動画は、クロード・アシル・ドビュッシーの「美しい夕暮れ」をヴィオラとピアノでライブ演奏したものです。原曲は「歌曲」です。フランス語で歌われる音楽を、ヴィオラで演奏することは、作曲者の意図したものと違うかもしれません。
原曲が管弦楽曲で、それに歌詞をつけて歌っている音楽も多いので、「反則!」とは言われないかな?
今回のテーマは、どこまでもゴールのない?自分ができるその時々で「最善の演奏」です。
さて、こちらはCDに収録した同じ曲です。自宅で何度か演奏しなおして録音した「美しい夕暮れ」お聴きになって違いを感じられるでしょうか?
どちらも自分では満足のいく演奏ではありません。「なら演奏するな!」と言われても返す言葉はありません。その時点で自分と自分たちの出来る「最大の努力」をした「最善と思われる演奏」です。聴く人によって、満足感が違うのは当然のことだと思います。
生徒さんが一生懸命に練習して、レッスンで「合格」して喜んでくれる姿がまぶしくて、とてもうれしく思えます。どんな人でも、その時点で最高の演奏があると思っています。楽譜通りに演奏できることを目標にする段階は、誰にでもあります。ゆっくりしたテンポでなければ演奏できないレベルもあります。途中で音がかすれたり、鳴らない音があったりしても、頑張って演奏した「成果」がその時の評価であるべきです。「もっと練習すれば、もっとじょうずにひける」のは当たり前です。一気にじょうずになれる?はずがありません。
小学校卒業の学力で突然、東京大学の入試を受けても受からないのと同じです。
勉強の場合、目指す進路に合わせた積み重ねの勉強方法があります。
ヴァイオリンやピアノの場合は、どうでしょうか?
音楽の学校に入ること、コンクールで優秀な成績をとることを「目標」にするのは正しいと思いますが「目的」ではあり得ません。むしろ、それから先の道の方がはるかに長く、険しく、楽しいのです。
趣味で演奏する人でも、プロの演奏家でも「目指す演奏」があるはずです。
間違えないこと・速く演奏できること
誰でもが思う「目指す演奏」ですよね。
では、それ以外になにを目指して練習しますか?
「それさえできないのに」と笑わないでください。
もちろん、速く・正確に演奏できる技術は目指すべきです。
人間が演奏し人間が聴く「演奏」は本来、その演奏の時だけの「一度きり」の芸術です。録音されたものを聴くことが出来るのは、便利でありがたいことですが本質的には音楽は「時」と共に終わり、印象と言う記憶に残るだけの存在だと思います。再現性は重要ですが、いつも同じ演奏が出来ると思う方が、どこか間違っているように感じます。
練習して「間違えないで何度でも演奏できる」ことを目標にするよりも、一音ずつにこだわり、フレーズにこだわり、ひとつの曲として伝えられるものにこだわることの方が、人間らしい音楽になると思っています。
感情の生き物である人間が、いつも同じ感情で演奏できるはずもなく、聴く側にしてもその時々で、感じるものが違うはずです。
正解もない、間違いもないのが自分の好きな「音色」だったり「揺れ」だったり、もしかすると「ゆがみ」だったりするのではないでしょうか?
完璧を目指すよりも、好きな音色を探し好きなテンポを考え、好きなビブラートを考え続けることが音楽への向き合い方で良いと思います。
演奏を間違えないだけなら、AI技術を使って機械で演奏すれば、絶対に間違えません。その場限りの芸術だからこそ、自分の好きな演奏を探す努力に時間をかける「意味」があると信じています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介