歌詞がなくても歌に聴こえる音楽

 映像はメリーオーケストラが演奏する「いのちの歌」
作曲は村松崇継さん、作詞はMIYABI=竹内まりあさん。
昨年末、今年年明けに実施した私と浩子さんのデュオリサイタルでは、ヴィオラとピアノで演奏しました。
 今回、メリーオーケストラ第41回定期演奏会で演奏しよう!と決めてから、ホルン奏者で編曲のお仕事もされている音楽仲間、田中大地さんにいつものように(笑)アレンジをお願いしました。演奏会当日まで、すべての楽器が揃う事がないので、毎月一度の練習時にその場にいる楽器メンバーで、リズムと音の確認作業をし続けました。原曲=オリジナルの演奏が多数あります。
様々な歌手が歌う動画をたくさん見つけられます。
それぞれの歌手が、それぞれのアレンジで演奏しています。
ピアノをひきながら歌う人、ピアノと弦楽アンサンブルで歌う人など。
ただ、歌のない状態=インストゥルメントで演奏している動画はあまり見受けません。歌詞のすばらしさが先行しているのかな?いやいや!メロディーとハーモニーが素晴らしい!間奏も素敵な転調をしています。
 こうした「歌もの」と呼ばれる楽曲を、歌なしで演奏すると歌詞を知らなくても「美しさ」を感じる音楽があります。このいのちの歌もそのひとつです。

 

 こちらは、昨年末にヴィオラとピアノで演奏した「いのちの歌」に歌詞を入れた動画です。同じ曲、同じキー=フラット5つの調性ですが、オーケストラの演奏と全く違う味わいがあると思います。どちらが良い?のではなく、個性が違ってきます。
 オーケストラの特色は…
・音色が多彩=楽器の種類が多い
・音量の幅=小さい音と大きい音の差が大きい
・パート数が多いため、複雑な副旋律・対旋律を作れる
・アンサンブル=調和を取るために指揮者が必要
 などです。では?ヴィオラとピアノだと?
・旋律楽器=ヴィオラの繊細な音色・音量の変化が浮き立つ
・ピアノとヴィオラ2種類の音色で聴きやすい
・指揮者が不要
どちらが簡単…とも言えません。

 いずれの演奏も歌詞はありませんが、音だけを聴いていて感じる「風景」が、歌詞の内容を見事に表しているように感じます。
 器楽の演奏で「歌う」と言う言葉を使うことが良くあります。「歌うように弾く」は、歌詞を感じてひくこととは違います。もちろん、歌詞のある楽曲を楽器で演奏する際に、歌詞を思いながら演奏することもありますが。
 楽器を使って歌うとは、自分が自分の声=言葉で、相手に自分の意思を伝えようとする「ような」器楽演奏だと思っています。感情のない言葉や、意味のない声でしゃべっても、誰も魅力を感じないと思うのです。それは楽器で演奏する時も同じです。
 語りかけるように歌う
 訴えるように歌う
 喜びを歌う
 悲しみをこらえて歌う
ただ「歌う」と言っても様々なシーンがありますね。
楽器を演奏している時に感じる感情を、表現するのがテクニックです。
間違えずに演奏するのがテクニックだと思い込んでいる人がいますが、それは「メカニカル」です。機械のように正確に演奏できると言うのは、現代で考えれば「いくらでも機械で速く間違えずに何度でも演奏できるよ」と言う結末に落ちます。
 歌がなくても、詩の内容を知らなくても、美しい音楽を演奏することは可能だと思います。難しい「分析」や「歴史」を知らなくても、聴いた瞬間に鳥肌が立つような=弾きこまれるような演奏は出来るはずです。演奏者が自分の「感じたもの」を表現するテクニックさえあれば。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

アマチュアオーケストラの演奏技術とは?

 映像は、メリーオーケストラの演奏するオペラ座の怪人。
この音楽に限らず、ミュージカルや映画、ドラマなどのために作曲された音楽がたくさんあります。それらの映像を見たり、ストーリーを知っている人もいます。当然、見たことがない、ストーリーも知らないという人もいます。
 その人たちが同じ音楽を聴いて感じるものも違って当たり前です。
「この音楽はこんな場面の音楽」と言う関連を知らなくても音楽だけを聴いて、勝手に想像することができるのが「音楽」の楽しみでもあります。
 逆に言えば、音楽を聴く前にその音楽が使われたり、作られた「背景」を知ることで、新しいイメージが生まれて楽しめることもあります。
 どちらも「音楽の楽しみ方」として正しいと思っています。

 楽器を演奏する楽しさと難しさは、実際に演奏しなければ実感できないのは当たり前です。聴く楽しみとは違う次元の楽しさが体感できます。当然、演奏するための技術を身に着ける練習が必要です。練習して初めて、難しさと楽しさを実感できます。思っていたよりも難しいことを発見することもあります。
 独学で身に着けられる限界も、実際に練習してみなければわかりません。
練習して自分で納得できる演奏ができるまでの時間は、練習の質=内容で大きく変わります。練習方法は無限と言えるほど、たくさんあります。
 ある人が上達できた練習方法が、他の人にも効果的とは限りません。
一人一人の生活環境と目的によって、最適な練習方法を選んでくれる指導者が必要です。

 オーケストラで演奏するメンバーは、一人一人の演奏技術が違います。特に、アマチュアオーケストラの場合には、その差は「初心者」から「専門家レベル」まで様々です。プロオーケストラの場合は、オーディションに合格できる演奏技術を持っている人しか演奏していません。
 メリーオーケストラの場合、演奏会までの約6か月間、月に一度の合奏があるだけです。それ以外は各自が自分のペースで楽器の練習をします。言ってみれば「メンバー任せ」です。演奏技術が人によって違い、練習できる時間も千差万別、それでも一緒に演奏することに全員が「満足」できる充実感と達成感を維持する秘訣とは?

