好きな音楽を感じるままに…

 映像はヴィオラとピアノで演奏したエンニ・モリコーネ作曲の「ガブリエルのオーボエ」です。
 ヴァイオリンを習う人の多くが先生に指定された「教本」を使って技術を身に着けていきます。先生や教室によって指定される教本や内容が違うものです。
 どの教本を使って何を練習して、どんな技術を身に着けるべきなのか?
習う人の年齢や楽譜を読む技術、練習できる環境や本人の性格、目的によっても使う教本や内容を選んでいます。
 音楽の学校に進むことやコンクールで入賞することを「目の前の目標」にする人の場合には「身につけなければならない」最低限?の技術があります。
 最低限に「?」を付けたのは音楽の学校やコンクールのレベルによって最低限のレベルが大きく違うからです。簡単に言えば「どんなレベルの音楽学校でもいい」場合に必要な技術はさほど多くありません。
 趣味でヴァイオリン演奏を楽しみたい人にとって必要な技術ってなんでしょう?

 習う人、教える人によって違うのですが私は「好きな音楽を感じるままに演奏できるように」してあげたい、なって欲しいと持っています。
 年齢に関わらず人によって到達できる技術レベルは違います。それは才能などではなく環境や考え方の違いによるものです。限られた「練習できる時間」の中で「やる気=モチベーション」を維持しながら上達できる練習方法をアドヴァイスするのがレッスンだと思っています。
 生徒さん自身が感じる「足りない技術」や「身に着けたい技術」は時として段階を飛び越えている場合があります。逆に「この曲は自分には演奏できない」とか「あんな風に演奏できるはずがない」と思い込んでいる場合もあります。
 どちらの場合も生徒さんにとっては「未知の世界」のことですから仕方のない当たり前のことです。

 例えばヴィブラートを出来るようになりたいと「思わなければ」何年楽器を演奏してもできるようにはなりません。またヴァイオリン演奏に必要な技術の多さをまだ知らない段階で「演奏できないのは才能がないから」とか「自分に(我が子に)向いていない」と決めつけるのも間違いです。

 弦楽器は管楽器より難しいと言うのは大嘘(笑)
私に言わせれば管楽器の方がはるかに難しいと感じますが、それも正しい事ではないのです。なぜならすべての楽器は、それぞれ難しさが違うのですから。比較できません。

 自分の好きな楽器で、好きな曲を演奏して楽しいと感じられることが、楽器演奏の究極の楽しみだと思います。
 音階の練習やポジション移動の練習、ロングトーンの練習など練習方法は無限にあります。それらの中で何を練習すれば自分の好きな曲を「生きている間に」演奏できるようになるか?その問いに正面から答えてくれる指導者に出会えること・探すことが何よりも大切な事なのかもしれません。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

「ながら族」は演奏家向き♡

 映像はデュオリサイタル08で演奏したシェルブールの雨傘です。
BGMにどうぞ(笑)
 さて中学生や高校生の頃に、勉強机に向かいながら←勉強しているとは言えなかったので(笑)ラジオ番組を聞いたりカセットで音楽を聴いたりしていたのは私だけ?違いますよね!きっと多くの人が「ながら勉強」していたのではないでしょうか?もちろん人によっては「集中できないから」と静かにお勉強した人もいますよね。
 ヴァイオリンの練習をしながら音楽を聴くことはかなり難しい(笑)のですが実は楽器の演奏は「〇〇しながら△△する」ことがほとんどです。
・音色を考えながらリズムを考える。
・音程を気にしながら音量を考える。
・自分の演奏を気にしながら他の楽器の演奏を気にする。
などなど「ながら演奏」できることが必要不可欠です。

 二兎を追う者は一兎をも得ず
このことわざから様々な考え方ができます。
一度に多くを得ようとすることで自分のキャパシティを超えてしまう場合もありますが、逆に目先の利益や安直さを優先してしまえば失うものも多くなります。
 一つの考え方…例えば自分の価値観だけを大切にする人は、一兎を得るためなら迷惑を顧みない人…とも言えます。
 一つの目標を達成するために様々な「寄り道」や「回り道」をする事も大切なことです。
 楽器の演奏は同時にいくつものことを考える作業です。
何かひとつを犠牲にすれば全体が崩れます。どうすればよいのでしょう?
一つの事に完璧を目指すより、二つ三つの事に興味を持つことの方が楽しいと思うのです。出来なくても失敗しても、より多くの事を体験することが私は重要だと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

