右手と左手の分離

今回のテーマは、ヴァイオリンを演奏する時に必要になる、目に見えない壁「体を別々に動かす難しさ」です。
ピアノの場合に、左右の指、合計10本を「独立して」運動させる技術が必要「だと思います」←推測にしたのは、自分ではできないので(笑)
ヴァイオリンやビオラ、チェロ、コントラバスの場合には、右手が弓で音を出し、左手が音の高さを変える役割がほとんどです。「ほとんど」と書いたのは、右手の運動で、弦を変えれば音の高さを変えることが出来たり、左手の指で弦をはじく(ピチカート楽譜上では+の記号が付いています)奏法があるので、すべてでは無いという意味です。
その全く違う役割の右手と左手の運動を、同時に、別の運動としてコントロールすることが「左右の独立=分離」です。

人間は同時にいくつもの運動を行うときに、実は同時には運動の指示を出していません。というよりも、指示を出している(考えている)意識がありません。
自動車の運転をするときに、ハンドル・アクセル・ブレーキの操作や、ウインカーの操作などの「運動」を同時に行いながら、目では道路の状況や標識を「見て」います。つまり、意識としては「視覚」からの情報に、手と足を「意識せずに」動かすことが出来るのです。教習所で、ハンドル操作とアクセル、クラッチの操作がうまくかみ合わなかった経験はありませんか?
ひとつの運動に集中すると、その他の運動を意識することはできません。
右手の動きに意識を集中している時に、左手への意識は「無意識」になります。
その逆もあります。無意識の状態で、意識して動かしたときの運動を再現できるのは「学習=反復」しかありません。回数が少なければ、自分の思った動きとは無関係に「暴走」するのが人間が運動する「宿命」です。
繰り返し、ひとつの運動に集中し、考えなくてもその運動が再現できるまで繰り返すことを積み重ねれば、右手と左手は分離できるのです。

コンピューターの世界で考えると、「マルチタスク」という言葉が使われます。
同時に複数の違った「計算」を行うことを指します。この性能が悪いと、たとえば動画を見ながら、同時に何か違うソフトで仕事をすると、動画が突然止まったりすることになります。機械の場合には「処理速度」と「処理する機械の多さ」さらに「記憶する容量」が性能を決定します。
人間の脳は、現代のスーパーコンピューター以上の能力を持っています。
ただ、使い方がマニュアルになっていません(笑)マニュアルになったとしても、恐らく広辞苑の何百冊分の量になると思います。
私たちは「無意識」に行動できます。機械は命令する信号がなければ、自分で何かをすることはありません。機械の暴走は、故障によって勝手に誤った「信号」が出てしまうことを指します。人間は考えなくても運動できる能力を持っています。この能力を最大限に活かすトレーニングを繰り返すことで、「何かに集中していても、ほかの運動ができる」能力を身に着けられます。
① 運動のひとつひとつを意識する時には、ほかの運動は行わない。
② さらにほかの運動を意識する練習の初めは、その運動にだけ集中する。
③ 次にこの二つの運動を同時に行い、どちらか一方に集中しても、もう一つの運動がきちんと行われているかを「時々意識して」確認する。
この繰り返しで、複数の運動を同時に「無意識に正確に」行えるようになりますが、それでも常に違う運動をこまめに「意識」することが最大のチェックポイントになります。
間違っても、最初から複数の運動を同時に行わないことです。
楽譜に集中しながら、右手の運動に集中することは不可能です。
順番に。焦らずに。ひとつずつ積み重ねる。できたと思っても、何度もこの作業を繰り返す。
さぁ!頑張って、欲張らずに練習しましょう!←これ、自分に言い聞かせています。

CPU性能が悪すぎるヴァイオリニスト 野村謙介

コールタールの中で腕を動かす

はい。タイトルがおぞましい(笑)ですが、ヴァイオリンの演奏で最も難しい「右腕の筋肉の使い方」のお話です。
演奏の難しさを「海の深さ」に例えると面白いですよ。
一般にヴァイオリンを弾いたことのない人は、左手の指が速く動くことを「すごく難しそう」と感じます。その難しさを海の深さに例えるなら「膝まで位の浅瀬」で、楽譜を読む難しさは「足首くらいまでの波打ち際」
一方で右腕の使い方は「日本海溝並みに深い」とレッスンで話しています。

さて、弓を動かすときに、あなたはどこの筋肉に、どのくらいの力を使っていますか?
私の師匠が大昔レッスンで「コールタールの中で右手を動かすような重たさ」という表現をなさいました。当時、「なんか…臭そう」と(笑)正直に思いました。道路工事で見る、真っ黒く熱く、すごくネバネバしたあの液体の中に、右手を入れたら…いやです。
要するに、腕を動かすのに「抵抗のある状態」をイメージするという意味です。
例えば、プールの水の中で歩いたり、腕を動かすのはすごく疲れますよね?
水の抵抗で足も腕も、思うように速くは動かせないものです。
もしも、もっと粘りの強い液体の中だったり、泥の中や、砂の中だと、さらに体は動かせなくなります。
実際にはそんな経験をしたことのある人は、ほとんどいません。
現実には弓の重さは?約60グラム。卵一個分ほどの重さです。
弦と弓の毛の摩擦の大きさも、きわめて小さいものです。
のこぎりで木を切る時には、刃のギザギザが木に引っ掛かり、動かすのに力が要ります。
やすりで木を削る時にも、粗い目のやすりだと、動かすのに力がいります。
普通の紙で木をこすっても、抵抗はほとんどありません。
つまり、弓を動かすときの「抵抗値」は実際にはとても小さなものです。
それを「重たいもの、抵抗の大きいものを、動かす筋肉の使い方」で弓を動かすことが必要になります。想像力が不可欠です。
右腕の動きは、空中を「3次元的に」移動します。またわかりにくい…(笑)
真上から右腕の動きを見ると、体の正面に対して、斜め前と顔の前を、手の甲が動く映像になります。
正面から右腕の動きを見ると、G線の時は、ほぼ水平に動き、Eの時に最も大きな傾斜で右手が上下に動きます。
身体の右横から右腕の動きを見ると、弓元では顔の前辺りに右手があり、右肘が右肩とほぼ同じ高さに上がるのが基本です。これはどの弦でも共通しています。
そして、弓先に移動する時、右手は少しずつ体の前方に動きます。Gであれば右手は、弓元とほぼ同じ高さのまま、前方に出ていきます。Eの場合は、弓先で右手は右腰の前辺りまで下がり、かつ前方に押し出されています。当然、右肘も大きく詐下がりますが、体の右側面、つまり胴体よりも必ず「前」に動かすことが必要です。体の真横、最悪なのは体より後ろに右ひじが下がりながら、右腕を伸ばすと、右手の位置は「右腰よりずっと右前」に移動してしまいます。つまり、弓と弦の角度が「直角」でなくなります。
右肘は、体の前方に押し出しながらダウン。アップは逆に体の側面に来るように「引き戻す」運動をすることが重要です。

