16回目のリサイタルを終えて

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2024年1月6日(土)代々木上原ムジカーザで、浩子さんとのデュオリサイタル16を無事に終えることができました。
 16年と言う時の流れと共に、リサイタルで160曲ほどの曲を二人で演奏してきました。40代で始めたコンサートをいつまで継続できるのかは、私たちにもわかりません。コンサートを開くことで、私たち自身が演奏に向き合うことができて、お客様に喜んで頂くことができると言う幸せを感じます。一方で「自費演奏会」ならではの刑事a的な事情と、現実的に体力的な問題も回を重ねるごとに厳しくなっているのも事実です。言ってしまえば、やってもやらなくても「構わない」コンサートでもあります。だからと言って「やめたい」と思ってもいません。現実は厳しいものです。
 今回、多くの新しい曲たちに取り組みました。動画のタンゴもその一つです。
 ソナタが嫌いと言う意味ではなく、小品の良さを一人でも多くの方に「生」で味わっていただきたいと思い続けています。
 もっと「マニア向け」と言われる曲や、「超絶技巧」のヴァイオリン曲に取り組むことも「不可能」だとは思いません。
 自分たちの「身の丈に合った曲」を選ぶことが、安直な妥協だと言われれば甘んじて受け入れます。技術の低さを「隠す」気持ちはありません。だからこそ、演奏することに必死になる難曲よりも、聴いてくださる方がクラシックを普段聞かない方でも「癒される」音楽を演奏したいと思っています。
 ヴィタリのシャコンヌをプログラムの最後に演奏しました。私にとって40年ぶりの演奏でした。地元でもムジカーザでも、多くの方に楽しんで頂けたようでした。
 小品…と言うには演奏時間が長く、一般のヴァイオリンリサイタルでは「前プロ」的に演奏されることが多い曲です。
 自分の技術不足を少しでも克服する練習をし続けて16年。その前の20年間はヴァイオリンから離れた生活をしていました。
7歳頃から始めたヴァイオリンを習い続けたのが16年間。
 こうして考えると、63年の人生で3分の1ずつを「学び」「生活し」「音楽に生きる」時間として使ってきました。
 音楽にも人生にも言えることは「誰かにいかされている」ことです。自分が生まれることも楽器を習い始めるt事も「親」がいたからできたことです。その「終わり」を自分で決めることは出来ません。もちろん、人前での演奏をやめることは自分の意志でするべきことです。ただ、楽器を弾けなくなっても音楽と共に生きることはできます。その「終点」がいつなのかは、自分で決められません。
 誰かのために。誰かの笑顔のために。音楽を演奏できる間は、頑張りたいと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

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