同じヴァイオリンでコンクールを実施したら?

今回のテーマ。少し前にショパンコンクールの素晴らしい配信に寝不足になった人も多いはず(笑)。見ていて、ふと思ったことです。
ピアノのコンクールは、会場にあるピアノで「だけ」演奏し、技術を評価されます。ショパンコンクールや大きなピアノコンクールで、数台のピアノから選べることは、むしろごく稀なケースです。演奏の順番も抽選、楽器も前の人が弾いた楽器で演奏するのが、普通のピアノコンクールですよね。
楽器の違いによる「差」は審査の基準に入りません。もちろん、審査員の好みはあるでしょうが、演奏者がみんな同じ条件なら、審査には影響しません。
ある意味で「公平公正な基準」です。これは、コンクールに限った話ではありません。音楽学校の入学試験も同じです。入学してからの実技試験でも一つのピアノでみんなが演奏します。

ヴァイオリンヴィオラ、やチェロのコンクール、試験はどうでしょうか。
各自がそれぞれの楽器で演奏します。それが「当たり前」だと思われてきました。私自身も、入学試験の時、音楽高校・大学での実技試験で常に「自分の楽器」で試験に臨みました。
ピアノの試験とは大違いです。
全員が違う楽器で演奏しています。審査する人は、誰がどんな楽器を使って演奏しているかを知らされていません。仮に、自分の教え子が試験やコンクールに参加していれば、当然の事として教え子の使う楽器は知っていますが、審査には参加できなかったり、仮に不公正に高得点を付けたとしても、除外されたり、最高点・最低点を付けた一人分の審査点数を除外することが一般的です。
つまり、「楽器による違い」も審査の中に紛れ込んでいることになります。
それが「審査員の好み」という言葉で済ませてしまうのは、ピアノとは大きな違いです。むしろ、楽器の選択を参加者の「技量」にするのは間違っていると思います。弦楽器の場合、恐ろしいほどに楽器の価格に差があります。楽器と弓、あわせて数万円のものから、あわせて数億円になるものまであります。
私は以前にも書いた通り、高い楽器が良い楽器だとは思いません。むしろ否定的です。試験やコンクールであっても、それは変わらないと思います。
ただ、参加する側はそれぞれに環境が違います。
ある人は家庭が大金持ち(ストレートでごめんなさい)で、自分の好きな楽器、好きな弓を自由に選べる環境。
ある人は家庭が貧しく(ごめんなさい)数万円の楽器を買うのでさえ、日々の生活を切り詰め、必死で働いてようやく楽器が買える環境。
この二人が、同じコンクールで、同じ曲を演奏します。
価値観は人によって違いますから、それぞれの「基準」で考えるのが当たり前です。そのことには異論はありません。数万円の楽器であっても、誇りをもって演奏する人もいるはずです。どんなに高い楽器を与えられても、満足しない人もいます。それもその人の「価値観」です。これを読んで「なんでもかんでも平等主義者か!」と思われるのは不本意です。そんな意味ではありません。仲良くみんなで横一列に手をつないでゴールする「かけっこ」なんて、見たくもない人間です。人それぞれの、得手不得手や能力の差があるのが人間ですから。

コンクールや試験を、ピアノと同じように「決められた楽器」で演奏することは、弦楽器でも可能です。「急には慣れない」とか「人の弾いた楽器は弾きにくい」とか。それをピアニストはいつも!乗り越えていますが?
「普段、練習している楽器で演奏するのが弦楽器だ!」それも嘘ですよね?現に、試験やコンクールの時だけ、お高い楽器を借りて演奏する人もいますし、多くの弦楽器奏者が楽器を何度も買い替えていませんか?満足していないからですよね?ピアニストがみんな、スタインウェイやベーゼンドルファーで練習していますか?ショパンコンクールの直前に、「紙鍵盤」で練習している参加者を見ませんでしたか?
「弦楽器のコンクールや試験は、そういうものだ!」と言うご意見は単なる「慣習主義」です。本当に演奏者の技術、音楽性を比較するのが目的なら、同じ楽器で演奏するのが最善だと思いますが。
きっと、今までの弦楽器コンクールとは全く違う「比較」ができるでしょうね。
入学試験こそ!楽器の差を審査基準に入れないことが、これからの時代に必要なことだと思いますが、ダメ?ですか(笑)
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト 野村謙介

自分の音量

今回のテーマは、音楽に限った話でもありませんが、自分の聞こえている音の大きさについて。
音の大きさを測る機械で「音圧」を測ると「デシベル」という単位で大きさを表すことができます。
地下鉄の車内の音。飛行機が上空を飛ぶ音。ハードロックのライブ会場の音。
誰が聞いても「大きい音」がある一方で、静かな場所にいると小さな音も、結構気になる大きさに感じます。人間は、静かな場所にいると聴覚の感度が上がります。大きな音を聞き続けると、少しでも小さく感じようと「アッテネーター」(減衰機)に似た働きを脳が行い、結果的に「一時的な難聴」になります。
弦楽器を連続して演奏した直後に、小さい音で「キーン」という耳鳴りが聞こえることがあります。しばらくすると消えます。これが「脳のアッテネーター」です。

その物理的な音圧とは別に、感覚的な音量があります。
先ほど書いたように、静かな場所で聞こえる音は大きく聞こえます。
夜、隣人のテレビの音や楽器を弾く音が「大きく聞こえる」のは、周りが静かで聞こえてくる音が「大きく感じる」からなのです。加えて「もう静かにするべき時間だ!」という怒りの感情も加わって、さらに大きく感じたりします。
音圧の問題とは別の「音の大きさ」です。

さて、音楽の世界に話を戻すと、自分の弾いている音の大きさが、他人の聞いている音の大きさと違う話は、以前のブログでも書きました。
耳元に音源があるヴァイオリン、ヴィオラという楽器は、特に自分の出している音量を客観的に判断しにくい楽器です。
たとえば、ピアノと一緒に演奏していて「自分ではちょうどいい大きさ」と思っても、離れた場所で聴いている人、ピアニストや、客席のお客様には、ヴァイオリンが小さすぎることが良くあります。
ヴァイオリンに限らず、演奏者が自分の音を、違う場所では聞けませんから誰かのアドヴァイスが必要不可欠になります。これも以前書きましたね。