これらの運動を、重たい液体の中でしようとすると?
背中の筋肉、右胸の筋肉も使わなければ動きません。
さらに、上腕(肩から肘までの力こぶのでる太い筋肉)の筋肉も、ゆっくり力を入れ続けなければ重たいものは動かせません。右肘(ひじ)の曲げ伸ばしは、上腕の内側と外側の筋肉を使って動かしています。同じ速さで、重たいものを「動かし続ける」イメージが必要です。
肘から先の前腕を動かすときも同様に、手首の角度によって、筋肉がストレッチされます。ただ、上腕に比べると「力」は少なくて大丈夫です。
右手首と右の指は?力を入れては「ダメ」なのです。
出来るかぎり優しく、自由に動かせて、敏感にしておくことが不可欠です。
例えば、壁に向かって立って、壁を「向こう側」に強くゆっくり押そうとしたら、あなたは「指」に力をいれますか?いれませんよね?入れても無駄なことを知っているからです。
ヴァイオリンの場合、強く弓を持ってしまうと、すべてが「水の泡」です。
どんなに右腕が上手に動かせても、指に力を入れてしまうと腕全体が「硬直」するからです。
腕を振って、手首と指を「ぷらぷら」「ぶらぶら」できますよね?
では、右手で強く「ぐー」をして腕を振ったら?手首は?揺れません。
弓を「握りしめる」生徒さんがいます。これは、「うまく弾こう」とすればするほど、強くなるようです。手の力、手首の力を抜くことが大切なのです。

腕の速度が速いほど「慣性」も大きくなります。
つまり、弓をゆっくり動かすよりも、速く動かすときに必要なのは「弓を返すときの慣性を意識する」ことです。
指に力をいれずに、腕の動きを「瞬間的に逆方向に動かす」のが「弓を返す」ことです。
いったん止める時にも、「突然止める」ことが大切です。減速しながら止まる動きは「意図的に」しなければいけません。デフォルトは「突然止められること」です。電車やバスが急ブレーキで止まると、ものすごい「G」がかかって、ひどいときは人間は飛ばされます。つまり、突然止まる・止めるためには、動いている時より、大きな「エネルギー」が必要になるのです。腕を突然「ぴたっ」と止める技術は、声楽家や管楽器奏者が「音を止める」技術とそっくりです。とても難しい技術だと聞いていますし、私自身うまくてきたことがありません(笑)
動き出す時も、突然。止まる時も突然。長方形の洋館を、途中で「スパッ」と切った切り口のように聞こえれば合格です。
この「急発進・急停止」から「急発進→突然逆方向に急発進→突然逆方向に急発進」と続ける練習が、日々の最初の練習だと私は思っています。
この時の「筋肉の動き」を意識すること。常に一定の力を維持し続け、運動を平均化すること。これが「同じ速度・同じ圧力で弓を動かし音を出す」ことなのです。

長くなりましたが、最後までお読みいただきありがとうございます。
「想像力」をフルに使いながら練習することを心がけて、さらに技術の向上をはかりましょう!

ヴァイオリニスト 野村謙介

音楽の形容詞

国語のお時間です(笑)
音楽の演奏を表現する時、「じょうず=うまい」とか「すごい」とか「素晴らしい」などの言葉を使いますよね。形容詞とは「物事の状態や性質が「どのようであるか」を表現する言葉です。現代日本語における形容詞は、例え「かわいい」美しい」のように終止形が「-い」で終わる語形であり、もっぱら述語」または「連体修飾語」として用いられます。」だそうです。
今回は特に「音色」と「演奏の印象」を表す言葉について考えてみます。

一般的に色とは、視覚的なことを現します。音の色とは?
実際には目に見える「色」のことで無いことは確かです。
音を色に例えて表現する、それが仮に「音色」の意味だとします。
明るい・暗い・淡い・グラデーション・暖かい・深い・濃い・薄い
などの他にも「色」を表す言葉があります。
音を表現する際に、これらの言葉を使うのは、とても面白いことだと思います。
色の表現以外にも、人間には五感と言われる感覚があります。
視覚・聴覚・嗅(きゅう)覚・味覚・触覚の五つの感覚です。
聴覚が音と深い関係なのは当然です。
嗅覚。香りや匂いを表すときに「〇〇のような香り」例えば「バラの花のような香り」とか「にんにくの香り(むしろ匂い?)」、嫌な臭いは「くさい」と表しますね。演奏を聴いて、香りを連想することは、あまり…ほとんど無いかもしれません。でも、人間の記憶の中には「香りの記憶」が強く残ることがあります。
母親の使っていた香水の香り。父親の香りは…マンダムだったり(笑)
好きな香りを想像させる「音」もあってよさそうです。
四つ目の「味覚」は、どうでしょうか?
甘い・からい・酸っぱい・にがい・しょっぱい
甘い匂いという表現がありますから、もとより味覚と嗅覚は近い感覚とも言えます。味の表現は、音色の表現と似ている面があります。
ちょうどいい甘さ
思い浮かぶと思います。ヴァイオリンの音を聴いて「心地よい」と感じる時、自分にとって「ちょうどいい塩梅(あんばい)」だという意味でもあります。
人によって、好みの甘さ加減、塩加減が違います。音色でもそうです。
ちょっと辛すぎる「音」や、甘すぎる「音」もあるように思います。
最後の「触覚」は、音の表現に持って来いです。
柔らかい・固い・暖かい・熱い・冷たい・滑らか・ざらざらした・吸いつくような・湿った・乾いた
他にも色々思いつきますが、これらの「触覚」を表す言葉の後に「音」とか「演奏」「音楽」を付けても違和感がありません。
暖かい羽根布団のような音
吸いつくように滑らかな音
固く冷たい音
いかがでしょうか?

私は自分の音や演奏を考える時に、出来るだけ想像しやすいイメージを思い浮かべます。
もっと「優しい手触りの音にしたい」とか「アツアツでガツンとした味付けにしたい」とか、「聴いていて涙が出るような演奏をしたい」など。
理想でしかありませんが、単に「大きく」とか「きれいに」「速く」ではないイメージのほうが好きです。結果として「心地よい演奏」だったり「惹きつけられる音」だったりすることを目指しながら。
生徒さんにも、わかりやすいイメージを伝えたいと心掛けています。
人間は必ずしも五感が揃っているとは限りません。
その人なりの「イメージ」があるはずです。そして、多くは自分の記憶の中にある「感覚」に頼っています。悲しかった思い出や、懐かしいと思う香りや手触り。自分の五感で感じたものを「音」「音楽」にして、人に伝えることは、とても楽しいことです。できないけれど「おいしい料理」をお客さんに食べてもらったり、良い香りの香水を作ったり、手触りの良い食器や布を作ることに似ています。
音楽が「人間の記憶を呼び起こす」芸術だと思っています。

視覚の代わりに嗅覚が強いヴァイオリニスト 野村謙介

同じヴァイオリンでコンクールを実施したら?

