ターニングポイント

 上の演奏は、私が高校3年生当時に銀座ヤマハホールで行われていた恩師「久保田良作先生」門下生による発表会での録音です。
 卒業試験前の発表会は「試験のリハーサル」でもありました。
演奏している曲は、ハチャトゥリアン作曲のヴァイオリンコンチェルト第1楽章。ピアノを演奏してくれているのは「あの!笑」清水和音君。
 今聞いて思うのは「練習したね~」

 人それぞれに、それまでの自分の生き方や価値観、感じ方が変わる瞬間があります。後から「あの時」と思い返すこともあります。その「ターニングポイント」は一生のうちに何度も訪れるものかもしれません。
 楽器を演奏することが「趣味」だったり「習い事」の時期がありました。きっと今現在がその段階の人がほとんどだと思います。それはそれで、人生のアクセントとして素敵なことです。大切にしてほしいと心から願います。
 本人の「やる気」とは別に親の思いや周囲の人の期待があります。特に子供の場合には本人の意思より、親の気持ちが先行することの方が圧倒的に多いですね。「いやいや練習する」時期を超えた先にあるものは?自発的に練習する「意思・意欲」を持つことです。学ぶ環境によって、大きく変わるのも事実です。
 学校の友達と遊ぶのは、ごく自然なことです。その友達がたとえば「不良」だったら(笑)不良の仲間になることも十分にあり得ます。友達に影響されることも成長過程で必要な体験です。

 私は中学3年生の夏休み頃まで、クラスの友達同様に都立高校を受験するのかな?程度に自分の進路を考えていました。両親は兄への期待と希望に、見事に応えてくれた「兄の進学先」で十分に満足していたのか(笑)私の進学には、ほとんど一言も「期待」を示しませんでしたので、私がそう思っていたのも自然なことだと思います。久保田先生のレッスンで音楽高校の受験を「お試し」程度に勧められたのが、まず大きな「ターニングポイント」でした。それから受験までの期間はひたすら「受験のための」時間でした。
 桐朋女子高等学校音楽科(共学)に入学してからの2年間。私にはただ「場違い」な学校に間違って?来てしまったという思いしかなかった気がします。友達と音楽で「遊ぶ」ことを覚えもしました。年に2回の実技試験もなんとか乗り越えました。自分のヴァイオリンに「自信」のかけらもなく、当然「目標」もありませんでした。一種の「燃え尽き症候群」だったのかもしれません。

 高校2年の終わりに、同門の先輩である小森谷巧(こもりや たくみ)先輩の卒業演奏会で演奏されたハチャトゥリアンに素直に憧れを感じたのを覚えています。ピアノは先輩にとって後輩である(私と同期)清水和音君が演奏していました。自分が高校3年の「卒業試験」を迎えた時期、師匠である久保田先生にハチャトゥリアンに挑戦したいと恐る恐るお伺いを立てました。てっきり「無理だからやめておきなさい」と言われると思いながら。お返事は「やってみなさい。小森谷君に楽譜、写させてもらいなさい」と言う思ってもいなかったお返事を頂きました。
 今現在でも進歩はありませんが(涙)、当時このハチャトゥリアンのような調性が判断しにくく、臨時記号の多い曲は「超」が100個以上つくほど苦手でした。そんな私がこの曲を選んだ理由はただ一つ「先輩の演奏へのあこがれ」だったとしか思えません。自宅で練習しながら、カセットテープに録音しては聞き返し、また練習しては録音し聞き返し。それまで「適当」に練習していた自分とは、まったく違う練習の質と量でした。自分の音に大声でダメ出しをすることに、母親が心配になったのか(笑)私の部屋をのぞき見していたのを覚えています。

 ピアノを和音君に快諾してもらい、卒業試験を終えました。
試験後に和音君が学生ホールで、同期の友人たちに「謙介、うまくなったよ!」と話しているのを聴いて、正直にうれしく感じました。
 試験の結果(成績)には、まったく興味がありませんでした。
それまでの自分の「演奏」と「練習」を考えれば当然のことです。
卒業試験の成績上位者数名が「卒用演奏会」に出演できることは、もちろん前年から知っていましたが自分には無関係の事でした。
 成績が手元に知らされるより先に、久保田先生のレッスン時「よく頑張ったね。卒業演奏会にあと、0.いくつだったんだよ。惜しかったね」と伝えられて驚きました。誰が?と(笑)久保田先生に褒めて頂いたのは、これが最初(で最後?)だったかもしれません。
 自分が出られるとも、出たいとも思っていなかった「卒演=卒業演奏会」当日、当時なんでも話せていた後輩女子君(彼女ではないところがミソ)と都市センターホールに…。途中で引き返したくなった私に、その後輩から「ちゃんと聴いて帰りなよ!」と叱られた記憶があります(笑)
 初めて自分の演奏と他人の演奏を「比較」して、悔しいと思ったのがこの時でした。これが第二の「ターニングポイント」だったような気がします。
 それまで、誰よりもへたな自分を安直に認め、対等どころか上を目指すこともなかった「価値観」が大きく変わりました。俗にいう言葉で言えば「やればできるかも」←かもがつく(笑)

 その後の大学での音楽生活は、自分の演奏に「自信を持つため」の練習だったように思います。そう簡単に感じられるはずもなく、常に挫折感を感じながら。
それでも高校1年生の時のような「無気力」ではなかったように思います。
 成果の出ないような練習ばかり(笑)していたような気もします。
大学4年の卒業試験で、ドボルザーク作曲のヴァイオリンコンチェルトを選びました。誰にあこがれるでもなく(笑)自分の意志で選び挑戦しました。
 卒業試験の結果は、めでたく卒演に選ばれるものでした。
という結果を知ったのが「留年決定!=卒演の出演取り消し!」が決まった卒業認定会議直後、恩師の怒鳴り声で聴いてしまうという「ドラマチック」なオチでした。
 サイテー(笑)
この留年も結果的には私が教員になる布石になりました。もし、あのまま卒業出来て卒演に出られていたら←なにを今更。教員にはならずプロオケにアシスタントコンサートマスターとして入団していたはずです。そのお話も留年と共に立ち消えました←当然(笑)結果、翌年に偶然張り出された「教員公募」に応募し、なんの間違いが?採用される運命になるわけですから、今の生活は留年がなければなかったのです!
 …と、胸を張って言えることでもなく。むしろ恥じるべきことですし、親に迷惑をかけたことを悔やみます。
 そんなわけで、生徒の皆様も「いつか」ターニングポイントがあるかもしれません。その時に「やっておけばよかった」と後悔しないためには、今練習するしかないのです。頑張れ!
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

楽譜には書かれていないこと

 映像は2014年のデュオリサイタル6、代々木上原ムジカーザで演奏した、ピアソラの「オブリビオン」ヴィオラとピアノによる演奏です。
 今回のテーマは「楽譜に書かれていること・書かれていないこと」につていです。
楽譜を良く見えなくなってから書くのもいかがなものかと(笑)思いましたが、お許しください。

