優しい演奏は易しいか?

 演奏は、私と浩子さんのCD「Tenderness」に収録した「ハルの子守歌」
渋谷牧人さんの作品を、ヴィオラとピアノで演奏したものです。
前回のブログ「レッスン」で私が書いた「指導者のコピー」についての私見にもつながりますが、2022年の世界で一番大切なキーワードは「優しさ」ではないでしょうか。

 国際コンクールで技術を競い合う事より、もっと大切なことがあると思うのです。もっとはっきり言うなら、音楽で競いあう時代はもう終わっていると思うのです。「ソリストの〇〇さんより上手に演奏する」ことを目指すことに、私は意義を感じません。演奏家に求められているのは、聴く人の心を和ませ、穏やかな心にしてくれる演奏ではないのでしょうか?怖い顔をしながら演奏する音楽に、人は癒されないと思うのです。「癒しだけが音楽ではない」ことはわかっています。人を勇気づける音楽もあります。故郷を思い出す音楽もあります。激しい音楽もあります。ただ、どんな音楽であっても、演奏している人の「暖かさ」を感じない演奏が増えている気がしてなりません。それは、習う人の問題ではないと思います。教える側の責任です。教える立場になったとき、自分の経験で得た技術を、生徒に伝えるのは大切なことです。技術は教えられても「音楽」はその人、固有のものです。神様でも仏様でもない人間が、他人に自分の「感覚」を伝えることは不可能です。自分の表現を、生徒に「真似させる」ことは実は難しい事ではありません。教えられた生徒は「うまくなった」と勘違いします。自分の感覚で作ったものではない「形=表面」をいくら練習しても、自分の音楽にはなりません。生徒に「安直にうまくなれた」と思わせるのは、生徒に喜ばれます。「上手ね」と言われているのと同じことです。

 人間の優しさは、その人の音楽に現れると確信しています。
一方で、人間の「強さ」は他人に見せびらかすものではありませんし、「強がる」人間は自分の弱さを隠しているだけだと思います。「誰かに負けない」と言う発想は強さではありません。それは他人が自分よりも弱いことを願っているだけなのです。戦争をしたがる人は、自分では決して血を流しませんよね?それと同じです。
 CDに書いた言葉です。
強くなくても
目立たなくても
すごくなくても
優しい音が(人が)

好きだから

  他人に優しくすることは、一番難しいことだと思います。
聴いている人を「優しい気持ち」にする演奏は、自分が他人に優しくなければできないと思っています。演奏の技術にしても、人を驚かせる演奏より、人を優しくさせる音楽の方がずっと難しいと思うのです。
「北風と太陽」のお話みたいですが、今の時代に「北風」を感じる演奏よりも、「太陽」を感じる暖かい演奏が必要だと思うのです。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

レッスンに思う

 今回のテーマは、「レッスン」について。
偶然、ある日本の音楽大学でヴァイオリンを指導するヴァイオリニストの「レッスン」の一部をYoutubeで見ました。その先生のお名前、学校名は伏せさせて頂きます。とても高名なヴァイオリニストで、習う側もコンクールで優秀な結果を出している若者でした。非常に具体的に、一音ごとの演奏方法について「指導」している場面が多く、見ていて違和感を感じたので自分の経験を踏まえて、書きたいと思います。

 ちなみに動画は、マキシム・ヴェンゲーロフのマスタークラス(公開レッスン)の映像です。私はこのレッスンに共感します。
 私の恩師、久保田良作先生は優秀なヴァイオリニストを、本当にたくさん排出された桐朋学園大学「主任教授」でもいらっしゃいました。小学生から音大生、その卒業生までをご自宅と学校でレッスンされ、多忙な先生でした。
 私はその門下生の中で「一番へた」な生徒だったと自覚しています。
自分のレッスン以外にも、前の時間の同門生徒のレッスンを見ることができました。
私が不出来だったこともあるのですが、先生は決して「こう弾きなさい」と言う内容の事はおっしゃらないレッスンでした。生徒が自分で考えて演奏することを、何よりも大切になさっていたように感じていました。
 他方、学内で他の先生の中には、具体的に「この音はこう」「この音のビブラートはこう」と言う「指導」をされていた先生もおられたようです。実際、その先生の門下生の演奏は、「先生の演奏のような演奏」だったことをを記憶しています。私はその当時、そのことに何も感じていませんでした。

 今回、Youtubeでレッスンを見ながら、指導者が「自分の演奏をそのまま教える」ことが、果たしてレッスンと言えるのだろうか?と素朴に感じました。
生徒が師匠の「真似」をしようと研究するのとは、まったく問題が違います。
指導者が自分で考えたであろう、一音ごとの「演奏方法」をそのまま弟子に事細かに教えるのは、弟子にしてみれば「ありがたい」事かも知れません。考えたり研究したり、試したりしなくても「先生の演奏方法」を先生が直接教えてくれるのですから。
 先生と弟子が一緒に演奏している演奏動画もアップされていました。
見ていて正直「不気味」でした。ビブラートの速さ、深さ、固さまでが「そっくり」で、ボーイングの荒々しさ(良く言えば強さ)まで同じでした。「クローン」を見ているようでした。弟子にしてみれば「光栄なこと」だと感じるでしょうが、本当にそれで良いのでしょうか?