今回のテーマ。少し前にショパンコンクールの素晴らしい配信に寝不足になった人も多いはず(笑)。見ていて、ふと思ったことです。
ピアノのコンクールは、会場にあるピアノで「だけ」演奏し、技術を評価されます。ショパンコンクールや大きなピアノコンクールで、数台のピアノから選べることは、むしろごく稀なケースです。演奏の順番も抽選、楽器も前の人が弾いた楽器で演奏するのが、普通のピアノコンクールですよね。
楽器の違いによる「差」は審査の基準に入りません。もちろん、審査員の好みはあるでしょうが、演奏者がみんな同じ条件なら、審査には影響しません。
ある意味で「公平公正な基準」です。これは、コンクールに限った話ではありません。音楽学校の入学試験も同じです。入学してからの実技試験でも一つのピアノでみんなが演奏します。

ヴァイオリンヴィオラ、やチェロのコンクール、試験はどうでしょうか。
各自がそれぞれの楽器で演奏します。それが「当たり前」だと思われてきました。私自身も、入学試験の時、音楽高校・大学での実技試験で常に「自分の楽器」で試験に臨みました。
ピアノの試験とは大違いです。
全員が違う楽器で演奏しています。審査する人は、誰がどんな楽器を使って演奏しているかを知らされていません。仮に、自分の教え子が試験やコンクールに参加していれば、当然の事として教え子の使う楽器は知っていますが、審査には参加できなかったり、仮に不公正に高得点を付けたとしても、除外されたり、最高点・最低点を付けた一人分の審査点数を除外することが一般的です。
つまり、「楽器による違い」も審査の中に紛れ込んでいることになります。
それが「審査員の好み」という言葉で済ませてしまうのは、ピアノとは大きな違いです。むしろ、楽器の選択を参加者の「技量」にするのは間違っていると思います。弦楽器の場合、恐ろしいほどに楽器の価格に差があります。楽器と弓、あわせて数万円のものから、あわせて数億円になるものまであります。
私は以前にも書いた通り、高い楽器が良い楽器だとは思いません。むしろ否定的です。試験やコンクールであっても、それは変わらないと思います。
ただ、参加する側はそれぞれに環境が違います。
ある人は家庭が大金持ち(ストレートでごめんなさい)で、自分の好きな楽器、好きな弓を自由に選べる環境。
ある人は家庭が貧しく(ごめんなさい)数万円の楽器を買うのでさえ、日々の生活を切り詰め、必死で働いてようやく楽器が買える環境。
この二人が、同じコンクールで、同じ曲を演奏します。
価値観は人によって違いますから、それぞれの「基準」で考えるのが当たり前です。そのことには異論はありません。数万円の楽器であっても、誇りをもって演奏する人もいるはずです。どんなに高い楽器を与えられても、満足しない人もいます。それもその人の「価値観」です。これを読んで「なんでもかんでも平等主義者か!」と思われるのは不本意です。そんな意味ではありません。仲良くみんなで横一列に手をつないでゴールする「かけっこ」なんて、見たくもない人間です。人それぞれの、得手不得手や能力の差があるのが人間ですから。

コンクールや試験を、ピアノと同じように「決められた楽器」で演奏することは、弦楽器でも可能です。「急には慣れない」とか「人の弾いた楽器は弾きにくい」とか。それをピアニストはいつも!乗り越えていますが?
「普段、練習している楽器で演奏するのが弦楽器だ!」それも嘘ですよね?現に、試験やコンクールの時だけ、お高い楽器を借りて演奏する人もいますし、多くの弦楽器奏者が楽器を何度も買い替えていませんか?満足していないからですよね?ピアニストがみんな、スタインウェイやベーゼンドルファーで練習していますか?ショパンコンクールの直前に、「紙鍵盤」で練習している参加者を見ませんでしたか?
「弦楽器のコンクールや試験は、そういうものだ!」と言うご意見は単なる「慣習主義」です。本当に演奏者の技術、音楽性を比較するのが目的なら、同じ楽器で演奏するのが最善だと思いますが。
きっと、今までの弦楽器コンクールとは全く違う「比較」ができるでしょうね。
入学試験こそ!楽器の差を審査基準に入れないことが、これからの時代に必要なことだと思いますが、ダメ?ですか(笑)
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト 野村謙介

クラシックのビデオカメラ

今回のテーマ。ビデオカメラです。
現在(2021年11月末)、ビデオカメラ購入で大いに迷っております。
凝り性&機械マニアとして、ドツボに落ちています。
思い起こせば、その昔に初めての「S-VHSデッキ」が発売されたとき、予約して世界初のデッキを買いました。当時、β(ベータ)=ソニーとVHS各社の戦いは凄まじかった!
その後、8mmビデオが発売され、VGHS-Cが消え、ハイエイトが主流となり、やがて「DV=デジタルビデオテープ」が主流となりました。
それら、すべての世代の「ハンディカメラ」を使ってきました。
現在は?世の中は「4K」「8K」と騒いでいますが、現実には「2K=フルハイビジョン」がいまだに主流です。そして、記録方法も、昔はテープでしたが現在は「SDカード」の時代。

今、ビデオカメラを使う人は、非常に限られています。
なぜ?
原因の一つは、スマートフォン(i-Phoneなど)で撮影する方法が、綺麗で簡単。
さらに、デジタル一眼レフカメラで動画を撮影出来て、画質も綺麗!
じゃ、ビデオカメラなんていらない?
いーえ!(笑)スマホや一眼が向かない「撮影ジャンル」が「音楽の撮影」なんです。トホホ(涙)
スマホで長時間、例えば2時間のコンサートを録画?できなくはないですが、
電源をつなぎながら、しかも「音声」はスマホのマイク。いい方法とは言えません。
一眼レフカメラは?一部のカメラを除き、30分以上、続けて撮影できません。これは「輸出規制」のため、一眼レフカメラは動画を29分までしか連続撮影できない仕様になっていたためです。さらに、音声は?マイク端子のついている一眼レフもありますが、音声にはこだわりがありません。電源は?バッテリーをいくつも用意しないと連続撮影できません。1曲ごとに一度停止。バッテリーを気にしながら撮影?これまた、音楽撮影には不向きです。
結果!ビデオカメラが音楽撮影には最適なアイテムとなります。

現在、家電メーカーも光学メーカーも「一般家庭用ビデオカメラ」の販売に極めて後ろ向きです。理由は先述の通りです。さらに、新規に発売されるビデオカメラは、ほぼすべて「4K対応」です。何が違うの?
撮影できる「細かさ」が今までのフルハイビジョンの約4倍の細かさです。
当然、記録の「大きさ」も倍以上になります。しかも、使うセンサーが高額なため、フルハイビジョンカメラに比べ、高額になります。
しかも、数少ない「家庭用ビデオカメラ」の中には、撮影時に外部の音声を取り込むための「入口=端子」がないものが多い!私は、撮影時にマイクを4本使用しています。それらのマイクをいったん「音声専用の記録機械=昔で言うテープレコーダー)につなぎ、その機械から撮影する「カメラ」に音声を送ります。
そうすることで、あとから編集する際に、記録された「CD並みの音声」と「カメラに記録された音声」を「同期=ぴったり合わせる=映像と音を合わせる」ことができます。