 ヴァイオリンやピアノのレッスンで、楽譜に書かれている記号や指示を見落としたり、その指示通りに演奏していないことを先生に注意される…という経験はきっと誰にでもあることだと思います。それが「間違い」だと判断される場合と、間違いではないが「指示に従わなかった」と言う問題の場合があります。
 楽譜に書かれているのは?「音符・休符」以外にたくさんの情報があります。
・ト音記号・ハ音記号などの「音部記号」
・音部記号の右に書かれている「調性記号」
・その左に書かれている「拍子記号」
・音符の左側に書かれている「臨時記号」
・音符の上か下に書かれている「スタッカート」「テヌート」
・音符の上や下にある「アクセント」
・複数の運否を「弧=曲線」でつないだ「レガート=スラー・タイ」
・弦楽器の場合「ダウン・アップ」の記号
・指番号
・弦楽器の場合「弦」の指定
・音量や速度に関する記号(指示)
・表現方法などの記号
書き出したら終わらない(笑)
これらの「指示」の意味を理解できるための「知識」は必要です。
問題はここからです。
先述の「間違い」と判断されるのは、上記のすべて?なのかという事です。

 楽譜に書かれていることが、すべて作曲家の意図したもの=作曲家が書いた指示なのか?
と言う根本的な問題があります。言うまでもなく、現代使用される楽譜のほとんどは「印刷」されています。さらにその多くは「コンピューター」をワープロのように使って作られた楽譜です。
 大昔、楽譜は作曲家が「ペン」を使って手書きで書きました。スコアを書き上げた後、作曲家自身が「パート譜」を手書きした人もいるでしょうし、弟子や他人にお金を払って「代筆」してもらったものもあるはずです。
 人間が手書きで楽譜の一枚ずつを書いていた時代には「書き間違い」「写し間違い」があっても不思議ではありません。ちょっとしたインクの「にじみ」で音符が大きくなりすぎた…なんてざらにあったはずです。
 その時代に作曲された「楽譜」が現代に至るまでに「コンピューター」に入力されて印刷されるようになりました。一度、データ化された楽譜は写し間違えることなく、書き間違えることもなく複製されます。
 データを打ち込んだ人の楽譜
に生まれ変わります。つまり、私たちの使っている楽譜に書かれている情報は、誰かがコンピューターに打ち込んだ「楽譜」です。それは誰?(笑)
 楽譜に書かれているから「作曲家の指示」だと思い込みます。
手書きの時代でも、コンピューターの現代でも同じことです。
演奏者は「楽譜を信じる」しかないのです。作曲家自身が演奏するなら楽譜より「演奏した音」が正しい事にもなりますが、そうでない限りは楽譜を信じるしかありません。
 楽譜の通りに演奏していて「演奏不可能」な音が掛かれている場合も、極稀にありますが、売られている楽譜には少ないですね。
 ただ、様々な出版社の「同じ曲の楽譜」を見比べると、まったく違う音やリズムが掛かれていることは「ザラ」にあります。弓付け(ダウン・アップ)やスラー、指づかいに至っては「同じものはない」と言えるほどに違うのが当たり前です。ピアノの楽譜でも当たり前にあることです。
 間違いと判断されるのは?「音の高さとリズム」…それさえ、楽譜によって違う事もあるのです。装飾音に至っては「正解はない」のが「正解」です(笑)
 では、楽譜の指示は無視して練習するべきでしょうか?
ダウン・アップを間違って先生に「違う!」と言われたら「逆切れ」しましょうか?(笑)

 演奏者が自分で「もっとも良いと思う」指使い、弓使いを考えられるようになるまでには「書かれている通りに演奏する」練習を積み重ねるしかありません。
むちゃくちゃな指遣い・弓使いで、無理やり練習しても無駄な練習です。
むしろ「有害」な場合があります。レッスンで先生が支持する「音」「リズム」「指」「弓」で演奏できる技術を身に着けることが、先決です。
 そのあとで!楽譜の指示と異なった「弓」「指」で試すことができるようになります。
 音の高さやリズムを、楽譜と違う音・リズムで演奏する場合にはその根拠を説明できるだけの「演奏技術」と「知識」が必要です。そうでなければ、ただ単に「間違った」と言われるだけではなく、作曲家の意図を無視することになりかねません。

 楽譜に書かれていない情報とは?
私は楽譜の「コア」をまず考えます。装飾音やスタッカート、レガートなどをはぎ取り」音の高さと長さ(リズム)=メロディー」だけの状態にしてみます。
 その「骨格=輪郭」を練習するうちに「肉付け=色付け」をしたくなります。
少しずつ…試してはまた削り、違う色を付けてみる。
 具体的な演奏方法で言えば
・弓の場所(弓先・中央・弓元など)
・弓の圧力(アタックなど)
・弓の場所(駒の近くなど)
・弓の速さ
・ビブラートの深さ・速さ・かけ始める時間
・ポジション(使用する弦の選択)
・ひとつの音の中での「音量変化」
などです。楽譜に「フォルテ」が書いてあるから「大きく」とはずいぶん違うことがお分かりいただけるかと思います。
 最初の動画で演奏した「オブリビオン」も今演奏したら、きっと違う弓、指・音色で演奏したくなると確信しています(笑)自分では「よしっ」とその時に思ったはずなのに、あとで聴くと「ちがうなぁ」が正直なお話です。

 以前にも書きましたが、演奏家が演奏する「音楽」は作曲家の意図した音楽と違って当然です。作曲家自身が自分の作った曲=音楽を、自分の解釈だけで演奏したければ楽譜は残さないはずです。事実パガニーニはそうしていました。
 楽譜として世に出た「音楽」は演奏者の手によって「音」になります。
料理で言えば楽譜が「素材」で料理する料理人」が演奏者です。素材をどう?活かすかが演奏家の技量だと思っています。
 その演奏を聴く人が「いいなぁ=おいしいなぁ」と思ってもらえるように、研究し努力するのが演奏者=料理人です。聴く人・食べる人の好みは、全員違います。全員が「おいしい」と思う料理は存在しません。音楽も同じです。誰かが「おいしい」と言ったからおいしいと思い込んで食べるのではなく、自分にとっておいしいかどうかは「自分の感覚」がすべてです。
 楽譜を音にする「楽しさ」を感じられるようになるまで、まず楽譜の通りに演奏する練習をしましょう!「料理学校」で基礎を学ぶことは大切です。
「我流」の前に先人の考えてくれた「ひとつの方法」を出来るようにしましょう!
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

