オーケストラを身近な存在に

今(2022年1月12日)から20年前、2002年1月14日(日)
小さな小さな「メリーオーケストラ」と名のついた、弦楽器による演奏集団が、初めての演奏会を開きました。
次があるのかないのか(笑)さえわからないのに、「第1回定期演奏会」と銘打って、再開発を終えたばかりの橋本駅前に、出来たばかりの「杜のホールはしもと」を会場にしました。定員520名。どう考えても大胆すぎる。

当時、私は中学・高校の教諭(いわゆる先生)として働いていました。
その学校も1985年に新設された時に、たった一人の音楽教諭として着任しましたが、誰の力も借りることが出来ない環境で、11人の部員でスタートしたオーケストラを2002年当時には150人の日本でも1・2の規模のスクールオーケストラにしていました。
地域の子供たち、自分の子供たちが演奏できるようなオーケストラを、地元で探しましたが、当然!ひとつもありませんでした。
「ないなら作る」
という安直な発想で、2001年に準備を始め「楽しい」という意味がある(だろう)と思う「メリー」という名前のオーケストラを立ち上げました。
4歳から小学校5年生までの子供たちのヴァイオリン。
ヴィオラ、チェロ、コントラバスはプロの仲間に演奏してもらいました。
子供たちが私の家や、ホールの練習室、さらには合宿で練習し、本番ではめいっぱい!ドレスアップして舞台に立ちます。
予想をはるかに上回るお客様に来場いただき、子供たちは初めての舞台で緊張しながらも、弾き終えた感動、信じられないような大きな拍手を体験しました。
ふるさと、夕焼け小焼け、赤とんぼなどを、なんとか全員で演奏し、少し難しい曲は弾ける子供たちだけで演奏しました。それでも余りに時間が短かったので、最後にプロだけの演奏も加えてコンサートを成立させました。
この演奏会が、まさか20年間、毎年2回の定期演奏会を開き続けることになることは、私も含め誰も想像していませんでした。

1回、2回の演奏会を開いてやめることなら誰にでもできることです。
継続することが、どれだけ大変なことなのかを知りました。
メンバー同士のいざこざ、指導に自ら関わってきた地元のヴァイロン指導者の
「生徒持ち逃げ」、運営自体を保護者に任せられない「信頼感欠如」など。
さらには自分自身の退職と、うつ病と闘いながらの演奏会。
それでも「NPOにしたら?」という当時のホール館長の軽い言葉を真に受け、自力で県庁に通って特定非営利活動法人(NPO)化を成し遂げました。
夏には台風、冬には大雪に見舞われたこともありましたが、演奏会は開き続けました。
メンバーの子供たちは成長とともに地域を離れるケースもありました。
それでも当時小学校5年生だった女子メンバーは、音楽高校、音楽大学と進学し、メリーオーケストラの指導者になっていました。やがてその「子」が「母」になりました。今はまだ幼く、お仕事で海外にお住まいですが、きっと帰国されたらメリーオーケストラの「2世代目メンバー」になってくれることを夢見ています。

オーケストラは器楽演奏の規模がもっとも大きな演奏形態です。
演奏に必要な「こと」「もの」「ひと」があります。
一番必要な「こと」は「絆」です。
どんなにお金があっても、人との絆がなければオーケストラは成立しません。
そして「もの」として必要なのは「ホール」です。
毎回の演奏会ごとに、ホールの抽選会に参加しています。
会場がなければ演奏会は開けないのです.
さらに必要な「もの」はずばり「お金」です。
ホールは無料では使えません。練習会場を借りるにもお金がかかります。
演奏会で参加してくれる仲間に、最低限の交通費を支払うのにもお金はいります。楽譜を作るのにも、備品を購入するのにもお金がかかります。
そして「ひと」です。
演奏する人も、聴いてくれる人も、応援してくれる人も必要なのです。
もちろん、こんな演奏に興味のない「ひと」もいます。
もっとクラシックだけやれ!という人もいます。
色々な意見を言ってくれる人も必要です。
メリーオーケストラの財産は「ひと」なのです。
今まで演奏に少しでもかかわってくれた人。
一度でも演奏会に来てくれた人。
賛助会員になってくれた人。
オーケストラ活動を20年間続けるためのエネルギーは
すべて「人」からもらいました。決して自分の力ではありません。
人の輪が広がることが、音楽を広めることです。
音楽でつながれば、人と人の「和」ができます。
争いも戦いもいらない「和」それこそが「平和」です。
メリーオーケストラを続けることが子供たちの明るい未来につながることを
ただ、願っています。

