上質の「とろけるプリン」か「しっかり羊羹」か

 上の動画は、オイストラフ。下の映像はムターの演奏です。
どちらも大好きな演奏家なのですが…弓の「使い方」音の「出し方」がまったく違う二人に感じます。
・オイストラフは「口に入れると溶ける、究極のなめらかプリン」のイメージ。
・ムターを例えるなら「きめ細かいずっしり身の詰まった羊羹」のイメージ。
当然、お二人ともに曲によって、音色を使い分けられる技術をおもちです。
むしろ「好み」と言うか「デフォルトの音色」とでもいえる音の出し方が違うように感じます。
 リサイタルで演奏するヴァイオリン・ヴィオラの音色を考えていて、どちらの「食感」が似合うのか?さらに言えば、その音の出し方で、客席にどう?響くのか?結局、どちらのひき方もできるようにして、会場で誰かに聞いてもらって確かめるしかないのですが…。
 特にヴィオラで「羊羹」的な演奏をすると、チェロの音色に似せようと「足掻いている」「無理をしている」ようにも聞こえてしまいます。一方でヴァイオリン特有の「弓の圧力と速度」は、実際に使っている楽器と弓とのお付き合いが長いので、客席への音の広がり方も想像ができます。
 好みが分かれます。「プリン」を「軽すぎる」「弱い」と感じる人もいます。「羊羹」を「息が詰まる」「潰れている」と感じる人もいます。
どちらおも「美味しい」のです。食感が違うのです。甘さの問題ではありません。さぁ困った(笑)
 最後までお読みいただき、ありがとうございました

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

演奏家と言う職業

 映像はデュオリサイタル3で演奏した、パデレフスキ作曲の「メロディー」
今回のテーマは演奏家が「職業」つまり演奏することで生計を立てることについて、過去現在と将来について考えるものです。

 まず「演奏家」と言う職種について考えます。
楽器を演奏し、その演奏を聴く人が対価としてお金を支払い、演奏家が演奏料=ギャランティを受け取ります。その際に聴衆が支払ったお金が、丸ごと演奏者のお財布に入ることは、ほとんどの場合ありません。「え?中抜き?」(笑)そんな悪い(黒い)お話ではありません。演奏に係る「経費」があるのです。経費の他に演奏者以外の団体が利益をえることも珍しくありません。音楽事務所と契約した演奏家が、事務所が企画し開催したコンサートで得た「利益」は主催者たる事務所の利益です。その中から演奏者へのギャランティーが「経費」になる場合です。さらに、演奏家自身が主催するコンサートでも会場を借りて、ピアノなどの楽器も借りてコンサートを開く場合には、使用料金をホールに支払わなければなりません。これが経費になります。

 舞台や映画、テレビなどで演技をする「俳優」と言う職業も、演奏家に近い形で生計を立てます。もちろん主役を演ずる人と「脇役」の一人の場合に支払われるギャランティーは、大きく違います。舞台でも映画でも、巨額の経費が掛かります。演奏会よりもはるかに高額です。映画の製作費が「●●億円」なのは珍しくありませんよね。クラシックコンサートの「製作費」は?おそらく高くても「●千万円」、通常は「●百万円」、地方の会場でこじんまりと…なら「●十万円」、すべての企画・宣伝を自分で行い自分で演奏したら「十●万円」かな(笑)それらのお金は、聴衆・観客から総額で、いくら入ってこようが、一円ももらえなくても(涙)支払う義務がとうぜんあります。「終わってから」で済まされるものではありません!←なぜか怒りがこみ上げた(笑)

 プロスポーツ選手の場合には、契約する団体からの給与や契約金、懸賞金、報奨金などで生活する人がほとんどです。自分で試合を企画する「個人」はまずいません。相手が必要ですから(笑)
 サラリーマンと近い形の「給与」で生活する演奏家やスポーツ選手が多い中で、「個人契約」できる一部の演奏家・スポーツ選手もいますがごく一部です。

 演奏家に関して考えると、その昔は「宮廷音楽家」として演奏するか、貴族や富豪の「お抱え楽士」として演奏し生活するしか手段がない時代がありました。
大衆がそれらの演奏を聴くことさえ出来ない時代が長くありました。
大衆は教会で音楽を聴く以外、自ら手近なもので「伴奏」をして歌い、踊るしかなく、それさえ「下劣だ」と制約を受けた時代がありました。
 それでは今後の演奏家は?どうあるべきなのでしょうか?

