メリーミュージックブログ

演奏家夫婦が優しく丁寧に指導

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演奏の技術

人格と権威の違い

 映像は斎藤秀雄「先生」の動画です。
あえて「先生」とさせて頂いたのは、私自身が直接お会いしたことがなく、指導を受けたこともない偉大な音楽家であり、自分が学んだ「桐朋」という音楽学校の創設者でもある人物なので、敬意を込めて「先生」とお書きしました。
 直接指導を受けていない私が語れることは、学校と言う勉強の場で学びそこから巣立ち、自らすそ野で音楽を広げる活動の一端を担う仕事をする立場からの感謝と自戒の内容です。

 音楽家としての人格は、後世に残したもので評価されると思います。
当人の存命中に評価される言葉の中には、よいしょもあれば嫉妬もあります。
生きている間にどれだけの音楽を演奏したか?が演奏家の評価だとすれば、それはそれで受け入れます。ただ、音楽はその場で消える芸術です。聴いた人だけに伝わるのが音楽です。どんなに世界中で演奏したとしても、実際に聞くことのできる人の数は限られています。
 音楽が伝承の芸術であることは、以前のブログでも書きました。自分だけの力で音楽を演奏している勘違い。音楽を伝承するという役割が、音楽家だと思います。

 一方で「権威」は、人格とは別のものです。
1 他の者を服従させる威力。
2 ある分野において優れたものとして信頼されていること。その分野で、知識や技術が抜きんでて優れていると一般に認められていること。また、その人。オーソリティー。
 ご存じの方も多いと思いますが、山崎豊子さんの原作「白い巨塔」という作品があります。医師に求められるものとは?という壮大なテーマを描いた長編ドラマになっています。
 権威を「名誉」と思う人がいます。他人から褒められ、崇められ、多くの人が自分の周りに集まることが「快感」になり、それを「権威」と思うのでしょう。
現代のクラシック音楽界で「権威」を持つ人、正確に言えば「権威者と呼ばれている人」が何人か「いらっしゃい」ます。敬語を使ったのは、多少の嫌味です。
私は権威と言うものが嫌いな人間です。確かに、狭い世界~業界の中で特出した能力や技術を持った人はいるものです。その人の努力と労力には心から敬意を持っています。それは、私自身の「気持ち」でしかなく、本人にも他人にも伝える必要のないことだと思います。「尊敬する」のは個人の感情なのです。
 マスコミや「お取り巻き」が、よいしょする人=される人に、まともな人がいないように思うのは、天邪鬼かもしれません。やっかみもあります。
 正当な評価は、後世にされるものだと思っています。権威が「お金」と無関係ではないことも事実です。学校を立ち上げるのに「お金」がかかります。それを成し遂げた斎藤秀雄という「権威者」がいなければ、私たち卒業生は今の生活を出来なかったのです。まさに形として残された「学校」が人を育て、音楽を伝承する後継者を輩出したのです。

 音楽家が名誉を求めるのか?後世に形として残せる学校や組織を作るお金を集めるべきなのか?名誉とお金は、リンクするものでしょうか?
お金は生きている間に人からもらうものです。名誉は生きていなくても受けられる形のない「評価」です。権威者として、他の音楽を従えることは伝承にはなりません。人格者として尊敬される人とは違うのです。
 敢えて名前を出すことは控えますが、先輩音楽家や友人の中には、前述の「権威者」として君臨する人もいます。個人的に存じ上げている人もいます。
その人たちが次世代の音楽家たちに何を残すのでしょうか?
先人の作った「学校」でふんぞり返る「先生」を気取る人。
自分の恩師を「看板」に使う人。
自分のお気に入りの音楽家だけを「侍らせる=はべらせる」人。
私を含め、60代を過ぎた音楽家が出来ることは、若い音楽家が出来ることとは、量も内容も違います。遅きに失したとも思いますが、若い間に出来ることを「伝える」ことができるのは、私たち世代ではないでしょうか?そして、若い世代がさらに次世代の音楽家に延焼する「環境」を残すことも私たちの役割ではないでしょうかか?演奏家として生涯を終える人も尊敬しますが、それだけでは、音楽は伝承されません。誰かが権威や名誉にとらわれず、「学ぶ場」を作ることが必要だと信じています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

音楽を振り付ける

 一つ目の動画は、中高生の演奏する「カヴァレリアルスティカーナ間奏曲」です。本来、コントラバスはオリジナル編成にありませんが指揮者(私)の一存で参加させています。子供たちの「動き」に注目して頂けると、まるで振付をしたように同じ動きをしているのが見て取れます。実際に動きを教えました(笑)単に「感情を込めたように」とか「うまそうに」という無駄な動きではないはずです。たまに見かけるアマチュアの「謎のダンス」を伴う合奏や合唱とは、意味が違います。
 音楽の流れ、重さ、拍を演奏する子供たちが「共有」するための動きと、弦楽器を演奏するうえでの身体の使い方の両面から「必要な動き」を教えたつもりです。そのことで、弓の場所や弓の速度・重さ、さらには音楽の流れを体感し他の演奏者と共有できます。

 二つ目の映像は、私と浩子さんの「クロリスに」です。
言うまでもなく、何度も何度もお互いの音を聴きながら練習し、演奏会を経験している時間を経て、合図を打ち合わせすることも、ほとんどありません。
むしろ、私の「動き」に反応して自然に音が出るのを「わざとずらす」場面があります。下の動画をご覧ください。

 お気付きでしょうか?最後の「ソ」を私がヴィオラで演奏する「合図」と「ヴィオラが音を出す時間」がずれているのを確認できるように、最後の部分だけスローにしてあります。
 ピアノには先に進んでもらい、意図的に旋律を演奏している自分のヴィオラを「遅れて」発音させています。ポピュラー音楽では良く見かける奏法です。
合図を出しながら、自分は遅れて移弦し音を出すのは、特殊な「振付」ですが、これも音楽の「スパイス」になると思います。

 ここまで凝らなくても(笑)音楽を感じて動く。動くことで演奏に必要な「速度」と「重さ」を筋肉に伝え音にする。相乗効果があります。逆に言えば、音楽と関係のない動きで、その動きによって壊される音楽もあり得ます。この点は要注意です。なんでもかんでも動けばいいわけではありません。まず、音楽を感じることです。その音楽が動く「速さ」と「重さ」を感じて、それを自分の身体の動きに置き換えることです。動かない演奏を「最高」とする演奏家もいます。以前書きました。それもその人の価値観です。
 ぜひ、音楽を感じて演奏してみてください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

