楽譜を見ながら演奏できない視力になって変わった暗譜の方法

 映像は前回のデュオリサイタル14で演奏したピアソラ作曲の「グランタンゴ」ヴィオラとピアノによる演奏です。ヴィオラのパート譜10ページを暗譜して演奏しました。実際には前年のリサイタル時に暗譜して演奏したものを練り直して演奏しました。
 ご存知のかたも多いと思いますが、私が生まれつき持っている「網膜色素変性症」と言う目の病気は、治療方法が現在なく進行性のために、中途失明する患者が最も多い「特定疾患=難病」のひとつです。4歳頃に病気に両親が気付いて以来、50数年間と言う驚異的な「遅さ」で進行を続けています。進行の速さや発症の時期は患者それぞれに全く違います。症状のひとつが「夜盲=やもう」と呼ばれる症状で薄暗い場所で物が見えないというものがあります。健常者=多くの人は、映画館に入ってしばらくすると座席が見えたりするんですよね?私たちには「真っ暗なまま」で照明が光っている事しか見えません。
 もう一つの症状は「視野狭窄=視野が欠ける」症状です。見える部分=見えなくなっていく部分は患者によって違います。「中心視野」と呼ばれる部分がかけ始めると、次第に明るさを感じにくくなります。この視野狭窄が進行することで「視力」もなくなります。今現在、私の右目は中心視野の多くが欠けています。それでも、なんとか日常生活を妻の浩子さんの介助を受けながら送れています。

 さて、今回のテーマは「暗譜の方法」です。
視力をメガネやコンタクトレンズで「矯正」して両目で0.7程度あった40歳頃までは、楽譜を見ながら演奏できました。オーケストラで「ふたりで1冊」の譜面を見ながらの演奏もかろうじて出来ていたほどです。つまり、通常のひとと同じように「楽譜を覚える」方法だったと言えます。
 そのころの私を含め、多くのひとは楽譜を「見ながら」演奏できます。
読譜=楽譜をすぐに音にする能力を身に着け「初見」でほとんどの曲を弾ける技術を音楽高校・音楽大学で身に付けます。私もできました。その技術がないと「プロ」とは認められない時代でした。
 ・初見で楽譜を見ながら「譜読み」する。
 ・難しい箇所の指使いや注意すべきことを楽譜に書きこむ。
 ・次第に楽譜を見なくても暗譜で演奏できるようになる。
これが多くの場合「暗譜のプロセス」ですよね。
 今現在、私の練習方法は…
 ・音源があれば、とにかく覚えられるまで聴く。

 ・ヴァイオリンやチェロで演奏している音源であれば、指・弓使いなども覚える。
 ・楽譜を拡大し、パソコンのモニター(27インチ)横いっぱいに表示する。
 ・B4の用紙横向きで幅いっぱいに数小節拡大コピーする。
 ・楽譜を数小節ずつ覚える際に「指・弓・音色」も考え同時に覚える。
 ・覚えたものを楽器で演奏する。
この繰り返しです。生まれつき全盲の演奏家の場合は「点字楽譜」で覚えながら演奏されます。それと大差ありません。ただ、点字楽譜の方が早く読めるような気がします(笑)私はその点字をまだ読めません。

 この暗譜方法を「物造り」に例えると、始めの段階から完成した=出来上がった状態に近いものを造り、少しずつそれを組み合わせていく方法になります。この方法では作れないものもたくさんあります。一つの例で言えば、大型ジェット機を作る方法として「エアバス社」が用いている方法です。翼、胴体、エンジンなどを違う国々で作り、出来上がった部分を集めて「組み立てる」方法です。
家で例えるなら「プレハブ工法」が近いかもしれません。現場で柱を立て、壁を作り窓やドアを付けていく在来工法と違い、短期間に現場で組みあがります。

 さて、この暗譜方法で演奏するようになってから数年経ちますが、なんといっても1曲を通して演奏できるまでに長い時間がかかることは、どうしても避けられません。楽譜を見て演奏できれば「初見」で弾ける曲を、何時間・何日・何週間もかけないと演奏できない「苛立ち」はついて回ります。「みえてりゃすぐひけるのに!」と叫びたくなる(笑)思い出せない音があれば、止まるしかありません。そのストレスは想像以上でした。
 グランタンゴを最後まで通して演奏できるまでに、2週間程度かかった気がします。10ページを数小節ずつ…かなり気が長いですよね(笑)さらに、記憶を「効率化」するために、いわゆる再現部や似たようなパッセージが出てきたときには「前と同じ」で覚えるのですが、微妙に違うことが多く。山手線状態になることも良くあります。「今、なんどきだい?」(笑)です。
 これも、浩子さんの助けと協力があって初めてできることです。
ただ不思議なことに、頭の中にある「音楽」はヴァイオリン、またはヴィオラの「音色」でつながっているらしく、ピアノで音を出してくれてもなぜか?それまでの部分と連結しないのです。おそらく音名で覚えている部分より「音色」で記憶している要素が大きいのだと思います。困ったものです。
 覚えてしまえば、かなり安定して記憶を呼び出せます。それは今までよりも良いことだと思っています。楽譜ではなく「音楽」の演奏を記憶しているのかも知れません。

 できないわけではないはずですが、現在の私に浩子さん以外の人との「アンサンブル」は考えられません。迷惑をかけたくないという気持ちが先に立つからです。学生時代、オーケストラでストラビンスキーの「春の祭典」も暗譜して演奏していました。ただ、大学4年の時に「第九」でヴィオラのトップにしていただいた時、とにかく「弓」が覚えられずに2プルト目以後の方々に、多大なご迷惑をおかけした苦い記憶は消えません(笑)私の隣、トップサイドに山縣さゆりちゃんがいて、困った顔をしていたのも忘れられません。すみませんでした(笑)

 そんなわけで、音楽を覚える=演奏を覚えることが、演奏の手段になってから演奏中に考えることも変わったような気がします。少なくとも「楽譜」は頭にありません。昔なら今、何ページ目のどの辺りを演奏しているかを思い起こせました。それがなくなってから、音楽を「時間軸」で考えるようになったのかも知れません。視覚的な「場所」「楽譜」ではなく、一曲の中の「時間」を考えている気がします。それが良いのか?悪いのか?わかりませんが、それしかできない(笑)ので、自分の暗譜方法をさらに進化させることを考えていきたいと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

ヴァイオリン演奏に必要な「能力」

 映像は、斎藤秀雄氏が桐朋学園を立ち上げた頃の話を紹介している番組です。
私は斎藤秀雄氏が亡くなった翌年に桐朋に入学し、直接お会いしたことはありません。情熱を持って指導をされた音楽家だったことは感じていました。

 さて、今回はヴァイオリンを演奏しようとする人、あるいは実際に演奏している人にとって「必要な能力」について考えてみます。
 楽器の演奏に限らず、スポーツでも学問でも日常生活でも「身につける」ために必要な個別の能力があります。
 たとえばサッカーであれば、「走る」「ボールを扱う」「ルールを覚える」能力が必要ですよね。
車の運転なら「運転技術」「交通ルールを覚える」能力。
料理をするなら「調理の技術」「素材を選ぶ」「味を判断する」能力。
お医者さんなら「症状から原因を見つける」「治療する」能力が求められます。
 ヴァイオリンを演奏する時に「必要」な能力とは?