 何よりも、演奏方法や音楽の解釈に「正しい」と言うものはあり得ません。人それぞれに、求めるものが違うのが当たり前です。生徒が自分の好きな演奏を考え、その実現方法を模索し、試行錯誤を繰り返すことが「無駄」だとは思わないのです。さらに厳しいことを言えば、指導者が自分の演奏を弟子に「これが正しい」と教えるのが最も大きな間違いだと思います。私はその指導者の演奏を聴いていて「押しつけがましい」印象を受けます。違う言い方をすれば「冷たく、怖い演奏」に感じます。どんな優れたソリストであっても、聴いてくれる人、一緒に演奏する人への優しさがなければ、独りよがりの演奏になります。むしろ「技術だけ」のお披露目であり、演奏者の人間性や暖かさは、どこにも感じないのです。「うまけりゃ良いんだ」という考え方もあります。人間性より演奏技術だと言われれば、そうなのかも知れません。
 ただ、自分の弟子を大切に思うのであれば、目先の「コンクール」よりもその生徒の「考える力」を大切にし、自分よりも多様性のある演奏をしてほしいと、願うのが指導者ではないでしょうか?
 生徒がうまく弾けずに、悩んでいる時に、一緒に悩んであげるのが指導者だと思います。「自分の答え」を教えてあげるのが指導者ではないと確信しています。それは生徒にとっての答えにはなりません。
 私自身が不器用で、不真面目な生徒だったから、私の生徒には私より、もっと上手になって欲しいと常々思っています。私は久保田先生の指導に、心から感謝しています。自分に足りない技術を、自分で考えることを教えて頂きました。
安直な解決方法より、自分で解決することを学べた結果、自分で考えた音楽を、自分で考えて演奏する楽しさを知りました。
 音楽に正解はありません。だからこそ、自分で考える力が必要だと思います。
生徒に教えるべきことは「自分で考えること」以外にないと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

楽器が変われば弾き方も変える

 上の二つの動画はどちらも「ラベンダーの咲く庭で」と言う映画のテーマ音楽です。演奏者は見ての通り(笑)私たち。演奏場所は、(上)代々木上原ムジカーザと(下)長野県木曽町のホールです。使用しているヴァイオリンは、(上)1808年サンタ=ジュリアーナ製作の愛用楽器、(下)2004年陳昌鉉氏の製作した「木曽号」。弓はどちらも私の愛用弓。浩子さんの演奏しているピアノは、(上)ベーゼンドルファーと(下)恐らく戦前に作られたスタインウェイ。
録音の方法が全く違うので、比較にはならないかも知れませんが、この二つのヴァイオリンを演奏した経験で「楽器による演奏の仕方の違い」を書いてみます。

 陳昌鉉さんのヴァイオリンを使って、陳さんゆかりの場所である木曽町でのコンサートを依頼されてから、この楽器で演奏に至るまでに、多くの問題がありました。まず、初めて手にした時に、およそ陳さんの作った楽器には思えない、見た目と音でした。調べた結果、アマチュアヴァイオリン奏者に貸し出した際に、その人が「指板」「駒」「魂柱」を別のものに付け替えていました。東京のヴァイオリン工房で作業した領収書がありましたので間違いありませんでした。当然、まったく違う楽器になってしまいました。駒と魂柱だけは、交換した「オリジナル」がヴァイオリンケースに無造作に入れてありましたが、指板はなし。陳さんの奥様に相談し、陳昌鉉さんが使用していた未使用の指板を頂き、信頼できる職人に依頼し、さらに陳昌鉉さんの制作した遺作ヴァイオリンを持ちこんで「復元作業」を施してもらいました。
 その後、その楽器でコンサートのための練習を開始することができました。

 陳昌鉉さんの木曽号は、新作であるにもかかわらず「枯れた音色」が特徴的な楽器です。陳昌鉉さんがご存命なら、私の「好み」に楽器を調整して頂くことも可能でしたが、それも叶わず、これ以上楽器に手を入れることも当然許されず…。出来ることと言えば、弦を選ぶことと「演奏方法を考える」ことです。
 木曽号は枯れた音色の「グヮルネリ・モデル」ですが、高音の成分が比較的少ない音色のために、「音の抜け=音の通り」に弱さがありました。
 普段、私はピラストロ社のガット弦「オリーブ」を使っていますが、音の明るさ=高音を足すには適さない弦です。同じピラストロ社のガット弦「パッシォーネ」も試しましたが、明るさは補えるものの弦の強さにヴァイオリンが負けて、音量が出し切れません。最後に選んだのが、トマステーク社の「ドミナント・プロ」でした。比較的新しく開発された弦で、テンション=張力は標準、高音の成分が多く明るい音色で、抜けの良さが特色の弦です。ただ、低音の太さが足りず、結果として音量をだすための演奏技術が必要になりました。

 まず楽器を自分の好みの音色で演奏するための「ひきかた」を楽器に問いました。弓の圧力・駒からの距離・弓の速度・ビブラートの速さと深さ・弦ごとのひき方など。そうやって、毎日少しずつ木曽号と「仲良く」なる時間を作りました。それが「正しい弾き方」かどうかは、私にはわかりませんが、少なくとも私の好きな音に近付けたことは事実です。

 映像を見比べて頂くと、指使いが違う事、ボーイング=弓のダウン・アップが違う事にも気づいていただけると思います。会場の響きも、一緒に演奏するピアノも違います。何よりもヴァイオリンが違います。指も弓も「同じ」で演奏できるはずがありません。仮に同じ指・弓で演奏すれば、もっと違う演奏になっていたはずです。
 演奏自体が満足のいくものだったか?と言われれば、いつもの事ながら反省しきりです。それでも、最善の準備と練習をして臨んだ演奏です。
ぜひ、ふたつの演奏を聴き比べて頂き、「演奏の傷の場所と回数」ではなく(涙)違いを感じて頂ければと思います。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

チェロとヴィオラとヴァイオリン

 映像はデュオリサイタル8で演奏した、サン・サーンスの白鳥。チェロを演奏できない私がヴィオラで、浩子さんのピアノと演奏したものです。
作曲者が「特定の楽器」のために楽譜を書いた作品はたくさんあります。
この白鳥に限らず、私たちが耳にする演奏の多くは、オリジナルの楽器で演奏されたものです。オーケストラで演奏するための楽譜、声楽とピアノ、ヴァイオリンとピアノ、弦楽四重奏などなど音楽のほとんどには「オリジナル」の楽譜があるものです。
中には作曲者自身が、異なった種類の楽器でも演奏できる楽譜を書き残した作品もあります。エルガーの愛の挨拶も、ヴァイオリン用の楽譜は「Edur」フルート・チェロで演奏するために「Ddur」のが区譜を書いています。そのほかにも、シューマンのアダージョとアレグロは、ヴァイオリン・ヴィオラ・ホルン・チェロの楽譜が掛かれています。サービス精神旺盛(笑)

