Youtube再生回数の謎

多くの音楽愛好家が、音楽を「検索」するのに使うツールでもあるこのYoutubeという動画閲覧サイト。テレビやラジオと違い、自分の好きなものだけを、無料で視聴できるのがすごい!もちろん、スポンサーのコマーシャルがあってのYoutubeです。私は定額料金を支払ってこのコマーシャルを見ずに閲覧していますが、それもサイトの収入になるわけです。

ちなみに、上の動画。再生回数が「6.3万回」なんです。
は?6万③千回?誰が見るの?って思いませんか?私は思います(笑)
何度も続けて視聴しても、視聴回数にカウントされません。ですので、
私が63,000回見たわけではございませんので。


7年前に「チャールダーシュ」のタイトルでアップした、何でもない動画です。
恐らく、「チャルダッシュ」などの検索をした際に、関連の動画で偶然、表示されたりした回数が増え、再生回数が増えると、見る人の目に留まる…という連鎖かな?なんにしても、私がアップしている数百の動画(多くがメリーオーケストラの動画です)の中で、一番再生されています。

凝った映像でもないし、音もカメラの席から録音した普通のステレオ録音。
演奏は…へたッ!(笑)
みょ~に速いのは。リサイタルのアンコールに演奏していて、早く終わりたかったから…
だったと思います。その程度の記憶です。
場所は地元の杜のホール はしもと。メリーオーケストラの「本拠地」
こんなに再生されるなら、もっとちゃんと弾けば良かった(笑)

世の中に「ゆーちゅーばー」なる職業が出来て、子供たちのなりたい職業の上位になっているという現代。
私は、その類ではございません。もとより、そんな気合もありません。
音楽家の中で、ユーチューバーとしても活動している人を見かけます。
恐らくは、収入よりも「広報活動」としての効果を狙ってのことだと思います。
ただ、私が思うのは…
Youtubeを見る人の中で、どの程度の人がコンサートに来てくれるか?
もちろん、広報はしないより良いのは当たり前です。
残念なのは、演奏家が「なんちゃって」痛々しいゆーちゅーばーの真似をしている動画を見ることが増えたことです。演奏するだけなら、何も問題ないのです。
何か人々に伝えたい気持ちがあって、メッセージを伝えたり、シリーズを組んでアップするのは良いと思います。
ちなみに、多くのYoutube動画は、プロの編集者が動画を編集しています。
まるで、自分だけで撮影し、自分で編集してうように見える動画の多くが、プロの手がかかっていることを理解しないと、さらに痛い映像になります。
演奏家は演奏をアップするのは、リスクを伴います。
宣伝と同時に、批判を浴びるからです。
今は「悪い評価」は押せなくなりましたが、それでもTwitterなどで情報は拡散されます。
「〇〇って、へただよね」と言われるのを覚悟のうえでアップすることになります。
わたし?
言われても、減るお客様がいないので、へっちゃらですwww

今の時代、自分から発信しないと生きていけない時代です。
その意味で若い演奏家の人には、動画をアップする時に、
「なにが喜ばれるのか?」をリサーチする努力と、
「どんな動画が再生されるのか?」
「自分になにが出来て、何ができないのか?」
ということを、ちゃんと考えて発信してほしいと願っています。
演奏の良し悪しだけでは、広報にならないのは辛いことですが
これも時代の流れです。
みんな、がんばってください!

ヴァイオリニスト 野村謙介

ホールとピアノによる違い

上の二つの動画。
同じ曲「レイナルド・アーン作曲 クロリスに」
同じ演奏者「野村謙介Vla・野村浩子Pf」
ほぼ同じ日時(その差1か月以内)
さらに同じヴィオラ(2010年 陳昌鉉氏製作)
同じマイクセッティング(ピアノ=BLUE ( ブルー ) / Bluebird SL・ヴィオラ=sE ELECTRONICS ( エスイーエレクトロニクス ) / SE8 pair)
同じ録音機材(TASCAM タスカムDR-701D)
違うのは?
ホールとピアノです。
上の映像は代々木上原にあるMUSICASA(ムジカーザ)という定員100名ほどのサロンホール、
下の映像は相模原市緑区にある定員298名のホール、もみじホール城山。
ピアノは、上のムジカーザがベーゼンドルファーModel 200(サロングランド) 、
下の映像のもみじホール城山がベヒシュタインC.BECHSTEIN M/P192。
聴き比べてみてください。

