音楽で社会貢献できるのか

このエントリーをはてなブックマークに追加

 映像は、NPO法人メリーオーケストラが演奏する「レ・ミゼラブル」の音楽です。
私の調べた限り、日本国内で現在(2022年5月30日)NPO法人=特定非営利活動法人として活動しているオーケストラは、私たちのメリーオーケストラしか見当たりません。NPO法人…ニュースで耳にすることはあっても、実際にどんな活動をする団体なのか?知られていない場合がほとんどです。
 難しい定義は書きませんが、要するに国が認める社会に貢献する活動を、予め定められた事業で行う「非営利=営利を目的としない」団体です。
 ひとつの例で言えば、社員=会員は、給与を受け取れません。
オーケストラの演奏者が「社員」であれば、演奏者に給与を支払えないのです。
この時点で「なんだよ。それじゃ生活できないじゃん」とあっさり考えます。
現実にメリーオーケストラ会員=社員は、給与どころか、逆に毎月3,000円の「会費」を納めています。演奏会を開くたびに係る経費は、その会費と賛助会員からの会費年間一口2,000円、さらに会員が支払う演奏会参加費で賄います。
 経費の中には、プロの演奏家への「交通費」も含まれます。「謝礼」を支払うこともできますが、その場合は法人が法人税を支払う必要が生じます。
会場の費用、付帯設備の使用料の中で、相模原市から年間最大100,000円の助成金が受け取れる場合もあります。申し込んだ事業の中で審査され
選ばれなければ、一円も助成されません。

 オーケストラに限らず、私たち音楽家が、「演奏会を開く」ことや、「楽器の演奏方法を指導する」ことは、どんな社会的な意義があるのでしょうか?
「考えすぎだ」と思う人もいるかもしれませんが、社会で必要とされない活動で、営利を求めること=生活することは現実的に不可能です。
 音楽を聴いたり、楽器を演奏したりすることに何かしらの「価値」を作るのは、音楽家と行政の役割です。音楽家はすぐに分かりますよね?行政って何?
簡単に言ってしまえば「政治」です。国や県・市・町が音楽にどれだけの「予算」という価値を付けるかです。
 演奏の「対価」として聴衆が支払うお金があります。このサイクルだけで、演奏会は成り立っていません。「一流の演奏家なら出来るだろう」と思われますが、演奏会を開くホールの多くは「公的」つまり税金を使って作られ運営されています。民間が運営するホールもありますが、当然収益を挙げなければ=ホールが利益を出さなければ、運営できないので使用料金は莫大な金額になります。その代金に見合う「入場料」は一人10,000円近い金額で満席にしても足りないのが現実です。確かに一流の演奏家なら可能だし、富裕層なら演奏会チケットを買えます。でもそれ、社会貢献でしょうか?ブルジョアの贅沢に感じるのは私だけでしょうか。

 音楽家に対する公的な予算ってあるのでしょうか?
公務員として音楽に関わる業種は。
1.公立学校の音楽教諭
2.音楽隊(消防庁や自衛隊など)
3.音楽療法士、理学療法士
です。演奏家として働けるのは2.の音楽隊だけです。
プロのオーケストラに公的な助成があるケースもありますが、基本は民間企業です。財団法人などでも演奏家への公的な支援は非常に少ないのが現実です。
要するに、日本国内で「音楽活動」が社会的に貢献する場は、ほとんどないことになります。それは音楽家の責任ではありません。国が音楽・芸術・文化を軽視していることの証明です。

 政治が音楽で社会貢献を考えていなくても、民間や個人で社会貢献することは可能です。ひとつの例が「ボランティア・コンサート」ですが、この活動にも様々な問題や意見の相違があります。
 ボランティアだから、何もかもが無料で実施できる、と言うのは嘘です。
演奏者が自費で会場まで行ったとしても、本来は交通費がかかっています。
途中で食事を取ることになれば、食費もかかります。
大型の楽器を使用するのであれば、運搬費がかかります。
「善意」と言う綺麗な言葉で、お金が要らなくなるわけではありません。
そもそもボランティアは、行う側と受ける側の「気持ちの一致」がなければ成り立たない行為です。音楽の演奏を「望む」人たちと「提供する」演奏家の気持ちが一致しなければボランティアではありません。
 気持ちをお金=対価にすることが、日本の経済活動です。それは、すべての業種で本来行われていることです。物を作る人も、売る人も、相手が望むから職業として成り立っているのです。演奏家も本来、望まれなければ職業として成立しません。つまり「ボランティア=無料」と言う発想は間違っていることになります。
いくらならボランティア?も違います。両者の「同意」がなければ成立しないはずです。冷たい言い方ですが、ボランティア活動にも契約が必須だと思います。
後でどちらかが、嫌な気持ちにならないためにもこの契約は必須です。

「社会貢献」と言うと「営利を目的としない」と言うイメージが付きまといますが、非営利だからお金が掛からないことにはならないことを、演奏者も市民ももっと理解する必要があります。
私の考える社会貢献は、「不特定多数の人」に対して、自分の持っている技術や能力を使って喜んでもらうことだと考えています。逆に言えば、特定の人に対しての行為は「社会貢献」ではないのです。公務員は不特定多数の人のために働く人たちです。一方で多くの演奏家は、お金を払って音楽を聴いてくれる人や、お金を払って演奏技術を習う人に対して、演奏や技術を提供して生活しています。その前提が日本では、崩壊している状態です。
 多くの音楽大学を卒業した若者が、演奏活動で生活できない現状があります。
様々な要因があります。一言で言えば「供給過多」です。需要より卒業生の数が多すぎるのです。さらに、就職先であるはずの「組織」の経営が困難です。プロのオーケストラを考えた場合、黒字経営にするためには、人件費を抑えるしか方法がありません。演奏会を開けば開くほど「赤字」になる状態に音大卒業生が入り込む余地は、1ミリもありません。薄給で定年まで演奏する演奏家に、頭が下がる思いもありますが、若い人が入り込めないことも事実です。
 オーケストラを増やせば解決する問題ではありません。
むしろ逆効果です。「観客の奪い合い」を推し進めるだけです。自滅行為です。
オーケストラを「合併統合」する場合があります。多くの問題を解決する時間と忍耐が必要ですが、生き残るためには必要なことだとも思います。
はっきり書きますが「○○キネンオーケストラ」こそが、不要です。
そもそも「記念」で立ち上がったはずなのに、なぜ延々と活動しているのか私には理解できません。
 若い音楽愛好家が、社会貢献できるシステムを構築しなければ、いずれ日本の音楽大学は自然消滅すると思います。それは「種の存続」の定理だと思います。せまい社会に多くの「同種」が存在すれば、やがてその種は消滅するのです。活動の場を増やすか、新たな音楽家の排出を抑えるしか方法はあり得ません。
 その両方を同時に行うことが最も合理的です。
社会が音楽を求めているのか?と言う問いに、自信をもって「はい」と答えられるように、全体を変えていくことが、私たちの仕事だと思うのですが…。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です