とは言え、自分の音を大きくしたいと思っても、これ以上出せない!と思うことがあります。
ヴァイオリンの音を「大きくする」方法は?弦を弓の毛で強く擦り、速く動かします。音量として考えれば、これ以外の方法は「ビブラート」による残響の増加しかありません。ほんの少しですが、ビブラートによって、音圧が上がります。
音量とは別に「音色」を変えることで、よりはっきりとした、明るい音にすることで「目立たせる」方法もあります。駒に近い場所を弾くこと。弦を押さえる左手指先の、いちばん固い部分(肉の薄い部分)で指板に対し直角に強く押さえること。
この二つは、ピチカートをしてみるとより、はっきりします。
駒の近くをはじくと、固い音がします。指板の近くをはじくと柔らかい音がします。
指先の固い部分で、しっかり弦を押さえると開放弦に近い、長い余韻が残ります。柔らかく押さえてはじくと余韻がすぐに消えます。
音色を明るくすることはできますが、音量を上げることとは別です。

柔らかい音色で、今よりも大きな音を出したい!
・弦を張り替える方法
一般にナイロン弦を当たり前のように使う人が多いのですが、私はガット弦を使っています。音量が足りない!というのであれば、スチール弦を張れば?(笑)ナイロン弦よりはるかに派手な音が爆音で鳴ります。ナイロン弦であれ、ガット弦であれ良い音の出る「寿命=賞味期限」があります。私の経験では、ガット弦の寿命はナイロン弦のどれよりも「長い」ことは明らかです。ちなみに、最もスタンダードなナイロン弦である「ドミナント」の寿命は、約2週間だと思います。使い方によって差はあります。普通に毎日弾き続け、手入れもしたとしても、およそ2週間で突然、余韻の音量が瞬間的に小さくなります。
この現象はガット弦にはほとんど現れません。むしろ、ガット弦の場合の寿命は、明るさが消えこもった音になります。余韻も短くなります。
・弓の毛を張り替えてもらう
弓の毛の表面の「キューティクル=凸凹」に松脂の粉の粘度(べたべた)が付いて大きな凸凹になり、弦と摩擦を起こして音が出ます。
弓の毛のキューティクルは次第に削れて「滑らか」になります。松脂を塗ったときには音が出るが、すぐに「滑る感じがする」のは弓の毛の寿命です。さらに、弓の毛は「有機物」ですから、時間とともに劣化します。特に毛の伸縮性が減って=伸びがなくなって、固くなります。これも弓の毛の寿命です。
・楽器が鳴りやすいピッチを探す
これは、「共振現象」を上手に使う方法です。
俗にいう「音程の悪い」ヴァイオリン演奏は、共振する弦の響きがほとんどありません。
ヴァイオリンの一つの弦を弾いている時に、その弦ではない弦が共振しています。特にはっきり差がわかるのが、ヴァイオリンで言うと、G線の「ラ」「レ」D線の「ソ」「ラ」、A線の「レ」を強く長く演奏しているときに、ほかの弦の開放弦の音が「勝手に」共振しています。音量としてはわずかですが、これも音量の一部です。正確なピッチ、特にほかの開放弦が「共振する」ピッチで演奏することを心がけるのは良いことです。(ピアノの音と喧嘩することもあります)
・松脂を変える
弓の毛が新鮮であれば、松脂によっても音量は変わります。粘度の高い=粘りの強い松脂と、少ない松脂があります。松脂は本来は「液体」です。松の幹に傷をつけると流れ出る「樹液」が松脂です。それを「個体」にして、さらに、それを弓の毛の凸凹で「細かく削り」粉末状にします。粉末になった個体の松脂は、湿度と温度で「粘度の高い液体」に変化します。つまり「べたべた」な状態になります。夏の暑い季節と冬の寒い季節で、松脂を変える演奏家もおられます。私は軟弱な人間なので、年中ほぼ同じ室温の中でヴァイオリンを弾きますから変えません(笑)室温が0度になったり、45度になる部屋で練習する方は松脂以前にエアコンをお求めください。
・立ち位置と楽器の方向を考える
最終手段。というより最善の方法です。
先述の通り、ピアノやほかの楽器と一緒に演奏したり、お客様のいる「ホール」で演奏することを前提にしています。
演奏者の立つ位置によって、空間に広がる空気の振動=音の広がり方は全く違います。当たり前のことです。ホールは大体が「四角い空間」です。ドーム状になっているホールはごく稀です。教会のドーム、トンネルの中(誰が弾くか!)では丸い天井からの音の反射が「一定に近い」状態になります。だからきれいな残響が残ります。一方、四角いホールでは?当たり前ですが、音の反射が、聞く場所によって全く違います。音源(演奏者)が動けば、響きも変わります。どこに立って演奏すれば、多くのお客様に心地よく聞いてもらえるか?事前に研究してから、立ち位置を決めるべきです。ただ、自分では聞けませんから、誰かの助けが必要です。
ヴァイオリンの構え方(楽器の方向)で音の「方向性=指向性」が変わります。
どんなバイオリンでも必ず「指向性」があります。多くの音は「表板」の垂直方向上に広がります。一方で、「裏板」の音は、逆方向=左腕と床に向いて進みます。その音の指向性によって、ホール全体への音の伝わり方が変わります。
例えで言うと、ピアノと一緒に演奏する場合です。
ピアニストの座る「斜め後方」に立って、ヴァイオリンが「客席方向」に向く構え方をしたとします。
この場合、ヴァイオリンの音は、明らかにピアノの音とは分離して空間に伝わります。ピアノの蓋を全開にした場合、ピアノの音は屋根=蓋全面に反射して広く前方に広がります。一方で、蓋を半開=短い柱にした場合、ピアノの音は、狭い空間で屋根=蓋にぶつかり、瞬間的に前方(狭い範囲)に進みます。こちらのほうが、客席に「速く」音が伝わることになります。
私は、ピアノの蓋を全開にして「柱」の部分に立って、楽器が客席を向く構えで演奏します。
ピアノの「へこんだ部分」になると、ピアノの弦の響きが、すべて自分の斜め後ろから「かぶさって」来ます。この位置だと自分の音がより小さく聞こえ、不安になったり、ポジション移動の「小さい音」が聞こえなくなります。
客席で聴くと、ピアノの音とヴァイオリンの音が、ほぼ同時に、同じ方向から聞こえてくる。のがこの位置だと思っています。