楽譜を見ながら演奏できない視力になって変わった暗譜の方法

 映像は前回のデュオリサイタル14で演奏したピアソラ作曲の「グランタンゴ」ヴィオラとピアノによる演奏です。ヴィオラのパート譜10ページを暗譜して演奏しました。実際には前年のリサイタル時に暗譜して演奏したものを練り直して演奏しました。
 ご存知のかたも多いと思いますが、私が生まれつき持っている「網膜色素変性症」と言う目の病気は、治療方法が現在なく進行性のために、中途失明する患者が最も多い「特定疾患=難病」のひとつです。4歳頃に病気に両親が気付いて以来、50数年間と言う驚異的な「遅さ」で進行を続けています。進行の速さや発症の時期は患者それぞれに全く違います。症状のひとつが「夜盲=やもう」と呼ばれる症状で薄暗い場所で物が見えないというものがあります。健常者=多くの人は、映画館に入ってしばらくすると座席が見えたりするんですよね?私たちには「真っ暗なまま」で照明が光っている事しか見えません。
 もう一つの症状は「視野狭窄=視野が欠ける」症状です。見える部分=見えなくなっていく部分は患者によって違います。「中心視野」と呼ばれる部分がかけ始めると、次第に明るさを感じにくくなります。この視野狭窄が進行することで「視力」もなくなります。今現在、私の右目は中心視野の多くが欠けています。それでも、なんとか日常生活を妻の浩子さんの介助を受けながら送れています。

 さて、今回のテーマは「暗譜の方法」です。
視力をメガネやコンタクトレンズで「矯正」して両目で0.7程度あった40歳頃までは、楽譜を見ながら演奏できました。オーケストラで「ふたりで1冊」の譜面を見ながらの演奏もかろうじて出来ていたほどです。つまり、通常のひとと同じように「楽譜を覚える」方法だったと言えます。
 そのころの私を含め、多くのひとは楽譜を「見ながら」演奏できます。
読譜=楽譜をすぐに音にする能力を身に着け「初見」でほとんどの曲を弾ける技術を音楽高校・音楽大学で身に付けます。私もできました。その技術がないと「プロ」とは認められない時代でした。
 ・初見で楽譜を見ながら「譜読み」する。
 ・難しい箇所の指使いや注意すべきことを楽譜に書きこむ。
 ・次第に楽譜を見なくても暗譜で演奏できるようになる。
これが多くの場合「暗譜のプロセス」ですよね。
 今現在、私の練習方法は…
 ・音源があれば、とにかく覚えられるまで聴く。

 ・ヴァイオリンやチェロで演奏している音源であれば、指・弓使いなども覚える。
 ・楽譜を拡大し、パソコンのモニター(27インチ)横いっぱいに表示する。
 ・B4の用紙横向きで幅いっぱいに数小節拡大コピーする。
 ・楽譜を数小節ずつ覚える際に「指・弓・音色」も考え同時に覚える。
 ・覚えたものを楽器で演奏する。
この繰り返しです。生まれつき全盲の演奏家の場合は「点字楽譜」で覚えながら演奏されます。それと大差ありません。ただ、点字楽譜の方が早く読めるような気がします(笑)私はその点字をまだ読めません。

 この暗譜方法を「物造り」に例えると、始めの段階から完成した=出来上がった状態に近いものを造り、少しずつそれを組み合わせていく方法になります。この方法では作れないものもたくさんあります。一つの例で言えば、大型ジェット機を作る方法として「エアバス社」が用いている方法です。翼、胴体、エンジンなどを違う国々で作り、出来上がった部分を集めて「組み立てる」方法です。
家で例えるなら「プレハブ工法」が近いかもしれません。現場で柱を立て、壁を作り窓やドアを付けていく在来工法と違い、短期間に現場で組みあがります。

 さて、この暗譜方法で演奏するようになってから数年経ちますが、なんといっても1曲を通して演奏できるまでに長い時間がかかることは、どうしても避けられません。楽譜を見て演奏できれば「初見」で弾ける曲を、何時間・何日・何週間もかけないと演奏できない「苛立ち」はついて回ります。「みえてりゃすぐひけるのに!」と叫びたくなる(笑)思い出せない音があれば、止まるしかありません。そのストレスは想像以上でした。
 グランタンゴを最後まで通して演奏できるまでに、2週間程度かかった気がします。10ページを数小節ずつ…かなり気が長いですよね(笑)さらに、記憶を「効率化」するために、いわゆる再現部や似たようなパッセージが出てきたときには「前と同じ」で覚えるのですが、微妙に違うことが多く。山手線状態になることも良くあります。「今、なんどきだい?」(笑)です。
 これも、浩子さんの助けと協力があって初めてできることです。
ただ不思議なことに、頭の中にある「音楽」はヴァイオリン、またはヴィオラの「音色」でつながっているらしく、ピアノで音を出してくれてもなぜか?それまでの部分と連結しないのです。おそらく音名で覚えている部分より「音色」で記憶している要素が大きいのだと思います。困ったものです。
 覚えてしまえば、かなり安定して記憶を呼び出せます。それは今までよりも良いことだと思っています。楽譜ではなく「音楽」の演奏を記憶しているのかも知れません。

 できないわけではないはずですが、現在の私に浩子さん以外の人との「アンサンブル」は考えられません。迷惑をかけたくないという気持ちが先に立つからです。学生時代、オーケストラでストラビンスキーの「春の祭典」も暗譜して演奏していました。ただ、大学4年の時に「第九」でヴィオラのトップにしていただいた時、とにかく「弓」が覚えられずに2プルト目以後の方々に、多大なご迷惑をおかけした苦い記憶は消えません(笑)私の隣、トップサイドに山縣さゆりちゃんがいて、困った顔をしていたのも忘れられません。すみませんでした(笑)

 そんなわけで、音楽を覚える=演奏を覚えることが、演奏の手段になってから演奏中に考えることも変わったような気がします。少なくとも「楽譜」は頭にありません。昔なら今、何ページ目のどの辺りを演奏しているかを思い起こせました。それがなくなってから、音楽を「時間軸」で考えるようになったのかも知れません。視覚的な「場所」「楽譜」ではなく、一曲の中の「時間」を考えている気がします。それが良いのか?悪いのか?わかりませんが、それしかできない(笑)ので、自分の暗譜方法をさらに進化させることを考えていきたいと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

オーケストラメンバーのソロ演奏

 動画は、桐朋女子高等学校音楽科(共学)で3年間同級生だった、元男子現おぢさん(笑)チェリストの金木博幸(かなきひろゆき)君の演奏動画です。
 高校入学当時、彼は札幌から単身上京し「男子寮」とは思えない「豪邸」に暮らしていました。4人部屋、古い民家の2階部分。トイレは1階にある一か所のみ。台所健洗面所が2階に一か所。窓の外には、美しいどぶ川。夜中にうるさくしていると、一階の大家さんが電気のブレーカーを落とす。この男子寮に私は入りびたり、3年間を過ごしました。この男子寮からは、多くのソリスト、音楽家が巣立ったことも書き添えておきます。

