音楽・自由・生活

 ごくまれに、生徒さんから進路について相談されることがあります。
教員時代、なぜ?この私が?という部署「進路指導部」の仕事をしていた時期がありました。「適材適所」ですよ(笑)それはさておき…
将来、音楽家になりたい。というより、こんな私のような仕事をしたいという、
ありがたくもあり、光栄でもあり、こっぱずかしい気持ちで話を聞くことがあります。
 多くの場合、本人の気持ちは親とすれ違います。
我が子の将来、現在を心配しない親は親ではありません。心配して当たり前です。心配だからこそ、子供の将来にも口を出したくなるのが当たり前です。
一方で、子供の立場で言えば「自分の人生なんだから好きなようにさせて欲しい」という気持ちがありながら、親に生活させてもらっている感謝の気持ちもあります。素直で優しい子ほど、親に「忖度」します。と言うより気を遣います。
その両者が完全に、意見が一致することはなくて当然だと思います。
子供と同様に、親も初心者マークを付けた「親」なのです。自分が子供だった頃の記憶、失敗したことも含め、我が子には苦労をさせたくないと願う気持ちがあります。
 我が子にとって良かれお思い、東大に進ませ、官僚になってくれても、仕事に追い詰められて、自ら命を絶つ子供。親の気持ちを察するに余りありますよね。
自分(親)が、あの時、東大を目指せ!と言わなければ…そんな悔いを持ちながら生きることになったら…。

 なぜ?親は我が子を音楽家にさせたがらないのか?
親が応援してくれる例外はたくさんあります。私もその例外の一例です。
一言で言えば、生活が不安定だからです。音楽家と言う「職業」に我が子がなって、経済的に苦しむ「かも知れない」ことを案ずるのは当然です。
 なぜ?音楽家と言う職業は、収入が不安定なのでしょうか?
国によって、大きな差があります。私は日本でしか生活した経験がありませんが、ヨーロッパでの「音楽家」と言うステイタスとは、明らかに違うのを感じています。国、自治体、市民が音楽を大切に思うか?なくても良い程度に思うか?という違いが最大の要因だと思います。

 日本国内で、純粋に自分のやりたい音楽「だけ」を職業にして、生活できる人は、どのくらいいるでしょうね?統計を見たことがありません。
一言で「音楽家」と言っても、幅が広すぎるのです。音楽に関わる仕事をしていれば、音楽家だと言えます。ホールの舞台スタッフも、プロデューサーも調律師も「音楽家」だと言えます。演奏家…となると範囲が絞られます。それでも自分の好きな音楽、たとえばクラシックだけを演奏して生活できる「音楽家」もいれば、様々な音楽を演奏しないと生活できない「音楽家」もいます。
音楽の学校で教える人も「音楽家」です。趣味で演奏できるレベルの人が自宅で誰か生徒さんを教えれば「音楽家」です。

 教えたり、演奏したり、作曲したり、サポートしたり。
その仕事の対価を誰からもらうのか?によって、音楽家の「自由度」が大きく変わります。
 私は学校と言う組織で20年間、高給をもらいながら、音楽らしき仕事をできたとは思っていません。確かに、オーケストラ部を作り育てましたが、もしかするとそれは私にとって「欺瞞」あるいは「ストレスの発散」だったのかもしれません。純粋に音楽を楽しめる心のゆとりがなかったのです。日々、会議と成績処理、授業の準備に追われて、自分が音楽家だとは、口が裂けても言いたくなかったのが本音です。私の教員時代は「生活=お金のため」の日々でした。
すべておの音楽教員がそうだとは思いません。でも、組織の一員として働いた「対価」を受け取る以上、組織の命令には従わなければいけません。当たり前のルールです。
 プロオーケストラのメンバーでも、組織の一員であることは同じです。
私は、教員時代の終わりごろには、年収1,000万円以上の給与を得ていました。
その代わり、音楽はできませんでした。

 今、個人の生徒さんにレッスンをして、楽器の販売をして、ぎりぎりの生活です。それでも、この仕事を始めた時、元気だった父が本当にうれしそうに自慢していました。お金に困って相談したときも「おう!まかせとけ!いくらいるんだ」と明るく応援してくれた父です。その父は私が教員になったときにも「応援」してくれましたが、本当は悲しくて悔しくて、たまらなかったと話してくれました。それが、親、なんですね。

 音楽を職業にして、人並みの生活ができる「国」だったら、親も我が子が音楽家になりたいと言い出した時、反対しないでしょうね。そんな日本ではないですから。残念ですがそれが現実です。
 それでも、言いたいのです。子供の夢を応援して欲しい。
子供に言いたい。親のすねをかじって生きるのが「子供」だ。親に本当の気持ちを伝えて本気で頑張って見せるしかないよ。と。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

身体の柔らかさ

 今日もレッスンで生徒さんたちが直面している「壁」を一緒に考えました。
必要以上の力が無意識に右手や左手に入ってしまう現象。
力を入れることは日常生活でも良くありますが、力を抜くことを意識することはあまりません。
 重たいものを持ち上げる時、固い瓶の蓋を開ける時など、力を入れる場面は思い浮かびます。また、驚いた時や危険を感じた瞬間に、無意識に体に力が入る経験をしたことのある人も多いと思います。身を守る「本能」があことを感じます。
 子供の頃、握力測定や背筋力の「体力測定」をした記憶がります。
筋力を増やすトレーニングは、多くのスポーツで必要になります

 ヴァイオリンを演奏する時にも、必要な力がありますが、必要以上の力は演奏の邪魔になるばかりではなく、練習疲労が強くなってしまいます。
・必要な最低限の力を見極めること。
・脱力した状態から瞬間的に力をいれ、すぐに脱力できること。
この二つを練習する方法を考えます。