NPO法人メリーオーケストラ理事長 野村謙介



14年目のリサイタル終了

今回で14回目となる、浩子とのデュオリサイタルが無事に終わりました。
14年前…2007年の冬に始まった二人だけで演奏するコンサート。
これまでに165曲の曲を演奏してきました。数えてみて自分でびっくり。
当初はヴァイオリンとピアノでの演奏でした。
2010年からヴィオラとヴァイオリンを持ち替えてのコンサートになりました。
ヴィオラは高校時代から好きでした。学校のオーケストラで初めて演奏し
「ハ音記号」に戸惑いました。
学生時代、演奏のアルバイトでヴィオラを弾く機会が多かったので、実家に仕事の依頼の電話がある時「ヴィオラの野村さんのお宅ですか?」と言われるようになり、父親に「いつからヴァイオリンをやめたんだ」と叱られた(笑)
やめていませんでしたよ!ただ、ヴィオラが好きだったのと、圧倒的にヴィオラを弾く人が少なく、オーケストラのエキストラもヴィオラが常に足りない時代でした。

メリーオーケストラの運営、指導、指揮、事務作業と、
メリーミュージックの経営とレッスン、同じく事務作業。
年に2回のメリーオーケストラの定期演奏会、年に2回のメリーミュージック生徒さんによる発表会。加えて、年末と年始のリサイタル。
このイベントのための準備が常にある中で、レッスンをしています。
どれが大切?すべてです。すべてが私のライフワークです。
教員時代と比較し、年収は100分の1以下です。これ、本当です。
NPO法人メリーオーケストラの理事長
だけど、無報酬です。
有限会社メリーミュージック代表取締役(いわゆるしゃちょー)
だけど、現在無報酬(会社に貸していたお金を返してもらいながら生活)
だけど
高給取りの教員生活には、ぜっつっつっつっつっつっつたい!戻りません。
命をかける仕事ではありません。私にとっては。ですけれど。
妻の浩子には、本当に申し訳ない気持ちです。感謝の気持ちしかありません。
その浩子と演奏する時間「だけ」は、ほかの事を考えずに好きな音楽を作ることに全力を出せます。体力も年相応です。ふたりとも、病気と共存しながら、前向きです。

いつまで、このルーティンを続けられるのかわかりません。
「ライフワーク」は「生きている限りやる」ことではなく、「生きがいとしてやる」ことだと思っています。無理をして続けても、生きがいに感じなければ意味はありません。その時には、気持ちよくすっぱり!やめるつもりです。
何が初めにできなくなるのか?わかりません。考えることもしません。
楽しいと思える瞬間があれば、つならない事務作業(ごめんなさい!)も必要だから乗り越えられます。
楽しさも苦労も、比べるものではありません。
楽しさを期待しても、苦労を心配しても、結果は変わりません。
「楽しい」と思えることのためになら、苦労は「苦しい労働」ではなく、「労働」と思えます。
音楽家ですと、ふんぞり返る(笑)より
音楽屋です!と笑って答えたいと、いつも思っています。

メリーミュージック代表・メリーオーケストラ代表 野村謙介

ヴァイオリンとピアノの指使い

大人のヴァイオリン生徒さんたちの中で、ピアノの演奏を楽しんでこられた方が多くいらっしゃいます。
楽譜はピアノに比べて、単旋律でト音記号しかなく、きわめて「簡単」です。
もちろん、それぞれの生徒さんの技術差によって、リズムを正確に演奏できるか?や、ピアノなしで旋律を歌えるか?などの違いはあります。
その差とは別に、指使いで混乱する生徒さんが多く見られます。
そこで、今回は「ヴァイオリンの指使いを考える」ことにします。

ピアノの指番号は、両手ともに親指が「1」小指が「5」ですよね。←そこまで自信がないのか(笑)
一方ヴァイオリンは、左手の指にしか番号はつけません。親指は番号なし。人差し指が「1」で小指が「4」です。「5」はありません。
ただ「0」という数字が使われます。これは左手で弦を押さえない=開放弦を表しています。


