メリーミュージックブログ

演奏家夫婦が優しく丁寧に指導

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母に贈る感謝

 2020年6月3日の早朝、私(謙介)の母が父を追って天国に旅立ちました。
あれから丸2年の月日が流れました。もう?まだ?どちらにも感じます。
穏やかに最期の時を迎えられたことが、何よりの救いでした。

 父も母も生まれは岡山県。昭和4年生まれの父と6年生まれの母。
戦後を息抜いた両親の間に、兄と私の二人兄弟。
父は決して裕福ではない家庭の長男として生まれ、3人の妹を支えるために勉強し、京都大学に進み、当時の富士銀行に就職。一方の母は、一代で会社を築いた父の長女として恵まれた環境で育ったお嬢様。
 そんな二人の間に生まれた兄は、幼いころから勉強とスポーツの出来る「優等生」で父のスパルタ教育を受けて育ちました。5つ年下の私は、生まれつき心臓に病気が見つかり、その後治療不能の目の病気と診断され、病弱な幼少期を過ごしました。
 銀行員はとにかく転勤が多く、私は東京渋谷区で生まれ、すぐに札幌の社宅に引っ越し。当時心臓が弱く、列車と船での移動は無理と診断され、銀行は特別に「飛行機」での移動を認めたそうです。3歳頃に、代々木上原の社宅に引っ越し。小学校入学は「上原小学校」その後、岡山県倉敷市の社宅に引っ越し。田んぼの中の一軒家社宅。「倉敷東小学校」へ。この頃に、ヴァイオリンを習い始め、少しずつ健康な生活が出来るようになってきた小学校2年生が終わるころに、東京都杉並区荻窪の社宅に引っ越し。「荻窪小学校に転校し小学校5年生途中まで友達と元気に遊ぶ少年になりました。その後、東京都小金井市に父が念願のマイホームを建てて引っ越し。「緑小学校」に転校しこの頃に、久保田良作先生のお宅を訪ね、図々しくも弟子入りさせて頂きました。当時は奥様の「由美子先生」にレッスンをしていただいていました。その後、「緑中学校」に入学したときから、良作先生のレッスンを受けることになりました。
 両親は、私たち兄弟が独立した後も、二人で小金井に暮らし続けましたが、父が前立腺がんの告知を受けてから、生活が激変しました。やがて母の認知症が判明し、進行していることを父は私たちに隠し続けました。
 ある年末に、父がインフルエンザを悪化させて救急車で杏林大学病院に搬送され、即入院。これがきっかけで、両親ともに施設で暮らすことを承諾。
 その後は、兄の住まいに近い有料介護施設に、ふたり隣同士の部屋で入居。
父が老衰で亡くなったときには、すでに母の認知症は父の死を覚えていられない症状でした。その後も、母は施設で暮らしましたが、幸い大きな病気にもならず、数日間の入院があった程度で平穏に暮らすことができました。
 母の認知症は、途中「ものとられ症候群」で施設の中でトラブルはあったものの、その後は、穏やかに生活できていました。亡くなる数週間前から、食事をしなくなり、水も飲まなくなり、それでも会話は出来ていました。亡くなる数日前に、施設に面会に行った時、車いすでロビーまで連れて来られた母と、何とか会話ができたのが最後の会話でした。施設の出口で手を振る母が、生きている最後の姿でした。

 母に最期の生演奏を聴かせられたのは、もうずいぶん前のリサイタルです。
両親ともに、葬儀が大嫌いでした。数人の身内だけで、ふたりを送りました。
実は上の映像は、母の通夜と告別式の際に、式場でひっそりと流していた音楽です。安らかな終焉を迎えられた両親に、今更ながら「子供孝行な親だな~」と思います。それなりに介護はきつくも感じました。ただ、それは肉親として当然の事でした。浩子にしても義理の姉にしても「家族」として本当に私たちの両親を支えてくれました。尊敬しています。家族とは…それを教えてくれました。
 音楽を演奏する息子を、誇らしげに話していた両親でした。
相変わらず兄は音楽に「縁がない」スポーツ系おじいさんですが、仲良し兄弟になってしまいました(笑)
 両親に感謝することを、両親が生きている間に出来ていなかったのは事実です。だからと言って、後悔しても仕方のないことです。自分がこの先の人生を、両親への恩返しとして、ひとりでも多くの人に、音楽と笑顔を届けて暮らすことが、両親への感謝になるのかな?と思っています。
両親が生前に、お世話になった多くの方々に、改めて俺を申し上げます。
ありがとうございました。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

