メリーミュージックブログ

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06月

間違いだらけ「弓の毛の張り具合」

 映像は、ファリャ作曲のスペイン舞曲をクライスラーがアレンジした作品です。だいぶ前の演奏で…若い(笑)
 今回の話題は「弓の毛」をどのくらい?張って演奏するのが良いのか?です。
多くの動画がYoutubeに上がっていますが、なにか間違っている気がしましたので、長年「弓」について考えながら演奏してきた演奏者として、考えをまとめてみます。

 高校時代まで使っていた弓は、フィンケル氏の作成した弓1本だけでした。
次第に「弓を変えたら音が変わるって本当かな?」と思うようになり、ヴァイオリン職人で私の楽器を斡旋紹介してくれた名工「田中ひろし」さんに相談しました。「自分で勉強してこい。」と一言。東京中のヴァイオリン専門店を回って、「これだ!」と感じた弓を数日間だけ貸してもらっては、表参道?南青山?の田中氏の工房に持っていきました。「おまえ、この弓のどこがいいんだ?返してこい!」の繰り返しを約1年間続けた頃、田中氏から「この弓でひいてみろ」と言われて渡された弓。それが今も私が使っている「ペカット」でした。その弓を師匠である久保田良作先生にお見せしました。「すごいね!今度の演奏会で使わせてもらっていいかな?」と実際に東京文化会館小ホールでの先生の演奏会で使用されました。その後返して頂いた際に「この弓、売ってもらえないかな?」さすがにそればかりは!とお許しいただいたのを忘れられません。
 そんな弓を使って演奏している私の「弓の毛」の張り方です。

 「弓の毛を強く張れば張るほどいい音が出る」と間違っている人がたくさんいます。また同じように「張れば張るほど、大きい音=フォルテが出せる」と間違っている人も多いのが現実です。なぜそれが間違いなのか?説明します。

 そもそも、弓の木は元来「まっすぐ」に削られたフェルナンブッコの木を、職人が熱を加えながら反りを付けて作ったものです。弓の木には弾力=しなりがあります。弓の元から先までの「しなり=強さのバランス」と「重さのバランス」が弓の命です。さらにしなりは「縦方向と横方向」のしなりがあります。
弓の毛に対して直角方向が「縦」で、弓の毛と平行方向が「横」のしなりです。
弓の一番先を左手で持って、右手でこの「縦と横」の弾力を感じる=調べることができなければ、弓の良し悪しは判断できません。しなりが弱い弓を「腰が抜けた弓」と表現します。一方で固すぎる弓は、柔らかい音色を演奏できません。
 弓の毛を張ったままで何日も放置すると、弓の腰が抜けて「ぐにゃぐにゃ」になります。この状態は先述の「左手で弓先を持って調べる」とすぐにわかります。縦にも横にも、ほんの少しの力でふらふらと曲がります。反りもほとんどなくなって、まっすぐの「棒」になってしまいます。
この状態で演奏しようとすると?当たり前ですが、弓の毛とスティック=弓の棒の部分がすぐに当たってしまいます。弓の毛を張れば張るほど、スティックは安定感を無くして、フォルテもピアノも演奏できなくなります。
 言い換えれば、張らなければ弾きにくい弓は、腰が抜けている弓です。
弓の弾力は、すべての弓で違います。弓の毛の本数が同じでも、弓の毛もやはり弾力が違います。演奏する前にその弓の「ベスト」な張り具合を見極める技術が絶対不可欠です。弓の弾力が最も大きく使えるのは「弓の毛を緩めた時=毛を張っていない時」です。弓の毛を「少しずつ張っていく」と、スティックの両端を弓の毛が、弓の元=毛箱に向かって引っ張る力が生まれ、少しずつ弓の反りが「逆方向=まっすぐにさせられる」ことになります。つまり、本来「弓の反りが少しだけ変わる」程度の張りの強さで、弓の毛はまっすぐにピンと張れているはずなのです。
 腰の抜けた弓だと、弓の毛がピンとなる前に、スティックがまっすぐになってしまいます。これでフォルテが弾けるはずもありません。
 この「ぎりぎりの弱さ」で、まず弓の中央部分と、先、元で演奏してみます。
弓のスティックを、演奏者から見て向こう側に倒しすぎれば、弓の毛が半分くらいしか弦に当たらず、当然毛のテンション=張力が半分になるので、すぐにスティックが弦に当たります。当たり前です。だからと言って弓の毛を張るのは間違いです。
 そもそも論ですが、弓の真ん中は弓の毛のテンションが弱くて当たり前です。むしろ弱いからこそ、元・先のテンションが強い部分との「違い」が出せるのです。
 弓の毛を「弦」に置き換えればすぐに理解できます。
弦の「端っこ」に当たる「上駒=ナット」近くと「駒」近くは、弦のテンション=張力が、強く=弦が固く感じますよね?つり橋の真ん中が揺れるのと同じ原理です。弦の固さ=橋の強さは本来端っこも真ん中も同じでも、駒=橋脚近くは固い=揺れないのに対して、真ん中は柔らかい=揺れることになります。弓の毛でもまったく同じです。

ちなみに「カーボン弓」は「曲がらない」と勘違いしている人もいますが、それも間違いです。曲がるように=フェルナンブッコ弓と同じように作る技術があるのです。ケースに使われるカーボンと「製造工程」が全く違うのです。
 弓の毛を張らないで、フォルテで演奏すると、初心者の場合は弓の毛とスティックと弦がすぐに「接触」してしまいます。その接触をぎりぎりで避ける「圧力」をコントロールできるのが上級者やプロの演奏技術です。