 高校在学中から学年唯一のチェロ専攻でもあった金木君の演奏は、いやがうえにも注目されていました。当時、桐朋は「チェロの学校」と思えるほど、チェロ専攻のレベルが高く、金木君もご多分に漏れない技術でした。
 高校2年でベーシックオーケストラからレパートリーオーケストラに「昇格」し、3年であっという間にマスターオーケストラに上り詰めました。
 高校時代からカルテット(弦楽四重奏)やピアノトリオを一緒に演奏して遊んでいました。同学年の仲間、後輩ともアンサンブルを楽しみました。高校生ながらお仕事を頂き、八ヶ岳などで演奏もさせてもらいました。
 卒業後、ピアノトリオを札幌で…と言う計画が、諸々あって流れてしまって以来、一時(かなり長い期間)交友が途絶えました。
 その後、彼が留学し帰国した際に現在の東京フィルハーモニーに入団しました。主席チェリストとなってからも、ソリストとしての活動を継続していることも素晴らしいことです。

 さて、多くのプロオーケストラが国内外に存在します。
2015年現在のプロオーケストラ(室内楽団)一覧です。

【日本オーケストラ連盟加盟のプロオーケストラ】
NHK交響楽団
大阪交響楽団
日本センチュリー交響楽団
大阪フィルハーモニー交響楽団
オーケストラ・アンサンブル金沢
神奈川フィルハーモニー管弦楽団
関西フィルハーモニー管弦楽団
九州交響楽団
京都市交響楽団
群馬交響楽団
札幌交響楽団
新日本フィルハーモニー交響楽団
仙台フィルハーモニー管弦楽団
セントラル愛知交響楽団
東京交響楽団
東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
東京都交響楽団
東京ニューシティ管弦楽団
東京フィルハーモニー交響楽団
名古屋フィルハーモニー交響楽団
日本フィルハーモニー交響楽団
広島交響楽団
兵庫芸術文化センター管弦楽団
山形交響楽団
読売日本交響楽団

【日本オーケストラ連盟(準会員)のプロオーケストラ】
京都フィルハーモニー室内合奏団
静岡交響楽団
東京ユニバーサルフィルハーモニー管弦楽団
テレマン室内オーケストラ
中部フィルハーモニー交響楽団
ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団
奈良フィルハーモニー管弦楽団
ニューフィルハーモニーオーケストラ千葉
藝大フィルハーモニア管弦楽団
岡山フィルハーモニック管弦楽団
瀬戸フィルハーモニー交響楽団

【室内プロオーケストラ】 
いずみシンフォニエッタ大阪
紀尾井シンフォニエッタ東京
神戸市室内合奏団

 2022年現在、統合合併したオーケストラもありますが、ずいぶんたくさんありますよね!ただ…これだけのプロオーケストラがあっても、毎年音楽大学を卒業する弦楽器・管楽器・打楽器専攻の卒業生を受け入れられる「受け皿」にはなりません。演奏家の供給過多の状況が長く続いています。卒業生のほとんど一部、卒業後にさらに何年も「アルバイト」をしながら練習し続けても入団できない人の方が圧倒的に多いのが現実です。その意味では「選び抜かれたひとの集団」であるはずですよね?現実は?

 楽器を演奏して生活する人を「プロ」と定義するならば、クラシック音楽の世界で「オーケストラプレーヤー」と「ソリスト」が代表的なプロです。
それ以外に数人の「アンサンブル=室内楽」で生活できる人も少数います。
ソリストが一番少ないのは言うまでもありません。多くの場合、ソリストは「音楽事務所」に所属しています。事務所がコンサートを企画することもありますし、事務所が演奏の依頼を受ける窓口になりソリストを派遣する場合もあります。いずれにしても、ソリストと呼ばれる演奏家は、明らかに演奏家の「頂点」だと言えます。

 聴く人の好みとは別に、プロの世界では「集客力」が演奏者の実力になります。それはオーケストラでもソリストの場合でも同じです。有料のコンサートに、どれだけの観客を集められ、どれだけの収益をあげられるか?が問われるのがプロの世界です。広告に使う費用も含め、すべての経費よりも「収益」が多くなければ、演奏家への方種は払えません。当たり前です。
 プロオーケストラの場合、正規団員には「給与」が支払われ、エキストラには「日当+交通費」が支払われます。正規団員になれば、定年までの終身雇用をするプロオーケストラがほとんどです。その「給与」だけで生活できない額しか支払われないオーケストラも存在します。さらに正規団員数を減らし、エキストラの人数を増やすことで人件費を抑えることがプロオーケストラでは「日常的」におこなわれます。
 一言で言ってしまえば「オーケストラの多くは赤字経営」です。
演奏会に来てくれる人が年々減っています。定期会員になってくれる観客の平均年齢が上がり続けています。若い人の「クラシック離れ」が止まりません。
 それでも国内に「どんだけ~」な数のプロオーケストラが存在するのはなぜ?
需要があるのならわかりますが…。

 クラシック以外のポピュラー音楽の「ライブ」や「ドームコンサート」に、何千人、1万人規模の観客が集まる現状があります。ライブチケットの料金は安いものではありません。それでも人が集まります。アイドに特別な「個性」があるとは言い切れません。日本のオーケストラにも「個性」は感じられません。単純な話、オーケストラが多すぎることが最大の問題だと思います。
 また音楽大学も多すぎると感じています。音楽大学の質も問題です。卒業後にプロの演奏家として、十分な能力を身に着けていない若者を毎年輩出し続ける音楽大学の責任も問われるべきです。
 クラシック音楽の「プロ」を育てるために、需要=観客数に見合った数のオーケストラと卒業生を考えなければ、「プロになれない卒業生」が増え続け、観客の取り合いを続けることは変わらないと思います。
 

 最後に日本のプロオーケストラメンバーの「演奏技術」について。
正直に書けば「格差が大きすぎる」気がします。金木君のようにソリストとして通用する演奏魏zy通を持っている人が、どれだけいるでしょうか。特に「高齢の団員」に疑問を持っています。終身雇用のデメリットが表れている気がします。
 能力よりも年功序列。前回のブログ「音大教授の世代交代」と同様に、オーケストラ団員の平均年齢を下げ、定年年齢を下げ、給与をあげること。
「非正規雇用」のエキストラを減らしてやっていけるオーケストラが生き残ることが、残酷なようですがこれからのクラシック音楽業界には必要なことだと思います。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

クラシック音楽の演奏と音楽理論

 ピアノやヴァイオリンを趣味で楽しむ人たちの多くが「音楽理論」と言う言葉に聞きなじみがありません。むしろ「知らない」かたが圧倒的です。
理論と言うと「学問」とか「相対性理論」が連想されるからでしょうね。
 たとえば「ドレミファソラシド」と聴いて、あなたはどれくらいの「説明」が出来るでしょうか?それが「音楽理論」のひとつです。
 ・イタリア語の音名
 ・長音階のひとつ
 ・ハ長調(C dur・C major)の音階
 ・幹音(かんおん)のイタリア音名
他にも関連することはいくらでもあります。
あれ?小学校課中学校で習ったような気がする?
はい正解。義務教育の音楽授業で教えるべき内容は、ごく限られています。
少ない授業時間のなかの多くの時間を「歌唱」と「鑑賞」と「器楽」に費やす内容が指定されています。
音楽理論を「楽典」と言う言葉で表すこともあります。言ってみれば「音楽の知識」です。それらを子供たちに教える「時間」が足りないのが一番の理由ですが、知識より実技!と言う現場教師の意向が反映されています。
 もう一つ、例題です。
 ・四分音符と八分音符を見分けができるか五線に書けるか
 ・長さの違いを説明できるか
「そんなの習ってない」?習ったはずですが(笑)
覚えていなくても小夕学校で「合唱」や「アルトリコーダー」って、やりません弟子か?四分音符の出てこない「楽譜」はなかったはずなんです。
「聴いて覚えたから楽譜は見ていない」人がほとんどですよね?
 つまり「知識」は習っていなくても、歌ったり楽器の演奏はできる!のです。
ん?それでは、音楽理論は「不必要」なのでしょうか?
 

