「なんとなく…」の少ない演奏や演技が大好き!

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 映像は、私たち夫婦が大好きな「パトリック・チャン」のスケートによる「演技」です。フィギアスケートが「競技スポーツ」である場合、やれ「何回転ジャンプ」が成功しただの、着氷がどうしただので「減点」されて順位が決まるのは、音楽のコンクールでの「順位付け」と似ています。。ただ、私たちは同じ競技スケートでも、彼の「技術の高さ」が他の選手たちと根本的に違って感じます。それが何故?なのかを考えていきます。

「なんとなく滑っているだけ・動いているだけに見える時間が少ない」のが彼のスケートの魅力です。通常の「振付」だと、なんとなく音楽に合わせた「ようにに見える」動きなのに対し、彼は「動きに合わせた音楽」を選び、時にはつなぎ合わせて作り、さらにその音楽を動きで表現しているように見えます。この違いです。手をあげる…運動一つでも、なんとなく挙げているようには見えません。
 以前、スケート選手だった織田さんが「彼のコンパルソリー技術(昔の規定演技)はものすごいんです。一蹴りで恐ろしい速度で恐ろしい距離を滑るんです。スケーティングの時、エッジで氷を掴む音がものすごく大きい!」という話をされていました。何が違うのか?素人にはわかりませんが、オリンピック選手でさえ驚く「特定の技術」があることは確かです。

 「なんとなく音を出しているだけ・弾いているだけに聴こえる音が少ない」
これが私たちの好きな演奏・目指す演奏の一つの「理想」です。
何も考えずに・何も感じないで演奏している「演奏家」はいないと思います。
ただ聴いていて、なにも感じない「音=時間」が多い演奏と少ない演奏があるように感じます。聴く側の感性…好みの問題もあります。演奏者の表現が「内に秘めた表現」なのかも知れません。大げさなら良いとは思いません。
分かりやすい別の例えをしてみます。
以下の動画はある韓国ドラマの「日本語字幕版」と同じ場面を「日本語吹き替え版」で比較したものです。韓国語がわからなくても、「役者さんの話し方=演技」と日本人声優さんの「声の演技」の違いです。みなさんにはどちらが「自然」に感じるでしょうか?

 日本語に吹き替えてあることで、字幕を見なくても「話している内容」が理解できますが、実際に演じている韓国人の役者さんが話す「台詞(セリフ)」を声優さんが聴いて「それらしく」声で演技をしています。
 吹き替えは、実際のセリフを訳した台本を、元の音声の「タイミング」に合わせて声優さんが話して「合成」したものです。見ていて「不自然」に感じることは仕方ありませんが、楽譜を音にする私たち演奏家は、聴く人が「自然に聴こえる」演奏技術が必要だと思います。「棒読み」と言う表現は、
・文章の内容を理解していない
・「強弱」「緩急」「抑揚」がない
・「平坦で無表情な音読」
を言います。演奏を聴く人が「棒読み=棒弾き」に聴こえないように「こだわる」演奏が好きです。
 得点を競う「競技」と違い「芸術性」は点数化できません。
何かを感じる演奏…聴く人が専門家でなくても、クラシック音楽を普段聞かない人でも「なにか感じる」演奏を意識して表現したいと思います。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介 

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