ピアノと比較して「ひとつ、ずれている」ことになります。
それだけのことでも、長年ピアノを演奏してきた人には、「3」と書いてあれば「中指」が動きます。ヴァイオリンでは「3」は「薬指」です。
違いはもうひとつ。
ピアノの左手指番号は通常であれば、
1→2→3→4
と並べば、音が「低く変わる」ことに対して、
ヴァイオリンの指番号は、通常同じポジション、同じ弦であれば
1→2→3→4
で「高く変わる」のです。
……説明が難しい(笑)
感覚的に、音が順番に高くなる「楽譜」を見た時、
ピアノの左手であれば、
5→4→3→2→1
ですよね。
ヴァイオリンでは、順番に高くなる楽譜は
1→2→3→4
もしくは
0→1→2→3→4
です。
これを視覚的に説明すると、
左手を、手のひらを「上」に向けて、右手は手のひらを「下」に向けた状態にしてみてください。
すると、左端から、左手の親指→人差し指→中指→薬指→小指 続いて右手の親指→人差し指→中指→薬指→小指となります。
この状態でピアノは?
弾けません!よね?(弾けたらごめんなさい)
ヴァイオリンは、この状態で演奏しています。
実際には、左手をさらにもう少し「左側」にひねります。左手の小指を自分に近付けて、親指を向こう側に追いやる形です。手のひらが、少し左側を向きます。
変な向きのように感じますが、実は!
この両手の指の向きをそのままで
リコーダーの仲間も
フルートも
ギターもアコーディオンも弾けます。
言い換えると、ピアノとオルガンが、両手ともに「手のひらを下に向ける」楽器なのです。
 

指番号を頭の中で、楽器ごとに変えることはきっと大変ですね。
私たちヴァイオリニストの多くが、音楽の学校で「ピアノ副科」という履修科目でピアノを少しは学びます。あくまで「副科」です。←いいわけっぽい。
私自身、高校3年終了時のピアノ副科実技試験で、スケール全調!弾けるように「させられ」ました。両手で同時に音階を何オクターブも上がって、下がって…
私には「地獄」に思えました。手が裏返りそうになったり、同じ指で何回も弾いたり…。それでも「まし」な方でした。私の同期のフルート専攻の男子(本人の名誉のために名前は伏せます。I君)は、試験官の先生から「はい。I君。F dur(ヘ長調)ね」と温情の調を指定してもらえたのに、なぜ?そこの「F(ファ)から始める?」と誰もがあっけにとられる高い「ファ」から、ゆ~っくりと一音ずつ「ファ~~~~……ソ~~~~……ラ~~~~……」と弾き始めました。審査の先生方は、全員下を向いて必死に笑いをこらえています。廊下から覗き窓ごしに覗いていた私たちは「ばか!きづけよ!おい!」と小声で怒鳴っていました。やがて、I君の右手がピアノ右端、最後の「ド」を弾き終えた瞬間!
I君「あれ?!」…気が付いた…はるか前から、鍵盤が足りなくなることは私たちでさえ気が付いていました。審査の先生方が一斉に笑いをこらえきれず、天を仰いで大爆笑。
これぞ。副科ピアノの醍醐味です! ←意味が違う
そんな私たちですから、ピアノの指使いは「考えない」ことにしています。
中には、ピアノ科と同等にピアノを弾きこなすヴァイオリン専攻の人もいました。その方たちの頭の中、きっと脳みそが二つあるんだと思います。

話がそれまくりました。
要するに←無理やりまとめにはいる
ヴァイオリンの指番号は、
向こう側が1
こっち側が4
1234で音が高くなる。
4321で音が低くなる。
ピアノと比較しないほうが感覚的に良いと思います。
頭の中で「暗算」をするのは良くありません。
それは、読み替えの際も同じです。
感覚的に「違うスイッチ」を持つことです。
さぁ!ピアを弾ける生徒さん!
いまは「ヴァイオリンを弾いている」のです。
ヴァイオリンのスイッチをいれましょう!
(注:簡単ではありません)

ヴィオラを持つとト音記号が読めなくなるヴァイオリニスト 野村謙介

ストラディバリウスの格付け

今年もお正月のテレビ番組で、面白い実験がありました。
芸能人格付け〇△
もちろん、番組ですから多少なりとも演出=やらせの部分はあって当たり前です。
ワインやダンス、ゴスペル、お肉などの「ランク付け」を芸能人がする内容です。
その中で、ほぼ毎年のように「ストラディバリウス」を当てるコーナーがあります。
カーテンの向こう側で、「プロの演奏家」と称される方々が、
「名器」と言われる楽器と、「入門用」と言われる楽器を弾き比べます。
同じ曲を、同じ演奏者が、高い楽器と安い楽器で演奏する設定。
テレビは当然のことですが、録音する機材、音の処理、テレビのスピーカーなどで生の音とは全く違う音を私たちが聞くので、楽器本体の「音量・音色」はわかりません。
スタジオで聴いている芸能人が、ほぼ全員!安い楽器を「高い楽器」と「判定」
番組的に盛り上がりました。

牛肉と鹿肉と豚肉の「赤ワイン煮込み」を食べ比べ、牛肉を当てるコーナーでも、多くの回答者が牛肉以外を「おいしい牛肉」と判定。
調理と味付けで判断が難しいのでしょうね。
ワインも同様でした。

ちなみに、私がストラディバリウスを当てられたか?
判断不能。どうしてもどちらかを選べと言われたら?
あてずっぽうで答えます(笑)
演奏技術も重要な要素(判断を間違えた原因)ではありますが、あえてその部分にはコメントしません。おそらく、誰が弾いたとしても結果は同じです。
なぜ?あたらないのでしょうか?