自由を阻害する「思い込み」

 この動画で私が装着しているのは「暗所視支援めがね」と呼ばれる、夜盲の患者のQOL(クオリティ・オブ・ライフ)を向上させるための眼鏡です。
決して「似合わないおしゃれ」で装着しているのではございません。
普通の人にとって「少し薄暗い」明るさが、私達「網膜色素変性症」の病気を持つ人間には真っ暗闇なのです。と言いつつ、普通の人の「真っ暗闇」を体感したことがないので微妙です(笑)

 さて、今回のテーマは「自由に演奏したいけれど…」と言う演奏者共通の悩みです。そもそも音楽は、作る人、演奏する人、聴く人の自由があってこその楽しみです。制約されたり、強要される感情を持ちながら「自由」は感じられません。つまり音楽自体が、人間の自由な感情があってこその芸術だと思います。
 自分が、ある曲を演奏しようと練習しているとき、いつの間にか自分で自分に「規制」をかけていることがあります。むしろ無意識に自分の演奏にある種の「枠」を作っている場合です。
 アマチュア演奏家の場合特に「自分にはできない。」「できもしないことをしている」「アマチュアだからこの程度で満足」などの思い込みがあります。
 プロの場合にも「この作曲者の意図は」「自分の解釈がまちがっているかも」「他の演奏者は…」「好きな曲じゃないのに頼まれたから」などなど、考えすぎと思い込みがあるように感じます。

 自分の演奏技術を自己評価することは大切です。
過少・過大にならずに客観的に評価することは一番難しいことです。
誰かに指摘してもらえる環境、たとえばレッスンや友人の率直な感想は何よりも大切にするべきです。素直にその言葉を受け入れられないほどの自己評価は、やはり思い込みでしかありません。「良かったよ」と言われても信じない。「もうちょっと音量があってもよかったかも」と言われて逆切れする。どちらも自分の思い込みで自分の演奏を評価しているからです。
 評価する人が「素人」の場合と「専門家」の場合があります。素人はまさに言葉の通り、特別な音楽的知識を持たない人やマニア的な聞き方をしない人、演奏技術のない「普通の人」です。この人たちの評価が、実は一番素直です。
 一方の「専門家」の評価が、間違った思い込みによる不幸な結果をもたらします。演奏する側が「アマチュア」で評価する側が、なんの?専門家なのか?によって、演奏者の自由な音楽をぶち壊します。ひとつの例を書きます。
 全国高等学校〇〇オーケストラフェスタ」なるただの合同演奏会で、とあるプロの指揮者(私的には5流ちんぴら)が演奏した生徒たちの講評で、子供たちの演奏を「えっっっっっっっっっらそうに」上から目線で「直せ!」口調で話します。言われた子供たちの中には涙を流す子供もいます。参加者全員がいる前での事です。ありえないことです。これが「プロの指揮者」だとしたら、メトロノーム様をマエストロと崇めたほうが1億倍、素敵な音楽ができると確信します。5流様は良かれと思って話しているから悪意はないのでしょう。
ただ「無知」で「無能」過ぎます。

 演奏者がプロ(専門家)の場合、周囲からの評価はある意味で「死活問題」でもあります。悪く言われれば、次の仕事=演奏の機会がなくなるかもしれないという「恐怖」があります。特に怖がるのは、なぜか?「評論家」の評価です。
 申し訳ありませんが私は「音楽評論家」と言う職業を、害悪としか思いません。なぜなら、彼らは自分で演奏しないからです。自分自身が演奏家であり、他の演奏家の演奏について評論するとしたら、それは評論ではなく演奏者本人に直接伝えるべき「感想」です。たとえそれが「よいしょ」な内容であったとしても、他人の演奏について一般の人に読まれ、聴かれる場で「評論」するのは、思い上がりも甚だしいと思っています。
プロの演奏について評価をする自由があるのは、聴衆と「主催者=雇用主」です。聴衆=素人が何を思おうが自由です。演奏会の主催者が「だめ」と言えばそれも受け入れるしかありません。
 だからと言って、演奏者が怯えながら演奏するのは、自由を阻害されることになります。私を含め、自主公演でコンサートを開く場合、お客様の反応と自分たちの評価を「すり合わせる」ことがすべての基準になります。
 演奏会後に集めさせてもらう「アンケート」用紙に書かれたお客様の、一文字一文字、行間から私たちの演奏への「評価」を読み取ります。次の演奏会に向けて、その評価を基に練習します。喜んでもらえたプログラム、表現など人によって違う自由な感想を、より多く集めることで自分の「思い込み」を正します。
 「絶対」に良い演奏は存在しません。あくまでも「主観」の世界です。
演奏する本人が、自分の思う通りに演奏した結果、ひとりでも喜んでもらえる人がいる演奏会なら、演奏した意味があります。評価を怖がることなく、聴いてくれる人の笑顔と演奏後の拍手を糧に、練習したいと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

グリッサンドとポルタメントは色っぽい?

 今回のテーマは、ヴァイオリンの演奏技法の中で言う「グリッサンド」と「ポルタメント」についてです。
あまり難しく考えずに、直感的な言葉で書いていきますので、お読みいただければ幸いです。
 上の動画はフィビヒ作曲の「ポエム」です。
音のつなぎ目を無段階に音を変化させてつないだり、音の出だしにその音より低い音から無段階に、ずり上がるように演奏し始める演奏方法があります。
 特殊な例として、その音より高い音から始めたり、最後に高い音に跳ね上がるように演奏する場合もあります。
昔の女性アイドル、たとえば松田聖子さんの歌い方。思い起こせますか?
 ヴァイオリンの場合、音と音の間を「なめらかにつなげる」場合と、「はっきり区切る」場合があります。単にレガート=スラーなのか、弓を返すのかという問題ではなく、音の高さの「差」を埋める方法です。