ヴァイオリンの価格について

 映像は陳昌鉉氏の製作した木曽号を木曽町で演奏したものです。
前回のブログでストラディヴァリ信仰について疑問を呈しました。
ヴァイオリンの価格はいったいどうやって決まるのでしょうか?
ヴァイオリンを購入したい人にとって「代金」として妥当な金額と納得できる金額について考えます。

 ヴァイオリンの価値を「骨董品」として考えるべきなのでしょうか?
絵画の場合にも億単位の金額で取引されなす。美術品としての価値は取引価格で決まるのでしょうか?絵画を描いた作者がすでに他界している場合、どんな工学取引だったとしても作者の利益にはなりません。ヴァイオリンの場合も同じことが言えます。生尺者が生きている場合、自作のヴァイオリンを高く売れれば利益が出ます。いくらで買ってもらえるか?買う側の評価で決まります。
 ヴァイオリンを作るために係る材料費を差し引いて利益が出なければ、ヴァイオリン制作者として生活できませんよね。
 ヴァイオリンを一人で製作した場合の「最低限の価格」が公開されていません。弦楽器展示会で見た経験で言えば一丁80~100万円で「売りたい」のが製作者の立場のようです。恐らく年間に作れる本数と材料費を考えての金額だと思います。作為者によってはこの金額では赤字になる場合も十分にあり得ます。逆に生活に困っていない製作者の場合にはもっと安くても困らないことに(笑)
 工房で分業すれば単価が安くできます。いわゆる「アトリエ楽器」です。国や地域によって差がありますが一般的に一丁20~50万円で作れるように感じます。
 工場でさらに機械作業の高低を増やして製作時間をT何宿した場合に「ヴァイオリンとして演奏できるレベル」の楽器は7万円ぐらいが最低価格のようですが、多少のばらつきはあるようです。
「安物のヴァイオリンは良い音がしない」と言う根拠はありません。
100万円以上?500万円以上?いくらなら良い楽器があると言うのでしょうか?その根拠はどこにあるのでしょうか。

 ヴァイオリンの価値は誰が決めるものっでしょう?
結論は演奏する人=購入する人が決めるべきものです。それ以外に答えがあるでしょうか?先述の通り、作る側が「〇〇万円で売りたい」と思っても買う側が妥当だと思わなければ売買は成り立ちません。
 では妥当な金額でヴァイオリンが取引されるように「正常化」するにはどうすればよいのか?
 簡単なことです。少しでも安いヴァイオリンを選べばよいのです。
高いヴァイオリンを多くの人が買わなければ?高く売って金儲けすることができません。製作者が生活できなくては困ります。ただ工場で作ることのできるヴァイオリンより良いヴァイオリンでないなら誰も買う人はいません。当たり前のことです。
 高いヴァイオリンと安いヴァイオリンがあって選ぶなら?
安い楽器が明らかに「悪い」と感じるなら買わないことです。
「それでは。いつまでたっても買えないじゃないか!」いえいえ(笑)
同じ安さのヴァイオリンで比較してみ下さい。どちらかが良く感じるはずです。
 ヴァイオリンの違いは「比較」しなければわかりませんし、比較してもどちらが良いと言う答えはないのです。むしろ同じように聴こえてもそれが正しいのです。決して耳が悪いわけでもなく初心者だからでもないのです。
 楽器による音の違いは演奏している本人が感じるものと、聴いている人で違って当たり前です。さらに同じ楽器でも演奏する人が変われば音が変わるのです。
 自分で弾いて気に入ったヴァイオリンがいくらなら妥当なのか?
結論は「個人のお財布次第」なのです。それはどんな楽器でもスポーツ用品でも同じことです。無理をしても買えないものは「論外」なのです。
ましてや100万円以上するヴァイオリンは.原価より高い金額を「誰かに払っている」のです。それが製作者本人に支払われるなら納得もできますよね。
それ以外の場合で誰が?いつ?作ったのか?鑑定を職業にし信頼されているは世界中にごくわずかしかいません。鑑定書そのものが「偽物」であることは当たり前です。