・演奏会での成功経験~達成感
・合奏練習で得られる連帯感~音楽仲間との交流
・必要で正しい演奏技術の指示~プロ演奏家による合奏指導
・お互いの環境を認めあう優しさ~練習意欲の喚起
・持続できる運営~資金面、指導体制の構築
これらは、私自身の経験に基づいています。
公立中学での穏やかで和やかな音楽部活動、師匠の門下生による合宿での合奏、音楽高校・音楽大学で学んだ専門的技術と合奏、プロのオーケストラででエキストラとして演奏した経験、20年間の中学・高校での教諭として勤務した経験、さらにメリーオーケストラを20年間育ててきた経験、自分が今も音楽に関わっていられる現実と過去、それらすべてが「アマチュアオーケストラの指導」につながっています。

 演奏している人が楽しんでいなければ、聴いている人が楽しいはずがありません。音楽は学ぶものではなく、感じるものです。だからこそ、演奏を楽しむための「スキル」が必要だと思っています。オーケストラは家族に例えられます。また、社会にもたとえられます。多くの楽器と、さらに多くの人が同じ音楽を演奏することは、一人で演奏することに比べて膨大な労力と準備が必要です。
家族が助け合うように、社会が支えあうように、オーケストラはお互いの演奏者を必要としています。誰か一人が書けただけでも、元気がなくなります。苦しみを共有できなければ、楽しみを共有することは出来ません。
 メリーオーケストラは、いつも新しい賛同者を待っています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

日常生活と音楽と

 映像は我が家の姫「ぷりん」トンキニーズ、女の子、7歳です。
子供のころから{犬派」だったのですが、7年前に出会った瞬間から猫派に寝返りました。すみません。あ、でも、いまでも犬大好きです。

 と言うお話ではなく(笑)、今回のテーマは「音楽」と、生きているすべての人の生活とのかかわりです。
 まったく同じ生活を送る「日」はありません。また、自分とまったく同じ生活を送る人もいません。「似たような生活」になることがあります、たとえばケガや病気で入院したとき、同じ病室にいる患者さんの生活は、起きる時間から食べる時間、寝る時間までが同じです。その人でも、退院すればまた「日常生活」に戻るのです。
 人それぞれに、日々それぞれに、違った生活をするのが、私たち人間です。

 音楽を演奏することを職業とする人の「日常生活」とは?
その人の、音楽との関わり方と、生計の立て方によって大きく違います。
プロのオーケストラで演奏する「正規団員」の場合でも、給与だけで生活できる人とアルバイト=副収入がないと生活できない人がいるのが日本の現状です。多くは後者です。
 ソリストと呼ばれる、ごく一部の演奏家の場合の年収も人によって大きく違います。ただ、オーケストラの団員とは比べ物にならない年収です。
 オーケストラメンバーの場合、多くはほぼ毎日「出勤」して練習か演奏会で日々の生活を終えます。サラリーマンと変わりません。
 ソリストの場合、演奏会の頻度にもよりますが、世界中で演奏するソリストの場合、移動移動の繰り返しに多くの時間を割くようです。移動した先で、練習する時間も限られ、すぐに演奏会。終わればすぐに移動。体力勝負ですね。
 音楽大学で学生を指導する「先生」の場合、会議などの「校務」も含めて学校からの給与で生計を立てられる人と、その他の副収入がないと生活できない人がいますが、多くは後者です。「教授」であれば恐らく前者ですが、大学でレッスンをする人の多くは「講師」つまり教授と言う肩書ではない人がほとんどと言っても過言ではありません。
 

 私の場合は「会社経営」で生計を立てていますが、これを音楽家と言えるか?については自分なりに疑問も感じますが、気持ちとしては間違いなく「音楽」で生きているつもりです。
 フリーランスの演奏家の場合、収入は不安定になる人がほとんどです。コロナの影響で生活が苦しくなり、音楽以外の仕事で生計を立てているフリーの音楽家が日本中にいます。それを放置している「日本の政府」が世界の中で最低の政府であることは言うまでもありません。

 アマチュア、つまり趣味で楽器を演奏する人にとっての日常生活。
これもひとそれぞれ、全くと言っていいほどに違います。生活のために必要なお金を得るために「働く」人もいます。家庭で家族を支える「仕事」をする人もいます。働きたくても事情があり、働けずに家や施設で暮らす人もいます。
 そんな中で楽器を演奏する楽しみを持つ人を、私は心から尊敬しています。

