映像は、1980年の窪田良作先生門下生発表会で演奏した、シベリウス作曲のヴァイオリンコンチェルト第1楽章。ピアノは大先輩の高橋せいたさん。
まぁヴァイオリンの演奏、傷だらけだこと(笑)きっとこの後の「点の声」メモは「音程!肘!」とか先生の怒りが込められていたと思われます。
当時19歳。大学1年生の年度末実技試験の直前だったはず。
前年にハチャトリアンのコンチェルトを高校卒業試験で弾いて、何か成長しているのか?と思い返しながら聴いてみました。
久保田先生のレッスンで、新しい曲を始める時には、直前に演奏した門下生から弓と指を写させてもらうのが慣例でした。レッスンではスケール、エチュード、曲を見て頂きます。曲の歌い方や解釈について、生徒の感性を優先してくださり、細かいニュアンスを「こうしなさい」と言うお話をされた記憶はありません。もしかすると諦められていた私だけ?(笑)でも、時折素晴らしい声で歌ってくださることが、何よりも記憶に残っています。
それにしても…このシベリウスは…(笑)
さらっていない?わけではなさそうですが、「練習が足りない」の一言に尽きます。当時も卒業時も久保田先生に「他の先生方からも言われるんだよ。野村くん、もっと練習すればもっとひけるのにねぇって。」
私「心を入れ替えます」
先生「その言葉、毎回聴いてるよ」
撃沈…
実際、なんでもっと練習しなかったのかな~と今更思って見ます。
一言で言えば「欲が足りない」のだと思います。それは現在の私の生徒さんたちに「しっかりちゃっかり」引き継がれています。まずいぞ…
さらに言えば、高校大学時代の友人が「うますぎた」という「他人のせい」にしてみます。←さいてー。高校時代の同級生、金木(チェロ現在棟フィル首席)と木全(ヴァイオリン現在N響)は、そりゃまぁうまかったわけで。
大学に進んで。木全はN響に入団が決まり入学後すぐに退学。大学から同期になったヴァイオリン専攻の人とは交流がない。なんとなく?過ごしていた気もします。ダメだろ(笑)
今聴いてみると、シベリウスの音楽に「何か」を感じているらしい…のですが、技術が追い付いていないわけで、今私がこの学生に言うなら「このままだと、ただの石ころで終わるよ」かな?言えるかな(笑)
音楽高校音楽大学で、たくさんの人たち色々なアンサンブルをさせてもらいました。高校時代は、弦楽カルテットを同期の友人と。大学に入って、先輩に声をかけてもらって、ピアノカルテットのヴァイオリンやヴィオラ。ピアノトリオ。ピアノとと二重奏。ホルンカルテットとフルートカルテットでBヴィオラ。なんやかんやと毎日のように夜9時まで、なにかの「合わせ」をしていたような記憶。自宅に帰るのが億劫になり始め、両角寮=男子寮に転がり込んで寝たこともしばしば。
大学1年でなぜか?学生会の役員に「やって」と先輩に言われて(笑)、とうほ際の前後夜祭担当のお仕事をもらい、プレハブの学生会室に入り浸り、「小澤まめ兄」と出会いました。レパートリーオーケストラに昇進(笑)させてもらって、初めてのオケ合宿で北軽井沢。定期演奏会デビューのはずの「ハイドンバリエーション」で張り切っていたのに、直前に「盲腸=虫垂炎」で手術入院。忘れもしない9月4日。パンダのランランかカンカンが死亡したというニュース速報を、手術待ちの病院テレビで聴いていました。どーでもいいことを覚えている…
大学1年からは「桐朋祭の鬼」と化し(笑)、毎日学生会室で過ごす日々。
さらっていた記憶が…ほぼない。
なんか…青春しているなぁ(笑)大学時代、一番長くいた場所がもしかすると学生会室、次が学生ホール、その次が事務実(笑)、さらっていたんだろうか…。
でも室内楽のレッスンは色々受けてました。浩子さんと当時「彼氏」だったチェリストとピアノトリオで、原田幸一郎先生と田崎悦子先生が帰国されたばかりで、まだ桐朋の先生ではなかったのに希望を出したらレッスンをしてくれた思い出。大学2年でマスターオーケストラに昇進させてもらって、演奏旅行にも連れて行ってもらいました。春の祭典、第九は印象深いです。でも…さらってなかった(笑)なんででしょうねぇ。プロオケの「トラ」にも行かせてもらうようになって、勉強になりました。アマチュアオケのトラもたくさん行かせてもらって、当時一番ギャラの良かった「スタジオ」もたくさんやりました。夜の9時から深夜までレコーディングスタジオで、演歌やら童謡やら歌謡曲の録音。キティスタジオで熱海?に泊りがけのお仕事があったり。横浜の「ホテル ザ・横浜=通称ザヨコ」で毎週披露宴でヴァイオリンを演奏するお仕事もしてました。栗原小巻さん主演「桜の園」のお芝居を下北沢の劇団「東演」が上演したときには、東京公演一か月と地方公演一か月、ずーっと「ユダヤ人の楽士」役で衣装を着て参加してました。練習するより楽しい」ことがたくさんあったような気もしますが、練習から逃げていたことも事実です。
練習嫌いだった私が言うので説得力はありませんが(笑)、音楽を演奏するために必要な「技術=テクニック」は練習で身に着ける以外、方法はありません。
ただ…音楽を感じる「センサー」や「アンテナ」は練習では得られません。
さらに、友人の練習や演奏を観察することで得られる「情報」もひとりで練習していても得られません。レッスンで師匠から学べること「以外」に、学ぶべきこと、磨くべきものはたくさんあると思います。友人との会話や音楽以外の生活からも、「人として」学ぶべき時期に学ぶものがあります。
技術と共に「人としての魅力」を若い時に学べるか?年をとっても「人間らしい音楽家」でありたいと思っています。そして、もし!40年前の自分に会えるなら「さらいなさい!」…言っても聞かないだろうけど(笑)
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介