映像は1992年松本のキッセイ文化ホールでの「サイトウキネンオーケストラ」の演奏。このホールが出来たばかりのこの年、私の母校でもある桐朋学園創始者の斎藤 秀雄氏を偲んで開催された演奏会。1974年に逝去された斎藤 秀雄氏を私は直接存じ上げません。指導を受けたこともありません。ちなみに私は桐朋学園の第25期生です。小澤征爾氏が第1期生なので私の25歳「大先輩」でもあります。この演奏会が行われた30年前、私は32歳。小澤征爾氏は57歳。
高校大学生の頃に「小澤先生」として学生オーケストラの指導をされていた当時の事を今でも鮮明に覚えています。高校入学当時15歳の私、小澤先生は39歳。思えばまだ若い先生でした。出来の悪い学生だった私にとって、小澤先生の活躍は憧れでもあり雲の上の存在でもありました。尊敬する気持ちは今も変わりません。
ただ、今現在もこの「サイトウキネン」が演奏を行っていることに、大きな違和感を持っています。私はサイトウキネンに「呼ばれる」ような技術ではないので「部外者」です。それを「ひがみ」と思われても私は構いません。桐朋学園の一人の卒業生として、また今も多くのアマチュア演奏家と共に音楽を愛好する人間として、私立学校の創始者をオーケストラの冠に付けて、演奏していることが果たして純粋な「恩師への感謝」と言えるのか疑問に感じます。
桐朋の高校(桐朋女子高等学校音楽科)に入学する以前に、子供のための音楽教室などで斎藤 秀雄氏の指導を受けていた人もいるとは思います。とは言え、その人たちは当時13歳以下の子供だったことになります。つまり、斎藤 秀雄氏に指導を受けた「生徒」たちの最年少が現在(2022年)63歳もしくは64歳のはずです。一期生は現在、86歳もしくは87歳です。この第一回「サイトウキネン」が行われた当時から30年間という年月が経って、諸先輩が演奏されていることは素晴らしいことだと思います。その反面、現在演奏しているメンバーの中には多くの「斎藤 秀雄を知らない人」がいるのも事実です。第一回の演奏会の時から数名はそうした演奏者もいましたが、現在は?そして今後は?
さらに、誰がこのオーケストラに参加する「お許し」を与えているのかという素朴な疑問です。「上手な人を集めているだけ」と言われればそれまでです。それが何故?「サイトウキネン」なのか意味不明です。一言で言ってしまえば「誰かのお気に入りが集まっているオーケストラ」にしか思えないのです。それでも演奏技術が高ければ良い…それならそれで「サイトウキネン」と言う学校名を連想させる名前を使うのはいかがなものでしょうか?
桐朋学園同窓会の幹事として、意見を一度だけ発言したことがあります。
「卒業生の中で一部の人だけの活躍を称賛し、応援するのは同窓会として正しいのか?」という意見です。私を含めて、多くの桐朋学園卒業生が「サイトウキネン」や「●●周年記念コンサート」とは無縁の生活をしています。それが「能力が低いから」「努力が足りないから」と同窓会が片づけて良いとは思いません。
学校は学ぶ生徒・学生と教える教員、支える職員で成り立つ「学びの場」です。そこで学んだ人たち、教えた人たち、働いた人たちすべてが「同じ立場」であるはずです。卒業し有名になった人を「優秀な卒業生」「卒業生の代表」とする発想を斎藤 秀雄氏は望んでいたのでしょうか?少なくとも私の知る斎藤 秀雄先生は「できの良い子は放っておいてもうまくなる。出来の悪い子を上手にすることこそが教育の本質」と考えていた教育者だと思っています。一期生である小澤征爾氏の世界的な活躍を強く望まれた気持ちは理解できます。そして、日本に世界で通用する演奏家を増やしたいと言う熱意も素晴らしいことだと思います。
私には●●記念オーケストラや●●フェスティバルに「個人」を崇め奉るのは「尊敬」とは意味が違うように感じます。収益事業として利益を、母校の後進の育成に充てるのであれば「桐朋学園卒業生オーケストラ」として学校法人の管理下に置くべきです。メンバーの人選や基準、報酬も明確にすれば個人名を頭に付ける必要もなく、演奏者が入れ替わっても何も問題はないのです。
まさかこれから先も、同じメンバーで演奏活動を続けるとは思えませんが、いずれ斎藤 秀雄氏に指導を受けた人は誰もいなくなる日が近くやってきます。「サイトウ」が「オザワ」になっても結果は同じです。
音楽家は生前に、どんなに素晴らしい業績を残したとしても、いずれ世を去るのです。その後に、音楽家の名前を使った「コンクール」が多くあります。特に作曲家の場合には、残された作品を演奏することが大きな意義になります。
他方で演奏家の死後に「●●記念」や「●●管弦楽団」は世界的に考えても、ほとんど受け入れられていません。演奏家の「業績」は生きて演奏している間に評価されるものです。教育者の業績は多くの場合「学校」として継承されるものです。福沢諭吉の慶應義塾もその例です。桐朋学園もその一つです。斎藤 秀雄氏が自分の名前を学校名にしていたのなら、また話は少し違いますが少なくとも「オーケストラ」に個人…それが故人でも、現役の人でも「人を記念する」こと自体が間違っていると私は感じています。
卒業生の癖に!母校愛がない!とお叱りを受けても、ひがみ根性だ!と言われても私は自分の考えでこれからも生きていきます。そして卒業した母校から、さらに新しい音楽家が生まれることを切に願っています。
最後までお読みいただき、ありがとうとございました。
ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介