 こちらはマスネー作曲のタイスの瞑想曲。多くの方が演奏し「この曲をひけるようになりたい」という生徒さんも多い曲です。
 ピアノやハープのグリッサンド奏法で出せる音は、「音階」です。厳密に言えば、1オクターブを12等分した「半音」が最小の差で、その倍の「全音」との組み合わせです。
 他方、弦楽器や声=歌トロンボーン、まれにクラリネットやサキソフォーンなどで多く用いられるグリッサンド奏法は「半音」よりもさらに細かく、無段階に音の変化をさせる奏法です。

 さて、ヴァイオリンを演奏する際に、基本はひとつずつの音の高さを明確に区切って演奏することです。言い換えれば、発音する時間から終わる時間までビブラート以外のピッチを変えない演奏です。わかりやすく言えば「オルガン」の音のように明確に音の高さが聞き取れる音です。
 ある音から次の音への「高さの差」をすべてグリッサンドで埋める場合もありますが、多くの場合は次の音の「少し前の時間」から「少し高い音」または「少し低い音」からその音に到達する方法を用います。
 「意味が分からん」と言われそうです。
下の動画の中で時々聞こえる「にょ~ん」(笑)探してみて下さい。

 いかがでしょう?聞き取れました?
ちなみにこのグリッサンドやポルタメントを加えると
「いやらしい」「ねばっこい」「いろっぽい」「あまったるい」
そんな印象を感じませんか?感じ方は人それぞれなので正解はありません。
どんな飾りや調味料でも、多すぎるとねらった美しさやおいしさを表現できず、飾りや調味料「だけ」の印象が強くなってしまいますよね?あくまで「自然」に感じる量が肝心です。
グリッサンドが多すぎると、しつこく感じ、不自然に感じます。
あくまでも「意図的に」加え、聴いていてちょっとした「アクセント」にとどめるべきです。もちろん、グリッサンドをまったく加えなくても音楽は素敵です。
必要不可欠な奏法ではありません。ただ「味つけ」として、この演奏方法を使いこなすことも大切な練習だと思います。

 下の動画はパラディスの作曲したと言われるシシリエンヌです。
色々なヴァイオリニストの演奏を聴いて、自分の好きなグリッサンドを探すのはとても楽しいことだと私は感じています。できる出来ないよりも、自分が美味しい!と思った味を自分で再現してみる「楽しさ」を感じます。最後までお読みいただき、そして最後までお聴き頂きありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

ヴァイオリン演奏と力

 動画は、ヴァイオリンの演奏とは一見、無関係のように感じますが、楽器を演奏することは「運動」を伴う事なので、とても参考になる動画です。
動画の中で「意識」と「無意識」という言葉が良く出てきます。

 ヴァイオリンを演奏する時に、私たちが必要とする運動を意識したり、無意識だったりします。指の動き手首の動き、肘の動き、肩の動き、首の動き、胸の筋肉の動き、背中の肩甲骨や筋肉の動き、前後のバランスを保つ腹筋と背筋、腰の周りの力、股関節に入れる力、膝の関節の曲げ伸ばし、足の裏の感覚。
これらは「無意識」の中でも何かしらの「仕事」をしています。

 自分の出したい音色や音量、ポジション移動やビブラートを練習する時、自分の身体なのに、「思ったように動かせないこと」があります。
音楽的な「力」を考えると、アクセントやスフォルツァード、フォルテピアノなどのように「瞬間的な力」を感じる場面と、クレッシェンドティミニュエンドのように「徐々に」力が増えたり減ったりする場面があります。
発音の瞬間のアタック、急激に弓をとめる運動、ダウンからアップ・アップからダウンに代わる瞬間の運動など、音楽で力を度外視できません。
演奏家の多くが「運動音痴」です。幼い時から手や腕にケガをすることを避けて、球技に縁のない人が多いのも現実です。武道にはもっと無縁です。
ヴァイオリニストの五嶋龍さんは、幼いころから空手を習い黒帯だそうですが、彼の演奏姿勢にはその「気」を感じることがあります。

 ヴァイオリンを演奏する時、どうしても「指」と「手首」と「腕」に気持ちが集中してしまいます。当たり前ですが、指は手のひらに、手のひらは手首に…とすべての部位が「連携」しています。足の裏から頭のてっぺんまで、どこも「離れていない」のです。ヴァイオリンと弓という「道具」を自分の身体のどこかで支えたり、動かしたり、力を加えたりします。言い換えれば、楽器と弓だけが「体から離せる」存在です。楽器や弓は人間の力がなければ、動くことも音を出すこともできません。
 自分の身体の「延長線上」に楽器と弓があります。

 ヴァイオリンを演奏するために必要な「力」は、常に「ヴァイオリンの内側」に向かってかかる力です。
 弦を押さえる左手の指の力は「ネックの中心」に向かう力です。その力の反対方向の力=支える力を、左手の親指・鎖骨・顎の骨と表皮で作ります。この「上方向」への力は、左腕を持ち上げるところから始まっています。
 左手を、ファーストポジションの位置に持っていくとき、
手前から手を伸ばしがちですが、腕を支えるのが「肩の筋肉」だけになりがちです。自然に腕を伸ばした状態で、肩を動かさずに左腕を「振り子」のように前方に持っていくことで、腕全体を背中と胸の筋肉が支えてくれます。
 ヴァイオリンを無理に持ち上げようとする力も有害です。
鎖骨に楽器を乗せる。首の皮と顎の骨を、楽器の上から「下ろす」ことで楽器は保持できるはずです。
 左肩の位置を決定するために、胸の筋肉と背中の筋肉が、どちらにも無理のない位置を探すことが大切です。前に出しすぎれば、背中の筋肉が必要以上に固くなります。肩が後ろすぎると、胸筋が伸び切り背中にも無駄な力が生まれます。ちょうどいい位置に「肩を落とす」ことです。

 右腕を上げる時にも、首の筋肉に力を入れずに、右手のこぶしが「おへそ」の前に来る辺りで止めます。右肘を「前・上方向」に動かせば、演奏する時の右ひじの位置を理解することができます。肘の高さ=体からの距離は、演奏する弦によって変わるものです。弓の元で、右ひじを上げることで「元弓のつぶれた音」を出さなくてよくなります。アップで元に近づくにつれ「窮屈な音」が出ている人は、ぜひ右ひじを「斜め後ろ・上方向」に引き上げてみてください。この時に首の筋肉に力をいれないことです。肩の関節を頭の方向に引き寄せてしまうと、肩が上がって自由がきかなくなります。「肩を下げたまま、腕を上げる」感覚を覚えることです。