 一番脱力できる姿勢は?
横になって寝ることです。簡単です(笑)
仰向けに寝転がったままで、両腕を持ち上げていると疲れますよね?
それが「腕の重さ」です。ヴァイオリンを弾いている時に、腕の重さを感じますか?ヴァイオリンが重く感じるのとは別です。本来、腕の重みを感じるはずです。
 腕を前方に持ち上げる筋肉は、腕の筋肉よりも背中と首周りの筋肉です。
つまり、背中と首に力を入れすぎると、腕の重さを感じなくなってしまいます。
楽器を持たずに、演奏する構えだけをしていると、腕が疲れてくることを感じるはずです。
 瞬間的に力を入れる練習は、脱力した状態で筋肉を観察し、一瞬だけその筋肉に力を入れ、すぐに脱力する練習を繰り返してみます。

いわゆる「ぴくっ」と筋肉が動く感覚です。じんわり、力が入っていくのとは違います。

 握力とは「握る力」です。弓を持つ、弦を押さえる時に必要な握力は、実はほんの少しの力です。実際、幼稚園児の力でも演奏できるのですから。
 必要以上の力を入れて弦を押さえても、音の大きさはもちろん、音色も変わりません。必要最小限の力を見極める方法は…
・右手=弓は出来るだけ「全弓」を使って大きな音で弾き続ける。
・左手親指を、ネック=棹の下側に入れ、指の腹で楽器を軽く持ち上げて開放弦=0で弾きます。
・左手の指を、弦に皮が触れるか?触れないか?の弱さで触りながら弾く・
・当然、音がかすれます。かすれた高い音が出る「弱さ」で触ります。
・弓をしっかり動かしながら、左手の指を少しずつ!指板に押し付けていきます。(一気に押さえては無意味です)
・左指の触っている場所の「音」が出始める「押さえ方」が最小限の力です。
・その力と「同じ力」で左親指を「上方向」に加えます。
 左手親指の役割は、弦を押さえる力を刺さることです。
左手人差し指の付け根と、親指で強くはさみすぎる人が多いので、
わざと指をネックの舌に入れ、人差し指の付け根で「はさまない」で練習してみることをお勧めします。
上記が「左手の最小限の力」です。

左手の指先を、弦に「落とす」または「軽く叩きつける」練習も重要です。
これも、じんわり握るのではなく、指の重さを利用して弦に落としたら、すぐに力を抜く練習を繰り返します。慣れてくると、弦に指が当たる音が聞こえるようになります。

 右手の力は、左手に比べとても多種多様です。
一番、気を付けるのは「背中と首の力を抜く」ことです。
肩を「ぎりぎりまで下げたままで弾く」ために、背中と首の力を抜くことが最もわかりやすい方法です。

 右腕を「前へ倣え」のように前に伸ばしても、右肩は上がっていないことを確認してみるのも一つの方法です。
 弓を動かしながら、常に「背中」「首」「肩」と言葉に出してみるのも練習方法のひとつです。力は瞬間的に入ってしまうので、この3つを言い終わらないうちに、最初の部位に力が入っていることがわかるはずです。
 右手の親指。弾いていいると隠れて見えません。
親指が「爪側に反る」のは間違いです。「手のひら側に曲げる」のが正解です。
弓を強く「握る癖」がある人は、まず弓を右手の「手のひらで包み込んで」やさしく持ってみてください。弓の先は弾けませんが、中央部分でならば音をだせます。優しく、力を入れずに持っても「いい音が出る」ことを体で覚えるまで繰り返します。
 右手の手首に、力が入りすぎる癖のある人もたくさんいます。っ上記のように「包み込んだ持ち方」で、「手の甲」が「弓の毛と平行」な傾きになっていることを確かめてみてください。
 G戦を弾くときは、右手の甲は天井に向いているはずです。
D線、A線・E戦と弓が「垂直に近づく」と手の甲が、だんだん右外側方向を向くことになるはずです。
 悪い例は、右手の甲が「自分の方を向いている=手のひらが前を向いている」状態で弾くことです。逆に、鎌首のように手首が「上がりすぎ」も良くありません。これらは「弓の中央部分」の話です。

 弓の重さだけでも、弓を動かせば音は出ます。右腕の重さを、
肘→手首→人差し指に伝え、親指でその反対方向の力を弓に加えます。
この力は「圧力」です。弓を「握りしめる力」は圧力になりません。無駄な力になって、手首や肘の自由を奪ってしまいます。握らず、親指と人差し指の「必要な力」を見つけることが大切です。

 最後に、私たちにかかっている「重力」を考えてください。
常に上から下にかかっています。楽器にも弓にも、腕にもその「重さ」があり、それをうまく利用して演奏することが大切です。
 自然にまっすぐ立った時、両腕を体の側面に沿わせて下げ、肩を極限まで下げるだけでも、自分の立ち方の「基本」が理解できます。
 楽器を構えて、弓を弦に乗せても腕の重さは変わりません。
「重さ」を感じながら、弓の毛と弦の「摩擦」を「指」で感じること。
左手で弦を押さえる力が「50グラム」なら、親指の上方向への力も「50グラム」で良いのです。楽器の重さと、弓の圧力は、鎖骨と耳の下の顎関節の骨で支えられます。

 長くなりましたが、弾いていてどこかの筋肉「だけ」が疲れたら、その場所に無意識に力がはいっていることが原因かもしれません。
疲れないように、良い音が出るように、寝ながら弾いている「つもり」で楽器を弾いてみて下さい。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介
 

演奏技術の違い

 誰もが思う事。もっとうまく弾きたい!
自分よりじょうずな人の演奏は、憧れや目標であると同時に
自分がうまくないことを思い知らされる気持ちにもなります。
じょうず、へた。おおざっぱな表現なので、「演奏技術の違い」という言葉で考えてみます。