 定価のないものにいくら支払う価値があるのか?
高ければ良い楽器だと言う嘘や、オールド=政策から00年以上経っている楽器は良い楽器と言う嘘、ラベルも嘘がほとんど、そんな嘘だらけの世界にしてしまったのは「価値もわからないのに高い楽器を買う」人たちと、売買で儲ける人たちの積み上げた「黒歴史」だと思っています。
 まっとうな金額でヴァイオリンを変える時代が来ることを願っています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介


 

「ストラディヴァリ信仰」の弊害

 映像は陳昌鉉さんの製作されたヴァイオリンで演奏した「ふるさと」
木曽福島でのコンサートをビデオカメラのマイクで録音された音声です。
この映像をお聴きになる環境=イヤホンやパソコンのスピーカーなどによって、お聴きになる方たち全員違う音を聴いていることになります。さらに音の好みがあります。
 陳昌鉉さんは「ストラディヴァリのヴァイオリンの謎」に挑戦したいと言う弓を持って楽器を作り続けられました。
 ヴァイオリンに限らず過去に作られた「物」の素晴らしさを探求し再現しようとする試みは、人類の英知だと思います。人間以外の動物が生きるための知恵や阿曽儀を「学習」することはパンダや子猫を見ればわかります。ただ「物を真似して作る」知恵は人間にしか出来ません。
 今回もテーマにするストラディヴァリ信仰の「害悪」ですが、音楽やヴァイオリンに関心のない人に対しても「嘘」を公言するメディアと一部演奏家に怒りを感じます。

 以前にも述べた通り、ストラディヴァリのヴァイオリンを貶す意図はまったくありません。ストラディヴァリのヴァイオリンが「最高のヴァイオリン」でそうでないヴァイオリンは「ストラディヴァリ以下」と言う考え方が間違っているのです。
 さらに言えば、ストラディヴァリのヴァイオリンが10億円以上の金額で取引されている事をもって「最高のヴァイオリンである」と言う嘘を知って頂く必要があります。このバカげた金額は演奏家が評価した結果ではありません。「投資目的」で売買されるうちにこの金額になっただけのことです。言ってしまえば金儲けの道具にされているだけのことです。投資家に責任はありません。彼らは一円でも稼げるならなんにでも投資します。ヴァイオリンの価値など関係ありません。
「土地ころがし」ならぬ「ストラディヴァリころがし」の結果なのです。

 先日ある日本人ヴァイオリニストが新作のヴァイオリンとストラディヴァリを比較してどんな違いがあるか?リポーターに問われ「ぬいぐるみと生きている犬ほど違う」とおっしゃっていました。耳を疑いましたそしてこのヴァイオリニストの人格を疑いました。自分以外の人間が作った「ヴァイオリン」の例えとしてあまりに知性がなく下品なものでした。ましてやご自身がヴァイオリニストであり演奏活動をしている立場で、ストラディヴァリ以外のヴァイオリンをぬいぐるみ扱いする神経はいったいどこから生まれるのでしょう。
 新作ヴァイオリンが「悪い」ストラディヴァリが「良い」と言う科学的根拠もなく、多くの実験結果で聴き比べてストラディヴァリを言い当てられない現実をすべて否定したとしても、生き物とぬいぐるみに例える演奏家の知的レベルの低さをメディアで露呈することになりました。

 地球上に「最高のヴァイオリン」は過去にも未来にも存在しません。
ある人にとって「最高」はあって当たり前です。他人の楽器を悪く言うヴァイオリニストの知性の低さは明らかです。ヴァイオリンを神格化し他のヴァイオリンを蔑(さげす)む考え方は新興宗教と変わりません。信じるのは個人の自由ですがそのことによって多くの人が「騙される」ことに耐えられません。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

「じょうずな演奏」―「素人っぽい演奏」=?