 弦を弓に押し付ける「力」は、弓の重さと右手の「親指と人差し指」の逆方向への力で生まれます。親指を「上」へ、人差し指を「下」へ。この力を指だけで作る場合と、「前腕の回転=反時計回り方向へのひねり」で作る場合があります。指の力は瞬間的な運動に適しています。腕の回転運動は「大きな力の持続」に適しています。このふたつの運動で、弓の毛を弦に押し付ける力を生みます。

 腹筋と太もも、膝の関節について書きます。
女性の場合、ロングドレスで脚の開きや、膝の曲がりは見えません。男性の場合どうしても「足元を見られる」ことになります。見た目はどうでも良いのです。
パールマン大先生以外のヴァイオリニストは、足の裏ですべての「重さ」を受け止めます。女性の「ヒール」に関しては、未経験なので書けません。ごめんなさい。男性でも、少しヒールの高い靴の場合、重心が前よりになることを感じます。足の裏、全体に重さを分散し、強く「地面に押し付ける」イメージで立つことをお勧めします。膝の関節を伸ばしきると、脚は「硬い1本の棒」になってしまいます。上半身の上下・左右の運動を吸収できるのは「膝」なのです。。
太ももに力を入れ、腰を安定させて且つ「回転運動」が出来る柔軟さを持つことで、上半身の「回転方向の力」を吸収することができます。
「回転なんてしてない」と思うのですが、右腕を大きく、速く運動させる場合に、体を「ひねる」力が生まれます。前後・左右の運動が組み合わされると「回転運動」が生まれることになるからです。太ももと腰で、上半身を支えるイメージです。

 自分の身体の筋肉を「無意識」に「合理的に」使って演奏するために、一番楽な姿勢から、どうすれば「大きな力の速い運動」ができるのか?を意識して練習することが大切ですね。筋肉が疲れる演奏方法は、どこか間違っている場合がほとんどです。「思い込み」を捨てるために、常に初心に戻り、初めてヴァイオリンを構え、初めて弓を持ち、初めて音を出す「イメージ」で練習することも必要です。初心者のレッスンをしていると、いつも自分ができていないこと、忘れていることを教えられます。「初心忘るべからず」ですね。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介


演奏する場所で変わる音

 動画は同じ曲「アダージョ・レリジオーソ」を同じ時期に、同じヴァイオリンで演奏したものです。上の動画は、地元相模原市橋本駅前「杜のホールはしもと」で、客席数525名の大きなホールです。ピアノはスタインウェイ。
メリーオーケストラの定期演奏会で使用し続けているホールです。
 下の映像は代々木上原のムジカーザ。定員200名ほどのサロンホールです。ピアノはベーゼンドルファー。
 どちらも音響の素晴らしい音楽ホールです。

 練習する場所は、人それぞれ音の響きが違います。多くの場合に、天井が低く壁も迫っている普通の部屋で、家具やカーテンなどで音が吸収されます。
音は空気の振動です。音源はヴァイオリンの場合、楽器本体から発して周囲の空気を振動させます。ピアノの場合、大きな筐体=ボディと固くて長いピアノ線から周りの空気に音として伝わります。
 音源直近の音の大きさは、狭い部屋でも大きなホールでも変わりません。音源から離れれば離れるほど、空気の振動は弱くなります。そして壁や天井に「反射」してさらに大きな空間に音が広がります。演奏者本人には、音源の音と共に反射してきた音も聴くことができます。その「戻ってきた音」の大きさと音色は、演奏する場所によって大きく違います。
 一方で客席などで演奏を聴く場合、音源からの距離が遠ければ遠いほど「反射した音」の比率が高くなります。また、空間が広く反射する壁や天井が音を吸わない素材で出来ているほど長い残響=余韻が残ります。
 建物の形状、空間の形によって残響の残り方が全く違います。
天井がドーム状になっている協会などの場合、反射した音はさらに複雑に反射します。トンネルで音が響くのと似ています。壁に凹凸をつけて反射を「制御」することができます。

・オーチャードホール:1.9秒
・すみだトリフォニーホール:2.0秒
・ミューザ川崎シンフォニーホール:2.0秒
・横浜みなとみらい大ホール:2.1秒
・新国立劇場:1.4~1.6秒
・神奈川県民ホール(本館):1.3秒
・日生劇場:1.3秒(※空席時)
・神奈川芸術劇場(KAAT):1.0秒
・大阪 新歌舞伎座:0.8秒
ホールの残響時間は、目的によって大きく違います。

 客席で気持ちよく演奏を聴けるホールと、演奏していて気持ちの良いホール。
座り心地のよい「椅子」と適度な前後の空間はホールの設計の問題です。
座る位置によって、ステージの見やすさ、音の響きはまったく違います。
 一方演奏する側から考えると、ピアノの位置と向き、ヴァイオリンの立ち位置と楽器の向き。これが最も大きな要素になります。
ストラディバリウスなどの名器は「音の指向性が強い」と言う研究結果がありますが、実際にホールで演奏し客席で聴いた場合には「聴く位置」の方が大きな差になります。どんな楽器であっても「音源の位置」とステージ上から伝わる空気の振動=「音の広がる方向と強さ」を考える必要があります。
「結局、聴く人の位置で変わるんだから」と言ってしまえば、確かにその通りです。ただ、演奏者自身に戻ってくる反射音は、明らかに変わります。
ヴァイオリン奏者にとっては「ピアノと自分の音」、ピアニストにとっては「ヴァイオリンと自分の音」の聞こえ方が、変わってくるのですから「位置」と向き」は重要な要素です。

 自宅で練習したり、吸音材で囲まれたレッスン室で練習していると、ついムキになって「つぶれた音」で練習しがちです。戻ってくる音がないのですから「デッドな音」で気持ち良くないのは当たり前です。だからと言って、ピアノで言えば「ダンパーペダル」を踏みっぱなしで演奏するのは間違いですし、ヴァイオリンで言えば、ダウン・アップのたびに弓を持ち上げて「余韻」を作る癖は絶対に直すべきです。本来、楽器の音は残響の中で楽しむように作られているのです。
畳の部屋、絨毯の部屋、ふすま、土壁、低い天井、狭い部屋で「心地良い音」を望むのは無理と言うものです。だからと言って、壁も天井もない公園や河原、野原の万課で楽器を演奏練習するのは、少なくとも弦楽器では「絶対やめて!」とお伝えします。楽器を痛めるだけです。残響があるはずもありません。
と言いつつ、その昔指導していた学校の部活夏合宿で、練習する場所が足りずに弦楽器メンバーに木陰で練習させた黒歴史を懺悔します。ごめんなさい。