優先順位の高い順に考えます。
1.音を聴いて高さ・音色・音量を判断する能力
2.弓を使って音を出す能力(右手)
3.弦を押さえて音の高さを変える能力(左手)
4.楽譜を音にする能力
たったこれだけ!(笑)です。。どれが苦手ですか?

上記の1.の能力はヴァイオリン演奏で最も重要な「基礎」になります。
単に楽器を演奏する技術だけを身に着けようとする人がいますが、自分の音を聴いて判断する能力を「鍛える」練習が必要です。
ソルフェージュ・聴音で「耳を鍛える」ことが可能です。
生の演奏をたくさん聴くことも大切な練習の一つです。

2.と3.の能力は、弦楽器(ヴァイオリン族)特有のものです。
特に2.の弓を使う技術は「音を出す」と言う技術、そのものです。
いくら3.の左手を練習したくても「音」が出せなければ練習にもなりません。
弓を動かす運動の「大きさ」と「動かす部位」は左手に比べてはるかに大きく、複雑です。右上半身のほとんどすべての筋肉に影響されます。「右手一生」と言う人も多くいるほどです。観察する部位も多く、演奏中にまず優先的に考えるべき能力です。言うまでもなく、1.の能力「聴く」技術が不可欠です。
3.の左手をコントロールする能力は、上記の1.と2.の能力に「掛け算」されるものです。足し算ではない?音を聴く力、安定した音をだす右手の能力が少なければ、左手「だけ」の能力はありえないのです。上記の1.2.のどちらかが「0」なら左手の能力も「0」なのです。ビブラートも左手の技術ですが、これも1.2.の能力があって初めて身につく能力です。

4.の楽譜を音にする能力は、極論すればなくても上記の1.2.3.の能力があれば、ヴァイオリンをじょうずに演奏できます。事実、フィドラーと呼ばれるヴァイオリン奏者の中には楽譜を読めない人もたくさんいると聞きます。誰かと演奏するときでも、言葉と楽器で打ち合わせをすれば合奏できる「特殊な能力」です。
 楽譜を音にする能力は、ヴァイオリンを使うよりもピアノやソルフェージュで身に着ける方が短期間で効率的に練習できます。
 楽譜を音にする能力があれば、短時間で効率的に音楽を練習できます。「耳コピ」で音楽を覚えることができるのは、ある「長さ=小節数」までです。もし上記の1.の技術の中に「絶対音感」があるのであれば、この4.の能力よりも効率的です。それでも楽譜が読めた方が能率的に上達できることは事実です。

 ざっと(笑)書きましたが、これらの能力の中で、自分に足りない能力を考えることがヴァイオリン演奏技術を上達させることにつながります。
 実際、プロのヴァイオリニストであっても上記の中の「どれか」を練習していることに変わりありません。
 ヴァイオリンン以外の楽器を演奏する場合には、それぞれに違った「能力」が必要になりますが、上記の1.の能力はどんな楽器においても「不可欠」です。
すぐには身につかない能力ですが、今現在楽器を演奏している人ならだれにでも平等に身につけられる能力でもあります。あきらめずに!頑張りましょう!
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

練習中と本番中の「頭の中」

 映像は、アンドレ・ギャニオンの「めぐり逢い」をヴィオラとピアノで演奏したときのものです。なぜか…再生回数が多くて驚いています。

 今回のテーマは「頭の中」つまり、演奏者が「考えていること」について。
人によって違うのは当然ですが、多くのアマチュアヴァイオリニストの人たちとレッスンを通して、演奏しながら考えていることを確かめてきた経験と、自分の練習中と本番中に考えていることの「違い」を基に書いていきます。

 練習をしている時に考えていることは?
・リズムや音程(ピッチ)が正しいか?
・音色と音量が思った通りに弾けているか?
・間違ったり納得できない箇所の原因は何か?
・無意識のうちに姿勢や構え方が崩れていないか?
色々と考えていますが、自分を「観察」することがメインです。
いかに自分の音、音楽、演奏姿勢を「他人の耳と目」になって観察できるか?がポイントです。現実にはできないことですが、自分の音と姿を離れた場所から冷静に観察する「もう一人の自分」を作ることです。
 練習は「できるまで」続けることですが、何を?どのように?出来るようにしたいのかを、手探りしながら繰り返す「根気」が不可欠です。もう一人の自分=練習中の先生は、興奮せず・妥協せず・結果を焦らない先生が理想ですよね。
「ダメ!」「ダメ!」だけで熱くなっても効率は下がるだけ(笑)
「もうその辺でいいんじゃない?」と言うアマアマな先生も困りもの。
「できないならやめたら?」と言う短気な先生には習いたくないでしょ?
練習中に考える時には、冷静さと根気が必要です。

 では、演奏会やレッスンの時に考えることは?
多くの生徒さんが「家で練習していると、時々すごくうまくひける」とおっしゃいます。また、発表会などでは「全然、普段通りにひけなかった!」ともいわれます。どちらも「ごもtっとも!」だと感じます。むしろ、それが当たり前です。
 練習している時には、観察し修正することを繰り返しています。
レッスンや演奏会では、修正も繰り返すこともできないのです。観察だけは「出来てしまう」のですから、ストレスになるのは仕方ありません。
 緊張するなと言っても無理です。良い緊張は必要です。演奏中に「おなかがすいた…」と思った瞬間に暗譜が消えた経験のある私が言うので、たぶん緊張は必要です(涙)
 普段練習している時と、環境が違う場所で「一度でうまく弾こう」と思うのですから、冷静さがなくなるのは自然なことです。それをいかに?コントロールするかが一番重要です。