 プロでもアマチュアでも、どんな生活にしてもその人が望んだ生活とは限りません。他人の生活がうらやましく感じられるのも珍しい事ではありません。他人の生活をすべて知っている人はいません。自分の生活「だけ」が基準になります。日々の生活に「満足感」「幸福感」「充実感」を感じられるか?と言うのも、自分だけの基準で感じるものなのです。他人と比べられるものでは絶対にありません。
 音楽と言う「楽しみ」を生活のコア=核にすることは、どんな生活をしていたとしてもできることです。
 生活の「時間の中心」つまり、一日24時間、一週間、一か月という単位の中で音楽に関われる「時間」だけを考えれば、ほとんどの人は、ごく一部のはずです。週に1日、1時間だけ楽器を演奏できる人にとって、その1時間の楽しみが「生活のコア」であっても不思議ではありません。
 その1時間以外の時間に楽器を演奏できないからこそ、楽しめる1時間。
それまでの時間を「楽しみ」のために使う時間だと考えられれば、音楽がその人にとって、何物にも代えられない「中心」になるはずですよね。
 時間だけが生活の中心ではないと思っています。先述の通り、生活の基準は人によって違います。どこにも「平均」はありませんし、幸福感の「ボーダーライン」もありません。すべては個人の「考え方」で決まります。

 現実に自分が少しでも、一時間でも楽器に触れていたい、音楽に関わっていたいと思う気持ちは、音楽家の誇りでもあり「証」でもあります。それができない生活だからと言って、自分が音楽から離れるのは「逃げ」だと思います。
私自身は20年間、ヴァイオリンから遠ざかりました。ほとんど楽器のケースも開けませんでした。日々の生活は「サラリーマン」として生き、家族を支えることに徹しました。その期間にもしも「ヴァイオリンを弾きたい!」と思っていたら退職していたか?おそらく生活のために、現実的には「住宅ローンのために」やめられなかったと思います。その20年間、自分の楽器から遠ざかっている間は「ただ家族のため」に生きました。そして今。
 ぷりんと浩子という、二人の姫と共に暮らす人生の「コア」には音楽があります。お金もない、時間も体力もない、健康に不安もある生活ですが「音楽」が人生の「ど真ん中」にあることだけは疑いません。それが他人からどう?見えるかは関係のないことです。音楽に関わって、家族と暮らせれば満足です!
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

ヴァイオリンと弓を持って歩く時

 ヴァイオリンと弓をを手に持って、舞台に上がる時、あるいはホールの中で移動する時に、「楽器を守る持ち方」を教えてくれない先生が多すぎる!その先生に習った生徒が先生になって生徒に、正しい楽器の持ち方を教えられない!
 今日、レッスンに来た生徒が、通っている学校の部活オーケストラで、指導者に「どうやって、楽器を持ってステージに出るの?」と聞かれ、生徒が私が教えた「正しく楽器を保護する持ち方=上の写真」を示したところ「ずいぶん、えらそうな持ち方だね」と嫌味を言われ「間違ったアホの典型の持ち方」を指導されたと言います。下の写真がその「アホの持ち方」です。楽器と弓をぶら下げて歩く「アホの図。 

ヴァイオリン、ヴィオラと弓を持って「歩く」ことが、どれだけ危険な事か知らない人間は、ヴァイオリンなんぞ教える資格はありません!恥を知りなさい! 
 舞台に出る時に、他のメンバーが「悪気なく」楽器にぶつかったら?
ぶつかった人の責任は「ゼロ」です。ぶつかって壊れる持ち方をしていた人間の「過失」が100パーセントです。これ、保険の常識です。保険以前に「ヴァイオリン弾きの常識」です! 
 弓を「だらん」とぶら下げて歩いて、もしも自分の脚に絡んだら?折れるに決まってますよね?他人の脚にからんでも、折れます!弓は折れたら「全損」という事も知らない人間は、弓を持つ資格なし! 
 「知らなかった指導者」は、今日から生徒に正しい持ち歩き方を教えるべきです。。それが指導者の「責任」です。 現実にあった「事故」を紹介します。

 私が高校生の頃に、門下生発表会で銀座ヤマハホールで、出演前に、舞台裏で人が一人通れるほどの、幅の狭い階段を上がったところにある小さな部屋で音だしをしていました。その後、演奏の時間が近づいたので、その部屋から私は楽器と弓を持ち、階段を下りて踊り場で折り返し、さらに下りようとした、その瞬間に…
 同期の女の子が舞台で演奏を終えて、ヴァイオリンを身体の前に持つ形で、階段を上がってきていました。おそらくドレスで階段を上がりにくかったのでしょう。曲がり角で、お互いに「死角」でした。私の脚の「ヒザ」とその女の子のヴァイオリン表板が、不幸にして、まともに激突しました。その子のヴァイオリンは表板が割れ、駒も割れました。お互いに、どれだけショックだったか、想像していただけますか?いくら私が謝っても、澄む問題ではありません。その子の涙を一生、忘れることはできません。 
 もし、あの時に楽器を右手でかばって、上がってきてくれていたら…でも、それは現実に起きてしまいました。 