 上の動画は、ヤッシャ・ハイフェッツという20世紀を代表するヴァイオリニストの演奏動画です。1901年に生まれ、1987年に亡くなるまで、まさに「演奏技術の最高峰」であり、神のようにあがめられたと言っても過言ではない演奏家でした。
 ヴァイオリンの演奏技術が「高い」と言われるのは、どんなことが出来ることを指すのか?
様々な見方があります。代表的なものをいくつか挙げてみます。
・速く弾いても音の高さをはずさない。
・音量が豊か。
・短い音にもビブラートをかけられる。
・弓を自由にコントロールできる。
などなど、言い方はいくらでもありますが共通していることは
「出来なくなりそうなことを、簡単そうに演奏できる」
という事になります。速さにしても、音量にしても、発音の正確さにしても
ある程度の「遅さ」なら出来ると思えることでも、その限界を超えた速さや音量、正確さを可能にしている事を「演奏技術が高い」と言って差し支えないと思います。

 演奏技術が普通」ってあるのでしょうか?
つまり、誰かと演奏技術を比較するから「違い」があるわけです。
自分しかヴァイオリンを弾ける人はいない!
と思えば、世界で一番じょうずなのは?そうです。私なのです!
いやいや(笑)そんな思い込み、ありえないと言うなかれ。
世界的なスポーツのアスリートの多くが、試合の直前に「自分は世界一だ」と自己暗示をかけて本番に臨むそうです。
私自身、人の前で演奏する場に立つときは、自分の演奏技術を信じます。
たとえ、途中で失敗したとしても、今この瞬間にこの場所でヴァイオリンを弾いているのは自分だけなのだから、自分が世界で唯一のヴァイオリニストなのです。本番中に、ダメ出しをする人は、いないものですよ(笑)

 練習している時は、そうはいきません。落ち込みます。
自分の演奏技術が低すぎることに、嫌気がさすことが毎日続きます。
生徒さんから「先生でも?」と言われます。生徒さんが思うのと同じことを、恐らくヴァイオリニストは全員?思っているのではないでしょうか。
 自分より正確に、かつ美しく演奏できる人が必ずいるのではないでしょうか?
それは、自分の顔より美しい顔の人がいると思うのと同じです。なぜなら、自分の顔を自分で見られないように、自分の演奏を客席で自分が聴くことは出来ないのですから。
 と。自分を慰めてみたりしましたが。
どうすれば演奏技術は高くなるのでしょうか?どこかにその秘密はないのでしょうか?

 この動画は4歳の生徒さんが初めて人前で演奏したときのものです。
習い始めて約半年。まだ楽器と弓をきちんと持つことは難しい段階ですが、それでも一生懸命演奏しています。
 もしも大人の方が「これは、子供だから」と感じられたなら、むしろ考えを
「自分がこの4歳の子供と何が違うのか?」と考えてみてもらえればと思います。なにも知らないのが当たり前です。そして、出来ることも少ないのが子供です。先生の言っていることを理解できる言葉も少ない中で、わかったこと「だけ」をやろうとしている姿。
 私も含めて、大人になるとつまらない「プライド」を無意識に持っています。
出来ないことがあると、出来る人をわざわざ探して「自分が劣っている」と自虐します。出来なくて当たり前なのです。
 演奏技術を高めたければ、自分の出来ることを一つずつ増やすだけです。
自分のできないことを知ることです。コンプレックスを持たずに、時間をかけて、探しては出来る方法を考えて、出来るまで練習する。その繰り返しだけが唯一の方法です。
 61歳の私が今から身に着けられる演奏技術が、どれだけあるのか?誰にもわかりませんが、一つでもできれば「儲けもの」です。
70代の生徒さんが楽しみながら楽器を練習しています。
趣味に年齢制限はありません。期限もありません。テストもありません。
毎日、楽器を弾けなくても、弾いた時間だけ上達していると思うことも大切です。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

ピアノとヴァイオリン

 ヴァイオリンを初めて演奏する生徒さんの中で、それまでにピアノを練習した経験がある人と、そうでない人の違いについて考えます。
 一般的に、ピアノを習ったことのある人の割合は、ヴァイオリンに比べ恐らく10倍以上多いと感じます。もちろん、地域や時代によって変動しますが、ピアノは「習い事」の中でもポピュラーです。

 ヴァイオリンを演奏したいと思う人の中で、ピアノやその他の楽器を習ったことのある人と、初めての楽器がヴァイオリン…と言う人の割合は、意外かもしれませんが、6:4か、7:3程度です。つまり、半数近い生徒さんが「初めての楽器がヴァイオリン」です。年齢別に考えても大差ありません。
 ヴァイオリンは、どういうわけか?憧れの楽器=弾いてみたい楽器のトップ5?には入るようです。むしろ、ギターやフルートは個人で買って楽しんだり、中学校や高校の吹奏楽部で楽しめたりすることが大きな要因だと思います。

 そのヴァイオリンを練習する時、ピアノを弾ける人が優位なことがあるとすれば、楽譜を音にする経験があり、楽譜だけを見るとヴァイオリンの楽譜がとても「簡単」だという事です。ただ、楽譜を音楽に出来るか?という技術は、身に着けていなくてもピアノは弾けますので、弾けることと、楽譜を音に出来ることはイコールではありません。厳密に言えば、楽譜を読んでピアノを弾くことを習った人の場合の話になります。
 一方で、初めての楽器がヴァイオリンという方の場合、楽譜を音にするための技術も、持っていない場合がほとんどです。学校の授業でリコーダーを吹いたり、合唱をした時でも楽譜を音にしていた人は、ほぼ「ゼロ」です。

 ピアノを楽譜を見て上手に弾ける人なら、ヴァイオリンがすぐに弾けるようになるか?というと、答えは残念ながら「NO!」です。なぜなら、楽譜が読めたり、音の名前がわかって音の高さがわかっても、自分の出したい音の高さを、どうやったら弾けるのか?言い換えると、ヴァイオリンはどうすれば?どんな音が出せるのか?が、ピアノと比較してはるかに「わかりにくい」からです。
 さらに、ピアノは調律さえできていれば、「変な高さの音は出ない」構造です。ヴァイオリンは、開放弦を正確にチューニングしてあっても、その他の高さの音は、すべて自分の「耳=音感」で探して演奏する楽器です。むしろ、ピアノを習った経験のある人の方が、自分の出すヴァイオリンの音の高さが「気持ち悪い」と苦笑されます。
 もう一つの大きな違いが、両手の役割の違い=運動の分離が難しいことです。

