「その道」に求められるもの

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映像はボーム作曲「アダージョ・レリジオーソ」をヴィオラで演奏したものです。
 さて、今回のテーマは「その道」言ってみれば「専門家」や「プロフェッショナルッショナル」「達人」などを表す表現ですが、それぞれの「道」で必要な知識や技術・経験が違います。当然のことですが、「道」を知らない人人にとっては、その道の険しさや極めるまでのプロセスにつちえ、知る由もないことです。それなのに「あの人の技術は」なんちゃらかんちゃら(笑)と自分がその道を究めたかのような発言をする人がいます。私はその手の「えら増人間」が大嫌いです。はい。言わずもがな…ある道を究めようとした人にとって、その険しさを知れば、同じ道を究めようとする人が、道半ばであれば応援する気持ちこそあれ、蔑む言葉は口に出来ないのです。

 自動車の運転を「極める」道を考えても様々な道があります。
F1パイロットになるための道もあれば、タクシーの運転手、バスの運転手、大型トラックの運転手などすべての「道」が違います。必要な技術・知識も違います。
 料理を作って提供する「道」でも、中華・イタリアン・フレンチ・懐石料理・寿司など、すべての「道」が異なります。
 一見、誰にでも真似のでき増な「専門職」であっても、極めようとした人だけが知る「険しさ」があるはずです。家事全般を考えても言えることです。誰にでもできる?いやいや!毎日、家族のご飯を作り洗濯をしたり、掃除をしたり買い物をする「家事」は誰にでもできることではないのです。
「サラリーマン」であろうが「OL」であろうがそれぞれの「道」があります。

 音楽…ヴァイオリンとヴィオラしか(とも言えず笑)演奏できない私が感じる「自分の進む道に必要な技術と知識と経験」があります。
 聴いてくださる方にとって「求める演奏・音楽」があります。
 私が演奏し、表現しようとする音楽に「共感」してくださる人がいれば、本当に幸せなことです。私自身が自分に足りないと思う技術があるように、聴く人にとって別の「不足」があるのは「当たり前」のことです。聴く人が二人いれば、二通りの「求める演奏」があります。演奏者も入れれば3通りです(笑)

 技術の序列や勝敗が、客観的に判断できる「道」もあります。戦術のF1の場合「結果」は順位やタイムです。もちろん、パイロット=ドライバーだけでは勝てません。メカニックとスポンサーが不可欠です。
 ボクシングも勝敗で序列が付きます。勝てば多額のファイトマネーが手に入りますが「死」とも向き合う覚悟が必要です。

 芸術や医学、研究などの場合「序列」がどの程度?明確でしょうか?
 評価は「音楽を聴いた人」「治療を受けた人」が下すものです。選ぶ権利と責任は「聴く人」「患者」にも多分にあります。
音楽なら「聴いてみなければ」判断できません。医療なら「治療を受けてみなければ」判断できません。結果として満足するか?しないか?は、個人によって違うはずです。病気を「完全に」治せたとしても、完治するまでの時間と患者の「苦悩」は一概に比較できません。

「道」は無数にあります。人の数に、無数の「道」があるのです。同じ道はありません。自分の進む道を自分で作るのが人間です。他人の作った道は歩めません。他人の道を「遠回り」とか「無駄」と言う資格も権利もありません。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

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