初心者から上達する速度とレベルの個人差は…

 映像は20年ほど前に勤めていた中学校・高等学校の部活動オーケストラ定期演奏会。みなとみらいホールでの演奏です。演奏しているのは紛れもなく(笑)中学生と高校生。例外はハープの演奏者(プロの方です)だけでパイプオルガンも当時高校生だった「元部員」が演奏しています。
 1985年から約20年間の部活動指導経験とその後の指導経験から「初心者の上達」について私が思う事をテーマにしてみます。

 結論から先に言えば
「子供からでも大人からでも到達レベルは」
「上達速度=時間は練習の密度次第」
「到達レベルの違いは練習時間と内容に比例する」
と言う2点です。
小さい頃から始めても大人から始めても、「密度の薄い練習」を「5年間」続けた場合に到達するレベルは「密度の濃い練習」を「1年間」練習した人の到達レベルは「同じ程度」です。
一方で内容の濃い練習を5年間続けた場合の到達レベルは、内容の薄い練習を何年続けても到達できないレベルです。
 つまり初心者から初めて「密度の濃い練習」を続けていればどんなに人でも動画で演奏しているレベルまでは到達できるという意味になります。
この動画内で演奏している生徒のほとんど全員が中学に入学するまで、触ったことのない楽器を演奏しています。中には小さい時からヴァイオリンを習っていた生徒もいますが、動画内でヴァイオリンの演奏を見て「習っていた子」を判別できません。それほどに部活動で目標を持って練習することによる上達レベルは高くなるという証明です。
 以前にも書きましたが私の指導方針は
「月曜から金曜の練習参加を強制しない=練習場所を提供する」
「土曜日の合奏には参加する=午後1時から3時ごろまで」
それだけです(笑)生徒個人が上手になりたいと感じ、自分の生活スケジュールを優先し=部活を優先させない、間違った練習をしないことで。入部したすべての生徒がこうして演奏しています。

 この演奏レベルは「アマチュアレベル」としては十分だと思います。
この生徒たちの中でさらに外部の先生にレッスンを受け、音楽大学に進学した生徒もいます。プロになって活動している人もいますが多くの「元部員」はその後もアマチュアで音楽を楽しんでいます。素敵なことですし私の理想とすることです。燃え尽き症候群の生徒もいなかったと思います。なにせ練習スケジュール自体は「ゆるい」部活でしたから燃え尽きるまで疲れていないはず(笑)
 このレベルに到達するまでに子供によって差があります。その原因は「性格の違い=集中力の違い」によるものです。言い換えれば「こだわることの違い」であり能力や才能の違いではありません!
 たとえばヴァイオリンの生徒がヴィブラートをかけられるになるまでの期間は、1~3カ月ほどの幅があります。「1カ月でヴィブラートがかかるの?」あと思われますが実際にかけられます。それでも3倍ほどの時間差があります。
 またスピッカートが出来るようになるまでには1年から2年かかります。なかにはもっと時間のかかる生徒もいます。難易度が高いためです。
 リズムを正確に演奏する技術や楽譜を音にする技術は、部活動の場合は「誰かの真似をする」ことで覚えられるために実際にはあまり上達していません。不思議に感じるかも知れませんが音楽を「丸ごと覚えて演奏する」ことで演奏していると言っても過言ではありません。当然プロになるのであれば「読譜技術=初見能力」は必須条件ですがアマチュアには求められません。

 部活ではなく個人レッスンの場合には、密度の濃さに天と地ほどの個人差があります。生活の中で楽器の練習に集中できる時間が違いすぎるからです、
 音楽の学校を受験しようとする場合には、生活の中心が楽器の練習になるわけで密度の濃い練習が出来て=練習して当たり前です。そうでない場合には「できるy時に」練習するのですから密度が薄くなるのは仕方ありません。
 前述の通り密度が薄ければあるレベルより「上」にはいくら長く時間をかけても到達しません。アマチュアならそれで十分だと思います。自分が楽しければレベルが低くても満足できるはずなのです。もしも、さらに上達しいのであれば練習の密度を刻すればよいのです。忠雄?レだけのことです。時間・期間だけではありません。
 楽しめなければ音楽ではない。
私の持論です、プロでもアマチュアでも演奏を楽しめれば立派な「演奏家」です、
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