 多くのそうした生徒さんが落ちる落とし穴があります。
左手で押さえる場所が違う=音の高さが違うと感じて、直そうとすると無意識に、右手の動きが止まることです。止まるまでいかなくても、非常に動きにくくなります。無理もないことです。私たちは両手を同時に使って、違う作業をすることが少ないのです。あったとしても、どちらかの手が「主役」で、もう一方の手は「補助的な役割」をする程度です。
 包丁を使っている時の、もう一方の手は「補助」ですよね?
両手でナイフとフォークを使って料理を食べている時でも、おそらくどちらかの手しか動いていないのではないでしょうか?
 音楽家同士の遊びの中に、こんなものがあります。試してみてください。

 右手で4拍子の指揮をしながら、左手で3拍子の指揮をする。
もちろん、同じ拍の長さ=テンポは同じで、同時に1拍目から指揮をスタートします。やりやすい、4拍子の図形で構いません。3拍子は単純に三角形の図形で構いません。
 せーの!
初めての人は恐らく2泊目で止まりますよね?笑
右手で4拍子の指揮を「1・2・3・4・1・2・3・4…」と繰り返すだけならできますよね?
左手で3拍子の指揮を「1・2・3・1・2・3…」と繰り返すのも、単独なら簡単ですよね?
はい。それを同時にスタートします!
仮に4拍子を口で言い続けて「1・2・3・4・1・2・3・4…」と言いながら、両手で4拍子と3拍子を同時に振ると、4拍子を3回繰り返して4巡目に入る瞬間の「1」の時に、左手の3拍子も「1」になるのです。
……………………??????
 3と4の「最小公倍数」は12です。つまり、4拍子を3回繰り返すと12泊、振ることになります。その時に3拍子は「4巡目の1拍目」になります=3拍子を4回繰り返すと12泊振ることになるからです。

 これ、電車やバスの中で、やらないでください。ついムキになってしまうので、周りの人が離れていくか、通報される危険性があります。自宅で鏡に向かって楽しんでください。

 さて、ヴァイオリンはこの「左手と右手の分離」に近いことをしながら、演奏することになります。ただ、私からすると、ピアニストが両手で同時に違う音を弾けることのほうが難しく感じています。
 右手と左手の分離と同期は、一朝一夕にできません。少なくとも、頭でどちらかの手に集中すると、もう一方の手は無意識になることが、上記の指揮の遊びで実感できると思います。
 あ。じゃんけんを両手でやるのも、むずかしいですよ。常に右手が勝つことと、常に違う形=グーかチョキかパーを変え続けて、何回?続けられますか?
 それはさておき、左手の押さえる場所=音の高さを修正する時に、意識的に(無理やりにでも)右手で全弓を使って大きくて良い音で弾き「ながら」音の高さを修正する「習慣」をつけることをお勧めします。
 もしくは、左手の練習をするときには、ピチカートで練習するのもひとつの方法です。
 右手の練習をしてから、左手の練習をする「順序」を決めることもお勧めします。なぜなら「音が出なければ、正しい音の高さにならない」からです。
 常に、右手に意識を集中し、音の高さは「耳で確かめる」ことも大切です。

 ピアノとヴァイオリンの構造の違いを理解した上で、練習法帆を考えると上達の近道になるだけでなく、ストレスの軽減につながります。
 あきらめずに!あせらずに!練習してください。
ピアノのように、どんどん弾けるようになる「上達した実感」はヴァイオリンではなかなか感じられません。ただ、練習しているうちに、無意識に出来るようになっていることに、「ふと」気付くものです。その日は必ずやってきます

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

音楽にまつわる「うそ・ほんと「

 音楽を演奏したり教えたり、広めたりする活動をしてきた私が、常日頃、出くわす、音楽にまつわる話の中にある、間違った情報「うそ」と真実「ほんと」について。
 動画は子供たちが主役のNPO法人メリーオーケストラを紹介するものですが、この活動や下の動画、私が経営する小さな音楽教室メリーミュージックでの生徒さんたちを見て頂くと、どんな印象を持たれるでしょうか?

  おそらく「趣味の音楽って楽しそう」という率直な感想を持たれる方が多いのではないでしょうか?それは間違いなく「真実」です。
 音楽を趣味にすることは、私の知る限り最高の楽しみの一つだと信じています。それでも、中には「才能がないと上手にならない」という間違った先入観を持っている方もいらっしゃいます。また「裕福な家庭でないと音楽は習えない」という思い込みもあります。

プロの音楽家はお金持ちという嘘

 これは一番多い間違いかも知れません。世間一般で「音楽家」と言う職業は「特殊な人種」として扱われることがあります。理由は様々ですが、先ほどの「特殊な才能がある」と言う思い込みや、「楽器が高いのだからお金持ちに違いない」
さらには「テレビで見る音楽家はおしゃれで外車に乗って現れる(笑)」と言うイメージなどなど。
 確かに一部の音楽家は「お金持ち」と言って良い収入を得て裕福と言える生活をしています。それは、ほんのごく一部!ほんの一握りの人たちだけです。
多くのプロ音楽家は、そのような「有名人」とはかけ離れた生活をしています。好きで選んだ職業なので、嫌なら違う職業に転職すれば良いだけです。
ですから、私は音楽家が貧乏だからと言って「可哀そう」と同情する必要はないとも思いますが、現実を知って頂きたい気持ちはあります。さらに、国や自治体が文化芸術にお金を出したがらない!と言う「民度の低さ」が一番の問題です。