あてずっぽうで、やれ「低音の響きが」とか「澄んだ音色が」だとか理由をつけて「当たった!」という方はいるでしょう。単なる「まぐれ」かも知れません。
違う見方もできます。
ワインの「鑑定」を職業にしている「ソムリエ」は、味や色から年代や産地を当てられます。ただそれは「おいしい」とか「高い」を見分ける鑑定ではありません。
ヴァイオリンの鑑定を職業にする方がいます。
ヴァイオリニストではありません。さらに言えば、ヴァイオリン製作者でもありません。
多くの写真と経験から、そのヴァイオリンが本当に「ラベル通りのヴァイオリン」であるかを鑑定します。むしろ音色や音量ではなく「見て鑑定する」方法です。

ストラディバリウスの音色をいつも聴いている人でも、違うストラディバリウスの、音だけを聴いてストラディバリウスを判別することはできません。
先ほどの番組内で、ある芸能人が「違うことはわかるけれど、どちらが安い楽器かわからない」と、ずばり!正解を言っていました。
ストラディバリウスを高く評価する人がたくさんいても、聞き分けられる人がいないのが現実です。

高い値段のヴァイオリンが良い楽器ではありません。
安い値段のヴァイオリンが悪いとも言えません。
ストラディバリウスが、世界で一番良いヴァイオリンではありません。
産地や銘柄、ラベル、値段、他人の評価で物事の良しあしを判断するのは、間違っていないでしょうか?
自分の五感で感じるものを、一番尊重するべきです。
おいしいと思うものは、その人の身体にも良いものだと言われています。
「臭い」と感じる匂いは、その人にとって有害であることを脳が教えているという学説があります。
良い楽器とは、演奏する人を幸せにする楽器です。
縁のない楽器もあります。買えない楽器は、その人にとって縁がないのです。
縁がない楽器には、その人を幸せにする「力」はありません。
本当に良いヴァイオリンと、生徒さんが巡り合えることを願っています。

ヴァイオリニスト 野村謙介

2022年は?

2022年になりました。今年は寅年=ネコ年(笑)
良い一年になりますように。と近所の八幡様に浩子とぷりんと三人でお参り。


大晦日、元旦もいつも通りの練習をできる環境に感謝です。
今年のキーワードは「ボディスキャン=自己認識」
夜、寝ながら身体の色々な場所をリラックスさせる習慣をつけています。
瞑想とまではいきませんが(笑)頭の先から足の指先まで、息を吐くたびにリラックスしていきます。途中で寝てますけど…。

楽器を弾いていると、習慣的に無意識に「余計な力」が身体の色々な場所で入っています。この無駄で有害な力を、意識的にリラックスさせることを目指していきます。
健康という面でも、自分の肉体を観察することは有意義だと思います。
私は自他ともに認める「大げさマン」です(威張ることじゃない…)
ちょっと血が出ただけで、オロオロ&あわあわします。
おかげで(ちがう気がする…)今まで生きてこられました(もっと違う…)
数年前、心不全で入院して初めて自分の身体を隅々まで調べられました。
それまで、「年のせい」にしていた筋肉の疲れ、手足の「つり」も、どうやら血液の流れが悪かったことも原因のようで、ここ1・2年、まったく攣らなくなりました。


自分を認識することは、とても難しいことです。
他人を観察するよりも、はるかに。
立って演奏している時に、すべての重み=重力を感じることから始めます。
すべての重みを、足の裏で支えている意識。
足の裏に続く足首→ふくらはぎ・すね→ひざ→太もも→お尻→腰・おなか→背中・胸→肩
そこから分かれて、首→口→鼻→目→額→頭と、
上腕(二の腕)→肘(ひじ)→前腕→手首→手のひら・手の甲→それぞれの指
すべての「自分」に意識を巡らせることを繰り返し練習します。
身体を動かす時に、必要な「力」を探すことを意識しながら楽器を弾きます。
今まで生徒さんにも自分にも「脱力」の重要性を強調してきました。
脱力するためには、自分の「重さ」を意識することが最初なんだと、
今頃になって考えるようになりました。
重たく感じることができなければ、必要な力もわかりません。
今年の目標は、きっと一生の目標になるような気がします。
毎日、繰り返します。自分のために。

