偶然、YouTubeで幼いヴァイオリニストの演奏と、私の師匠世代の大先生が高齢になられてからの演奏を見て思ったこと。
演奏する人間の身体的変化と精神的変化。
肉体的な成長は20歳頃を頂点にして成長と衰えがあります。
一方、精神的な成長は14歳頃にほぼ大人と変わらなくなった後、一生成長し続けるものだと思います。
10代前半の子供が演奏する音楽と、60歳を過ぎてからの演奏。
あなたは演奏に何を期待しますか?
時代と国によって大きな違いがると思います。
ここからは私の私見です。反論もあるかと思います。
一人の人間にとって、演奏技術は20代前後が最も高くて当然。
演奏を練習し始める年齢によって習熟できる技術に差はあります。
少しでも早く練習を始めようとする傾向が、強すぎると思っています。
3歳から始めるか8歳から始めるか、14歳から始めるか。
一人の人間にそのすべてを試すことは不可能です。
結果として、その人がいつ?何歳頃に演奏に必要な技術を習得するかは、始める年齢によって差があるのはいたって当たり前です。
でも、子供が子供らしい生活をしないで育つことで、精神的な成長に不安を感じるのは老婆心でしょうか?
幼い子供にしか感じられない感性。知識や常識とは無関係に、純粋に表現される音楽に心を打たれることがあります。
一方で、大人の真似、大人が振り付けた不自然な動き、薄気味の悪い「感じている風の表情」などを見ると、嫌悪感しか感じません。むしろ、そうさせている指導者、親に対して怒りを感じます。子供が大人の真似をしたがるのは自然な行為です。しかし、大人が芸を仕込むように子供に大人の演奏の真似をさせるのは、本当に美しい正しいことなのでしょうか?私は違うと思います。
子供らしい演奏は、大人にはできません。大人の演奏家は自分の幼いころのことを正確には覚えていません。また、自分がそうした環境で仕込まれたからと言って、違う人格の子供に「仕込む」のは正しいことだとは思いません。反面教師で指導者が幼いころに練習しなかったことを「悔いて」、子供にさせるのも間違っています。
子供には子供らしい日常、友達と遊び、喧嘩をして泣いて、仲直りをして…人を思いやることを体感することで、精神的な成長があると思っています。
さて、高齢になって肉体が衰えるのは自然の摂理です。若いころにできたことができなくなったことへの不安と諦めに似た挫折感は、その人本人にしか理解できません。また、感覚的な衰えを自覚できなくなるのが一番辛い音路だと思います。私の知る限り、自分が年齢を重ねて高齢になっていくことを、明るく受け入れられる人と、なぜか悲しむ人に大別されます。私の母は自分が認知症になったことを「ダメな人間になってしまった。バカになった」と本気で嘆き泣く日々でした。いくら家族がなだめても、その感情は母の幼いころから植え付けられてしまった価値観だったのでしょう。自分が認知症であることを理解できなくなる重度に進行したころに穏やかな母の表情を見ることができたのは、子供として幸せに感じました。
自分の衰えを受け入れることは、他人からの評価を受け入れることでもあります。「先生、もう演奏会でそんな大曲を演奏:しなくても」と弟子に言われて「そうだね」と明るく笑える自分になりたいと常々思っています。すでに私は難易度の高い曲に敢えて挑戦しようとは思いません。それを「逃げている」と言われるのを承知の上で。今の自分に相応しい曲を楽しんで演奏することが幸せだからです。それでも自分なりに成長はあると思っています。単なる敗北感は感じていませんし、自分にしかできない演奏を目指す気持ちは、若いころより強く感じています。先述した、高齢になられた大先生の演奏は、聞いていて悲しく感じました。その先生のお若いころの演奏を生で聞いていた時分だからかもしれません。指も腕も明らかに動かなくなっているのに、難曲をまるで「まだ弾ける」と言わんばかりに演奏されているのは、見るのがつらく感じました。
もちろん、高齢になられたからこその「味」はありました。それを、越えてしまう悲しみでした。
世界中、日本国内にも例外と言わなければ説明できない方もいます。90歳になっても現役演奏家として素晴らしい演奏をされる巨匠たち。日頃の努力は凡人の私には想像さえできません。
幼いころに「神童」「天才」の称号を欲しいままにした演奏家が、さらに素晴らしい演奏家になっている例もたくさん見受けます。私はこの方たちも「例外」だと思います。誰でもが簡単に真似られるような人生ではないと思うからです。
同じ人間だから、やればできる。
はい。それも事実です。が、みんながみんな同じ環境、能力、感性ではないのです。少なくとも、幼い子供に音楽を押しつけるのは、大人のエゴでしかないのです。高齢なってからの演奏家としての生き方は、周りにいる人間の接し方で大きく変わります。尊敬する先生に、引導を渡すはおこがましいことです。でも、尊敬する人だからこそ、聴衆に憐みの目で見られないようにすることも、弟子の責任かなと思います。
人にはそれぞれの生き方があります。
他人に左右されるときもあります。
最後に自分が笑えて、家族も笑える人生を送ることが最高の幸せだと思っています。
今、この瞬間にすべてが満足できなくても、明日満足できるように明るく生きること。それが私の「夢」であり「生きがい」なのかと思う61歳でした。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
メリーミュージック代表 ヴァイオリニスト 野村謙介