どんなヴァイオリンが名器?

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先日、放送されたテレビ番組でストラディヴァリの楽器についていろいろな研究者や演奏者の考えが述べられていました。
僕は一人の演奏者としての立場と、アマチュアに多くの楽器を斡旋し販売する立場の両面から、楽器についての考えがあります。

楽器は演奏者の技術によって音色が決まる。

過去も現代も「一流」と言われている演奏者の音色は、どれも素晴らしいものです。人間一人ずつ、好きな音色の好みは違います。生まれついての一流演奏者は存在しません。師匠であったり憧れであったりする演奏者の音色を目標にし、その音と自分の出す音を比較しながら理想の音色を模索し日々努力を重ね、努力が実を結んで「運」に恵まれた人が一流と呼ばれる演奏者になるものです。
つまり「一流の演奏者の音色」を常に目標にしてみんなが練習していると言えるのです。その人たちの音色が「基準」となっているとも言えます。
その人たちの多くが使ってきた楽器が「ストラディヴァリ」であり、その音色が「一流の音色」と定義されてきた歴史があるのです。
では、ストラディヴァリの音色だけがヴァイオリンの音色かと言われれば、答えは「No」です。それぞれ、全ての楽器に固有の音色があります。人間、一人ずつの声が違うのと同じ理由です。どんなに優れた製作者の楽器でも、全く同じ音色の楽器はありません。それを演奏する人間が変われば、音色も変わります。ですから、演奏する私だちが常に楽器の音色を受け入れ、その上で自分の理想とする音色を探し求めていくことが不可欠だと思うのです。

良い楽器とは、誰かが演奏した音色を真似できる楽器ではなく、
演奏者が出会った楽器に命を吹き込んだ楽器だと思います。
楽器を作った職人の思いを感じることが大切だと思います。

私の使っているヴァイオリンを作った人にはあったことがありません。
ヴィオラを作った人、陳昌鉉さんとはこのヴィオラについてたくさん会話をし、一緒に音色を楽しみました。

楽器の音色を自分が決めていることを演奏者がもっと自覚することが必要だと思います。技術は速く弾くだけでもなく、大きな音を出すだけでもなく、間違えないだけでもない「演奏者の思い」を表現することです。
高い楽器が良い楽器ではありません。
いつかストラディヴァリというヴァイオリンそのものが、世の中からなくなることは間違いないことなのです。その時に、良いヴァイオリンがなくなるのではないのです。