 私の生徒たちには、発表会で「数歩」歩くだけの時でも、正しい楽器の持ち方で歩かせます。それが習慣になり、当たり前にならなければ楽器を守れません。「えらそうな持ちか方」と言った人が、どのようなヴァイオリンをお持ちのかたか存じませんが、1万円のヴァイオリンでも右手の腕で駒の部分をかばって歩くのが「当たり前です。写真に「アホがヴァイオリンを持つ図」を2枚。正しい持ち方を一枚。その時の右腕と駒部分のアップを一枚、載せます。どうか!学校でもレッスンでも、生徒に楽器を守ることを第一に教えて下さい。私は、この持ち方を自分の楽器を手にした時に、職人さんに一度だけ言われました。それで覚えました。覚えられないなら、ヴァイオリンはやめるべきです。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

1(単音)+1(単音)=∞(重音)

 映像は、ドボルザーク作曲、クライスラー編曲の「スラブ舞曲第2番」です。
和音の定義は「二つ以上の異なった高さの音が同時に鳴った時の響き」です。
「ドミソ」や「ドファラ」のようにきれいに響く和音に限らず、半音違う高さの音が二つの音が鳴っていれば「和音」です。同時に発音しなくても=途中から重なって二つになっても、和音です。
言い方を変えれば、同じ高さの音がいくつなっていても、和音ではありません。

 ヴァイオリンの演奏技法のひとつに、この和音を演奏する技法があります。
「重音」と言う言い方をすることがあるのですが、先述の通り「同じ高さの2音」を同時に演奏しても和音ではないので、ヴァイオリンの開放弦と同じ高さの音を「左側の弦」で、開放弦と一緒に演奏する場合「和音」ではなく「重音」と言うのがふさわしいのかな?と私は思っています。2本の弦で同じ高さの音を演奏すると、明らかに1本の時とは違った音色になります。
 さらに厳密な事を言えば、1本の弦を演奏している時にでも、他の3本の弦が共振していますから、音量の差が大きいものの、常に「和音」を演奏している事にもなります。

 さて、私も含め多くのヴァイオリンを練習する生徒さんがこの「重音」の演奏に苦労します。
ピアニストが同時に4つ、時には5つ以上の和音を連続して演奏する「超能力」は凡人のヴァイオリニスト・ヴィオリストにはありません。
 たかが!二つの音を続けて演奏するだけなのに、どうして?難しいのでしょうか?ピアニスト、管楽器奏者、指揮者にも知って頂ければ、救われる気がします笑。

・弓の毛が常に2本の弦に、同じ圧力で「触れる」傾斜と圧力を維持すること。
・左手の指が「隣の弦」に触れないように押さえること。
・2つの音の高さを聴き分ける技術と、和音の響き=音程を判断する技術。
・連続した和音の「横=旋律」と「縦=和音の音程」を同時に判断する技術。
・ピアノの「和音」とヴァイオリンのピッチを合わせること。
・指使い=同時に弾く2本の弦の選択を考えること。
・重音でのビブラートを美しく響かせる技術。
その他にも、片方の弦を鳴らし続け、もう一方の弦を「断続的に弾く」場合など、さらに難しい技術が必要になる場合もあります。

 特に私が難しいと感じるのは、2本の弦を同時に演奏したときの「和音の音色」が単音の時と、まったく違う音色になる「不安」です。
特に、一人で練習して「あっている」と思う音程=響きが、ピアノと一緒に演奏したときに「全然あっていない」と感じる落ち込み(涙)
 生徒さんの「和音のピッチ」を修正する時にも、「上の音が高い」とか「下の音を下げて」とか笑。生徒さんにしても頭がこんがらがります。
初めて重音を演奏する生徒さんの多くが、弓を強く弦に押し付けて=圧力を必要以上にかけて、2本の弦を演奏しようとします。理由は簡単です。そうすれば、多少弓の傾斜が「ずれても」かろうじて2本の弦に弓の毛が触る=音が出るからです。弓の毛は柔らかいので、曲がります。特に、弓の中央部分に近い場所は、弓の毛の張り=テンションが弱いので、すぐに曲がります。ただ、この部分は弓の毛と、弓の棒=スティックの「隙間」が最も少ないのが正しく、無理に圧力をかけられません。初心者の多くが「弓の毛を張り過ぎる」原因が、ここにもあります。張れば張るほど、弓の持つ「機能=良さ」が失われることを忘れてはいけません。弓を押し付けなくても=小さな音量でも、重音をひき続けられる技術を練習することが必須です。

・弓を張り過ぎず、2本の弦を全弓で同じ音量で演奏する練習。
・調弦を正確にする技術。
・右隣の開放弦と左側の「1」の指で完全4度を演奏する。
・右側の開放弦と同じ高さ=完全一度の音を左側の弦で探す。
・左側の開放弦と右隣「3」の指でオクターブを見つける。
・左側の弦を2、右側の弦を1で完全4度を見つける。
・左側の弦を3、右側の弦を2で完全4度を見つける。
・右開放弦と左0→1→2→3→4の重音を演奏する。