 何も考えずに演奏することは不可能です。普段、考えてもいない「作曲家の魂」をいくら思い浮かべようとしても無意味です(笑)では、なにを?頭で考えるべきなのでしょうか?
 私の経験で言えるのは「いつもより優しい先生がアドヴァイスをくれている」イメージを持つことです。演奏し始める時も演奏中も、いつもと同じ「もう一人の自分」が自分を助けてくれる・演奏をほめてくれる・失敗をしても優しく励ましてくれる「イメージ」です。
 自分の意識の「中と外」の両方が存在します。考えている「つもり」の事が意識の中です。考えなくても身体が動くのが意識の「外」です。
 私たちは日々の生活の中で、この中と外を実に頻繁に使い分けています。
 ついさっき、外したメガネを「どこに置いたっけ?」と探す私は、意識の外でメガネをどこかで外して置いています。
 意識の中で行動することを繰り返して初めて「意識の外」つまり無意識に動けるのが人間です。
 練習中にはできる限り、運動を意識の中に入れて繰り返すことです。考えながら演奏することです。
 本番やレッスンの時に、無意識でも指や手が動く「時間」もあります。日常生活ならば仮に思っていない運動があったとしても困らないでしょう。でも、車を運転している時、完全に無意識になれば事故の確率は間違いなく高くなりますよね。
 演奏は楽しむものです。本番で間違えないことだけを意識するよりも、もう一人の自分が、自分の演奏を楽しむ姿を想像する方が音楽に集中できるように私は思います。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

レガートに演奏するには?

 映像は、ジョン・ウィリアムズ作曲の「シンドラーのリスト」を10年ほど前に演奏した動画です。スーパーマンのテーマやスターウォーズ、インディジョーンズ、AI、ジョーズなど多くの映画音楽を手掛けたジョン・ウィリアムズの悲しいメロディー。シンプルなリズムと覚えやすい旋律の素敵な曲ですね。

 ヴァイオリンでレガート=滑らかに演奏する時の「難しさ」について考えてみます。
 一般的に楽譜に書かれている「スラー」と「タイ」の記号が同じであることは、誰でもが知っています。ところがこの記号の本来の「奏法=意味」がレガートであることを知らない生徒さんが多くいます。legato=レガートというイタリア語で、音を切らずになめらかに演奏することを指しています。
 弦楽器の場合には、この記号が付いていると「同じ方向に弓を動かし続ける」と言う運動も意味しています。例えば、下の楽譜をご覧ください。

クライスラー作曲の「美しきロスマリン」の1ページ目です。
スラー=レガートの書かれている間にある音符に、スタカート=音を短く切る記号が書かれています。この「レガート」と「スタカート」は奏法として真逆の意味になります。印刷ミス?(笑)いえいえ。
 ピアノの楽譜などにもこの二つの相反する意味の記号が同じ場所に書かれていることはよくあります。
 レガートの記号を「フレーズ」として考えることもできますが、例外的な書き方ですす。
 弦楽器の場合には、先述の通り「同じ方向に弓を動かし続け」ながら「音を短く切る」事を示しています。アップで演奏擦り場合は「アップスタカート」ダウンでいくつもの短い音を続けて演奏する「ダウンスタカート」とも呼ばれます。
 同じような動きでも違う「奏法」を示す書き方があります。

クライスラー作曲「序奏とアレグロ」の一部。ダウンのマークが重音に連続している部分がご覧いただけます。重音に限らず、スラーとは別に同じ方向に連続して弓を動かす「指示」もあります。

 さて、レガートで音楽を演奏する場合、声楽=歌や管楽器の場合には、息を出し続けながら「切れないように」演奏することになります。管楽器なら「タンギング」は入れないはずです。言い換えれば「息が続く時間」がレガートの限界の長さでもあります。弦楽器の場合は「弓の長さ」と言うことになります。
弦楽器の場合、弓を遅く動かす時と速く動かす時で出せる音量が違います。
遅くなればなるほど、弓の圧力を弱くする必要があります。逆に言えば、遅くして弓の圧力が大きすぎれば、弦が振動できずつぶれた=汚い音になります。
 長いレガートを「フォルテ」で演奏しようとすると、圧力と弓の速度の「ぎりぎりのバランス」で弓を動かす技術が必要になります。レガートよりも音量を優先するなら「弓を頻繁に返す=反対に動かす」しか方法はありません。
 レガート=小さな音とは限りません。ピアノと一緒に演奏する場合には特に、ピアノの聴感的な音量とヴァイオリンの音量のバランスを考慮する必要があります。全弓を使いながら、元・中・先で均一な音量と音色を保つことは、弓を軽く速く動かすこと以上に高い技術を要します。スラーの中のひとつひとつの「音」に効果的なビブラートをかけることも重要なテクニックです。聴いていて不自然に感じない深さと速さのビブラートを考えながら、安定した弓の動きを保つために背中・肩・首・上腕・前腕・手首・指の連動を意識しながら、さらに滑らかな移弦に注意する。本当に難しいことだと思います。
 ゆっくりした音楽は「簡単」だと思い込まず、地道な練習を心掛けいと思います。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

半音・全音の聴感的な修正と間違ったチューナーの使い方

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 映像は「カール・フレッシュ音階教本」の1番最初に出てくる音階をピアノでゆっくり演奏している動画です。音階教本の中で「バイブル」とも考えられるこの教本、音階とアルペジオ、半音階などを徹底的に練習することが可能です。

 多くのアマチュアヴァイオリン奏者にとって「音程」「ピッチ」を正確に演奏することは大きな課題になります。当然、プロを目指す人や実際にプロになれた人間でもそれは同じことです。たくさんの生徒さんを見てきた中で、陥りやすい落とし穴とでもいうべき間違った練習方法と、本人の気付きにくい「音程感」について書きます。

 もっともよく目にするアマチュア弦楽器奏者の間違いは「チューナー」の使い方を間違っていることです。操作方法の事ではありません(笑)
 スマホのアプリにも多くの「チューナー」があります。測定精度や反応速度の優劣もありますが、使い方の問題です。
 「音を出す→チューナーを見る→修正する→次の音を出す→チューナーを見る…」を繰り返していませんか?「一音ずつ確かめている!」そんな満足感がありますが、ちょっと待った(笑)自分の耳で正しいピッチを「判断する」練習になっていませんよね?「いつか、正しいピッチを覚えられる!」いいえ(笑)それは無理です。正しいピッチや正しい音程を、自分で判断=記憶しようと思わなければ、いつまでも補助輪をつけた自転車で走っているのと同じです。いつも誰かに「修正」してもらわなければ、自分で正しいピッチを見つけられないままです。
 では正しいチューナーの使い方は?
 「開放弦の音を聴く→最初の音を出す→開放弦からの音程を耳で測る→チューナーを見る→修正する→もう一度開放弦から最初の音を探す→あっていると思ったらチューナーで確認し次の音を出す→前の音からの音程を自分で測る…」
 文章にすると長いですが要するに「自分の耳で開放弦=あっている音からの音程を測る習慣をつけ、あっていると思ってからチューナーで確かめる」繰り返しです。