ヴァイオリニスト 野村謙介

61回目の大晦日

毎年大晦日に思うことですが、
今年も一年、生きてきたことを不思議に感じます。
人間、いつかは土に帰るものです。
自分が生まれてきた瞬間のことは、誰も覚えていません。
母がいて、父がいて。自分がいる。
その両親が育ててくれた記憶さえ、次第に薄くなっていきます。
幼いころの記憶で一番多いのは、病弱ですぐに高熱を出していたことです。
物心ついてから、暗いところで何も見えない自分の眼で、大人になって生活することはできないんだろうな…といつも考えていました。

ヴァイオリンという楽器に巡り合わせてくれたのも両親でした。
音楽を聴くことが好きだった両親ですが、よもや私が専門的に音楽を学ぶことになるとは夢にも思っていなかったでしょう。
小学生のころに、楽譜が小さくて読めない私に、母がスケッチブックに定規で五線を引き、楽譜を手書きで大きく書き写してくれました。
「いつか楽譜を大きくする機械ができたらすごいのにね!」と笑いながら話していた母親に感謝と尊敬の気持ちを忘れません。

中学3年生の夏から音楽高校の受験モードに入るという信じられない暴挙。
確かに必死でした。レッスンのために中学校に遅刻して登校して、学年主任の体育教師からさんざん嫌味を言われても、それどころではなかった(笑)
めでたく?希望していた以上の学校に滑り込んで入学。
どん底を味わいながら、成長し大学へ進学。
5年かけて卒業(まぁまぁ笑)し、なぜかプロの演奏家の道に進まず新設される中学校・高校の教諭の道を選びました。
後で父から聞いた話「あの時は、心底!腹が立った。なぜ音楽の道を捨てたのだと。」だそうですが、就職後も応援してくれた両親です。きっと、目の事も心配だったのでしょう。
学校で、がむしゃらにオーケストラを作り育て続け、11人の生徒で始めたオーケストラを150人に増やしました。
2~3年で辞めるつもりだった教員生活を20年間、続けたのは「生活のため」でした。その間、ヴァイオリンに向き合う時間はほぼ「ゼロ」
退職時には、管理職のパワーハラスメントで精神を病むことになりました。

生きることが一番難しい時でしたが、幸か不幸か(笑)投薬のせいで当時の記憶が「まだら」というかあまりありません。
それでも、メリーオーケストラの活動を続け、レッスンを朝から夜まで続けていたのが奇跡に感じます。

ヴァイオリンを弾く「野村謙介」をもう一度呼び起こしてくれたのが、浩子でした。ふたりで演奏することが、今まで自分を育ててくれた両親への感謝を伝えることだと感じながら。

両親が私たちふたりの演奏を最後まで聴いてくれたことが、なによりの親孝行だったのかと思っています。
音楽が人の命に直接かかわることではなくても、
生きていくこと、そのものが音楽であると思うことがあります。


うまれてきたこと
育ててもらえたこと
出逢ったこと
笑ったこと
その すべてに
ありがとう
この命に
ありがとう

これからも、一日を大切にして、生きていきます。
どうぞ末永く、お付き合いください。
野村謙介

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ヴァイオリン初心者の「壁」

多くの初心者にヴァイオリンを教え続けてきました。
自分自身がやる気のないヴァイオリン初心者から、ある時(中学3年生)を境に音楽専門の道に進み、音楽高校、音楽大学で専門教育を学びました。
その経験が、その後今に至るまでの音楽との関わりに深く関係しています。
親に「習わせられる」時代を経て、自分で練習することを覚え、上達することが日々の目標になる学生時代。そして、その後趣味で音楽を演奏する人と向き合う生活になりました。
中学校・高校の部活動オーケストラをゼロからスタートし、20年間の歳月をアマチュア音楽の世界に身を置きました。初めて楽器を手にする子供たちに、学校教育の範囲で演奏する楽しさを伝えました。
在職中にアマチュアオーケストラ「メリーオーケストラ」を立ち上げ、地元相模原で現在まで20年間、毎年2回の定期演奏会を開き続け来年1月には第40回の演奏会となります。小さな子供から高齢者まで、初心者もプロも一緒に演奏を楽しめるオーケストラとして、自分のライフワークになっています。
退職後、音楽教室を立ち上げ、楽器店経営もしながら、800名を超える方たちに楽器の演奏をレッスンして来ました。
そんな経験の中で、今回テーマにする「ヴァイオリン初心者の壁」を考えます。

ヴァイオリンを習い始める時点で、二つの項目で差があります。
1.年齢 2.それまでの楽器演奏経験


まず、年齢に関して言えば、言葉を理解できる年齢であることが必須要件です。
さらに、幼少期の場合、保護者の理解と環境、さらに音楽経験も関わります。
自発的に練習できる年齢、恐らく13歳前後から先は、自分が自由に使える時間が大きく変わります。
10代の子供でも塾や他の習い事、部活などで楽器を練習できる時間が大きく違うのが現代です。
社会に出る年齢になると、仕事や住宅環境で練習できる時間に差が出来ます。
年齢を重ね、いわゆる「高齢者」になっても楽器演奏に必要な筋力、運動神経には大きな障害はないのが現実です。「この年になって」という言葉は、実は自分に対する諦めの言葉だと思います。

