(自己主張+受容)×人数=ひとつの音楽=平和

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 今回のテーマ、実は生徒さんたちが発表会に向けた「伴奏合わせ」を見ていて感じることでもあります。ヴァイオリンは多くの場合に、誰かと一緒に演奏する楽器です。ピアノやギターのように、ひとりで和声と旋律を演奏することのできる楽器との最も大きな違いです。音楽=曲そのものが、ヴァイオリニストと「誰か」の演奏によって完成されます。日常の練習は、一人で黙々と自分のパートを練習します。
 演劇や映画、オペラなどの世界で言えば、自分のセリフだけ、自分の演技だけを練習することに似ています。当然、他の役者さんのセリフや動きとの「からみ」があることを前提に練習するはずです。ひとつのセリフ、「やめてください」というセリフでも、どんな心理なのか?どんな場面なのか?によって、まったく違う「やめてください」の言い方になるはずです。
 高倉健さんのように、背中だけですべての感情を表現できる役者さんもいます。「言葉は少ない方がいいと思うんです」とは高倉健さんの言葉です。尊敬します。音楽で言えば「余計なことはしないほうがいいんです」違うかな(笑)

 上の動画は、中高生のオーケストラによる「カヴァレリアルスティカーナ間奏曲」の演奏です。子供たちの多くは、楽器に触れて「数カ月」から長くて「数年」の初心者です。その子供たちが演奏しているこの演奏は、「ひとつの音楽」になっているように感じないでしょうか?プロのような演奏技術はありません。それでも何か「一体感」を感じるのです。
 思春期の子供たちです。素直に大人の言う事を聴きたくない年齢です。その子供たち同士をひとつにまとめるために私がしたことは「子供たちの敵になり、お山の大将になる」ことでした。怖がられ、嫌がられ、でも従うとなぜか達成感がある。子供たちをひとつの音楽に向かわせるために、子供たちに自己主張を求めました。こっそり演奏しようとする子供に、合奏中に一人で演奏させたりもしました。すべての子供たちが主役だと思わせました。その中でも上下関係を感じさせました。学年による指導システムを考えました。中2が中1を教えます。中2を中3が教えます。中3を高1が、高1を高2が教えます。これを何年か続けるだけで、すべての責任は高2にあることを全員に理解させられます。どんなに先輩風を吹かせたくても、中学1年生がうまく演奏できなければ高2が全員の前で叱責されます。

 こちらは私たちの演奏したエルガー作曲のカント・ポポラーレです。
先ほどのオーケストラと違い「たったふたりだけ」の合奏です。人数が2人であっても、テーマの公式は当てはまります。二人それぞれが感じて考える表現とお互いを思い受け入れる受容が、ひとつの音楽となります。夫婦だからできる?もちろん、お互いを尊敬しあうことが前提です。憎しみ合う関係で受容することはできません。人数が少ないほど、それぞれの主張が大きく表に現れます。
二人のアンサンブルはオーケストラ以上にひとつの音楽を作り上げることが難しいと思います。自分の音と相手(ほかの演奏者)の音を頭の中で合成させる技術が必要です。自分の音だけに集中しすぎても、相手の音だけを聴いていても頭の中で「ひとつの音」になりません。
 そもそも音楽に限らず、日常生活の中で私たちが聞いている「音」はいろいろな音が混ざり合っていることを忘れがちです。電車やバスの中で、誰かと話している声だけが大きく聞こえるのは「心理」の問題です。音圧、つまり音の大きさで言えば電車やバスの騒音の方がはるかに大きいのに、会話の内容が耳に最初に入ってきます。
 静かな場所で演奏すれば、小さな音でも存在感は大きなものになります。
演奏している音楽を、聴いている人の「聴こえ方」として考える場合、電車の中の話し声のように「心理」を利用することも重要です。
 得てして演奏者は自分が演奏している音楽を、聴いている人も自分と同じようにその音楽を知っているような「錯覚」に陥ります。初めて聞くときの「期待」と「安心」と「驚き」があります。音楽を一つのストーリーとして考えると理解しやすいことです。映画やドラマの「冒頭」から始まり、見る人の緊張感や不安感、安心感や悲しみを誘い出す「台本・演出・脚色と演技」が「楽曲と演奏」です。
聞く人にどんな感情を残したいのかを考えるなら、自分の演奏を初めて聴く人の立場に立ちもどって考えることが、なによりも大切な練習になると思います。

 聴きながら演奏することは「慣れ」が必要です。
頭のなかで色々な事を考えれば考えるほど、体の動きは制約されます。
肉体の反応は、ぼーっと脱力している時が一番「俊敏」なのです。動かそうとすればするほど、遅く鈍くなります。

 自分と相手の音を聴き「ひとつの音」として聴くために、ひとりで練習する時に、自分の出している音を無意識に出せるようになるまで繰り返すことが不可欠です。自分の演奏に気を取られている限り、他人の音に反応することができないからです。ひとりずつの練習は、常に相手が何をしているのかを考えながら練習しなければ、先述の「やめてください」というセリフを、どのように演技するのか?決められないのと同じです。そして、常に「初めて聴く人」の耳で自分たちの演奏を客観的に聴く練習をしたいと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

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