 音楽を「聴く」文化は、時代・地域によって大きく違います。
現代で考えれば「国民の経済的なゆとり」と「政治の仕組み」がもっとも大きく文化に関わります。国民の平均収入が極端に少ない国や地域で「クラシック音楽」どころではないのは当たり前です。また、頭の弱い政治家が戦争で地位と権力を守ろうとすれば国民が未ミスできるのは「音楽」ではなく「爆発音と悲鳴」だけです。そこには文化は存在できません。
 個人の演奏家がどんなに努力しても「先立つもの」がなければ、コンサートを開くことは出来ません。「事務所に所属すれば?」いいえ。事務所は利益を見込めない演奏家に仕事を与えません。「認めてもらえる実力をつければ?」それも非現実的です。今現在、国内だけで考えても「●●コンクールで優勝」した人が何百人もいます。大げさな数字ではありません。それらの人たちに加え、さらに毎年のように開かれる「●●コンクール」で優勝する人の中に、何人かの日本人が生まれますよね?その人の分、誰かが演奏家をやめるでしょうか?定年はありません。どんどん増える一方です。国内でもっとも有名な「日本音楽コンクール」で毎回!優勝者が誕生しています。開催の「間隔」は楽器によって多少違いますが、ピアノ・ヴァイオリンは毎年開催されています。みんな「優勝経験者」
 事務所にしてみれば、その中でも「お金になる人」と仕事をしたいのは当たり前です。ましてや「●●音楽大学を優秀な成績(笑)で卒業」なんて、なんの肩書にもなりません。言ってしまえば、音楽大学に行って卒業したら「プロの演奏家になれる」ともしも公然と言えば「詐欺」だと言えます。それが現実です。
 これから先、演奏家として生きていきたいのならば…
・お金持ちになる
・コンクールで優勝し続ける
・組織の一員になるために「コネ」を探す
・頭を使う
私なら最後の方法しか(笑)お勧めしません。
 ただ楽器を演奏できるだけで生活できる時代は終わりました。
その人の「能力」が問われる時代です。音楽の知識だけを必要とする「社会」ではないのです。
 聴いた人人が喜んでくれるから、お金を払ってくれる。
配信で音楽を聴くのは「無料」の現代。音楽配信に課金をするメリットはほぼ皆無です。配信では楽しめないことがなければ、演奏会にお金を払ってまで会場に来てくれる人に期待するのは無理です。
 「配信しなければ来てくれる?」それも無理です。配信はいわば「広告塔」です。さらに言えば公平に与えられた「宣伝空間」です。そこに登場することは今後「当たり前」のことでもあります。その中で個性があり、動画で感じられないものを感じたいと思わせる「魅力」が必要です。
 どんな商品でも「魅力」がなければ売れません。演奏家を商品に例えるのは「無礼だ」とお怒りになる方もいますが、俳優であれ演奏家であれ「魅力」がなければ生き残れないのは当然のことです。演奏家が「演奏がうまい」と思ってもらえる「環境」を考える頭が必要です。自分で考えることができない人は、生き残れません。誰かの力で生き残れる時代ではないのです。
 若い演奏家の皆さん。私も含め「老兵」の思いつかないアイデアで音楽の世界を広げてください。それこそが、クラシック音楽の生き残る最後の道です。
パソコンを使えない高齢指導者に習えるのは「音楽」と「人としての生き方」です。生活の仕方、生き残り方は若い人自身が考えてください。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

子供たちに平和と音楽を残したい

 NPO法人メリーオーケストラは「子供の健全な育成」と「音楽の普及」を目的として活動をしている団体です。
 子供と音楽と聴くと「音楽教室の話?」と思われそうですが、全く違います。
世界が平和でなければ、子供は生きていけません。
世界が平和であれば、音楽をいつくしむことができます。
子供が嫌いな人や、平和を求めない人がいたとしても、今、生きている大人は
「もとは子供」だったのです。平和だったから、今、生きていられるのです。

 音楽を戦争のために使った歴史がありました。「軍歌」です。
不幸な歴史です。日本に二度と軍歌が流れないことを祈っています。
動画で子供たちが純粋な気持ちで歌っている歌詞の中に
「世界中の 希望 乗せて この地球は まわってる」
未来を一番享受できるのは?子供です。大人の責任は、子供たちに未来を残すことです。身勝手な屁理屈を並べ、他国の人を悪く言う大人が、子供たちに明るい未来を残せるはずがありません。

 「子供のために戦うんだ!」というセリフは、綺麗に聞こえるかもしれませんが、共存する知恵を働かせることの方が大切です。
「助けあう」「支えあう」「認め合う」ことが音楽の基本です。
憎しみあい、否定しあう人が誰かと音楽を演奏しても、「軍歌」以外の音楽を演奏できるとは思いません。
子供たちに、笑顔で音楽を演奏できる環境を残すために、必要なのは
「核兵器」ではないはずです。助け合い、支えあい、認め合うことを「お花畑だ。きれいごとだ」と罵られても、私は構いません。それが出来なければ子供たちの未来がないと、私は信じています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