楽譜を覚えるためのプロセス

 映像はショスタコービッチ作曲「二つのヴァイオリンとピアノのための5つの小品」の4番「ワルツ」と5番「ポルカ」をヴァイオリン・ヴィオラ・ピアノで演奏しているものです。この楽譜は手に入りませんでした。
 ヴァイオリンのセカンドの楽譜は…

すごいでしょ!浩子さん天才!ありがとう!
で、それを私がパソコンソフトを使って「音」にします。

すごいでしょ!浩子さん天才!ありがとう!
で、それを私がパソコンソフトを使って「音」にします。

さらにここに先ほどの楽譜を画像にして音楽に合わせて動画を作ります。
それがこちら。

これを頭に覚えて演奏するのです。覚えながら指使いや弓も覚えます。
「動画が見えるなら紙の楽譜も見えるでしょ?」と思われますが私たち弱視の人間にとっては画面の明るさとコントラストの強さは、紙よりもずっとみやすいのです。ただ音符の位置などは苦しいですが(笑)音を聴きながら覚える方法は「スズキメソード」の母国語方式に似ていますが、正確には意味が違います。このパソコンの音源をそのまま真似して弾きたくないし(笑)そもそも楽譜を見ることが難しくなった分を補うための音源です。
 楽譜を見ながら演奏できることが当たり前だった頃には「暗譜」することの意味や難しさを考えたことはあまりありませんでした。なんとなく?何度も練習している間に覚えるのが暗譜だと思っていました。
 楽譜を見ないで演奏する(できる)こと
それだけでは暗譜とは思わなくなりました。演奏しようとする音楽のあらゆる要素…音の長さ・高さ・大きさ・音色などを演奏する弦や弓の位置をひとつのパッケージ=イメージとして一曲分「思い出せる」ことが暗譜だと思うようになりました。少しずつ…一音ずつ・1小節ずつ・1フレーズずつ覚えます。
 能率が悪く思われますが実際にやってみると案外!短時間で演奏できるようになるものです。ぜひ、皆さんも一度お試しください!
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

シンプルな美しさ

 映像はデュオリサイタル8で演奏したバッハ作曲チェンバロ協奏曲第5番の中から「アリオーソ」ヴィオラとピアノで演奏したものです。ビデオの撮影は人手不足で(笑)ありませんでした。
 音楽にはそれぞれに個性がありますよね。言葉にすると安っぽい気もしますが、シンプルな音楽は絵で例えるなら…水墨画やクレパスで書かれたようなイメージ。食べ物に例えるなら…素材の味が際立つ料理。もちろん、複雑な色遣いの絵画も多くの素材を組み合わせた料理も素晴らしいものですがシンプルなもので人を感動させるために、作り手のこだわりと技術が最大限発揮されるとも思います。
 演奏の形態も、使われる楽器の種類が少なくなればなるほど、一つ一つの楽器の音が際立ちます。
 楽曲の旋律が、順次進行と分散和音を中心にした覚えやすい旋律で、リズムも規則的な繰り返しが多いアリオーソ。和声進行も奇をてらわず聴く人の期待通りの進行です。
 余計な飾りを極限まで削り必要不可欠なものだけが残ったもの
それこそがシンプルな美しさだと思います。「簡単」とは意味が違うのです。
「素朴」とでもいうべきです。アリオーソを演奏する際に、装飾音符をたくさんつける人もいますが私は「素=すのまま」が好きです。「バロックとは!」と言うお話は大切ですが料理の仕方は、人それぞれに違って良いと思います。
 もっと純粋な美しさを求めて、この曲に再挑戦したいと思うのでした。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