次に、それまでの楽器演奏経験です。
言葉を理解できるようになって初めて楽器を習う子供は、当たり前ですが楽譜も読めない、音の名前も知らないわけです。この時から楽器を習い始めると、音の名前と音の高さを繰り返し「学習=覚える」ので、絶対音感を身に着けられます。単純に考えれば、この時期から始めれば一番良いように思いがちですが、実際には、こどもは「飽きる」のが当たり前なのです。
どんな年齢の初心者でも、最初に突き当たる壁は「飽きる」ことなのです。
楽器で音が出ることが面白いのは、ほんの「数回」のことなのです。
音が出せた面白さから、次の面白さを体感できるまでに、「飽きたからやめる」人が一番多いのが実状です。特に幼少期の子供の場合、保護者が家庭でこどもに楽器を練習することを習慣づけ、次の面白さを見つけられるまで「引っ張る」ことが出来なければ、100パーセント子供は楽器から離れます。
楽器を演奏する経験とは、このことです。
つまり、音が出せた!面白さの次にある楽しさを体感するまで「耐える」ことが最大の経験なのです。この経験こそが「楽器を習った経験」になります。
言い換えれば、楽器を習い始め、音を出せた楽しさから、次の楽しさを感じられるまで続けられれば、その次の楽しさを求めることができるので、ずっと続けられます。
ただ、環境が変わって楽器の練習が出来なくなった場合、違う楽器を習い始めることも実際には多いのです。その場合には「耐える」ことを知っていますから、すぐに飽きてやめるケースは少なくなります。

飽きる壁を乗り越えた先にある「初めてのヴァイオリン上達の壁」は?
1.音の高さを視覚的に感じにくい楽器であること。
ピアノは平面的=2次元的に「右が高い音、左が低い音」ですし、白と黒の鍵盤の並び方を「見れば」音の名前を見つけられる楽器です。
ヴァイオリンは?言うまでもないですね(笑)複雑怪奇です。
2.音と音の「幅=音程」を自分で聞き分ける技術が必要
ピアノは「ド」を弾きたければ「ド」の鍵盤を押さえれば「ド」が出ます。
そのほかの音も同じです。
ところが、ヴァイオリンは「ソ」「レ」「ラ」「ミ」に調弦=チューニングした音を基準に、そこから自分で音の高さの幅を考えながら、音の高さを探す技術が必要なのです。これを「相対音感」と言います。
良く目にするのが、ヴァイオリンの音の高さを「チューナー」で確かめていれば、いつか正しい音の高さで弾けるようになると「思い違い」をする生徒さんです。チューナーを使うのは間違っていませんが、基本は「開放弦=ソレラミ」からの音の幅を一つずつ覚えていくことです。
これを簡単に言うと「メロディー(曲)として次の音を歌えること」です。
鼻歌を歌った時、音の名前「ドレミ」を気にする人は、ほとんどいません。
むしろ、「メロディーを歌う」のが鼻歌です。その鼻歌の「最初の音」から「次の音」までの「幅」の事を音程と言います。
もし、初めの音の「名前」が「ド」だとしたら、次の音の「名前」がわかるでしょうか?
かえるのうたが~きこえてくるよ~
を鼻歌で歌ってみてください。
かえるの「か」を「ド」だとします。
かえるの「え」は?答えは「レ」です。
かえるの「る」が「ミ」です。
ドレミファミレド~ミファソラソファミ~
一つのたとえです。
ヴァイオリンの音の高さを探す方法として、「なんちゃって絶対音感」で音を探そうとする「チューナー様頼り」から、少しずつでも「音程」で音を探す練習をすることをお勧めします。
3.汚い音が出る「原因」が複数あること
これは「きれいな音で弾く」ことへのプロセスです。
むしろ、きれいな音の定義は難しすぎます。初心者が感じる「汚い音」の擬音、代表例は「ギーギー」「キーキー」「ガリガリ」です。
弓の速度、弾く場所、弓を弦に押し付ける圧力、弓と弦の角度
弓に関することだけでもこれだけ(笑)さらに
左手の指の押さえる力が足りない場合、押さえるタイミングと弓で音を出すタイミングの「ずれ」、弓で弾いている弦と左手で押さえる弦が「一致しない」など。
汚い音が出る原因が、右手にも左手にもあるのです。
それらが複数、重なっている場合もあります。
つまり、きれいな音を出すために必要な技術は、複数の運動を同時にコントロールできなければ出せないことになります。
壁だらけ(涙)です。
ただ、ひとつずつの運動を分離して練習し、「足し算」をしながら複数の運動をコントロールする練習は、特別なことではありません。