・左開放弦と右0→1→2→3→4の重音を演奏する。
上記の練習方法は、音階で重音を練習する前の段階で、「重音に慣れる」ためにお勧めする練習方法です。
ご存知のように、1度・8度、4度・5度の音程は「完全系」と呼ばれる音程=音と音の距離です。
・空気の振動数が「1:1」なら同じ高さの音=完全1度です。
・空気の振動数が「1:2」なら1オクターブ=完全8度です。
・空気の振動数が「2:3」なら完全5度=調弦の音程です。
・空気の振動数が「3:4」なら完全4度です。
それ以外の2度、3度、6度、7度の音程に関しては、何よりも「ピアノと溶ける和音」を目指して練習することをお勧めします。
厳密に言えば、ピアノと完全に同じ高さの音で演奏し続けようとするのなら、調弦の段階で、A戦以外の開放弦は「ピアノに合わせる」ことをすすめます。
特にAから一番近い開放弦「G」の開放弦を、ヴァイオリンが「完全5度」で調弦すればピアノより「低くなる」のは当たり前なのです。
 メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲第1楽章などで、全音符以上の長さで「G線の開放弦」を演奏する曲を、ピアノと一緒に演奏するのであれば、予め調弦の段階で、ピアノの「G」に合わせておくべきです。オーケストラと一緒に演奏するなら完全5度で調弦すべきです。

 偉そうに(笑)書き連ねましたが、実際に重音を演奏するのがへたくそな私です。もとより、絶対音感のない私が、2つの音のどちらか一方の高さを「見失う」状態になれば、両方の音が両方とも!ずれてしまうことになります。
単音で演奏している時には、その他の弦の開放弦の「共振」を聴きながら音色でピッチを判断できますが、2本の弦を演奏すると音色が変わり、その共振も変わる=少なくなるために、より正確なピッチを見つけにくくなります。
 ピアノと一緒に練習することで、少しずつ正確な「和音」に近付けるように、頑張って練習しましょう!
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

演奏の楽しみ方、色々

 映像は、今から20年前の2002年、1月14日におこなったメリーオーケストラ第1回定期演奏会の様子です。モーツァルトのディベルティメントニ長調。
小学生の会員とプロの演奏者が同じステージで「一緒に」音楽を楽しみました。
楽器の演奏を楽しむ人は、世界中にたくさんいます。
それらの人たちが演奏する楽器も様々です。どんな楽器でも演奏を楽しめます。
手軽に持ち歩ける楽器ハーモニカやオカリナから、パイプオルガンまで大きさも様々です。一人で和音を演奏できるピアノやオルガン、ギターやハープもあれば、一人では和音を演奏できないフルートやトランペット。限られた「重音」が演奏できるヴァイオリンやチェロ。本当に楽器の特徴も様々です。

★楽器を演奏すること「そのこと」が好きな人もいます。
極端に言えば、曲が演奏できなくても「音を出すことが好き」と言う人も立派ンアマチュア演奏家です。
★自分の好きな音楽を演奏することを楽しむ人もいます。
ジャズやポップス、クラシックなどどんな音楽でも立派な音楽です。
★一人で楽器を演奏することが好きな人もたくさんいます。
生活の中で楽器を演奏できる時間は、限られています。自分の好きな時間に自宅で一人、楽器を演奏することが、最も現実的なことです。
★誰かと一緒に楽器を演奏する「楽しさ」を知った人の多くは、「一緒に演奏する」友達ができます。もちろん、気の合わない人と一緒に演奏するのは楽しい事ではありません。楽器をひくのは好きでも人間関係が煩わしくなることも、残念ですが、稀にあります。
★プロでもアマチュアでも音楽の多くは、誰かと一緒に演奏されるものです。
言い換えれば、一人だけの演奏より数もジャンルも楽しみ方も、誰かと演奏するほうが圧倒的に「楽しみが広がる」と思います。

「人と一緒に演奏する技術なんてありません」と仰る生徒さんがたくさんいます。気持ちは理解できます。確かに、自分以外の演奏を聴きながら演奏する「技術」には何よりも慣れが必要です。慣れるためには「技術」より「決意」が必要ですよね。
 メリーオーケストラ会員=メンバーのほとんどは、楽器演奏の初心者です。「まさか!と思われそうですが事実です。会員の中には、若いころ(笑)部活動で吹奏楽を経験した人や、他の団体を辞めて参加している人も数人います。
では、どんな技術があれば?オーケストラで演奏を楽しめるのか?という話です。
1.楽譜の「ドレミ」と「音符の意味」を少しでも理解できること
2.自宅で練習できること
以上です。本当に!
楽譜を音にする技術を身に着けるためには、何よりも「自分を追い込む」練習を繰り返すしかありません。それを、自宅で繰り返すことで、合奏に参加して楽器を演奏することができるようになります。当然、始めのうちは、楽譜を目で追いかけるのが精いっぱいか、どこを演奏しているのか?迷子になるのが普通です。
 一人で演奏して楽しむ人=ひとり演奏者の多くは、楽譜を覚えることより、自分の知っている音楽を演奏したいですよね?早い話「主役」である「主旋律」だけを演奏するのが「ひとり演奏」です。
 一方で誰かと一緒に演奏する場合、自分が演奏する音楽が相手の「支え=副旋律」を演奏することも必要になります。覚えにくいメロディーの場合もありますし、CDや動画を聴いても「聴きとれない」場合もあります。一緒に演奏する人が全員ん、同じ旋律を演奏することを「ユニゾン=斉唱(奏)」と言います。「校歌斉唱!」でみんなが同じ旋律を歌った記憶がありませんか?「二部合唱」の場合、二つの声部が同じ旋律を歌ってしまえば「斉唱」ですから、違う旋律を「時々」歌うのが一般的な二部合唱です。