裕福な家庭じゃないと…と言う嘘

 これも、良く言われます。「きっとお父様やお母様が音楽をなさっていたのですね」とか。露骨には言われませんが、きっと裕福な家庭で育った「おぼっちゃま」「おじょうさま」ばかりだと思われていますが、これも「大嘘」です。
 例外的にそういう方もいますが、どんな世界にもいるのと同じ割合です。
私の家庭は、父が銀行員、母は専業主婦という、いたって普通のサラリーマン家庭でした。資産家の家計でもなんでもなく(笑)、社宅暮らしがほとんどでした。音楽高校でも周りの友達は、ほとんど私と同じ環境の「普通の家庭の人」でした。むしろ、厳しい経済状況で、地方から単身上京し、風呂なし・トイレなしの6畳一間のアパート暮らしの友人がたくさんいました。それが当たり前でした。

クラシックにしか興味がないと言う嘘

 クラシック音楽を専門にしているから、普段から…いいえ。
人によってはそういう方も、いるかもしれませんが、私の音楽仲間の多くは違いました。ジャズ大好きなチェリスト、なぜかジュリー(沢田研二)とクイーンとロッド・スチュワート大好きなピアニスト(私の妻、H子さん)
 なぜか、法人女性歌手(中国人か!)ようするにアイドルや、女性シンガーの歌が大好きなヴァイオリニスト(今、これを書いている人)などなど。
 クラシックも聴きます。好きですが、いつも聴いているわけではありません。
むしろ、聴いていると「分析する」聴き方をしてリラックスできないという人が多いですね。

変わった人がいるという真実(笑)

  えーっと。確かに私から見ても、やや?だいぶ?普通の人と考え方や、行動パターンが違う音楽家「も」いるのは事実です。ただし、そうでない「私を含めた」音楽家の名誉のために申し上げますが、一般常識をもって普通の日本人として行動する人がほとんどです。
 おそらく、自分の好きなことに打ち込んで、「お金より音楽」と思う音楽家ほど、どこか…その…面白い性格になるようです。ただ、悪い人はいないのです。
人に危害を加えるような人はいません。
 プロなのに、ぼろぼろのヴァイオリンケースで楽器を持ち歩く演奏家。
 オーケストラの安い給料のほとんどを、レコードを買うことにつぎ込む演奏家。
 ひたすら楽器を買い替え続け、自己満足に浸る演奏家。
 掃除機の音ををステージで鳴らし、楽器として扱う作曲家。 
ちょっと、怖いでしょうか?(笑)

音楽家は人嫌いという嘘

 ステージで怖い顔をして演奏している演奏家でも、話をしてみると案外「明るい普通の人」がほとんどです。中には、ステージ降りても怖い人もいますが。
ただ、普段一人で黙々と練習することが多いので、人と会話をするのが下手な演奏家が多いのも事実です。だから?なのか、ただ演奏してお辞儀して演奏会を終わる人には、個人的に違和感を感じています。お客様に媚びを売るわけではなく、人として接することも必要だと思っています。

音楽家は漢字を書けないという真実

 これは私だけなのかも知れません。すみません。
いや、高校時代の同期男子は全員、現代文のテストで追試を受けていたので、恐らく真実です。
 なにせ、音楽高校の入試は、一般科目にかかるウエイトが低い。というより、私のころは無いに等しかったのです。授業も単位が取れれば良い。単位は、総授業回数の3分の2出席していれば、テスト0点でも単位が取れました。
 大学でも同様でした。なので、私「と同期の男子」の一般科目学力、特に漢字能力は「中学卒程度」で、しかも字を書かない生活でしたので、それは恐ろしいものでした。
 誰とは言いませんが、同級生のヴァイオリニスト「K君」は、卒業後年賀状の宛名に「野村 嫌介 様」と書いてくれました。素敵な男です。
 私は、中学校・高校で20年間、音楽の授業を担当しましたが、音楽理論の授業で黒板に「旋律短音階」と書こうとして、せんりつ…せんりつ…
だめだ!と思い、「メロティック短音階」と板書してその場をやり過ごしたトラウマがあります。生徒たちはノートに書き写していました。懺悔します。

終わりに…

 最後までお読みいただきありがとうございました。
音楽家という生き物、少し理解していただけたでしょうか?
これから音楽家を目指す人や、若い音楽家が「みんな」こうだとは思っていませんが、少なくとも私たちは、普通の人間です。ほとんど人畜無害であり、無芸大食です。どうか、皆様に暖かい目で見て頂ければと、思っております。


ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

譜面のやさしさと演奏の難易度

 一般に長い音符が多かったり、テンポがゆっくりの音楽は演奏が簡単だと思いがちです。確かに前回のブログで書いたように、テンポの速い音楽を演奏することは初心者にとってとても大変なことです。上の動画はリサイタルでの演奏動画です。アルヴォ・ペルト作曲した「鏡の中の鏡」は聴いての通り、ヴァイオリンは常に長い音を演奏し続け、ピアノは同じリズムで淡々と演奏し続けます。
 一方でクライスラーの作曲した「コレルリの主題による変奏曲」は、16分音符の連続やトリル、重音の連続があるため、初心者にとって難易度が高く感じます。聴いていてもどちらが難しそうに感じるか?という事で言えば、クライスラーの曲の方が派手で、難しそうに聞こえるのが自然です。

 アマチュアの人が楽譜を音にする「だけ」なら、ゆっくりした曲・同じリズムが繰り返される曲のほうが演奏しやすく感じます。
 おそらくプロの演奏家にとって、どちらが難しいですか?と聞けば多くの人はアルヴォ・ペルトが難しいと答えるのではないでしょうか。
 一言で言ってしまえば「粗が出やすい」という事です。もっと言えば、演奏者の技術があらわになるとも言えます。