同一プログラム・2会場でのリサイタル。すでに14年続けています。
開始当初は、地元の525名収容できる大ホールと、ムジカーザで開催していましたが、私たちには収容人数が多すぎて(笑)、このもみじホール城山に代わりました。
ホールが違うことで、音色の違い、残響時間の違い、お客様との距離の違いがあります。
当然、弾き方も変えます。

ピアノの違いは、ピアニストにとって宿命的なことです。
どちらの会場のピアノも、ドイツのメーカーで大きさもほぼ同じです。
演奏会当日に調律をお願いしているのも、同じ条件です。
それでも、まったく違う個性のピアノです。
どちらが良い悪いではなく、好みの問題です。
この演奏を生で聴き比べると、もっと!すごい違いを感じられます。

ぜひ、生の演奏会に足を運んでみてください。

ヴァイオリニスト 野村謙介

弓の場所と音楽の関わり

上の映像は、私と浩子(先生)のデュオリサイタル14もみじホールでのライブ映像ですが、今回のテーマ「弓の場所」について皆さんに理解してもらう参考になればと使いました。

前回のブログでダウンとアップの動きについて書きました。
一般には楽譜に、印刷で書き込まれているダウンやアップの指定がある場合、安直に「ダウンね」と考えてしまう人が多いようです。
問題にするのは、「弓のどこから弾き始め、どこまで使うのか?」という点です。つまりは、弓を動かす方向は、その次の音を弾き始める場所を決めていくことになる、ということです。

弾き始める場所が、弓のどの位置なのかによって、やりやすい発音とやりにくい発音があります。また引き出したい音量によっても、弓の場所は重要なポイントです。
多くの生徒さんが、ダウンは元から、アップは先からと言う先入観を持っています。もちろん、全弓使おうと思うならば、それで間違いありません。弓の中央から弾き始めれば、どうやっても半分しか弓は使えませんよね。
映像の冒頭で、私は弓の先に近い場所からアップで弾き始めています。この曲(ふるさと)は、3拍子の曲です。最初の音は1拍目ですから、通常ならダウンで弓の元に近い場所から弾き始める人がおおいでしょう。なぜ?そうしないのか。

一つ目の理由は、弓の先寄りの方が、弱く柔らかい音を発音しやすいという理由です。元寄りでも可能ですが、右腕が伸びている方が、弓に圧力をかけにくく、自然に弱い音を発音しやすいのです。


さらに、この曲のように同じ長さの音符を続ける場合、弓の先寄りからアップで、弓順に弾くことで、常に弓の先半分を使って弾くことができます。元寄りから弓順で弾けば、当然元半分を使うことになります。これが二つ目の理由です。

三つ目の理由。それは、この曲のフレーズの終わりの音、歌詞で言うと「うさぎおいし かのやま」の最後の「ま」の音です。
この音をダウンで弾き終わることで、ディミニュエンドがしやすくなります。もっと細かく見ると、「うさぎ追いし」の最後の「し」に当たる音もダウンで終わることができます。その次の「かのやま」の最初の「か」の音を一番初めの音と同じ弓先寄りから弾き始めることができるのです。

もうお分かりですね?発音、音の大きさは、一つの音の事だけを考えるより、音楽の流れや文法=句読点を考えて、場所と弓を使う量=弓の長さ、さらにダウン・アップを考えて決めるべきだという結論です。
弓の元と先は、弓の毛を「つり橋」に例えれば、橋脚=土台に近い部分なので、テンション=張力が強く、強い圧力をかけて発音するのに適しています。でも、弓先で圧力をかけるためには、右手の親指と人差し指の「反力」が大きくなければできません。弓元であれば、右手の掌の近くで弾くことになるので、安易に強い圧力をかけられます。
弓の中央部分では、左右=ダウン・アップのどちらでも動かせる自由度が高く、右ひじが直角に曲がった状態=ニュートラルの位置にあるので、早い運動は楽に行えます。しかし、つり橋の真ん中に当たる場所で、最もテンションが弱く、且つ弓に付けられている「反り」があるために、強い圧力をかけると、弓の木=スティックに弓の毛が当たってしまい、雑音になります。

これらの「理屈」を考えて、一つ目の音を弾き始める場所と方向を決めると、二つ目の音を弾き始める場所と方向が決まり、それを繰り返していくことが、ヴァイオリンなどの「擦弦楽器=弓の毛などで弦をこすって音を出す弦楽器」の宿命なのです。
弓の運動は、往復運動です。弾き終わった場所から次の音を弾かなければなりません。「ワープ」も可能ですが(弓を持ち上げて場所を変えること)音が切れてしまい、頻繁にワープするのは疲れます(笑)
常に次の音の事を考えて、弾き終わること。これが「弓の場所と方向」を決める最大のポイントになります。
ぜひ楽譜のダウン・アップだけではなく、どこから?どこまで?弓を使うのかを考えて練習し、その運動を記憶してください。
そうすれば、いつも安定した演奏ができるようになるはずです。
頑張ろう!