 弓の毛の張り具合は、演奏者によって好みが分かれます。
弓の中央部分でも、とにかく圧力をかけて演奏したいというヴァイオリニストはやたらと毛を強く張ります。一方で、弓の中央部分の柔らかさを使いたいヴァイオリニストは、ぎりぎりの弱さで張ります。
 少なくとも、弓へのダメージを考えるなら、私は張りすぎは避けるべきだと思います。私はペカットを使うのは、本番前の数日間と本番当日だけにしています。それまでは、違う元気な弓(私の場合フィンケル)で練習します。
 弓のスティックは、演奏していると次第に柔らかくなっていくのを感じるはずです。言い換えれば、木が疲れてきているのです。毛を強く張って長時間練習すれば、それだけスティックは疲労します。
 「弓は消耗品」という、とんでもない嘘を言う人が、たまにいます。
確かに疲労しやすい・壊れやすい「楽器」です。だからこそ労わって、大切に使わなければ、名弓と呼ばれる弓は世界からなくなってしまいます。すでに多くのペカット、トルテの弓が、折られたり、使い物にならなくされたりしています。
 弓はヴァイオリンの付属品でもありません。楽器です。
弓の扱いを知らないアマチュアが多すぎます。先日も、ある学校の部活オーケストラに入った私の生徒が、先輩に「弓の毛はいっぱいまではらないとダメなんだよ」と言われ、困って「私の先生に弓の毛は張らないほうがいいってならいました」と正直に答えたそうです。あろうことか、そう上級生は「そう?じゃ、貸して」と生徒の弓の毛を目いっぱいに張って「はい。これで大丈夫」と返されました。
実話です。これが現実なのです。恐ろしいと思います。
 私の生徒には、絶対に人に楽器も弓も触らせたり弾かせたりしないこと!
なぜなら、楽器を落としたり、ぶつけて壊しても「貸した人=持ち主の責任」なんだよと、教えました。どうしても先輩に言われたら「このヴァイオリンは私の先生に借りているものなので、貸せません」と嘘で良いから断るんだよと教えました。嘘をつかせたくはありませんが、そうするしか方法がありません。

 弓の毛の張り具合を決めるのも、演奏技術の一つです。ただ単に「適当に張りましょう」と本気で思っている人には、ぜひ弓のスクリューを90度緩めて演奏して見て欲しいと思っています。それでもまだ強すぎれば、さらに90度。
きっと音色の違いに気付けるはずです。そして、弓の反りをいつまでも保つことは、ヴァイオリン演奏者の「責任」だという事を忘れないで欲しいのです。
弓は買い替えればよい…という人は、ぜひピチカートだけで演奏してください。
弓は演奏者の「声」を出すものです。声楽家がのどを大切にするように、ヴァイオリニストは弓をもっと大切にするべきです。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

初めての音との出逢い

 映像はThe Singers Unlimitedのア・カペラ。
高校3年生の頃に、初めてこの「音」に出逢いました。
仙川の「リセンヌ」という小さな喫茶店。マスターとお母さんがサイフォンで入れてくれるコーヒーと煙草の香りの中に、ジャズが流れていました。
いつからか、入り浸っていました。授業の無い時も、たまには…(笑)
当時、ジャズに興味の無かった私が、なぜ?このリセンヌに通い続けたのか、記憶が定かではありませんが、なにか落ち着ける場所でした。
 ある時に偶然かかっていたのがこの「The Singers Unlimited」のコーラスでした。背筋がぞくっとして、鳥肌が止まりませんでした。「なに」これ」
お聞きになってお分かりの通り、「多重録音」で作られた音楽で、実際には女性1名、男性3名のグループです。

 人間の声だけで作られる和音の響きは、楽器の和音の音色と別次元の多彩さがあります。声=歌の場合、母音によって響きが違います。また、男性の声と女性の声の「響きの違い」も明らかにあります。しかも「同じ人間の声」で多重録音されているこの音楽には独特の不思議さがあります。多くの歌手が自分の声を「重ねる」技術で録音しています。日本人の歌手で重ね録りと言えば、この音楽ですね。

https://youtube.com/watch?v=BwUyh_TL5WE

 同じ人間=山下達郎さんおの声だけだと、また違った面白さもありますが少し違和感も感じますね。でも好きです。
 話が飛びましたが、和音の種類の中で「ドミソ」「ファラド」「ソシレ」と言った基本的な三和音=トライアド・コードと、「ドミソラ」や「ミファラドソ」のように、聴いていて「ん?」と感じる和音があります。
 クラシック音楽の多くは前者の和音を基準に作られています。もちろん、例外はたくさんあります。一方で、ジャズで多く使われる和音は、クラシック音楽よりもはるかに「7th」「9th」や半音意図的に下げた音を組み合わせるなどの和音が使われます。めちゃくちゃに鍵盤を抑えて出る和音…ではありません。ジャズの「規則=理論」があります。むしろ、クラシックの和声進行より、音の数が多いうえに「ベースが△の音を弾く場合」などと言った暗黙のルールも含めれば、クラシックよりはるかに理論が複雑になります。

 私自身、この音楽を初めて耳にした時、どんな和音なんだ?と聴音の耳が働きかけました。が、それが無意味だと感じました。なぜなら「美しかった」からです。楽譜にすれば「この音とこの音とこの音」で書き表せる「音」ですが、聞こえてくる「サウンド」に身をゆだねたいと感じました。
 その後、たくさんのレコードや、のちにCDを買って聴きあさりました。
クラシックの和声と違う「新鮮な響き」は未だに記憶に残り続けています。
また新しい衝撃的な「新しい音楽との出逢い」があることを楽しみにしています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

クラシック音楽は古い音楽?

 映像は、ぷりん劇場第4幕より「Mr.Lonly」をヴィオラとピアノで演奏したものです。50年ほど前にこの曲に出会いました。
 クラシックという言葉には、いくつもの定義があります。「長い年月を経たもの」と言う意味もあります。
音楽の世界で「クラシック音楽」と言われる音楽があります。それらは、現代の音楽の「土台」になった音楽でもあります。

 「クラシック音楽は嫌い」と言う人が、「ロックやポピュラー音楽は好き」と言うケースがあります。それらの人にとってのクラシック音楽のイメージは様々です。多くは「古臭い」「長い」「つまらない」などの感覚だと思います。
 演奏する姿を考えれば確かに、クラシックの演奏会とポピュラーのコンサートは明らかに違います。「見る楽しさ=見せる演出」の有無です。
 ただ、クラシックでもオペラの場合は、見る楽しさもありますが、多くの演奏会は「無心に演奏する演奏者」を「明るく照らす照明」だけですよね。