 自分の演奏する音楽と、同時に誰かが演奏する音楽が「ひとつの音楽」になる。それを「特別な音楽」と思い込むのは、楽器は一人で演奏するものだと思い込んでいる人の勘違いです。
 私たちが生活していて耳にする音楽は、ほぼ100パーセント「複数の人が演奏している音楽」です。オーケストラやクラシックを聴かない人でも、「一人だけで演奏している音楽」ばかりを聴く人がいるとしたら、かなりのマニアです笑。
 J-POP、映画音楽、ゲーム音楽(複数の音色が同時に鳴っています)、ドラマやニュースのテーマ音楽、コマーシャルなどなど…無意識に聴いている音楽は、いくつもの声部=旋律が同時に演奏されている音楽です。人間が演奏していない音楽もありますが、今は「演奏する楽しみ」がテーマですので割愛します。
 ある時は主旋律を演奏し、ある時は誰かと一緒に主旋律を、ある時は副旋律を、ある時はリズムを、ある時は「休符」で他の演奏者を目立たせる…などなど、それが「合奏」の楽しみです。
 合奏するためには、誰かと交流することが不可欠です。それが「苦手」な人もいて当然です。無理に…とは思いませんが、音楽をもっと!楽しみたいと言う気持ちと「苦手だなぁ」と言う気持ちを天秤にかけて、よしっ!音楽だ!と決意するのも「あなた自身」なのです!
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

聴くのが好きなヴァイオリン曲

 映像は、アンアキコ=マイヤーズが演奏するラヴェルの「ツィガーヌ」です。
多くのソリストが演奏するこの曲。学生時代は「なんのこっちゃ」と不謹慎にも興味を持てませんでした。ただ難しいだけ…のように思いこんでいたことと、自分の音楽の引き出しが少なかったことが原因です。

 人によって好きな音楽が違うように、それまでに聴いた音楽の「数」も大きく違います。数が違えば当然、音楽の「スタイル」についても聴きなじみのあるスタイルの数も変わります。それは「食べたことのある料理や食材」に似ています。カレーとハンバーグと目玉焼きしか食べずに暮らせば、それ以外の食べ物は「食べたことがない」料理です。もしも、聴いていた音楽が「モーツァルトとバッハだけ」だとしたら?おそらくそんな人はいないと思いますが、少なくともツィガーヌを初めて聴く人の中には「なんかよくわからない音楽だなぁ」と感じる人がいても不思議ではありません。それが何故なのか?を説明するためには、ツィガーヌと、その人の聴いたことのある音楽との「違い」を説明する必要があります。その専門的な知識や説明より大切なことは、音楽にも料理のように「幅」があることを知ってもらう事だと思います。
 聴きなじみのない「様式」の音楽に違和感があるのは当たり前のことです。
実際、私は現代音楽と呼ばれる音楽の中で、未だに違和感のあるものがたくさんあります。その現代音楽が好きな人もいるのです。

 さて、私もヴァイオリン弾きの一人として、このツィガーヌを「演奏したいか?」と聞かれたら、迷わず「いいえ」と答えるでしょう笑。聴くのは大好きなのに、なぜ?
・自分の演奏技術に足りない技術が多用されていること。
・自分が演奏する「イメージ」が全然わいてこないこと。
・演奏することに必死になっている演奏を聴きたくないこと。
一言で言えば「逃げ」です。素直に認めます。演奏技術に「定年」も「期限」もありません。61歳の私が今日から練習して、身に着けられる技術が必ずあります。挑戦する「意欲」が不足していることが何より「ダメ」です。
強いて言い訳をひとつ増やすと「楽譜を覚えるためにかかる時間と労力が恐ろしい」2小節ずつ?画面に映し出して記憶してから楽器を持つ「暗譜方法」の今、この曲、いったい何ページ?と思うと逃げ出したくなります。でも、ただの言い訳です。すみません。

 生徒さんたちから、新しい曲の楽譜を見て「むずかしそう!」と言う悲鳴に似た言葉を聞きます。つい、「大丈夫!ほら、こことここは、こうやって練習すれば…」と元気づけるつもり言ってしまいますが、本人にしたら巨大な壁が立ちはだかっている気持ちですよね。子供の場合には、「むり(泣)できない(泣)」楽器が涙で濡れます。その生徒さんたちの「挑戦する心」に敬意を持ち続けたいと思います。
 自分ができるから、生徒もできると思い込むのは、指導者として最悪です。
一方で、自分が出来るようになった「道」を生徒に教えてあげることと、その道以外の道も教えてあげられることは、何よりも必要な指導技術です。
「なんで、そんな簡単なことができないの?」は最悪です。
同じシチュエーションで
「そこ、どう?むずかしいの?」と聞いて生徒に考えさせるのは良いことです。
生徒の「むずかしい」を解決する「答え」を持っていない人、あるいは難しいと思う生徒を教えたくない人は、生徒を指導する資質に欠けていると思います。
 自分ができない理由を、一番知らないのが、自分自身です。
死ぬまでに笑、ツィガーヌをひけたらいいなぁと思うのでした。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