 音楽的な表現もさることながら、弦楽器、管楽器、声楽の場合に長い音を演奏することは基本的な演奏技術である「ロングトーン=長い音」の技術があげられます。弦楽器の場合、弓の長さいっぱいに、出来るだけゆっくり動かしながら、音の大きさと音色を均一に弾くことは、本当に難しい技術です。
 特に弓の速さと圧力の関係を、腕が伸びた状態=弓先でも、腕を曲げた状態=弓元でも同じようにコントロールすることは、至難の業です。簡単そうに思えますが、ただ音が出ればよい…のではなく、必要な音量を維持しながら、震えたり、かすれたり、つぶれたりしないように音を出し続ける集中力も必要です。
 例えていえば、刷毛を使って、看板に文字や絵を描く職人さんがいます。
下絵もなく、ガイドラインもなく、一回で書き上げていきます。あの集中力は見ていてうっとりします。
 身近な例えで言えば、筆で同じ太さのまっすぐな直線を書こうとしたら…
難しいことは
想像できますよね?それに似ています。

 速い音楽、言い換えれば短い音の連続した音楽を演奏する場合、弦楽器では右手と左手の運動の連携が最も難しい技術かも知れません。もちろん、アマチュアの人にとって…の話です。右手左手を、ある時は分離して動かし、ある時は同期させて動かすことは、慣れが必要です。以前にも書きましたが、一つの運動に集中すると他の運動は、無意識で運動することになります。両手をコントロールするためには、片方の手に集中しないことです。頭を空っぽにするのではなく、音をイメージして両手ともに「無意識」で動かせれば、分離も同期もできます。

 ぜひ、ゆっくりした音楽を丁寧に演奏する練習を繰り返してください。
もちろん、速い曲の練習も必要ですが、基本は長い音を綺麗に弾けることです。
右手一生。そう思って頑張りましょう!

 ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

楽譜の進む速さ

 上の映像は、ボロディン作曲のオペラ「イーゴリ公」の中の一曲「ダッタン人の踊り」から。8分の6拍子。プレスト。譜面には付点四分音符=100(一分間に100回)つまり、1小節1秒ちょっとの速さと書かれていますが、映像の冒頭部分プロオーケストラの演奏はそれより、ずっと速いテンポです。
 画像はファーストヴァイオリンのパート譜。音を聴きながら楽譜を見て、どこを弾いているか見つけられれば、あなたはかなりの上級者です。普通は絶対に見つけられません。それが普通です。はやっ!!!

 その後、メトロノームとパソコンの音で少しゆっくりした演奏と同じ楽譜。
いかがでしょうか?どこを弾いているか?お判りでしょうか?
この楽譜はファーストヴァイオリンのパート譜です。
オーケストラでは、ピッコロ・フルート・オーボエ・コールアングレ・クラリネット・ファゴットの木管楽器。ホルン・トランペット・トロンボーン・チューバの金管楽器。さらにハープ。ティンパニ・バスドラム・シンバル・タンバリンなどの打楽器。ファーストヴァイオリン・セカンドヴァイオリン・ヴィオラ・チェロ・コントラバスの弦楽器。これらの楽器が同時に演奏することもあれば、どれかひとつだけの場合もあります。
 自分が演奏するだけの楽譜が「パート譜」です。すべての楽器の楽譜を縦に積み重ねて書いてあるのが「スコア」です。指揮者はスコアを見ながら指揮をします。スコアは時によって、1ページに数小節しか書けないこともあります。どんどん次に進む…。大変です。

 動画最後に、もっとゆっくりの演奏になります。
1分間に付点四分音符60回。1小節2秒の速さです。それでも追いかけるのは大変ですよね。ましてや、これを演奏するのですから…。
速い曲を練習するために、楽譜を読むトレーニングが必要です。
CDなどの演奏を聴きながら、楽譜を見る練習をすれば、次第に慣れていきます。それでも速くて追いつけない時は、ゆっくり聞きながら読むことをお勧めします。

 本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

 

楽譜・曲・演奏

上の動画は、J.S.バッハ作曲 無伴奏ヴァイオリンソナタ第1番よりアダージョの冒頭部分だけを、Youtubeで拾い集めてつなぎ合わせたものです。どれがどなたの演奏かは気にしないでください(笑)
 この楽譜をバッハが手書きで書いたものから、現代のパソコンで作られたものもすべて「楽譜」と呼ばれます。
 その楽譜を演奏者が音にすることが出来るのは、当時から楽譜の約束が現代まで変わっていない=伝承されているからです。考えたらすごいことですよね。

 さて、楽譜を音にすることが出来るから昔の作曲家の書いた曲を、今演奏できるわけですが、同じ楽譜でも演奏する人の個性があります。楽譜に書いてあることの中で、最低限守らなければいけないことがあるとすれば、音符の高さと長さ、休符の長さの2種類になると思います。もちろん、強弱記号、発想記号も大切な要素です。音楽として「最低限」変えてはいけないものがあるとしたら、この2種類になると思っています。
 現実に、動画の中の演奏を聴いていると、全く同じテンポ=速さで弾いている演奏はありませんし、音符の長さも様々です。強弱に至っては本当に人それぞれです。録音されたものですから、音色や音量が違って当たり前です。それを差し引いて聞いても、演奏者の個性が感じられると思います。

 作曲者本人が自分で演奏する場合もあります。その場合、その都度違った演奏をすることもよく見受けられます。ポップスでも「あるある」な話です。
 楽譜に書いてあることは、作曲者の表現したい音楽です。ただ、それを世に出し様々な人が演奏できることになった場合、作曲者の「思い」は演奏者の解釈に委ねられます。簡単に言えば、演奏者の感性で楽譜を音にすることになります。
 演劇や映画などでも同じようなことがあります。台本、脚本があり演者がそれを表現する時、演者によって作品は大きく変わるものです。

 演奏者が楽譜を音に出来ないケースは多々あります。
それを「能力が低い」とか「努力が足りない」と切り捨てるのは簡単ですが、演奏の能力と楽譜を音にできる能力は、全く違う能力です。美空ひばりさん、小椋佳さんは楽譜を音に出来なかったそうです。それでも素晴らしい演奏者だと思います。