 

クラシックコンサートに期待されるもの

 演奏は、ヴィオラとピアノで演奏した、バッハのG線上のアリアです。
今回のテーマは、お客様がクラシックコンサートに期待することを考えたいと思います。演奏する側が本来、一番考えなければいけないことだと思います。

 大きく分けて二つの期待があります。
1.音楽=曲への期待。
2.演奏=演奏者への期待。
 クラシックのコンサートで演奏される曲は、多くの場合はすでに誰かがどこかで演奏している曲です。またこれもほとんどの場合、多くの演奏者が同じ音楽を演奏しています。聴く側の立場を考えると、曲名を見て「知っている」レベルが様々です。タイトルだけ聴いたことがある曲、タイトルを見ても曲が思い浮かばない音楽、一部分だけ知っている音楽など人によって大きく違います。
 第九を例にとれば、終楽章の「有名な」部分だけを知っている人は多くても、1楽章を聴いて「あ、第九だ」とわかる人は圧倒的に少ないはずです。
クラシック好きであれば話は別ですが、「曲名」だけに期待する人の場合、有名なタイトルの曲にしか「期待」しないのが現実です。
 ヴァイオリンとピアノでコンサートを開く場合、多くの人が知っている曲を選ぼうとすれば、どのコンサートもほとんどが同じ選挙区になるでしょう。
 有名どころを挙げてみます。
・ツィゴイネルワイゼン
・スプリングソナタ
・愛の挨拶
・タイスの瞑想曲
これでさえ、すでに怪しい気がしますが、さらに
・愛の喜び
・G線上のアリア
当然、いくらでも思いつきますが、タイトルを知っている曲はこの程度ではないでしょうか?
 それだけでコンサートを開くのが正しいとは思っていません。現実の問題です。

 演奏や演奏者に期待してコンサートに行く人を考えます。
・演奏者をテレビで見て演奏者に会えるのを期待する
この場合、日本では数人の演奏者に限定されるでしょうね。
・チラシの「経歴」に期待する場合
以前に書きましたが、これは案外大きいですね。
・誰かからの紹介=口コミで期待する場合
いわゆる「リピーター」から誘われていくケースです。
・チラシの写真が「かわいい」「かっこいいい」
どの程度いるのか不明ですが。関係ないとは思いません。
 知っている曲をどんな風に演奏をするのかに期待する場合と、演奏者を知っている=その人の演奏を聴いたことがあって、曲目より演奏者に期待する場合があります。

 クラシック以外のコンサート=ライブの場合だと、多くの場合はアーティストをテレビやCDで知っていて、生で聴いてい見たい、あわよくば見てみたいという「期待」です。どんな曲を演奏するのかも、大事ですがむしろ「生で聴く」ことに満足して帰るファンがほとんどです。その点がクラシックの演奏会と大きく違う気がします。一言で言えば、クラシックは「曲または演奏に期待する」ポップスは「歌手・アーティストを生で感じることに期待する」と言えます。

 演奏者自身が聴衆に演奏を期待されなければ、演奏家として生活していくことは不可能です。自分以外の人の演奏と、自分の演奏の違いを聴いてくれる人に伝える方法は、自分の演奏を一人でも多くの人に知ってもらうしかありません。
 昔はテレビかラジオしか方法はありませんでした。いまはインターネットと言うツールがあります。Youtubeは誰でもいつでも「ただ=無料」で音楽を聴いたり見たりできます。その現代にお金を払ってチケットを買い、交通費と時間をかけてまで「コンサート」に来てもらうのは、至難の業ですね。
 無料で見られる・聴くことのできる演奏と、コンサートで聴くことのできる演奏との違いを知ってもらうことが不可欠です。
録音された演奏や配信では感じられないものは「コンサートの空間」です。
・ホールの広さ=反響・残響
・演奏者との距離=直接音と反射音の融合
・ヴァイオリンとピアノ、それぞれの音の広がり方と伝わり方の違い
どんなにヘッドホンやスピーカーの性能が良くても感じられない、臨場感=リアルな空気振動がコンサートの魅力です。
会場が変われば音が変わります。同じ会場で演奏者が変われば、音楽も音色も変わります。同じ会場で同じ人が演奏しても、その時々で演奏は違います。
いつも同じ音色で再生される「機械の音」とは違う、「そのコンサートだけの音楽」こそが、生きている人の演奏=ライブです。