現在、使っているビデオカメラはソニーのハンディカムと、キャノンの中古家庭用ビデオカメラの2台。どちらもフルハイビジョンで撮影出来ます。が!
実はソニーのカメラには恐ろしい落とし穴があります。
撮影した映像と音声を、カメラで見たり、テレビにつないだり、そのままの映像と音声をディスクにするときには、まったく問題ないのですが…
編集するために、パソコンに取り込み、ソフトで編集しようとすると、
映像と音声が、まっっっっっっったく!合いません!なぜならば!
ハンディカム「だけ」は、映像の「ビットレート=一秒間に撮影するコマ数」を常に自動的に変えて記録しています!これは、どうにもハンディカムで変更することはできないのです。編集するための方法はただ一つ!違う特殊なソフトを使って、「常に一定のビットレートのデータに変換する」しかないのです。
私が今、使用しているパソコンは現代のパソコンの中で、一番早い部類の性能ですが、それでも、この変換作業に恐ろしい時間がかかります。ただひたすら「待つ!」作業の無駄!なのです。

業務用ビデオカメラは、今でも新しいものが販売されています。
業者さんが使う「放送局仕様」のカメラ、一台約500万円。ごひゃくまんえん。
安いものでも数十万円。家庭用ビデオカメラと「桁が違う」とはこのことです。
しかも、プロのカメラマンは、「オート」は使いません。ピント、ズーム、絞りを片手を常にレンズに当てて捜査しています。当然、素人には撮影することさえ無理です。しかも、私たちの場合、演奏を撮影するのは自分ではなく、お手伝いのスタッフ。つまり「ちょう!どしろうと」であり、可能な限り「押すだけで綺麗に撮影できるカメラ」が望ましいのです。なので、業務用カメラは「除外」

家庭用=民生用と言いますが、この中で「ハイエンド機」と呼ばれるカメラがあります。各メーカー、それぞれの時代にあります。ただ、現在民生用ビデオカメラは、パナソニックとキャノン、JVCしか販売していません。キャノンはすでに「やめる気満々」です。そうなると、フルハイビジョン「だけ」をターゲットにしたビデオカメラは「中古」しかなくなります。
実際に、買ってみました。アマゾンで。2世代前のキャノンの民生用ハイエンド機。届きました。充電しようとしたら、2つ入っていいたバッテリーの一つはまったく充電できず。もう一つは、容量の半分まで。まぁ、バッテリーは消耗品ですから、これは普通に良くあることです。新品のバッテリーをアマゾンで購入。さぁ!ビデオカメラに取付!……できない。なんで?どう調べても、同じ型番のバッテリーなのに、カメラに装着できない。は?
というわけで、カメラもバッテリーも「返品=返金」しました。
中古の当たりはずれは、どんな電気製品にもあることです。

今現在、パナソニックの民生用ビデオカメラ、約7万円。もしくは、キャノンの一世代前のハイエンド機、約6万円。どっちがいい?で迷っています。
パナソニックのは4K対応。このカメラを使ってフルハイビジョンに「ダウンコンバージョン=圧縮」したほうが、普通にフルハイビジョンで撮影するより綺麗だという「情報」もあります。新品なので、はずれはない。高い。それでも、このパナソニックの4Kビデオカメラは他社のそれより、だいぶ安いのです。天下の松下電器にしては珍しい(笑)
キャノンの中古、またはずれを引くのも怖いし、嫌だし。でも安い。中古なので高いもの=程度の良いものもありますが、きりがない。
あなたな~ら ど~する~?(笑)
困った困った。

迷えるおじさん 野村謙介

自分の音量

今回のテーマは、音楽に限った話でもありませんが、自分の聞こえている音の大きさについて。
音の大きさを測る機械で「音圧」を測ると「デシベル」という単位で大きさを表すことができます。
地下鉄の車内の音。飛行機が上空を飛ぶ音。ハードロックのライブ会場の音。
誰が聞いても「大きい音」がある一方で、静かな場所にいると小さな音も、結構気になる大きさに感じます。人間は、静かな場所にいると聴覚の感度が上がります。大きな音を聞き続けると、少しでも小さく感じようと「アッテネーター」(減衰機)に似た働きを脳が行い、結果的に「一時的な難聴」になります。
弦楽器を連続して演奏した直後に、小さい音で「キーン」という耳鳴りが聞こえることがあります。しばらくすると消えます。これが「脳のアッテネーター」です。

その物理的な音圧とは別に、感覚的な音量があります。
先ほど書いたように、静かな場所で聞こえる音は大きく聞こえます。
夜、隣人のテレビの音や楽器を弾く音が「大きく聞こえる」のは、周りが静かで聞こえてくる音が「大きく感じる」からなのです。加えて「もう静かにするべき時間だ!」という怒りの感情も加わって、さらに大きく感じたりします。
音圧の問題とは別の「音の大きさ」です。

さて、音楽の世界に話を戻すと、自分の弾いている音の大きさが、他人の聞いている音の大きさと違う話は、以前のブログでも書きました。
耳元に音源があるヴァイオリン、ヴィオラという楽器は、特に自分の出している音量を客観的に判断しにくい楽器です。
たとえば、ピアノと一緒に演奏していて「自分ではちょうどいい大きさ」と思っても、離れた場所で聴いている人、ピアニストや、客席のお客様には、ヴァイオリンが小さすぎることが良くあります。
ヴァイオリンに限らず、演奏者が自分の音を、違う場所では聞けませんから誰かのアドヴァイスが必要不可欠になります。これも以前書きましたね。

とは言え、自分の音を大きくしたいと思っても、これ以上出せない!と思うことがあります。
ヴァイオリンの音を「大きくする」方法は?弦を弓の毛で強く擦り、速く動かします。音量として考えれば、これ以外の方法は「ビブラート」による残響の増加しかありません。ほんの少しですが、ビブラートによって、音圧が上がります。
音量とは別に「音色」を変えることで、よりはっきりとした、明るい音にすることで「目立たせる」方法もあります。駒に近い場所を弾くこと。弦を押さえる左手指先の、いちばん固い部分(肉の薄い部分)で指板に対し直角に強く押さえること。
この二つは、ピチカートをしてみるとより、はっきりします。
駒の近くをはじくと、固い音がします。指板の近くをはじくと柔らかい音がします。
指先の固い部分で、しっかり弦を押さえると開放弦に近い、長い余韻が残ります。柔らかく押さえてはじくと余韻がすぐに消えます。
音色を明るくすることはできますが、音量を上げることとは別です。