 もう一つの方法です。チューナーでA=ラの音を出し続けます。
その音を聴きながら自分の音を聴いて「音程」を確かめる方法があります。

なんで?こんな面倒くさいことをお勧めするのでしょうか?
 「相対音感」の人がほとんどだからです。

 以前のブログでも書きましたが、絶対音感を持っている人はごくわずかです。
Youtubeの中に「怪しげな絶対音感」のことを「絶対音感」と紹介している人がいますが、私の言う絶対音感は「442ヘルツと440ヘルツを聞きわけられる・言われた音名の音を正確に歌える」音感です。この音感があれば、弦楽器の演奏で自分の出している音の高さに疑問を持つことはあり得ません。そんな便利な音感のない「私」を含めた多くの人は「相対音感」で音の高さを考えています。
 「ある音」からの「幅=高さの違い」で次の音の高さを見つる音感です。
チューナーは「絶対音感を持っている人」の耳と同じです。もうお分かりですよね?相対音感の人が、絶対音感を持つ人の「真似」をしても絶対音感は身につかないいのです。「そんなバカな」と言う人のために(笑)
たとえば「甘さ」の違う5種類の砂糖があったとします。どれも「甘い」砂糖です。絶対味覚(笑)がある人は、その一つ一つの甘さをすべて「記憶」しています。どんなに順番を入れ替えても、絶対味覚の人は、砂糖をなめた瞬間に「これは2番目に甘い砂糖です」と正解を言えます。
 相対味覚の人は?順番に二つの砂糖をなめていきながら「こっちのほうが甘い」、次にその次の砂糖を舐めて先ほどの二つの砂糖と「比較」するしか方法はありませんよね?これが「相対音感」です。正確に言えば「常に二つの違い=差を測る」ことです。一度に三つの違いを測ることは不可能です。音楽で言えば、「順番に二つの音の高さの差を測る」ことです。

 音階を練習する「目的」があります。一番大きな目的は「1番目と2番目、2番目と3番目…の高さの幅=音程を正確にする」ことです。もちろん綺麗で均一な音を出し続けるボウイングが求められます。音色と音量が揺れてしまえば正確な音程やピッチは測れません。2本の曲がった線同士の幅を測れないのと同じです。まっすぐな音を出しながら、音と音の「幅」を確かめる練習です。
 次の音名に変わることを「順次進行」と言います。上行も下降もあります。
隣同士の「ド→レ」も「レ→ド」も順次進行です。音階の場合、和声短音階の場合だけ「増二度=全音+半音の幅」がありますが、その他は「全音=長二度」か「半音=短二度」の順次進行です。まずはこの「目盛り」にあたる幅を正確に覚えることが「正確な相対音感」を身に着けるための必須練習です。
「簡単だよ」と思いますよね?(笑)いいえ。これが本当に正確にできるなら、その他の音程も正確に測れるはずなのです。嘘だと思ったら(笑)、あなたはゆっくり上記の音階を演奏し、誰かにチューナーで一音ずつ見ていてもらうか、そのチューナ-映像とあなたの音を同時に「撮影」してみてください。すべての順次進行「上行」「下降」がぴったり平均律で弾けるなら相当な相対音感の持ち主です。

 相対音感の人間は「音が上がる」と時と「音が下がる」時の「二音感の幅」が違って聞こえることがあります。それは「メロディー」として聴こえるからです。階段を上がる、下がるのと同じです。階段の幅が同じでも上がる時と下がる時で幅が違うように感じます。
 特に「半音=増一度・短二度」の幅はえてして「狭く」してしまいがちです。
相対音感の人にとって「少し高くなる」のと「少し低くなる」のが半音です。
この「少し」の感覚が決定的な問題なのです。一番狭い目盛りが狂っていたら?定規になりません。
 練習方法として、
A戦で「0→1→2→3→2→1→0」の指使いで以下の3通りをひいてみます。
①「ラ→シ→ド♮→レ→ド♮→シ→ラ」
②「ラ→シ→ド♯→レ→ド♯→シ→ラ」
③「ラ→シ→ド♯→レ♯→ド♯→シ→ラ」
できるだけゆっくり。特に次の音との「幅=高さの差」を意識して練習します。
これは、4の指を使う以前に半音と全音の正しい距離をつかむ練習になります。

 次に3度以上の音程=全音より広い幅を練習するときの注意です。
・1本の弦上で、1から4の指で4つの音が出せる原則を忘れない
・1と2、2と3、3と4の3か所をすべて「全音」にする「像4度」が最大の幅
例 1全音2全音3全音4=増4度 シ♭ド♮レ♮ミ♮など。
・上記3か所のうち、どこか1か所を半音にすると「完全4度」の音程になる
例1..1半音2全音3全音4=完全4度 (シ♮ド♮レ♮ミ♮など)
例2.1全音2半音3全音4=完全4度 (シ♮ド♯レ♮ミ♮など)
例3.1全音2全音3半音4=完全4度 (シ♮ド♯レ♯ミ♮など)
・上記3か所のうち、2か所を半音にすると「減4度」=「長3度」の音程になる。
例1.1半音2全音3半音4=減4度 シ♮ド♮レ♮ミ♭など。
例2.1半音2半音3全音4=長3度 シ♮ド♮ド♯レ♭など。

 次のステップで「移弦を伴う全音と半音」の練習をしましょう。
一番最初に、解放弦から全音下がって戻る練習
・E線0(ミ♮)→A線3(レ♮)→E線0(ミ♮)
・A線0(ラ♮)→D線3(ソ♮)→A線0(ラ♮)
・D線0(レ♮)→G線3(ド♮)→D線0(レ♮)
弦が変わると音色が変わるため、感覚的な「ずれ」が生じます。
もちろん、解放弦を使わず「4」の指を使えば、同じ弦ですがあえて「移弦」する練習も必要です。指の「トンネル」が出来なくても、まずはこの音程を覚えるべきです。

 最後はポジション移動を含む「全音・半音」です。
実は一番上のカール・フレッシュの画面は、G線だけで演奏する前提です。
つまり「ポジション移動ができる人」のための練習です。そうなると突然難易度が上がりますね(笑)ポジションで言えば、サードポジションから始まり、第5ポジションを経過して、第7ポジションまで上がりまた、戻ってきます。
 指使いで言えば、2→1で「レ→ミ」と全音上がります。ポジションが変わっても、弦が変わっても「音程=高さの差」は変わらないのです。それを耳で覚える練習が音階の練習です。