弓と右手の一体化

 映像はチャイコフスキー作曲の歌曲「ただ憧れを知る者だけが」をヴィオラとピアノで演奏したデュオリサイタル15ムジカーザでの演奏です。
 以前のブログで紹介した弓の持ち方を変えるというテーマに関連する話題です。
 恩師久保田良作先生に教えて頂いた右手の「形=型」は、一言で言えば右手の甲(こう)を平らにするものです。もう少し詳しく言えば、右手の掌に一番近い関節(拳の骨)が出っ張らないように持つイメージです。言葉にするのは難しいですが(笑)机の上に右手の甲を下にして=手のひらを上に向けて置いてみます。
その状態で右手中指・薬指・小指を「指先からゆっくり上に向ける」曲げ方をします。その時に指の第2関節を机から離さないように曲げるのがポイントです。
その状態で親指の指先=爪の先端を、中指の指先=肉球部分に触れるように親指を移動します。必然的に親指と掌の隙間は、ほとんどなくなります。その状態のまま掌が下になるように180度回転させます。人差し指は、ほぼまっすぐに伸びた状態で、中指・薬指・小指の指先が机にあたるはずです。
 この状態を弓先でも維持することを久保田先生は繰り返し言われ、私はその指示に従って約50年間継続してきました。生徒さんの中でも数名に、この持ち方を伝承してきました。多くの生徒さんはこの「形=型」になる以前に、それ以外の修得するべき腕の動きができなくなり、強いて教えることはしてきませんでした。
 この持ち方の良い一面は、弓のどの部分でも一定の圧力を弓の毛に加えやすいと言う利点と、不用意な「指弓」を使わずに腕の柔らかさを使って、ダウンからアップ・アップからダウンの際の衝撃を吸収する習慣が身に付くことです。
 簡単に言ってしまえば「指のクッションではなく腕と肩のクッションを使う」奏法です。
 ただ物理的に右手首を左右に曲げる運動が必要になるという難点もあります。
手首は掌と手の甲の方向=上下方向に曲げる運動可動域が大きく。その運動対して90度方向=左右に動かす可動域は狭いのが普通です。この運動を腕を立てて掌を前にして行うと、一昔前に流行した「まこさまのおてふり」ができますのでお試しください(笑)
 弓先に行った時は前腕の骨に対して左側に手首を曲げます。弓元ではまず右手肘を上方に挙げることで弦と弓の毛の「直角」を維持します。それでも右手ー弓元が前方に出すぎる場合=弦と弓が直角にならない場合は、弓先の場合とは逆に手首を右方向に曲げることで直角を維持します。

かなり難しいことを書きましたが(笑)この奏法で必要になる作用方向への手首の柔軟性と、右撃て全体で衝撃を吸収する弓の返しが年齢と共に苦しくなってきました。今思えば恩師もまだ若かった!のです。いえいえ、久保田先生は健康をとても大切にされておられ、特に全身運動の重要性を説いておられましたので、年齢よりも若い肉体を維持されていたことは事実です。見習うべきですね(涙)
 とは言えやはり弓元での運動が苦しくなってきたので、手の甲を平らにする持ち方から掌全体を「楕円」にする形に変えました。円ではなく楕円です。
円のイメージはピンポン玉を掌で包み込む形です。つまり右手5本の指で球体を作る形です。弓を「つまんで持つ」形になりますが、私はこの持ち方には様々な違和感を感じています。
 最も大きな問題は、親指と人差し指のてこの原理による、弓の毛と弦の接点への圧力をかける「向き」がずれてしまう事です。演奏中の理想的な圧力の方向は、表板方向に向かう力が9割以上で、手前方向への力は1割以下だと考えています。弓をつまんで持てば圧力は?手前方向に多くかかります。下向きの力を得るためには弓を強く「挟む」事が必要になります。この力は本来不要な力です。
 楕円にすることで、下向きの力を保ったまま(多少はロスしますが)指の柔軟性を作り、腕の負担を下げられることになります。

 実際に持ち方を変えてみて感じたこと。
弓の圧力方向と下限をコントロールしやすくなりました。
出したい音色によって、数ミリ単位で弓を置く場所を変えています。その際に手前に引き寄せる運動と緩める運動で、音色の変化量が増えました。
 さらにこのことで客席に響く音量も変わりました。言い換えれば「楽に音が出せるようになった」のかもしれません。
 まだまだ改善途上です。さらに研究して自分の身体に会った演奏方法を模索したいと思います。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

練習できない期間(ブランク)なんて怖くない!

 今回のテーマは「ブランク」について。
多くの生徒さんが「忙しくてあまり練習できませんでした」とおっしゃいます。
中には生徒さんが幼いころ習っていて、何年・十何年・何十年ぶりでレッスンを再開されるケースも珍しくありません。その「楽器を練習していなった期間」をブランクと呼びます。ブランクをあたかも「悪いこと」のように語る人がいますが、プロであれアマチュアであれ「ブランク」はあって当たり前だと思っています。むしろあった方が良いとさえ思っています。

 上の映像は15年前のデュオリサイタル「1」で演奏したドボルザークのロマンティックピースです。決して上手なヴァイオリンではありませんが、このリサイタルを開くまでの私の「ブランク」をご紹介することでブランク恐怖症(笑)を克服して明るく練習できることに繋がれば…と思います。