壁を乗り越えるための「練習方法」は?
・毎日の練習に最低限の「ルーティン」を作ること。
例えば、調弦を兼ねて開放弦を、全弓を使って、一定の長さ=速さ、一定の圧力=同じ大きさ・同じ音色で、1本ずつの弦を何往復ずつか弾く練習。
・ルーティンの中に、「左手と右手」を分離した練習を必ず入れること。
・曲を弾く練習は、まず「音の高さ=メロディー」をヴァイオリンを使わずに、ピアノやキーボードなどを使って「理解」し、声で歌えるようにしてからヴァイオリンを使う。
・曲の練習で「できないこと」「苦手なこと」を見つけたら、曲の練習からいったん離れ、その練習だけをする時間を「少し」作る。曲の練習と混合しないことが大切。
・曲を弾けるようになるための「複合技術」を身に着けるために、引き算をしないこと!つまり、音の高さを正しくするために「汚い音」になってしまうのが「引き算」です。練習の基本は「足し算」を繰り返すことです。
・ピアノと違い、「音の高さ」と、「音量・音色」を決めるものが「鍵盤」という一つのものではなく、左手と右手を常に同時に使わなければならないことを自覚すること。だからこそ!ストレスが大きいのです。

「あきないこと」→「あきらめないこと」が秘訣です。
がんばって!壁を乗り越えましょう!

ヴァイオリン指導者 野村謙介

演奏方法で曲の印象を変える

私たちのデュオリサイタルでは、毎回同じプログラムで、地元のホールと代々木上原ムジカーザの2会場で演奏しています。ピアノも違い、響きも違います。
何よりも、一度目の演奏からさらに納得のいく演奏を目指して、演奏方法を見直します。
コンサートの記録映像を見直して、観客の立場で聴いてみたり、お客様からのアンケートも参考にします。
演奏する時に曲のイメージがあっても、聴いてみてそれを感じられない場合もあります。その原因が、イメージの勘違いなのか、それとも演奏方法の間違いなのかを考えます。その両方の場合もあります。

特に音楽がシンプルなほど、何を表現したいのか、自分でわからなくなります。
人間の感情「喜怒哀楽」の、どれも感じない演奏になってしまう落とし穴。
いくら自分がその感情を感じて演奏しても、自分で聴いてみて何も感じない…。
ヴァイオリン・ヴィオラの演奏方法を変えると、全体として同じテンポ、同じ強弱で弾いていてもまったく違う「印象」になります。
ビブラートの速さ、深さ、弓の場所、音のアタックで音の印象が変わります。
弾き方の、「何を」「どのくらい」変えると、聴いた印象がどう変わるのか?
もちろん、聴く人によって印象はみんな違います。まず、演奏者自身が自分の演奏を聴いて、思ったように聞こえるように弾きたい!どうすれば?
その繰り返しです。
自分が「感じる」演奏をする「技術」
何度も試します。答えはなくても、探すことに意味があると思うから。

ヴァイオリニスト 野村謙介



失敗こそ成長の鍵

多くの生徒さんが経験する発表会。思うように弾けなかったり、失敗したことが後を引きずることもあります。
私自身、思い返せば発表会や、レッスン、音楽高校の入学試験、学校で行われる実技試験などで、いつも反省することばかりでした。
未だに、自分の演奏が思うように弾けないのが現実です。
生徒さんから見れば、私たちの演奏は十分なものかもしれませんが、本人にしてみれば失敗や反省が数限りなくあります。
その反省を次に活かすことが上達し、成長するための鍵になります。

まず「思ったように」弾けなかったという「思う演奏」がどれほど、濃いものだったか?自分の思い描く演奏のイメージが薄ければ、当然の事として「行き当たりばったり」の演奏になって当たり前。
例えば、今回のリサイタルで13曲の演奏した中で、すべての音に対して「思うもの」があったのか?音符の数だけ、それらの音に対する弾き方や、こだわりが本当にあっただろうか?
ひとつの音を演奏することの連続が、曲になります。
・どの弦で弾くか
・どの指でどのくらいの強さで押さえるか
・弓のどの部分から弾き始めるか
・弓の圧力と速度で決まるアタックはどのくらい付けるのか
・ビブラートはいつからかけ始め、どの速さでどの深さでかけるのか
・弾き始めから音量と音色をどう変化させるのか
ざっと考えただけで、このくらいのことを考えながら一つずつの音を弾いています。それらを練習で考え、決めたら覚えることの繰り返しです。
その繰り返しの数=練習時間が足りなければ、覚えられません。