柔らかい音色で、今よりも大きな音を出したい!
・弦を張り替える方法
一般にナイロン弦を当たり前のように使う人が多いのですが、私はガット弦を使っています。音量が足りない!というのであれば、スチール弦を張れば?(笑)ナイロン弦よりはるかに派手な音が爆音で鳴ります。ナイロン弦であれ、ガット弦であれ良い音の出る「寿命=賞味期限」があります。私の経験では、ガット弦の寿命はナイロン弦のどれよりも「長い」ことは明らかです。ちなみに、最もスタンダードなナイロン弦である「ドミナント」の寿命は、約2週間だと思います。使い方によって差はあります。普通に毎日弾き続け、手入れもしたとしても、およそ2週間で突然、余韻の音量が瞬間的に小さくなります。
この現象はガット弦にはほとんど現れません。むしろ、ガット弦の場合の寿命は、明るさが消えこもった音になります。余韻も短くなります。
・弓の毛を張り替えてもらう
弓の毛の表面の「キューティクル=凸凹」に松脂の粉の粘度(べたべた)が付いて大きな凸凹になり、弦と摩擦を起こして音が出ます。
弓の毛のキューティクルは次第に削れて「滑らか」になります。松脂を塗ったときには音が出るが、すぐに「滑る感じがする」のは弓の毛の寿命です。さらに、弓の毛は「有機物」ですから、時間とともに劣化します。特に毛の伸縮性が減って=伸びがなくなって、固くなります。これも弓の毛の寿命です。
・楽器が鳴りやすいピッチを探す
これは、「共振現象」を上手に使う方法です。
俗にいう「音程の悪い」ヴァイオリン演奏は、共振する弦の響きがほとんどありません。
ヴァイオリンの一つの弦を弾いている時に、その弦ではない弦が共振しています。特にはっきり差がわかるのが、ヴァイオリンで言うと、G線の「ラ」「レ」D線の「ソ」「ラ」、A線の「レ」を強く長く演奏しているときに、ほかの弦の開放弦の音が「勝手に」共振しています。音量としてはわずかですが、これも音量の一部です。正確なピッチ、特にほかの開放弦が「共振する」ピッチで演奏することを心がけるのは良いことです。(ピアノの音と喧嘩することもあります)
・松脂を変える
弓の毛が新鮮であれば、松脂によっても音量は変わります。粘度の高い=粘りの強い松脂と、少ない松脂があります。松脂は本来は「液体」です。松の幹に傷をつけると流れ出る「樹液」が松脂です。それを「個体」にして、さらに、それを弓の毛の凸凹で「細かく削り」粉末状にします。粉末になった個体の松脂は、湿度と温度で「粘度の高い液体」に変化します。つまり「べたべた」な状態になります。夏の暑い季節と冬の寒い季節で、松脂を変える演奏家もおられます。私は軟弱な人間なので、年中ほぼ同じ室温の中でヴァイオリンを弾きますから変えません(笑)室温が0度になったり、45度になる部屋で練習する方は松脂以前にエアコンをお求めください。
・立ち位置と楽器の方向を考える
最終手段。というより最善の方法です。
先述の通り、ピアノやほかの楽器と一緒に演奏したり、お客様のいる「ホール」で演奏することを前提にしています。
演奏者の立つ位置によって、空間に広がる空気の振動=音の広がり方は全く違います。当たり前のことです。ホールは大体が「四角い空間」です。ドーム状になっているホールはごく稀です。教会のドーム、トンネルの中(誰が弾くか!)では丸い天井からの音の反射が「一定に近い」状態になります。だからきれいな残響が残ります。一方、四角いホールでは?当たり前ですが、音の反射が、聞く場所によって全く違います。音源(演奏者)が動けば、響きも変わります。どこに立って演奏すれば、多くのお客様に心地よく聞いてもらえるか?事前に研究してから、立ち位置を決めるべきです。ただ、自分では聞けませんから、誰かの助けが必要です。
ヴァイオリンの構え方(楽器の方向)で音の「方向性=指向性」が変わります。
どんなバイオリンでも必ず「指向性」があります。多くの音は「表板」の垂直方向上に広がります。一方で、「裏板」の音は、逆方向=左腕と床に向いて進みます。その音の指向性によって、ホール全体への音の伝わり方が変わります。
例えで言うと、ピアノと一緒に演奏する場合です。
ピアニストの座る「斜め後方」に立って、ヴァイオリンが「客席方向」に向く構え方をしたとします。
この場合、ヴァイオリンの音は、明らかにピアノの音とは分離して空間に伝わります。ピアノの蓋を全開にした場合、ピアノの音は屋根=蓋全面に反射して広く前方に広がります。一方で、蓋を半開=短い柱にした場合、ピアノの音は、狭い空間で屋根=蓋にぶつかり、瞬間的に前方(狭い範囲)に進みます。こちらのほうが、客席に「速く」音が伝わることになります。
私は、ピアノの蓋を全開にして「柱」の部分に立って、楽器が客席を向く構えで演奏します。
ピアノの「へこんだ部分」になると、ピアノの弦の響きが、すべて自分の斜め後ろから「かぶさって」来ます。この位置だと自分の音がより小さく聞こえ、不安になったり、ポジション移動の「小さい音」が聞こえなくなります。
客席で聴くと、ピアノの音とヴァイオリンの音が、ほぼ同時に、同じ方向から聞こえてくる。のがこの位置だと思っています。

音の大きさ。色々書きました。最後までお読みいただきありがとうございました。自分の音を確かめてくれる信頼できる人を探しましょう!
ヴァイオリニスト 野村謙介



大人になってヴァイオリン

ヴァイオリンは小さいときから始めないと弾けるようにならない。
この悪魔の囁きのような嘘、未だに信じている人がいるかも(笑)と思い、改めて真実を書いていきます。

小さい子供、たとえば3歳児が楽器の演奏を習い始めたとして考えます。
まず第一に、言葉による意思の疎通が難しいですね。特に、両親家族以外の人と3歳児のコミュニケーションは、全く違います。
親が我が子に楽器を教えることは、可能かもしれません。むしろ、他人から何かを習っていることを自覚できる年齢ではありません。
言葉を覚える時期ですから、見えるものの「名前」と同じ感覚で、聞こえてくる音の「名前」も覚えられます。これを反復することで、絶対音感が身に付きます。音の高さを感じる脳の働きは、成人しても変わりませんが、特定の高さの音に「ド」とから「ファ」という名前があることを記憶できるのは、言葉を覚える時期だと言われています。
この絶対音感がなければ楽器は演奏できない?
うそ!まっかなうそです。