音の大きさ。色々書きました。最後までお読みいただきありがとうございました。自分の音を確かめてくれる信頼できる人を探しましょう!
ヴァイオリニスト 野村謙介



大人になってヴァイオリン

ヴァイオリンは小さいときから始めないと弾けるようにならない。
この悪魔の囁きのような嘘、未だに信じている人がいるかも(笑)と思い、改めて真実を書いていきます。

小さい子供、たとえば3歳児が楽器の演奏を習い始めたとして考えます。
まず第一に、言葉による意思の疎通が難しいですね。特に、両親家族以外の人と3歳児のコミュニケーションは、全く違います。
親が我が子に楽器を教えることは、可能かもしれません。むしろ、他人から何かを習っていることを自覚できる年齢ではありません。
言葉を覚える時期ですから、見えるものの「名前」と同じ感覚で、聞こえてくる音の「名前」も覚えられます。これを反復することで、絶対音感が身に付きます。音の高さを感じる脳の働きは、成人しても変わりませんが、特定の高さの音に「ド」とから「ファ」という名前があることを記憶できるのは、言葉を覚える時期だと言われています。
この絶対音感がなければ楽器は演奏できない?
うそ!まっかなうそです。

絶対音感がある人とない人の違いは?
いわゆる「相対音感」は成人してからでも、いつからでも身に着けられます。
聞こえる音と「同じ(実際にはオクターブ違っても)高さの音」と、その音より「高い音」か「低い音」かを聞き分けることが、相対音感です。
二つの音を聞き比べて、どちらが高いか?低いか?を聞き分ける練習を繰り返せば、誰にでもこの能力は身に付きます。
自分の「声」で、聞こえている音と同じ高さの音を出せるかどうか?
これは、先ほどの「聞き分け」に加えて、自分の声の高さを自分の意識で、高くしたり低くしたりする「無意識の技術」が必要です。
自分がどうやって高い声をだしたり、低くしたりしているかを考えたことがありますか?おそらく、意識したことのない人のほうが圧倒的に多いはずです。
それでも「なんとなく」聞こえた音、あるいは「出したい高さの音」を声出せるようになっていきます。こうして、人間は「音痴」から始まって、無意識に自分の声の高さをコントロールできるように「学習」しています。

では、音痴でない人は絶対音感があるか?と言えば、違います。
絶対音感があっても、声をコントロールできなければ「音痴」です。
相対音感を使って歌を歌えるのですから、楽器の演奏ができないはずがありません。
絶対音感があれば、自分の出している音の高さが「ドレミ」に聞こえる。
相対音感の人は、「ド」とか「ミ」とかの音の高さと名前を教えてもらって、そこから次の音、たとえば「ドの次のレ」を歌っていけます。この幅と種類をたくさん増やすことが練習でできます。これで自分の出している音を「判断」できます。

ヴァイオリン演奏に絶対音感が不要であることはご理解いただけたと思います。
では、大人になると子供のころと何が?大きく変わるでしょうか?
人によって大きな違いがりますが、自分で自由に使える時間が減る人も多いですよね。とは言え、小学生ともなると大人より忙しい子供も多いのが実情です。
つまり、単純な「自由な時間」だけで考えると、子供と大人の間には、昔ほど差がないことが言えます。
子供は体と頭が柔らかい。大人は体も固くなって、物覚えも悪い。
これまた、人によって大きな違いがあります。子供でも柔軟性の少ない子、筋力の弱い子、物覚えが苦手な子がたくさんいますよね?

違うとすれば、次の点です。
・子供は考えるより、運動と「勘」で覚えます。
・大人は運動する前に、考えます。
人による差はありますが、多くの大人は自分の経験や知識をもとにして「考え」ながら行動します。
・どうすればできるか?を考えるのが大人です。
・できるまで繰り返す!が子供です。途中で飽きることも多いですが(笑)
できないと、考え込むのが大人です。えてして考えすぎて、ドツボにハマります。
次に違うのは…
・子供は少し前の事でも忘れる。
・大人は子供より長い期間、覚えている。
これは、楽器の演奏において、子供のほうが「積み重ねにくい」ことが言えます。一方で大人は、失敗した記憶も引きずりながら楽器を演奏することになりますが、積み重ねることは得意です。
この違いは、いつもと違う環境で楽器を弾いた時に大きな違いになります。
・子供は緊張しても「失敗した(する)こと」を意識しない。
・大人は緊張すると「うまく弾こう」「失敗しないようにしよう」と無意識に考える。
この違いが実はものすごく大きく表れるのが、レッスンだったり発表会だったりします。
大人は普段練習している時に「気持ちよく」弾けていても、レッスンや人前に出ると「うまくいかない」と感じます。こどもは?いつも同じです(笑)
しかも、大人の場合は「いつも」というのが基本的に「一人で演奏」しているので、自分の出している音を客観的に聞くことが出来ていないケースが多いように思います。子供の場合、多くは家族が「クチを挟み」ます。本人が気持ちよく適当に弾いていると、家族が「音が違うんじゃない?」とか「もっときれいに弾いて」とアドヴァイスします。
大人は?自分の演奏を冷静に聞くことが難しいのです。
ある人は「あぁ!へたくそ!」と落ち込み、またある人は「おぉ!わたしってじょうず!」と舞い上がります。あなたはどちら?(笑)
どちらにしても、自分の演奏を客観的に聞くトレーニングが必要です。

大人になって楽器を始める。
最高の趣味だと思います。
うまくならないストレスは「必ず」付いてくるものです。
うまくなっている実感が感じられず、やめてしまえばその時点で終わりです。
実はうまくなっているのか?を判断するのも技術です。
その技術はレッスンで先生に習うこと、あるいは誰かに聞いてもらうことによってしか体得できません。
うまく弾けるようになるために。自分の思ったように弾けるようになるために、自分の時間を好きなように使うのが趣味の音楽、趣味の楽器演奏です。
うまくなる「途中」を楽しむ気持ちで、少しずつでも積み重ねてください。
子供にはできない練習で、子供とは違う「喜び」を味わえるのが大人の特権だと私は思っています。