 半音のことを、短2度と言うほかに「増1度」とも言います。
ド♮→ド♯は「増1度」で「半音」です。短2度とは言いません。
ド♮→レ♭は「短2度」で「半音」です。増1度とは言いません。
…要するに(笑)音の名前と「半音・全音」の関係の両方を理解する必要があるのです。
 指使いで思い込むこともあります。例えばA線のド♯を見たら「2」の指で押さえたくなりますよね?同じA線のレ♭を見たら「3」の指が動きませんか?
どちらも同じ「高さ=ピッチ」の音です。もしもA線のド♮から弾けば、どちらも「半音」ですが使う指がきっと違います。おそらくド♮→ド♯は「狭く」なりすぎ、ド♮→レ♭は「広く」なりすぎる人が多いと思います。

 音階の練習はすべての練習の基本と考えられています。
言い換えれば、どんな音楽を演奏するのであっても、音階を正確に弾く技術が必要だということです。音階は下手で音程が正しいという人はいません。
音階を聴けばその人の「性格」が見えます。正確に美しく弾くことを大切にしているか?テキトーに演奏しているのか?判断できます。
 音を出して楽しむ「だけ」で終わるなら必要のない技術・能力です。
少しでも「うまくひきたい」と思うのであれば、半音と全音を正確にひけるように頑張りましょう!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介


 

1(単音)+1(単音)=∞(重音)

 映像は、ドボルザーク作曲、クライスラー編曲の「スラブ舞曲第2番」です。
和音の定義は「二つ以上の異なった高さの音が同時に鳴った時の響き」です。
「ドミソ」や「ドファラ」のようにきれいに響く和音に限らず、半音違う高さの音が二つの音が鳴っていれば「和音」です。同時に発音しなくても=途中から重なって二つになっても、和音です。
言い方を変えれば、同じ高さの音がいくつなっていても、和音ではありません。

 ヴァイオリンの演奏技法のひとつに、この和音を演奏する技法があります。
「重音」と言う言い方をすることがあるのですが、先述の通り「同じ高さの2音」を同時に演奏しても和音ではないので、ヴァイオリンの開放弦と同じ高さの音を「左側の弦」で、開放弦と一緒に演奏する場合「和音」ではなく「重音」と言うのがふさわしいのかな?と私は思っています。2本の弦で同じ高さの音を演奏すると、明らかに1本の時とは違った音色になります。
 さらに厳密な事を言えば、1本の弦を演奏している時にでも、他の3本の弦が共振していますから、音量の差が大きいものの、常に「和音」を演奏している事にもなります。

 さて、私も含め多くのヴァイオリンを練習する生徒さんがこの「重音」の演奏に苦労します。
ピアニストが同時に4つ、時には5つ以上の和音を連続して演奏する「超能力」は凡人のヴァイオリニスト・ヴィオリストにはありません。
 たかが!二つの音を続けて演奏するだけなのに、どうして?難しいのでしょうか?ピアニスト、管楽器奏者、指揮者にも知って頂ければ、救われる気がします笑。

・弓の毛が常に2本の弦に、同じ圧力で「触れる」傾斜と圧力を維持すること。
・左手の指が「隣の弦」に触れないように押さえること。
・2つの音の高さを聴き分ける技術と、和音の響き=音程を判断する技術。
・連続した和音の「横=旋律」と「縦=和音の音程」を同時に判断する技術。
・ピアノの「和音」とヴァイオリンのピッチを合わせること。
・指使い=同時に弾く2本の弦の選択を考えること。
・重音でのビブラートを美しく響かせる技術。
その他にも、片方の弦を鳴らし続け、もう一方の弦を「断続的に弾く」場合など、さらに難しい技術が必要になる場合もあります。

 特に私が難しいと感じるのは、2本の弦を同時に演奏したときの「和音の音色」が単音の時と、まったく違う音色になる「不安」です。
特に、一人で練習して「あっている」と思う音程=響きが、ピアノと一緒に演奏したときに「全然あっていない」と感じる落ち込み(涙)
 生徒さんの「和音のピッチ」を修正する時にも、「上の音が高い」とか「下の音を下げて」とか笑。生徒さんにしても頭がこんがらがります。
初めて重音を演奏する生徒さんの多くが、弓を強く弦に押し付けて=圧力を必要以上にかけて、2本の弦を演奏しようとします。理由は簡単です。そうすれば、多少弓の傾斜が「ずれても」かろうじて2本の弦に弓の毛が触る=音が出るからです。弓の毛は柔らかいので、曲がります。特に、弓の中央部分に近い場所は、弓の毛の張り=テンションが弱いので、すぐに曲がります。ただ、この部分は弓の毛と、弓の棒=スティックの「隙間」が最も少ないのが正しく、無理に圧力をかけられません。初心者の多くが「弓の毛を張り過ぎる」原因が、ここにもあります。張れば張るほど、弓の持つ「機能=良さ」が失われることを忘れてはいけません。弓を押し付けなくても=小さな音量でも、重音をひき続けられる技術を練習することが必須です。

・弓を張り過ぎず、2本の弦を全弓で同じ音量で演奏する練習。
・調弦を正確にする技術。
・右隣の開放弦と左側の「1」の指で完全4度を演奏する。
・右側の開放弦と同じ高さ=完全一度の音を左側の弦で探す。
・左側の開放弦と右隣「3」の指でオクターブを見つける。
・左側の弦を2、右側の弦を1で完全4度を見つける。
・左側の弦を3、右側の弦を2で完全4度を見つける。
・右開放弦と左0→1→2→3→4の重音を演奏する。

・左開放弦と右0→1→2→3→4の重音を演奏する。
上記の練習方法は、音階で重音を練習する前の段階で、「重音に慣れる」ためにお勧めする練習方法です。
ご存知のように、1度・8度、4度・5度の音程は「完全系」と呼ばれる音程=音と音の距離です。
・空気の振動数が「1:1」なら同じ高さの音=完全1度です。
・空気の振動数が「1:2」なら1オクターブ=完全8度です。
・空気の振動数が「2:3」なら完全5度=調弦の音程です。
・空気の振動数が「3:4」なら完全4度です。
それ以外の2度、3度、6度、7度の音程に関しては、何よりも「ピアノと溶ける和音」を目指して練習することをお勧めします。
厳密に言えば、ピアノと完全に同じ高さの音で演奏し続けようとするのなら、調弦の段階で、A戦以外の開放弦は「ピアノに合わせる」ことをすすめます。
特にAから一番近い開放弦「G」の開放弦を、ヴァイオリンが「完全5度」で調弦すればピアノより「低くなる」のは当たり前なのです。
 メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲第1楽章などで、全音符以上の長さで「G線の開放弦」を演奏する曲を、ピアノと一緒に演奏するのであれば、予め調弦の段階で、ピアノの「G」に合わせておくべきです。オーケストラと一緒に演奏するなら完全5度で調弦すべきです。