 最後に、日本のホールについて書きます。
多くのホールが「多目的ホール」です。音楽に特化したホールは非常に少なく、演劇や講演会、落語など残響時間を短く設計したホールの方が多いのが現実です。
吹奏楽や打楽器の演奏会などの場合、残響時間が長いと「何を演奏しているのか聞き取れない」場合もあります。和太鼓の演奏を「禁止」しているホールもあります。杜のホールはしもとも、そのひとつです。理由は「ホールの階下に図書館がある」からです。和太鼓の音圧でホールの壁、床が「躯体振動=直接振動する」して図書館にまで音が響いてしまうからです。
 反響版のないホールもあります。


 上の映像はどちらも地元「もみじホール城山」の演奏ですが、上の映像は発表会の「おまけ」で演奏した時のもので、反響版を設置していません。
下の映像に映っている反響版は、可動式・組み立て式のものです。設置するのに二人がかりで30分ほどかかります。もちろん、この効果は絶大です。舞台上の音の広がりを前方にまとめられる効果で、客席での聞こえ方がまったく違います。録音には大差ありませんが(笑)
 音楽ホールの稼働率が低く、閉館になるホールが地方に多くあります。
運営の難しさが原因ですが、使用料の高さとホールまでのアクセスの悪さ、多くは集客の難しさにあります。少しでもクラシック音楽のすそ野を広げるためにも、ホール使用料金を公的に負担したり、アクセスの悪いホールならミニバスでも良いのでコンサートに合わせて走らせるなど、自治体や行政の果たすべきことがたくさんあると思います。「箱もの行政」と叩かれないようにするためにも、運用に必要な情報を、私たち演奏家にも問うべきです。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

指・弓・毛・弦の弾力

https://youtube.com/watch?v=05qBqizvjkE

今日のテーマはヴァイオリン演奏時の「発音」に関するものです。
擦弦楽器とは、弦を弓の毛で擦って音を出す楽器の事を指します。
ギターやマンドリンのように「弦をはじく」楽器とは発音方法が違います。
弓を使って音を出す楽器は、ヴァイオリン族=ヴァイオリン・ヴィオラ・チェロ・コントラバスの他にも、胡弓などの中国伝来の楽器もあります。
弓の毛の多くは馬の尾の毛を漂白せずに使います。洗うそうですが、洗ってもおうまさんのお尻に近いしっぽの毛ですから、当然「ウンモ」笑の香りが消えないものも多いそうです。お食事中でしたらごめんなさい。
 ヴァイオリンの弓には、250本ほどの毛が張られています。
馬のしっぽの毛は顕微鏡で見ると凸凹があり、そこに松脂がついて大きな凸凹になって、弦との愛間に摩擦が起きて音が出ます。
 弓の毛、1本1本はとても細く、柔らかいものです。手で引っ張ると「ぷちっ」と切れる程度の強さです。他の動物の毛と比較して弾力性に富んでいます。
この毛を重ならないように弓に「張る」技術が職人さんの技です。
演奏している間に着れることもあります。また、経年劣化すると弾力性が下がり、毛自体も細くなります。演奏に使っていなくても、動物の毛ですから自然に劣化します。

 毛を張っている弓の木材は、フェルナンブーコというブラジルに生えるマメ科の木です。オレンジ色の木で木目はあまりはっきりしていません。古くからヴァイオリンの弓にはこのフェルナンブーコが用いられてきました。染料にも使われ、現在は数が少なく、ワシントン条約で弓の形をしたものでないと輸出できなくなっています。
 弓にするために、6角に削り熱処理で曲げて作られます。
先が細く中央部分が太く、元の部分には黒檀で出来た「毛箱=ブロック」と毛箱を引っ張り弓の毛を張るための「ネジ=スクリゅー」のための穴があけられています。重さは全体で60グラムと、生卵一個分ほどの重さです。弓先と全体のバランス、全体の弾力性、太さなどで演奏のしやすさだけでなく決定的に音色と音量を左右します。弓の木の良し悪しは、ヴァイオリン本体のそれよりも重要な一面も持っています。フランソワ・トルテ(1747 – 1835)やドミニク・ペカット (1810-1874)に代表されるフランスの名弓製作者の弓はヴァイオリン本体よりも希少価値が高いものです。

 そして「弦」です。弦はその昔、ガット=羊の腸を張っていましたが、その後、ガットの代わりに化学繊維のナイロンを使用したもの、金属を代わりに使用したものがあります。ガット弦は音質が柔らかいのが特徴です。
ナイロン弦は価格が安く、量産が容易であるメリットがあります。

金属=スチールの弦は音量が大きく安価です。それぞれに「短所」があります。
 ガット弦の短所は、ガットが伸びて安定するまでに時間がかかることです。
温度や湿度での変化でピッチが変わるのは、どの種類の弦にも言えることです。
 ナイロン弦の短所は、良い音の出る寿命が短いことです。最もポピュラーなトマステーク社製のドミナントは、焼く2週間で突然、余韻が短くなり明らかに音質が落ちます。
 スチール弦の短所はずばり「柔らかい音がでない」ことに尽きます。
どの種類の弦を選ぶのかは、演奏者の好みと演奏に求められる音量、音質さらには、「お財布事情」で変わります。ちなみにガット弦の寿命はナイロン弦よりはるかに長いので、コストパフォーマンス的には大差ありません。
 私は普段、ガット弦を使っています。唯一ガット弦を作っている「ピラストロ社」のオリーブ、またはパッシォーネを張っています。
弦には弾力性があります。固すぎる弦は押さえることにも向きません。

弦は駒の近くでテンション=張力が強く、固く明るい音が出せますが、圧力が足りないと高い裏返った音になりやすいリスクもあります。
一方で、駒から通り場所=指板に近い場所は、テンションが弱く意図的に「ソフトボーチェ=弱いかすれかかった音」を出す時に使用しますが音量が小さくなります。3本の弦を一度に演奏したい時などには、この部分を演奏することで同時に3本の現に弓の毛を当てて音を出すことが出来ます。
 演奏したい音量や音色によって、どの場所に弓を当てるか考える必要があります。