メリーミュージック 野村謙介


速さ・時間・距離

今回は算数のお話?
いえいえ。これは弦楽器奏者にとっては必須科目です。
ちなみに、音楽の速さや演奏時間の話とは、ちょっと違います。
違うのですが!
アマチュアのヴァイオリニストにありがちな落とし穴があります。
「音楽のテンポが速かったり、細かい音符になると、弓の速度まで速くなる」
という勘違。思い当たりませんか?
音楽のテンポをメトロノーム記号で表すことがありますよね?
四分音符=120=一分間に四分音符を120回均等な間隔で叩く速さ
一つの音符の演奏時間が「短く」なると音楽全体が「速く」なります。
ただし、ゆっくりした音楽の中でも、部分的に細かい音符が使われることも多いので、必ずしもすべての音符が短い、長い、で音楽全体の速さは表されません
つまり、一つ一つの音符の演奏時間の長さは、音楽の速さとは別の問題なのです。

さて、弦楽器を演奏する時に使う「弓」をダウン・アップと動かす運動があります。この運動の速さと、弓の量(長さ)と、音の長さについてが今回のテーマです。
小学校で習った「速度×時間=距離」という公式(ってほどのものでもない?)
時速5キロメートルの速度で1時間歩けば、5キロメートル移動する。←あってますよね?(笑)
これを、楽器の世界に置き換えると…
・弓を動かす運動の速さ
・音が出る時間
・弓の長さ(使う長さ)
になります。ここまで、大丈夫ですか?
実際にわかりやすいのは、「音を出す時間」「弓の長さ」の二つです。
弓を動かす速さを測ることを忘れがちです。速度計があるわけでもなく、動きの速さを表す単位が「秒速〇〇センチメートル」と考えて演奏する人もいないでしょうね。ましてや時速〇〇キロメートルなんてありえない。
でも、実際に演奏している時には弓を動かす速さ(ダウンとアップ)は考えることはとても重要なことです。

具体的にひとつの例をあげます。
メトロノームを「60」で鳴らします。1秒ごとに1回の音がします。
弓の毛の「すべて=全弓(ぜんきゅう)」をつかって、切れ目なく(音と音の間に無音の時間をいれないで)音を出したとします。
以前にも書きましたが、この全弓は人によって違って構いません。
鵜Dの長さによって、弓の一番先の部分まで届かなければ、腕を伸ばしきった場所と、弓の元の金属部分ギリギリまでの間を「全弓」と考えてください。
この長さの弓の毛を使って、1秒間音を出し続ける時、金一の速度で弓を動かすことが出来ているでしょうか?
動き始めが「遅すぎ」ると、全弓使えずに途中で反対方向に動かすか?
または「まずい!余る!」と思ってから速度を速くして無理やりつじつまをあわせていませんか?
「均一の速度で、1秒間に、全弓を使う」
これ、簡単そうでとっても難しい技術です。
2秒間だと簡単?はい。1秒間で弓の真ん中を通過する速度ですね。
簡単に感じるのは「ごまかせる」からなのです。
1秒間で全弓を使おうとするとかなり速い速度で腕を動かすことになります。
最少は2秒間()メトロノーム2回分)で反対方向に弓を「返す」練習から始めるのも良いでしょうね。
この弓の「速度」を感覚的につかむことが、とても重要です。
1秒に1回の速さで、弓を返す時の「弓の量=弓の長さ」が、弓の速度です。


・弓の速度を変えずに、弓の量を変えれば、音の長さが変わります。
・弓の速度を変えずに、音の長さを変えれば、弓の量が変わります。
↑これっは同じことを言い換えただけです。ですが、弓の速度を考えるのが難しいので、
・音の長さを変えずに、弓の量を変えると、弓の速度が変わる。
・弓の量を変えずに、音の長さを変えると、弓の速度が変わる。
↑これは、どちらも「弓の速度を変える」ことで「音の長さ」と「弓の量」のどちらkを「変えない」方法です。
ごちゃごちゃになった?(笑)
そうなのです。
音の長さと弓の量
この二つのことを考えると、必然的に弓の速度を考えなければ「できない」ことなのです。
先生に「もっと弓を使って弾きなさい」と指摘されたとします。
方法は二つあります。
1.音を長くして=テンポをおそくして、弓をたくさん使う方法「弓の速度は変えない方法」
2.弓の速度を速くして、音の長さは変えず=テンポは変えない方法「弓の速度を変える方法」
多くの場合、2の方法を用います。
弓の速さは、えてして無意識になりがちです。
弓の圧力と、弓の速度、弓の場所で音色が大きく変わります。
弓の速さを一度、良く観察してみることを、生徒さんにお勧めしたいと思います。

ヴァイオリニスト 野村謙介

演奏中に動くもの・止まるもの

今回のお話も演奏に関わるテーマです。
楽器を演奏する人間と楽器の関係で言えば、
・固定された楽器(鍵盤楽器や打楽器の一部)
・演奏者が保持する楽器
・チェロやコントラバスのように、一部が床に置かれ一部を演奏者が保持する楽器
に分類されます。
楽器が動かない場合、演奏者が動くことになります。チェロ・コントラバスもある意味で固定されています。
それ以外の楽器、たとえばヴァイオリンの場合は演奏者が左上半身を使い楽器を保持し、右手で弓を持ち動かします。
ヴァイオリン・ヴィオラの構え方は、人それぞれに違います。つまり、楽器の「保持方法」が違います。どの程度、体と一体化させるのか?どのくらい身体の動きと分離させるのか?が大きな違いになります。
演奏者が動けば、ヴァイオリン・弓も当然動きます。
動くと言っても、どこが動くのかによります。
上半身全体が動けば、右腕・左腕・首も動くので楽器と弓も移動します。
首から上だけ動いても、楽器と弓は動きません。
左手を動かしても右手は動きません。逆も言えます。
これは「相対」として楽器と演奏者が同じ動きをするか?しないかによっても変わります。楽器を持ち弓を持つ上半身、すべてが前後左右に動いたとしても、演奏者と楽器の「相対的な位置関係」は変わらないのです。ピアノの場合は違います。人間が動けば位置関係は変わります。