 映像は「MISTY」のヴィオラとピアノの演奏に、雪景色の写真を重ねた映像です。
 今日のテーマは一言で言えば「うまく聴こえる演奏とは?」です。
特にアマチュアで演奏を楽しんでいる方たちにとって、演奏を職業としている「プロ」の演奏と自分の演奏の「違い」が理解できないのは当然のことです。
「えらそうに!」と勘違いしないでくださいね(笑)私もアマチュア演奏家だと思っている一人なので。
 音を出すこと・曲を弾くこと+α
この「α」こそがじょうずに=プロっぽく聴こえる演奏の特徴です。
演奏するのがどんな音楽でも同じことが言えます。
 もう少し違う言い方をするなら「意図的に音色や音量、音符や休符の長さを変えられる」とじょうずに聴こえます。偶然に=無意識に変わってしまう演奏とは違います。ある人のある1曲の演奏を聴いているだけでも感じるものです。
「言葉のように音楽が聴こえる」とも言えます。
パソコンで読み上げるロボット音声のような楽器の演奏は、素人っぽく聴こえます。音楽を言葉のように感じて演奏している人の演奏が上手に聴こえます。 

 演奏しながら「何もしない=ただ音を出す」時間の差も「α」になります。
曲の中なの一つずつの音、さらにその音の中発音から音が終わるまでの時間。ただ音を出すだけで終わらないことがじょうずに聴こえる演奏の最大の要因です。
楽譜には書いていないことを自分で「試す」ことです。その積み重ね=経験が演奏するうえで何よりも大切なことだと思います。
 小さなことの積み重ねを「ジェンガ」に例えるとイメージしやすいですね。
ヴィブラートの速さや深さ・弓の圧力と速度・音楽の揺れ戻しなどを一つのパッセージに丁寧に積み上げて高くするのが演奏のジェンガです。一つ一つの技術はそれほど難しい事ではありません。ただバランスを忘れればすべてが崩れてしまうのもジェンガと似ています。

焦らずに・諦めずに・怖がらずに積み重ねてみてください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

アンサンブルを録音する

 皆さんは音楽をどんな時に?どんなモノで聴きますか?
もちろん時々で違った聴き方をするのは当たり前ですが、たとえば移動する時に音楽を聴くことがあるでしょうか?一昔前に大流行した「ウォークマン」は外を歩いたり電車やバスで移動しながらカセットテープの音楽を聴くことのできる画期的なステレオ再生機械でした。それまではラジオしか外で音楽を聴く方法がなかった時代に電池で動きヘッドフォンで自分だけが音楽を楽しむことができて「自分の世界」に浸ることができました。
 オーディオ…一言で言えば専用のスピーカーで音楽を再生して音楽を聴く人は一時激減しましたがここ数年、復活してるようです。
 スピーカーで聴くのか?ヘッドホン・イヤホンで聞くのか?によって全く聞こえ方が違います。以前はレコードにしてもCDでもスピーカーで聴くことを前提にして音を創っていました。独奏でもアンサンブルでもシンフォニーでも同じオーディオで聴いていました。

 動画と共に音楽を聴くことが多くなった現代、パソコンやスマホ、テレビで「見ながら聴く」ことが多くなりました。むしろ音楽「だけ」を聴く人が減ってきたのは事実です。
 一方で自分一人で音楽を創る趣味が目立つようになりました。
以前はDTM=デスクトップミュージックと呼ばれていましたが現代ではDAW=デジタルオーディオワークスと呼ばれています。
 パソコンの音と人間の声や生楽器をパソコン上で「ミキシング」して音楽を作成する楽しみ方です。ドラムの音をパソコンで打ち込み、ギターやベース、キーボードなど自分が何も演奏できなければそれもパソコンで打ち込み、歌だけを「かぶせる」方法で音楽を簡単に作れるようになりました。
ダウソフト=DAWSoftが数多くDされています。私も色々試したり調べたりしましたが、クラシックの演奏を録音するのに適したソフトはほとんどありません。
 アドビのソフト「Audition」がラジオ局などでも使われているという情報もあり実際に使って見ましたが、現実的には使いにくいものでした。
 昔のように「マイク」+「アナログミキサー」+「ステレオテープデッキ」が一番シンプルなのですが当然録音するときには演奏者以外に録音スタッフが必要です。テープデッキの代わりになるものとして「PCMレコーダー」が主流になりましたがこれもやたらと操作が複雑です。
 録音した「素材」が良ければどんな加工も可能です。素材が悪いほど加工に手間がかかります。
 録音する基本の機械「マイク+ミキサー+デッキ」が以前のように増えてくれることを願っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