 オリジナルの作品を、のちに違う楽器で演奏できる楽譜にする=演奏することも、珍しくありません。ポピュラーで言えば「カバー」と呼ばれるのもこの類です。
その場合、オリジナルの「演奏=音」に慣れ親しんでいる人にとって、時に違和感や不快感を感じるケースもあります。自分が好きな曲・演奏ほど、その傾向は強くなります。私の場合、オフコースが歌っていた「眠れない夜」と言う曲を、ある歌手がカバーして歌っているのを聴くのが、とても不快でした。その人がうまいとか下手とか言う問題ではなく、ある意味でその曲が「神聖な」ものに感じていたからです。皆さんも似たような経験はありませんか?私だけ?

 さて、白鳥に話を戻します。
この演奏は、オリジナルのチェロ演奏と、まったく同じ高さの音=同じ音域でヴィオラで演奏しています。ヴァイオリンでこの「実音」を出すことは不可能です。
だからと言って、チェロの音と「そっくりの音」になるかと言うと、残念ながら?当たり前のことながら、そうはなりません。音の高さは同じでも、楽器の構造が違いすぎるからです。4本の弦を「C・G・D・A」に調弦することはチェロとヴィオラは同じです。ただ音の高さが実音で1オクターブ違います。楽器の筐体=ボディの大きさがまるで違います。弦の長さ・太さがまるで違います。
 音域・音量・音色のすべてが違う楽器なのです。似ていることはいくつもありますが、「音」としては、まったく違うものです。
コントラバスやチェロで演奏できる「高音」は、ヴィオラやヴァイオリンと同じ音域を演奏できる上、とても近い音色」が出せます。単純に音域の広さの問題だけではなく、太い弦で弦の長さを短くして出せる「高音」は、ヴィオラとヴァイオリンに近い音色を出すことができるという「強味」があります。
 ヴィオラでチェロの「雰囲気」は醸し出せても、チェロの音色は出せません。
私たちがこの曲を演奏する時も、オリジナルの演奏「チェロの音」が好きな人にはもしかすると「嫌な感じ」に聴こえるかもしれないことを、演奏前に予めお話してから弾き始めます。

 先述の通り、楽器のよって演奏できる音域=最低音から最高音が違います。
特に「低音」の幅が大きい楽器、弦楽器で言えばコントラバスやチェロのために書かれている楽譜を、音域の狭いヴィオラ、ヴァイオリンで演奏すると単純に「高く書き換える=移調する」だけでは演奏できないか、できたとしても「途中で折り返す=低い音に下がって上がり直すしかありません。。
一つの例ですが、シューベルトの「アルペジオーネ・ソナタ」と言うチェロのために書かれた曲を、ヴィオラで演奏しようと挑戦したことがあります。
様々試してみましたが、どうしてもこの曲の最大の魅力でもある「アルペジオ=分三和音」を原曲の通りには演奏できない=ヴィオラの音域が狭いために、聴いていいて違和感が強すぎて諦めました。実際にヴィオラで演奏している動画もいくつか見かけますが、オリジナルを知っている人間には「無理してひかなきゃいいのに」と言う印象が残ってしまいます。

 前回のリサイタルで演奏した、カール・ボーム作曲の「アダージョ・レリジオーソ」と言う曲は、原曲=オリジナルはヴァイオリンの楽譜です。実際に以前のリサイタルではヴァイオリンで演奏しました。それを、ヴィオラで演奏するために、オリジナルとは違うオクターブにしたり、カデンツァを書き換えたりしました。あまり演奏されることのない(笑)曲なので、お聴きになったお客様方にも違和感がなかったようでした。

 最後になりますが、作曲者が考えた「楽器と音楽」を、違う楽器で演奏する場合に、原曲との違いを演奏者がどのように「処理」するかの問題だと思います。
聴いてくださる人の中には、嫌だと思われる人も少なからずいらっしゃるはずです。それでも、自分が演奏する楽器で、お客様に楽しんでもらえる「自信」と「覚悟」がないのなら、演奏すべきではないと思います。
ピアノ曲をヴァイオリンで演奏し他場合に「なんか変」と多くの人が思う曲もあると思います。「それ、ありかも」と思われるピアノ曲もあるでしょう。単に楽譜があったからという理由や、有名な曲だからと言う理由だけで、「異種楽器演奏」することには、私は賛成できません。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

拍の速さと車窓の風景

 映像は、Youtubeで見つけた新幹線の運転席から見える風景です。
わたくし「ノリテツ」でも「てっちゃん」でもありません。悪しからず。
音楽の「拍」や「リズム」が苦手な生徒さん、さらにテンポの維持や変化に関する苦労は、プロの演奏家にも共通の悩みです。
 そこで今回は「時間と音」を「時間と風景」に置き換えて考えることで、拍やテンポについて考えてみたいと思います。

仮に、電車の車窓から見える「電柱」が一定の間隔て立っているとします。
音楽のテンポを変えずに一定の速さで演奏するとします。
電車の速度が速くなると、電柱を通過する時間がだんだん短くなります。
テンポが変わらなければ、楽譜の中で「1拍」にかかる時間、「1小節」にかかる時間は常に一定になりますが、テンポが速くなればその時間はだんだn短くなります。
つまり、「一定の時間を予測する能力」と「
下の動画はF1(フォーミュラー1)がレースコースを走っている時の映像です。酔う人は見ないほうが(笑)スタート時時速「0」から一気に200キロを超える速度までの風景と、同じような速度で走る他の車がまるで「止まっているように見える」ことにご注目ください。

いかがでしょうか?怖いですね~(笑)
速度が速くなると一定の時間に処理する情報が多くなります。
言い換えると、処理の速度を速くしないと間に合わないことになります。
さらに「常に次にやるげきことが読めている」ことが必要なのです。
F1パイロット(レーサー)は、走るコースのすべてのカーブ、直線の距離、傾斜を「完全に記憶=暗譜」して走っています。コースに出なくても、頭の中でコースを走る「イメージ」があります。そうでなければ、止まることさえできません。速いのは車の性能ですが、止まる・曲がれるのは操縦するレーサー=人間の運動能力なのです。これもすごすぎる!