右手の指の弾力とは、指の関節の柔軟性です。当たり前ですが、骨は曲がりません。弓に触れる右手の指の各部分を、敏感にしておくことが求められます。
そして、弓を通して弓の毛と弦の「摩擦」と「弾力」を感じることが必要です。
 車で例えるなら、駒と上駒=ナットが「橋げた」で、弦が「橋=道路」で、弓の毛が「タイヤ」に当たり、指が「サスペンション」と「ハンドル」の役割を果たしています。乗り心地の良い車、高速でも路面に吸い付いて安定して曲がり、止まれる車、それが「弾力」です。

動力源は「右腕」です。それらが連動しあいながら、弦と弓の毛を「密着」させたまま動かすことで、弦が振動し駒を振動させ表板に、さらに「魂柱」を通して裏板に振動が伝わり、ボディ=箱の中で共鳴・共振して、大きくななった音=空気はf字孔から出てきます。当然表板も裏板も振動して音を出しています。

 弓の毛を強く張って演奏する人を多く見かけますが、私は必要最小限の「弱さ」を探して極力「弾力」を優先しています。強く張れば、強く圧力をかけられるので、より強い音を出しやすくなります。が、柔軟性を失うことになります。
 弓の木の「硬さ=強さ」にもよりますし、弦の種類にも、さらには駒の高さ=弦の高さによっても、弓の毛の張りは調整されるべきです。やみくもに強く張るのは、弓の弾力を失わせます。
 弓の毛の弾力と、弓の木の弾力は当然「毛<木」です。弓の毛を強く張りすぎれば、弓の木の弾力を減少させることになります。また、弓の中央部分の柔らかさを放棄することにもなります。
 そもそもなぜ?弓の木に、わざわざ反りを付けているのかを考えるべきです。
腰が抜けてしまった弓とは弓の弾力を失い、いくら毛を強く張っても、毛と木がすぐに当たってしまい、中央部分で「横方向の力」に耐えられず、ぐにゃっと曲がってしまう状態です。腰が抜けてしまうと弓は使えなくなります。弓の木を長持ちさせるために、弓の木に過剰な負荷を与えるような「強すぎる張り方」は避けるべきだと思います。

 音量を優先させたいのであれば、スチールの弦を張り、ガチガチに固い「剛弓」で弾けば良いと思います。ヴァイオリンの音量だけを求める演奏は、本来の美しい音色を求める演奏方法と矛盾しています。もちろん、弱いだけの音では、ピアノと一緒に演奏したときに「聴こえない」ことになります。
 弦と弓の毛の「密着」を考えて、あらゆる弾力性を意識しながら演奏することを心掛けたいと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

目指す演奏って?

 動画は、クロード・アシル・ドビュッシーの「美しい夕暮れ」をヴィオラとピアノでライブ演奏したものです。原曲は「歌曲」です。フランス語で歌われる音楽を、ヴィオラで演奏することは、作曲者の意図したものと違うかもしれません。
原曲が管弦楽曲で、それに歌詞をつけて歌っている音楽も多いので、「反則!」とは言われないかな?
 今回のテーマは、どこまでもゴールのない?自分ができるその時々で「最善の演奏」です。

 さて、こちらはCDに収録した同じ曲です。自宅で何度か演奏しなおして録音した「美しい夕暮れ」お聴きになって違いを感じられるでしょうか?
 どちらも自分では満足のいく演奏ではありません。「なら演奏するな!」と言われても返す言葉はありません。その時点で自分と自分たちの出来る「最大の努力」をした「最善と思われる演奏」です。聴く人によって、満足感が違うのは当然のことだと思います。

 生徒さんが一生懸命に練習して、レッスンで「合格」して喜んでくれる姿がまぶしくて、とてもうれしく思えます。どんな人でも、その時点で最高の演奏があると思っています。楽譜通りに演奏できることを目標にする段階は、誰にでもあります。ゆっくりしたテンポでなければ演奏できないレベルもあります。途中で音がかすれたり、鳴らない音があったりしても、頑張って演奏した「成果」がその時の評価であるべきです。「もっと練習すれば、もっとじょうずにひける」のは当たり前です。一気にじょうずになれる?はずがありません。
小学校卒業の学力で突然、東京大学の入試を受けても受からないのと同じです。
勉強の場合、目指す進路に合わせた積み重ねの勉強方法があります。
ヴァイオリンやピアノの場合は、どうでしょうか?

 音楽の学校に入ること、コンクールで優秀な成績をとることを「目標」にするのは正しいと思いますが「目的」ではあり得ません。むしろ、それから先の道の方がはるかに長く、険しく、楽しいのです。
 趣味で演奏する人でも、プロの演奏家でも「目指す演奏」があるはずです。
間違えないこと・速く演奏できること
誰でもが思う「目指す演奏」ですよね。
では、それ以外になにを目指して練習しますか?
「それさえできないのに」と笑わないでください。
もちろん、速く・正確に演奏できる技術は目指すべきです。
人間が演奏し人間が聴く「演奏」は本来、その演奏の時だけの「一度きり」の芸術です。録音されたものを聴くことが出来るのは、便利でありがたいことですが本質的には音楽は「時」と共に終わり、印象と言う記憶に残るだけの存在だと思います。再現性は重要ですが、いつも同じ演奏が出来ると思う方が、どこか間違っているように感じます。
 練習して「間違えないで何度でも演奏できる」ことを目標にするよりも、一音ずつにこだわり、フレーズにこだわり、ひとつの曲として伝えられるものにこだわることの方が、人間らしい音楽になると思っています。
 感情の生き物である人間が、いつも同じ感情で演奏できるはずもなく、聴く側にしてもその時々で、感じるものが違うはずです。
 正解もない、間違いもないのが自分の好きな「音色」だったり「揺れ」だったり、もしかすると「ゆがみ」だったりするのではないでしょうか?
 完璧を目指すよりも、好きな音色を探し好きなテンポを考え、好きなビブラートを考え続けることが音楽への向き合い方で良いと思います。
 演奏を間違えないだけなら、AI技術を使って機械で演奏すれば、絶対に間違えません。その場限りの芸術だからこそ、自分の好きな演奏を探す努力に時間をかける「意味」があると信じています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

