
「善人」の定義
人は皆、個性を持っています。
私の考える「善人」とは…
自分と他人の共存=仲間としての人間関係を作ろうとする人。
☆他方で「善人」ではない人をここでは「悪人」とします。
「悪人」の定義は…
☆自分が正しい・強いことが優先し他人との共存を望まない人。
ここから、音楽を例えにしながら善人・悪人についいて考えます。
「独りだけの世界」
もしも無人島に独りだけで取り残されて、自給自足の生活を余儀なくされたら。
その人が善人でも悪人でもすべては「自己責任」「自己満足」なので、誰からも助けてもらえない代わりに、誰からも批判されることもありません。
聴いてくれる人の誰もいない独奏がこれに当たります。
もし善人なら「誰かと話をしたい」「もっと楽しく快適に生きるために誰かと仲間になりたい」と考えるでしょうね。
もし悪人なら、自分より劣った人がいないことがストレスで、不快な時に八つ当たりする相手がいないこともストレスです。
「二人の場合」
考えられる組み合わせは3つです。
「善人と善人」「悪人と悪人」「善人と悪人」
1.まず善人が二人だけいる世界。
お互いを「仲間」として共存するために自分が妥協することも出来て、相手に理解してもらう努力もおしまない関係です。自分も相手も、今以上に快適に生きるための知恵を出し合い平和に生きることができます。
音楽で例えるなら「2重奏」「2重唱」ですね。
自分と相手の調和・協和・思いやりがなければ、音楽になりません。お互いがお互いを成長させることにもなります。
2.悪人が二人だけの世界
結果は2種類です。それぞれが「独り」に戻るか、相手を力で排除して満足するか。相手がいなくなれば結局一人になります。そこに気付かないのも悪人ならではです。
3.善人と悪人の世界
この場合が一番不幸です。善人は相手と共存しようとするでしょう。しかし悪人は善人を自分の「支配下」に置き善人を「奴隷」として生かすか気に入らなければ善人を排除・亡き者にするでしょう。つまり「異常な正解」が出来ることになるのです。
「3人以上の場良い」
1.善人が少なく悪人が多い場合
悪人は本質的に悪人同士でも共存はできません。
しかし根本に「優位性」があるので善人を支配し奴隷化すること・排除することに快感を覚えます。あくまでも「悪人同士」は仲間ではなく序列争いの中に自分をおくだけなのです。善人は悪人からの暴力や排除厚意に対して、善人同士の協力で生き抜こうとします。力ではなく「理性と知性」で生きるのが善人です。最終的に悪人はまた「独り」になるしか道は残っていません。
2.善人が多く悪人が少ない場合」
悪人は善人と協調することを拒みます。数の論理で善人が中心の社会が出来ても、悪人は力で善人を倒すことしか考えられません。倒せなければ悪人は「孤立」つまり独りで生きるしかありません。
「善人だけのメリーオーケストラ」
子供と大人、初心者と演奏の専門家、考え方も個性も違う多くの人が「オーケストラ」として一緒に音楽を創り出す行為は「悪人」には出来ないのです。
他人を尊重し敬意をもって接する心。
自分のスキルを高めることで他人を助ける心。
目的を達成するための努力を惜しまない協調性。
すべてが「善人」の証です。
メリーオーケストラは「子どもの健全な育成」と「音楽の普及」と言う目的を達成するための活動を「オーケストラ」と言う「社会・集団」で行っています。
家族のようでもあり、学校のようでもあり、大きく言えば一つの「国」にも似ています。
他人と序列を争う事の無意味さを知っているのも善人の集まりだからです。自分と仲間を何よりも大切にすることを「口に出さない」のは当たり前だからです。
「愛国」「愛社」「愛校」を叫び、他人に自分の「愛」の定義を押し付けるのは「悪人の悪人たる」所以です。
メリーオーケストラは誰とも競わずに、日々成長しています。時間がかかるのは別の角度から見れば「持続性が高い」事を表しています。24年間の歴史の中にこそ「悪人のいないオーケストラ」がこれからも善人の集まりだと言い切る証があると思っています。
最後までお読みいただきありがとうございました。
NPO法人メリーオーケストラ理事長 野村謙介
コメントを残す