 音楽大学を卒業するまで、師匠に言われ続けていた言葉「一日練習を休むと元の状態に戻るまで二日間かかる。二日休めば四日。わかった?」なるほど!と素直に受け入れ、今でも間違ったお話ではないと思っています。
 問題は元の状態って何?と言うことと、練習を休むことへの背徳感や恐怖心、延いては無理をして義務的に練習することで悪影響をもたらすことにもなります。
 教員生活20年間…私の場合25歳の年に普通科中学・高校の教員となりました。
それまで約20年間、ヴァイオリンを「ほぼ」毎日、練習していましたが教員になったその日からヴァイオリンケースの蓋を開けることは「一年に数回」もしかすると一年間一度も自分のヴァイオリンに触れなかったこともあったかもしれません。ヴァイオリンが嫌になったわけではなく、現実的にその時間がなかったのです。まさしく「20年間のブランク」ですよね。退職時のパワハラで精神を患い、処方されたお薬で命をつなぎながらレッスンをする日が数年間続きました。
 生徒さんに朝10時から夜9時まで、30分刻みで定休日も休憩もなくレッスンをし続けられたのは恐らく間違いなく数々の「お薬」で眠気や疲労感を感じなくなっていたからだと思います。今考えても恐ろしい経験でしたが当時は「普通」に感じていました。ヴァイオリンを教えながら自分が練習することは、それまでの20年間とほとんど変わりませんでした。
 練習する目的を失った日々でした。
その長いブランクから浩子さんとリサイタル…考えられないギャップです(笑)
 リサイタルで演奏する曲を二人で考え、練習をスタートし約1年間をかけて第一回デュオリサイタルを開きました。その時の演奏のひとつが上のロマンティックピースです

 ブランクを「休憩」あるいは「睡眠」と置き換えて考えるべきだと思います。人間は睡眠せずに起き続けると「死」に至ります。最も残酷な拷問方法のひとつです。つまり「休むこと」は人間にとって不可欠な事なのです。
 練習を休むと「へたになる」ことはあり得ないのです。なぜなら「休む」という言葉は、休む前にしていたことを「新しく始める」時に使う言葉だからです。「やめる」とは全く意味が違うのです。もっと言えば休みが死ぬまで続いた場合に「やめた」と言い切れるでしょうか?練習したくても、舞台に上がりたくても「できない」状態になり、その思いを持ったままいのちの火が消えた人…たくさんいますよね?落語家・俳優・音楽家など職業は様々ですが最後の最後まで、本人が思っていた気持ちを「現実にはやめたんだ」と表現するのは人として間違っています。休んでいただけ…なのです。

 ブランクが終わって練習や演奏を再開したときに「リハビリ」から始めるのが一般的です。では楽器演奏の「リハビリ」ってなんでしょう?
 実は私たちが毎日、最初に練習する内容こそが「前日からのリハビリ」なのです。人間は「忘れる生き物」です。生まれてから今までに「見たもの」「聴いたこと」「感じたこと」をすべて記憶することは不可能です。忘れるように出来ています。
 楽器を演奏することと曲を演奏することには「記憶する」と言う共通点があります。「暗譜しなければ記憶はしない」と思うかもしれませんね。初見で演奏する時に記憶していないじゃないか!って?それ勘違いです(笑)
 初見の楽譜を見ながら演奏する時に演奏しながら、次に続けて演奏する音符を「記憶」しつづけながら演奏しています。原稿を読みながらすスピーチする場合も同じです。記憶するのが1行でも原稿すべてでも覚えると言う行為では同じです、長期間記憶する場合と短時間の場合は、使う脳の部分が違う事も科学的に証明されています。
 楽器の音を出す方法は、長期間記憶する脳に記憶されます。
曲=楽譜を演奏する場合の脳は「短時間記憶」が働きますが、何度も記憶を繰り返すうちに「長期間記憶脳」にも記憶が残ります。

 ブランクを開けることの「意義」「利点」は他にもあります。
大きな利点は「自分の演奏する音」つまり聴こえている音を、ブランクの間にリセット出来ることです。「もったいない!」ですか?(笑)
ブランク明けには、自分の音を客観的・冷静に聴くことができます。
 さらにブランクを挟むと、それまで記憶していた、1曲で演奏する一音ずつの演奏方法を再確認できることです。「それこそ!もったいない」と思いがちですが、実際には記憶が薄い「場所」や「身体の使い方」を何度も再確認することは、練習する回数と時間に関わる大切なことです。

