演奏家と言う職業

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 映像はデュオリサイタル3で演奏した、パデレフスキ作曲の「メロディー」
今回のテーマは演奏家が「職業」つまり演奏することで生計を立てることについて、過去現在と将来について考えるものです。

 まず「演奏家」と言う職種について考えます。
楽器を演奏し、その演奏を聴く人が対価としてお金を支払い、演奏家が演奏料=ギャランティを受け取ります。その際に聴衆が支払ったお金が、丸ごと演奏者のお財布に入ることは、ほとんどの場合ありません。「え?中抜き?」(笑)そんな悪い(黒い)お話ではありません。演奏に係る「経費」があるのです。経費の他に演奏者以外の団体が利益をえることも珍しくありません。音楽事務所と契約した演奏家が、事務所が企画し開催したコンサートで得た「利益」は主催者たる事務所の利益です。その中から演奏者へのギャランティーが「経費」になる場合です。さらに、演奏家自身が主催するコンサートでも会場を借りて、ピアノなどの楽器も借りてコンサートを開く場合には、使用料金をホールに支払わなければなりません。これが経費になります。

 舞台や映画、テレビなどで演技をする「俳優」と言う職業も、演奏家に近い形で生計を立てます。もちろん主役を演ずる人と「脇役」の一人の場合に支払われるギャランティーは、大きく違います。舞台でも映画でも、巨額の経費が掛かります。演奏会よりもはるかに高額です。映画の製作費が「●●億円」なのは珍しくありませんよね。クラシックコンサートの「製作費」は?おそらく高くても「●千万円」、通常は「●百万円」、地方の会場でこじんまりと…なら「●十万円」、すべての企画・宣伝を自分で行い自分で演奏したら「十●万円」かな(笑)それらのお金は、聴衆・観客から総額で、いくら入ってこようが、一円ももらえなくても(涙)支払う義務がとうぜんあります。「終わってから」で済まされるものではありません!←なぜか怒りがこみ上げた(笑)

 プロスポーツ選手の場合には、契約する団体からの給与や契約金、懸賞金、報奨金などで生活する人がほとんどです。自分で試合を企画する「個人」はまずいません。相手が必要ですから(笑)
 サラリーマンと近い形の「給与」で生活する演奏家やスポーツ選手が多い中で、「個人契約」できる一部の演奏家・スポーツ選手もいますがごく一部です。

 演奏家に関して考えると、その昔は「宮廷音楽家」として演奏するか、貴族や富豪の「お抱え楽士」として演奏し生活するしか手段がない時代がありました。
大衆がそれらの演奏を聴くことさえ出来ない時代が長くありました。
大衆は教会で音楽を聴く以外、自ら手近なもので「伴奏」をして歌い、踊るしかなく、それさえ「下劣だ」と制約を受けた時代がありました。
 それでは今後の演奏家は?どうあるべきなのでしょうか?

 音楽を「聴く」文化は、時代・地域によって大きく違います。
現代で考えれば「国民の経済的なゆとり」と「政治の仕組み」がもっとも大きく文化に関わります。国民の平均収入が極端に少ない国や地域で「クラシック音楽」どころではないのは当たり前です。また、頭の弱い政治家が戦争で地位と権力を守ろうとすれば国民が未ミスできるのは「音楽」ではなく「爆発音と悲鳴」だけです。そこには文化は存在できません。
 個人の演奏家がどんなに努力しても「先立つもの」がなければ、コンサートを開くことは出来ません。「事務所に所属すれば?」いいえ。事務所は利益を見込めない演奏家に仕事を与えません。「認めてもらえる実力をつければ?」それも非現実的です。今現在、国内だけで考えても「●●コンクールで優勝」した人が何百人もいます。大げさな数字ではありません。それらの人たちに加え、さらに毎年のように開かれる「●●コンクール」で優勝する人の中に、何人かの日本人が生まれますよね?その人の分、誰かが演奏家をやめるでしょうか?定年はありません。どんどん増える一方です。国内でもっとも有名な「日本音楽コンクール」で毎回!優勝者が誕生しています。開催の「間隔」は楽器によって多少違いますが、ピアノ・ヴァイオリンは毎年開催されています。みんな「優勝経験者」
 事務所にしてみれば、その中でも「お金になる人」と仕事をしたいのは当たり前です。ましてや「●●音楽大学を優秀な成績(笑)で卒業」なんて、なんの肩書にもなりません。言ってしまえば、音楽大学に行って卒業したら「プロの演奏家になれる」ともしも公然と言えば「詐欺」だと言えます。それが現実です。
 これから先、演奏家として生きていきたいのならば…
・お金持ちになる
・コンクールで優勝し続ける
・組織の一員になるために「コネ」を探す
・頭を使う
私なら最後の方法しか(笑)お勧めしません。
 ただ楽器を演奏できるだけで生活できる時代は終わりました。
その人の「能力」が問われる時代です。音楽の知識だけを必要とする「社会」ではないのです。
 聴いた人人が喜んでくれるから、お金を払ってくれる。
配信で音楽を聴くのは「無料」の現代。音楽配信に課金をするメリットはほぼ皆無です。配信では楽しめないことがなければ、演奏会にお金を払ってまで会場に来てくれる人に期待するのは無理です。
 「配信しなければ来てくれる?」それも無理です。配信はいわば「広告塔」です。さらに言えば公平に与えられた「宣伝空間」です。そこに登場することは今後「当たり前」のことでもあります。その中で個性があり、動画で感じられないものを感じたいと思わせる「魅力」が必要です。
 どんな商品でも「魅力」がなければ売れません。演奏家を商品に例えるのは「無礼だ」とお怒りになる方もいますが、俳優であれ演奏家であれ「魅力」がなければ生き残れないのは当然のことです。演奏家が「演奏がうまい」と思ってもらえる「環境」を考える頭が必要です。自分で考えることができない人は、生き残れません。誰かの力で生き残れる時代ではないのです。
 若い演奏家の皆さん。私も含め「老兵」の思いつかないアイデアで音楽の世界を広げてください。それこそが、クラシック音楽の生き残る最後の道です。
パソコンを使えない高齢指導者に習えるのは「音楽」と「人としての生き方」です。生活の仕方、生き残り方は若い人自身が考えてください。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

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