趣味の演奏とモチベーション

 多くのアマチュア演奏家と接してきました。
1対1のレッスンだったり、アマチュアオーケストラメンバーを指導する場面だったり。自分自身が演奏技術を高めることの難しさを、演奏家になるための道を歩いてきた身として、その時々で音楽の楽しさを伝えてきたつもりです。
 そのアマチュア演奏家の中から、私と同じ演奏家への道を歩んだ人もいますが、全体で考えれば、100人に一人いるか?いないかの、ごく少人数です。
私とかかわった、多くの人が音楽を続けているのかどうかさえ、私にはわからないのが現実です。
 初めてヴァイオリンを手にする人に、専門家を目指しましょうと言うのは無茶な話です。私は「演奏を楽しむ人」を増やすことがライフワークだと思って活動しています。プロを育てることを目的にしていません。音楽大学でレッスンをする先生方は、ある程度の演奏技術を身に着けた学生に対し、さらに高いレベルに引き上げる役目を果たされています。

 初心者としてヴァイオリンを練習し、その後長くヴァイオリン演奏を趣味としていく人の「共通点」を考えることで、途中でやめてしなう人の原因を探ることになると思います。
 以前にも書きましたが、弦楽器はピアノと違い、基本的に単旋律を演奏する楽器であり、多くの場合にヴァイオリンの演奏だけで曲が完成しません。ピアノやそのほかの楽器の音と交わりあって、初めてひとつの音楽になるのが普通です。
 ひとりでヴァイオリンを練習する初心者にとって、メロティーだけを演奏することが、簡単に思えたり、とても難しく思えたりします。
 例えて言えば、カラオケで歌うことが好きな方は、おそらく「カラオケ」つまり伴奏の音楽と一緒に歌うことが好きなのだと思います。ひとりで黙々と歌の練習をする「カラオケ好き」もおられるとは思いますが、いわゆるア・カペラ=無伴奏で歌うより、カラオケの音楽と一緒に歌いたいのではないでしょうか?
 ヴァイオリンの練習は、カラオケ抜きで歌の練習だけをする時間がほとんどです。
 違う例えで言えば、演劇や映画で一人分の台本だけを読んで練習するのが、ヴァイオリンの練習に似ています。もちろん、台本には自分以外のセリフも書いてあります。音楽の場合、「スコア」にはすべての音楽が書かれています。
 台本なら、他人のセリフも読めるでしょうが、スコアを見てピアノの楽譜を音に出来る人は少ないのではありませんか?
 どんなに頑張っても、一人分の音楽だけを演奏する「ヴァイオリン」と、一人で音楽を完成できる「ピアノ」の違い。
 誰かと一緒にヴァイオリンを演奏する楽しさを知ることがなければ、ヴァイオリン演奏の楽しさを感じられなくて当たり前です。

 次に共通することを考えると「家族の理解と励まし」があることが、長く音楽を続けられる要因になっています。例外もありますが。
 子供の場合には、親のかかわり方が最も大きな要因です。
子供と一緒に、音楽に向き合える家庭の子供は大人になるまで演奏を続けています。
 大人の場合には、家族からの励ましと練習への理解の有無が大きくかかわってきます。もちろん子供と違い、自分の意志で続けられるものですが、技術の向上に行き詰った時に、応援してくれる家族がいることは大切です。
 友人でも良いのです。自分の演奏を聴いてくれる人がいることが、何よりも大きなモチベーションになります。

 この映像は今から11年前の映像です。演奏している小学校3年生の男の子、
幼稚園から私がヴァイオリンを教え始め、毎週お母さんと通ってきてくれました。この少年がその後、どんな成長を遂げていくか、ご存じの方もおられるのですが、機会があれば本人と対談したいと思っています。乞う、ご期待(笑)
 次に共通するのは「作業容認性」つまり、レッスンで言われたことに素直に応える「受容性」です。これは教える側との信頼関係でもあります。
信頼関係は生徒と弟子の両者が、共に信じあえなければ成立しません。
 レッスンで言われたことを、出来るまで疑いを持たずに頑張れる性格であることが必要です。「自分(自分の子供)には、できない」と思ってしまえば、その時点で上達は止まります。上達が止まればモチベーションも切れます。
指導者が無理難題を押し付けたとすれば、指導者の責任です。
多くの場合、指導する人は自分が出来たことを基準に、生徒にも「できるはず」と思い込みます。必ずしもそうとは限りません。それを理解して、生徒に乗り越えられる壁を与えられる指導者が必要です。
 指導者の願いは、自分を超える音楽家を育てることの「はず」です。
自分が出来ないことを、生徒が出来るようになった時に、心から喜べる指導者であるべきです。必要であれば、自分の教えられない技術を、他の指導者に習わせることが出来る指導者と、囲い込んで他の指導者に見させない「心の狭い」指導者がいるのも現実のようですが。

 最後に「音楽へのこだわり」がある人が長くアマチュア演奏家として、音楽を楽しんでいます。
 好きな音楽がない人が、演奏を楽しむことはあり得ません。
美味しいものを食べることに興味のない人が、美味しい料理を作れないのと同じです。
人間は嫌いになるのは一瞬です。好きになるのには、多くの場合時間がかかります。本当に好きなものに出会えるために、必要な時間はとても長いのです。
それまで興味のなかったことに、ある時突然、関心が沸いた経験は大人ならあるはずです。ただ、それが長く続いて本当に好きになるかどうか、その時点ではわかりません。
 カラオケ好きは、ずっとカラオケが好きです。
きっとそれば「楽しい」と知っているからです。
ヴァイオリンは楽しさを知るまで、時間がかかります。
ぜひ、長い目で音楽を楽しんでください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

演奏技術の違い

 誰もが思う事。もっとうまく弾きたい!
自分よりじょうずな人の演奏は、憧れや目標であると同時に
自分がうまくないことを思い知らされる気持ちにもなります。
じょうず、へた。おおざっぱな表現なので、「演奏技術の違い」という言葉で考えてみます。