 クラシック音楽の演奏は、人間の奏でる音楽です。ジャズも同じです。
ロックやポップスの音楽は、ライブもスピーカーからの音で聴きます。
機械を通さないアコースティック=自然な音を楽しめるのが、クラシックコンサートです。
 一人でも多くの人に、生演奏の良さを体感してもらえるように、無料の音楽配信でクラシック音楽をもっと広めることが求められていると思っています。
ヴァイオリンのコンサートは面白いぞ!
最期までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

良い先生って便利な先生?

 映像は、恩師久保田良作先生の門下生による夏の合宿での一コマです。
私にとって「良い先生」と言う定義を考えます。
 実は今朝、偶然見かけたネットニュースに、レッスンをする「先生」についての記事がありました。その中に「それ、違うんじゃない?」と感じる部分がありました。「レッスンの予定を行く気がしなかったので直前にキャンセルしても、先生は私の時間が出来たからいいのと、レッスン代金も受け取らない【いい先生】です」と言う内容でした。皆さんは、どう感じますか?

 生徒さんと先生の間でレッスン代金の支払い・受け取りがあるなしに関わらず、人として誰かに「教えてもらう」立場で、教えてくれる人に対する「敬意」はないのでしょうか?もちろん、教える側から生徒さんへの敬意もなければなりません。少なくとも、礼儀はあって然るべきだと思います。
 先生とレッスンの時間を決めて約束をした後で「行く気がしないから」と言う理由でキャンセルが成立するのでしょうか?そしてそれを受け入れる先生が「良い先生」なのでしょうか?間違っているように思います。
 さらに言えば、どんな理由があったとしても約束を「キャンセル」するのは相手に対して「失礼=礼をなくす」な行為だと思います。理由が嘘でも本当でも、相手に対して「迷惑をおかけして申し訳ない」と言う気持ちがないのかな?と疑問に感じます。

 お互いに人間なので、失敗もするし体調が突然悪くなってレッスンが出来ない場合も起こります。実際に私もこれまでに、幾度となくその経験をしました。
生徒さんのほとんどのかたと「気持ちよく」お互いの事情を理解しあえます。
レッスン代金については「当日の変更やキャンセルはお支払い」と言う約束をあらかじめ取り交わしています。一種の契約です。

 良い先生が「便利な先生」と同じ扱いになるのが私は恐ろしい気がします。
教える先生が「それでいいよ」と思うのは自由です。それが「良い先生」だと生徒の側や一般の人が感じる「時代」なのでしょうか?
 ヒステリックな先生や、生徒が委縮してしまう先生、ただ怖いだけの先生が良い先生だとは思いません。演奏技術が高く有名な「演奏家」が良い先生だとも限りません。教える側の立場で「良い先生とは」と言うのも何か言いにくいですが(笑)皆さんは、どう思われますか?
 ご意見などお気軽にコメントくださいませ。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