 練習できない期間を悪い方に考えないことが大切です。
確かに練習には多くの時間が必要です。ただ楽器に向かって音を出すことだけが練習ではないのです。身体と脳を休めることも練習の一部です。それができなければ、いずれ筋肉が疲労で疲れを感じなくなる現象「マラソンハイ」の状態になり最悪の場合は身体を壊します。脳を休めないと、自分の演奏を客観的に聴いたり、運動が無意識になって再生性が極端に下がる結果になります。同じ場所を何度も練習するうちに「出来るように案った!」と喜んでいたのに、一休みしたり翌日にはまた!ひけなくなっているのは、これが原因の場合がほとんどです。
 ゆったりした気持ちで楽器の演奏を楽しみましょう!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

なぜ?練習するのか?

 映像はアンコールで演奏したシューベルト作曲の「セレナーデ」
今まで二人でたくさんの小品を演奏してきた中で実は今回が初めての演奏でした。なんだか不思議(笑)こんなにみんなの知っている曲を忘れていたなんて!

 さて今回のテーマは「練習の目的」を考えるものです。
「うまくなる為以外になにがあるよ!」と突っ込まれそうですが、
うまくなってどうしたいの?どうしてうまくなりたいの?と言う本質です。
個人差の大きな「考え方の違い」はあります。ただ趣味であれ職業であれ。音楽を演奏することは、人間にだけ与えられた能力であり、何よりも自由に音楽を演奏できることは多くの人にとって「楽しみ」なのです。競技スポーツのように、誰かと競い合って楽しむ場合、当たり前ですが相手の人間が必要です。
 スポーツでも芸術でも「他人からの評価」で優劣をつける場合があります。
自己評価ではなく他人の感覚・感性・価値観で評価されることを望む人と嫌う人がいて当たり前です。それも評価される人の「価値観」の違いです。
 私は音楽に優劣や序列をつけることについて否定的な考えの人間です。
人それぞれに好きな演奏や憧れる演奏者がいて当たり前です。食べ物に好みがあり、ファッションにも好みがありますよね?
「多様性」と言う言葉をここ数年よく耳にします。人それぞれに、生き物すべてに個体差があります。それこそが本来の多様性…言い換えれば生物が存在する意味でもあります。多様性を認めない人や否定する人は、そもそもが自分の考え方祖物が「多様性の一部」だという事を理解できない知能の低い人です。

 さてさて、練習してうまくなったら?何が楽しい・嬉しいのでしょうか?
「競争に勝てたから」と言う人もいますが、私はちょっと違う気がします。
「誰かに喜んでもらえるから」それも十分に考えられる要素ですが他人の評価「だけ」を期待するのも練習の目的としては違う気がします。
 私の持論は「自己満足のため」に練習し、「自己評価」が高くなることが嬉しいのだと考えています。つまり練習は自分のためにだけするもので、練習してうまくなったと「思えれば良い」と思うのです。それだけ?(笑)はい、それだけです。
 どんな練習をしても良いのです。自分が満足できる練習こそが練習です。
もちろん!誰かに「じょうずになったね!」と褒められるのは、どんな人でも嬉しいことです。自分ではうまくなった気がしなくても、そういわれることもあります。それはそれで大切な事なのです。自分が自分に問いただすための一つの「違った基準」を聴くことはとても大切なことだからです。

 今回のリサイタルで、弓の持ち方を根本から変えました。右腕の使い方は以前に師匠から習った動きに戻しました。ヴィブラートも腕を使う方法を使わず、手首のヴィブラートに絞りました。理由は様々あります。ただすべては「自分の思う音が出したい」という一心です。自分で良いと思える音が出れば満足です。
 自分の基準を自分にだけ当てはめること。他人は他人なのです(笑)
最後までお読みいただき、ありがとうございました!