ヴァイオリニスト 野村謙介

オーケストラを身近な存在に

今(2022年1月12日)から20年前、2002年1月14日(日)
小さな小さな「メリーオーケストラ」と名のついた、弦楽器による演奏集団が、初めての演奏会を開きました。
次があるのかないのか(笑)さえわからないのに、「第1回定期演奏会」と銘打って、再開発を終えたばかりの橋本駅前に、出来たばかりの「杜のホールはしもと」を会場にしました。定員520名。どう考えても大胆すぎる。

当時、私は中学・高校の教諭(いわゆる先生)として働いていました。
その学校も1985年に新設された時に、たった一人の音楽教諭として着任しましたが、誰の力も借りることが出来ない環境で、11人の部員でスタートしたオーケストラを2002年当時には150人の日本でも1・2の規模のスクールオーケストラにしていました。
地域の子供たち、自分の子供たちが演奏できるようなオーケストラを、地元で探しましたが、当然!ひとつもありませんでした。
「ないなら作る」
という安直な発想で、2001年に準備を始め「楽しい」という意味がある(だろう)と思う「メリー」という名前のオーケストラを立ち上げました。
4歳から小学校5年生までの子供たちのヴァイオリン。
ヴィオラ、チェロ、コントラバスはプロの仲間に演奏してもらいました。
子供たちが私の家や、ホールの練習室、さらには合宿で練習し、本番ではめいっぱい!ドレスアップして舞台に立ちます。
予想をはるかに上回るお客様に来場いただき、子供たちは初めての舞台で緊張しながらも、弾き終えた感動、信じられないような大きな拍手を体験しました。
ふるさと、夕焼け小焼け、赤とんぼなどを、なんとか全員で演奏し、少し難しい曲は弾ける子供たちだけで演奏しました。それでも余りに時間が短かったので、最後にプロだけの演奏も加えてコンサートを成立させました。
この演奏会が、まさか20年間、毎年2回の定期演奏会を開き続けることになることは、私も含め誰も想像していませんでした。

1回、2回の演奏会を開いてやめることなら誰にでもできることです。
継続することが、どれだけ大変なことなのかを知りました。
メンバー同士のいざこざ、指導に自ら関わってきた地元のヴァイロン指導者の
「生徒持ち逃げ」、運営自体を保護者に任せられない「信頼感欠如」など。
さらには自分自身の退職と、うつ病と闘いながらの演奏会。
それでも「NPOにしたら?」という当時のホール館長の軽い言葉を真に受け、自力で県庁に通って特定非営利活動法人(NPO)化を成し遂げました。
夏には台風、冬には大雪に見舞われたこともありましたが、演奏会は開き続けました。
メンバーの子供たちは成長とともに地域を離れるケースもありました。
それでも当時小学校5年生だった女子メンバーは、音楽高校、音楽大学と進学し、メリーオーケストラの指導者になっていました。やがてその「子」が「母」になりました。今はまだ幼く、お仕事で海外にお住まいですが、きっと帰国されたらメリーオーケストラの「2世代目メンバー」になってくれることを夢見ています。

オーケストラは器楽演奏の規模がもっとも大きな演奏形態です。
演奏に必要な「こと」「もの」「ひと」があります。
一番必要な「こと」は「絆」です。
どんなにお金があっても、人との絆がなければオーケストラは成立しません。
そして「もの」として必要なのは「ホール」です。
毎回の演奏会ごとに、ホールの抽選会に参加しています。
会場がなければ演奏会は開けないのです.
さらに必要な「もの」はずばり「お金」です。
ホールは無料では使えません。練習会場を借りるにもお金がかかります。
演奏会で参加してくれる仲間に、最低限の交通費を支払うのにもお金はいります。楽譜を作るのにも、備品を購入するのにもお金がかかります。
そして「ひと」です。
演奏する人も、聴いてくれる人も、応援してくれる人も必要なのです。
もちろん、こんな演奏に興味のない「ひと」もいます。
もっとクラシックだけやれ!という人もいます。
色々な意見を言ってくれる人も必要です。
メリーオーケストラの財産は「ひと」なのです。
今まで演奏に少しでもかかわってくれた人。
一度でも演奏会に来てくれた人。
賛助会員になってくれた人。
オーケストラ活動を20年間続けるためのエネルギーは
すべて「人」からもらいました。決して自分の力ではありません。
人の輪が広がることが、音楽を広めることです。
音楽でつながれば、人と人の「和」ができます。
争いも戦いもいらない「和」それこそが「平和」です。
メリーオーケストラを続けることが子供たちの明るい未来につながることを
ただ、願っています。