 音楽そのものの「音=サウンド」で比較してみます。
クラシック音楽とポピュラー音楽の大きな違いは?
・楽器の役割=クラシックの場合、リズム楽器という概念がありませんが、ポピュラーの場合はドラムセット、ピアノ、ベースなどが音楽のリズムを作る基本になっています。
・音量=クラシック音楽の多くは、ポピュラーよりも大きな「音量変化」が1曲の中にあります。逆に言えば、ポピュラーの場合は、1曲の音の大きさはあまり変わりません。
・演奏される楽器の種類=ポピュラーで使われる「シンセサイザー=電子楽器」は一つの楽器で多くの音色を演奏できます。しかも一人で操作・演奏できる楽器です。クラシックの場合、オーケストラではそれぞれの楽器を一人ずつの人間が演奏するので、楽器の種類を考えてバランスをとるためにさらに多くの演奏者が必要になる場合もあります。
・1曲の演奏時間=クラシックの場合、どこまでを1曲とするのかにもよりますが、明らかにポピュラー音楽よりも演奏時間は長い曲がほとんどです。ポピュラーの場合は、レコード片面に収まる演奏時間がひとつの基準になりました。また、テレビで多くの歌手を出演させるためにも「時間制限」が設定されていました。クラシックに「演奏時間」の基準がないことも、「クラシックは長い」と思われる要因だと思います。

 クラシック音楽があったから、現代の音楽が生まれてきたことは紛れもない事実です。それを否定するのは「無知」でしかありません。コードネーム一つを取って考えても、バッハの時代に築かれた「技法」に英語で名前を付けただけです。ジャズは自由な音楽です。クラシック音楽は「楽譜」に従って演奏しますが決して「不自由」な音楽ではありません。ジャズの演奏をクラシック音楽のように「楽譜」にすることができるのがその証です。どちらが優れているかと言う問題ではありません。それぞれに異なった「自由」があるのです。
 違う言い方をすると、ジャズピアニストの中には「楽譜通りに演奏するのはとても難しい」と言う人もいます。クラシックピアニストの中には「楽譜のない状態で曲を作りながら即興で演奏するのは難しい」という人もいます。両方できる人もいます。違った難しさがあるのです。どちらかを学び、極めた人には、それがわかります。

 歴史的に考えれば、現代の音楽=ポピュラーの基礎を作ったのは、クラシック音楽です。音楽が進化し変化することは、今に始まったことではありません。
クラシック音楽が「出来るまで」にも様々な音楽があったのです。
 演奏する楽器の種類が違う。1曲の長さが違う。演奏会での演出が違う。歌い方=演奏豊富尾が違う…などなど、違う点はたくさんあります。
 クラシックと言うから「古い」と言うイメージがついてまわりますが、それぞれに違った音楽である「だけ」で、古いだけではありません。古いと言うなら、ミスターロンリーはクラシックです(笑)言葉の「落とし穴」ですね。
 音楽以外にたとえるのは難しいですが、フルコースの料理で出てくる「順番」があったり、懐石料理でそれぞれに「名前」があったりします。これも一種の決まり事です。それにとらわれない料理もあります。
 モノづくりにも言えます。伝統的な手法と工程で作られるものもあれば、機械化で短時間に作られる「同じようなもの」もあります。手作業で作られる車もあれば、ロボットがほとんど作る車もあります。伝統的な踊りや歌、料理や日用品、建物がどんどん消えている現代に、悲しさを感じます。
「便利な方がいい」のは確かです。「新しい方がいい」と決めつけるのは間違いです。不便だから古いものは壊す、捨てると言うのも間違いです。
 先人の築いた「文化・芸術」を古臭いと切り捨てることは、人間のおごりです。もっと、古きよきものを大切にする「心」を持ちたいと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

母に贈る感謝

 2020年6月3日の早朝、私(謙介)の母が父を追って天国に旅立ちました。
あれから丸2年の月日が流れました。もう?まだ?どちらにも感じます。
穏やかに最期の時を迎えられたことが、何よりの救いでした。

 父も母も生まれは岡山県。昭和4年生まれの父と6年生まれの母。
戦後を息抜いた両親の間に、兄と私の二人兄弟。
父は決して裕福ではない家庭の長男として生まれ、3人の妹を支えるために勉強し、京都大学に進み、当時の富士銀行に就職。一方の母は、一代で会社を築いた父の長女として恵まれた環境で育ったお嬢様。
 そんな二人の間に生まれた兄は、幼いころから勉強とスポーツの出来る「優等生」で父のスパルタ教育を受けて育ちました。5つ年下の私は、生まれつき心臓に病気が見つかり、その後治療不能の目の病気と診断され、病弱な幼少期を過ごしました。
 銀行員はとにかく転勤が多く、私は東京渋谷区で生まれ、すぐに札幌の社宅に引っ越し。当時心臓が弱く、列車と船での移動は無理と診断され、銀行は特別に「飛行機」での移動を認めたそうです。3歳頃に、代々木上原の社宅に引っ越し。小学校入学は「上原小学校」その後、岡山県倉敷市の社宅に引っ越し。田んぼの中の一軒家社宅。「倉敷東小学校」へ。この頃に、ヴァイオリンを習い始め、少しずつ健康な生活が出来るようになってきた小学校2年生が終わるころに、東京都杉並区荻窪の社宅に引っ越し。「荻窪小学校に転校し小学校5年生途中まで友達と元気に遊ぶ少年になりました。その後、東京都小金井市に父が念願のマイホームを建てて引っ越し。「緑小学校」に転校しこの頃に、久保田良作先生のお宅を訪ね、図々しくも弟子入りさせて頂きました。当時は奥様の「由美子先生」にレッスンをしていただいていました。その後、「緑中学校」に入学したときから、良作先生のレッスンを受けることになりました。
 両親は、私たち兄弟が独立した後も、二人で小金井に暮らし続けましたが、父が前立腺がんの告知を受けてから、生活が激変しました。やがて母の認知症が判明し、進行していることを父は私たちに隠し続けました。
 ある年末に、父がインフルエンザを悪化させて救急車で杏林大学病院に搬送され、即入院。これがきっかけで、両親ともに施設で暮らすことを承諾。
 その後は、兄の住まいに近い有料介護施設に、ふたり隣同士の部屋で入居。
父が老衰で亡くなったときには、すでに母の認知症は父の死を覚えていられない症状でした。その後も、母は施設で暮らしましたが、幸い大きな病気にもならず、数日間の入院があった程度で平穏に暮らすことができました。
 母の認知症は、途中「ものとられ症候群」で施設の中でトラブルはあったものの、その後は、穏やかに生活できていました。亡くなる数週間前から、食事をしなくなり、水も飲まなくなり、それでも会話は出来ていました。亡くなる数日前に、施設に面会に行った時、車いすでロビーまで連れて来られた母と、何とか会話ができたのが最後の会話でした。施設の出口で手を振る母が、生きている最後の姿でした。