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

本番前日だけどね

 はい。明日が本番のヴァイオリニスト・ヴィオリストです(笑)
右手の人差し指を弓に当てる位置を変えます。
本番、明日だけど。
ヴァイオリンを久保田良作先生に師事して以来、約50年間変えて来なかったことを本番前に替えます。
 リスクがゼロではないのは承知の上です。それでも!弾きながら気になったことなので、思い切って。
 細かく言うと?今まで右手人差し指の「第2関節」に弓を当てていました。
指には明らかにその部分に出っ張り=弓だこがありますが、それを約5ミリから1センチ指先よりに弓を当てる変更です。
 今までの位置は右手人差し指の中で、固く強い場所です。移動した場所は。そこよりも少し柔らかい場所になります。
大きな変化は「弓と掌の角度」が変わることと「人差し指=弓の毛への圧力のかけ方が弱くなる」こと。さらに右手親指の曲がり方が少し減ることになります。

 弓先では力=弓への圧力をかけにくくなりますが、弓元では圧力のコントロールが容易になります。先日のブログで書いた「弓元での癖」を矯正する中で試行錯誤した結果にたどり着いた変更です。
 たった1センチの差ですが、掌から弓が遠くなった感覚です。そのことで悪影響が出るのかな?と心配しながら試していますが今のところ、良い影響だけを感じています。写真はデュオリサイタル15もみじホール城山での私の写真と、恐れ多くもミシェル・オークレール女史の写真。どちらも映像から切り抜いたためブレブレですが(笑)自分にしか感じない「大きな変化」です。
 吉と出ようが凶と出ようが、これも修行です!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

演奏技術の継承

 映像は1924年、パリ生まれのヴァイオリニストでパリ音楽院で名教授ジュール・ブーシュリに師事し、1943年、ロン=ティボー国際コンクールで優勝し、コンセルバトワールで長年ヴァイオリンを指導した「Michele Auclair~ミシェル・」オークレール」女史の演奏動画。
 学生時代、同門の優秀なヴァイオリン奏者たちが久保田先生の薦めて留学し師事した指導者でもあります。不出来の私にはそんなお話は一度もなく(笑)指をくわえて眺めていたのを覚えています。

 こちらはシャンドール・ベーグ氏の二重奏演奏動画です。ベーグ氏の公開レッスンも印象的でした。
 桐朋でヴァイオリニストの公開レッスンが頻繁に行われていました。
オークレール、ベーグなど偉大な指導者たちのレッスンがあるたびに、久保田門下生からもレッスンんを受けている人が多く、そのレッスンが終わると久保田先生は印象に残った「演奏技術」を他の生徒…私にも伝えてくださいました。


 ヴァイオリンの演奏技術に明確な「流儀」はありません。ただ指導者によって大きく違うのも事実です。それぞれに姿勢・右手(弓の持ち方やボウイング)・左手(親指の位置や指の置き方)などに個性がありました。
 音楽の解釈や細かい奏法を指示する指導者もいれば、生徒の個性を尊重する指導者もおられました。現代のヴァイオリニストたちを見ると。どうも姿勢やボウイングなどに個性が感じられなくなりました。それも時代の流れなのかもしれません。特に右腕・右手の使い方について、指導者の関りを感じられなくなった気がします。ヴァイオリニストが音を出す基本は、弓の使い方に大きなウエイトがあると感じている私にとって、演奏家の個性が薄くなってきた気がしてなりません。
 ヴィブラートの個性も指導者の「歌い方」が無意識のうちに弟子に伝承されるものです。それさえも「速くて鋭いヴィブラートが良い」とも感じられる現代のヴァイオリニストの演奏に、指導者が演奏技法を伝承する意味が薄れていく気がしてなりません。
 演奏家の個性は「基礎」の上に出来上がるものだと思います。ヴァイオリン演奏の基本をどこに置くのか?と言う問題でもあります。ヴァイオリンと言う楽器が300年以上前から変わっていないことを考えると、演奏方法を後継者に継承することも大きな意義があると思うのは老婆心なのかもしれません。
 せめて自分だけでも、師匠から習った多くの事を理解し、実行し、次の世代に継承できればと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

無くて七癖 無意識の修正

 自分の演奏に嫌気がさすお正月を過ごしております。(笑)
右手一生。私の場合、左手は2~3回生まれ変わらないと人並みになりません。
右手の小指。たかが小指。されど小指なのです。
恩師久保田良作先生に、何億回も指摘され続けたのが「右手の形」
特に、親指と小指の使い方。、今自分の演奏を見返すと、元弓で小指が使えていません。その結果がどれだけの悪影響を無意識に与えているか…、恐ろしや久保田先生であります。