NPO法人メリーオーケストラ理事長 野村謙介



61回目の大晦日

毎年大晦日に思うことですが、
今年も一年、生きてきたことを不思議に感じます。
人間、いつかは土に帰るものです。
自分が生まれてきた瞬間のことは、誰も覚えていません。
母がいて、父がいて。自分がいる。
その両親が育ててくれた記憶さえ、次第に薄くなっていきます。
幼いころの記憶で一番多いのは、病弱ですぐに高熱を出していたことです。
物心ついてから、暗いところで何も見えない自分の眼で、大人になって生活することはできないんだろうな…といつも考えていました。

ヴァイオリンという楽器に巡り合わせてくれたのも両親でした。
音楽を聴くことが好きだった両親ですが、よもや私が専門的に音楽を学ぶことになるとは夢にも思っていなかったでしょう。
小学生のころに、楽譜が小さくて読めない私に、母がスケッチブックに定規で五線を引き、楽譜を手書きで大きく書き写してくれました。
「いつか楽譜を大きくする機械ができたらすごいのにね!」と笑いながら話していた母親に感謝と尊敬の気持ちを忘れません。

中学3年生の夏から音楽高校の受験モードに入るという信じられない暴挙。
確かに必死でした。レッスンのために中学校に遅刻して登校して、学年主任の体育教師からさんざん嫌味を言われても、それどころではなかった(笑)
めでたく?希望していた以上の学校に滑り込んで入学。
どん底を味わいながら、成長し大学へ進学。
5年かけて卒業(まぁまぁ笑)し、なぜかプロの演奏家の道に進まず新設される中学校・高校の教諭の道を選びました。
後で父から聞いた話「あの時は、心底!腹が立った。なぜ音楽の道を捨てたのだと。」だそうですが、就職後も応援してくれた両親です。きっと、目の事も心配だったのでしょう。
学校で、がむしゃらにオーケストラを作り育て続け、11人の生徒で始めたオーケストラを150人に増やしました。
2~3年で辞めるつもりだった教員生活を20年間、続けたのは「生活のため」でした。その間、ヴァイオリンに向き合う時間はほぼ「ゼロ」
退職時には、管理職のパワーハラスメントで精神を病むことになりました。

生きることが一番難しい時でしたが、幸か不幸か(笑)投薬のせいで当時の記憶が「まだら」というかあまりありません。
それでも、メリーオーケストラの活動を続け、レッスンを朝から夜まで続けていたのが奇跡に感じます。

ヴァイオリンを弾く「野村謙介」をもう一度呼び起こしてくれたのが、浩子でした。ふたりで演奏することが、今まで自分を育ててくれた両親への感謝を伝えることだと感じながら。

両親が私たちふたりの演奏を最後まで聴いてくれたことが、なによりの親孝行だったのかと思っています。
音楽が人の命に直接かかわることではなくても、
生きていくこと、そのものが音楽であると思うことがあります。


うまれてきたこと
育ててもらえたこと
出逢ったこと
笑ったこと
その すべてに
ありがとう
この命に
ありがとう

これからも、一日を大切にして、生きていきます。
どうぞ末永く、お付き合いください。
野村謙介

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失敗こそ成長の鍵

多くの生徒さんが経験する発表会。思うように弾けなかったり、失敗したことが後を引きずることもあります。
私自身、思い返せば発表会や、レッスン、音楽高校の入学試験、学校で行われる実技試験などで、いつも反省することばかりでした。
未だに、自分の演奏が思うように弾けないのが現実です。
生徒さんから見れば、私たちの演奏は十分なものかもしれませんが、本人にしてみれば失敗や反省が数限りなくあります。
その反省を次に活かすことが上達し、成長するための鍵になります。