音楽家 野村謙介

演奏と身体の動き

上の動画、ユーディー・メニューインとヤッシャ・ハイフェッツの演奏です。
私たちが学生の頃、動画などなく、レコードと書籍でこの「神」たちの演奏を学びました。特に、メニューインの演奏方法について、日本語訳の本を何度も読み返しては「はぁぁ~」と心が折れた記憶があります。ヨガの呼吸法…鼻が詰まってできなかった。それはさておき、共通するのは身体の動きと、楽器の動き。
体幹が目で見えそうなくらいの「軸」があります。楽器と身体の「位置関係」が微動だにしません。どんなパッセージでも、それは変わりません。

 こちらは、ギドン・クレーメルのブラームス。一見すると、無駄に上下に動きすぎているように感じますが、よーく見ると、楽器と身体がまるで一つの「柔らかい塊」のように動きます。ちなみに、クレーメルが口を開けて弾いている姿、見慣れない人には「あご、外れた?」とか「鼻づまり?」とか。私は学生時代、師匠に「奥歯を噛んで弾いちゃダメ」と注意され「時々、口を開けたまま弾いてみなさい」と言われました。そのまんまクレーメル(笑)上半身に力を入れず、常に楽器と共に自然に動くことができるクレーメル。すごいです!

 そしてマキシム・ヴェンゲーロフのシベリウス。
自由気ままに動いている?いーえ。彼の動きには、彼の「音楽へのこだわり」がそのまま表れている気がします。頭の角度が極端に変わるのは、ヴェンゲーロフが意図的にそうしているのか、それとも無意識なのか、私たちにはわかりません。

 極めつけ、アンネ・ゾフィー・ムターのメンデルスゾーン。
どこから見ても「肩当て」が見当たらない。
しかも、肩は「素肌」の状態。男性なら上着の鎖骨部分に、「ウレタン」を入れて高さを出せますが、女性のこのドレスで、どうやって?楽器を保持できるのか。謎なんです。身体が動いても、どんなに左手のポジションが動いても、ヴァイオリンが「浮いている」としか思えないのですが。

 まとめますが、演奏中に身体が「動く」ことを良しとしないヴァイオリニストもいます。逆に動いても良いと言う人もいます。ただ、演奏は「音」が本質なのであって、表情は本来音楽とは無関係です。その表情に魅力を感じる人もいらっしゃいます。下の動画、好きな人!ちなみに音はありませんので。

 いわゆる「ビジュアル系ヴァイオリニスト」さまです。なぜ?そこに目線?なぜ?口が半開き?なぜ?腰をくねらせる?なぜ?首を振る?
ま。好きな男性に聴かないとわかりません。


 音楽と身体は「一体」のものです。分離はできません。
演奏するために必要な動きは止める必要なないと思います。
有害な動きはとめるべきです。
多くのアマチュアヴァイオリニストが「恥ずかしいから動かない」のですが、
自然に体を動かすことは、必要な練習です。ダンスにさえ、ならなければ。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

柔らかで温かい音で弾く

 以前、ヴィブラートについてのブログを書きました。
弦楽器奏者にとって、音色は言うまでもなく正解のない問題を解こうとするのに似ています。アマチュアヴァイオリニストにとってのヴィブラートは「憧れの奏法」だと思います。実際にYoutubeでバイオリンのビブラートと検索するだけで、そりゃまぁ驚くほどの動画があります。すべてを見るのは不可能です。動画をアップしている方々の「好み」や自らの経験で、アドヴァイス動画としていることはよくわかります。
 ただ、それらの方の実際の演奏がほとんどないのが残念でした。
ちょろっと(笑)弾いている方は多いのですが、自身の演奏を紹介しないのが不思議。当然のことですが、自分の演奏技術に自信満々!なヴァイオリニストなんでいないので、「練習方法や理論」と「実演」が一致しなくても仕方ないのかな?
 どんなに料理のレシピをたくさん作った人でも、その人の作った料理を食べたことのある人はほとんどいないのが現実ですが、音楽の場合は演奏を公開することで実際に近いヴィブラートを説明することは必要だと思います。

 音色を形容する言葉の中で「柔らかい」と「暖かい」という二つが私にとってとても大切なキーワードです。ほかにも「明るい」「力強い」「透明感のある」「など、その曲や弾く場所によって必要になる音色もあります。
 ヴィブラートを運動として練習するよりも、音楽の一部として考えるべきだと思っています。もっと言えば、ヴィブラートを何のために使うのかを考えなければ、単なるピッチの連続的な変化=波でしかないのです。
 聴いていて感じるものは、人によって違います。ヴァイオリン演奏にはヴィブラートが「当たり前」に思われていますが、必ずしもそうとは限らないと思います。それは声楽の世界でも言えることだと感じます。素直に心にしみる声
が好きです。


