分の、ノンビブラートは好みの分かれる部分です。
しかし、ピアノとヴァイオリンの音色が「溶けあう」と言う意味で、これから始まる音楽が「ひとつの音になる」ことを示唆しているように感じるのです。
 音量も、音色もお互いの音がひとつに溶けるためにそれぞれが譲り合い、助け合い、認め合うことが何よりも大切な「心」です。演奏技術以前に一番重要なことです。
 技術は、演奏しようと思う音楽を、聴いてくださる人に届けるためのものです。自分だけがじょうずに聞こえるように演奏することは、技術ではなく「自己満足」です。一緒に演奏することが主になるヴァイオリンや弦楽器を演奏するなら、一緒に演奏する人を思う気持ちがなければ「独裁者」です。そうならないために、人にやさしい生き方をしたいと思うのでした。

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

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