 ユーチューブで「音楽理論」を検索すると、大半はジャズピアノを演奏するひとのための「参考動画」です。クラシック音楽を演奏して楽しむ人を対象にしている動画はなかなか見当たりません。
 ピアノやヴァイオリンを演奏している時、「音」と「運動」だけで演奏しようとする生徒さんがたくさんおられます。気持ちは理解で済ます。
 頭から「理論を覚えなさい」とは言いません。少なくとも私たちのレッスンでは(笑)
 趣味で楽しむ人ならいざ知らず、プロの演奏家を目指す音大生が「音楽理論」を学ばずに卒業している現実があります。すべての音大ではありませんが、実技のレッスン以外は「選択」で卒業単位を修得すれば良い音大が存在します。
 何をかいわんや(涙)
楽器を演奏する人に「音楽への好奇心」がないとしたら?
そのひとの楽器演奏技術が向上することはないと断言します。
好奇心は少しずつ「膨らむ」ものです。自分の好きなことに置き換えれば、すぐに理解できます。
 ゲーム好きな子供は「攻略方法」を探します。これが好奇心です。
お酒が好きなひとは、銘柄の産地、一番合う「あて」にも好奇心を持ちます。
好奇心は言い換えれば「こだわり」です。
音楽理論=知識は、「上達の土台」になるものです。
 ただ、土台だけあっても「うわもの」である演奏技術がなければ、ただの頭でっかちですし、基礎だけで家の立っていない状態です。
 

 楽器に関する知識も好奇心が膨らめば、自然に知りたくなるはずです。
先述の通り、音楽理論は特別に難しいことばかりではありません。
たとえば、物の長さを測る単位があります。重さをはかる単位があります。
それぞれに多くの単位があります。国や職種によって変わるもの「センチ・インチ」「メートル・フィート」「グラム・ポンド」「センチ・尺間」など多くあります。
 音の長さを表す単位は「秒」ではありません。比率で表されます。
四分音符:八分音符=1:2
ご理解いただけましたか?これも音楽理論です。
「♯=シャープが付くと半音高くなる」
小学校で習ったはずです。多くのアマチュア演奏家も答えられます。
では「半音を説明して」と問われたら?
・鍵盤で一番近い「隣同士の鍵盤」との「音の高さの差」
・いオクターブを12等分したうちの、一つ分の「幅」
・全音の半分の幅
などなど。「めんどくせぇ」(笑)と主輪うかもしれませんが、これを理解しないで楽器を演奏している人は、野球のルールを知らずにボールを投げ、バットでボールを打つことを野球と言うのと大差ありません。

 音楽の知識を学ぶことは、楽器の練習とは違います。むしろ言葉や文字で、音楽の「ルール」を理解することです。音楽理論の多くは、数学的な考え方が主になります。先ほどの「比率」もそうですし、「音の高さ」「高さの差」にしても理科で習った知識が大いに役立ちます。音楽を分析する時には「文法」に近い考え方も必要です。音楽の速さを表す言葉の多くはイタリア語です。フェルマータを「程よく伸ばす」と中学で教えますが、本来の意味は「停車場」です。その意味を理解したほうが、フェルマータの「感覚」を掴めますよね。
 知識は覚えただけで使わなければ「机上の空論」です。宝の持ち腐れです。演奏に役立てるか?はその人の考え方一つです。
 ぜひ、冒頭に掲載した「楽典」を一度、読んでみてください。「専門家になるつもりはない!」と言うひとも、きっと演奏しながら「これか!」と思うことになります。「好奇心」こそが上達の秘訣です。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介
 

ヴァイオリン演奏に必要な「能力」

 映像は、斎藤秀雄氏が桐朋学園を立ち上げた頃の話を紹介している番組です。
私は斎藤秀雄氏が亡くなった翌年に桐朋に入学し、直接お会いしたことはありません。情熱を持って指導をされた音楽家だったことは感じていました。

 さて、今回はヴァイオリンを演奏しようとする人、あるいは実際に演奏している人にとって「必要な能力」について考えてみます。
 楽器の演奏に限らず、スポーツでも学問でも日常生活でも「身につける」ために必要な個別の能力があります。
 たとえばサッカーであれば、「走る」「ボールを扱う」「ルールを覚える」能力が必要ですよね。
車の運転なら「運転技術」「交通ルールを覚える」能力。
料理をするなら「調理の技術」「素材を選ぶ」「味を判断する」能力。
お医者さんなら「症状から原因を見つける」「治療する」能力が求められます。
 ヴァイオリンを演奏する時に「必要」な能力とは?

優先順位の高い順に考えます。
1.音を聴いて高さ・音色・音量を判断する能力
2.弓を使って音を出す能力(右手)
3.弦を押さえて音の高さを変える能力(左手)
4.楽譜を音にする能力
たったこれだけ!(笑)です。。どれが苦手ですか?

上記の1.の能力はヴァイオリン演奏で最も重要な「基礎」になります。
単に楽器を演奏する技術だけを身に着けようとする人がいますが、自分の音を聴いて判断する能力を「鍛える」練習が必要です。
ソルフェージュ・聴音で「耳を鍛える」ことが可能です。
生の演奏をたくさん聴くことも大切な練習の一つです。

2.と3.の能力は、弦楽器(ヴァイオリン族)特有のものです。
特に2.の弓を使う技術は「音を出す」と言う技術、そのものです。
いくら3.の左手を練習したくても「音」が出せなければ練習にもなりません。
弓を動かす運動の「大きさ」と「動かす部位」は左手に比べてはるかに大きく、複雑です。右上半身のほとんどすべての筋肉に影響されます。「右手一生」と言う人も多くいるほどです。観察する部位も多く、演奏中にまず優先的に考えるべき能力です。言うまでもなく、1.の能力「聴く」技術が不可欠です。
3.の左手をコントロールする能力は、上記の1.と2.の能力に「掛け算」されるものです。足し算ではない?音を聴く力、安定した音をだす右手の能力が少なければ、左手「だけ」の能力はありえないのです。上記の1.2.のどちらかが「0」なら左手の能力も「0」なのです。ビブラートも左手の技術ですが、これも1.2.の能力があって初めて身につく能力です。