ヴァイオリン・ヴィオラを肩当てを使って演奏する人と、使用しないで演奏する人がいます。私自身は使わないとうまく楽器を安定させられません。
少なくとも、左の鎖骨(さこつ)には楽器が「乗る」はずです。
これが1点目です。
仮に左顎(あご)で顎あて部分を「押さえる」と、鎖骨に加え2点目になります。完全にこの力だけで楽器を保持すれば、楽器は弾ける?いえ、弾けません。
なぜなら、弦を「押さえる」指の下方向への力も加わるからです。弦を抑える指の力も、鎖骨と顎だけで支えようとするか?しないか?でこの顎で楽器を抑える力が大きく変わります。ちなみに鎖骨は「動きません」当たり前ですが。
肩当を使用すると、鎖骨より腕側の「腕の付け根の筋肉」に楽器を「乗せる」ことができます。つまり鎖骨に乗せるのと同じ方向の力「乗せる」だけの力です。
ヴァイオリンを演奏する時に加わる力の方向は、
1弦を押さえる下方向への力
2弓を弦に押し付ける下方向への力
3楽器本体の下方向への「重さ」
この力を支える上方向への力は、どこで生まれるのか?
1鎖骨に乗せる
2肩当てを使って体に乗せる
3左手で持つ(親指に乗せたり、親指と人差し指の付け根の骨ではさんだり、人指す指の付け根の骨に乗せたり)
顎の骨で「はさむ」力は後半の力を補助する力であって、前半の下方向への力ではありません。勘違いしやすい!

演奏中に楽器が「勝手に揺れる」と弓を安定して弦に乗せ音を出せません。
特にビブラートやポジションの移動をする際に、揺れがちです。
さらに、右腕の運動、移弦の運動、ダウンアップの運動でも楽器が動いてしまう場合もあります。
自分の意識とは無関係に楽器が揺れ動くのは、良いことではないのは誰にでもわかります。
それを「止めよう」として左半身に力を入れると、逆効果です。
楽器は演奏者の身体に「乗っている」のですから、楽器に触れているどこかが動けば、楽器は「揺れる」ものです。その揺れを吸収する「クッション」の役割も演奏者の身体を使わなければ不可能です。
指・手首・肩・首のすべてが連動しています。
独立させて運動させるためには「脱力」するしか方法はありません。
筋肉に力を入れれば入れるほど、多くの筋肉が一緒に連動して動くから、楽器が揺れるのです。

どんな構え方だろうと、共通するのは無駄な力を入れずに、各部位が自由に揺れを吸収できる「柔らかさ」を意識することだと思います。
無駄な力を抜く練習。

力を入れずに
がんばりましょう!

ヴァイオリニスト 野村謙介



弓を動かす難しさ

今回は、ヴァイオリニストが一生考え続ける(私だけ?)命題、音を出す弓を動かすことを考えます。
人間の身体には、たくさんの関節があります。自分の右手の指先から、腕の付け根までにある、関節をじっくり観察してみます。(おやじギャグではないつもり)
親指の関節が、ほかの4本の指よりも、1つ少ないことを今更驚く人、いませんか?(笑)
その親指も含めて、指先に近い関節を第1関節と呼びますが、親指だけは、その第1関節だけを曲げ伸ばしできます。そのほかの指の第1関節だけを、曲げ伸ばしできる人も見かけますが、むしろ第1関節だけは、曲げられないのが普通ですよね。指先から第1関節までの間に「骨」がありますね?当たり前ですが。
第1関節と第2関節の間にも骨があります。てのひらと指の関節があり、てのひらにも骨があります。

さて、これらの関節と骨には筋肉である「腱」があって、それぞれの指、関節を曲げ伸ばししています。
人間の生活で、主に使う手の筋肉は、内側に向かって「握る」ための筋肉です。
反対に「開く」方向の筋肉を使うことは、ほとんどありません。
指を観察すると、手の甲側(爪のある側)にはほとんど肉がありません。
一方でてのひら側には、かなり太い筋肉があります。物を掴む運動が強いのは、私たちのご先祖が猿だった証ですね。
握る力を「握力」と言います。子供のころ、学校で握力を図ったことがありませんか?ちなみに、力士の「輪島」関は握力が100キログラム以上だったとか。
でも、開く力の測定は、したことがありません。楽器を演奏する人にとって、必要なのは、握力より「早く、しなやかに、強く指を動かす」ための力です。つまり、じわーっと握る力よりも、瞬発的に「握る」「開く」という運動をでる筋力と神経伝達が必要になります。

弓に直接触れる右手の指。
親指と人差し指が「弦に圧力をかける」仕事をします。
親指と小指が「弓を持ち上げる=弓の重さより軽い圧力を弦にかける」役割です。
中指と薬指の仕事は、力というよりも、弓を安定させるための補助的な仕事をします。
「てこの原理」小学校で習いました?最近は教えていないそうですが(笑)
「支点」「力点」「作用点」なつかしいでしょ?
弓の毛と弦が触れている場所を「作用点」
親指を「支点」
人差し指を「力点」小指も逆方向の「力点」
人差し指の第2関節の「骨」で、弓の棒(スティック)を弦に向かって押し付ける力を加えます。
そして、親指は、人差し指と真逆方向の「押し上げる」方向に力を加える=支えることで、弓の毛が弦に強く押し付けられます。
この、てこの原理が理解できていないと、親指の力の方向を間違えてしまいます。
親指と中指で、弓をつまみ上げる力は演奏には不必要です。親指と中指でスティックをはさんで持つのは間違いです。

さて、指の次の関節は手首です。
手首の関節は、てのひら⇔手の甲の方向には、大きく曲げられますが、
親指側⇔小指側への方向には、小さな運動しかできませんが、この左右の運動も演奏には重要になります。
手首を意識的にゆっくり動かす時、使っている筋肉は肘から手首までの筋肉(腱)です。この筋肉の伸び縮みもストレッチ運動で大きく柔らかく動くようになります。
手首をブラブラと運動をするときには、前腕(肘から手首)を動かし、手首の関節を緩めることで、腕の動きとは逆方向に揺れます。「慣性の法則」です。
このぶらぶらと動く動きは、特殊な演奏方法をしない限り、演奏には有害な運動になります。特に、弓を速く動かすときに、慣性も大きくなりますから、手首と弓の動きをコントロールするために、「弾力」が必要になります。車で言うなら「サスペンション」と「ショックアブソーバー」(わかりにくい?)
要は適度な「粘り」が必要です。