 上の動画は、ヤッシャ・ハイフェッツという20世紀を代表するヴァイオリニストの演奏動画です。1901年に生まれ、1987年に亡くなるまで、まさに「演奏技術の最高峰」であり、神のようにあがめられたと言っても過言ではない演奏家でした。
 ヴァイオリンの演奏技術が「高い」と言われるのは、どんなことが出来ることを指すのか?
様々な見方があります。代表的なものをいくつか挙げてみます。
・速く弾いても音の高さをはずさない。
・音量が豊か。
・短い音にもビブラートをかけられる。
・弓を自由にコントロールできる。
などなど、言い方はいくらでもありますが共通していることは
「出来なくなりそうなことを、簡単そうに演奏できる」
という事になります。速さにしても、音量にしても、発音の正確さにしても
ある程度の「遅さ」なら出来ると思えることでも、その限界を超えた速さや音量、正確さを可能にしている事を「演奏技術が高い」と言って差し支えないと思います。

 演奏技術が普通」ってあるのでしょうか?
つまり、誰かと演奏技術を比較するから「違い」があるわけです。
自分しかヴァイオリンを弾ける人はいない!
と思えば、世界で一番じょうずなのは?そうです。私なのです!
いやいや(笑)そんな思い込み、ありえないと言うなかれ。
世界的なスポーツのアスリートの多くが、試合の直前に「自分は世界一だ」と自己暗示をかけて本番に臨むそうです。
私自身、人の前で演奏する場に立つときは、自分の演奏技術を信じます。
たとえ、途中で失敗したとしても、今この瞬間にこの場所でヴァイオリンを弾いているのは自分だけなのだから、自分が世界で唯一のヴァイオリニストなのです。本番中に、ダメ出しをする人は、いないものですよ(笑)

 練習している時は、そうはいきません。落ち込みます。
自分の演奏技術が低すぎることに、嫌気がさすことが毎日続きます。
生徒さんから「先生でも?」と言われます。生徒さんが思うのと同じことを、恐らくヴァイオリニストは全員?思っているのではないでしょうか。
 自分より正確に、かつ美しく演奏できる人が必ずいるのではないでしょうか?
それは、自分の顔より美しい顔の人がいると思うのと同じです。なぜなら、自分の顔を自分で見られないように、自分の演奏を客席で自分が聴くことは出来ないのですから。
 と。自分を慰めてみたりしましたが。
どうすれば演奏技術は高くなるのでしょうか?どこかにその秘密はないのでしょうか?

 この動画は4歳の生徒さんが初めて人前で演奏したときのものです。
習い始めて約半年。まだ楽器と弓をきちんと持つことは難しい段階ですが、それでも一生懸命演奏しています。
 もしも大人の方が「これは、子供だから」と感じられたなら、むしろ考えを
「自分がこの4歳の子供と何が違うのか?」と考えてみてもらえればと思います。なにも知らないのが当たり前です。そして、出来ることも少ないのが子供です。先生の言っていることを理解できる言葉も少ない中で、わかったこと「だけ」をやろうとしている姿。
 私も含めて、大人になるとつまらない「プライド」を無意識に持っています。
出来ないことがあると、出来る人をわざわざ探して「自分が劣っている」と自虐します。出来なくて当たり前なのです。
 演奏技術を高めたければ、自分の出来ることを一つずつ増やすだけです。
自分のできないことを知ることです。コンプレックスを持たずに、時間をかけて、探しては出来る方法を考えて、出来るまで練習する。その繰り返しだけが唯一の方法です。
 61歳の私が今から身に着けられる演奏技術が、どれだけあるのか?誰にもわかりませんが、一つでもできれば「儲けもの」です。
70代の生徒さんが楽しみながら楽器を練習しています。
趣味に年齢制限はありません。期限もありません。テストもありません。
毎日、楽器を弾けなくても、弾いた時間だけ上達していると思うことも大切です。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

ピアノとヴァイオリン

 ヴァイオリンを初めて演奏する生徒さんの中で、それまでにピアノを練習した経験がある人と、そうでない人の違いについて考えます。
 一般的に、ピアノを習ったことのある人の割合は、ヴァイオリンに比べ恐らく10倍以上多いと感じます。もちろん、地域や時代によって変動しますが、ピアノは「習い事」の中でもポピュラーです。

 ヴァイオリンを演奏したいと思う人の中で、ピアノやその他の楽器を習ったことのある人と、初めての楽器がヴァイオリン…と言う人の割合は、意外かもしれませんが、6:4か、7:3程度です。つまり、半数近い生徒さんが「初めての楽器がヴァイオリン」です。年齢別に考えても大差ありません。
 ヴァイオリンは、どういうわけか?憧れの楽器=弾いてみたい楽器のトップ5?には入るようです。むしろ、ギターやフルートは個人で買って楽しんだり、中学校や高校の吹奏楽部で楽しめたりすることが大きな要因だと思います。

 そのヴァイオリンを練習する時、ピアノを弾ける人が優位なことがあるとすれば、楽譜を音にする経験があり、楽譜だけを見るとヴァイオリンの楽譜がとても「簡単」だという事です。ただ、楽譜を音楽に出来るか?という技術は、身に着けていなくてもピアノは弾けますので、弾けることと、楽譜を音に出来ることはイコールではありません。厳密に言えば、楽譜を読んでピアノを弾くことを習った人の場合の話になります。
 一方で、初めての楽器がヴァイオリンという方の場合、楽譜を音にするための技術も、持っていない場合がほとんどです。学校の授業でリコーダーを吹いたり、合唱をした時でも楽譜を音にしていた人は、ほぼ「ゼロ」です。