 偉そうに(笑)書き連ねましたが、実際に重音を演奏するのがへたくそな私です。もとより、絶対音感のない私が、2つの音のどちらか一方の高さを「見失う」状態になれば、両方の音が両方とも!ずれてしまうことになります。
単音で演奏している時には、その他の弦の開放弦の「共振」を聴きながら音色でピッチを判断できますが、2本の弦を演奏すると音色が変わり、その共振も変わる=少なくなるために、より正確なピッチを見つけにくくなります。
 ピアノと一緒に練習することで、少しずつ正確な「和音」に近付けるように、頑張って練習しましょう!
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

ビブラートとボウイングの個性

 映像は、アンアキコ=マイヤーズの演奏する、エンニオ=モリコーネ作曲「シネマパラダイスより愛のテーマ」です。
 ドイツ人の父と日本人の母を持つアンアキコ=マイヤーズ。
多くのCDがありますが、私は「ボウイングの美しさ」と「ビブラートの柔らかさと深さ」に大きな魅力を感じています。
 演奏家にとって「個性」は演奏技術の高さと同等以上に大切なものだと思っています。ヴァイオリニストの個性は、どんな要素が考えられるのでしょうか>
 音楽の解釈という点で言えば、どんな楽器の演奏者にも共通の「個性」があります。テンポや音の大きさに対する好みでもあります。
 さらに詳細な点で考えると、楽器による違いがありますが、これは演奏者の個性とは言えないと思います。ちなみに彼女は、グヮルネリ=デルジェスの楽器を終身貸与されているそうです。彼女以前には、パールマンやメニューインも使っていた楽器だそうです。楽器の個性を引き出し、演奏者の好みの音色と音量で演奏する技術がなければ、どんな楽器を演奏しても変わりませんから、演奏者の個性だと言えないこともないですね。ただ、どんな楽器を演奏できるか?は演奏者の個性とは無関係です。

 まず第一に「ボウイング=弓の使い方」の個性があります。
楽器の弦を馬のしっぽの毛で擦るだけの「運動」ではありません。弓の使い方にこそ、演奏者の個性があります。つまり「うまい・へた」ではなく、まさしくヴァイオリニストの「声」を決定づけるのが、弓の使い方です。
音量と音色を変化させる技術を、単純に考えると
「弓を弦に押し付ける圧力」
「弓と弦の速度」
「弓を当てる弦の位置」
「弓の毛の量=倒し方」
「弓に対する圧力の方向と力の分配」
「演奏する弓の場所」
になります。たくさんありますね(笑)
まず右手の5本の指それぞれに役割を持たせることが必要です。
親指の位置、柔らかさと強さ、さらに力の角度も重要です。
人差し指の位置と場所によって、親指との「反作用」が大きく変わります。
さらに圧力の方向を、弦に対して直角にする力と駒方向に引き寄せる力の割合がとても大切です。一般に弓の「圧力」は弦に対して直角方向の力だけと思われがちですが、実際には弓の毛と弦の摩擦を利用して「駒方向への力」も必要です。
 弓を倒した状態で単純に弦に直角方向だけの力を加えれば、すぐにスティックと弦が当たってしまい雑音が出ます。しかし、倒した状態で、駒方向に引き寄せる力に分配することで、より強い摩擦を弦と弓の毛に生じさせることが可能になります。
 アンアキコ=マイヤーズが演奏中の弓を見ると、かなり倒れた状態で演奏しているのがわかります。それでも、太く柔らかいフォルテが出せるのは、彼女の「力の配分」が非常に巧妙だからだと思います。
 人差し指以外の中指・薬指・小指が、弓の細かい振動やバウンドを吸収できなければ、弦と弓の毛、スティックの「勝手な動き」をコントロールできません。
 手首、前腕、肘関節、上腕、肩関節、背中と首の筋肉が「連動」しなければ、ただ大きい、ただ小さいだけの音しか出せず、さらに「弦に弓の毛が吸い付いた音」は出せません。上記の要素をすべてコントロールするテクニックがあって、初めて「自分の好きな演奏=個性」が引き出されます。

 次に、ビブラートの個性です。
一般にヴァイオリニストのビブラートは、「あっている音=正しいピッチから低い方に向かって、滑らかに連続的に変化させる」という概念があります。
 以前のブログでも書きましたが、やたらと「細かいー速い」ビブラートで演奏するヴァイオリニストが多く、私は正直好きではありません。確かに「派手・目立つ」のは「高速ビブラート」ですが(笑)
 では遅ければ良いのか?と言うとそれも違います。アマチュアヴァイオリニストのビブラートは「うわんうわん」「よいよいよいよい」と言う表現ができる遅さで、さらに不安定です。「下がって止まる⇔上がって止まる」の繰り返し=階段状の変化もビブラートとしては「未完成」です。
 変化の量=ビブラートの深さも個性です。
演奏する場所=音によって変わりますが、いつも同じ深さのビブラートしかかけられないヴァイオリニストを多く見受けます。また、深く速いビブラートを連続するためには何よりも、手首と指の関節が「柔軟」で「可動範囲が大きい」ことが求められます。下の動画はアンアキコ=マイヤーズの演奏する、メンデルスゾーンのヴァイオリンコンチェルトです。ビブラートの多彩さと柔らかさ、さらに手釘と指の動きが如何に滑らかかよくわかります。

 ヴァイオリニストの個性は、単にうまい?へた?と言う比較では表せません。
むしろ聴く人の「好み」が分かれるのが個性です。
 アマチュアヴァイオリニストでも、プロのヴァイオリニストでもいえることは、自分の演奏にこだわりを持つことと、常に自分の演奏の課題を修正する「努力」を続けることだと思います。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

演奏者の「引き出し」

 映像は、ピアソラの単語の歴史より「カフェ・ナイトクラブ」
タンゴに限らず、日本人には馴染みのない「海外の音楽」はたくさんあります。
ウインナーワルツも私たちが感じる「リズム感」は恐らく形だけのものです。
だからと言って、日本の「民謡」だけを演奏するわけにはいきませんよね。
 演奏する人にとって、技術や知識の一つ一つは「引き出し」だと思います。
その引き出しの数と中身が多いほど、演奏者の「ボキャブラリー=語彙」が増えるように感じます。

