世代交代しても変わらないもの

このエントリーをはてなブックマークに追加

 映像はチェリスト宮田大さんのレッスン風景。
現在36歳の宮田さん。こうしてレッスンをしている内容や話し方に「世代交代」を感じます。
 習う人に「年齢」や「演奏技術」の線引きありません。習いたいと思う気持ちは、他人からの評価とは無関係です。常にだれかから「習いいたい」と思う気持ちは演奏家にとっての生命線かもしれません。
 それらの人に「教える人」にも資格や基準はありません。伝えたい、残したいと思う気持ちがある人=指導者と、その人から何かを学びたい、吸収したいと思う人=弟子の「信頼関係」がなければ、なにも伝わることはありません。

 私たち60代が若い頃に受けたレッスンと、現代のレッスンは何が変わり、何が変わらないのか。
 当然のこととして、ある時代に「生きる人たち」は色々な世代・立場です。
社会全体、あるいは国内での人々が求める物も違います。
音楽以外の例で言えば、日本国内で美無教育を受ける子供たちへの「教育・しつけ」に対する大人の考え方の「変化」です。いわゆる「ブラック校則」が当たり前だった時代がありました。教師と児童・生徒とのかかわり方も変わり、学校と保護者の関係も変わりました。それこそが社会の変化だと思います。
 何が正しいのか?という基準も変わります。大きな変化は少子化と学校の増加です。音楽教育の世界にもその波と無関係ではありません。
「サマーキャンプ・音楽祭」と呼ばれるイベントは昔からありました。
公開レッスンも私が学生時代から頻繁に行われています。
 海外の演奏家や指導者が来日し演奏するのも、当たり前のことになりましたし、著名な演奏家が在京の音楽大学で「常勤」していることも珍しくなくなりました。
 海外の音楽学校に留学するのが、大変だった時代もありました。その当時の為替を考えても、1ドル=360円だったわけでどれほど大変だったかを考える参考になります。

 音楽教育もグローバル化しています。どこにいても、世界的な演奏者の指導が受けられます。海外のオーケストラの日本公演も「希少価値」はなくなりました。そんな現代のレッスンです。指導する人間の「質=内容」も変わってきました。
 演奏家自身が自分のファンを増やすためにも、レッスンの場を増やすことは有意義です。「人間」としての魅力が第一に酔われる時代ともいえます。
ただ演奏がうまい…だけでは、人としての無力とは言えません。レッスンを受けた人の「印象」が悪ければ、指導者としてだけでなく演奏家としても嫌われる時代でもあります。
 椅子にふんぞり返ってレッスンをするのが裕rされた時代から、本気で弟子に向きあえる指導者が求められている時代になりました。
 これからの日本音楽界を支えるのは、宮田大さんの世代の人たちです。
暖かく見守りたいと思うのでした。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介
 
 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です