腕を斜め前方に伸ばし(ダウン)弓先を使うときには、手首が「親指方向」と「手の甲方向」に曲がります。
この時に、親指と弓の「角度」を安直に変えないことを私の師匠は厳しく指導されました。それは、右手の小指を曲げたままで、弓先まで腕を伸ばすことになります。弓とてのひら・手の甲の位置関係(角度)を極力変えないで演奏する練習を続けました。当然、手首を左右に大きく曲げないとできません。
現代のヴァイオリニストでこの演奏法をしている人は、ごく少なくなりました。
弓先から弓中まで、さらに弓元までを速く動かした場合、指の「持ち替え」をしなくても演奏できるという、最大のメリットがあります。
現代の多くのヴァイオリニストは、弓先で親指と弓の角度を変え、さらに右手の小指を完全に伸ばしきった形で演奏しています。弓先で圧力を軽くするコントロールできる量が少ないはずです。親指と人差し指のてこの原理を「ゼロ」にしても「マイナス」にはできません。小指と親指で弓先を持ち上げる力で、より小さく薄く軽い音色を出せるはずです。

弓の中央は、右肘が直角に曲がった時の場所を言う。
と私は考えています。物理的な「弓の中央」だとしても、弓の毛の中央なのか、弓の長さの中央なのかで、場所が変わります。重さの中央である「中心」は弓元に近い場所ですから、さらに違います。腕の長さは人によって違いますから、弓元からダウンで直角になるまで動かした場所が「中央」で、そこから腕を伸ばしきった場所が「弓先」だと考えています。それ以上先を使おうとすれば、必ず無理があります。
弓中で、敵美と指が最も「自然」な形になります。ですが、この位置では、まだ親指と人差し指のてこを使わないと、弦に圧力をかけられません。
弓元。顔の前に、右手が来る場所です。この場所で演奏することが一番難しいのは案外気づいていないかも?

弓元で弓を持つ指の「真下」に弦があります。ここだけは、弓の「スティック側」にある4本の指(人差し指・中指・薬指・小指)すべてで、弦に圧力をかけることになります。むしろ、親指と人差し指のてこの原理はさようしませんから、親指は初めて「休める」位置でもあります。
手首が天井方向(てのひら側)に曲がる演奏方法「も」あります。
というのは、私はあまり弓元で手首を曲げたくない人なのです。
「だって右手の距離が近いから曲げないと」と思われがちですが、右ひじの位置を変えれば手首は曲げずに演奏できます。
弓元で右ひじが高く、やや体の側面に下がる演奏方法です。
手首以前に、体と肘の位置をやや後方に下げることで、弓と弦を直角に保ちながら、手首と指の形を変えずに演奏できます。
上腕(肩から肘までの腕)を積極的に動かす演奏方法です。当然、背中の筋肉も使います。腕全体の運動で弓元部分の演奏をすることで、指と手首の「可動範囲」を増やし自由度を増やすことができます。

連続した運動ですから、むしろ「アナログ」的なイメージのほうがわかりやすいと思います。写真と動画の違いです。すべては「動いて」音がでることです。
ただ、4本の弦・弓の位置によって、指・手首・肘の位置が変わることは事実です。練習時に、ある位置で「静止」してゆっくりと自分の身体を観察することで、間違いを修正できます。静止したときと動かしたときで違うのは、「慣性」があるか?ないか?の違いです。弓の位置に関係なく、動けば慣性が発生します。

・止まった状態からダウン
・止まった状態からアップ
・ダウンから止まる
・ダウンからアップに続く
・アップから止まる
・アップからダウンに続く
この6種類しかないのです。腕の重さと弓の重さを感じながら、慣性をコントロールする柔らかさと強さと俊敏さ。
右手が「一生もの」と言われる所以が、この複雑さにあります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト 野村謙介


ビブラートの不思議

初心者のヴァイオリンの生徒さんにとって、ビブラートは憧れの技術です。
ほとんどのヴァイオリニストがビブラートを「かけて」演奏しています。
かける?良く考えるとちょっと変な表現です。
「音程を細かく上下させて、震えるように音を響かせる奏法・唱法。」
という事になるようですが、そもそも「音程」は正、確には「インターバル」つまり、二つの音の間の幅(距離)を表す言葉。厳密には「ピッチ」であり日本語なら「音高」の事です。レッスンで「音程が悪い!」と怒られていた私にとっては、聞きなじみのある「音程」ですが(笑)
要するに、ビブラートのない「ノンビブラート」は、音の高さを変えずに同じ高さの音を伸ばすことで、ビブラートは音の高さを連続的に変える…という事になります。が!
その高さの変化が、「曲線」で「連続」して変化しないとビブラートには聞こえません。
さらに、その変化の「大きさ=深さ」と「速さ=細かさ」の組み合わせがあります。
・浅く、速い
・浅く、遅い
・深く、速い
・深く、遅い
この4種類の組み合わせがあります。
一つの音の中で、これらが変化することも十分にあります。
たとえば、ノンビブラートで始まり、浅く遅いビブラートから、深く速いビブラートに変化させることもできます。

好みの問題ですが、私はヒステリックに聞こえるビブラートが嫌いです。
具体的に言うと、常に速く深いビブラートの音は、聞いていて疲れてしまいます。
速く同じ深さでビブラートを「かけ続ける」ことは、確かに難しいことです。
できることは、すごい!とも思いますが、果たして美しいと感じるものでしょうか?
そもそもノンビブラートの音、これが原点だと思うのです。
ノンビブラートで音色のバリエーションがあってこそ、ビブラートの美しさが引き立つと思います。
ヴァイオリンのビブラートは、最終的には指の関節が柔軟で、かつ弾力的に動かせないと美しいビブラートにはならないように思います。
弦に触れているのは指先の皮膚とその下にある薄い肉と、さらにその奥にある「骨」です。
その指先に係る力は、弦を指板に押し付ける方向の力と、ビブラートで、弦とほぼ平行方向の力です。この二方向の力のバランスで音色とビブラートの滑らかさが変わります。
ビブラートのための力は、指だけを動かす力では生まれません。手のひらと指の「付け根」の柔らかさと弾力を保ちながら、手のひらを動かすことで、弦を抑える指先の角度が変わります。
手のひらを弦と平行に動かせたとしても、指は弦に対して斜めの角度ですから、結果的に指が「伸びたり縮んだり」する運動になります。
一方で、手のひらを「手首の位置を動かさず」に、倒す→起こす→倒す→起こすの運動を繰り返すと、指も弦に対して、倒れる→起きる→倒れる→起きるの運動になり、これもビブラートになります。
一般的に「腕のビブラート」「手首のビブラート」と区別されますが、
手首のビブラートを勘違いし、手首を動かす初心者を見かけます。手首を「支点」にしないと意味がありません。