 母に最期の生演奏を聴かせられたのは、もうずいぶん前のリサイタルです。
両親ともに、葬儀が大嫌いでした。数人の身内だけで、ふたりを送りました。
実は上の映像は、母の通夜と告別式の際に、式場でひっそりと流していた音楽です。安らかな終焉を迎えられた両親に、今更ながら「子供孝行な親だな~」と思います。それなりに介護はきつくも感じました。ただ、それは肉親として当然の事でした。浩子にしても義理の姉にしても「家族」として本当に私たちの両親を支えてくれました。尊敬しています。家族とは…それを教えてくれました。
 音楽を演奏する息子を、誇らしげに話していた両親でした。
相変わらず兄は音楽に「縁がない」スポーツ系おじいさんですが、仲良し兄弟になってしまいました(笑)
 両親に感謝することを、両親が生きている間に出来ていなかったのは事実です。だからと言って、後悔しても仕方のないことです。自分がこの先の人生を、両親への恩返しとして、ひとりでも多くの人に、音楽と笑顔を届けて暮らすことが、両親への感謝になるのかな?と思っています。
両親が生前に、お世話になった多くの方々に、改めて俺を申し上げます。
ありがとうございました。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

 

クラシックコンサートに期待されるもの

 演奏は、ヴィオラとピアノで演奏した、バッハのG線上のアリアです。
今回のテーマは、お客様がクラシックコンサートに期待することを考えたいと思います。演奏する側が本来、一番考えなければいけないことだと思います。

 大きく分けて二つの期待があります。
1.音楽=曲への期待。
2.演奏=演奏者への期待。
 クラシックのコンサートで演奏される曲は、多くの場合はすでに誰かがどこかで演奏している曲です。またこれもほとんどの場合、多くの演奏者が同じ音楽を演奏しています。聴く側の立場を考えると、曲名を見て「知っている」レベルが様々です。タイトルだけ聴いたことがある曲、タイトルを見ても曲が思い浮かばない音楽、一部分だけ知っている音楽など人によって大きく違います。
 第九を例にとれば、終楽章の「有名な」部分だけを知っている人は多くても、1楽章を聴いて「あ、第九だ」とわかる人は圧倒的に少ないはずです。
クラシック好きであれば話は別ですが、「曲名」だけに期待する人の場合、有名なタイトルの曲にしか「期待」しないのが現実です。
 ヴァイオリンとピアノでコンサートを開く場合、多くの人が知っている曲を選ぼうとすれば、どのコンサートもほとんどが同じ選挙区になるでしょう。
 有名どころを挙げてみます。
・ツィゴイネルワイゼン
・スプリングソナタ
・愛の挨拶
・タイスの瞑想曲
これでさえ、すでに怪しい気がしますが、さらに
・愛の喜び
・G線上のアリア
当然、いくらでも思いつきますが、タイトルを知っている曲はこの程度ではないでしょうか?
 それだけでコンサートを開くのが正しいとは思っていません。現実の問題です。

 演奏や演奏者に期待してコンサートに行く人を考えます。
・演奏者をテレビで見て演奏者に会えるのを期待する
この場合、日本では数人の演奏者に限定されるでしょうね。
・チラシの「経歴」に期待する場合
以前に書きましたが、これは案外大きいですね。
・誰かからの紹介=口コミで期待する場合
いわゆる「リピーター」から誘われていくケースです。
・チラシの写真が「かわいい」「かっこいいい」
どの程度いるのか不明ですが。関係ないとは思いません。
 知っている曲をどんな風に演奏をするのかに期待する場合と、演奏者を知っている=その人の演奏を聴いたことがあって、曲目より演奏者に期待する場合があります。

 クラシック以外のコンサート=ライブの場合だと、多くの場合はアーティストをテレビやCDで知っていて、生で聴いてい見たい、あわよくば見てみたいという「期待」です。どんな曲を演奏するのかも、大事ですがむしろ「生で聴く」ことに満足して帰るファンがほとんどです。その点がクラシックの演奏会と大きく違う気がします。一言で言えば、クラシックは「曲または演奏に期待する」ポップスは「歌手・アーティストを生で感じることに期待する」と言えます。

 演奏者自身が聴衆に演奏を期待されなければ、演奏家として生活していくことは不可能です。自分以外の人の演奏と、自分の演奏の違いを聴いてくれる人に伝える方法は、自分の演奏を一人でも多くの人に知ってもらうしかありません。
 昔はテレビかラジオしか方法はありませんでした。いまはインターネットと言うツールがあります。Youtubeは誰でもいつでも「ただ=無料」で音楽を聴いたり見たりできます。その現代にお金を払ってチケットを買い、交通費と時間をかけてまで「コンサート」に来てもらうのは、至難の業ですね。
 無料で見られる・聴くことのできる演奏と、コンサートで聴くことのできる演奏との違いを知ってもらうことが不可欠です。
録音された演奏や配信では感じられないものは「コンサートの空間」です。
・ホールの広さ=反響・残響
・演奏者との距離=直接音と反射音の融合
・ヴァイオリンとピアノ、それぞれの音の広がり方と伝わり方の違い
どんなにヘッドホンやスピーカーの性能が良くても感じられない、臨場感=リアルな空気振動がコンサートの魅力です。
会場が変われば音が変わります。同じ会場で演奏者が変われば、音楽も音色も変わります。同じ会場で同じ人が演奏しても、その時々で演奏は違います。
いつも同じ音色で再生される「機械の音」とは違う、「そのコンサートだけの音楽」こそが、生きている人の演奏=ライブです。

 クラシック音楽の演奏は、人間の奏でる音楽です。ジャズも同じです。
ロックやポップスの音楽は、ライブもスピーカーからの音で聴きます。
機械を通さないアコースティック=自然な音を楽しめるのが、クラシックコンサートです。
 一人でも多くの人に、生演奏の良さを体感してもらえるように、無料の音楽配信でクラシック音楽をもっと広めることが求められていると思っています。
ヴァイオリンのコンサートは面白いぞ!
最期までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