Andreas Schollの歌うシューベルトのアヴェマリア。
ヴィブラートがどうのうこうの…ではないしみわたる音楽を私は感じます。
声楽と弦楽器は、音のできる仕組みも違います。共通点も多いと思います。
好みの問題ですが、ヒステリックなヴィブラートが私は好きではありません。
柔らかく暖かく。
演奏することは「歌う事」だと信じています。
何かを伝える歌
何かを表現する歌
歌詞がなくても歌です。人間の声が持つ安らぎは、本能的なものです。
楽器で音を出すこと=演奏が歌に聞こえるように心がけることも、必要だと思います。楽器にしかできない演奏もありますが、音楽の本質は聴く人を幸せに感じさせる「音」であると考えます。
 こんな時代だからこそ、人の心に安らぎを感じさせる音楽が必要だと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

趣味の演奏とモチベーション

 多くのアマチュア演奏家と接してきました。
1対1のレッスンだったり、アマチュアオーケストラメンバーを指導する場面だったり。自分自身が演奏技術を高めることの難しさを、演奏家になるための道を歩いてきた身として、その時々で音楽の楽しさを伝えてきたつもりです。
 そのアマチュア演奏家の中から、私と同じ演奏家への道を歩んだ人もいますが、全体で考えれば、100人に一人いるか?いないかの、ごく少人数です。
私とかかわった、多くの人が音楽を続けているのかどうかさえ、私にはわからないのが現実です。
 初めてヴァイオリンを手にする人に、専門家を目指しましょうと言うのは無茶な話です。私は「演奏を楽しむ人」を増やすことがライフワークだと思って活動しています。プロを育てることを目的にしていません。音楽大学でレッスンをする先生方は、ある程度の演奏技術を身に着けた学生に対し、さらに高いレベルに引き上げる役目を果たされています。

 初心者としてヴァイオリンを練習し、その後長くヴァイオリン演奏を趣味としていく人の「共通点」を考えることで、途中でやめてしなう人の原因を探ることになると思います。
 以前にも書きましたが、弦楽器はピアノと違い、基本的に単旋律を演奏する楽器であり、多くの場合にヴァイオリンの演奏だけで曲が完成しません。ピアノやそのほかの楽器の音と交わりあって、初めてひとつの音楽になるのが普通です。
 ひとりでヴァイオリンを練習する初心者にとって、メロティーだけを演奏することが、簡単に思えたり、とても難しく思えたりします。
 例えて言えば、カラオケで歌うことが好きな方は、おそらく「カラオケ」つまり伴奏の音楽と一緒に歌うことが好きなのだと思います。ひとりで黙々と歌の練習をする「カラオケ好き」もおられるとは思いますが、いわゆるア・カペラ=無伴奏で歌うより、カラオケの音楽と一緒に歌いたいのではないでしょうか?
 ヴァイオリンの練習は、カラオケ抜きで歌の練習だけをする時間がほとんどです。
 違う例えで言えば、演劇や映画で一人分の台本だけを読んで練習するのが、ヴァイオリンの練習に似ています。もちろん、台本には自分以外のセリフも書いてあります。音楽の場合、「スコア」にはすべての音楽が書かれています。
 台本なら、他人のセリフも読めるでしょうが、スコアを見てピアノの楽譜を音に出来る人は少ないのではありませんか?
 どんなに頑張っても、一人分の音楽だけを演奏する「ヴァイオリン」と、一人で音楽を完成できる「ピアノ」の違い。
 誰かと一緒にヴァイオリンを演奏する楽しさを知ることがなければ、ヴァイオリン演奏の楽しさを感じられなくて当たり前です。

 次に共通することを考えると「家族の理解と励まし」があることが、長く音楽を続けられる要因になっています。例外もありますが。
 子供の場合には、親のかかわり方が最も大きな要因です。
子供と一緒に、音楽に向き合える家庭の子供は大人になるまで演奏を続けています。
 大人の場合には、家族からの励ましと練習への理解の有無が大きくかかわってきます。もちろん子供と違い、自分の意志で続けられるものですが、技術の向上に行き詰った時に、応援してくれる家族がいることは大切です。
 友人でも良いのです。自分の演奏を聴いてくれる人がいることが、何よりも大きなモチベーションになります。