色々書きましたが、ビブラートをかけることで、共振する音が増え、楽器の残響が長く、大きくなりますが、それが必ずしも常時必要なものではないと思います。人間が聞いていて、心地よく感じるビブラートは人によって違います。
ノンビブラートの音を「素材の味」
ビブラートの加わった音を「味付けした素材」
と置き換えると、素材が悪ければどんなに味をつけても、美味しくないのと同じです。
右手のボウイングと正しい弦の抑え方があってこそ、ビブラートの効果(味付け)が生きてくると思っています。

メリーミュージック 野村謙介


脳内イメージと楽器演奏

今回のお話は、アマチュアヴァイオリニストの方にとって、少しは役に立つかな?というテーマです。
ヴァイオリンは、右手で弓を使って音を出し、左手で音の高さを変えていきます。ピアノは、両手の指で鍵盤を押し下げて音を出し、音の高さも同じ指で決めています。
ヴァイオリンの演奏をするときに、右手の運動と左手の運動は、それぞれ左脳と右脳からの命令で動いていますから、ダウン・アップの運動は左脳、音の高さは右脳で考えていることになります。
そして、音楽を演奏する時には「音の強さ=長さ」と「音の高さ」の要素が楽譜に書かれています。もう一つの要素である「音色」は楽譜には書かれていません。問題はここからです。

楽譜を音にしようとするときに、ピアノであれば両方の手が音の高さと強さをコントロールするので、ある意味で右脳と左脳が「似た命令」を出していると考えられます。
弦楽器の場合、音の高さは左手の運動として考えます。音を出す運動である右手は、音の高さである「弦の種類」と、ダウン・アップの運動で「音の強さ=長さ」を考えています。
そのまったく違う運動が、ばらばらになってしまうことがアマチュアの方に多く見られる現象です。右手と左手がずれるので「合っていない」と思いがちですが、むしろ当たり前のことです。なぜなら、私たちは一つの運動に集中すると、ほかの運動は「無意識」になるからです。
自動車の運転は、右手、左手、右足、マニュアル車なら左足が」すべて違う仕事をしています。それを同時に、しかも瞬時にできるのは、一つの運動だけを考えていないからなのです。むしろ、運動ではなく視覚でとらえた情報と、体にかかる力「重力=G」を感じて、無意識に両手両足を動かしています。つまり「イメージ」を無意識に「運動」に変えているのです。

では、どうすれば?無意識に弓と左手を動かせるようになるのか?
私の結論は「音のイメージと動きのイメージを同化させる」練習だと思います。
たとえば、3・3・7拍子を創造してみてください。
ちゃ・ちゃ・ちゃ
ちゃ・ちゃ・ちゃ
ちゃ・ちゃ・ちゃ・ちゃ・ちゃ・ちゃ・ちゃ・
頭でこの音を想像してください。次はその音のイメージに
右手の運動を加えてイメージします。と言うより「一つのイメージ」として
ちゃ・ちゃ・ちゃという音を右手が右・左・右に動くことで出るイメージです。
運動は小さくて構いません。指先だけでも構いません。
3・3・7拍子の「音」と運動を同時にイメージできるようにします。
運動だけを、逆方向に動かすイメージもやってみます。
最初はどちらか(音か、運動か)一方に考えが偏るかもしれません。
その場合、考えていないほうは「無意識」に動いたり、リズムを間違ったりするはずです。

音と運動の両方をひとつのイメージにすることは、左手の運動でも同じことです。
音が変わる時に、左手の運動が加わります。その運動も「一つのイメージ」の中に加えます。先ほどの、3・3・7拍子に「ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド・シ・ラ・ソ・ファ・ミ」という音の高さを加えて、一つずつの音に、右手の「右・左・右・左」を繰り返して割り当ててイメージします。
実際に言いながら、楽器も弓も持たずに、この「課題」が出来た時、恐らく何も考えていないことに気づくはずです。左手に集中したら、右手が止まるでしょう?右手に集中したら、次の音の名前が出てこないでしょう?
頭の中の「脳」がイメージを運動にできることで、運動よりも音のイメージを優先して演奏できると私は考えています。
イメージ>運動
ということです。この練習は、プロの演奏家が恐らく無意識にやっています。
自分の演奏したい「音」を、運動からイメージに変えられるまで、繰り返しているはずなのです。事実、初見の時にもこのイメージがあるから、左手と右手が同時に動かせるのです。初心者は、それができません。これは「隠れた技術」であり、トレーニングによって誰でも身に着けられると私は思っています。
ぜひ!3・3・7拍子で練習してみてください!

あ・・。電車の中では、やらないほうがいいですよ。
通報されます(笑)

イメージの悪いヴァイオリニスト 野村謙介

ヴァイオリンの違い

1808年サンタ・ジュリアーナ駒部分
木曽号駒部分

今回のテーマは、ヴァイオリンによる演奏方法の違いについてです。
かれこれ、50年近く愛用し続けている私のヴァイオリンが上の写真。
そして、11月6日に長野県木曽町で演奏するヴァイオリンが下の写真です。
この二つの楽器の違い。
作られた年代が1808年と2004年。
作られた国がイタリアと日本。
何よりも、楽器の音色が全く違います。
その音色を決定づけているのが、拡大した部分。
指板・駒・テールピースの位置関係。
私のヴァイオリンは、テールピースが短い。
輸入した当時、世界的な楽器商だったメニックが付けたテールピースを未だに使っています。ちなみにペグもその時のままです。駒だけは、15年ほど前に、脚部分が少しつぶれてしまったので、櫻井樹一さんに作っていただいた駒です。
私の楽器は、どちらかと言えば室内楽に適した音色です。
コンチェルトのソロには、パワーが少し足りないとも思っていますが、今更弾けないので(笑)十分です。
方や、陳さんの作られた木曽号も、一般的な駒の位置とは、ほんの少し違います。まだ、あまり弾きこまれていないこともあって、音色の変化量が少ない気がします。加えて、私の楽器よりテンションが弱く、高音、中音、低音のまとまりが少なく、音が分散して広がりすぎる傾向があります。