 

手首のヴィブラート

 映像はデュオリサイタル15で演奏したラフマニノフ・クライスラーの祈り。
今回のテーマはヴィブラートのかけ方について。以前のブログでもヴァイオリン・ヴィオラのヴィブラートについて書きましたが今回は「手首のヴィブラート」に絞って考えてみます。

 そもそもヴィブラートは音の高さを曲線的に連続して変化させることです。
・弦を押さえる指先の適度な硬さ
・指の関節の柔軟性と可動範囲の大きさ
。弦は押さえない親指の柔軟性と力の方向
。てのひらの筋肉の柔軟性と強さ
・手首の関節の可動範囲と柔軟性
・前腕の角度と手首の角度=てのひらの向き
・前腕の筋肉の強さと柔らかさ
・上腕と胸筋の脱力
言うまでもなく最終的には「音を聞きわける耳」が一番大切です。
動画を見て頂くと手首を「支点」に掌が「回転運動=倒れたり起きたり」していることがわかると思います。掌を動かしているのは前腕の筋肉です。さらに左手の親指はネックに触れた状態で付け根の関節が自由に動かせることが大切です。手首を支点にしながら親指は上方向への力を発生します。
 弦を押さえている指は腕=肘のヴィブラートと大きく違い、ネック=弦に対して平行な運動にはなりません。腕・肘のヴィブラートは基本的にポジション移動と同じ運動です。ネック・弦と平行に動きますが手首のヴィブラートは「指が倒れたり起きたりする」運動になります。指の関節の「伸び縮み」は腕のヴィブラートより少なくなります。
 手首のヴィブラートはポジション移動と全く違う運動で使う筋肉も違います。
腕のヴィブラートは上腕の筋肉と肩の付け根の筋肉を使います。
手首のヴィブラートは前腕の筋肉なのでより小さなエネルギーで運動できます。
 指を曲げたままでヴィブラートできるメリットもあります。
どんな方法であっても、角のない曲線的なピッチの変化に加え、速さと深さをコントロールできることが大切です。
 自分の音を録音して聴いてみると「ヴィブラートの波」を冷静に観察できます。自分の演奏をぜひ!聞き直して頑張りましょう!
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

弓の毛の張り方=張り過ぎない

 映像はデュオリサイタル14代々木上原ムジカーザで演奏した、アザラシヴィリ作曲のノクターンを音声リマスターしたものです。
 さて今回のテーマは弓の毛の張り方について。
生徒さんの多くが弓の毛を強く張り過ぎています。
多くの動画を見ていても若いヴァイオリニストたちがスティックがまっすぐに近くなるまで弓の毛を張って演奏している動画を目にします。
 演奏する曲によって多少の違いは必要です。ただ音量を出すため・強い音を演奏するために弓の毛を強く張ることは正しいとは思いません。
 そもそも弓の木=スティックは弾力を持たせるために様々な工夫がなされています。太さと硬さ=弾力と重さの三つの要素を職人が経験と技術で、最も良い音が出る弓を作っています。固ければ良いのであれば木で作る必要もありません。
また弓の毛にも弾力があります。現にも弾力があります。
最も弱い弾力は「弓の毛」です。弦の弾力と弓の木の弾力を比較すると、駒からの距離が近ければ弦の方が硬くなり指板に近くなれば弓の木の方が硬くなります。つまり弓の木には弾力が絶対に不可欠なのです。
 弓の毛を強く張れば弓の毛の段弾力は固くなり同時に弓の木の弾力性も少なく=硬くなります。さらに弓の中央部分の柔らかさが損なわれます。
練習後に弓の毛を緩めずに放置して「腰の抜けたふにゃふにゃの弓」はいくら弓毛を張っても弓の木の弾力は弱いままです。
 弓の中央部分で演奏する時に圧力をかけすぎればどんな「剛弓」でもスティックと弦が接触します。また弓のスティックを指板側に倒しすぎれば同じように接触します。
 弓の毛を弱く張ることで弓の「反り」が最大に活かされます。必要最小限の張りで演奏することで柔らかい音色が出せると私は確信しています。
 ぜひ!普段の張り具合から90度…できれば180度弓のスクリューを緩めて演奏してみてください。弓の中央部で圧力をかけずにフォルテを演奏する技術を身に付ければ弓元と弓先の張りの強さを使ってフォルティッシモも演奏できるはずです。お試しあれ!
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