 簡単に言ってしまえば、右手の親指・小指・人差し指の三点で弓の傾斜と圧力をコントロールしているわけです。その三点に加えて弓の毛と弦が振れる場所が4点目になります。理科で習った「てこの原理」を思い出しましょう。
支点・力点・作用点
弓の毛と弦が振れている状態、つまり弦に弓の毛を置いている状態の場合には、作用点が弓の毛と弦の接触点。支点が右手親指。そこまでは弓のどの部分でも変わりませんが、弓のバランスの中心点より先を弦に置いた場合には、小指は力の作用をしていません。極論すればなくても演奏は出来ます。
しかし弓の重さの中心より元に弦を当てた場合には、小指の仕事が急激に増えます。弓の傾斜を保つ力・人差し指と共に弦に対して直角方向の力が必要になります。
 特に私の「癖」が最も感じられるのが元弓で弓をアップからダウンに返す瞬間です。この部分では弓の音さのほとんどが、自分から見て左側=弓先方向にあります。最も不安定な場所でもあり同時に、最も弦に圧力をかけやすい場所でもあります。この場所で最大の仕事をするのが「右手の小指」です。」
 弓を元で返す一瞬前に弓先を下方向に下げ=小指側が上がり、弓を返した直後に弓先が上方向に上がる=小指側が下がるという「無意識の運動」
 恐らく学生の頃からこの癖はあったと思われます。ただ昔は映像で確認する方法が学生にはなかったので、本番中の癖までは自分では発見できませんでした。
現代、自分の弓の動きをこうして確認することができる有難さと同時に
「いい加減に直せよ!」とも思うのです。
 1月7日までに修正するべ!やってやる!
再度までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

指使いと弓使いを考える

 

今回のテーマはヴァイオリンやヴィオラを演奏する時に不可欠な「指使いと弓使い」について、持論を書かせていただきます。
 楽譜に印刷されている「指番号」「ダウン・アップ・スラー」の指示に従って演奏するのは「基本」です。以前にも書きましたが、この指示は作曲者が書いたものより、圧倒的に「減収者の指示」である場合が多いのは事実です。
 指示通りに演奏することで、自分なりの指使いと弓付けを考えられるようになるまでの「学習」ができます。言い換えれば「セオリー」おを学ぶことがまず大切です。ただ単に「弾きやすいから」という理由だけで考えるのは最も良くないことです。人によって、多少の得意不得意は許されますが、セオリーを無視して何も考えずに指使いや弓使いを決めるのは「個性」とは言いません。単なる「我流」でしかありません。

 上の動画はラフマニノフ作曲、クライスラー編曲の「祈り」原曲はピアノ協奏曲第2番の第2楽章です。この楽譜を含めて楽譜に書かれている指使いや弓使いは、すべての音に対して書かれてはいません。つまり「自分で考える」事が出来なければ、演奏はできないことになります。
 ヴァイオリン教本の場合には、ほとんどの場合指示がされていますから、見落とさなければ指示通りに演奏できます。そこが大きな違いです。
 指使いには、どんなこだわりが必要でしょうか?

 最も大切にしているのは「演奏する弦の選択」です。次に「音のつなぎ方=グリッサンドやスライドなど」そして当然のことですが「ふさわしい音色と音量を出せること」です。演奏する速さにもよります。それらをすべて考えて、最適な指使いを選びます。これも当たり前ですが「前後関係」を考慮します。
 ヴァイオリン・ヴィオラは4本の指と開放弦しか使えません。チェロやこんっトラバスの場合には親指も使えます。限られた指の数で4本の弦を「使いこなす」ために、考えられるすべての指使いを試してみることが大切だと思っています。初めは「この指使いはないかな?」と思っていても、実はそれが最適な場合も良くあります。選択肢は本当にたくさんあります。どんな指使いが「正しいか」よりも音楽として適しているのはどれか?を考えることです。

 弓使いについては。ダウンアップよりも「弓のどこで演奏するか?」が重要です。それぞれの場所で個性が違います。向き不向きがあります。
それを理解して初めて自分なりの弓使いが決まります。
 私は「レガート」で必ず一弓で弾くとは決めていませ。
弓を返してもレガートで演奏できる技術を身に着けることが大切です。
 どんな弓使いであって、演奏者のこだわりがなければ「行き当たりばったり」になります。自分で考えることが何よりも大切だと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介