左手の各音の「スポット位置」が違うのは、どんな楽器でも当たり前のことですから、その楽器の「ツボ」を探して覚えるしかありません。
何よりも、弓を当て弦を擦る「駒からの距離と圧力」を変えないと、木曽号の本来持っている音量と音色を引き出せないことを発見。
今日、朝からその場所と最適な圧力を探しました。
弓によって、音色はまるで違う楽器のように変わりますから、本番で使用する「ペカット」との組み合わせが最終到達点です。
弓がお爺さんなので(笑)、できれば練習では使いたくないのが本音ですが、そうも言っていられません。
これから何十年、何百年も弾き続けられる、陳さんのヴァイオリンの「幼少期」に巡り合ったのも運命です。
汚い音にならず、高い音の成分を増やし、輪郭のはっきりした音色で、音域のバランスを整えられる演奏方法を探します。耳元の音圧が上がるので、ピアノの音が聞こえにくくなり、ますます(笑)ピッチが不安定になりそうですが、なによりも楽器の個性を尊重して演奏したいと思います。
・タイスの瞑想曲
・G線上のアリア
・愛の挨拶
・ラベンダーの咲く庭で
・鳳仙花
ビオラに持ち替えて
・荒城の月
・アザラシヴィリのノクターン
・ハルの子守歌
・いのちの歌
・ふるさと
アンコール2曲ヴァイオリン(それ言うか?笑)
がんばって弾きます!

一途なヴァイオリニスト 野村謙介

「歌」を「弾く」

いつものように、なんじゃこりゃ?なテーマです。
歌は普通、言葉をメロディーに乗せて、言葉の内容と音楽を同時に表現します。
それに対し、弾くという言葉は、楽器を演奏することを指します。楽器で言葉を完全に表現することはできません。
当たり前の違いですが、歌を楽器で演奏することも良くあります。
クラシックの音楽の中でも、原曲が歌曲だったものを、器楽で演奏する楽譜に書き直したものも多くあります。
まれに、その逆のケースもあります。
有名なところで言えば、ホルストの作曲した「惑星」という組曲の中の「ジュピター」に歌詞をつけた歌。きっと聞いたころのある人も多いでしょうね。むしろ、元々が管弦楽のための曲であることを知らない人もいますから。
どちらも私は、大いにあり!だと思っています。

さて、歌の場合には人間の声域を基準に旋律が出来ています。
多くの人が歌を歌う場合、1オクターブ程度の音域で歌えるように作られています。歌う人によって、歌いやすい高さが違うので、「キー」つまり調を変えて(移調=トランスポーズ)歌うことが一般的です。
一方で、器楽の場合には楽器よって演奏できる音域が決まっています。特に、最低音は多くの楽器で「それ以上、低い音が出せない」ことが決まっています。
例えばヴァイオリンであれば、ト音記号で下加線2本の下にある「ソ」の音が最低音です。多くの女性の声の最低音も、この「ソ」の音になります。
ヴィオラの場合、その「ソ」から下に、「ファ・ミ・レ・ド」と下がった「ド」の音が最低音です。たかが「5度」されどこの5度は、聴感上大きく違います。
当然、チェロはさらに低い音、コントラバスはもっと低い音が「最低音」です。
ピアノは、オーケストラで使用されるすべての管楽器・弦楽器の音域より広い音域を演奏することが出来ます。88個の鍵盤でそれだけの音域をカバーしています。つまり、どんな人の歌でもピアノなら、演奏することが出来ます。

話を本題に戻します。
多くの歌には「歌詞」である言葉があります。例外もあります。
ダバダバダバダバ(笑)や、ラ~ララララ~、ルル~ル~ルルル~
ラフマニノフが作曲したヴォカリーズという歌は「アアア~」だけです。本当の話です。例外はともかく、意味のある言葉を歌っている「歌」を私はよく「ヴィオラ」で演奏しています。ヴァイオリンではなく、わざわざヴィオラにする理由は?

ヴァイオリンの音色と音域は、聞く人の固定観念で、聞いた瞬間に「ヴァイオリンだ!」と思い浮かんでしまいます。それはそれで当たり前です。
一方で、聞く方が知っている歌を、楽器で演奏した場合、頭の中で「声と歌詞」の記憶と「ヴァイオリンの音色」が、溶け切らない現象が起きるように思っています。特に自分の好きな歌手の声で歌っている歌は、その歌手の「声と歌詞」が結び付いて記憶されています。違う人が歌う同じ曲に違和感が強いのは、そのせいです。楽器で弾くと、単に「言葉がない」だけではなく、音のイメージも違うのでさらに溶け切らない原因になっていると感じています。
だからと言って、ヴィオラで言葉は発音できません。でも「た」と「は」の違いは微妙に区別できます。「は」と「あ」は区別して演奏することは困難です。つまり「子音のアタック」を変えることで、少しだけ言葉に近い発音ができます。
加えて、言葉のアクセントは音の強弱ですから、楽器でも表現できます。
ただ、歌の旋律が、音の高低(イントネーション)と合っていない場合も多いのが現実です。
ほたるのひかり まどのゆき
を口ずさんでみてください。
ほたるの「た」が高くなっていますよね?
でも標準語では「ほ」を高くするのが正しいイントネーションです。
こんな例は数限りなくあります。気にしなければそれでよいのですが(笑)

私は生粋の日本人でありまして、日本語以外が苦手です(言い訳にもなっていない)
日本語以外の歌詞の歌を演奏する時には「言葉の意味」ぐらいは理解して演奏しようと心掛けていますが、間違っていることも…。すみません。
得意の日本語の歌の場合には、ヴィオラを弾きながら、言葉の子音、アクセント、意味を考えながら演奏しています。
『生きてゆくことの意味 問いかける そのたびに』
という「いのちの歌」の出だしの歌詞。
弓のアタック、圧力。左の指の圧力、ヴィブラート、意味を考えながら音を出します。
なので、歌詞を思い出せなくなると
止まります(爆笑)
いや笑ってすませられないのですが、本気で焦ります。
そんな「無駄?」なことを繰り返し練習しております。
言葉が思い浮かんでいただける演奏を目指して…

歌うヴィオリスト 野村謙介