 この映像は今から11年前の映像です。演奏している小学校3年生の男の子、
幼稚園から私がヴァイオリンを教え始め、毎週お母さんと通ってきてくれました。この少年がその後、どんな成長を遂げていくか、ご存じの方もおられるのですが、機会があれば本人と対談したいと思っています。乞う、ご期待(笑)
 次に共通するのは「作業容認性」つまり、レッスンで言われたことに素直に応える「受容性」です。これは教える側との信頼関係でもあります。
信頼関係は生徒と弟子の両者が、共に信じあえなければ成立しません。
 レッスンで言われたことを、出来るまで疑いを持たずに頑張れる性格であることが必要です。「自分(自分の子供)には、できない」と思ってしまえば、その時点で上達は止まります。上達が止まればモチベーションも切れます。
指導者が無理難題を押し付けたとすれば、指導者の責任です。
多くの場合、指導する人は自分が出来たことを基準に、生徒にも「できるはず」と思い込みます。必ずしもそうとは限りません。それを理解して、生徒に乗り越えられる壁を与えられる指導者が必要です。
 指導者の願いは、自分を超える音楽家を育てることの「はず」です。
自分が出来ないことを、生徒が出来るようになった時に、心から喜べる指導者であるべきです。必要であれば、自分の教えられない技術を、他の指導者に習わせることが出来る指導者と、囲い込んで他の指導者に見させない「心の狭い」指導者がいるのも現実のようですが。

 最後に「音楽へのこだわり」がある人が長くアマチュア演奏家として、音楽を楽しんでいます。
 好きな音楽がない人が、演奏を楽しむことはあり得ません。
美味しいものを食べることに興味のない人が、美味しい料理を作れないのと同じです。
人間は嫌いになるのは一瞬です。好きになるのには、多くの場合時間がかかります。本当に好きなものに出会えるために、必要な時間はとても長いのです。
それまで興味のなかったことに、ある時突然、関心が沸いた経験は大人ならあるはずです。ただ、それが長く続いて本当に好きになるかどうか、その時点ではわかりません。
 カラオケ好きは、ずっとカラオケが好きです。
きっとそれば「楽しい」と知っているからです。
ヴァイオリンは楽しさを知るまで、時間がかかります。
ぜひ、長い目で音楽を楽しんでください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

演奏技術の違い

 誰もが思う事。もっとうまく弾きたい!
自分よりじょうずな人の演奏は、憧れや目標であると同時に
自分がうまくないことを思い知らされる気持ちにもなります。
じょうず、へた。おおざっぱな表現なので、「演奏技術の違い」という言葉で考えてみます。

 上の動画は、ヤッシャ・ハイフェッツという20世紀を代表するヴァイオリニストの演奏動画です。1901年に生まれ、1987年に亡くなるまで、まさに「演奏技術の最高峰」であり、神のようにあがめられたと言っても過言ではない演奏家でした。
 ヴァイオリンの演奏技術が「高い」と言われるのは、どんなことが出来ることを指すのか?
様々な見方があります。代表的なものをいくつか挙げてみます。
・速く弾いても音の高さをはずさない。
・音量が豊か。
・短い音にもビブラートをかけられる。
・弓を自由にコントロールできる。
などなど、言い方はいくらでもありますが共通していることは
「出来なくなりそうなことを、簡単そうに演奏できる」
という事になります。速さにしても、音量にしても、発音の正確さにしても
ある程度の「遅さ」なら出来ると思えることでも、その限界を超えた速さや音量、正確さを可能にしている事を「演奏技術が高い」と言って差し支えないと思います。

 演奏技術が普通」ってあるのでしょうか?
つまり、誰かと演奏技術を比較するから「違い」があるわけです。
自分しかヴァイオリンを弾ける人はいない!
と思えば、世界で一番じょうずなのは?そうです。私なのです!
いやいや(笑)そんな思い込み、ありえないと言うなかれ。
世界的なスポーツのアスリートの多くが、試合の直前に「自分は世界一だ」と自己暗示をかけて本番に臨むそうです。
私自身、人の前で演奏する場に立つときは、自分の演奏技術を信じます。
たとえ、途中で失敗したとしても、今この瞬間にこの場所でヴァイオリンを弾いているのは自分だけなのだから、自分が世界で唯一のヴァイオリニストなのです。本番中に、ダメ出しをする人は、いないものですよ(笑)

 練習している時は、そうはいきません。落ち込みます。
自分の演奏技術が低すぎることに、嫌気がさすことが毎日続きます。
生徒さんから「先生でも?」と言われます。生徒さんが思うのと同じことを、恐らくヴァイオリニストは全員?思っているのではないでしょうか。
 自分より正確に、かつ美しく演奏できる人が必ずいるのではないでしょうか?
それは、自分の顔より美しい顔の人がいると思うのと同じです。なぜなら、自分の顔を自分で見られないように、自分の演奏を客席で自分が聴くことは出来ないのですから。
 と。自分を慰めてみたりしましたが。
どうすれば演奏技術は高くなるのでしょうか?どこかにその秘密はないのでしょうか?