 一曲を演奏する時に、必要な引き出しはたくさんあります。
ヴァイオリンの場合、技術の引き出しは「右手」「左手」「身体の使い方」の分類があり、さらに「指」「手首」「関節」「筋肉」「力」「呼吸」などに細かく分かれます。それぞれにさらに細かい「仕分け」があります。
 また知識の引き出しは、「作曲家」「時代」「国や地域」「民族性」「音楽の理論」などの分類があります。さらに演奏しようとする曲と似ている音楽をどれだけ知っているかと言う「演奏した曲=レパートリー」の引き出しも必要です。
 演奏の仕方を考えるうえで、他の演奏家の演奏を知っていることも、大切な引き出しです。
 自分の演奏方法、たとえば音色の「引き出し」が一つしかなければ、どんな音楽を演奏しても、同じ音色の「べた塗り」にしかなりません。まさに「色」の種類の多さです。

 感情の引き出しも必要です。「喜怒哀楽」と言う4つの大きな引き出しの他に、怒りを感じる悲しさ、微妙な嬉しさなど、複雑な感情の引き出しがあります。音の大きさが無段階であるように、感情にも複雑で繊細な違いがあります。
 一つの音を演奏する間にも、音色・音量は変えられます。言葉にするなら「単語」にあたる音楽の「かたまり」を見つけられる技術の「引き出し」も必要です。
 人間をコンピューターに例えることは無謀なことですが、人間の記憶という面で考えれば、コンピューターにも同じ「記憶メディア・記憶容量」と言う考え方があります。
 また瞬間的に考えたり反応する速度は、コンピューターの世界では「処理速度」で表され、その速度が速いほど複雑な計算を短時間で処理できます。
 人間が手足を動かす「命令」を脳が出すことを、ロボットに置き換えると、なによりも「手足」にあたる「機械=アスチュエーターの性能がまず問題です。
そして、脳にあたる「CPU=中央演算装置」から部品に電気信号が送られます。
 速く演奏することは人間にとって難しいことですが、機械にとっては一番簡単なことの一つです。一方で、人間が無意識に行っている「なんとなく」と言う事こそが、コンピューターにとって最大の壁になります。多くの情報を基に、過去の失敗や成功の結果を「記憶」から検索し、最も良いと思われる「一つの方法」を見つけるためには、私たちが使っているような「パソコン」では不可能なのです。
 ご存知のように、将棋やチェスの「コンピューターと人間の対決」で、この頃はコンピューターが勝つことが増えてきました。これは膨大な「過去のデータ=引き出し」をものすごい速度で検索し、最善の手をコンピューターが選べるようになったからに他なりません。
 音楽をコンピューターが「選んで」演奏する時代が来るかもしれません。
感情と言う部分さえ、データ化されている時代です。「こんな音色と大きさで、こんな旋律・和声を演奏すると人間は悲しく感じる」という引き出しを、いくらでも記憶できるのがコンピューターです。しかも一度入力=記憶したデータは、人間と違いいつでも、最速の時間で呼び戻されます。
 人間の人間らしい演奏。その人にしかできない演奏。それこそが、最も大切な「引き出し」です。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

なぜ?なぜ?ヴァイオリンアレンジ「謎のオブリガート」&「重音の嵐」

 映像は、デュオリサイタル13での、ドボルザーク作曲「スラブ舞曲第2週より第2番」をクライスラーがアレンジしたものです。多少、アレンジをアレンジしてます。ご存知の通り、オーケストラで演奏される機会の多いこれらの音楽を「ヴァイオリンとピアノ」用にアレンジされると、どうして?なんで?と言いたくなるほど「重音だらけ」になったり、やたらめったら(笑)ヴァイオリンに「ヒャラヒャラ~」「ピロピロリ~」ってなオブリガートが出てきます。これ、嫌いなんです!(正直者)

 原曲がどうであっても、ヴァイオリンとピアノが演奏するための「楽譜」なら、それぞれの楽器の「良さ」だけ引き立てたアレンジで良いと思うのに、「こんなこと、できるんだよ!」とか「こんな技もあるんだよ!」挙句の果てに「すごいでしょ!」と言わんばかりのアレンジがやたら多いと思う私たち夫婦です。作曲家の書いた美しい旋律を、ヴァイオリンかピアノが演奏するしかないわけです。旋律をヴァイオリンが主演奏するのが自然だと思うのです。ピアノが主旋律を演奏するところで、ヴァイオリンを「休み」にしない理由が私たちには理解不能です。ず~っと二人とも、なにかひいていないと「死んでしまう」みたいな(笑)

さらに多いのが、このスラブ舞曲のような「重音の嵐」が吹き荒れるアレンジです。そもそも!ヴァイオリンって重音「も」演奏できる旋律楽器のはず。2パート分「ひけるよね?ね?」って強引に書かれてもなぁ…と思うのです。
 重音の良さは確かにありますが、2パート=2声部を演奏することで「失われる良さ=デメリット」があることをアレンジする人には考えて欲しいのです。
 私は少なくとも、一つの音=単音で演奏する弦楽器の音が好きです。二人の弦楽器奏者が演奏したときの「響き」と「重音」はまったく違うのです。
バッハの無伴奏ヴァイオリンソナタや無伴奏パルティータのように、明らかにヴァイオリン1丁で「ポリフォニー」を演奏する試みをした曲には、美しさがあります。それと一緒にしないで欲しい!

「なんとなく重音ってカッコイイ」のでしょうか?「うまそう」なのか「むずかしそう」なのか。良くわかりませんが、派手ならいい!というのであれば、エレキヴァイオリンで演奏すると、めっちゃ派手な音にできます。乱暴に「ガシガシ」弾くと「情熱的」で「魂の演奏」なんですか?笑っちゃいますけど。
 ヴァイオリンの新しい可能性?のつもりなら、すでにバッハ大先生がやりつくされていますのでぜひ!弦楽器を「声楽」と同じように考えて頂き、アレンジをしてほしいと思っています。そして、聴く側も「もの珍しさ」ではなく、楽器の個性と演奏者が奏でる「楽器の声」を楽しんで頂きたいと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

練習の組み立て

 映像はパラティス作曲と言われている「シシリエンヌ」をデュオリサイタル11代々木上原ムジカーザで演奏したときの映像です。
 チェロで演奏されることが多いこの曲ですが、数ある「シシリエンヌ=シチリアーナ」のタイトル曲の中でも、私の好きな曲です。
 さて、今回のテーマ「練習の組み立て」は、楽器を演奏する人たち共通の「練習」についてを、練習嫌いだった私(涙)が考えるお話です

