家族と生きること

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 映像は、「愛を奏でて」をヴィオラとピアノで演奏したものです。
海の上のピアニストという映画のメインテーマ曲で、エンニオ・モリコーネ作曲。この映画でピアノを演奏する主人公は、船で生まれて親に船に捨てられたた男の子です。その子供が船底で働く一人の男性に育てられ、やがてその船でピアニストとして生き、最後は…という涙を誘われる映画です。
 ピアニストとしての生き方を最期まで貫いたことも悲しくもあるのですが、産みの親に捨てられるという、人間の持って生まれた「苦悩」も感じます。
 今回の内容は、演奏技術とは直接結びつかないかも知れません。お許しください。

 人はそれぞれ、生まれてから死ぬまでに違った経験を積み重ねます。
両親に愛され続けて育つ人ばかりではありません。それを他人と比べても無意味です。
子供を育てる「親」や「親に当たる人」がいて、子供はやがておとなになります。
大人になって、誰かと新しい家族になる人もいます。私もその一人です。
その家族と円満に暮らし続ける人もいますが、それが普通だとも思いません。
生きていく時々で直面する別れがあることも避けられない現実です。
家族との別れ(一緒に暮らす動物も含め)は、なぜか家族以外の別れとは違う悲しみがあります。別れにも色々あります。死別だけではありません。
 自分も家族も年齢を重ね、それまでと違う生活に変わっていくことも現実に起こります。後悔しても時間は戻せません。受け入れることしか出来ません。
 家族である「親」が自分より先に天国に逝くのは、ある意味で自然の摂理です。むしろ、生き物として考えれば「当たり前」のことです。
 友人の中に、親より先に亡くなった…という現実を何回も眼にしました。
親の気持ちを考えると、心が引き裂かれる悲しみを想像できます。
 親がいつまでも元気な家族もあれば、子供として親を助ける時を迎える場合もあります。それを「不幸」とは思いたくなくても、子供も親も「苦しい」のは事実です。避けることは出来ません。家族だからです。
 自分が誰かに助けられることを「恥ずかしい」「嫌だ」と考える人もいます。
それが家族なら許せて家族以外の「助け」は嫌だと言う親が多いのも現実です。
気持ちとして理解できますが、子供の立場で言えばどこか悲しく、納得できないのも自分の「親」だからです。
 子供のいない家族もたくさんあります。夫婦が高齢になって、親戚もいない二人がお互いを助け合っていられる間は、それまで通り幸せです。でも…不安はあります。誰が面倒を見てくれるのか?生きていけるのか?
 生きることが難しいと感じる時、人は生きていることの意味を考えられなくなります。安直に言えば「死んだほうが楽」と思ってしまうのが人間です。他の動物は決してそんな考えを持ちません。人間だけなのです。
 それが間違った考えだと言えるのは、他人だからです。家族と言う「絆」を感じる人が、いなくなったり感じられなくなった時、一人で生きていくことに耐えられなくなるのも本人にしか理解は出来ないものです。

 両親を看取ることができた私は、幸運だったと思っています。
そうは言っても、働き盛りの頃に突然「介護」も生活に加えることになって、正直「パンク」しました。家族だから…出来ることをしていたつもりが、出来ないこともしていました。後悔はしていません。誰の身にも起こり得ることです。
 それぞれの人が、自分の価値観で考える「家族観」があります。同じ家族の中でも違います。兄弟でも夫婦でも「違う人間」なのですから当然です。
 現実に生きている今、そしてこれから先に起こる「かも知れない」ことに怯えていても何もできなくなりますし、何も考えずにいることもリスクが高すぎます。「転ばぬ先の杖」を用意しながら、今まで通りの生活が出来ることを、願える生活が理想です。
 音楽を演奏できる「時間」を考えるより、自分の最期を如何に迎えるかを考える年齢になったのかも知れません。偏屈おやじだった父を反面教師にして(笑)、穏やかなおじいさんに鳴れたらいいなぁと、ぼんやり考えています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

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