まず「思ったように」弾けなかったという「思う演奏」がどれほど、濃いものだったか?自分の思い描く演奏のイメージが薄ければ、当然の事として「行き当たりばったり」の演奏になって当たり前。
例えば、今回のリサイタルで13曲の演奏した中で、すべての音に対して「思うもの」があったのか?音符の数だけ、それらの音に対する弾き方や、こだわりが本当にあっただろうか?
ひとつの音を演奏することの連続が、曲になります。
・どの弦で弾くか
・どの指でどのくらいの強さで押さえるか
・弓のどの部分から弾き始めるか
・弓の圧力と速度で決まるアタックはどのくらい付けるのか
・ビブラートはいつからかけ始め、どの速さでどの深さでかけるのか
・弾き始めから音量と音色をどう変化させるのか
ざっと考えただけで、このくらいのことを考えながら一つずつの音を弾いています。それらを練習で考え、決めたら覚えることの繰り返しです。
その繰り返しの数=練習時間が足りなければ、覚えられません。

私と浩子さんが選ぶ曲は、ジャンルにとらわれません。
好きな音楽を、どう?並べたら、お客様に楽しんでもらえるかを考えます。
料理で言う「献立」です。フルコースの料理なら、前菜から始まってデザートで終わるまでの料理を組み立てるのと同じです。
タンゴを演奏する時には、その曲に相応しい弾き方を考えます。
音色もビブラートも、それぞれの曲にあった「味つけ」をして盛り付けます。
タンゴの演奏を専門にしている方から見れば、嘘っぽく見える演奏かもしれません。それは素直に認めます。あくまでも、私たちの「思うタンゴ」です。
クラシック音楽演奏が主体のヴァイオリニストがほとんどです。
クラシックの演奏も、タンゴの演奏も、映画音楽の演奏も「本気」で取り組んでいるつもりです。
たとえて言えば、ショパンコンクールで素晴らしい演奏を評価された、角野隼人さん(=かてぃん)が、クラシックもジャズも、ストリートピアノも「本気」で取り組んでいる姿をみて「中途半端」と思う人はいないと思います。むしろ、それも演奏家の「個性」ですし、ひとつの音楽ジャンルにだけ固執することが、素晴らしい演奏家の称号だとは思います。

反省する材料に向き合うことは、楽しいことではありません。
ましてや自分が失敗した演奏を、何度も見返すことは、つらいものです。
何度も見返していると、なぜ?そこでそんなことをしたのか、わかってきます。
練習でなにが足りなかったのか。本番でなにを考えていたのか。
失敗をトラウマにしない方法は、解決する=失敗を繰り返さない方法を、自分で見つけることです。それができるまで、繰り返すうちに、自分を信じること、つまり「自信」が自然に身につくものです。
自分の能力を信じること。自分の音楽を信じること。練習してきたことを信じること。そのために、出来なかったことを見つけ出すために、自分の演奏を撮影・録音しています。
来年1月、同じプログラムで代々木上原ムジカーザのリサイタルに臨みます。
その時までにできる反省と復讐を繰り返し、自信を持てるまで練習します。

ヴァイオリニスト 野村謙介

ピアノとの調和

奏の中で最大規模がオーケストラです。
一方で最小の演奏形態が「二重奏=デュオ」です。
ヴァイオリンとの組み合わせの多くは、ピアノとのデュオです。
この場合のピアノは「伴奏」ではなく独立した、一つのパートを担当する「ピアノ演奏」です。ヴァイオリン協奏曲でも、独奏ヴァイオリンとオーケストラは「対等な関係」でなければ演奏は成り立ちません。伴奏ではありません。

ヴァイオリンがピアノと演奏するとき、当たり前のことをまず考えます。
ひとつは「音色の違い」であり、もう一つは「音量の違い」です。
音色はすべての楽器で違います。特にピアノは、フェルトを圧力で固めたハンマーでピアノ線(鋼鉄の弦)を叩いて音を出す「打楽器」の仲間です。
ヴァイオリンは弓の毛で弦をこすって音を出す「擦弦楽器」です。
音色の波形が全く違います。聴感上も全く違います。
一方で音量で考えると、ピアノはヴァイオリンより大きな音を出せる楽器であると同時に、一度にたくさんの音を演奏する場合、音圧は当然大きくなります。つまり、小さな音を出すことが難しい楽器でもあります。
忘れがちですが、ピアノとヴァイオリンでは「筐体=箱」の大きさが圧倒的に違います。グランドピアノは、ピアノ線の長さ分の「筐体」があります。この大きさとヴァイオリンの大きさを比較すると、恐ろしい体積の違いになります。
音が広がりだす「音源」の面積が圧倒的に大きいピアノと、小さな音源から音を出すヴァイオリン。同時に弾けば、聴いている人の耳に届く「音」を例えると、小さなスピーカー(ヴァイオリン)とその何十倍も大きなスピーカー(ピアノ)の音を同時に聞いているのと同じです。
グランドピアノの音を聞きながらヴァイオリンを演奏する時、客席での聞こえ方を考えなます。
私と妻でありピアニストである浩子さんとのデュオの場合、私はピアニストやピアノの鍵盤を全く見なくても安心して演奏できます。それは、信頼があるからです。一方でピアニストからヴァイオリニストが見えないのは、とても不安なことのようです。圧倒的に多くの音を演奏するピアニストが、さらにヴァイオリニストの「動き」を見ることができるのは、驚きに感じます。ヴァイオリニストの息遣いは「音」で感じられても、ピアノの音が大きければ、それさえ聞こえないはずです。ピアノの楽譜は「スコア」なのでヴァイオリンパートも書かれています。その楽譜も見ながらの演奏ですから、視野の中にヴァイオリニストがあることは大切なことなんんですね。ヴァイオリニストがピアノに「合わせたい」と思えば実際には難しくありません。フォルティシモの時だけは、自分の音しか聞こえなくなる場合もありますが。