 ピアノを楽譜を見て上手に弾ける人なら、ヴァイオリンがすぐに弾けるようになるか?というと、答えは残念ながら「NO!」です。なぜなら、楽譜が読めたり、音の名前がわかって音の高さがわかっても、自分の出したい音の高さを、どうやったら弾けるのか?言い換えると、ヴァイオリンはどうすれば?どんな音が出せるのか?が、ピアノと比較してはるかに「わかりにくい」からです。
 さらに、ピアノは調律さえできていれば、「変な高さの音は出ない」構造です。ヴァイオリンは、開放弦を正確にチューニングしてあっても、その他の高さの音は、すべて自分の「耳=音感」で探して演奏する楽器です。むしろ、ピアノを習った経験のある人の方が、自分の出すヴァイオリンの音の高さが「気持ち悪い」と苦笑されます。
 もう一つの大きな違いが、両手の役割の違い=運動の分離が難しいことです。

 多くのそうした生徒さんが落ちる落とし穴があります。
左手で押さえる場所が違う=音の高さが違うと感じて、直そうとすると無意識に、右手の動きが止まることです。止まるまでいかなくても、非常に動きにくくなります。無理もないことです。私たちは両手を同時に使って、違う作業をすることが少ないのです。あったとしても、どちらかの手が「主役」で、もう一方の手は「補助的な役割」をする程度です。
 包丁を使っている時の、もう一方の手は「補助」ですよね?
両手でナイフとフォークを使って料理を食べている時でも、おそらくどちらかの手しか動いていないのではないでしょうか?
 音楽家同士の遊びの中に、こんなものがあります。試してみてください。

 右手で4拍子の指揮をしながら、左手で3拍子の指揮をする。
もちろん、同じ拍の長さ=テンポは同じで、同時に1拍目から指揮をスタートします。やりやすい、4拍子の図形で構いません。3拍子は単純に三角形の図形で構いません。
 せーの!
初めての人は恐らく2泊目で止まりますよね?笑
右手で4拍子の指揮を「1・2・3・4・1・2・3・4…」と繰り返すだけならできますよね?
左手で3拍子の指揮を「1・2・3・1・2・3…」と繰り返すのも、単独なら簡単ですよね?
はい。それを同時にスタートします!
仮に4拍子を口で言い続けて「1・2・3・4・1・2・3・4…」と言いながら、両手で4拍子と3拍子を同時に振ると、4拍子を3回繰り返して4巡目に入る瞬間の「1」の時に、左手の3拍子も「1」になるのです。
……………………??????
 3と4の「最小公倍数」は12です。つまり、4拍子を3回繰り返すと12泊、振ることになります。その時に3拍子は「4巡目の1拍目」になります=3拍子を4回繰り返すと12泊振ることになるからです。

 これ、電車やバスの中で、やらないでください。ついムキになってしまうので、周りの人が離れていくか、通報される危険性があります。自宅で鏡に向かって楽しんでください。

 さて、ヴァイオリンはこの「左手と右手の分離」に近いことをしながら、演奏することになります。ただ、私からすると、ピアニストが両手で同時に違う音を弾けることのほうが難しく感じています。
 右手と左手の分離と同期は、一朝一夕にできません。少なくとも、頭でどちらかの手に集中すると、もう一方の手は無意識になることが、上記の指揮の遊びで実感できると思います。
 あ。じゃんけんを両手でやるのも、むずかしいですよ。常に右手が勝つことと、常に違う形=グーかチョキかパーを変え続けて、何回?続けられますか?
 それはさておき、左手の押さえる場所=音の高さを修正する時に、意識的に(無理やりにでも)右手で全弓を使って大きくて良い音で弾き「ながら」音の高さを修正する「習慣」をつけることをお勧めします。
 もしくは、左手の練習をするときには、ピチカートで練習するのもひとつの方法です。
 右手の練習をしてから、左手の練習をする「順序」を決めることもお勧めします。なぜなら「音が出なければ、正しい音の高さにならない」からです。
 常に、右手に意識を集中し、音の高さは「耳で確かめる」ことも大切です。

 ピアノとヴァイオリンの構造の違いを理解した上で、練習法帆を考えると上達の近道になるだけでなく、ストレスの軽減につながります。
 あきらめずに!あせらずに!練習してください。
ピアノのように、どんどん弾けるようになる「上達した実感」はヴァイオリンではなかなか感じられません。ただ、練習しているうちに、無意識に出来るようになっていることに、「ふと」気付くものです。その日は必ずやってきます

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

楽譜の進む速さ

 上の映像は、ボロディン作曲のオペラ「イーゴリ公」の中の一曲「ダッタン人の踊り」から。8分の6拍子。プレスト。譜面には付点四分音符=100(一分間に100回)つまり、1小節1秒ちょっとの速さと書かれていますが、映像の冒頭部分プロオーケストラの演奏はそれより、ずっと速いテンポです。
 画像はファーストヴァイオリンのパート譜。音を聴きながら楽譜を見て、どこを弾いているか見つけられれば、あなたはかなりの上級者です。普通は絶対に見つけられません。それが普通です。はやっ!!!

 その後、メトロノームとパソコンの音で少しゆっくりした演奏と同じ楽譜。
いかがでしょうか?どこを弾いているか?お判りでしょうか?
この楽譜はファーストヴァイオリンのパート譜です。
オーケストラでは、ピッコロ・フルート・オーボエ・コールアングレ・クラリネット・ファゴットの木管楽器。ホルン・トランペット・トロンボーン・チューバの金管楽器。さらにハープ。ティンパニ・バスドラム・シンバル・タンバリンなどの打楽器。ファーストヴァイオリン・セカンドヴァイオリン・ヴィオラ・チェロ・コントラバスの弦楽器。これらの楽器が同時に演奏することもあれば、どれかひとつだけの場合もあります。
 自分が演奏するだけの楽譜が「パート譜」です。すべての楽器の楽譜を縦に積み重ねて書いてあるのが「スコア」です。指揮者はスコアを見ながら指揮をします。スコアは時によって、1ページに数小節しか書けないこともあります。どんどん次に進む…。大変です。

 動画最後に、もっとゆっくりの演奏になります。
1分間に付点四分音符60回。1小節2秒の速さです。それでも追いかけるのは大変ですよね。ましてや、これを演奏するのですから…。
速い曲を練習するために、楽譜を読むトレーニングが必要です。
CDなどの演奏を聴きながら、楽譜を見る練習をすれば、次第に慣れていきます。それでも速くて追いつけない時は、ゆっくり聞きながら読むことをお勧めします。