 楽譜を「追いかける」速度は、どんなに速い音楽でも秒速「数センチです。
仮に秒速5センチなら、分速300センチ=3メートル、時速180メートル。
歩く速度は時速4キロ=4000メートル。楽譜を読む速度はそれほど速くない!
 他方で、1秒間に処理する音符の数で考えると、たとえば四分音符を1分間に120回演奏する速さ「♩=120」の場合、16分音符は1秒間に8つの音を演奏する=処理することになります。結構な処理速度が求められますね。すべての音符が16分音符なら、1分間に8×60=480個の音符を演奏することになります。
 ちなみに早口言葉で「なまむぎ なまごめ なまたまご」をメトロノーム120で鳴らしながら言ってみてください。それが先ほどの16分音符の速さと同じになります。楽譜を読む速さは、この処理速度によって決まります。演奏できるか?は、その処理速度に「運動」を加えることになるので、まずは読めなければ運動は出来ません。

 まとめて考えます。
1.予測する技術 
「次の拍の時間を予測する」ことが「テンポ」です。難しく聴こえますが、正確に「1秒」を感じることを練習することで時間の間隔は身に着けられます。音楽は常に「次の拍を演奏する時間」を予測しながら演奏する技術が必要なのです。
その「1拍」の時間的長さが一定の場合に初めて「リズム」が生まれます。拍の長さが不安定だとリズムは演奏している本人でさえ理解出来ません。
 次に来る=演奏する「拍」を予測する美術は、決して反射神経ではありません。

 長くなりましたが、リズムやテンポが苦手な人は、一定の時間で何かを繰り返したら、「時間を等分する」ことが苦手な人です。
ぜひ!日常生活の中から、リズムや拍を見つけてみてください。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

ラから教える?ヴァイオリン「始めの一歩」

映像は正弦波=音叉の音で鳴り続ける442ヘルツのA=ラの音です。
チューナーの音より聞き取りやすいかもしれないですね。
さて、今回のお題は「初めてのヴァイオリン」を小さい子供に教える時の問題です。もちろん、大人の場合でも多くの人が音の名前「ドレミファソラシド」は知っていても、かなり怪しい(笑)ケースがほとんどです。
 中学校1年生に「ドレミファソラシドって覚えていて言える人」には、クラスのほとんど全員が手を挙げます。が、「反対からドから下がってすらすら言える人」になると激減します。「言えるぞ!」と言う人に、「ラから下がってラまですらすら言える?」あなたは、いかがでしょうか?多くの人が、「言ったことがない」のが現実です。単語として「ドレミ」や「ドシラ」は覚えていても、途中からの「並び」は言えないのが普通です。音楽家の皆さん。あなとも同じ脳みそです(笑)試しに「あかさたな…」はおしまいの「わ」まで言えますね?それでは、それを「わ」から反対に言えますか?どうぞ!
おそっ!(笑)
これが人間の脳みそです。

 さて、ヴァイオリンの「始めの一歩」は、開放弦で音を出す練習から始まることがほとんどです。左手で弦を押さえないで、出せる音は「ソ・レ・ラ・ミ」という4種類の音です。調弦してあれば、の話ですが。
 一方でピアノの「始めの一歩」では、多くの指導者が「ド」から教え始めるのではないでしょうか?両手で始めるにしても「真ん中のド」を境にして教えるのではないでしょうか?
 さらにソルフェージュの場合も、多くは「ド」から覚え始めます。
事実、子供のための音楽教室(編)のソルフェージュ1A=最初の本でも、ドから始まっています。次に「レ」さらに「ミ」と音が増えていきます。当たり前の話ですが、このドの音が「一番歌いやすい」と言う意味ではありません。子供の声の高さ、出しやすい声の高さは人によって違います。「ド」から覚える理由は、おそらく「ピアノ」を基準に考えられ始められたものと思います。

 小さい子供が、ヴァイオリンを手にして初めて開放弦の音を出せて、嬉しそうな表情をしているのを、見ているだけなら楽しいのですが(笑)
 そこから「音の名前」や「楽譜」に結びつける場合に、どうしても「ド」にたどり着くまでに長い道のりがあります。まして、ヴァイオリンの2弦=A線から練習していくと、多くの場合次に練習するのは、1の指=弦楽器では人差し指ですの「H=シ」です。そこまでは何とか出来ても、次に2の指を1の指から「離して押さえる」手の形が一般的なので「ド♯=Cis」の音になります。
「なんで?わざわざ♯で教えるの?」土木な疑問ですね。
当初、私自身は2(中指)と3(薬指)の間を開くことが難しいからだろうと思い込んでいました。ところが、実際にやってみると、1(人差し指)と2(中指)をくっつけることは、難しくないことに気付きました。さらにこの状態で、指を曲げても、別に違和感がないことにも気づきました。こうなると「はて?なぜ?ヴァイオリンは最初から1と2を開くのかな?」と言う疑問が解けなくなりました。ここからは推論です。