趣味のある人生

 映像は2008年8月24日(日)に実施した、メリーオーケストラ第14回定期演奏会での「ビーチボーイズ メドレー」です。いつもの事ながら、演奏している人たちの「真剣さ」「ひたむきさ」「楽しさ」を感じます。「かっこよさ」とか「美しさ」「うまさ」が足りない?かも知れませんが、私にとっては前者の方が、1億倍(子供かっ!笑)大切なことだと思っています。
 今回のテーマは「趣味」についてです。

 趣味の〇△という書籍や番組、履歴書にある「趣味」の欄、お見合いで「ご趣味は?」←今時、言うのだろうか?など、普通に使う言葉ですが生活の中で、自分の趣味を考えることはあまりない気がします。
 まず、「子供の趣味」とは言いませんよね?子供が生き生きと遊んでいる姿こそ「趣味」の原点ではないでしょうか?好きなことをしている時の「純粋な楽しさ」こそが趣味だと思います。
 大人が趣味という裏側には「好きじゃなくても」やらなくてはいけないことがあります。あるいは、好きだけれど「責任」のあることも趣味とは言いません。
 失敗しても途中で投げ出したとしても、誰にも迷惑をかけないという「自分だけの責任」で楽しめるのが趣味でもあります。趣味にかける「お金」も、大人が自分で稼いだお金を使います。もちろん、家族がいる場合には「限度」がありますよね。家族に迷惑をかけない範囲のお金で、自分の好きなことをするのが趣味です。

 趣味のない人生。趣味のない生活。普段、仕事と生きることに精一杯の人にとって「趣味なんて余裕はないし、いらない」と思うかもしれません。
 確かに「お金持ちの趣味」と聞くと、悪いイメージがあります。
「豪華客船で世界一周するのが趣味」とか、「何台も車を買うのが趣味」とか聞くと思わずムカつくのが庶民です。生活に余裕のある人の特権なのでしょうか?
 私はそうは思いません。生活が苦しくても、趣味は楽しめると信じています。
お金をかける余裕がなくても、散歩が趣味だったり、ただボーっと空を見るのが趣味だったりするのは、素敵な趣味だと思うのです。その人が「心休まる」ことも立派な趣味だと思います。
 私の父は「骨董集め」が一番の趣味でした。休みの日には、ひとりで夜の明けないうちに起きて出かけ「蚤の市」に行っては、なにやら買ってきていました。それを、庭先の水道で洗う嬉しそうな父を「なにが楽しいんだ?」と怪訝な気持ちで見ていたのを覚えています。

ラグビーを見るのも趣味でした。テレビで生中継を見た後に、万度もビデオを見ながら、何度も興奮して手をたたく父を見て「大丈夫か?」と思ったこともあります。
 その父が一番嫌いで必要以上に怯えていた「病気」になってから、趣味を無くしました。骨董の事にも一切、関心を無くしました。母とふたりで施設に入居してからも、自分の部屋でただ椅子に座って、黙り込んでいるだけの日々でした。いくら誘われても、集まりにもイベントにも参加せずに、座ったままでした。
 私と浩子さんが演奏に行った時だけは、みんなと一緒に聴いていました。まるで「天照大神」になったような気がしました(笑)
 趣味を無くした人の「無表情」な顔は見ていて悲しくなるものです。
生きるために食べ、寝るだけの生活を本人が望んだとはいえ、家族としては骨董を洗っている父の姿の方が何倍も「生きている」姿に見えました。私事ですみませんでした。

 メリーオーケストラは趣味で楽器を演奏する人と、音楽を専門的に学ぶ人、さらには職業として演奏している人が、一緒に演奏して楽しむオーケストラです。
 普段、職業として演奏している方に対して「交通費」しかお支払いできないのは、音楽家として心苦しいことです。それでも「参加します」と言ってくださる人たちのやさしさに感謝すると同時に、その人が音楽を演奏することを「楽しんでいる」からこそ、交通費だけで参加してくれているのだと確信しています。
 音楽を一緒に演奏する楽しさを知っている人に、「すみわけ=分類」は不要だと思います。楽器の演奏が好き。一緒に音楽を演奏するのが楽しい。それが職業だろうと、自分だけの楽しみだろうと本質は「好きだから」という事に違いはないと思うのです。
 私自身、今までにいろいろな趣味がありました。カメラだったり車の運転だったり、バイクだったり。そして今、楽器を演奏すること、音楽を広めることが「趣味」なのかな?と自分で思う年齢になりました。出来ることだけしかしないという「無責任」なのかも知れませんが、そろそろそれも許される年齢になってきたように感じています。
 皆さんもぜひ!趣味のある生活を楽しんでください。
最期までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

クラシック音楽ビジネスを考える

 映像は、ヴィオラとピアノで演奏した、メンデルスゾーンの「歌の翼に」
デュオリサイタル10、ムジカーザでの演奏です。ヴァイオリンで演奏できる音域の曲をこうしてヴィオラで演奏すると、違った味わいを感じます。

 今回のテーマは、クラシック音楽の演奏をビジネスとして考えるものです。
演奏することで生活するために、なにが必要でしょうか?
 当然、演奏技術は不可欠ですが、その演奏技術を誰が評価するのかという根本的な問題があります。もっと言えば、演奏技術とはなにを指している言葉なのか?と言う定義があるのでしょうか?

