動画は私が中学生のころから大好きで聴いているトランペット奏者「モーリス・アンドレ」の演奏する、アルビノーニのアダージョです。
管楽器と弦楽器。オーケストラや室内楽で、一緒に演奏することがある楽器たちですが、打楽器も含めそれぞれの楽器から学ぶことがたくさんあります。
先日、メリーオーケストラの練習に指導で加わってくれたフルーティスト一戸 敦氏が、弦楽器の弓の動きを見て感じることで、長く静かなフルートのフレーズを演奏できる話をされました。弦楽器の弓の動きは、音を出す運動そのもので、眼に見えます。管楽器、声楽の場合はそれが目には見えません。管楽器奏者から見て、弦楽器の「弓の動き」は彼らの「息」なわけです。
では私たち弦楽器奏者は、管楽器の演奏から何を学べるのでしょうか?
一番強く感じるのは、私たちが無意識に「返している」弓の動きです。
ダウン・アップの連続で音を出すヴァイオリン演奏者は、未意識に弓を返して音楽を演奏しています。言い換えれば、スラーが書いてあれば「レガート=なめらかに」、弓を返す時には「適当に」笑、になってしまっている気がします。
弓を返すことと、フレーズを切ることは別のことです。管楽器で言う「タンギング」が弦楽器では「弓の動き出し」に該当します。言葉で言うなら「子音」「母音」に当たります。それを意識することと、フレーズがどこまでなのかを考えることは本来、別の問題なのにただ楽譜のスラーだけに目が行きがちなのが、弦楽器奏者の悪い癖かも知れません。
タンギングの強さ、柔らかさが弦楽器のアタックです。「噛む」と言う表現を使うこともあります。動物がかみつくときの「音」のイメージがアタックでもあります。弓を返すたびにこの「アタック」をどのくらい、付けるのかによって音のイメージが大きく変わります。
日本語で例えるなら「海=うみ」「弓=ゆみ」「無味=むみ」「組=くみ」「文=ふみ」「墨=すみ」
など母音が「う」でも子音が変われば意味が変わります。アタックは子音を表しています。ヴァイオリンの楽譜をすべて文字に置き換える必要はありません。ただ、なんとなく返してなんとなくアタックが付いたり、付かなかったりするのは管楽器ではありえないことだと思います。
次にフレーズを意識する時に、管楽器や声楽の場合と、ヴァイオリンなどの弦楽器の場合、さらにはピアノの場合に演奏者の「感じ方」が違うのかもしれません。おそらく、音楽のフレージングは歌うとき=声楽で考えることが前提になっているように思います。作曲者が意図的に、人間が一息で歌いきれない長さの「フレーズ」を作った場合に、歌う人・管楽器奏者はどこかでブレス=息継ぎをせざるを得ません。弦楽器やピアノの場合は、苦しくないので(笑)息継ぎの場所を考えることもなく、フレーズを意識しないで演奏してしまう傾向があります。また弦楽器の弓が、先になると弱くなり、元に来ると強くなるという「不自然な強弱」が起こりがちです。これも音楽のフレーズとは無関係な「癖」の場合があります。日本語で言うなら、「えーっと、きょうは、れんしゅうを、して、ないです」の切れ目ごとに大きく言えば「こどもっぽく」聞こえ、逆に切れ目ごとに弱く話すと、何を言っているのか聞き取りにくい話し方になることに似ています。センテンスの切れ目を理解して、強く言いたい言葉を目立たせる話し方が、正しい話し方です。
管楽器が音を保つ=キープする時の話も、一戸氏から聴きました。
ディミニュエンドの難しさも実際に演奏して示してくれました。
弦楽器奏者が、何気なく音を伸ばすのに対して、管楽器の場合に息を「維持する」ことや、音の強さを変化させることの体感的な難しさがあることに改めて気づきました。単にクレッシェンドする、ディミニュエンドするイメージから、「音を維持しながら」ということを加えることが如何に大切なのかを学びました。
息を吸う、吐くと言う人間が無意識に行っていることを「演奏」に使う事の難しさは、私たちが弓を動かせば音が出るという安直な発想に陥っていることから脱却する必要があります。ダウン、アップ、元、中、先という物理的な「弓の動きと場所」を、音楽の中で生かすも殺すも演奏者次第です。単純に音の出る仕組みと、楽器の構造や素材が違うだけではなく、管楽器や打楽器から学ぶべきことが山ほど(笑)あることを再認識しました。さぁ!これからだ。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介