出来ない時には

https://youtube.com/watch?v=iMUspsipSuU

 この演奏は、私たちが最初に開いたデュオリサイタルの時のブラームス作曲ヴァイオリンソナタです。20年間の教員生活を終えて、うつ病を抱えながら音楽教室を経営し、やっと病気から抜け出して、改めてヴァイオリンに向き直った当時の演奏です。この時から、すでに14年以上の年月が流れました。いま聴くと、どこかたどたどしい(笑)演奏です。二十歳の時、初めてリサイタルで演奏したのがこのブラームスでした。

 生徒さんを教えている立場で、「自分はうまく演奏できない」と言うとまるで「嘘つき」か「詐欺師」のように思われそうですが、正直に言って自分のできないことだらけなのが真実です。
 出来ないレベルが違う?人それぞれに「苦手」なことがあるように、なんでもできる「ように見える」人でも、きっとできないと思うことはあるのだと思います。隣の芝生はなんちゃら(笑)です。
 さらに深く考えれば、周囲からは出来ていると思われていることでも、本人は「出来ていない」と思っていることも多いのではないでしょうか。逆から言えば、自分が出来ていないと悩んでいることも、他の人から見えれば「本当に出来ている」と感じられているかも知れないのです。

 練習が嫌いでした。練習しても出来るようになる「実感」がなかったからだと思い起こします。親に言われて練習し、レッスンで先生に「音程!」と注意される繰り返しでしたから、練習したくない少年(元)の気持ちが理解できます。
出来ない、ひけないと思う以前に「演奏しなきゃいけない」と思ったのが、音楽高校の受験をすることになった時でした。うまくできているか?考えることすらできませんでした。師匠のレッスン以外に、兄弟子のレッスン、さらに入試でピアノ伴奏をされている先生のレッスン、さらに週に2回の聴音レッスン。
自分がなにもできないことは、最初にわかっていたつもりなのに、レッスンのたびに「できていない」ことを思い知らされました。いまも手元にある当時の聴音ノートには、涙で真っ黒になった楽譜と先生の赤い「直し」が書き込まれています。出来ないから練習する。当たり前ですね。出来るようになりたいと、自分から言い出したのですから。

 こんな特殊な例は別として、出来ないと思ったことを、出来るようにするための「コツ」はなんでしょう?こんな特殊な体験をした私の立場で考えます。
「できない」と思わないことですね。かといって、できるようになると「信じなさい」と言われてもねぇ(笑)無理でしょう。
 出来ないのではなく、「やり方が間違っている」と考えるのがコツではないでしょうか。あるいは「見方が間違っている」のかも知れません。
 自分ができないと思っていることに対して、苦手意識を持つのは当然です。
諦めたくなるのも「やってもできない」と思い込んで「やらない」からです。
つまりは「思い込み」こそが、できない理由の一つなのです。
 納豆を食べたことがなかった私は、納豆の匂いが大嫌いでした。
ある時、学食で納豆だと気づかずに食べて「しまって」以来、納豆が大好きです。
 クライスラーの「序奏とアレグロ」の2ページ目中央辺り(笑)を高校生の頃に「むり」と諦めて依頼、数十年「むり」と思い込んでいました。デュオリサイタルでプログラムに入れる決心をして楽譜を「じっくり」読み解いていくと?
クライスラーの「癖」が呑み込めて、普通に演奏できることを知りました。
 自分の力だけで家を建てるのは無理。本当にそう? 少しずつ学びながら時間をかければ、家だって建てられると思わない?と、聴音を教えて下さった恩師「黒柳先生」が何度も私に言ってくださいました。聴音なんかできないと、無言で泣いている私に優しく言ってくださいました。

 ヴァイオリンの演奏で、物理的に演奏できないことは楽譜に書いてありません。仮にそう書いてあったとすれば、作曲者が「違う意図」で書いている場合です。バッハが3つの音を「付点2分音符」の和音で書いています。物理的に無理です。
 チャイコフスキーヴァイオリンコンチェルトは、作曲当時「演奏不能」と酷評されました。いまは?中学生がコンクールで演奏しています。物理的に演奏不能なのではなく、難易度が高いだけだったのです。
 ヴァイオリンのためにかかれている楽譜は、演奏できるはずなのです。
間違った指使いの数字や、ダウン・アップの印刷間違いは良く見かけます。
ひどい例だと「A線で演奏」という指示がありながら、A戦では演奏できない低い音が書いてあったり(笑)調弦を下げろと?こんな間違いはあり得ます。
 生徒さんに良く見受けられるのが、指使いを考えられずに「演奏不能」状態に陥ってやみくれているケースです。自分で「演奏できる指使い」を考えられるようにならないと、楽譜にかかれている音をどうすれば?演奏できるのかが、わからないのは当たり前です。これは経験と知識が必要なのであって「出来ない」のではありません。

 速く演奏できないという「出来ない訴え」が生徒さんの中でトップ10に入ります。ゆっくりなら演奏できるのに、ある速さを超えると、音がかすれたりピッチが外れたりする現象です。解決する「コツ」は。自分が演奏している運動を、観察することです。
・腕や指の筋肉の緊張が、無意識に強くなったり弱くなったりしいてる場合。
・必要以上の運動を無意識にしている場合。
・右手と左手の同期が出来ていない場合。
多くのケースはこの3つの原因です。それぞれに解決する練習が考えられます。
複数の原因が重なっている場合があります。ひとつずつ原因を探していく「観察」が不可欠です。
そして、一度に複数の原因を解決しようとしないことです。
関連していても、ひとつずつの原因に対して「治療=矯正」をひとつずつ行うことが唯一の解決策です。

 「ビブラートができない」これも多いお悩みです。以前のブログで書きましたが、人によって出来るようになる期間が違います。つまり、できない原因が違うのです。実際にその生徒さんに対して、色々な問診と触診(これ、気を遣うので難しい)をして、生徒さん自身が試してみないと原因が判明しないケースがほとんどです。むしろ、偶然にビブラートが出来るようになってしまう人もいますが、なぜ?どうやって?出来ているのかを言語化できないのが特徴です。
 力が足りない場合と、力が多すぎる場合があります。本人の意識、無意識にかかわらず、ビブラートが出来る「ポイント」を見つけることがコツです。
 なによりも、音の高さを聴き続ける「聴く技術」を高めないと、ビブラートが出来ているのか?どんなビブラートになっているのか?を判別できません。そのためには「平らな音」つまりビブラートをかけずに、均一な音色・音量・ピッチの音を出す練習を「聴きながら」続けることが必要です。

