聴く人が感じる音楽の風景

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 映像は一昨年2021年12月のデュオリサイタル14で演奏したピアゾラ作曲のグランタンゴです。チェリストのロストロ・ポービッチのために作られた曲でR素がヴィオラ用の楽譜も書かれている珍しいものです。
 ヴィオラのパート譜10ページほどを暗譜するのはかなり大変でしたが(笑)この前年に初めて演奏し再度練り直して演奏しました。
 さて音楽を聴いて感じる風景や感情は、当然ですがすべての人が違うものです。曲のタイトルで先入観を持つこともあります。また歌詞のある歌の場合には、歌詞の内容も重要なものです。言葉によって心情や風景を表している場合には演奏者=歌手は詩から感じるものを表現します。聴く人がその歌詞を理解できる場合と理解できない場合がありますよね?例えばロシア語で歌われている歌を日本人…ロシア語を知らない人が聴いて何を歌っているのか?わかるはずがありません。曲のタイトルだけが手がかりになる場合もあります。
 器楽の場合には演奏する人も聴く人も、自由に音楽から感じるものを想像します。作曲者の意図したものとは違う事も自然なことです、
 演奏者が思い描いている情景や心情・風景が聴く人に伝わらないことも自然なことです。むしろ、聴く側は演奏者が感じているものよりも、自分が想像することが重要なのです。演奏者が「押し売り」するのは間違いだと思っています。
 「これから演奏する音楽は●●を表したものですから、その通りに感じてください」って押し付けがましくないですか?(笑)と言うより大きなお世話だと思うのです。演奏者の解釈はあってよいことですし、それをお客様に予め伝えることも間違っていません。しかしそのことで聴く人の自由な創造を「邪魔」してしまうリスクもあると思うのです。演奏しようとする音楽に関心を持ってもらうために、自分の解釈を伝える場合もありますがそれを他人に押し付ける気持ちがなくても、結果的に聴く人や見る人の想像力を狭めてしまう場合があると思います。
 絵画を説明なしに見た時の「印象」があります。人によって違います。
同じ作品でも感じ方は自由です。ピカソの絵画を「落書きだ」と思う人がいてもピカソは怒りませんでした。作曲した音楽を「駄作だ」と言われて書き直した作曲家もいれば、そのままで後世になって「素晴らしい作品だ」と評価される場合もあります。
 見る人・聴く人に伝わることが、作り手・演奏者の思いと違っても恐れたり不安に思う必要はないと思うのです。得てしてクラシックの演奏家は「この作品はこう!演奏しなくてはいけない」と自分を縛りがちです。自由な感性で演奏することを「形式に反する」とか「おかしい」と言う人がいますが、どんなものでしょうね(笑)レッスンで生徒に「そこは●●のように演奏しなさい」と教えるのは簡単です。生徒の想像力を育てることを大切にするなら、まず教える人が自分で演奏して生徒が感じとったものを尊重するべきです。
 すべては演奏する人・聴く人の「人間性=感性」に委ねられるのが芸術だと思います。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

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