音楽に救われる人間

 映像の音楽は、ヘンデル作曲「オンブラマイフ」をヴィオラとピアノで私と浩子さんが演奏したものです。音楽を演奏したり、聴いたりすることが好きな人は、時に音楽に救われる気がするものです。私だけかもしれませんが…。
 楽器を演奏しているときに、音楽の事だけを考えられる人を「音楽が好きな人」と言います。音楽を聴いているときに、聴こえてくる「音」に身を任せられる人も「音楽を好きな人」だと思います。
 好きなことに没頭できる人は、とても幸福な人だと思います。
ただ、それを「幸福」と感じないまま過ごしていることも珍しくありません。当たり前のことになっているから感じられない「健康」と同じです。
 「音楽が中心」の生活は単純に時間とお金の問題だけではないと思っています。音楽に関わる仕事をしているから「音楽が中心」の人生?とは限りません。一日の大半を家事や仕事、育児に費やす日々が続いたとしても「いつかきっとまた!」と思い続ける人は「音楽が中心」の生き方だと思います。
 生活の為に、音楽から遠ざかる「時間」が、ある人の方が多いのではないでしょうか。その時間に自分を失わないでいることは、口で言うほど簡単ではありません。その生活に「我慢」できなくなった時、改めて音楽に向き合えるうれしさを感じます。

 たかが音楽ですがが、音楽が好きな人にとって、音楽以外のことは…
「たかが」よりさらに「どーでもいいい」ことなのかも知れません。
・他人との関係
・仕事場のストレス
・お金のこと
・暮らしの事
・病気の事
いっぱいありますよ(笑)
音楽を大切にできることは、音楽を好きな人にしかできないことです。

 アマチュアもプロも関係ありません。
音楽が好きだという気持ちこそ「音楽家の証」だと思います。
音楽家である必要もありません。音楽が好きな気持ちがあれば。
「好き」と言う感情に勝るものはありません。
自分を救ってくれるのも音楽です。
形もない、目に見えない、触れられないのが音楽です。
その人にしか感じられないのが音楽です。
自分の音楽は、自分自身の感情だと思います。
いつまでも大切にしたいと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介





音楽の「すそ野」を広げるのも音楽家

 映像は、メリーオーケストラのリハーサル風景です。
音楽はどんな人でも公平に得られる「楽しみ」です。ハードロックでもジャズでも演歌でもクラシックでも、音楽であることは変わりません。人それぞれに、好きな音楽があって当たり前です。音楽に関心のない人がたくさんいるのも、当たり前です。音楽が「つまらない」と思う人もいます。その理由も様々です。
 音楽を演奏して楽しむ人が、聴いてくれる人も楽しんでもらえたら、演奏する楽しさは何倍にも大きくなります。聴いてくれる人が減っていけば、いずれ演奏する人も減り続けていきます。
 クラシック音楽の演奏技術を学ぶ人にとって、目指すのは「一流の演奏家」です。少なくても「三流の演奏家」「へたくそ」と呼ばれたくて学ぶ人はいないのでは?と思います。演奏技術を高め、競争に勝ち抜き、演奏家としての「名誉と地位」を得た人が「一流の演奏家」なのでしょうか?

 演奏技術に「序列」を付けたがる人もいます。その人が思うだけなら、何も問題はありません。厳密には「○○さんが一番うまいと私は思う」と言うだけのことです。それを言葉や文字にするのも、その人の自由です。
 うまい・へたと感じるのは「個人の感性」であり、音楽を聴いて楽しいと思えるか?つまらないと思うか?も「個人の感性」です。先に述べたように、音楽は本来「楽しい」と感じられるもののはずです。技術を競い合うための物ではありません。どんなに演奏技術を高めたとしても、聴いてくれる人が「楽しそう」と思わなければ聞いてもらえないのです。

 音楽を聴くこと、演奏することに興味や関心のない人の方が多いのです。特にクラシックの演奏会、オーケストラの演奏会に行ったことのない人の方が、圧倒的に多いのが現実です。その現実を少しでも変えていくことが「音楽のすそ野を広げる」ことだと信じています。
 音楽を聴くことが楽しいと思ってもらえるために、何ができるでしょうか?
演奏会に「行ってみようかな?」と思えるコンサートを作ることです。
休日の昼間に、入場無料で子供連れでも赤ちゃんと一緒でも聴けるコンサート。
曲目の中に「タイトルを聴いたことがある」曲や「知っている」曲を含めること。
クラシックを知らなくても楽しめる「雰囲気」を感じられるプログラムにする。
これらを具現化したのが、メリーオーケストラの演奏会です。
 実施するために必要な「お金」を演奏するアマチュアメンバーの会費と演奏会参加費、さらに活動に賛同してくださる「賛助会員」からの賛助会費で賄っています。プロの演奏家には「交通費」しか支払えません。それが現実です。それでも毎回、多くのプロの演奏家が参加してくれています。
 彼らの協力がなければ、この活動は維持できません。アマチュアメンバーだけでも演奏会は開けますが、聴いてくださる人への「インパクト」がまったく違います。それこそが「演奏技術」なのです。アマチュアにはできない演奏をプロが出来るのです。その演奏を聴いた人が「楽しい」と思ってくれれば、プロの演奏会にも「行ってみようかな?」と思ってくれる信じています。
 演奏技術が高くても、演奏する場がなければ「宝の持ち腐れ」です。
未来の演奏会に、一人でも多くのお客様が聴きに行ってもらえるための活動を、誰かがしなければと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