 一般にコンクールで優勝した、あるいは入賞した人の演奏は「演奏技術が高い」と言って間違いないと思いますが、それはそのコンクールでの演奏を評価した結果です。その演奏以外の演奏が常に高いと言う証明ではありません。
 コンクールで入賞していない人の演奏技術が「低い」とは限りません。
「評価が欲しければコンクールで入賞すればいい」と言う考え方もあります。
では、「○○音楽大学卒業」と言う肩書は、必要でしょうか?現実に何人もの優れた演奏家・音楽家は、音楽大学を卒業していません。言い換えれば、音大を出たから素晴らしい演奏家になれるわけでもありません。
 つまり「肩書」が演奏家にとって、どれだけの価値があるのか?と言うお話です。私は肩書は単なる「ブランド」だと思っています。少なくとも、演奏を聴いたことのない人の「肩書」と演奏技術は関係ないとさえ思っています。
 有名ブランドの洋服やバッグを、着たり持ったりすることに「喜び」を感じる人のように、肩書を見て演奏者の優劣を決めている、人や組織・プロダクションが多すぎると思います。
 演奏技術の評価基準は「間違えないで正確に演奏出来る」ことしかないのでしょうか?だとしたら、以前にも書いたように人間の演奏より、ロボットのほうがはるかに演奏技術は高いのですが?
 演奏の「センス」は評価不能だと思います。優劣は存在しない「好み」の問題です。だとすれば、自分の好きな「演奏家」を選ぶのは、聴く人と演奏する人の「センス」がすべてではないでしょうか?一般の人に演奏技術の優劣が判断できるものではありません。「誰かがうまいと言ったからうまいんだろう」と思っているだけです。同じことは、ヴァイオリンという楽器に「優劣」を付けたがる人たちにも言えます。「だれそれの作ったヴァイオリンは素晴らしい」「新作ヴァイオリンなど論外」と言うヴァイオリニストを良く見かけますが、本当にその方がヴァイオリンの「良し悪し」を見極めているとは到底思えません。
誰かが良いと言えば良い。有名レストランの料理をありがたがって食べる「食通」と同じです。人によって「美味しさ」の基準が違うのが人間なのに、他人が美味しいと言うから美味しいに決まっている!って、味覚音痴でしょ?(笑)
 演奏の好き嫌いこそが、普通の人の聴き方だと思っています。
演奏する人がどんな人なのか?を知っていればなおさら、その人の演奏に親近感がわくものです。演奏者の「人柄」も演奏家としての「資質=価値」だと思っています。クラシックの演奏が一般になかなか浸透しない理由の一つが「演奏を聴いても演奏家の顔や声を感じない」事にもあるのではないでしょうか?
 現実に、テレビで良く見かける「ヴァイオリンを演奏する芸人さんたち」は、顔や髪形、声や話し方、果ては「色気」で人気があるのも事実です。演奏の技術云々よりもそちらで「ファン」が増えるのは現実です。別に私たちがみんな、あの人たちのようにテレビに出る必要もないわけです。

 演奏会に来てもらいたいのなら「自分を知ってもらう」ことが必要だと思うのです。

 演奏家、音楽家はプレゼンテーションが下手な人がほとんどです。
一般企業で営業をする立場の人なら、顧客にプレゼンをして実績を作らなければ「窓際」で一生終わります。物作りをする人にしても、自分の商品をアピールできなければ、生き残れないのが現代の社会です。「音楽で勝負する」以前に、自分の演奏する音楽を「プレゼン」する努力と能力がなければ、生き残ることは出来ない時代なのです。
 誰かにコンサートを開いてもらう時代は、もう終わると確信しています。
なぜなら「中間マージン」が大きすぎるからです。演奏家が自分でプロモーションする力があれば、肩書がなくても音大卒業でなくてもお客様は集められる時代です。
 自分で自分を売り込める「自信がない」人は、生活できない時代になります。
他人の評価を待っている演奏家、肩書にすがる演奏家には見向きもされない時代が来ます。
 音楽家にとって「財産=商品」は、自分自身なのです。それを聴衆に「直接販売」するのがこれからの音楽ビジネスだと思っています。アナログで良いと思います。現にストリートピアノに人気があるのは「リアルに人が演奏している」からです。配信で生活しようとするよりも、自分の声で人を呼ぶ勇気と自信を持つことだと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

良い先生って便利な先生?

 映像は、恩師久保田良作先生の門下生による夏の合宿での一コマです。
私にとって「良い先生」と言う定義を考えます。
 実は今朝、偶然見かけたネットニュースに、レッスンをする「先生」についての記事がありました。その中に「それ、違うんじゃない?」と感じる部分がありました。「レッスンの予定を行く気がしなかったので直前にキャンセルしても、先生は私の時間が出来たからいいのと、レッスン代金も受け取らない【いい先生】です」と言う内容でした。皆さんは、どう感じますか?

 生徒さんと先生の間でレッスン代金の支払い・受け取りがあるなしに関わらず、人として誰かに「教えてもらう」立場で、教えてくれる人に対する「敬意」はないのでしょうか?もちろん、教える側から生徒さんへの敬意もなければなりません。少なくとも、礼儀はあって然るべきだと思います。
 先生とレッスンの時間を決めて約束をした後で「行く気がしないから」と言う理由でキャンセルが成立するのでしょうか?そしてそれを受け入れる先生が「良い先生」なのでしょうか?間違っているように思います。
 さらに言えば、どんな理由があったとしても約束を「キャンセル」するのは相手に対して「失礼=礼をなくす」な行為だと思います。理由が嘘でも本当でも、相手に対して「迷惑をおかけして申し訳ない」と言う気持ちがないのかな?と疑問に感じます。

 お互いに人間なので、失敗もするし体調が突然悪くなってレッスンが出来ない場合も起こります。実際に私もこれまでに、幾度となくその経験をしました。
生徒さんのほとんどのかたと「気持ちよく」お互いの事情を理解しあえます。
レッスン代金については「当日の変更やキャンセルはお支払い」と言う約束をあらかじめ取り交わしています。一種の契約です。

 良い先生が「便利な先生」と同じ扱いになるのが私は恐ろしい気がします。
教える先生が「それでいいよ」と思うのは自由です。それが「良い先生」だと生徒の側や一般の人が感じる「時代」なのでしょうか?
 ヒステリックな先生や、生徒が委縮してしまう先生、ただ怖いだけの先生が良い先生だとは思いません。演奏技術が高く有名な「演奏家」が良い先生だとも限りません。教える側の立場で「良い先生とは」と言うのも何か言いにくいですが(笑)皆さんは、どう思われますか?
 ご意見などお気軽にコメントくださいませ。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

学んだ知識を身に着ける努力

 映像はヴィオラとピアノで演奏したドボルザークの「我が母の教え給いし歌」です。私の幼いころの写真やら、両親の若いころの写真など(笑)お許しください。「母が教えてくれた歌」を実際に覚えているかどうかは人それぞれですが、私の場合は…すみません、「記憶にございません」
 子供の頃から、音楽を教えてくれたのは「先生たち」でした。
両親から直接、音楽を教えてもらった記憶はないのですが、よくよく考えてみれば先生に出会えたのは「両親のおかげ」です。やる気のない少年「K」をある時は叱り、有る時は飴で釣りながらヴァイオリンを「やめさせなかった」両親から結果的に音楽を学んでいたわけです。
 反抗期、大人に対する理由もない嫌悪感と対抗心を感じる時期です。
特に「親・兄弟」への反抗は人によって違いますが、時には「人として」間違った言葉や行為に至ります。私自身、中学生のころから高校を卒業する頃まで、父にも母にも「抗って」いました。反抗する子供を見ると「いつか大人になって目覚める」と信じていますが、自分の子供を「放任」したことは今反省していますが、時すでに遅しです。