 一番難しい「できない」が、「他の人のようにうまくできない」というものです。この悩み自体が「自己矛盾」していることにまず、気付かないと解決できません。
 自分の演奏を他人と比較しているのは?自分自身です。他人からの比較ではありません。自分で「勝手に思っている比較」なのです。
そもそも比較とは、比較される人やモノ以外の「人」が行うものです。
特に「うまい・へた」という主観的で正解のない比較をすること自体が間違いです。数値化できないものの比較は、あくまでも人の主観で変わるものです。
ましてや自分の演奏を自分で他人と比較するのは、愚の骨頂です。
他人からの評価は甘んじて受け入れるべきですが、自分で他人との比較で思い悩むのは無意味です。

 苦手なことを克服するという意識の中に、すでに思い込みがあるのです。
自分の身体にとって「害」になるものに対して、アレルギー反応が起こりますよね?体質の問題、たとえばアルコール分解酵素の少ない人が多いのが日本人です。その人が無理にお酒を飲めば、アルコールを分解できず苦しむことになります。医学でまだ解明されていない「拒絶反応」がたくさんあります。事実、寒暖差アレルギーや気圧による体調不良は、最近になって「症状」として認知されるようなったばかりで原因は解明されていません。ですから、本当に「できない」ことも事実あるのです。
 思い込みで出来ないと感じることは、結果的に得られる喜びや達成感を、自ら放棄していることにもなります。努力する時間、練習する労力は節約できますが、どちらを取るかはその人次第です。努力して頂上に登りたい「山愛好家」とみているだけで十分!という「平地族」の違いです。
 ぜひ!思い込みから抜け出して、新しい角度から自分の演奏を見つめなおしてみてください。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

演奏中に考えること

 動画は世界的なフルーティスト「エマニュエル・パユ」が語る素敵なお話です。今回のテーマは、他人からは見えない「演奏中に考えていること」です。

 ヴァイオリンを練習する生徒さんたち、特に大人の生徒さんが陥りやすい「本番になるとうまく演奏できない」というネガティブな思い込みがあります。
また、本番に限らず練習中に、なにを考えながら演奏すれば上達できるのか?という問題があります。
 人それぞれ、演奏中に考えていることは違います。同じ人、例えば私の場合は同じ曲を弾いている時でも、恐らく違うことを考えています。ですから「正解」を出すことは不可能ですが、多くの生徒さんに聞いていくうちに、あるパターンを見つけました。

 初めて練習する曲の場合、当然ですが楽譜を音にすることに集中します。楽譜を使わないで練習する人の場合は、音を探すことに集中します。この段階で、音色に集中している生徒さんは、ほとんどいません。仕方のないことですし、順序で言えば間違っていません。

 その次の段階で何を考えているでしょう?多くの生徒さんが「間違えないこと」を考えます。うまく演奏できない部分を繰り返し練習するのが一般的です。
その時にも「間違えない」とか「失敗しない」ことを考えています。
ここからが問題なのです。

 ひとつには、うまく弾けない原因を「考える」事を忘れがちです。
さらに、同弾きたいのか?を試すことが必要です。陥りやすいのが「繰り返していればいつか弾けるようになる」という思い込みです。確かに、繰り返す練習は必要ですが「どう弾きたい?」を探さずに繰り返しているうちに、ただ運動だけで間違えないようにする練習をしてる場合がほとんどです。
 練習で思ったように演奏できるようにすることは、言い換えれば自分が今、どう弾いていてそれをどうしたいのか?という根本がなければ、うまく弾けない原因も見つけられないのです。初めから「こう弾きたい」というレベルではない!と思う人も多いのですが、思ったように演奏できない原因を探すために、現状を分析することに集中すれば、自然に自分の弾きたい「速さ」や「音色」や「音量」を考えることになります。

 体調がすぐれない時、お医者さんに自分の病状を伝えますよね。
身体のどの辺りが、どう痛いとか。その症状から医師が原因を推測するために、さらに検査をします。そして出された「病因」を解決するための治療や処方をするのが「順序」です。病状がわからないと、治療には結び付きません。

 ヴァイオリンを演奏しながら、なにを考えていますか?何に集中していることが多いですか?無意識にただヴァイオリンを演奏し続けていないでしょうか?
本番で、過緊張にならないために自分を信じることができ、考えなくても自然に自分の弾きたい演奏ができる「理想」を持つのであれば、練習中には考えることが必要だと思います。次第に、考えなくても「思った通り」の演奏が自動的に出来るようになるプロセスが必要です。勉強をまったくしないで「私は東大にいきます」と思って受験しても受かりませんよね?偶然を待つのは間違いです。失敗するのも、うまくいくのも「偶然」で片づけるのは簡単ですが、努力する段階で「偶然」を期待するのは間違いです。

 私は練習中に、自分が思った通りの演奏をしている「イメージ」を作ることに努力しています。そのために、一音ずつの「理想」と「現実」を常にチェックします。本当はどんな風に演奏したいのか。今、どんな音で演奏していたか?どうすれば…弓の場所、圧力、速度、ビブラートなどをコントロールすれば出来るのか?を考えます。考えて「これかな?」と推測した演奏方法で繰り返します。違えば修正して、また繰り返します。そのイメージを頭に作ります。右手の動き、弓の動き、左手の動き、音の高さ、音色、音量を「ひとつのイメージ」にまとめる練習を繰り返します。一度に複数の事に集中することは不可能です。
「ひとつのイメージ」になれば、それを思い描き、再現することに集中することは可能です。

 音の高さだけに固執しない。弓の使い方掛けにも固執しない。
自分の「理想」をイメージするための長い道のりですが、結局のところ「思ったように演奏できた」と言えるのは「思っていなければできない」という事なのです。音の高さだけを、間違えないで演奏できてもダメですよね?いくら、良い音でも音の高さが外れていたら、これもダメですよね?それらを「合体」させたイメージを作るために、常に音に集中して練習することをお勧めします。
自分の演奏する「音」にすべての答えがあるのですから。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介