 練習と言うと、なんとなく「学校の宿題」をいやいややっているような…これ、私だけですか?「やらなきゃいけない」と言う義務感にさいなまれながら、見たいテレビを我慢して宿題をやった記憶と重なるのですが…。
 私のような練習嫌いではなくても、「練習好き」な人のことを「すごい!」って思いませんか?あ、思わない?(汗)確かに練習が好きな人って、きっとおられるんでしょうね。尊敬します。
 では、練習をしなくてもヴァイオリンは上達するのでしょうか?←いかにも練習嫌いの人間の発想
結論を言えば、練習しなければ上達はしません。経験に基づいています(涙)

 そもそも練習は何のためにするのか?と言うテーマです。
「自分が思ったように演奏できるようになるため」だと思います。
練習をしなければ、思ったようにひけないのですが、「思ったように」と言うのが肝心です。多くの初心者の場合、先生や親に言われた「課題の楽譜」を「ひく」ことが練習だと思っています。少なくとも私はそうでした(中学2年生ごろまで)
「ひいていれば練習」ではないのですが、家で「監視」している親は、とりあえずヴァイオリンの音が知れいれば、練習していると思ってくれました(笑)
「毎日30分」とか「最低1時間」とかって、練習時間の事を話す人がいますが、多くの場合「時間=練習」だと勘違いします。もちろん、これから述べる「練習」には時間が必要ですが、ただ音を出すだけの時間は、厳密には練習ではありません。

 練習の意味も仕方も、まだ知らない生徒さんに対して、「課題」を出すことが指導者の難しさです。レッスンで上手にひけたら「はなまる」を付けてあげるのは喜ばれます。
「止まらないで最後までひけるように頑張ってきてね!」や「ゆっくりで良いから間違わないようにがんばってきてね!」や「音がかすれないように気を付けて弾けるようにがんばってね!」などなど、具体的な「目標」を出すのが一般的です。悪い例で言うと「次、これをひいてきてね」ですね。これ、最悪だと思いませんか?もちろん、音大生に言うなら問題ありませんが、先述の条件「練習を知らない」生徒さんにしてみれば、なにをどう?ひくの?どうやってひくの?ってわかるはずがありません。悲しいことに、こんな指示をだすヴァイオリンの「せんせい」が街の音楽教室にたくさんいることを、生徒さんからお聞きします。

 指導者の役割は、生徒さん(お弟子さん)に対して自分の音楽を教えることではない…と言う話は前回のブログで書きました。自分の生徒が「自分の好きな演奏」を見つけるための、プロセスとテクニックをアドヴァイスすることが役目だと思っています。その二つでさえ、人によって違うのです。自分の通ってきた道=練習してきた方法が、すべての人に当てはまるとは限りません。そこにも選択肢があるのです。ただ、練習のプロセスや練習のテクニックにも「選択肢」を増やし過ぎれば、生徒は混乱します。だからこそ、生徒の状態を観察することが大切だと思っています。

 これから書くのは、私なりの練習方法です。これが絶対に正しいとも、ほかに方法がないとも考えていません。
①自分の出来ていない「課題」を見つける。
・先生に指摘されて気付く課題や、うまくひけない「音」
②その課題を乗り越えるために「原因」を見つける。
・原因は複数考えられます。
・思ってもいないこと…無意識に(勝手に)動く腕や指が原因かも。
・自分から見えない「死角」も要チェック。
③原因を取り除くためのテクニックを考える。
・医療で言えば「治療方法」を考えるのと同じ。
・すぐには直らない(治らない)のも医療と同じ。
・繰り返して弾く前に、自分の音と身体を観察すること。
・常に冷静に「考えながらひける速さ」で繰り返す。
・音と身体を観察しながら、考えなくてもひけるまで繰り返す。
 

 上記の練習方法は、初心者を含めどんなレベルの人にも共通していると思います。ここから先は、「自分の思うような」という段階の練習方法です。
①「音の高さ」「リズム」「汚い音を出さない」3つの点に絞って演奏する。
・音量や音色、ビブラートやテンポを揺らすなどを意図的に排除する。
・「音楽と演奏の骨格」を把握するためのプロセスです。
②曲全体(1楽章単位)の印象と「曲のスケッチ」を考える。
・自分で演奏せずに、楽譜を見ながらプロの演奏をいくつも聴いてみる。
②多用されるリズムと音型の「特徴」を考える。
③1小節目の最初の音から二つ目の音への「音楽」を考える。
④最初から音量や音色を決めずに、一音ずつ「行きつ戻りつ」しながら考える。
⑤いくつかの音を「かたまり=ブロック」として考える。
⑥句読点「、」と「、」を探しながら、接続詞の可能性も考える。
⑦ある程度進んだら、ヴァイオリン以外のパートから和声を考える。
⑧弓の場所、速度、圧力を考える。
⑨使用する弦と指を考える。
⑩ブロックごとのテンポ、音色、音量の違いを考える。
☆一度にたくさん=長時間練習しない!(覚えきれません)

 最後に、日々、毎回の練習を「積み上げる」テーマです。
私の場合、視力が下がり楽譜や文字を読みながら練習(演奏)できなくなったので、少しずつ覚えながら練習していく方法しかなくなりました。
以前は楽譜に書きこんだ情報も読みながら練習していましたが、今考えてみると本当にそれが良かったのか?正しい練習方法だったのか?と疑問に感じることがあります。「怪我の功名」なのか「棚から牡丹餅」なのか(笑)いずれにしても、少しずつ覚えながら練習すると、時間はかかりますが覚えていないこと=理解できていないことを、毎回確認できるので楽譜を見ながら練習するよりも、結果的に短期間で頭と体に「刷り込まれている」ように感じています。
 練習は「積み重ね」でしかありません。しかも、時によっては前回の練習でできた!と思っていたものが出来ない…積み重なっていないことが多々!しょっちゅう!あるのが当たり前です。 
 私たちの脳と肉体は「機械」や「もの」ではありません。むしろ目に見えない「イメージ」の積み重ねだと思っています。なぜ?指が速く正確に動かせるのか?という人間の素朴な疑問に対して、現代の科学と医学はまだ「答え」を持っていないのです。今言えることは、私たちは「考えたことを行動できる」と言うことです。無意識であっても、それは自分の脳から「動け」と言う命令が出ているのです。考えることで演奏が出来ます。ただし、考えただけでは演奏できません。身体の「動き」も考えて演奏することで、初めて思ったように演奏できるのです。「たましい」とか「せいしん」ではなく、物理的で科学的な「練習」が大切だと思っています。「きあいだ!」「こんじょーだ!」も無意味です。
 考えることが苦手!と威張るより(笑)、好きなことをしている時にも、自分は無意識に考えていることを知るべきです。
 感情も感覚も、私たちの肉体の持つ「能力」で引き起こされている現象です。
自分の能力を引き出すことが「練習」だと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介