子供の習い事を考える

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私も含めて多くの大人たちが、子供の頃の「習い事」に感じていたことと、
現代の若い親世代が感じている「習い事」の間にはどうも、大きなギャップがあるようです。
今回は子供の習い事について考えてみます。

昔(今から40年ほど前)には、学校以外で子供が習うことと言えば「塾」「ピアノ」だった記憶があります。
そのほかにも、そろばんや、習字、剣道‥そのくらいしか近所には習えるところがありませんでした。そんな時代でした。

私の場合は、体が弱かったので両親が音楽「でも」と近所にヴァイオリンを教えてくれる先生を探して、親に連れられて通い始めました。当時、学校内でヴァイオリンを習っている子供は学年に一人はいませんでした。それくらい、珍しいことだったのだと思います。

決して裕福な家庭ではなかったのですが、私が習うことに両親は「やり始めたのだからやりなさい」というスタンスでした。練習嫌いな私は、毎日のように母親に「練習しなさい!」と叱られ、反抗すれば「お父さんに言うからね」‥実際、その夜には帰ってきた父親に「練習しないならやめろ!」と怒られる日々でした。それでもやめなかった私と、やめさせなかった両親。両親とも音楽に関してはまったくの未経験者でした。
昭和一桁生まれの両親ですから、時代から考えれば当然です。

子供は色々なことに興味を持ちながら育ちます。時にはスポーツに憧れ、時には友達が習っている「何か」に憧れます。興味を持つことはとても大切なことですし、とりあえずやらせてみたら‥という親の気持ちは理解できます。ただ、当時は「習い事」はそんなに簡単なことではなかったのが現実です。

さて、現代はどうでしょうか?

子供の興味は昔同様、あれもこれも面白そうに感じるのです。
さらに、探せば簡単に習える教室や先生を見つけられるのも昔と違うことです。
ダンス、スイミング、英会話‥習えることも昔とは比べ物にならないくらい多くなり
手軽に始められる時代になりました。
子供のやりたいことを応援する。

親として当然の気持ちです。現実には経済的理由や共働き、住宅環境などで、応援の気持ちだけで終わることもあります。これは昔もそうでした。

始めることは簡単。やめることも簡単な時代

多くの子供たちを教えていて感じるのは、子供本人の意思より、親の意志の弱さを感じることが増えたことです。
子育てはどんな親にとっても「初めて」の経験です。だからこそ、迷い、躊躇し、時には間違うものです。ただ、子供と親である自分が、共に育つ意識と、共に学ぶ気持ちがなければ、少なくとも習い事は実を結びません。

子供より親である自分の気持ちが優先し、無理やり習わせたり、無理やりやめさせたりする親を見ると、なんとも悲しい気持ちになります。
子供が習い事に興味を失うのは、ごく当たり前のことです。それが子供です。
始めたことを続けることの大切さと、やればできることを教えることが、子育てではないでしょうか?

どんなことでも、諦めずに頑張っていればできるようになる体験。
親が子供と一緒に学び、時には一緒に苦しみ、笑うことがどれほど大切なことなのか、親でなければ味わえない喜びだと思うのです。

すぐに出来るようになる習い事もあるかもしれません。
出来るようになった実感を感じにくい習い事もあります。音楽はその代表かもしれません。
まして、親が音楽の習い事をしたことがなければ、子供がうまくなっていることや、何に躓いているのかがわからないのは当たり前です。だからこそ、自分も子供と学び、子供を応援するのが親の務めだと思います。

習い始めて、すぐにやめてしまう親子が増えている現代。珍しいことではないのですが、教えていてとても空しい気持ちになります。

ヴァイオリンを習う、ピアノを習うのが、なにかのステイタスだと勘違いをしている親もいました。「うちの子はヴァイオリンを習っている」「だからヴァイオリンが弾ける」と子供の練習を聴くこともせず、レッスンでも無関心に携帯に没頭する親を見ると、どうして?うちの子は弾けるって言えるんだろう?と不思議に思ったこともあります。

お金を頂いてレッスンをしている私が、こんなことを書くと生徒さんが減っちゃうよ!と気を使ってくださる方もおられるでしょうが(笑)
子供たちの能力を信じて、親と一緒に音楽を楽しめる将来を見据えてレッスンをする以上
親の協力なしに子供の習い事は実を結ばないことを伝えたくて書きました。

メリーミュージック代表
野村謙介