開放弦から始めて、1の指を「開放弦より全音高い音」が出せる場所に置かせることから始まります。そうすると、低い弦から順に「G→A」「D→E」「A→H」「E→Fis」になります。この時点でE戦で♯が付いてしまいます。
どうしても「F」を教えたければ、1の指を「下げる=上駒側に寄せる」ことを教えて、開放弦より「半音高い」位置を教えなければなりません。
1の場所を「変えること」を教えるか?それとも「開放弦より全音高い音の位置」を覚えさせるか?によって、FなのかFisなのかが決まります。これは「1の指」の問題です。

 A線の場合は1の指は通常、開放弦より全音高い「H=シ」の音を練習します。そして「2」を「1の指=H」に近付ければ半音高い「C=ド」が出せて、もう少し感覚を開いて2を押さえれば全音高い「Cis=ド♯」が出せます。
とりあえず先に進んで、「3の指」で「D=レ」の音を出すことが一般的なのですが、2の指からの「音程=距離」が半音なのか?全音なのか?によって、近づくか?離れるか?が分かれます。どちらにしても「D=レ」を教えたとします。
 すると2の指にを「C」にして、開放弦から順に演奏すると…
「AHCD=ラシドレ」と言う「短音階の最初の4音」になります。
一方で、2の指を「Cis」にすると開放弦から
「AHCisD=ラシド♯レ」と言う「長音階の最初の4音」が演奏できます。
要するに「2」の位置で「短調」か「長調」のどちらかになります。
「こら!嘘つくな!」と言う専門家のお声が聞こえそうです(笑)
はい。確かに「AHCD=ラシドレ」の前、後によっては、長調にもなります。
正解は「C dur=ハ長調」の第6音から演奏した場合「CDEFGAHC」と
「G dur=ト長調」の第2音から演奏した場合「GAHCDEFisG」が考えられます(難しい)
簡単に言えば「開放弦で出せる音から始まる=主音にする曲」を演奏しようとすると、短調か?長調か?が「2」の指の高さで決まると言う意味です。それでも難しい(笑)

 推論のまとめ。おそらく「長調の音楽から教えたい」と言う気持ちで2の指が3の指に近付く=1の指から全音分離れることが一般的になったものと思われます。もしも、ピアノと同じように「幹音=シャープやフラットのつかない音」から子供に教えたければ、それもあり!だと思います。その場合、指の位置は半音の単位で変わることになります。
 一方で、手の形=指と指の間隔を優先して教えたければ、どうしても幹音以外の音を教えることになります。
 小さい子供に「シャープってね?」と教えられるのか?そもそも近い出来るのか?と言われれば恐らく「無理」だと思います。
 ただ、音の高さを覚え、音の名前を覚える時期=絶対音感を身に着けられる限られた時期に「シャープ」という言葉まで覚えさせれば、一生の財産になることは事実です。現実に幹音だけの「絶対音感」はあり得ません。1オクターブ内の「12の音=すべての鍵盤の音」の高さを音名で答えられる=歌えることを「絶対音感」と言います。白い鍵盤の音名だけしか答えられないのは「絶対音感」とは言いません。ですから、シャープやフラットという言葉も覚えていく必要があるのです。細かいことを言えば「異名同音」が存在するのですが、どれか一つの言い方が=音名が答えられれば絶対音感があると言えます。ファのシャープとソのフラットは「同じ鍵盤=同じ高さ」の音ですから、どちらかの名前が言えれば「理解している」ことになります。

 ピアノの教本、ソルフェージュの教本、ヴァイオリンの教本を同時進行で教える場合に、ヴァイオリンだけが最初から「ラ」だとか「シ」が出てきます。
ピアノ・ソルフェージュで、ラやシが出てくるのはかなり後です。
「理想の順序」や「正しい順序」はないと思います。
結局のところ、ヴァイオリンとソルフェージュまたはピアノを「同時進行」で教えていくことが最も効率的な指導方法なのかな?と思うに至りました。
子供が「楽しみながら」音楽の基礎である「音名・音の高さ」と、楽器の演奏技術を学べるように教材を考えることが必要です。そうでなくても初心者用の教本や教材が少ないヴァイオリンです。自作も含め、複合的な「本当に新しいヴァイオリン教本1巻」が誕生することを願っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

耳に優しい音色と音楽

 映像は、フォーレのベルシューズ「子守歌」です。
ヴァイオリンの音色が「こもった」感じの音なのは、演奏用のミュート=弱音器を駒の上に付けて演奏しているせいです。練習用に使う「消音器=サイレンサー」とは意味合い・目的が違います。ちなみに金属製の消音器を付けると、音圧=音の大きさがテレビの音量程度まで小さくなります。一方で演奏用のミュートは、「音色を変える」ための道具です。

 さて、同じ音楽=楽譜でも、演奏の仕方で聴く人の印象が変わることは言うまでもありませんね。同じ材料と調味料を使って、違う人が同じ料理を作っても、同じ味にならないことと良く似ています。料理で言えば、材料の切り方、火加減、手順、味付けが違います。ヴァイオリンの演奏で言えば、何がどう?違うのでしょうか?

 もちろん、楽器と弓で音色が大きく変わるのは当然です。
ヴァイオリニストは自分の好きな音色の楽器を使って演奏できます。
ピアニストはそうはいきませんね。会場のピアノで演奏することがほとんどです。また、高額なヴァイオリンの場合、演奏者が借りて演奏する場合が良くあります。自分の好きな楽器かどうかの選択ではありません。
 自分の好きな音色を出すためのテクニックとは?