 曲を作る人の感性と演奏する人の感性。さらに聴く人の感性。
すべてが違うのが自然です。だからこそ、演奏する人間は、自分の感性を大切にするべきです。誰かの演奏を「まる」っと真似をするのではなく、自分の頭で考え感じた音楽を表現するための努力が必要です。
 作曲者の書いた楽譜、曲を自分なら、どう?演奏するかを考えることは、作曲した人への敬意につながると思います。
 とは言え、自分の演奏技術の中で出来ることに「限界」を先に感じてしまう人も多いのが現実です。プロの演奏を色々聴き比べたり、Youtubeでアマチュアの演奏を聴いてみても自分の「できそうなこと」がわからないのは、ごく当たり前のことです。なぜなら「出来ることとできないことの違いが判らない」のですから。上手に弾いている人の演奏を聴くと、何が?どう?自分と違うのかが言語化できないのは、知識として演奏に必要な技術をまだ知らないので仕方のないことです。
 例えていうなら、家を建てるために必要な知識と技術を知らない私たちにとって、なにから始めれば家が建つのか?わからなくて当たり前なのと似ています。
 おいしいと思う料理のレシピを知らなければ、同じ味を出すことは不可能です。さらに、レシピがわかっても失敗の経験を重ねなければ、その味を再現することは無理でしょう。音楽も同じだと思います。いくら練習方法「だけ」を知っていても、実際に失敗を重ねながら根気よく練習しなければ、目指す演奏に近づくことはできません。
 楽譜を料理の「素材」あるいは「レシピ」に例えるなら、演奏する人は料理人です。素材とレシピを基に自分で試行錯誤しながら、自分の美味しいと思う料理が出来るまで失敗を重ねて初めて、理想の味にたどり着けるのではないでしょうか。
 レトルト食品のように、簡単にプロの味を再現できる「音楽」は、録音された音楽を聴くことです。自分で料理する楽しさが、演奏する楽しさです。
 人によって好みの味が違うように、音楽にも好みがあります。
他人が美味しいと言っても自分の舌には合わないこともあります。
自分の好きな演奏を出来るのは、演奏するうえで最大の楽しみのはずです。
インスタントに出来るものではありません。だからこそ、失敗にくじけない「根気」が不可欠です。最初から諦めるなら、レトルト食品で満足する=他人の演奏を聴くことに徹するしかありません。

 個性は決して突飛なことをする事でもなく、人と違うことをする事でもありません。自分の好きな音楽を模索し続け、自分が楽しめる演奏をする事こそが個性だと思います。まずは、他人のレシピで色々試し、自分に足りない技術を探し、出来るように練習し、また違うレシピを試す…その繰り返しが、個性的な演奏に繋がり、延いては自分の演奏技術を高めることになると信じています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

リズムと拍子

 上の二つの動画は、どちらも夕焼け小焼けの前奏と出だし部分です。
ちなみに、聞こえる音楽は、どちらも全く同じ音源です。
上の映像は、よく見ると4分の2拍子で、下の映像は4分の4拍子です。

 今回、テーマにしたのは楽譜を音楽にする技術の中で、音の高さを見つけるより、音符と休符の長さ=リズムの方が、はるかに難しいという話です。
 楽譜に書いてある音符を音にするために、必要な知識は?
「ドレミ」などの音の名前を読めることです。それがわかったら、次は手鹿にある楽器、リコーダーでも鍵盤ハーモニカでも、もちろんピアノでも、とにかく「ドレミ」の音の出し方がわかる楽器で、楽譜を音に出来ます。
 厳密に言えば、オクターブがあっていないこともあり得ますが、次の音に上がるか?下がるか?を間違わなければ、連続した音の高低がわかります。
 これで音楽になるでしょうか?
いいえ。なにか足りない。と言うより、音楽として全然未完成に感じるはずです。つまり、音の高さだけがわかっても、曲には聞こえないという事です。

 音符と休符の組み合わせでリズムが生まれます。
音の名前が、音の「高さ低さ」を表すもので、音符や休符の種類(たとえば、4分音符、2分音符、2分休符など)は「時間」を表すことになります。
 時間を表すと言っても、「何秒間、音を出す」「何秒間、音を出さない」という計測方法ではありません。実に難しい「相対的な時間の長さ」を表しています。
 2分音符は4分音符の「2倍、長く音を出す」事を意味します。言い換えれば、4分音符は2分音符の「2分の1の長さ、音を出す」ことです。
これ以上は細かく説明しませんが、音符を演奏する「時間=長さ」は、どれか一種類の音符を演奏する時間を決めることで、ほかのすべての音符や休符の時間が決まることになります。
 4分音符一つ分を1秒間音をだすなら、2分音符はひとつで2秒間音をだします。8分音符なら一つ分で0.5秒音を出して次の音符、または休符になります。
この相対関係で、音符と休符の時間が決まります。

 上の映像、4分の2拍子の方は、4分音符を1秒間に30回演奏できる速さ=1分間に4分音符30回の速さ、楽譜には「♩=30」で演奏しています。
 下の映像は、4分の4拍子で、4分音符を1分間に60回演奏できる速さ=1分間に4分音符60回の速さ、「♩=60」で演奏しています。
 聴感上は、全く同じ演奏です。でも明らかに、楽譜は違うのです。
上の楽譜は4分音符の長さが「長い」、下の楽譜は上に比べて4分音符の長さが「半分=2倍速い」という事になります。
 音楽を聴いただけで、音の高さがわかっても、その曲が「何分の何拍子」かは実はわからないのです。楽譜を見て初めて「あ!なるほどね」となるのです。
 聴音の試験でも必ず、これから演奏する曲を弾く前に「△△長調(または短調)、〇〇分の〇〇拍子、××小節」と先生が伝え、その楽譜を五線紙に書く用意をします。拍子がわからなければ、正確な楽譜にはなりません。