 本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

 

楽譜・曲・演奏

上の動画は、J.S.バッハ作曲 無伴奏ヴァイオリンソナタ第1番よりアダージョの冒頭部分だけを、Youtubeで拾い集めてつなぎ合わせたものです。どれがどなたの演奏かは気にしないでください(笑)
 この楽譜をバッハが手書きで書いたものから、現代のパソコンで作られたものもすべて「楽譜」と呼ばれます。
 その楽譜を演奏者が音にすることが出来るのは、当時から楽譜の約束が現代まで変わっていない=伝承されているからです。考えたらすごいことですよね。

 さて、楽譜を音にすることが出来るから昔の作曲家の書いた曲を、今演奏できるわけですが、同じ楽譜でも演奏する人の個性があります。楽譜に書いてあることの中で、最低限守らなければいけないことがあるとすれば、音符の高さと長さ、休符の長さの2種類になると思います。もちろん、強弱記号、発想記号も大切な要素です。音楽として「最低限」変えてはいけないものがあるとしたら、この2種類になると思っています。
 現実に、動画の中の演奏を聴いていると、全く同じテンポ=速さで弾いている演奏はありませんし、音符の長さも様々です。強弱に至っては本当に人それぞれです。録音されたものですから、音色や音量が違って当たり前です。それを差し引いて聞いても、演奏者の個性が感じられると思います。

 作曲者本人が自分で演奏する場合もあります。その場合、その都度違った演奏をすることもよく見受けられます。ポップスでも「あるある」な話です。
 楽譜に書いてあることは、作曲者の表現したい音楽です。ただ、それを世に出し様々な人が演奏できることになった場合、作曲者の「思い」は演奏者の解釈に委ねられます。簡単に言えば、演奏者の感性で楽譜を音にすることになります。
 演劇や映画などでも同じようなことがあります。台本、脚本があり演者がそれを表現する時、演者によって作品は大きく変わるものです。

 演奏者が楽譜を音に出来ないケースは多々あります。
それを「能力が低い」とか「努力が足りない」と切り捨てるのは簡単ですが、演奏の能力と楽譜を音にできる能力は、全く違う能力です。美空ひばりさん、小椋佳さんは楽譜を音に出来なかったそうです。それでも素晴らしい演奏者だと思います。

 曲を作る人の感性と演奏する人の感性。さらに聴く人の感性。
すべてが違うのが自然です。だからこそ、演奏する人間は、自分の感性を大切にするべきです。誰かの演奏を「まる」っと真似をするのではなく、自分の頭で考え感じた音楽を表現するための努力が必要です。
 作曲者の書いた楽譜、曲を自分なら、どう?演奏するかを考えることは、作曲した人への敬意につながると思います。
 とは言え、自分の演奏技術の中で出来ることに「限界」を先に感じてしまう人も多いのが現実です。プロの演奏を色々聴き比べたり、Youtubeでアマチュアの演奏を聴いてみても自分の「できそうなこと」がわからないのは、ごく当たり前のことです。なぜなら「出来ることとできないことの違いが判らない」のですから。上手に弾いている人の演奏を聴くと、何が?どう?自分と違うのかが言語化できないのは、知識として演奏に必要な技術をまだ知らないので仕方のないことです。
 例えていうなら、家を建てるために必要な知識と技術を知らない私たちにとって、なにから始めれば家が建つのか?わからなくて当たり前なのと似ています。
 おいしいと思う料理のレシピを知らなければ、同じ味を出すことは不可能です。さらに、レシピがわかっても失敗の経験を重ねなければ、その味を再現することは無理でしょう。音楽も同じだと思います。いくら練習方法「だけ」を知っていても、実際に失敗を重ねながら根気よく練習しなければ、目指す演奏に近づくことはできません。
 楽譜を料理の「素材」あるいは「レシピ」に例えるなら、演奏する人は料理人です。素材とレシピを基に自分で試行錯誤しながら、自分の美味しいと思う料理が出来るまで失敗を重ねて初めて、理想の味にたどり着けるのではないでしょうか。
 レトルト食品のように、簡単にプロの味を再現できる「音楽」は、録音された音楽を聴くことです。自分で料理する楽しさが、演奏する楽しさです。
 人によって好みの味が違うように、音楽にも好みがあります。
他人が美味しいと言っても自分の舌には合わないこともあります。
自分の好きな演奏を出来るのは、演奏するうえで最大の楽しみのはずです。
インスタントに出来るものではありません。だからこそ、失敗にくじけない「根気」が不可欠です。最初から諦めるなら、レトルト食品で満足する=他人の演奏を聴くことに徹するしかありません。

 個性は決して突飛なことをする事でもなく、人と違うことをする事でもありません。自分の好きな音楽を模索し続け、自分が楽しめる演奏をする事こそが個性だと思います。まずは、他人のレシピで色々試し、自分に足りない技術を探し、出来るように練習し、また違うレシピを試す…その繰り返しが、個性的な演奏に繋がり、延いては自分の演奏技術を高めることになると信じています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリンの基礎練習?

