聴く人を魅了する演奏

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 映像はマキシム=ヴェンゲーロフ氏のハンガリー舞曲第5番(ブラームス)
前回のブログで「同じ人間」だからあきらめてはいけないのだ!と書いた翌日の今日、いつもの自己矛盾(笑)「神に近い人には近づけない」と言う意味不明の言い訳が頭を埋めております。

 何回も書いていますが私は「評論家」様を忌み嫌っておりますので、自分自身も誰かの演奏を「批評=あらさがし」をしたり「その人よりこの演奏家、知らないでしょ?」が大好きな知識ひけらかし星人でもありません。単に自分の好きな演奏をする人を尊敬し、憧れるだけの「普通の人」だと自負しておりますが、いかんせんお客様の前で演奏するなどと言う、おこがましい行為をしたりするので自分に対する自己批評だけは、常日頃から行っています。
 好みの問題…であることは事実です。この映像の演奏より「こっちが好き」と言う人がいても当然です。むしろ私の知る、ほんの少しの情報の中でこの演奏が好きというだけの話でもあります。私がなぜ?この演奏に魅力を感じるのか?考えてみます。

 どんな演奏家であっても、その人の性格や考え方をすべて知ることは誰にもできません。メディアに積極的に露出する演奏家であってもそれは同じです。
テレビや動画で話している姿、内容が本当にその本人の「本心」だとは言えません。つまり私たちは人を「外見」で判断するしか方法がないということになります。「ひとを見た目で判断してはいけない」と言うのは、例えば肌の色の違いや、話す言葉の違い、障がいの有無などで優劣をつけるのは、人として間違っていることを示しています。他人を完全に理解することは誰にもできないのですから、見た目=外見に限らず、他人を完全に理解出来たと思うこと自体が「勘違い」だと思っています。その意味で、演奏家はすべて「アイドル=偶像・虚像」だとおも言えます。「AK〇48と一緒にするな!」とお怒りの方には申し訳ないですが(笑)、それならあなたの尊敬する演奏家の「何を?」知っているのでしょうか。私生活を知っていたら、ストーカーです(笑)家族同士でさえ、ひとの考え方や行動を、すべては理解できないのが普通ですよね。
 演奏家の魅力は「演奏」なのです。正確に言えば、演奏している「音楽」と「姿=見た目」と聴く人が自分の中で作り上げた「偶像」なのです。それはどんな音楽のジャンルにも言えます。また俳優や漫画家、すべての職業についてもいえることです。自分以外の人が作る「もの」を使って生活しているのが人間です。誰が作ったのか?さえ知らない物に囲まれ、誰がどこで、いつ作ったのか考えもせずに、食品を買って食べているのが現実です。完全に自給自足できる人は現代社会では、ほぼ皆無だと思います。
 他人の演奏に「魅力」を感じるのは、ひとつに「自分にはできない演奏をしているから」という理由が考えられます。誰にでも、自分でも完全に再現できる演奏に魅力って感じますか?レンジでチンすれば、同じ味が楽しめる食品を創ったメーカーと職人さんは「すごい!」と思いますが、チンしてくれたひとの「魅力」は?ないですよね(笑)
 演奏の魅力、次に考えられるのは「聴く人を引き付ける演奏」です。
何に引き付けられるか?人によって違いはありますが、私の場合は演奏する音へのこだわりが途切れずに、音楽の最後まで続けられる人に引き付けられます。演奏者の「熱意=温度」を感じられる演奏でもあります。部活吹奏楽で「情熱をこめて!」を連呼する顧問を見かけますが、意味が違います(笑)聴く人が感じる演奏家の情熱です。演奏家がどれだけ、その音楽=演奏にこだわりをもって演奏しているかを聴く人が感じられるのは「演奏者の技術」があっての話です。情熱をこめている「演技=振付や表情」を意図的にしたり、生徒にさせるのは「お手!」をさせて喜んでいる飼い主と同じかそれ以下です。お手をして、ご褒美のおやつを食べられるワンコは救われますが、臭い芝居をして笑われる生徒さんに残るのはトラウマだけです。
 演奏家の技術が高く感じる時、当たり前ですが自分より良い練習をたくさんしているからだと思い知るべきです。「この人は天才だから」と片づける私は(笑)ただ現実逃避しているだけです。憧れる演奏に、自分が近づくために、自分に足りない努力を認めることから始めます。
 さぁこれからだ!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

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