 前回のブログで書いた「弓の毛の張り具合」もその一つです。そのほかに
・弓の速度

・弓の角度
・弓の圧力
・弓を乗せる位置=駒からの距離
・ビブラートの深さ
・ビブラートの速さ
・ビブラートをかけ始める時間
・弦を押さえる力と指の場所
・ピッチ=楽器の倍音
・グリッサンドやポルタメント
・余韻の残し方=音の終わりの弓の処理
他にも考えられますが、これらを複数組み合わせることで、音色が大きく変えられます。
聴いている人が「優しい音(音楽)」と感じる場合と、「激しい音・強い音」と感じる場合があります。言葉で表すのはとても難しいことですが、少し「対比」を書いてみます。
・太い音⇔細い音
・固い音⇔柔らかい音
・明るい音⇔暗い音
・鋭い音⇔丸い音
・つるつるした光沢のある音⇔ざらざらした音
・力強い音⇔繊細な音
・重たい音⇔軽い音
・輪郭のはっきりした音⇔ベールのかかったような音
いくらでも思いつきますが、上記の左右は「どちらもアリ!」だと思います。
綺麗⇔汚いと言うような比較ではありません。
敢えて書かなかったのが「音の大きさ」に関するものです。
だんだん強くなるとか、だんだん消えていくなどの表現は「音の大きさ」で「音色」とは違います。
 また同様に音の長さについても書きませんでしたが、実は音の長さは「音の強さ」の概念に含まれます。「音の三要素」は「音の強さ」「音の高さ」「音色」です。いまは「音色」の話です。

 演奏者の好みで曲の解釈が変わります。
同じ楽譜でも、違って聞こえるのが当たり前です。「良い・悪い」「正しい・間違っている」の問題ではありません。フォーレの子守歌ひとつでも、人によってまったく違うのが当然です。大好きなヴァイオリニスト、五嶋みどりさんのえんそうです。


 世界的なヴァイオリニストの演奏と比較する「図々しさ」は私にはありません。
ただ、人によって音楽の解釈が違うと言う話です。お許しください。
 ヴァイオリニストの音色へのこだわりは、楽器選び、弓選び、弦選び、松脂選びなどの「ハード」と演奏方法「ソフト」の両面があります。
聴く人には「一度だけの演奏」です。演奏者が、自分の好きな音色に迷いがあったり、最悪「こだわりがない」場合、演奏のうまい・へた以前に「無責任な演奏」を人に聞かせていることになると思います。
 自分の好きな音を探し求めて、試行錯誤を繰り返すのが弦楽器奏者です。
一生かけて、楽しんでいきたいと思います。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

掌で紙風船を包み込む

 今日のレッスンで「両手の親指が疲れて痛い」と言うお話を大人の生徒さんから伺いました。必要以上に指に力が入りすぎているのが原因だと思われます。
弓を持つ右手、弦を押さえる左手共に、親指がその他の4本の指と「反作用=逆方向への力」が必要です。ただ、弓にしてもネック=棹にしても、固い木で出来ていますから、必要以上の力が入ってしまいがちです。
 右手も左手も、①柔らかさと、②持続的な力と③瞬発的な力が必要です。

①掌と指の柔らかさ
日常生活の中で、何かを強く握ることは思い起こせます。
たとえば、ペットボトルの蓋を開ける時や、固い瓶詰めの蓋を開けようとするとき、タオルやぞうきんを強く絞る時などです。
 一方、意識的に弱く優しく、何かを壊さないように「包み込むように」持つことのっ方が少ない気がします。
シャボン玉を手でつかむことは、なかなかできません。柔らかすぎます。
軟式テニスのボールだと、強く握っても割れないイメージがあります。
ちょうど良いイメージの「柔らかさ=弱さ」のものは…と考えたら、
紙風船が思い浮かびました。手のひらで包み込めるくらいの小さな小さな紙風船。それを、そっと手で包み込む「イメージ」を両手の指に感じながら演奏してみると、生徒さんの音色が驚くほど、クリアでソフトになりました。

②持続的な力
指の力は「曲げる力」と「伸ばす力」の両方があります。
通常の生活では、前者の力ばかりを使います。指を開く力と握る力の「バランス」を考えてゆっくり動かすトレーニングが効果的です。
 必要なのは握力ではなく、「保持する力」です。これが②の力です。

③瞬発的な力
これも「内側への動き」「外側への動き」があります。
運動の前後に「脱力」する練習が必要です。言葉で能わすと「ぴくっ」と動くイメージです。その小さくて速い運動を、右手左手の1本ずつの指で練習します。
難しいのは、力を入れた後の、脱力までの時間を短くすることです。
指の動きを」軽く」することは、脱力した状態をベースにすることが必要不可欠です。

 柔らかいビブラート、八幡会ボウイング、素早く正確な左手指とポジションの移動、右手人差し指と親指の力のバランス、右手小指と親指での圧力の減衰。
それらすべては、抵抗のない状態で動かせることが大切です。
体幹=胴体で動きを支え、風になびく草木のように、しなやかで弾力のある動きのイメージで演奏したいと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

ヴァイオリンの練習は足し算

 映像は自宅で撮影した「ぷりん劇場」より、さとうきび畑をヴィオラとピアノで演奏したものです。アレンジが変わると音楽のイメージがこんなに変わるんですね。ピアノのアレンジが変わっても旋律は変わりません。でも、演奏の仕方は変わります。これも音楽の楽しさです。

 さて、今回のテーマは以前にも触れた練習時の「足し算」です。
生徒さんが新しい曲に挑戦する時、陥りやすい落とし穴でもあり、言い換えれば上達の近道でもあります。
 様々な練習方法があると思いますが、多くのヴァイオリン初心者のかたが、新しい楽譜を演奏できるようにしようと練習する時に、初めからヴァイオリンで演奏しようとする人が多いのが現実です。え?どういう意味?
 楽譜を見て、すぐに「音楽」に出来る能力・技術をすでに持っている人も、ごくまれにいらっしゃいます。例えば、ピアノの演奏に慣れている生徒さんの場合です。ピアノがなくても楽譜を頭の中で音楽にする「ソルフェージュ能力=読譜能力」がある人ですが、ほとんどの人はそうではありません。
 ここでは、ピアノをひけない人を前提にして書いていきます。