 映像は2002年1月のメリーオーケストラ第1回定期演奏会。ふるさとを演奏する子供たちとプロの演奏家仲間です。
 今回のタイトルに基礎練習「?」とわざわざクエスチョンマークを付けたのには理由があります。Youtubeでこの言葉を検索をすると、山のように動画が見つかります。すべてを見たわけではありません。ただ、私に独自の考え方があるので、そのことについて書きます。

 たとえば、家を建てる時に基礎を作ります。
基礎だけでは人が生活することは出来ません。基礎の上に建物を作るためにあるのです。
 ヴァイオリンの基礎練習。何のために?基礎を作るのでしょう。
そもそも、ヴァイオリンの基礎とはどんな技術の事を言うのか?実は明確な定義はありません。むしろ、人によって基礎と思うことが違うのが当たり前です。
「基礎の練習をしないとうまく弾けない」とか「難しい曲を弾けるためには基礎が必要」とか。実にあいまいな言葉です。

 メリーオーケストラで演奏している子供たちは、演奏を楽しむために集まった子供たちです。決して練習するために…とか、上手になるために集まった子供たちではありません。演奏を楽しむために必要になる技術は、本当に様々ありますがざっくり言えば「弾ければ楽しめる」のです。しかも、誰かと一緒に弾くことは、ヴァイオリンという楽器の特性でもあり、ピアノと違う「合奏することを前提に作られた楽器」でもあるのです。一人で悶々(笑)と音階と練習曲と伴奏抜きのコンチェルトソロを練習しても、楽しいと思えないのが当たり前です。
 ピアノは一人で演奏を完結できる曲がほとんどです。ヴァイオリンは違います。無伴奏の曲はごく一部です。ヴァイオリン以外の楽器や何人かのヴァイオリンで一緒に演奏することが、本来のヴァイオリンの楽しみ方と言っても言い過ぎではありません。
 つまり「一緒に演奏する」ことが「建物」であり、その演奏の幅を広げるために必要になる技術が「基礎」だと思っています。

 極論すれば、一緒に演奏しながら上達できるなら、自然に基礎練習もしていることになります。事実、20年間、部活動オーケストラの練習で「基礎練習」は行いませんでした。メトロノームに合わせて合奏練習するのを「基礎」と勘違いしている団体が多いのですが、まったく効果はありません。むしろ時間の無駄です。
 合奏に参加するために、楽譜を覚えて演奏する。これ、無理だと思う人が多いのですが、皆さん小学校、中学校で合唱をした時、楽譜を読み名がら歌っていましたか?ほぼ100パーセントの子供が、自分の歌う歌詞とメロディーを「覚えて」歌っていたはずです。つまりは、覚えること自体は、それほど大変なことではないのです。むしろ、歌えない=弾けないことのほうが難しかったはずです。
 ほかのパートにつられて歌ってしまった記憶はありませんか?
楽器の演奏でも同じです。演奏できると言っても色々なレベルがあります。
どのくらい正確に、そのくらい綺麗な音で、どのくらい思ったように弾けるか?
それらを出来るようにするのが「基礎練習」です。
 どんなに音階だけが正確に弾けても、リズムがわからなかったり、音が穢かったり、音が小さすぎたり、音量を変えられなければ、合奏で他の人と一緒に演奏して満足できないはずです。
 一人でいくら上手に弾けても、他の人に合わせられなければ、合奏できません。自分以外の音を聴きながら、自分の音を聴き、ピッチや時間を合わせる技術は別の技術です。

 では合奏だけしていればうまくなるか?と言うと少し違います。
合奏するために必要な色々な技術をすべて短期間に身に着けることは無理です。
オーケストラで演奏する曲のすべての音をきちんと弾けるのは、おそらく特殊なトレーニングを受けた人です。下の動画をご覧ください。

 メリーオーケストラ第39回定期演奏会での演奏です。
この中のヴァイオリン、全員がすべての音を弾いている…
 いや?弾いていません。と言うか弾こうとはしていますが、現実には弾けているのは数名のプロだけです。「そんなこと言っちゃっていいの?」と言われそうですが、何も問題にしないのがメリーオーケストラなのです。弾けるように頑張ろう!と練習はしています。でも現実には無理です。では、この演奏は「へたくそ」でしょうか?もちろん、プロのオーケストラのような正確さはありませんし、傷だらけです。いくらプロの仲間や音大生が入ったとしても、オーケストラ全体で言えば傷はたくさんあるのです。それでも決して「へたくそ」と言い切れないと、プロのヴァイオリニストの私自身も思います。手前みそ…もありますが、本当に一生懸命演奏しようとする音、何よりもお客様の前で多くの仲間、プロの人と演奏できる「喜び」が音に出ていると思うのです。
 演奏がうまい…と言うのは、ただ間違えないだけの演奏ではありません。
それに気づくことができるのは、自分が誰かと一緒に演奏した時なのです。
評論家が偉そうに言うのは簡単です。自分が演奏を楽しんだ経験があれば、人さまの演奏に偉そうにコメントすることを職業にできないと思うのですが。

 結論。ヴァイオリン演奏技術を上達させければ、一緒に誰かと演奏することです。ひとりで練習できるようになるのは、演奏の楽しさを知ってからで十分です。基礎練習は誰かと一緒に演奏を楽しむための技術を「身に着ける」練習です。ボーイング=弓を動かす練習、音階、ポジション移動、指の独立=右手の速い運指、など。一緒に演奏を楽しむための技術なら、練習しても良いですよね?
基礎だけの音楽は、地球上に存在しません。
以上、すべて「個人の考え」でございました(笑)
気を悪くされた方、ごめんなさい。

NPO法人メリーオーケストラ創設者・理事長・指揮者
ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

リズムと拍子

 上の二つの動画は、どちらも夕焼け小焼けの前奏と出だし部分です。
ちなみに、聞こえる音楽は、どちらも全く同じ音源です。
上の映像は、よく見ると4分の2拍子で、下の映像は4分の4拍子です。

 今回、テーマにしたのは楽譜を音楽にする技術の中で、音の高さを見つけるより、音符と休符の長さ=リズムの方が、はるかに難しいという話です。
 楽譜に書いてある音符を音にするために、必要な知識は?
「ドレミ」などの音の名前を読めることです。それがわかったら、次は手鹿にある楽器、リコーダーでも鍵盤ハーモニカでも、もちろんピアノでも、とにかく「ドレミ」の音の出し方がわかる楽器で、楽譜を音に出来ます。
 厳密に言えば、オクターブがあっていないこともあり得ますが、次の音に上がるか?下がるか?を間違わなければ、連続した音の高低がわかります。
 これで音楽になるでしょうか?
いいえ。なにか足りない。と言うより、音楽として全然未完成に感じるはずです。つまり、音の高さだけがわかっても、曲には聞こえないという事です。