 これは「聴いた音楽の拍子」の話でしたが、逆から考えると「楽譜のリズムを音にする」のも、拍子記号の「下の数字=基準になる音符の種類」の速さ=長さを決めてから読み始めます。
 たとえば、4分の3拍子の曲であれば、拍の基準は「4分音符」です。
8分の6拍子であれば、「8分音符」が拍の基準ですが、この場合はちょっと複雑で付点4分音符が拍の基準=1拍になります。8分の3拍子も同じ付点4分音符が基準になります。
 基準になる音符の長さ=速さを決めたら、あとはその基準の音符を「1」として他の種類の音符・休符の時間を決めます。
 この技術は、ひたすら繰り返すことしか身に着ける方法がありません。
絶対音感があっても、これはトレーニングしないと理解できません。

 楽譜を音にするために、リズムを先に理解することをお勧めします。
難しそうな楽譜の場合、基準の拍をゆっくり=長くして、さらに「タイ」を取り払ってから、歌ってみましょう。休符が多い場合は、前後どちらかの音符と同じ高さの「音符」に置き換えて歌ってみると、案外簡単に歌えます。休符は意外に難しいのです。単なる「おやすみ」ではないのです。
 パソコンソフトに打ち込んで、鳴らしてみる方法が一番手っ取り早い(笑)かも知れませんが、自分の力で感覚的に音符の相対的な長さを「音にする」技術を身につける努力をしてみてください。
 必ず出来るようになります!

 今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

相対音感で暗譜する工夫

 

ちまたで有名な「ヴァイオリンは絶対音感がないと弾けない」という大嘘があります。もはや、差別かよ!と怒りたくなるほどのデマです。
 ヴァイオリンに限らず、歌であれそのほかの楽器であれ、絶対音感があれば演奏が楽になる面は確かにあります。
 そもそも絶対音感の意味さえ知らずに語る人がいるから困ったものです。
人間が音として聴くことのできる、空気の振動はヘルツと言う単位で表すことができます。おおざっぱに言えば、その音の高さにイタリア語なら「ドレミファソラシ」英語なら「CDEFGAB」日本語なら「はにほへといろ」と言う名前を付けたのが「音名」です。細かい説明は省きますね。
 音を聴くと音の名前で答えられるのが「絶対音感」です。
言葉を覚える幼少期に、聞こえる音と音名を繰り返し覚えさせると、どんな人でも絶対音感が身に着けられます。超能力とか天才とかとは、全く関係ありません。むしろ、絶対音感がないのが普通なのであって、特別なトレーニングをある時期にすると身に付く感覚です。大人になってから身に着けるのは、不可能ではありませんが、かなり大変な労力と時間を要します。


 絶対音感でない音感を「相対音感」と言います。
この音感はトレーニングによって、精度が高まる感覚です。
ちがう感覚でたとえると、お弁当屋さんが、決まった重さのご飯を盛り付ける作業を何百回、何千回も繰り返すうちに、測りを見なくても1グラムの誤差もなくも盛り付けられるようになる感覚に似ています。
 音感で言えば、ある音名の音(たとえばドとか、ラなど)を、ピアノや音叉などで聴いてから、その他の音の名前を応えられるようにトレーニングするのが、相対音感の制度を上げていく方法です。もちろん、同時に2つ、3つの違う高さの音がある状態=和音を聞き取るのも、同じ方法でトレーニングを繰り返せば、だれにでも 音名に置き換えることが出来るようになります。
 音楽の学校で行われる「聴音」という授業科目があります。
先生がピアノで弾く旋律や和音の連続を、限られた時間で楽譜に書くという科目です。
 同じように「ソルフェージュ=視唱」と言う科目があります。
これは、まったく聴いたことのない「新曲」を、何の楽器も使わずに、限られた時間、例えば15秒とか30秒で、「予見=声を出さずに頭の中で音にする」して歌い始めるという科目です。良い声で歌う必要はまったくありません。ただひたすら、正確な「リズム」と「音の高さ」で「止まらずに」最後まで歌い通すことをトレーニングします。これも、時間を掛ければ誰でも身に着けられる技術です。

 さて、私は相対音感しかもっていないヴァイオリニスト・ヴィオリストです。
高校と大学で、当時日本で一番聴音とソルフェージュが難しく、厳しかった学校で鍛えられました。入学試験はもちろんのこと、卒業のために必要なグレードが決まっていました。そのグレードに達しないと卒業できないという厳しいものでした。
 その私が視力をほとんど失っている今、新しい曲を楽器で演奏するために、必要不可欠な事が「暗譜」です。
先述の音楽学校で、初見で楽譜を演奏できる能力もトレーニングされましたので、車の運転が出来る視力があった当時は、楽譜を見ただけで演奏することは簡単なことでした。と言うより、それが当たり前の事でした。
 それが出来なくなった今、上の映像のように、楽譜を1小節ごとに画面いっぱいに表示されるようにすることで、楽譜を見ることが出来る視力が残っています。ありがたいことです。感謝しています。
 1小節ずつ覚えていくわけですが、ここで引っ掛かるのが「相対音感」です。

 頭の中に、楽譜をイメージすることもあります。
その時に「音名」と「音の高さ」を覚える必要があります。
「指の番号や弦を押さえる場所で覚えれば?」と思う方がおられるかと思いますが。どんな短い曲でも「音の名前」で演奏する習慣がある上に、長い曲になってさらに調も途中で変わる曲の場合、指の番号だけでは記憶することは不可能です。
 この曲「Earth」は何度も調性=調号が変わります。臨時記号の音も頻繁に出てきます。頭の中で、音名と音の高さが「ずれそうになる」状態が起こります。
つまり、それまで演奏していた調の旋律=メロディーと同じ旋律が、違う調で出てきた時、音楽の理論として「転調」を覚えないと弾けなくなります。
Gdur=ト長調から始まって、平行調のEmoll=ホ短調を通過し、Bdur=変ロ長調、Esdur=変ホ町長、さらにHdur=ロ長調を通り、やがてDesdur=変ニ長調に転調…。まだ間違ってますね(笑)
 これを間違えずに覚えないと暗譜できません。
絶対音感があれば、必要のないことなのかも知れませんが、ないものは努力で補うのです。
 さぁ!覚えるぞ!

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介