 この動画は4歳の生徒さんが初めて人前で演奏したときのものです。
習い始めて約半年。まだ楽器と弓をきちんと持つことは難しい段階ですが、それでも一生懸命演奏しています。
 もしも大人の方が「これは、子供だから」と感じられたなら、むしろ考えを
「自分がこの4歳の子供と何が違うのか?」と考えてみてもらえればと思います。なにも知らないのが当たり前です。そして、出来ることも少ないのが子供です。先生の言っていることを理解できる言葉も少ない中で、わかったこと「だけ」をやろうとしている姿。
 私も含めて、大人になるとつまらない「プライド」を無意識に持っています。
出来ないことがあると、出来る人をわざわざ探して「自分が劣っている」と自虐します。出来なくて当たり前なのです。
 演奏技術を高めたければ、自分の出来ることを一つずつ増やすだけです。
自分のできないことを知ることです。コンプレックスを持たずに、時間をかけて、探しては出来る方法を考えて、出来るまで練習する。その繰り返しだけが唯一の方法です。
 61歳の私が今から身に着けられる演奏技術が、どれだけあるのか?誰にもわかりませんが、一つでもできれば「儲けもの」です。
70代の生徒さんが楽しみながら楽器を練習しています。
趣味に年齢制限はありません。期限もありません。テストもありません。
毎日、楽器を弾けなくても、弾いた時間だけ上達していると思うことも大切です。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

ピアノとヴァイオリン

 ヴァイオリンを初めて演奏する生徒さんの中で、それまでにピアノを練習した経験がある人と、そうでない人の違いについて考えます。
 一般的に、ピアノを習ったことのある人の割合は、ヴァイオリンに比べ恐らく10倍以上多いと感じます。もちろん、地域や時代によって変動しますが、ピアノは「習い事」の中でもポピュラーです。

 ヴァイオリンを演奏したいと思う人の中で、ピアノやその他の楽器を習ったことのある人と、初めての楽器がヴァイオリン…と言う人の割合は、意外かもしれませんが、6:4か、7:3程度です。つまり、半数近い生徒さんが「初めての楽器がヴァイオリン」です。年齢別に考えても大差ありません。
 ヴァイオリンは、どういうわけか?憧れの楽器=弾いてみたい楽器のトップ5?には入るようです。むしろ、ギターやフルートは個人で買って楽しんだり、中学校や高校の吹奏楽部で楽しめたりすることが大きな要因だと思います。

 そのヴァイオリンを練習する時、ピアノを弾ける人が優位なことがあるとすれば、楽譜を音にする経験があり、楽譜だけを見るとヴァイオリンの楽譜がとても「簡単」だという事です。ただ、楽譜を音楽に出来るか?という技術は、身に着けていなくてもピアノは弾けますので、弾けることと、楽譜を音に出来ることはイコールではありません。厳密に言えば、楽譜を読んでピアノを弾くことを習った人の場合の話になります。
 一方で、初めての楽器がヴァイオリンという方の場合、楽譜を音にするための技術も、持っていない場合がほとんどです。学校の授業でリコーダーを吹いたり、合唱をした時でも楽譜を音にしていた人は、ほぼ「ゼロ」です。

 ピアノを楽譜を見て上手に弾ける人なら、ヴァイオリンがすぐに弾けるようになるか?というと、答えは残念ながら「NO!」です。なぜなら、楽譜が読めたり、音の名前がわかって音の高さがわかっても、自分の出したい音の高さを、どうやったら弾けるのか?言い換えると、ヴァイオリンはどうすれば?どんな音が出せるのか?が、ピアノと比較してはるかに「わかりにくい」からです。
 さらに、ピアノは調律さえできていれば、「変な高さの音は出ない」構造です。ヴァイオリンは、開放弦を正確にチューニングしてあっても、その他の高さの音は、すべて自分の「耳=音感」で探して演奏する楽器です。むしろ、ピアノを習った経験のある人の方が、自分の出すヴァイオリンの音の高さが「気持ち悪い」と苦笑されます。
 もう一つの大きな違いが、両手の役割の違い=運動の分離が難しいことです。

 多くのそうした生徒さんが落ちる落とし穴があります。
左手で押さえる場所が違う=音の高さが違うと感じて、直そうとすると無意識に、右手の動きが止まることです。止まるまでいかなくても、非常に動きにくくなります。無理もないことです。私たちは両手を同時に使って、違う作業をすることが少ないのです。あったとしても、どちらかの手が「主役」で、もう一方の手は「補助的な役割」をする程度です。
 包丁を使っている時の、もう一方の手は「補助」ですよね?
両手でナイフとフォークを使って料理を食べている時でも、おそらくどちらかの手しか動いていないのではないでしょうか?
 音楽家同士の遊びの中に、こんなものがあります。試してみてください。