 音符と休符の組み合わせでリズムが生まれます。
音の名前が、音の「高さ低さ」を表すもので、音符や休符の種類(たとえば、4分音符、2分音符、2分休符など)は「時間」を表すことになります。
 時間を表すと言っても、「何秒間、音を出す」「何秒間、音を出さない」という計測方法ではありません。実に難しい「相対的な時間の長さ」を表しています。
 2分音符は4分音符の「2倍、長く音を出す」事を意味します。言い換えれば、4分音符は2分音符の「2分の1の長さ、音を出す」ことです。
これ以上は細かく説明しませんが、音符を演奏する「時間=長さ」は、どれか一種類の音符を演奏する時間を決めることで、ほかのすべての音符や休符の時間が決まることになります。
 4分音符一つ分を1秒間音をだすなら、2分音符はひとつで2秒間音をだします。8分音符なら一つ分で0.5秒音を出して次の音符、または休符になります。
この相対関係で、音符と休符の時間が決まります。

 上の映像、4分の2拍子の方は、4分音符を1秒間に30回演奏できる速さ=1分間に4分音符30回の速さ、楽譜には「♩=30」で演奏しています。
 下の映像は、4分の4拍子で、4分音符を1分間に60回演奏できる速さ=1分間に4分音符60回の速さ、「♩=60」で演奏しています。
 聴感上は、全く同じ演奏です。でも明らかに、楽譜は違うのです。
上の楽譜は4分音符の長さが「長い」、下の楽譜は上に比べて4分音符の長さが「半分=2倍速い」という事になります。
 音楽を聴いただけで、音の高さがわかっても、その曲が「何分の何拍子」かは実はわからないのです。楽譜を見て初めて「あ!なるほどね」となるのです。
 聴音の試験でも必ず、これから演奏する曲を弾く前に「△△長調(または短調)、〇〇分の〇〇拍子、××小節」と先生が伝え、その楽譜を五線紙に書く用意をします。拍子がわからなければ、正確な楽譜にはなりません。

 これは「聴いた音楽の拍子」の話でしたが、逆から考えると「楽譜のリズムを音にする」のも、拍子記号の「下の数字=基準になる音符の種類」の速さ=長さを決めてから読み始めます。
 たとえば、4分の3拍子の曲であれば、拍の基準は「4分音符」です。
8分の6拍子であれば、「8分音符」が拍の基準ですが、この場合はちょっと複雑で付点4分音符が拍の基準=1拍になります。8分の3拍子も同じ付点4分音符が基準になります。
 基準になる音符の長さ=速さを決めたら、あとはその基準の音符を「1」として他の種類の音符・休符の時間を決めます。
 この技術は、ひたすら繰り返すことしか身に着ける方法がありません。
絶対音感があっても、これはトレーニングしないと理解できません。

 楽譜を音にするために、リズムを先に理解することをお勧めします。
難しそうな楽譜の場合、基準の拍をゆっくり=長くして、さらに「タイ」を取り払ってから、歌ってみましょう。休符が多い場合は、前後どちらかの音符と同じ高さの「音符」に置き換えて歌ってみると、案外簡単に歌えます。休符は意外に難しいのです。単なる「おやすみ」ではないのです。
 パソコンソフトに打ち込んで、鳴らしてみる方法が一番手っ取り早い(笑)かも知れませんが、自分の力で感覚的に音符の相対的な長さを「音にする」技術を身につける努力をしてみてください。
 必ず出来るようになります!

 今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

音楽の幅

 映像は、2013年2月17日に杜のホールで開いた、メリーオーケストラ第22回定期演奏会の一コマです。
 ギターのソロを弾いてくれているのは、私が教員時代に顧問をしていた軽音楽サークルで、当時高校生だったJIROこと小山じろう君。
 「軽音楽」って言葉、印象が悪すぎます。いかにも「軽薄」と言わんばかりの差別用語に聞こえます。「重音楽」ってあるのかよっ!(笑)と突っ込みたくなります。

 人々に愛される音楽は、時代とともに変わることもあります。
国や地域によっても違います。同じ国、同じ時代でも色々な音楽が同時に「流行」したこともありました。
 話を現代、西暦2022年2月に日本で生きている私たちに絞ってみます。
自由に好きな音楽を、気軽に聴くことが出来る環境があります。
音楽を分類することがあります。
・演奏形態
・作曲された時代
・演奏される国や地域
当然、複数の分類にまたがった、分類もできます。
 先ほど述べた「軽音楽」を調べると、
「流行歌風の音楽、ダンス音楽、ジャズ音楽などの総称。
対義語:クラシック」
 だそうです。ん?では、クラシック音楽とはなんぞや?
「直訳すると「古典音楽(こてんおんがく)」となるが、一般には西洋の伝統的な作曲技法や演奏法による芸術音楽を指す。宗教音楽、世俗音楽のどちらにも用いられる。」
となるようですが。
 案外、テキトーですよね。
自分の好きな音楽に、理屈を付ける意味はありません。
どんな音楽であれ、その人が好きな「音楽」なのです。
食べ物で言えば、和食・中華・洋食などの、おおざっぱな分類も細かい分類もあります。好きな食べ物の「属類」なんて考える必要がないのと同じです。

 クラシック音楽と言われる種類の音楽にも、大きな幅があります。
自分の好きな音楽「以外」を軽薄扱いしたり、長くてつまらない音楽と決めつけるのは、人間として愚かだと思います。これも食べ物の好みと同じです。
 音楽を分類するよりも、自分の好きな音楽を少しでも増やす方が、幸福だと思いませんか?
 メリーオーケストラでも、私と浩子のリサイタルでも、偏った音楽にならないことを大切にしています。
 聴く人の好きな音楽もあれば、聴いたことのない音楽や、嫌いと思っていた音楽をあって当たり前だと思います。
 先入観や食わず嫌いでクラシック音楽しか認めない人や、ガチガチの「クラシックおたく」の方には、不快な思いをさせてしまいました。申し訳ありません。