絶対音感がある人とない人の違いは?
いわゆる「相対音感」は成人してからでも、いつからでも身に着けられます。
聞こえる音と「同じ(実際にはオクターブ違っても)高さの音」と、その音より「高い音」か「低い音」かを聞き分けることが、相対音感です。
二つの音を聞き比べて、どちらが高いか?低いか?を聞き分ける練習を繰り返せば、誰にでもこの能力は身に付きます。
自分の「声」で、聞こえている音と同じ高さの音を出せるかどうか?
これは、先ほどの「聞き分け」に加えて、自分の声の高さを自分の意識で、高くしたり低くしたりする「無意識の技術」が必要です。
自分がどうやって高い声をだしたり、低くしたりしているかを考えたことがありますか?おそらく、意識したことのない人のほうが圧倒的に多いはずです。
それでも「なんとなく」聞こえた音、あるいは「出したい高さの音」を声出せるようになっていきます。こうして、人間は「音痴」から始まって、無意識に自分の声の高さをコントロールできるように「学習」しています。

では、音痴でない人は絶対音感があるか?と言えば、違います。
絶対音感があっても、声をコントロールできなければ「音痴」です。
相対音感を使って歌を歌えるのですから、楽器の演奏ができないはずがありません。
絶対音感があれば、自分の出している音の高さが「ドレミ」に聞こえる。
相対音感の人は、「ド」とか「ミ」とかの音の高さと名前を教えてもらって、そこから次の音、たとえば「ドの次のレ」を歌っていけます。この幅と種類をたくさん増やすことが練習でできます。これで自分の出している音を「判断」できます。

ヴァイオリン演奏に絶対音感が不要であることはご理解いただけたと思います。
では、大人になると子供のころと何が?大きく変わるでしょうか?
人によって大きな違いがりますが、自分で自由に使える時間が減る人も多いですよね。とは言え、小学生ともなると大人より忙しい子供も多いのが実情です。
つまり、単純な「自由な時間」だけで考えると、子供と大人の間には、昔ほど差がないことが言えます。
子供は体と頭が柔らかい。大人は体も固くなって、物覚えも悪い。
これまた、人によって大きな違いがあります。子供でも柔軟性の少ない子、筋力の弱い子、物覚えが苦手な子がたくさんいますよね?

違うとすれば、次の点です。
・子供は考えるより、運動と「勘」で覚えます。
・大人は運動する前に、考えます。
人による差はありますが、多くの大人は自分の経験や知識をもとにして「考え」ながら行動します。
・どうすればできるか?を考えるのが大人です。
・できるまで繰り返す!が子供です。途中で飽きることも多いですが(笑)
できないと、考え込むのが大人です。えてして考えすぎて、ドツボにハマります。
次に違うのは…
・子供は少し前の事でも忘れる。
・大人は子供より長い期間、覚えている。
これは、楽器の演奏において、子供のほうが「積み重ねにくい」ことが言えます。一方で大人は、失敗した記憶も引きずりながら楽器を演奏することになりますが、積み重ねることは得意です。
この違いは、いつもと違う環境で楽器を弾いた時に大きな違いになります。
・子供は緊張しても「失敗した(する)こと」を意識しない。
・大人は緊張すると「うまく弾こう」「失敗しないようにしよう」と無意識に考える。
この違いが実はものすごく大きく表れるのが、レッスンだったり発表会だったりします。
大人は普段練習している時に「気持ちよく」弾けていても、レッスンや人前に出ると「うまくいかない」と感じます。こどもは?いつも同じです(笑)
しかも、大人の場合は「いつも」というのが基本的に「一人で演奏」しているので、自分の出している音を客観的に聞くことが出来ていないケースが多いように思います。子供の場合、多くは家族が「クチを挟み」ます。本人が気持ちよく適当に弾いていると、家族が「音が違うんじゃない?」とか「もっときれいに弾いて」とアドヴァイスします。
大人は?自分の演奏を冷静に聞くことが難しいのです。
ある人は「あぁ!へたくそ!」と落ち込み、またある人は「おぉ!わたしってじょうず!」と舞い上がります。あなたはどちら?(笑)
どちらにしても、自分の演奏を客観的に聞くトレーニングが必要です。

大人になって楽器を始める。
最高の趣味だと思います。
うまくならないストレスは「必ず」付いてくるものです。
うまくなっている実感が感じられず、やめてしまえばその時点で終わりです。
実はうまくなっているのか?を判断するのも技術です。
その技術はレッスンで先生に習うこと、あるいは誰かに聞いてもらうことによってしか体得できません。
うまく弾けるようになるために。自分の思ったように弾けるようになるために、自分の時間を好きなように使うのが趣味の音楽、趣味の楽器演奏です。
うまくなる「途中」を楽しむ気持ちで、少しずつでも積み重ねてください。
子供にはできない練習で、子供とは違う「喜び」を味わえるのが大人の特権だと私は思っています。

メリーミュージック 野村謙介


速さ・時間・距離

今回は算数のお話?
いえいえ。これは弦楽器奏者にとっては必須科目です。
ちなみに、音楽の速さや演奏時間の話とは、ちょっと違います。
違うのですが!
アマチュアのヴァイオリニストにありがちな落とし穴があります。
「音楽のテンポが速かったり、細かい音符になると、弓の速度まで速くなる」
という勘違。思い当たりませんか?
音楽のテンポをメトロノーム記号で表すことがありますよね?
四分音符=120=一分間に四分音符を120回均等な間隔で叩く速さ
一つの音符の演奏時間が「短く」なると音楽全体が「速く」なります。
ただし、ゆっくりした音楽の中でも、部分的に細かい音符が使われることも多いので、必ずしもすべての音符が短い、長い、で音楽全体の速さは表されません
つまり、一つ一つの音符の演奏時間の長さは、音楽の速さとは別の問題なのです。

さて、弦楽器を演奏する時に使う「弓」をダウン・アップと動かす運動があります。この運動の速さと、弓の量(長さ)と、音の長さについてが今回のテーマです。
小学校で習った「速度×時間=距離」という公式(ってほどのものでもない?)
時速5キロメートルの速度で1時間歩けば、5キロメートル移動する。←あってますよね?(笑)
これを、楽器の世界に置き換えると…
・弓を動かす運動の速さ
・音が出る時間
・弓の長さ(使う長さ)
になります。ここまで、大丈夫ですか?
実際にわかりやすいのは、「音を出す時間」「弓の長さ」の二つです。
弓を動かす速さを測ることを忘れがちです。速度計があるわけでもなく、動きの速さを表す単位が「秒速〇〇センチメートル」と考えて演奏する人もいないでしょうね。ましてや時速〇〇キロメートルなんてありえない。
でも、実際に演奏している時には弓を動かす速さ(ダウンとアップ)は考えることはとても重要なことです。