自分に合わせてほしいと思う時は、わかりやすく動けばピアニストが合わせてくれます。
すべての合奏に言えることですが、信頼関係が強ければ合奏は、さらに成熟します。そして、楽器ごとの違いと共通点によって、合わせる方法は違うことも、理解することが必要です。

機械に合わせて演奏するのではなく、人間と一緒に演奏することを楽しみたいですね!

ヴァイオリニスト 野村謙介

演奏中に動くもの・止まるもの

今回のお話も演奏に関わるテーマです。
楽器を演奏する人間と楽器の関係で言えば、
・固定された楽器(鍵盤楽器や打楽器の一部)
・演奏者が保持する楽器
・チェロやコントラバスのように、一部が床に置かれ一部を演奏者が保持する楽器
に分類されます。
楽器が動かない場合、演奏者が動くことになります。チェロ・コントラバスもある意味で固定されています。
それ以外の楽器、たとえばヴァイオリンの場合は演奏者が左上半身を使い楽器を保持し、右手で弓を持ち動かします。
ヴァイオリン・ヴィオラの構え方は、人それぞれに違います。つまり、楽器の「保持方法」が違います。どの程度、体と一体化させるのか?どのくらい身体の動きと分離させるのか?が大きな違いになります。
演奏者が動けば、ヴァイオリン・弓も当然動きます。
動くと言っても、どこが動くのかによります。
上半身全体が動けば、右腕・左腕・首も動くので楽器と弓も移動します。
首から上だけ動いても、楽器と弓は動きません。
左手を動かしても右手は動きません。逆も言えます。
これは「相対」として楽器と演奏者が同じ動きをするか?しないかによっても変わります。楽器を持ち弓を持つ上半身、すべてが前後左右に動いたとしても、演奏者と楽器の「相対的な位置関係」は変わらないのです。ピアノの場合は違います。人間が動けば位置関係は変わります。

ヴァイオリン・ヴィオラを肩当てを使って演奏する人と、使用しないで演奏する人がいます。私自身は使わないとうまく楽器を安定させられません。
少なくとも、左の鎖骨(さこつ)には楽器が「乗る」はずです。
これが1点目です。
仮に左顎(あご)で顎あて部分を「押さえる」と、鎖骨に加え2点目になります。完全にこの力だけで楽器を保持すれば、楽器は弾ける?いえ、弾けません。
なぜなら、弦を「押さえる」指の下方向への力も加わるからです。弦を抑える指の力も、鎖骨と顎だけで支えようとするか?しないか?でこの顎で楽器を抑える力が大きく変わります。ちなみに鎖骨は「動きません」当たり前ですが。
肩当を使用すると、鎖骨より腕側の「腕の付け根の筋肉」に楽器を「乗せる」ことができます。つまり鎖骨に乗せるのと同じ方向の力「乗せる」だけの力です。
ヴァイオリンを演奏する時に加わる力の方向は、
1弦を押さえる下方向への力
2弓を弦に押し付ける下方向への力
3楽器本体の下方向への「重さ」
この力を支える上方向への力は、どこで生まれるのか?
1鎖骨に乗せる
2肩当てを使って体に乗せる
3左手で持つ(親指に乗せたり、親指と人差し指の付け根の骨ではさんだり、人指す指の付け根の骨に乗せたり)
顎の骨で「はさむ」力は後半の力を補助する力であって、前半の下方向への力ではありません。勘違いしやすい!