メリーオーケストラ代表・指揮 野村謙介
 


上達すること

 この演奏は、私が17歳、高校2年生の冬に、師匠の門下生による発表会でのライブ録音です。
 まぁ、これほど「へたくそ」な音楽高校生は当時いなかったでしょうww
今自分で聞いて、笑ってしまうほどです。
なぜ?こんな演奏を臆面もなく公開したのか。
「上達」のひとつの題材にするために、ガマの油を垂らしながらアップしました。。お聞き苦しくて、本当に申し訳ありません。

 「これでも十分うまいでしょ?」と思ってくださる方もおられるかと思います。
確かに、このチャイコフスキー作曲のヴァイオリン協奏曲は、演奏技術的にも音楽的にも、難易度の高い曲です。当時、私がこの曲にチャレンジできたのも、それなりに楽譜を音にするための基礎的な知識と技術があったからに違いありません。そうは言っても、音程も悪く、音も汚いことは救いがたく、弾けているレベルに入りません。
 この演奏の2年ほど前、中学3年生の夏に、本気でヴァイオリンの練習をし始めるまで、そもそもこんな曲を弾きたいとも、弾けるとも思いませんでした。
高校入試でヴュータン作曲のヴァイオリンコンチェルト第4番の第1楽章を「必死」に演奏して、滑り込んで合格。高校1年生の年度末実技試験の時、ラロ作曲のスペイン交響曲第1楽章に挑戦。その翌年がこのチャイコフスキーでした。

音楽を学ぶというのは、ただ楽器の演奏方法を学ぶだけではありません。
じょうずでなくても、ピアノを弾けることも必要だと思います。
聴こえた旋律、和音を楽譜に書き取る技術も必要です。
楽譜を見るだけで、頭の中で音楽にする技術も必要です。
音楽の歴史、時代ごとの文化も学ぶ必要があります。
様々な知識を学びながら、他人の演奏を観察することが、何よりも大切な学習になります。

楽譜を正確に音にする。
どんな人にとっても、難しいことだと思います。
どこまで精密なのか?によって、「できた」と言われない場合もあります。
何度でも正確に弾けるか?という壁もあります。
上達するために、何よりも「本人の意思」と「時間」が必要です。
短期間に上達する内容もありますが、多くは努力する時間に比例します。

上達に秘訣も秘密もないと思っています。
自分は上達しないと思い込んで諦めてしまったり、
他人の上達と比較しても無意味です。
上達したければ努力すれば良いだけです。
どんな人にも平等に時間は経ちます。
今できる努力を惜しむ人は、明日も努力はしないものです。
50年以上、ヴァイオリンに向き合って、未だに少しでも上達したいと思っています。
上達は、実体のないものです。
とは言え、努力の時間を積み重ねれば、どんな人でも上達します。
それを信じることが、唯一の方法だと思っています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト 野村謙介

弦楽器の元気

写真は私が演奏させてもらっている、陳昌鉉氏が2010年に制作したヴィオラです。弦楽器の世界では、生まれたての赤ちゃんのような年齢です。
一般に弦楽器の寿命は、300年以上と言われています。
当然のことながら、生まれて(製作されて)からの管理が悪ければ、10年も経たない間に、使い物にならなくなる楽器もあります。個体の寿命が長いほど、演奏する人が増えていきます。
「中古」という概念を、使い古されて新品より程度の低いものと思い込んでいる人がたくさんいます。すべての「もの」に当てはまる言葉ではありません。
人間は生まれた次の日から「中古」なのですから。

人間は何よりも健康であることが一番です。
心と体が健康であることの有難さを、病気やケガをした時に改めて感じるものです。普段、当たり前に生活していると、小さな不満や不運をボヤきがちなのは、健康であることの有難さを忘れているからなんでしょうね。

さて、弦楽器の場合はどうでしょうか。
寿命が人間より長いことは先述した通りです。
弦楽器はすべて、人間が造り出した「道具」であり、生物ではありません。
弦楽器に使われる「木材」は元々は「生物」ですが、切り倒され削られ、加工された楽器は、すでに生命活動はできません。
人間には、再生できる部分が多くあります。皮膚や骨は傷ついても再生します。「歯」は再生しないため、自然治癒がないことは知られています。
楽器は?自分で傷ついた部分を再生…できません。
削れてしまったり、割れてしまったり、穴があいてしまった「木材」は、元通りには戻せないのです。人間が修復をしても、元の木材の状態に完全に戻すことは不可能です。
そうは言っても、楽器は演奏するための「道具」であり、使わなければ造られた意味がありません。楽器の価値は、演奏されて初めて評価されるものです。
傷がつくことも避けられません。壊れて使えなくなってしまうことも、燃えてしまうことも、可能性はゼロではありません。
そうならないように、気を付けられるのは人間だけです。

健康な弦楽器とは?
製作された時から、誰かに演奏されて手入れをされている場合でも、まったく誰にも演奏されない場合でも、楽器は少しずつ変化します。両者を比較すると、演奏したほうが大きな変化を見せます。
ニスが乾くのに、最低でも1年、長ければ2年以上かかる場合があります。
その間、楽器の音は変化します。
弦楽器に使われる「木材」は、理想的には何十年も自然乾燥させた木材を使用するそうです。伐採したばかりの木材には、多くの水分が含まれているため、乾いた音色を出さず、水分が抜ける時の変形もあることがその理由です。
ただ、現代の科学でストラディバリウスは、伐採してから数年の木材で楽器を作っていたという事が判明しました。もちろん、「当時」の「数年前」です。
それでも、ストラディバリウスの楽器は当時から、非常に高い評価を得ていたという史実があります。現代とは全く違う音色の楽器だったことだけは、間違いありませんが、「良い楽器」であったことは確かなようです。
その弦楽器が年月とともに変化する中で、人間でいう「病気」にかかることもあります。「ケガ」は楽器に傷を付けてしまうことになります。
人間なら、薬を飲んだりお医者さんに治療してもらえば、多くの病気は完治します。それは「再生能力」を持った生命に共通することです。

