映像はNPO法人メリーオーケストラが演奏した「ダッタン人の踊り」
オーケストラを立ち上げてから21年間、毎年2回の定期演奏会と毎月一回の公開練習を続けて今日も活動を続けています。「継続は力なり」まさに私たちのオーケストラを表している言葉だと思っています。
どんな演奏であっても「演奏家の魂」があります。魂のない演奏は「音」だと思っています。「魂とは?」哲学ですね(笑)頭の弱い私が表現できるとは思えませんが、少なくとも「目に見えないもの」であり「感情の一部」であることは言えると思います。
演奏する人・人たちにとって優先するものがあるはずです。
それが「お金」であっても間違ってはいません。「楽しみ」であっても良いと思います。楽しみ方も「自分の楽しみ」だったり「聴く人の楽しみ」だったりしますよね。聴く人の意志とは無関係に、演奏する人の「意思」があることになります。いくつもの意思=狙いがあるコンサートも存在足ます。お金=入場料も必要・演奏者の喜び・聴く人の笑顔・社旗への貢献などなど。
そんな中で「何を優先するのか?」が大切だと考えています。
優先するものがあれば「我慢する」ことも必然として生まれます。我慢に勝る価値があるから優先するわけです。
私がメリーオーケストラを立ち上げてから今日まで優先し続けていること。
「誰からの束縛も受けずに好きな音楽だけを演奏する喜び」を得ることです。
音楽性や演奏技術よりも、音楽を演奏すること・できることの「本質」がそこにあると思っています。
言うまでもなく「自由」を優先することは多くの「壁」を作ることになります。経済的な問題もありますが、一番大きな壁は「継続性」なのです。
自由に演奏することを、一度だけ実行するなら誰にでもできます。
それを継続して実行することは本来「優先事項」ではないのですが、自分たちの意思で演奏活動できることが、演奏家にとって最も大切なことだと信じている私にとって「やめる」ことは「敗北」を意味します。立ち上げた人間の責任として、自分が指揮をできる間は…期間限定?(笑)続ける意地があります。
浩子さんとのリサイタルにも同じ「魂」があります。違いがあるとすれば、演奏者の人数だけです。メリーオーケストラの演奏者は、ここ数年70~80名です。
アマチュアもいればプロもいます。プロの方には当日の交通費だけで演奏に参加していただいています。会場の費用や開催に必要な金額は会員と賛助会員の「会費」と会員の参加費で賄います。規模が大きいメリーオーケストラに比べ、夫婦二人で毎年2回の演奏活動を15年間続けて来られたのは、紛れもなく「魂」だと思っています。好きな音楽を演奏したいという気持ちだけです。
最後になぜ?私が自由を優先する気持ちになったのか…
20年間、学校と言う組織の中で子供たちに「音楽の楽しさ」を伝える仕事をした時の経験が「自由」の大切さを教えてくれた気がします。
学校でオーケストラ…なんて理解のある学校!外部から見れば間違いなくそう見えたはずです。事実、何度も取材を受けるたびにその言葉を耳にしました。
現実は?日々、管理職を含めた他の教員との闘いでした。大げさな話や誇張ではなく事実です。当然、教務の仕事など「校務分掌」を当たり前にこなしたうえで、部活動オーケストラの指導をしていましたが、99パーセントの教職員は「音楽活動」を教育活動とは考えていませんでした。管理職に至っては「私立学としての広報」と言う発想さえできない無能ぶりでした。
簡単に言えば「潰したい部活」がオーケストラで「排除したい教員」が私だったわけです。その中で20年間、最終的には150名のオーケストラを引っ張るための戦いは「自由を得るための闘い」でした。父の介護で退職しましたが、辞めた後も執拗に私への攻撃は続きました。それが「学校」という組織であり、自由と真逆にある組織だったことを学べました。
演奏する人が何を優先しても良いと思います。
何かを得ようとすることが「煩悩」だとしても、演奏自体が人間の欲求で行うものですから否定されるものではないはずです。堂々と自分の「欲」を表に出す勇気も必要だと思っています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介