メリーオーケストラの演奏曲たち

1 アイネクライネナハトムジーク(弦楽器)
2 愛の賛歌(弦楽器)
3 赤とんぼ(弦楽器)
4 葦笛の踊り(くるみ割り人形より)
5 アダージョ(弦楽器)/アルビノーニ
6 アバセレクション(弦楽器)
7 アブデラザール組曲より(弦楽器)
8 アヴェ・ヴェルム・コルプス(弦楽器)
9 アポロ13・メドレー
10 アメリカ(弦楽器)
11 アリア(弦楽器)/ヴィラ=ロボス
12 アルルの女第2組曲
13 アレグロ(弦楽器)/ヴィヴァルディ
14 いのちの歌
15 イパネマの娘(弦楽器)
16 威風堂々第一行進曲
17 イフソービーニア(弦楽器)
18 イムジン河(合唱)
19 イムジン河
20 ヴァイオリン協奏曲第1楽章/チャイコフスキー
21 ヴァイオリン協奏曲第1番第3楽章/ブルッフ
22 ヴィオラヒーロー(弦楽器)
23 ウイリアムテル序曲
24 ウエストサイドストーリー
25 ウォークディスウェイ(弦楽器)
26 宇宙戦艦ヤマト
27 美しき青きドナウ
28 海の見える街(魔女の宅急便弦)
29 大きな古時計(弦楽器)
30 オペラ座の怪人
31 朧月夜(弦楽器)
32 おもちゃの兵隊の行進曲
33 オンブラ・マイ・フ
34 カヴァレリア・ルスティカーナ間奏曲(弦楽器)
35 風の谷のナウシカ(弦楽器)
36 神奈川ゆかりの歌メドレー(合唱)
37 悲しき二つの旋律より「晩春」(弦楽器)
38 悲しみのクラウン(弦楽器)
39 カノン(弦楽器)/パッヘルベル
40 ガブリエルのオーボエ(弦楽器)
41 .カプリオール組曲(弦楽器)
42 ガボット(弦楽器)/ゴセック
43 カルメン第1組曲
44 川の流れのように(弦楽器)
45 管弦楽団組曲第2番(弦楽器)
46 北の国から
47 君をのせて(弦楽器)
48 君を忘れない(弦楽器)
49 クイーン・ベスト(弦楽器)
50 グリーンスリーブス(弦楽器)
51 軽騎兵序曲
52 弦楽セレナーデより第1楽章(弦楽器)
53 弦楽セレナーデより第2楽章(弦楽器)
54 弦楽セレナーデより第4楽章(弦楽器)
55 弦楽のためのソナタ第1番第楽章(弦楽器)
56 交響曲第5番第4楽章/チャイコフスキー
57 交響曲第7番第2楽章(弦楽器)/ベートーヴェン
58 交響曲第9番「新世界より」第4楽章
59 交響曲第41番「ジュピター」より第1楽章
60 交響曲第41番「ジュピター」より第3・4楽章
61 荒城の月(弦楽器)
62 コーラスライン・メドレー
63 コンチェルト(弦楽器)
64 西城秀樹ヒットセレクション
65 サウンドオブミュージック
66 ザ・キング・オブ・ポップ(弦楽器)
67 サッチモ
68 さとうきび畑
69 さとうきび畑(弦楽器)
70 サモンザヒーロー(弦楽器)
71 さよならの向こう側(合唱)
72 サンダーバードのテーマ
73 G線上のアリア(弦楽器)
74 ジェームズボンド(弦楽器)
75 シカゴメドレー(オケ)
76 シカゴ(弦楽器)
77 島人ぬ宝(弦楽器)
78 ジャズピチカート
79 JAVA(弦楽器)
80 修道院の庭にて(弦楽器)
81 主よ、人の望みの喜びよ(弦楽器)
82 ジュラシックパーク
83 序奏とロンドカプリチオーソ
84 ジョン・ウイリアムズ・メドレー
85 シンコペーッテッドクロック
86 シンドラーのリスト(弦楽器)
87 シンプルシンフォニー(弦楽器)
88 好きになった人(弦楽器)
89 スペイン交響曲第5楽章
90 スモークオンザウォーター(弦楽器)
91 スラム・ドック・ミリオネア(弦楽器)
92 千と千尋の神隠し(弦楽器)
93 セントラルコーチスペシャル(弦楽器)
94 そり滑り
95 タイプライター
96 タイムセイグッバイ(弦楽器)
97 韃靼人の踊り
98 旅立ちの日に(合唱)
99 タンホイザー序曲
100 チェロ協奏曲第1楽章
101 地上の星(弦楽器)
102 チャーリーブラウン・クリスマス(弦楽器)
103 チャルダッシュ(弦楽器)
104 チャルダッシュ(フルオケ)
105 中国の太鼓(弦楽器)
106 調和の霊感(弦楽器)
107 追憶(弦楽器)
