ちゃんとコンチェルトを弾いていたから今がある!

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 今回は何とも「いかがわしい」タイトルのブログです。
動画は私が大学4年生当時に、恩師久保田良作先生門下生の発表会で演奏したときの録音です。銀座のヤマハホール、ピアノは当時アンサンブルを一緒に学んでいたピアニスト林(現在は同銀)絵里さん。私の大学卒業試験直前の発表会で、試験で演奏する時間までの部分しか練習していないという(笑)
 今聞いてみて感じること。「さらえばそれなりに弾けるんじゃん」という笑える感想です。当たり前ですが、桐朋学園大学音楽学部卒業試験でチャラけて演奏するする奴はいませんよね。この発表会では何か所か「大傷」がありますが恐らく卒業試験の時には、これよりもまともに演奏した…はずです。
 荒っぽい弾き方が耳障りな部分もたくさんありますが、今の自分の課題と同じ課題が多いことに驚きます。ん?つまり、成長がとまっている?(笑)

 高校大学時代に学んだ「クラシック音楽の演奏」が今の自分にとって、なくてはならないものだったことを感じます。
 クラシック音楽は長い伝統に支えられ、今もそれは継承されています。
さらに言えば。多くのポピュラー音楽はクラシック音楽の基礎の上に成り立っています。「俺にはクラシック音楽なんて必要ない!」と思い込んでいる人は、悲しい勘違いをしています。演歌もロックもジャズも、バッハの時代に作られた音楽を土台にして作られているのです。もし、あの時代の音楽=楽譜が、一枚も残っていなかったら、ポピュラー音楽は今、当たり前に聴いている音楽とは全く違う種類の音楽だったはずなのです。
 ドボルザークヴァイオリン協奏曲を、ひたむきに練習していた20代の自分がいたから、色々な音楽を演奏するための「土台」ができました。
 もしも、これからこの曲を練習したとしたら?
きっと、22歳の自分とは違うドボルザークヴァイオリン協奏曲が演奏できると思います。それが「成長」なのかもしれません。でも…この時のような筋力と体力が今、あるか?は、はなはだ疑問です(笑)
 どんな音楽にしても、真剣に向き合って練習することが、必ずその後の自分にとって「骨格」になるのだと思います。
 無駄な勉強や、無駄な練習はない。無理だと口にする前に、やってみること。
生きている限り「欲」があります。実現するための時間こそが、生きている証=あかしだと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

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