4.の楽譜を音にする能力は、極論すればなくても上記の1.2.3.の能力があれば、ヴァイオリンをじょうずに演奏できます。事実、フィドラーと呼ばれるヴァイオリン奏者の中には楽譜を読めない人もたくさんいると聞きます。誰かと演奏するときでも、言葉と楽器で打ち合わせをすれば合奏できる「特殊な能力」です。
 楽譜を音にする能力は、ヴァイオリンを使うよりもピアノやソルフェージュで身に着ける方が短期間で効率的に練習できます。
 楽譜を音にする能力があれば、短時間で効率的に音楽を練習できます。「耳コピ」で音楽を覚えることができるのは、ある「長さ=小節数」までです。もし上記の1.の技術の中に「絶対音感」があるのであれば、この4.の能力よりも効率的です。それでも楽譜が読めた方が能率的に上達できることは事実です。

 ざっと(笑)書きましたが、これらの能力の中で、自分に足りない能力を考えることがヴァイオリン演奏技術を上達させることにつながります。
 実際、プロのヴァイオリニストであっても上記の中の「どれか」を練習していることに変わりありません。
 ヴァイオリンン以外の楽器を演奏する場合には、それぞれに違った「能力」が必要になりますが、上記の1.の能力はどんな楽器においても「不可欠」です。
すぐには身につかない能力ですが、今現在楽器を演奏している人ならだれにでも平等に身につけられる能力でもあります。あきらめずに!頑張りましょう!
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

なぜ音楽を楽しむ文化が根付かないの?

 映像は「鏡の中の鏡」と言う曲名の音楽です。曲名だけ聴いても想像できる光景があります。音楽自体も、メロディーが「裏返し」に映っているように感じます。

 今回のテーマは音楽家にとって、共通の「命題」かも知れません。
音楽家だけの努力で解決できる問題ではない部分も多くありますが、まずは私たち音楽に関わって生活している人間が考えることはたくさんあると思います。
 クラシックに限らず、音楽を聴くことが生活の中にない人が殆どです。
ヴァイオリンやピアノを習いに来ている生徒さんでさえ、普段は音楽を聴かない…好きな音楽も特にないという人が大多数です。「そんな人はコンサートに来ないんだから関係ない」では済まされない問題だと思います。

 演奏する人間にとって、聴いてくれる人がいなければ職業として成立しません。当たり前のことです。
 演奏家の多くは、幼いころから長い時間をかけて練習し、時には折れそうになる気持ちに耐えながら「勝ち残った」と言う自負がどこかにあるものです。そのこと自体は素晴らしい事でも、誰かに聞いてもらわなければ努力も報われません。評価を受けることさえ出来ません。

 私たちが生きるために必要な「衣食住」とは別の「趣味」があります。言ってしまえば「なくても生活できる」事、物です。
 「車」を例に考えてみます。興味・関心のない方も、ちょっと我慢して読んでください(笑)
移動手段としての「自家用車」は、人によって必要度が違います。都心の駅近くに住んでいるひとにとって必要度は低いはずです。家族の介護に必要なひともいます。高齢でも自家用車がなければ、生活が困難な場所に住んでいるひともいます。それらの「必要度」が低くても高くても「車が好き」な人とそうではない人がいます。
 運転することが好きなひと。磨き上げて眺めるのが好きなひと。カスタマイズして個性化することが好きなひと。オフロードを走るのが好きなひと。速い車にエクスタシーを感じるひと…などなど様々です。

 登山やキャンプが好きなひとも多いですよね。健康維持のためにというひとも含めて、アウトドアで何かをすることが趣味の人もたくさんいます。
テニスやスキー、野球やサッカーを趣味で楽しむひとたち。
囲碁や将棋を趣味にするひとたち。旅行や食べ歩きが好きなひとたち。
読書や美術館で静かに過ごすのが好きなひとたち、写真を撮影するのが好きなひと、お酒を飲むのが大好きなひとたち…
 趣味の世界は本当に幅広く存在します。それらを「職業」にする人もいます。
プロのスポーツ選手、プロの登山家、プロの棋士、プロカメラマン、旅行評論家、料理研究家、ソムリエ、美術品の鑑定士など「趣味」で楽しむ人とは明らかに一線を画す「専門家」でもあります。

 趣味にもブームがあるのは事実です。話題になったスポーツが流行るのは昔にもありました。古くはテレビで「赤胴鈴之助」が放送されると、剣道ブームが起こりました。「柔道一直線」で柔道ブーム、「アタックナンバーワン」と「サインはV」が放送されるとバレーボールがブームになりました。「巨人の星」で野球、「キャプテン翼」でサッカー。「のだめカンタービレ」で一瞬!(笑)オーケストラに注目が集まりました。

 今はテレビ離れが進み、映画も「大ヒット」が少なくなりました。
大衆音楽の業界で考えても、テレビ文化の影響が大きかった昭和の時代には「国民的アイドル」と言う言葉がありました。今やアイドルは「オタク」のひとたちの専門分野となりました。世代を超えてに流行する音楽も消えました。

 プロとして認められる「視覚」のある将棋を除き、ほとんどはプロの死角は明確ではありません。音楽で言えば演奏したり指導をして「報酬」を受け取れれば「プロ」と言えることになります。支払う側にしても基準のない演奏や指導にお金を払っていることになります。もっと厳密に言えば「演奏」だけで生計を立てられれば「演奏家」、「指導」だけで暮らせれば「指導者」だとも言えます。

 最後に上記の色々な「趣味」を分類してみます。
「屋外で楽しむ趣味」
・各種のスポーツ・登山・キャンプ・旅行・美術鑑賞・写真撮影…
「室内で楽しむ趣味」
・楽器の演奏・読書・カラオケ・囲碁将棋…

「ひとりでも楽しめる趣味」
・登山・キャンプ・旅行・楽器の演奏・読書・美術鑑賞・写真撮影…
「誰かと一緒に楽しむ趣味」
・各種競技スポーツ・登山・キャンプ・旅行・楽器の演奏・囲碁将棋…