具体的にひとつの例をあげます。
メトロノームを「60」で鳴らします。1秒ごとに1回の音がします。
弓の毛の「すべて=全弓(ぜんきゅう)」をつかって、切れ目なく(音と音の間に無音の時間をいれないで)音を出したとします。
以前にも書きましたが、この全弓は人によって違って構いません。
鵜Dの長さによって、弓の一番先の部分まで届かなければ、腕を伸ばしきった場所と、弓の元の金属部分ギリギリまでの間を「全弓」と考えてください。
この長さの弓の毛を使って、1秒間音を出し続ける時、金一の速度で弓を動かすことが出来ているでしょうか?
動き始めが「遅すぎ」ると、全弓使えずに途中で反対方向に動かすか?
または「まずい!余る!」と思ってから速度を速くして無理やりつじつまをあわせていませんか?
「均一の速度で、1秒間に、全弓を使う」
これ、簡単そうでとっても難しい技術です。
2秒間だと簡単?はい。1秒間で弓の真ん中を通過する速度ですね。
簡単に感じるのは「ごまかせる」からなのです。
1秒間で全弓を使おうとするとかなり速い速度で腕を動かすことになります。
最少は2秒間()メトロノーム2回分)で反対方向に弓を「返す」練習から始めるのも良いでしょうね。
この弓の「速度」を感覚的につかむことが、とても重要です。
1秒に1回の速さで、弓を返す時の「弓の量=弓の長さ」が、弓の速度です。


・弓の速度を変えずに、弓の量を変えれば、音の長さが変わります。
・弓の速度を変えずに、音の長さを変えれば、弓の量が変わります。
↑これっは同じことを言い換えただけです。ですが、弓の速度を考えるのが難しいので、
・音の長さを変えずに、弓の量を変えると、弓の速度が変わる。
・弓の量を変えずに、音の長さを変えると、弓の速度が変わる。
↑これは、どちらも「弓の速度を変える」ことで「音の長さ」と「弓の量」のどちらkを「変えない」方法です。
ごちゃごちゃになった?(笑)
そうなのです。
音の長さと弓の量
この二つのことを考えると、必然的に弓の速度を考えなければ「できない」ことなのです。
先生に「もっと弓を使って弾きなさい」と指摘されたとします。
方法は二つあります。
1.音を長くして=テンポをおそくして、弓をたくさん使う方法「弓の速度は変えない方法」
2.弓の速度を速くして、音の長さは変えず=テンポは変えない方法「弓の速度を変える方法」
多くの場合、2の方法を用います。
弓の速さは、えてして無意識になりがちです。
弓の圧力と、弓の速度、弓の場所で音色が大きく変わります。
弓の速さを一度、良く観察してみることを、生徒さんにお勧めしたいと思います。

ヴァイオリニスト 野村謙介

演奏中に動くもの・止まるもの

今回のお話も演奏に関わるテーマです。
楽器を演奏する人間と楽器の関係で言えば、
・固定された楽器(鍵盤楽器や打楽器の一部)
・演奏者が保持する楽器
・チェロやコントラバスのように、一部が床に置かれ一部を演奏者が保持する楽器
に分類されます。
楽器が動かない場合、演奏者が動くことになります。チェロ・コントラバスもある意味で固定されています。
それ以外の楽器、たとえばヴァイオリンの場合は演奏者が左上半身を使い楽器を保持し、右手で弓を持ち動かします。
ヴァイオリン・ヴィオラの構え方は、人それぞれに違います。つまり、楽器の「保持方法」が違います。どの程度、体と一体化させるのか?どのくらい身体の動きと分離させるのか?が大きな違いになります。
演奏者が動けば、ヴァイオリン・弓も当然動きます。
動くと言っても、どこが動くのかによります。
上半身全体が動けば、右腕・左腕・首も動くので楽器と弓も移動します。
首から上だけ動いても、楽器と弓は動きません。
左手を動かしても右手は動きません。逆も言えます。
これは「相対」として楽器と演奏者が同じ動きをするか?しないかによっても変わります。楽器を持ち弓を持つ上半身、すべてが前後左右に動いたとしても、演奏者と楽器の「相対的な位置関係」は変わらないのです。ピアノの場合は違います。人間が動けば位置関係は変わります。

ヴァイオリン・ヴィオラを肩当てを使って演奏する人と、使用しないで演奏する人がいます。私自身は使わないとうまく楽器を安定させられません。
少なくとも、左の鎖骨(さこつ)には楽器が「乗る」はずです。
これが1点目です。
仮に左顎(あご)で顎あて部分を「押さえる」と、鎖骨に加え2点目になります。完全にこの力だけで楽器を保持すれば、楽器は弾ける?いえ、弾けません。
なぜなら、弦を「押さえる」指の下方向への力も加わるからです。弦を抑える指の力も、鎖骨と顎だけで支えようとするか?しないか?でこの顎で楽器を抑える力が大きく変わります。ちなみに鎖骨は「動きません」当たり前ですが。
肩当を使用すると、鎖骨より腕側の「腕の付け根の筋肉」に楽器を「乗せる」ことができます。つまり鎖骨に乗せるのと同じ方向の力「乗せる」だけの力です。
ヴァイオリンを演奏する時に加わる力の方向は、
1弦を押さえる下方向への力
2弓を弦に押し付ける下方向への力
3楽器本体の下方向への「重さ」
この力を支える上方向への力は、どこで生まれるのか?
1鎖骨に乗せる
2肩当てを使って体に乗せる
3左手で持つ(親指に乗せたり、親指と人差し指の付け根の骨ではさんだり、人指す指の付け根の骨に乗せたり)
顎の骨で「はさむ」力は後半の力を補助する力であって、前半の下方向への力ではありません。勘違いしやすい!

演奏中に楽器が「勝手に揺れる」と弓を安定して弦に乗せ音を出せません。
特にビブラートやポジションの移動をする際に、揺れがちです。
さらに、右腕の運動、移弦の運動、ダウンアップの運動でも楽器が動いてしまう場合もあります。
自分の意識とは無関係に楽器が揺れ動くのは、良いことではないのは誰にでもわかります。
それを「止めよう」として左半身に力を入れると、逆効果です。
楽器は演奏者の身体に「乗っている」のですから、楽器に触れているどこかが動けば、楽器は「揺れる」ものです。その揺れを吸収する「クッション」の役割も演奏者の身体を使わなければ不可能です。
指・手首・肩・首のすべてが連動しています。
独立させて運動させるためには「脱力」するしか方法はありません。
筋肉に力を入れれば入れるほど、多くの筋肉が一緒に連動して動くから、楽器が揺れるのです。

どんな構え方だろうと、共通するのは無駄な力を入れずに、各部位が自由に揺れを吸収できる「柔らかさ」を意識することだと思います。
無駄な力を抜く練習。

力を入れずに
がんばりましょう!