 さて、音楽をひとに習うことができるのは、どんな人でしょうか?
「お金を払えば教えてもらえる」と言う意味ではありません。
人から何かを学び取ろうと言う「気持ち」の話です。
教えてもらう、教えて頂くと言う「謙虚な気持ち」がなければ、なにも学べません。形だけ「習う」ことを学んだとは言いません。音楽に限ったことではありませんが、他人の言葉に耳を貸そうとしない人は「自分が正しい」と思いこんでいる人です。少なくとも自分の考えと違う考えに対して「誹謗」する人や、自分と違う考えの人を「排除」する人が、誰かから謙虚に「学ぶ」ことは不可能です。
 人間は年を重ねると次第に、人を見下す傾向があります。
特に回りの人が「ちやほやしてくれる」環境にいると、その「上から目線」は限りなく高い場所からの目線になります。「神」になった気持ちなのかもしれません。
 その「神のつもり」の人から、何かを学べるでしょうか?と言うより、その人に、他人になにかを「教える資格」があるとは思えません。
 本人は「教えてやる」と、いい気分でしょうけれど、すでにその人は「学ぶ心」を失っているのですから、退化し続ける哀れな人でしかありません。

 音楽を学ぶと言うことは、技術や知識を学ぶだけではありません。
練習の仕方?楽器の扱い方?それもありますが、もっと大切なことがあります。
音楽を学ぶ。それは、自分に足りない「なにか」を見つけることです。
レッスンならば先生からの言葉や、先生の演奏から自分に足りないものを考えます。
 他人の演奏を聴く時も、自分に足りないことを見つけることが大切です。
逆説すれば、自分を観察できなければ、なにも学べないという事です。
その上で「向上」しようとすることが「学ぶこと」です。
自分が出来ないことに気付けたのなら、そこから先にやることはただひとつ。
「身に着けるまで努力=練習する」ことです。
当たり前のようですが、得てして学んだ「だけ」で終わってしまうことが多いのです。出来るまで努力することから逃げてしまうのが人間の弱さです。

 学ぶことは、自分の出来ないことを見つけること=知ることです。
そして、それを出来るようになるまで練習し続けることです。
「頭=考えること」と「身体=行動すること」で生き物は成長します。
どちらが欠けても成長はしません。
学び続けて行動し続けている人から、また違う人が学ぶ連鎖が「伝承」です。
趣味であっても専門家であっても、まったく同じです。
気持ちはいつも「初心者」であり続けたいと思っています。
さぁ!今日も頑張ろう!
今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介
 