 右手で4拍子の指揮をしながら、左手で3拍子の指揮をする。
もちろん、同じ拍の長さ=テンポは同じで、同時に1拍目から指揮をスタートします。やりやすい、4拍子の図形で構いません。3拍子は単純に三角形の図形で構いません。
 せーの!
初めての人は恐らく2泊目で止まりますよね?笑
右手で4拍子の指揮を「1・2・3・4・1・2・3・4…」と繰り返すだけならできますよね?
左手で3拍子の指揮を「1・2・3・1・2・3…」と繰り返すのも、単独なら簡単ですよね?
はい。それを同時にスタートします!
仮に4拍子を口で言い続けて「1・2・3・4・1・2・3・4…」と言いながら、両手で4拍子と3拍子を同時に振ると、4拍子を3回繰り返して4巡目に入る瞬間の「1」の時に、左手の3拍子も「1」になるのです。
……………………??????
 3と4の「最小公倍数」は12です。つまり、4拍子を3回繰り返すと12泊、振ることになります。その時に3拍子は「4巡目の1拍目」になります=3拍子を4回繰り返すと12泊振ることになるからです。

 これ、電車やバスの中で、やらないでください。ついムキになってしまうので、周りの人が離れていくか、通報される危険性があります。自宅で鏡に向かって楽しんでください。

 さて、ヴァイオリンはこの「左手と右手の分離」に近いことをしながら、演奏することになります。ただ、私からすると、ピアニストが両手で同時に違う音を弾けることのほうが難しく感じています。
 右手と左手の分離と同期は、一朝一夕にできません。少なくとも、頭でどちらかの手に集中すると、もう一方の手は無意識になることが、上記の指揮の遊びで実感できると思います。
 あ。じゃんけんを両手でやるのも、むずかしいですよ。常に右手が勝つことと、常に違う形=グーかチョキかパーを変え続けて、何回?続けられますか?
 それはさておき、左手の押さえる場所=音の高さを修正する時に、意識的に(無理やりにでも)右手で全弓を使って大きくて良い音で弾き「ながら」音の高さを修正する「習慣」をつけることをお勧めします。
 もしくは、左手の練習をするときには、ピチカートで練習するのもひとつの方法です。
 右手の練習をしてから、左手の練習をする「順序」を決めることもお勧めします。なぜなら「音が出なければ、正しい音の高さにならない」からです。
 常に、右手に意識を集中し、音の高さは「耳で確かめる」ことも大切です。

 ピアノとヴァイオリンの構造の違いを理解した上で、練習法帆を考えると上達の近道になるだけでなく、ストレスの軽減につながります。
 あきらめずに!あせらずに!練習してください。
ピアノのように、どんどん弾けるようになる「上達した実感」はヴァイオリンではなかなか感じられません。ただ、練習しているうちに、無意識に出来るようになっていることに、「ふと」気付くものです。その日は必ずやってきます

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

楽譜の進む速さ

 上の映像は、ボロディン作曲のオペラ「イーゴリ公」の中の一曲「ダッタン人の踊り」から。8分の6拍子。プレスト。譜面には付点四分音符=100(一分間に100回)つまり、1小節1秒ちょっとの速さと書かれていますが、映像の冒頭部分プロオーケストラの演奏はそれより、ずっと速いテンポです。
 画像はファーストヴァイオリンのパート譜。音を聴きながら楽譜を見て、どこを弾いているか見つけられれば、あなたはかなりの上級者です。普通は絶対に見つけられません。それが普通です。はやっ!!!

 その後、メトロノームとパソコンの音で少しゆっくりした演奏と同じ楽譜。
いかがでしょうか?どこを弾いているか?お判りでしょうか?
この楽譜はファーストヴァイオリンのパート譜です。
オーケストラでは、ピッコロ・フルート・オーボエ・コールアングレ・クラリネット・ファゴットの木管楽器。ホルン・トランペット・トロンボーン・チューバの金管楽器。さらにハープ。ティンパニ・バスドラム・シンバル・タンバリンなどの打楽器。ファーストヴァイオリン・セカンドヴァイオリン・ヴィオラ・チェロ・コントラバスの弦楽器。これらの楽器が同時に演奏することもあれば、どれかひとつだけの場合もあります。
 自分が演奏するだけの楽譜が「パート譜」です。すべての楽器の楽譜を縦に積み重ねて書いてあるのが「スコア」です。指揮者はスコアを見ながら指揮をします。スコアは時によって、1ページに数小節しか書けないこともあります。どんどん次に進む…。大変です。

 動画最後に、もっとゆっくりの演奏になります。
1分間に付点四分音符60回。1小節2秒の速さです。それでも追いかけるのは大変ですよね。ましてや、これを演奏するのですから…。
速い曲を練習するために、楽譜を読むトレーニングが必要です。
CDなどの演奏を聴きながら、楽譜を見る練習をすれば、次第に慣れていきます。それでも速くて追いつけない時は、ゆっくり聞きながら読むことをお勧めします。

 本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

 