演奏中に楽器が「勝手に揺れる」と弓を安定して弦に乗せ音を出せません。
特にビブラートやポジションの移動をする際に、揺れがちです。
さらに、右腕の運動、移弦の運動、ダウンアップの運動でも楽器が動いてしまう場合もあります。
自分の意識とは無関係に楽器が揺れ動くのは、良いことではないのは誰にでもわかります。
それを「止めよう」として左半身に力を入れると、逆効果です。
楽器は演奏者の身体に「乗っている」のですから、楽器に触れているどこかが動けば、楽器は「揺れる」ものです。その揺れを吸収する「クッション」の役割も演奏者の身体を使わなければ不可能です。
指・手首・肩・首のすべてが連動しています。
独立させて運動させるためには「脱力」するしか方法はありません。
筋肉に力を入れれば入れるほど、多くの筋肉が一緒に連動して動くから、楽器が揺れるのです。

どんな構え方だろうと、共通するのは無駄な力を入れずに、各部位が自由に揺れを吸収できる「柔らかさ」を意識することだと思います。
無駄な力を抜く練習。

力を入れずに
がんばりましょう!

ヴァイオリニスト 野村謙介



ヴァイオリンのペグ

さてさて、今回のお話はヴァイオリンやビオラ、チェロの調弦(チューニング)をするための基本である「ペグの止め方、動かし方」についてです。
実はこの動画、弦楽器を管理する自治体の職員さんたちが、触ったことのないヴァイオリンの維持や管理をするための参考にと、撮影し編集したものです。
もちろん、初心者を含めヴァイオリンを演奏する人にとっても調弦は避けて通れない技術の「かなめ」です。調弦が自分でできなければ、正しい音を出すことは不可能に近いのですが、なかなか難しい。特に弦を張り替える時には、このペグを動かせなければできません。微調整のための「アジャスター」がテールピースに4本の弦すべてに付いている、初心者向けのヴァイオリンはあります。また多くのチェロにはすべての現にアジャスターがついています。それでも、大きな幅の調弦は、ペグを動かさなければできません。
Youtubeで「ヴァイオリンの調弦」と検索すると、たくさんの動画がありますが、残念ながらペグがなぜ?止まるのか、なぜ?止められないのかという、基本の話が見つからなかったので、今回作成しました。

そもそも、弦を張り替えるためには、弦の張り方を知らなければ無理です。
ペグにあいている小さな「穴」に弦のループやボールの付いていない側を差し込みます。あとてペグの向きが調弦しにくい向きで止まった場合に、突き抜ける弦の長さを変えることでペグの向きを変えることがあるので、ある程度長めに突き抜けさせておくことが理想です。
突き抜けさせたら次は、丸く円柱状(厳密には円錐です)のペグの「上側」に巻き付けていく方向でペグに弦を巻いていきます。この説明、むずかしい(笑)
ペグを回して弦を「張っていく」時の回転方向で言うと、
高い音であるE線とA線は「時計回りで張って(音が高くなって)いく」「反時計回りで緩んで(音が低くなって)いく」ことになります。
一方、低い音であるD線とG線は「時計回りで緩んで(音が低くなって)いく」「反時計回りで張って(音が高くなって)いく」ので、楽器に向かって左右で、弦を張る方向が「真逆」になります。
ペグを動かす前に、弦の巻き付き方を良く見れば間違えないで、張ったり緩めたりできると思います。

ペグの材質によって、湿度の変化で動きが大きく変わる素材もあります。
見分け方として、茶色や濃い茶色のペグは湿度を含みやすく、梅雨時などに重く動きにくくなり、乾燥すると止まりにくくなる特徴があります。
一方で黒檀(こくたん)の真っ黒いペグは、湿度に影響を受けにくく、本来はこの黒檀のペグとテールピースが一般的でした。ちなみに、指板はどんなヴァイオリンでも黒檀が使われています。頤当ても昔は黒檀でした。時代と共に見た目の美しさや、装飾の付けやすさなどで変化してきました。

弓で音を出しながら調弦できるようになったら、ぜひ!A線の音以外はチューナーを使わずに、A線とD線を「軽く・速く・長い」弓使いで「完全五度の響き」でD線のペグを動かして合わせるトレーニングをすることを勧めます。
D線を調弦したら、D線とG線を同時に弾いて、G線を完全五度の響きに調弦します。最後にA線とE線を同時に弾いて、E線のアジャスターでE線を合わせて完成。難しいですが、この調弦方法ができるようになるまで、ペグを左手で動かし、止められるようになるまで、力の入れ方を繰り返し練習してみましょう。