ヴァイオリニスト 野村謙介



弓を動かす難しさ

今回は、ヴァイオリニストが一生考え続ける(私だけ?)命題、音を出す弓を動かすことを考えます。
人間の身体には、たくさんの関節があります。自分の右手の指先から、腕の付け根までにある、関節をじっくり観察してみます。(おやじギャグではないつもり)
親指の関節が、ほかの4本の指よりも、1つ少ないことを今更驚く人、いませんか?(笑)
その親指も含めて、指先に近い関節を第1関節と呼びますが、親指だけは、その第1関節だけを曲げ伸ばしできます。そのほかの指の第1関節だけを、曲げ伸ばしできる人も見かけますが、むしろ第1関節だけは、曲げられないのが普通ですよね。指先から第1関節までの間に「骨」がありますね?当たり前ですが。
第1関節と第2関節の間にも骨があります。てのひらと指の関節があり、てのひらにも骨があります。

さて、これらの関節と骨には筋肉である「腱」があって、それぞれの指、関節を曲げ伸ばししています。
人間の生活で、主に使う手の筋肉は、内側に向かって「握る」ための筋肉です。
反対に「開く」方向の筋肉を使うことは、ほとんどありません。
指を観察すると、手の甲側(爪のある側)にはほとんど肉がありません。
一方でてのひら側には、かなり太い筋肉があります。物を掴む運動が強いのは、私たちのご先祖が猿だった証ですね。
握る力を「握力」と言います。子供のころ、学校で握力を図ったことがありませんか?ちなみに、力士の「輪島」関は握力が100キログラム以上だったとか。
でも、開く力の測定は、したことがありません。楽器を演奏する人にとって、必要なのは、握力より「早く、しなやかに、強く指を動かす」ための力です。つまり、じわーっと握る力よりも、瞬発的に「握る」「開く」という運動をでる筋力と神経伝達が必要になります。

弓に直接触れる右手の指。
親指と人差し指が「弦に圧力をかける」仕事をします。
親指と小指が「弓を持ち上げる=弓の重さより軽い圧力を弦にかける」役割です。
中指と薬指の仕事は、力というよりも、弓を安定させるための補助的な仕事をします。
「てこの原理」小学校で習いました?最近は教えていないそうですが(笑)
「支点」「力点」「作用点」なつかしいでしょ?
弓の毛と弦が触れている場所を「作用点」
親指を「支点」
人差し指を「力点」小指も逆方向の「力点」
人差し指の第2関節の「骨」で、弓の棒(スティック)を弦に向かって押し付ける力を加えます。
そして、親指は、人差し指と真逆方向の「押し上げる」方向に力を加える=支えることで、弓の毛が弦に強く押し付けられます。
この、てこの原理が理解できていないと、親指の力の方向を間違えてしまいます。
親指と中指で、弓をつまみ上げる力は演奏には不必要です。親指と中指でスティックをはさんで持つのは間違いです。

さて、指の次の関節は手首です。
手首の関節は、てのひら⇔手の甲の方向には、大きく曲げられますが、
親指側⇔小指側への方向には、小さな運動しかできませんが、この左右の運動も演奏には重要になります。
手首を意識的にゆっくり動かす時、使っている筋肉は肘から手首までの筋肉(腱)です。この筋肉の伸び縮みもストレッチ運動で大きく柔らかく動くようになります。
手首をブラブラと運動をするときには、前腕(肘から手首)を動かし、手首の関節を緩めることで、腕の動きとは逆方向に揺れます。「慣性の法則」です。
このぶらぶらと動く動きは、特殊な演奏方法をしない限り、演奏には有害な運動になります。特に、弓を速く動かすときに、慣性も大きくなりますから、手首と弓の動きをコントロールするために、「弾力」が必要になります。車で言うなら「サスペンション」と「ショックアブソーバー」(わかりにくい?)
要は適度な「粘り」が必要です。


腕を斜め前方に伸ばし(ダウン)弓先を使うときには、手首が「親指方向」と「手の甲方向」に曲がります。
この時に、親指と弓の「角度」を安直に変えないことを私の師匠は厳しく指導されました。それは、右手の小指を曲げたままで、弓先まで腕を伸ばすことになります。弓とてのひら・手の甲の位置関係(角度)を極力変えないで演奏する練習を続けました。当然、手首を左右に大きく曲げないとできません。
現代のヴァイオリニストでこの演奏法をしている人は、ごく少なくなりました。
弓先から弓中まで、さらに弓元までを速く動かした場合、指の「持ち替え」をしなくても演奏できるという、最大のメリットがあります。
現代の多くのヴァイオリニストは、弓先で親指と弓の角度を変え、さらに右手の小指を完全に伸ばしきった形で演奏しています。弓先で圧力を軽くするコントロールできる量が少ないはずです。親指と人差し指のてこの原理を「ゼロ」にしても「マイナス」にはできません。小指と親指で弓先を持ち上げる力で、より小さく薄く軽い音色を出せるはずです。

弓の中央は、右肘が直角に曲がった時の場所を言う。
と私は考えています。物理的な「弓の中央」だとしても、弓の毛の中央なのか、弓の長さの中央なのかで、場所が変わります。重さの中央である「中心」は弓元に近い場所ですから、さらに違います。腕の長さは人によって違いますから、弓元からダウンで直角になるまで動かした場所が「中央」で、そこから腕を伸ばしきった場所が「弓先」だと考えています。それ以上先を使おうとすれば、必ず無理があります。
弓中で、敵美と指が最も「自然」な形になります。ですが、この位置では、まだ親指と人差し指のてこを使わないと、弦に圧力をかけられません。
弓元。顔の前に、右手が来る場所です。この場所で演奏することが一番難しいのは案外気づいていないかも?

弓元で弓を持つ指の「真下」に弦があります。ここだけは、弓の「スティック側」にある4本の指(人差し指・中指・薬指・小指)すべてで、弦に圧力をかけることになります。むしろ、親指と人差し指のてこの原理はさようしませんから、親指は初めて「休める」位置でもあります。
手首が天井方向(てのひら側)に曲がる演奏方法「も」あります。
というのは、私はあまり弓元で手首を曲げたくない人なのです。
「だって右手の距離が近いから曲げないと」と思われがちですが、右ひじの位置を変えれば手首は曲げずに演奏できます。
弓元で右ひじが高く、やや体の側面に下がる演奏方法です。
手首以前に、体と肘の位置をやや後方に下げることで、弓と弦を直角に保ちながら、手首と指の形を変えずに演奏できます。
上腕(肩から肘までの腕)を積極的に動かす演奏方法です。当然、背中の筋肉も使います。腕全体の運動で弓元部分の演奏をすることで、指と手首の「可動範囲」を増やし自由度を増やすことができます。

連続した運動ですから、むしろ「アナログ」的なイメージのほうがわかりやすいと思います。写真と動画の違いです。すべては「動いて」音がでることです。
ただ、4本の弦・弓の位置によって、指・手首・肘の位置が変わることは事実です。練習時に、ある位置で「静止」してゆっくりと自分の身体を観察することで、間違いを修正できます。静止したときと動かしたときで違うのは、「慣性」があるか?ないか?の違いです。弓の位置に関係なく、動けば慣性が発生します。

・止まった状態からダウン
・止まった状態からアップ
・ダウンから止まる
・ダウンからアップに続く
・アップから止まる
・アップからダウンに続く
この6種類しかないのです。腕の重さと弓の重さを感じながら、慣性をコントロールする柔らかさと強さと俊敏さ。
右手が「一生もの」と言われる所以が、この複雑さにあります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト 野村謙介