ビブラートとボウイングの個性

 映像は、アンアキコ=マイヤーズの演奏する、エンニオ=モリコーネ作曲「シネマパラダイスより愛のテーマ」です。
 ドイツ人の父と日本人の母を持つアンアキコ=マイヤーズ。
多くのCDがありますが、私は「ボウイングの美しさ」と「ビブラートの柔らかさと深さ」に大きな魅力を感じています。
 演奏家にとって「個性」は演奏技術の高さと同等以上に大切なものだと思っています。ヴァイオリニストの個性は、どんな要素が考えられるのでしょうか>
 音楽の解釈という点で言えば、どんな楽器の演奏者にも共通の「個性」があります。テンポや音の大きさに対する好みでもあります。
 さらに詳細な点で考えると、楽器による違いがありますが、これは演奏者の個性とは言えないと思います。ちなみに彼女は、グヮルネリ=デルジェスの楽器を終身貸与されているそうです。彼女以前には、パールマンやメニューインも使っていた楽器だそうです。楽器の個性を引き出し、演奏者の好みの音色と音量で演奏する技術がなければ、どんな楽器を演奏しても変わりませんから、演奏者の個性だと言えないこともないですね。ただ、どんな楽器を演奏できるか?は演奏者の個性とは無関係です。

 まず第一に「ボウイング=弓の使い方」の個性があります。
楽器の弦を馬のしっぽの毛で擦るだけの「運動」ではありません。弓の使い方にこそ、演奏者の個性があります。つまり「うまい・へた」ではなく、まさしくヴァイオリニストの「声」を決定づけるのが、弓の使い方です。
音量と音色を変化させる技術を、単純に考えると
「弓を弦に押し付ける圧力」
「弓と弦の速度」
「弓を当てる弦の位置」
「弓の毛の量=倒し方」
「弓に対する圧力の方向と力の分配」
「演奏する弓の場所」
になります。たくさんありますね(笑)
まず右手の5本の指それぞれに役割を持たせることが必要です。
親指の位置、柔らかさと強さ、さらに力の角度も重要です。
人差し指の位置と場所によって、親指との「反作用」が大きく変わります。
さらに圧力の方向を、弦に対して直角にする力と駒方向に引き寄せる力の割合がとても大切です。一般に弓の「圧力」は弦に対して直角方向の力だけと思われがちですが、実際には弓の毛と弦の摩擦を利用して「駒方向への力」も必要です。
 弓を倒した状態で単純に弦に直角方向だけの力を加えれば、すぐにスティックと弦が当たってしまい雑音が出ます。しかし、倒した状態で、駒方向に引き寄せる力に分配することで、より強い摩擦を弦と弓の毛に生じさせることが可能になります。
 アンアキコ=マイヤーズが演奏中の弓を見ると、かなり倒れた状態で演奏しているのがわかります。それでも、太く柔らかいフォルテが出せるのは、彼女の「力の配分」が非常に巧妙だからだと思います。
 人差し指以外の中指・薬指・小指が、弓の細かい振動やバウンドを吸収できなければ、弦と弓の毛、スティックの「勝手な動き」をコントロールできません。
 手首、前腕、肘関節、上腕、肩関節、背中と首の筋肉が「連動」しなければ、ただ大きい、ただ小さいだけの音しか出せず、さらに「弦に弓の毛が吸い付いた音」は出せません。上記の要素をすべてコントロールするテクニックがあって、初めて「自分の好きな演奏=個性」が引き出されます。

 次に、ビブラートの個性です。
一般にヴァイオリニストのビブラートは、「あっている音=正しいピッチから低い方に向かって、滑らかに連続的に変化させる」という概念があります。
 以前のブログでも書きましたが、やたらと「細かいー速い」ビブラートで演奏するヴァイオリニストが多く、私は正直好きではありません。確かに「派手・目立つ」のは「高速ビブラート」ですが(笑)
 では遅ければ良いのか?と言うとそれも違います。アマチュアヴァイオリニストのビブラートは「うわんうわん」「よいよいよいよい」と言う表現ができる遅さで、さらに不安定です。「下がって止まる⇔上がって止まる」の繰り返し=階段状の変化もビブラートとしては「未完成」です。
 変化の量=ビブラートの深さも個性です。
演奏する場所=音によって変わりますが、いつも同じ深さのビブラートしかかけられないヴァイオリニストを多く見受けます。また、深く速いビブラートを連続するためには何よりも、手首と指の関節が「柔軟」で「可動範囲が大きい」ことが求められます。下の動画はアンアキコ=マイヤーズの演奏する、メンデルスゾーンのヴァイオリンコンチェルトです。ビブラートの多彩さと柔らかさ、さらに手釘と指の動きが如何に滑らかかよくわかります。

 ヴァイオリニストの個性は、単にうまい?へた?と言う比較では表せません。
むしろ聴く人の「好み」が分かれるのが個性です。
 アマチュアヴァイオリニストでも、プロのヴァイオリニストでもいえることは、自分の演奏にこだわりを持つことと、常に自分の演奏の課題を修正する「努力」を続けることだと思います。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介