最後に、調弦を繰り返すと駒が指板側に傾く原因を。
弦を緩める時には、駒と弦の摩擦力は低く、駒は動きません。
弦を張る(高くする)ときに、駒と弦の摩擦が最も高くなるので、駒がペグ方向、つまり指板側に引っ張られることになります。
調弦の際に、あまり大きく変化させないで調弦できるようにすることで、駒の傾きを最小限に抑えることになります。
大きく下げ、大きく上げる調弦は他の弦の「張力」を変えてしまい、結果的にまた他の弦を調弦する、二度手間にもなります。少しの上げ下げでぴったりの音に調弦できるようになることも、楽器を大切に扱うことになります。

弦楽器は調弦を自分で行う楽器です。時間がかかっても、一人で調弦できるようになるまで練習してくださいね。
メリーミュージック 野村謙介

芸術家は貧乏?

今回のテーマは、かなりシリアスです(笑)
そもそも、職業欄に「芸術家」って書ける人、いるのでしょうか?
どうやってお金を稼いでいるかによって、職業が変わります。
たとえば「音楽家」と言われる職業は?
作曲をして出版会社や放送局、音楽事務所からお金をもらえば、職業=作曲家。プロのオーケストラで所属する組織からお金をもらえば、職業=演奏家。
音楽教室で音楽を教えれば、職業=講師。
学校で音楽を教えれば、職業=教育職員(教員)
つまり、一言で音楽家と言っても様々です。
厳密に考えるともっと細かくなりますね。
それら「音楽家」を「芸術家」と称することがありますよね。

芸術家。アーティスト。聞こえは良いですが、定義があいまいすぎます。
そもそも、職業として成り立っていなくても、芸術家はいるように思います。
職業は八百屋さん。で、素晴らしい演奏をする人がいたら、この人の職業は「八百屋さん」であり、演奏は?趣味?アマチュア?でも、その演奏が多くの人を感動させるものだったら、芸術家とか音楽家、演奏家と呼ばれるでしょうね。
もっと極端な場合、収入がない人が、お金をもらわずに素晴らしい絵をかいたら、「無職」の芸術家。
芸術の定義を「人間の行為で他人を感動させるもの」だとしたら、お金とは結び付かなくても芸術は存在します。

話を具体的に絞って、音楽大学を卒業した人が演奏で人を感動させれば「芸術家」と言えるのでしょうか?対価としてお金をもらえるか?は別の問題かも知れません。逆から言えば、誰かから演奏の対価をもらったとしても、人を感動させられなければ、芸術家ではなく、職業=音楽家ですよね。
音楽大学を卒業した人が、どれだけの技術を持っていても、対価を払う人がいなければ生活のために、違う職業に就かなければならないのが現実です。それでも、その人が演奏を続け、人を感動させられれば、立派な芸術家だと思うのは間違いでしょうか。芸術家=貧乏で良いわけがありません。自分を感動させてくれる演奏をする人や、作品を作る人が貧乏で喜ぶ人はいないと思います。

日本で、芸術を作る人間が、芸術活動をしながら生活できる日は永遠にこないのでしょうか?裕福でなくても、普通の生活さえできない音楽家や芸術家ばかりの日本。自分の好きなことを続けているから貧乏でも仕方ない…とは思いません。
少なくとも、人間を感動させる絵画や音楽、演劇に対する考え方を変えていかなければ、何も変わらないと思います。
感動するか、何も感じないか。人それぞれ違うのです。
マスコミが取り上げれば「有名音楽家」と称され裕福な生活ができる日本。
若い人が本気で音楽を学んでも、生活できないと思いあきらめる。あきらめた人が「弱い」と批判される。音楽は勝負したり、競争するものではありません。
音大や美術大学で学ぶ人たちを育てられるのは、優れた師匠だけではないと思います。多くの「見る人、聞く人」の理解がなければ育たないと思います。

私たち世代の考えを「老害」と冷笑する人には、感性がありません。
若ければ何をしても許されると、勘違いする若者を見ていると情けなくなります。一方で、若者のやる気を削いでしまったのは、私たち世代の責任でもあります。
芸術を職業にできる社会を作ることは、一人の力ではできませんが、一人でも多くの人に、音楽や美術、演劇に興味を持ってもらい、それを作る人たちの「生活」にも関心を持ってもらうことが不可欠です。
著名な音楽家が自分のことだけを考えれば、次の世代の音楽家は育たないのです。
すべての世代の人たちが、真剣に考える問題だと思っています。

田舎の自営業者・場末のヴァイオリニスト・音楽普及活動家(笑) 野村謙介