 まず、楽譜に書いてある音楽がすでに「音源」としてある場合とない場合で違います。プロの演奏をユーチューブで見つけても、速すぎて聞き取れない場合も良くあります。自分が演奏できそうな速さで演奏している動画を見つけても、自分と同じ程度の「アマチュア」で参考に出来ない場合もあります。
 少なくとも、楽譜に書いてある「音の高さ」と「音の長さ=リズム」を正確に演奏している音源なのか?違うのか?がわからないのが当たり前です。ですから、初めは習っている先生に、動画やCDを紹介してもらうのがベストです。
楽譜のタイトルの音楽でも、全く違う楽譜で演奏しているケースの方が圧倒的に多いのです。まずは「音源探し」から足し算の始まりです。

 音源を見つけたら、その演奏を楽譜を追いかけながら「聴く」練習をします。
音楽と楽譜が一致するまで、何度も聴いている間に、音楽を覚えられるはずです。楽譜のある個所が、どんな音楽だったか思い出せるようになるまで音楽を聴くこと。これが演奏できるようになる「第1段階」です。この練習に楽器は必要ありません。むしろ、ヴァイオリンは使わないほうが良いのです。

 次に楽譜を音名「ドレミ」で歌えるようにします。出来ることなら、カタカナで書き込まずに、少しでも速く読めるように自分を追い込みながら、ひたすら音楽と音名を一致させる練習をします。覚えた音楽の「歌詞」のように、ドレミで歌えるようにすることが、ヴァイオリン演奏の「第2段階」です。まだヴァイオリンは、いりません。

 次に、その楽譜の一音ずつの「弦と指=押さえて弾く場所」を考えます。
ヴァイオリンの為の楽譜の場合、ダウン・アップの記号の他に、ところどころに指番号が書いてあるものもあります。多くの場合は、すべての音符には、書いてありません。それが初心者用であれ、演奏会でプロが使用する楽譜であれ同じです。つまり、どの弦のどこを、何の指で押さえるのか?を自分で理解しなければ演奏できません。この段階で、楽譜を演奏するための「知識」が足りなければ、指の番号、弦の種類が自分でわからないことになります。ピアノと違い、ヴァイオリンはどこが「ド」なのか目で見てもわからない楽器だからです。
 この段階で躓いて、ヴァイオリンの演奏に終止符を打ってしまう人が多いのが現実です。せめて、開放弦で出せる音が、楽譜でどこになるのか?を理解し、そこから左手の4本の指で順番に音が「高くなる」ことくらいは、最低限覚えないとヴァイオリンで楽譜を音にすることは不可能です。
 要するに①「音楽を覚える」②「音名を覚える」③「指使いを理解する」足し算が必要なのです。ここでヴァイオリンを使うと、とんでもなく汚い音でヴァイオリンを「音探しの道具」に使ってしまいます。これが危険な落とし穴です。汚い音=右手を意識しないで演奏する悪い習慣をつけてしまいます。まず、頭で理解することが先決です。

 ここまで理解出来たら、弓を使って実際に音を出します。
当然のことですが、左手の「指」と右手の「弓」は、別の運動です。
それを一致させる方法は?
 ピアノの右手・左手と、ヴァイオリンのそれは、根本から意味が違います。
ピアノの場合、両手共に音を出す役割ですが、ヴァイオリンの場合は音を出せるのは右手=弓、左手は音の高さを変えるだけの役割なのです。分離して片手ずつ練習できるのは、ピアノだけです。ヴァイオリンでは、左手で押さえた場所が、本当にあっているのか?ずれているのか?は右手を使わなければ確かめられません。弓を遣わずに「ピチカート」で練習する方法もあります。地味な練習ですが、ダウン・アップがわからない時や、弓がまっすぐ動かせないという場合には、この練習方法が大いに役立ちます。
 いずれにしても、右手と左手の「同期=リンク」のためには、自分が演奏する「音」を頭でイメージできなければ、それぞれ独立した運動になってしまいます。つまり「足し算」ではなく、交互に「左手」「右手」を意識して、いつまでたっても同期しない苦痛が続きます。
 整理すると、①「音楽を覚える」②「音名を覚える」③「指使いを理解する」④「弓を使って音を出す」という足し算です。

 この練習をする間に、いつの間にか「新しい事をしようとすると、前のことができなくなっている」事に気づきます。
 音名を覚えようとしたら、音楽を忘れたり。
 指番号を考えていたら、音名が出てこなかったり。
 弓を使って演奏しようとしたら、音楽も音名も指番号も忘れたり(涙)
それが普通です。それだけ足し算は難しいのです。
もちろん、言うまでもなく一番大切なのは①の音楽です。
音楽を忘れて演奏することは、意味のわからない言葉を話しているのと同じです。常に、①に立ち戻り、音楽を繰り返し聴くことが大切です。
 最終的に、頭の中で音楽・音名・指・弓が「ひとつのイメージ」になるまで、繰り返すのが練習です。ここまで行けば、途中で間違えても、絶対に先に進めます。逆に言えば、どれか一つでも「引き算」をしてしまうと、アクシデントに対応できないだけでなく、それ以上に上達する「足し算」ができなくなります。
音色や音量、ビブラートなどもっともっと、足し算することがあります。
それがヴァイオリンと言う楽器です。
 めげないで!頑張りましょう!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

身体の柔らかさ

 今日もレッスンで生徒さんたちが直面している「壁」を一緒に考えました。
必要以上の力が無意識に右手や左手に入ってしまう現象。
力を入れることは日常生活でも良くありますが、力を抜くことを意識することはあまりません。
 重たいものを持ち上げる時、固い瓶の蓋を開ける時など、力を入れる場面は思い浮かびます。また、驚いた時や危険を感じた瞬間に、無意識に体に力が入る経験をしたことのある人も多いと思います。身を守る「本能」があことを感じます。
 子供の頃、握力測定や背筋力の「体力測定」をした記憶がります。
筋力を増やすトレーニングは、多くのスポーツで必要になります