メリーオーケストラの演奏曲たち

1 アイネクライネナハトムジーク(弦楽器)
2 愛の賛歌(弦楽器)
3 赤とんぼ(弦楽器)
4 葦笛の踊り(くるみ割り人形より)
5 アダージョ(弦楽器)/アルビノーニ
6 アバセレクション(弦楽器)
7 アブデラザール組曲より(弦楽器)
8 アヴェ・ヴェルム・コルプス(弦楽器)
9 アポロ13・メドレー
10 アメリカ(弦楽器)
11 アリア(弦楽器)/ヴィラ=ロボス
12 アルルの女第2組曲
13 アレグロ(弦楽器)/ヴィヴァルディ
14 いのちの歌
15 イパネマの娘(弦楽器)
16 威風堂々第一行進曲
17 イフソービーニア(弦楽器)
18 イムジン河(合唱)
19 イムジン河
20 ヴァイオリン協奏曲第1楽章/チャイコフスキー
21 ヴァイオリン協奏曲第1番第3楽章/ブルッフ
22 ヴィオラヒーロー(弦楽器)
23 ウイリアムテル序曲
24 ウエストサイドストーリー
25 ウォークディスウェイ(弦楽器)
26 宇宙戦艦ヤマト
27 美しき青きドナウ
28 海の見える街(魔女の宅急便弦)
29 大きな古時計(弦楽器)
30 オペラ座の怪人
31 朧月夜(弦楽器)
32 おもちゃの兵隊の行進曲
33 オンブラ・マイ・フ
34 カヴァレリア・ルスティカーナ間奏曲(弦楽器)
35 風の谷のナウシカ(弦楽器)
36 神奈川ゆかりの歌メドレー(合唱)
37 悲しき二つの旋律より「晩春」(弦楽器)
38 悲しみのクラウン(弦楽器)
39 カノン(弦楽器)/パッヘルベル
40 ガブリエルのオーボエ(弦楽器)
41 .カプリオール組曲(弦楽器)
42 ガボット(弦楽器)/ゴセック
43 カルメン第1組曲
44 川の流れのように(弦楽器)
45 管弦楽団組曲第2番(弦楽器)
46 北の国から
47 君をのせて(弦楽器)
48 君を忘れない(弦楽器)
49 クイーン・ベスト(弦楽器)
50 グリーンスリーブス(弦楽器)
51 軽騎兵序曲
52 弦楽セレナーデより第1楽章(弦楽器)
53 弦楽セレナーデより第2楽章(弦楽器)
54 弦楽セレナーデより第4楽章(弦楽器)
55 弦楽のためのソナタ第1番第楽章(弦楽器)
56 交響曲第5番第4楽章/チャイコフスキー
57 交響曲第7番第2楽章(弦楽器)/ベートーヴェン
58 交響曲第9番「新世界より」第4楽章
59 交響曲第41番「ジュピター」より第1楽章
60 交響曲第41番「ジュピター」より第3・4楽章
61 荒城の月(弦楽器)
62 コーラスライン・メドレー
63 コンチェルト(弦楽器)
64 西城秀樹ヒットセレクション
65 サウンドオブミュージック
66 ザ・キング・オブ・ポップ(弦楽器)
67 サッチモ
68 さとうきび畑
69 さとうきび畑(弦楽器)
70 サモンザヒーロー(弦楽器)
71 さよならの向こう側(合唱)
72 サンダーバードのテーマ
73 G線上のアリア(弦楽器)
74 ジェームズボンド(弦楽器)
75 シカゴメドレー(オケ)
76 シカゴ(弦楽器)
77 島人ぬ宝(弦楽器)
78 ジャズピチカート
79 JAVA(弦楽器)
80 修道院の庭にて(弦楽器)
81 主よ、人の望みの喜びよ(弦楽器)
82 ジュラシックパーク
83 序奏とロンドカプリチオーソ
84 ジョン・ウイリアムズ・メドレー
85 シンコペーッテッドクロック
86 シンドラーのリスト(弦楽器)
87 シンプルシンフォニー(弦楽器)
88 好きになった人(弦楽器)
89 スペイン交響曲第5楽章
90 スモークオンザウォーター(弦楽器)
91 スラム・ドック・ミリオネア(弦楽器)
92 千と千尋の神隠し(弦楽器)
93 セントラルコーチスペシャル(弦楽器)
94 そり滑り
95 タイプライター
96 タイムセイグッバイ(弦楽器)
97 韃靼人の踊り
98 旅立ちの日に(合唱)
99 タンホイザー序曲
100 チェロ協奏曲第1楽章
101 地上の星(弦楽器)
102 チャーリーブラウン・クリスマス(弦楽器)
103 チャルダッシュ(弦楽器)
104 チャルダッシュ(フルオケ)
105 中国の太鼓(弦楽器)
106 調和の霊感(弦楽器)
107 追憶(弦楽器)
108 ツィゴイネルワイゼン
109 津軽海峡冬景色(弦楽器)
110 翼をください
111 テイクファイブ(弦楽器)
112 ディズニー・メドレー(弦楽器)
113 ディベルティメントニ長調(弦楽器
114 天国と地獄序曲
115 となりのトトロ(弦楽器)
116 ドラえもんの歌
117 トランペット吹きの休日
118 トランペット吹きの子守唄
119 ドントストップビリーブイン(弦楽器)
120 虹の彼方に(弦楽器)
121 ニューシネマパラダイス(弦楽器)
122 ハイランドカテドラル
123 パイレーツオブカリビアン(弦楽器)
124 花~すべての人の心に花を~(合唱)
125 花のワルツ(くるみ割り人形)より
126 ハバネラ(弦楽器)/サンサーンス
127 パラディオ(弦楽器)
128 ピアノ協奏曲第21番第2楽章/モーツアルト
129 ピアノ協奏曲第2番第3楽章/ラフマニノフ
130 ピアノソナタ第1番より(フルート)/モーツアルト
131 ピーターガン(弦楽器)
132 ビーチボーイズ・メドレー(弦楽器)
133 ピチカートポルカ(弦楽器)
134 ビッグバンド・メドレー
135 ビリーブ
136 ピンクパンサー(弦楽器)
137 フィンランディア
138 ブーレ(弦楽器)/バッハ
139 2つのヴァイオリンの為の協奏曲バッハ
140 2つのヴァイオリンの為の協奏曲(弦楽器)
141 2つの楽器のための小品集(弦楽器)/モーツアルト
142 冬(四季より)/ヴィヴァルディ
143 ブランデンブルグ協奏曲第3番第1楽章(弦楽器)
144 ブランデンブルグ協奏曲第4番第1楽章(弦楽器)
145 ブランデンブルグ協奏曲第5番第1楽章(弦楽器)
146 プリンク・プランク・プルンク(弦楽器)
147 ブルータンゴ
148 ふるさと
149 ヘアー・スプレー(弦楽器)
150 ペールギュント第1組曲(弦楽器)
151 ボーンディスウェイ(弦楽器)
152 星に願いを(弦楽器)
153 ホルベルク組曲より第1楽章(弦楽器)
154 マービンハムリッシュ・メドレー(弦楽器)
155 マイスタージンガー
156 マイフェアレディ・メドレー
157 見上げてごらん夜の星を(弦楽器)
158 ムーンリバー(弦楽器)
159 メヌエット/ボッケリーニ
160 メヌエット(弦楽器)/ベートーヴェン
161 モアナ
162 夕顔の花が咲いたよ(弦楽器)
163 夕焼け小焼け
164 ユーレイズミーアップ(弦楽器)
165 与作
166 4つのヴァイオリンの為の協奏曲(弦楽器)
167 ライトリー・ラテン(弦楽器)
168 ラ・クンパルシータ(弦楽器)
169 ラピュタ(天空の城)
170 ラプソディインブルー
171 リュートのための古風な舞曲とアリア(弦楽器)
172 ルパン三世のテーマ
173 レットイットトゴー(アナ雪弦楽器)
174 レ・ミゼラブル
175 ロマンス第2番/ベートーヴェン
176 ロンドンデリーの歌(弦楽器)
177 ワルツィングキャット
178 ワルツ(仮面舞踏会)
179 ワルツ(弦楽器)/ショスタコーヴィチ

 今日の「リスト」はNPO法人メリーオーケストラが20年間40回の定期演奏会で演奏してきた「音楽」です。延べ179曲になりました。
動画は、第1回定期演奏会でのふるさとです。
立ち上げた時から今日まで、コンセプトを変えずただひたすらに「音楽の普及」と「子供の健全な育成」を目的にして活動しています。
 何回か書いていることですが、アマチュアオーケストラは演奏を楽しむ人たちの集まりです。演奏技術や規模、演奏曲の難易度を競い合うことには、何の意味もありません。その演奏会を毎年2回開き続け、入場料無料で赤ちゃん連れでも、小さなお子様も体に障がいのある方でも音楽を聴いて楽しめるコンサートを開いています。
 演奏者の年齢も技術も様々です。当然の事かも知れませんが、さらに難易度の高い曲に挑戦したい人や、初心者と一緒に演奏することに満足できない「アマチュア演奏家」もいるのは現実です。それはそれで楽しめるなら良いのです。
 リストを見て頂くとお分かりのように、「それ、オーケストラの楽譜があるの?」という曲もたくさんあります。メリーオーケストラで演奏す為に、アレンジしています。
 正確に言えば、本来の=オリジナル編成ではなく、メリーオーケストラの編成に合わせて演奏しています。それが「間違い」だとしても、演奏できることの方が重要だと考えています。
 演奏会の動画には、曲間のMCをカットしていますが、実際には曲の説明やオーケストラのエピソードなども織り込んでお客様との一体感を感じられるようにしています。
 これからもできる限り、この活動を続けていきたいと思っています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

NPO法人メリーオーケストラ理事長・指揮者  野村謙介