楽譜・曲・演奏

上の動画は、J.S.バッハ作曲 無伴奏ヴァイオリンソナタ第1番よりアダージョの冒頭部分だけを、Youtubeで拾い集めてつなぎ合わせたものです。どれがどなたの演奏かは気にしないでください(笑)
 この楽譜をバッハが手書きで書いたものから、現代のパソコンで作られたものもすべて「楽譜」と呼ばれます。
 その楽譜を演奏者が音にすることが出来るのは、当時から楽譜の約束が現代まで変わっていない=伝承されているからです。考えたらすごいことですよね。

 さて、楽譜を音にすることが出来るから昔の作曲家の書いた曲を、今演奏できるわけですが、同じ楽譜でも演奏する人の個性があります。楽譜に書いてあることの中で、最低限守らなければいけないことがあるとすれば、音符の高さと長さ、休符の長さの2種類になると思います。もちろん、強弱記号、発想記号も大切な要素です。音楽として「最低限」変えてはいけないものがあるとしたら、この2種類になると思っています。
 現実に、動画の中の演奏を聴いていると、全く同じテンポ=速さで弾いている演奏はありませんし、音符の長さも様々です。強弱に至っては本当に人それぞれです。録音されたものですから、音色や音量が違って当たり前です。それを差し引いて聞いても、演奏者の個性が感じられると思います。

 作曲者本人が自分で演奏する場合もあります。その場合、その都度違った演奏をすることもよく見受けられます。ポップスでも「あるある」な話です。
 楽譜に書いてあることは、作曲者の表現したい音楽です。ただ、それを世に出し様々な人が演奏できることになった場合、作曲者の「思い」は演奏者の解釈に委ねられます。簡単に言えば、演奏者の感性で楽譜を音にすることになります。
 演劇や映画などでも同じようなことがあります。台本、脚本があり演者がそれを表現する時、演者によって作品は大きく変わるものです。

 演奏者が楽譜を音に出来ないケースは多々あります。
それを「能力が低い」とか「努力が足りない」と切り捨てるのは簡単ですが、演奏の能力と楽譜を音にできる能力は、全く違う能力です。美空ひばりさん、小椋佳さんは楽譜を音に出来なかったそうです。それでも素晴らしい演奏者だと思います。

 曲を作る人の感性と演奏する人の感性。さらに聴く人の感性。
すべてが違うのが自然です。だからこそ、演奏する人間は、自分の感性を大切にするべきです。誰かの演奏を「まる」っと真似をするのではなく、自分の頭で考え感じた音楽を表現するための努力が必要です。
 作曲者の書いた楽譜、曲を自分なら、どう?演奏するかを考えることは、作曲した人への敬意につながると思います。
 とは言え、自分の演奏技術の中で出来ることに「限界」を先に感じてしまう人も多いのが現実です。プロの演奏を色々聴き比べたり、Youtubeでアマチュアの演奏を聴いてみても自分の「できそうなこと」がわからないのは、ごく当たり前のことです。なぜなら「出来ることとできないことの違いが判らない」のですから。上手に弾いている人の演奏を聴くと、何が?どう?自分と違うのかが言語化できないのは、知識として演奏に必要な技術をまだ知らないので仕方のないことです。
 例えていうなら、家を建てるために必要な知識と技術を知らない私たちにとって、なにから始めれば家が建つのか?わからなくて当たり前なのと似ています。
 おいしいと思う料理のレシピを知らなければ、同じ味を出すことは不可能です。さらに、レシピがわかっても失敗の経験を重ねなければ、その味を再現することは無理でしょう。音楽も同じだと思います。いくら練習方法「だけ」を知っていても、実際に失敗を重ねながら根気よく練習しなければ、目指す演奏に近づくことはできません。
 楽譜を料理の「素材」あるいは「レシピ」に例えるなら、演奏する人は料理人です。素材とレシピを基に自分で試行錯誤しながら、自分の美味しいと思う料理が出来るまで失敗を重ねて初めて、理想の味にたどり着けるのではないでしょうか。
 レトルト食品のように、簡単にプロの味を再現できる「音楽」は、録音された音楽を聴くことです。自分で料理する楽しさが、演奏する楽しさです。
 人によって好みの味が違うように、音楽にも好みがあります。
他人が美味しいと言っても自分の舌には合わないこともあります。
自分の好きな演奏を出来るのは、演奏するうえで最大の楽しみのはずです。
インスタントに出来るものではありません。だからこそ、失敗にくじけない「根気」が不可欠です。最初から諦めるなら、レトルト食品で満足する=他人の演奏を聴くことに徹するしかありません。

 個性は決して突飛なことをする事でもなく、人と違うことをする事でもありません。自分の好きな音楽を模索し続け、自分が楽しめる演奏をする事こそが個性だと思います。まずは、他人のレシピで色々試し、自分に足りない技術を探し、出来るように練習し、また違うレシピを試す…その繰り返しが、個性的な演奏に繋がり、延いては自分の演奏技術を高めることになると信じています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。