 ヴァイオリンを演奏する時にも、必要な力がありますが、必要以上の力は演奏の邪魔になるばかりではなく、練習疲労が強くなってしまいます。
・必要な最低限の力を見極めること。
・脱力した状態から瞬間的に力をいれ、すぐに脱力できること。
この二つを練習する方法を考えます。

 一番脱力できる姿勢は?
横になって寝ることです。簡単です(笑)
仰向けに寝転がったままで、両腕を持ち上げていると疲れますよね?
それが「腕の重さ」です。ヴァイオリンを弾いている時に、腕の重さを感じますか?ヴァイオリンが重く感じるのとは別です。本来、腕の重みを感じるはずです。
 腕を前方に持ち上げる筋肉は、腕の筋肉よりも背中と首周りの筋肉です。
つまり、背中と首に力を入れすぎると、腕の重さを感じなくなってしまいます。
楽器を持たずに、演奏する構えだけをしていると、腕が疲れてくることを感じるはずです。
 瞬間的に力を入れる練習は、脱力した状態で筋肉を観察し、一瞬だけその筋肉に力を入れ、すぐに脱力する練習を繰り返してみます。

いわゆる「ぴくっ」と筋肉が動く感覚です。じんわり、力が入っていくのとは違います。

 握力とは「握る力」です。弓を持つ、弦を押さえる時に必要な握力は、実はほんの少しの力です。実際、幼稚園児の力でも演奏できるのですから。
 必要以上の力を入れて弦を押さえても、音の大きさはもちろん、音色も変わりません。必要最小限の力を見極める方法は…
・右手=弓は出来るだけ「全弓」を使って大きな音で弾き続ける。
・左手親指を、ネック=棹の下側に入れ、指の腹で楽器を軽く持ち上げて開放弦=0で弾きます。
・左手の指を、弦に皮が触れるか?触れないか?の弱さで触りながら弾く・
・当然、音がかすれます。かすれた高い音が出る「弱さ」で触ります。
・弓をしっかり動かしながら、左手の指を少しずつ!指板に押し付けていきます。(一気に押さえては無意味です)
・左指の触っている場所の「音」が出始める「押さえ方」が最小限の力です。
・その力と「同じ力」で左親指を「上方向」に加えます。
 左手親指の役割は、弦を押さえる力を刺さることです。
左手人差し指の付け根と、親指で強くはさみすぎる人が多いので、
わざと指をネックの舌に入れ、人差し指の付け根で「はさまない」で練習してみることをお勧めします。
上記が「左手の最小限の力」です。

左手の指先を、弦に「落とす」または「軽く叩きつける」練習も重要です。
これも、じんわり握るのではなく、指の重さを利用して弦に落としたら、すぐに力を抜く練習を繰り返します。慣れてくると、弦に指が当たる音が聞こえるようになります。

 右手の力は、左手に比べとても多種多様です。
一番、気を付けるのは「背中と首の力を抜く」ことです。
肩を「ぎりぎりまで下げたままで弾く」ために、背中と首の力を抜くことが最もわかりやすい方法です。

 右腕を「前へ倣え」のように前に伸ばしても、右肩は上がっていないことを確認してみるのも一つの方法です。
 弓を動かしながら、常に「背中」「首」「肩」と言葉に出してみるのも練習方法のひとつです。力は瞬間的に入ってしまうので、この3つを言い終わらないうちに、最初の部位に力が入っていることがわかるはずです。
 右手の親指。弾いていいると隠れて見えません。
親指が「爪側に反る」のは間違いです。「手のひら側に曲げる」のが正解です。
弓を強く「握る癖」がある人は、まず弓を右手の「手のひらで包み込んで」やさしく持ってみてください。弓の先は弾けませんが、中央部分でならば音をだせます。優しく、力を入れずに持っても「いい音が出る」ことを体で覚えるまで繰り返します。
 右手の手首に、力が入りすぎる癖のある人もたくさんいます。っ上記のように「包み込んだ持ち方」で、「手の甲」が「弓の毛と平行」な傾きになっていることを確かめてみてください。
 G戦を弾くときは、右手の甲は天井に向いているはずです。
D線、A線・E戦と弓が「垂直に近づく」と手の甲が、だんだん右外側方向を向くことになるはずです。
 悪い例は、右手の甲が「自分の方を向いている=手のひらが前を向いている」状態で弾くことです。逆に、鎌首のように手首が「上がりすぎ」も良くありません。これらは「弓の中央部分」の話です。

 弓の重さだけでも、弓を動かせば音は出ます。右腕の重さを、
肘→手首→人差し指に伝え、親指でその反対方向の力を弓に加えます。
この力は「圧力」です。弓を「握りしめる力」は圧力になりません。無駄な力になって、手首や肘の自由を奪ってしまいます。握らず、親指と人差し指の「必要な力」を見つけることが大切です。

 最後に、私たちにかかっている「重力」を考えてください。
常に上から下にかかっています。楽器にも弓にも、腕にもその「重さ」があり、それをうまく利用して演奏することが大切です。
 自然にまっすぐ立った時、両腕を体の側面に沿わせて下げ、肩を極限まで下げるだけでも、自分の立ち方の「基本」が理解できます。
 楽器を構えて、弓を弦に乗せても腕の重さは変わりません。
「重さ」を感じながら、弓の毛と弦の「摩擦」を「指」で感じること。
左手で弦を押さえる力が「50グラム」なら、親指の上方向への力も「50グラム」で良いのです。楽器の重さと、弓の圧力は、鎖骨と耳の下の顎関節の骨で支えられます。

 長くなりましたが、弾いていてどこかの筋肉「だけ」が疲れたら、その場所に無意識に力がはいっていることが原因かもしれません。
疲れないように、良い音が出るように、寝ながら弾いている「つもり」で楽器を弾いてみて下さい。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介