「独学で楽しめる趣味」
・旅行・キャンプ・読書・囲碁将棋・写真撮影・美術鑑賞…
「習って楽しむ趣味」
・楽器の演奏・各種スポーツ・登山…

「初期の投資金額」
美術鑑賞<読書<旅行<囲碁将棋<スポーツ・登山・写真撮影・楽器の演奏

「楽しむ度に係る費用」
インドアの趣味<アウトドアの趣味

もちろん、上記には例外が多くあります。購入する用具や機材・楽器の金額はピンからキリ(笑)ですし、旅行先(近隣・海外)や方法(豪華客船・ヒッチハイク)でも違います。
 楽器の演奏に注目して考えると、
「室内で楽しめる」
「ひとりでも誰かとでも楽しめる」
「初期投資は必要(金額は様々)」
「習うための費用が必要(レベルによる)」
「子供でも高齢者でも楽しめる」
など、他の趣味と比較しても、多くの面で「誰でもいつでもどこでも長く楽しめる」趣味だと言えます。「楽器が高い」と言う先入観、さらに習うのにお金がかかり、習いに行くのが大変…がマイナスイメージですね。
 多くの人が自分の趣味にかける「お金」には寛容です(笑)
家族のことになると突然厳しくなったりもします。
高額な車・カメラ・スポーツ用品・キャンプ用品などに係る金額は、楽器より高いものも珍しくありません。
国内旅行で3拍4日…飛行機とホテル・食費だけでも、一人あたり5万円では厳しいですよね?年に2回旅行すれば単純に10万円。
それぞれの「価値観」です。一概に「高い・安い」は決められません。
 楽器の演奏を趣味にする人が増えることを願う人間のひとりとして、
1.「楽器は高い」イメージの払しょく。
2.「趣味で演奏できる音楽」をプロが浸透させる。
3.習ってひける「レベル=難易度」を明確にする。
4.合奏する「受け皿=環境」を用意する。
5.親しみと憧れを感じられる「プロの演奏家」であること。
「音楽は楽しい」ことを広め、浸透させたいと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

合同演奏会(複数団体演奏)で感じること

 映像は、その昔神奈川県内の私立公立高校からの融資メンバーによる弦楽+打楽器による演奏です。毎年夏に行われている「全国高等学校文化連盟総合文化祭」…長い(笑)と言うイベントでのものです。この時は徳島県だったかな…。
多くの団体が出演する演奏会。演奏する側も見る側も、運営する側も通常の演奏会とは違う「面白さ」「大変さ」と同時に「留意点」があると思っています。
 何よりも「自分たちだけ」ではないことを、すべての出演者が同じ感覚で理解することが絶対に必要です。演奏技術の優劣、演奏人数の多い少ない、人気のあるなし(笑)などを一切排除して、すべての出演団体が「平等」でなければ合同演奏会の本質を失います。

 教員として働いていた横浜市緑区で、近隣の高校の吹奏楽・管弦楽の合同演奏会絵画行われていたころの話です。その演奏会に初めて参加した当時、私の勤務していた学校オーケストラは、まだ出来て数年目。人数も50人ほどだったと思います。生徒たちを引率し、楽器トラックを私が運転して会場入り(笑)。
決められた時間通りに、各学校が舞台でリハーサルを行い、また決められた演奏時間内で本番の演奏を行う「約束」がありました。
 そんな中で、近隣で「うまい」とされていた公立高校吹奏楽部の「顧問」が、その約束を「ガン無視」して悠然と延々とリハーサルを長時間行い、そのため開演時間は遅れ、挙句本番でもプログラムに書いていない曲まで演奏する始末。
 私の勤めていた学校以外の高校生徒たちは、「あの学校だから…何も言えない」他の顧問教員たちも「あの顧問は●●連盟のおえらいですからね…」とだんまり。許せなかった若僧の私は、公然と抗議しました。予想通り「なに?文句あるの?へ~」聴く耳持たずの変人に、それ以上話す気もなく、それ以後の演奏会では打ち合わせ時に「リハーサル・演奏時間の平等厳守」を会議に提案し以後、その学校もぶつぶつ言いながら従っていました。。ちなみにその学校吹奏楽部は、顧問が定年退職した翌年、コンクールで地区予選落ちして部員数が10名ほどに激減し舞台から消えました。

 さすがに全国でのイベントとなると…と思いきやそうでもなく(笑)
意図的にではない「アクシデント」や「運営のトラブル」でスケジュールが遅れることは仕方のないことです。一度きりのぶっつけ本番ですから当然です。
 それを考慮して自分たちのリハーサルを、短時間で終える気持ちが「マナー」だと思っていましたので、どんなに大人数で参加する時でも(確か徳島でも)私が指揮する団体のリハーサルは、前の出演団体からの「入れ替え確認」と「座る位置の確認」「演奏できるスペースがあるか確認」が終われば「次の団体との入れ替え確認」つまり、演奏はしませんでした。
 今のメリーオーケストラと「真逆」(笑)の超高速リハーサル。
回りの関係者や他校・他県の先生たちから「良いんですか?」「申し訳ない」「ありがとう」と言う言葉をかけられました。
 本番でも予定時間内ではありましたが、動画の「ヘアースプレー」を演奏する前に、チャイコフスキー弦楽セレナーデの終楽章を演奏しましたので、その曲間を1秒でも短くすることを、予め演奏する生徒たちに伝えていました。
動画の冒頭部分を見て頂くと、前曲に演奏した弦セレの拍手が鳴っている時にすでに私は演奏者の方に向き直っているのがわかります。そして、生徒たちもすぐに楽譜を入れ替えています。ヘアースプレーの出だし、チェロとコンバス、ドラムとティンパニーなので、そこだけ確認し「じゃーん」(笑)
ドラムの池上君、そのあと座り直してます(笑)

 演奏している本人たち同士が「譲り合う」気持ちは客席で聴いている人にも伝わるものです。当然のこととして、どこかの団体だけが長く演奏すれば「どうして?」と言う疑問を持つ人もいます。「うまいと思っているから?」「人数が多いから?」後味の悪い印象を残してしまいます。アマチュアのコンサートにうまいもへたもありません。人数が多ければ「すごい」と言うものではありません。
色々な演奏を楽しく「聴き比べられる」ことを第一に考えて演奏するべきです。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

世代交代しても変わらないもの

 映像はチェリスト宮田大さんのレッスン風景。
現在36歳の宮田さん。こうしてレッスンをしている内容や話し方に「世代交代」を感じます。
 習う人に「年齢」や「演奏技術」の線引きありません。習いたいと思う気持ちは、他人からの評価とは無関係です。常にだれかから「習いいたい」と思う気持ちは演奏家にとっての生命線かもしれません。
 それらの人に「教える人」にも資格や基準はありません。伝えたい、残したいと思う気持ちがある人=指導者と、その人から何かを学びたい、吸収したいと思う人=弟子の「信頼関係」がなければ、なにも伝わることはありません。

 私たち60代が若い頃に受けたレッスンと、現代のレッスンは何が変わり、何が変わらないのか。
 当然のこととして、ある時代に「生きる人たち」は色々な世代・立場です。
社会全体、あるいは国内での人々が求める物も違います。
音楽以外の例で言えば、日本国内で美無教育を受ける子供たちへの「教育・しつけ」に対する大人の考え方の「変化」です。いわゆる「ブラック校則」が当たり前だった時代がありました。教師と児童・生徒とのかかわり方も変わり、学校と保護者の関係も変わりました。それこそが社会の変化だと思います。
 何が正しいのか?という基準も変わります。大きな変化は少子化と学校の増加です。音楽教育の世界にもその波と無関係ではありません。
「サマーキャンプ・音楽祭」と呼ばれるイベントは昔からありました。
公開レッスンも私が学生時代から頻繁に行われています。
 海外の演奏家や指導者が来日し演奏するのも、当たり前のことになりましたし、著名な演奏家が在京の音楽大学で「常勤」していることも珍しくなくなりました。
 海外の音楽学校に留学するのが、大変だった時代もありました。その当時の為替を考えても、1ドル=360円だったわけでどれほど大変だったかを考える参考になります。