私と浩子さんが選ぶ曲は、ジャンルにとらわれません。
好きな音楽を、どう?並べたら、お客様に楽しんでもらえるかを考えます。
料理で言う「献立」です。フルコースの料理なら、前菜から始まってデザートで終わるまでの料理を組み立てるのと同じです。
タンゴを演奏する時には、その曲に相応しい弾き方を考えます。
音色もビブラートも、それぞれの曲にあった「味つけ」をして盛り付けます。
タンゴの演奏を専門にしている方から見れば、嘘っぽく見える演奏かもしれません。それは素直に認めます。あくまでも、私たちの「思うタンゴ」です。
クラシック音楽演奏が主体のヴァイオリニストがほとんどです。
クラシックの演奏も、タンゴの演奏も、映画音楽の演奏も「本気」で取り組んでいるつもりです。
たとえて言えば、ショパンコンクールで素晴らしい演奏を評価された、角野隼人さん(=かてぃん)が、クラシックもジャズも、ストリートピアノも「本気」で取り組んでいる姿をみて「中途半端」と思う人はいないと思います。むしろ、それも演奏家の「個性」ですし、ひとつの音楽ジャンルにだけ固執することが、素晴らしい演奏家の称号だとは思います。

反省する材料に向き合うことは、楽しいことではありません。
ましてや自分が失敗した演奏を、何度も見返すことは、つらいものです。
何度も見返していると、なぜ?そこでそんなことをしたのか、わかってきます。
練習でなにが足りなかったのか。本番でなにを考えていたのか。
失敗をトラウマにしない方法は、解決する=失敗を繰り返さない方法を、自分で見つけることです。それができるまで、繰り返すうちに、自分を信じること、つまり「自信」が自然に身につくものです。
自分の能力を信じること。自分の音楽を信じること。練習してきたことを信じること。そのために、出来なかったことを見つけ出すために、自分の演奏を撮影・録音しています。
来年1月、同じプログラムで代々木上原ムジカーザのリサイタルに臨みます。
その時までにできる反省と復讐を繰り返し、自信を持てるまで練習します。

ヴァイオリニスト 野村謙介

演奏者がエンジニア

通常、リサイタルの演奏者が録音や撮影の準備、撤収を行うことは…
ないでしょうね(笑)
コンサートの記録は、主催する事務所や外部の業者が行うものです。
私と浩子のリサイタルの場合は?
主催者が私たち(笑)で、業者を頼む余裕もないのです。
「記録しなければいいじゃない?」という考えかたもごもっとも。
自分の演奏を繰り返して見て、聴いて次回の演奏を、少しでも良いものにしたいから、私にとって「記録」は欠かせません。
その他にも、生徒さんたちが私たちの演奏した曲を弾いてみたい!と思ってくれた時に、参考になることも事実です。

今回も、本番全室の夜にホールでカメラとマイクのセッティングを行います。
代々木上原ムジカーザでは、そうもいかないので当日、リハーサル前にセッティング。カメラとマイクがお客様の迷惑にならないように最大限配慮することが何よりも大事です。その条件の中で、音色や指使い、ボーイングが後から検証できる撮影と録音をするのは、なかなか難しいこと。そもそも私は録音・撮影のエンジニアではありません(笑)。
趣味のひとつが、オーディオとカメラですから多少の知識はあります。
恩師、久保田良作先生がまさしく!正真正銘のオーディオマニアでしたので、その「血統」も?
加えて、教員時代にオーケストラの録音や撮影に数多くかかわったこととや、授業で使用する音響機材にもこだわっていたので、そんなことも今、活かされています。

今回、新しくビデオカメラを入れ替え、マイクも変えての記録です。
演奏者ですので、実際に撮影や録音は「できません」から、スタートやストップの操作は会社のスタッフにお願いしています。
特に録音に使用するマイク選びは、本当に難しい!
ノイマンやゼンハイザーAKG、ショップスなどのマイクや、1本が60万円を超えるものも珍しくありません。買えません!
趣味でボーカルを録音したり、ユーチューバーが収録に使うマイクの紹介動画は、いくらでも見つかりますが、ヴァイオリンとピアノの録音についての動画は皆無です。そんな中で、情報をかき集めて買える範囲のマイクを探し当てました。
今回のリサイタルで録音してみて、その音質や性能を確認したいと思っています。なによりも、客席で聴いてくださるお客様の「聴いた音」に近い録音ができればと願っています。
さぁ、明日はリサイタル!今日は、技術エンジニア!頑張ります!

録音業者と間違えられるヴァイオリニスト 野村謙介