新しい知識を求めること

 映像はデュオリサイタル11で演奏したロンドンデリーの歌。音声を新しいソフトを使って作り直した映像です。
 昨日我が家に大学時代の先輩ご夫妻が遊びに来てくださいました。
ご主人は高校大学時代に毎日のようにお世話になった事務職員だった方です。
お二人とも優しく気さくで私たち夫婦にとってかけがえのない存在です。
 何よりも多くの知識と情報をお持ちです。私の知らないことばかり!4人で過ごす時間は学生時代に戻ります。まさに「温故知新」です。
 同じ時代に60年生きていながら、いまさら(笑)初めて知ることがあるのは本当に嬉しいことです。
 楽器の事、音楽業界の事、演奏技術の事、などなどいくつになっても昔の儘の関係です。もちろんお二人は私たちにとって人生の先輩でもあり、音楽の師匠でもあります。
 新しい知識を得ようとすることは人間の欲です。様々な欲望のある中で「知ろうとする欲」は成長の源です。自分の知っていることの多さを人にひけらかすのは「自己顕示欲」であり知識を得る欲とは逆に成長を邪魔するものだと思います。自分の知らないことを敢えて探すことも必要なことです。
 人に聴くこと・教わることを恥ずかしがったり「格好悪い」と思う人もいるようですが人間はいつも新しい事を学んで生きる生物です。そうしなければ原始人のままの生活をするしかありません。
 新しもの好きは悪い事ではないのであります!←新発売の3文字に弱い私です…
 一方で古いものを大切にする気持ちが何よりも大切です。古くなったからいらない=新しいものに取り換える…一見すると進歩しているように見えますが進化ではなくただの「物欲」だと思っています。古くなった建物をすぐに壊し、古くなったお店を潰し、古くなった車をすぐに廃車にするのが「日本人の悪い癖」だと感じています。古いものの良さを感じられない人間に、古いものより良い新しいものを創造する能力も資格もないと思います。懐古主義ではなく本当に良いものを見極めるために必要な「時間とお知識」が必要だと考えています。人間の良さも10代より20代。30代と時間をかけて良くなっていくものだと思います。
 新しい知識の積み重ねは結局、古いものの良さを見つける能力を身に着けることなのだと思います。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

CD第4弾をを作る!

 決意表明(笑)がテーマみたいですが、映像は私たちのCDシリーズ「Tenderness」第1弾のベルガモットに収録したパラディス作曲のシシリエンヌ。
 過去の3作とも自宅で演奏しながら録音したものです。基本二人だけでマイクや機材のセッティングから演奏した録音ごとに確認して、トラックダウン・マスタリングまで自分で行い、パッケージのデザインから印刷・作成も自作です。
 何よりも費用がかけられないと言う現実問題があります。
録音するためにホールやスタジオを借りて、録音御者にお願いすれば自分たちは演奏に専念できますが当然、コストは自作に比べ10倍以上…もっとかかります。
 さらに自分たちが納得のいく演奏が出来るかどうか、確信のない状態で場所や人を使えないのも事実です。
 3作を録音した際に使っていた機材のうち、主役であるMTR(録音する機械)が経年劣化で使用できなくなり…かれこれ30年ほど使った機械ですから無理もありませんが。ど~しよ~ど~しよ~♪なのです。
 このところよく使う機材はビデオの撮影を中心にしたものなので録音を主に考えるとかなり使いにくい。
 昔の社名「TEAC」現在は「TASCAM」のMTR…昔より安くなったとはいえ金額的に考えると3時間録音業者に頼む金額2回分(笑)つまりこれから3作のCDを作るならMTRを購入したほうが安く上がる計算です。ど~しよ~ど~しよ~(笑)
 どっちにしても!演奏がメインなのであります。そこんとこ大事にします!
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介