弦楽器の病気。
一言で言ってしまえば、「良い音が出なくなる」「音量が減る」「雑音が出る」という症状です。
始めの二つ「音色」と「音量」は、多くの場合人間の主観的な「感覚」で判断されます。つまり「なんとなく」という言葉が頭に付く病気です。
演奏者の体調で自分の楽器の「音色」「音量」がいつもと違って聞こえる場合が良くあります。演奏する場所によっても大きな違いがあります。
一方で「雑音」は、客観的に判断できます。
雑音の「音源」がどこにあるのかを、注意深く探すと大体の場合は見つけられます。

アジャスターが緩んでいたり、表板に金具が触れていたりするケース。
ペグの装飾部品が、取れかけて振動しているケース。
顎あてのアーチが、テールピースに当たっているケース。
顎あての止金具が緩んでいるケース。
重症なものとして、
糸枕(ナット)が低すぎたり、指板が反り上がったり、駒が沈んでしまって、弦が指板にあたっているケース。
楽器の表・横・裏のそれぞれの板を接合している「膠=にかわ」の接着力が、湿度や高温のために少なくなり、板同士が「剥がれる」ケース。
眼には見えない「割れ」や「ひび」が表、裏の板に出来てしまったケース。
その他にも、雑音や異音が出る原因は数々ありますが、場所を見つけることが第一です。修理は、自分でできるケースと職人さんにお願いするケースがあります。
雑音は出なくても、ネックが反って、指板が下がり表板に近づきすぎるケースは、ハイポジションで弦を押さえられなくなります。
また、調弦する度に駒は「ペグ方向=指板方向」に傾こうとします。これは、弦を緩める時=音を下げる時には、駒にかかる弦の圧力が下がり、弦を張る=音を高くするときには、駒にかかる弦の圧力が増えるために、常にペグ方向に引っ張られる動作が繰り返されるからです。駒の「傾き」は病気ではありません。これは、演奏者が毎日気を付けて観察し、もし目で見て、わかるほどに指板側に傾いてしまった時には、
・4本の弦を少しずつ下げて駒への圧力を減らし
・両手の指を駒の両側から当て、
・少しずつ、傾きをテールピース側に戻す
作業が必要です。これは、弦を張り替えた時にも必要な点検作業です。
この作業をせずに放置すると、駒が傾き、最悪の場合駒が割れたり、倒れたりします。そうなると、楽器の中にある「魂柱=こんちゅう」が倒れます。この柱は、弦の張力→駒→表板→魂柱→裏板という、接着剤を一切使わずに「減の張力」だけで、弦の振動を楽器の裏板に伝える、「弦楽器の仕組み」の中核をなしています。だから「魂」という言葉を使います。
これが倒れたままで弦を張ると、表板が割れます。楽器は二度と演奏できなくなります。

弦楽器の病気治療のほとんどは、医者である「職人さん」に委ねます。
もし、あなたや家族が病気になったとき、信頼できるお医者さんに診察、治療して欲しいと思いますよね?誰にでも命を預けた大手術をしてもらいたいという人は、いないはずです。
弦楽器の病気を治す職人さん。
正直に申し上げて、技術も考え方も「千差万別」の違いがあります。
特に、前述の「音色」「音量」の不満や違和感について、職人さんの「主観」が入ることになります。当然、演奏者自身(自分)とは違う判断をすることになります。その差が、演奏者である依頼人の「好み」「求めた結果」と違う結果になるのは、本当に不幸なことです。
良かれと思って治療をお願いしたら、前より悪くなって戻ってきたら…ぞっとしますよね。では、どうすれば良いのでしょうか?

多くの弦楽器は、製作者に治療をお願いすることが出来ません。
陳昌鉉さんも、すでに他界されています。
職人さんは、自分が作った楽器でなくても、治療=修理を行えます。
ただ、自分が作った楽器ではないので、製作者がどんな音を目指して、その楽器を製作したかはわかりません。製作者によって、好みが違うので当たり前です。
依頼する人=演奏者が、信頼できる職人さんを見つける。
これは、人間の主治医を見つけるのと同じことです。
とても難しいことです。
ちなみに私は、自分のヴァイオリンの調整・修理は、購入した当初から、私と私のヴァイオリンを知っている職人さん「ただ一人」にしかお願いしていません。誰にも調整させません。その職人さんが倒れてしまったら、私のヴァイオリンを調整修理する人は、いなくなります。その時にはまた考えるしかないのです。
あなたの楽器を治療してもらうのに、信頼できる職人さんを選ぶためには?

信頼できるヴァイオリニスト、またはヴァイオリンの先生から直接紹介してもらうことです。
その方が実際に、ご自分の楽器を調整してもらっている職人さんがいるはずです。その方が、その職人さんを紹介しなかったとしたら、理由はひとつ。
「職人さんの負担が増える」ことを心配しての判断です。
それでも紹介したほうが良いと思えば、きっとその方の信頼する職人さんを紹介してくれるはずです。
私自身、自分の楽器を治療してくれる職人さんを、すべての生徒さんに紹介していません。必要な知識と技術を持った、別の信頼できる「若手」の職人さんを紹介しています。
少なくとも、見ず知らずの楽器店に、自分の大切な楽器を「治療」に出さないことを強くお勧めします。削ってしまった楽器は、二度と元に戻らないことを忘れないでください。

最後に。
人間の病気と同じです。
神経質に考えすぎると、かえって良くない結果になることがあります。
少し音が変わった「ような気がする」からと、調整に出すのは良いことではありません。まずは自分で良く考えることです。
そして、考えても時間がたっても、その「違和感」があるなら、信頼できる方に相談してから、治療してください。
できれば最初は「セカンド・オピニオン」が必要です。
修理する前に、ほかの職人や演奏家に相談し、複数の人の「治療法」を聞いてから最終的に判断してください。
楽器は自分で、声を出せません。意思を伝えられません。
演奏する人の「身体」だと思って、健康を観察してください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト 野村謙介