 音楽教育もグローバル化しています。どこにいても、世界的な演奏者の指導が受けられます。海外のオーケストラの日本公演も「希少価値」はなくなりました。そんな現代のレッスンです。指導する人間の「質=内容」も変わってきました。
 演奏家自身が自分のファンを増やすためにも、レッスンの場を増やすことは有意義です。「人間」としての魅力が第一に酔われる時代ともいえます。
ただ演奏がうまい…だけでは、人としての無力とは言えません。レッスンを受けた人の「印象」が悪ければ、指導者としてだけでなく演奏家としても嫌われる時代でもあります。
 椅子にふんぞり返ってレッスンをするのが裕rされた時代から、本気で弟子に向きあえる指導者が求められている時代になりました。
 これからの日本音楽界を支えるのは、宮田大さんの世代の人たちです。
暖かく見守りたいと思うのでした。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介
 
 

アマチュアオーケストラの席順って何?

 上の表は「メリーオーケストラ極秘文書」(笑)冗談です。
お名前は「かりのおなまえ」です。その横にある数字(小数点)は、ヴァイオリンのバートと席順=座る位置を表しています。
たとえば「1.03」の最初の」1」はヴァイオリンのパート=1がファーストヴァイオリンで2がせKんどヴァイオリンを示しています。
その右の「.03」は3番目の席順を表します。
一番上の行の「前半1曲目」からアンコールまでの一覧表です。
じっくり見ていいると…目がチカチカしますよ。いや、一人ずつ見てみると気づくことがありますか?(テストみたい(笑))
たとえば、一番上にいる「ゆかさん」は、前半がファースト、公判がセカンドです。さらに、前半の1曲目は「1.01」なのでファーストヴァイオリンのトップに座ります。いわゆる「コンサートマスター」の位置です。前半2曲目になると、ゆかさんは「1.10」に移動します。おお!大移動(笑)
 おや?気が付いた人がいるかな?
「えりかさん」「みずきさん」「くららさん」「あやさん」
ずっと同じ数字!「ひいきだ!」(笑)この4名が、メリーオーケストラのヴァイオリン指導スタッフなんです。「野村謙介はさぼるのか!」はい。私、一応指揮などをしている手前、ヴァイオリンだけの面倒は見られません。
なぜ?4人も?実際、毎月4名の方が来られるわけではないのです。皆さんお忙しいので、誰か一人でも来てもらえるようにとの配慮です。本番で演奏して頂く席順は決めてありますが練習時はどのパートも指導してもらいます。

 この席順を決めているのは?
すべて私の独断です。誰にも相談もしませんし突然、会員にお伝えします。
「独裁者だ!」「ぷーさ(ち)んだ!」なんとでも行ってくださいませ(笑)
目的があります。ヴァイオリンのメンバーに、1回の演奏会で、出来るだけ色々な「体験」をしてもらうためです。
プロのオーケストラの場合に席順は「演奏技術の序列」を表します。
ファーストヴァイオリン>セカンドヴァイオリン
席順の2番>3番
ちなみに、コンサートマスターは「契約団員」です。他の団員と違い「1年(あるいは2年)契約」で更新をしなければ他のコンサートマスターに変わります。給料も一般の団員と比べはるかに高額です。休みも多い。さらに数名のコンサートマスターの中でも「序列」があります。それがプロの世界です。

 アマチュアオーケストラの中で、序列を決めることについて、私の考えを書きます。
20年間、中学・高校のオーケストラを作り育てた経験でわかったことでもあります。
「メンバーの向上心を高めるために序列は必要か?
これは、テストの成績を貼り出す方法についてと同じ問題です。
テストの「上位者」だけを貼り出す場合、それがやりがい=向上心につながる一面は確かにあります。全員の成績序列を貼り出すとしたら?向上心を高める効果より「みせしめ」の意味になります。成績が悪かった生徒にとっては、まるで公開処刑です。
 オーケストラのパート分け、席順をプロのように演奏技術の序列で決めたら?
これも、公開処刑になります。なぜなら、前の方で演奏していメンバーは「きっと上手」で後方のセカンドの人は「へたくそだから、あそこなのか」と客席に示していることと変わりありません。
 これでメンバーの向上心が高くなる?いいえ。ありえません。20年間の教員生活の間に、試したこともあります。逆効果です。人間関係を壊す結果以外になにも生まれません。

 以前書いたかもしれませんが、部活オーケストラで私が実践した「向上心を竹mる」手法を一つご紹介します。
 1.パートと席順を、学年や経験に関係なく「抽選」で決める。
 2.その結果、自分のパートや席順より「前=ファーストの1番など」で演奏したい場合は、その位置にいるメンバーに「公開オーディション」を申し込む
 3.申し込めるのは「同学年」または「上級生」に限り、下級生に対しては申し込めない。
 4.自分の位置から「後方=セカンドの一番後ろなど」への申し込みはできない。
 5.公開オーディションの判定は、指揮者(私)一人の判断で行う。
 6.オーディションの結果によって、二人のパート・席順は「そのまま」か「入れ替え」のどちらかになる。
 7.一人のメンバーは同じメンバーに複数回、挑戦できない。
どうですか?試してみませんか?(笑)特許申請はしていませんので、ご自由にお使いください。

 最後にアマチュアオーケストラにおけるコンサートマスターの役割と席順について考えを書きます。
 結論から言えば、「演奏前のチューニングの仕切り」をすることさえ、アマチュアには難しいことだということです。
アマチュアオーケストラのコンサートマスターをプロの演奏家に移植する方法もありますが、私は否定的です。むしろアマチュアのできる範囲のことで良いと思っています。ちなみに、メリーオーケストラの演奏会で「コンサートマスター」の場所に座る会員のチューニングは(実は全メンバー)ステージに出る直前に、私やプロの指導者がチューニングしています。ステージでは「A」を出しているだけです。(笑)それでも役目は果たせます。
 セカンドを演奏する方が難しい場合も多くあります。逆の場合もあります。
前方で演奏すると後ろからも音が聞こえます。その代わり、自分のパートの「弓」を見る「前の人」がいませんから怖いのです。後方で演奏するヴァイオリンは、前の人の弓を見ることができるので、アップ・ダウンの間違いは減らせますが、後ろから音がしないので不安になります。
 どこで演奏数か?によって、色々な違いがあるのです。難しさの種類も違います。それを体験することも、アマチュアの楽しみ方の一つです。
 単純に演奏のクオリティを高めるだけがアマチュアオーケストラの目指すものではありません。それを前提にして、パートや席順を考えるのが「指導者」の責任だと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト・指揮者 野村謙介