108 ツィゴイネルワイゼン
109 津軽海峡冬景色(弦楽器)
110 翼をください
111 テイクファイブ(弦楽器)
112 ディズニー・メドレー(弦楽器)
113 ディベルティメントニ長調(弦楽器
114 天国と地獄序曲
115 となりのトトロ(弦楽器)
116 ドラえもんの歌
117 トランペット吹きの休日
118 トランペット吹きの子守唄
119 ドントストップビリーブイン(弦楽器)
120 虹の彼方に(弦楽器)
121 ニューシネマパラダイス(弦楽器)
122 ハイランドカテドラル
123 パイレーツオブカリビアン(弦楽器)
124 花~すべての人の心に花を~(合唱)
125 花のワルツ(くるみ割り人形)より
126 ハバネラ(弦楽器)/サンサーンス
127 パラディオ(弦楽器)
128 ピアノ協奏曲第21番第2楽章/モーツアルト
129 ピアノ協奏曲第2番第3楽章/ラフマニノフ
130 ピアノソナタ第1番より(フルート)/モーツアルト
131 ピーターガン(弦楽器)
132 ビーチボーイズ・メドレー(弦楽器)
133 ピチカートポルカ(弦楽器)
134 ビッグバンド・メドレー
135 ビリーブ
136 ピンクパンサー(弦楽器)
137 フィンランディア
138 ブーレ(弦楽器)/バッハ
139 2つのヴァイオリンの為の協奏曲バッハ
140 2つのヴァイオリンの為の協奏曲(弦楽器)
141 2つの楽器のための小品集(弦楽器)/モーツアルト
142 冬(四季より)/ヴィヴァルディ
143 ブランデンブルグ協奏曲第3番第1楽章(弦楽器)
144 ブランデンブルグ協奏曲第4番第1楽章(弦楽器)
145 ブランデンブルグ協奏曲第5番第1楽章(弦楽器)
146 プリンク・プランク・プルンク(弦楽器)
147 ブルータンゴ
148 ふるさと
149 ヘアー・スプレー(弦楽器)
150 ペールギュント第1組曲(弦楽器)
151 ボーンディスウェイ(弦楽器)
152 星に願いを(弦楽器)
153 ホルベルク組曲より第1楽章(弦楽器)
154 マービンハムリッシュ・メドレー(弦楽器)
155 マイスタージンガー
156 マイフェアレディ・メドレー
157 見上げてごらん夜の星を(弦楽器)
158 ムーンリバー(弦楽器)
159 メヌエット/ボッケリーニ
160 メヌエット(弦楽器)/ベートーヴェン
161 モアナ
162 夕顔の花が咲いたよ(弦楽器)
163 夕焼け小焼け
164 ユーレイズミーアップ(弦楽器)
165 与作
166 4つのヴァイオリンの為の協奏曲(弦楽器)
167 ライトリー・ラテン(弦楽器)
168 ラ・クンパルシータ(弦楽器)
169 ラピュタ(天空の城)
170 ラプソディインブルー
171 リュートのための古風な舞曲とアリア(弦楽器)
172 ルパン三世のテーマ
173 レットイットトゴー(アナ雪弦楽器)
174 レ・ミゼラブル
175 ロマンス第2番/ベートーヴェン
176 ロンドンデリーの歌(弦楽器)
177 ワルツィングキャット
178 ワルツ(仮面舞踏会)
179 ワルツ(弦楽器)/ショスタコーヴィチ

 今日の「リスト」はNPO法人メリーオーケストラが20年間40回の定期演奏会で演奏してきた「音楽」です。延べ179曲になりました。
動画は、第1回定期演奏会でのふるさとです。
立ち上げた時から今日まで、コンセプトを変えずただひたすらに「音楽の普及」と「子供の健全な育成」を目的にして活動しています。
 何回か書いていることですが、アマチュアオーケストラは演奏を楽しむ人たちの集まりです。演奏技術や規模、演奏曲の難易度を競い合うことには、何の意味もありません。その演奏会を毎年2回開き続け、入場料無料で赤ちゃん連れでも、小さなお子様も体に障がいのある方でも音楽を聴いて楽しめるコンサートを開いています。
 演奏者の年齢も技術も様々です。当然の事かも知れませんが、さらに難易度の高い曲に挑戦したい人や、初心者と一緒に演奏することに満足できない「アマチュア演奏家」もいるのは現実です。それはそれで楽しめるなら良いのです。
 リストを見て頂くとお分かりのように、「それ、オーケストラの楽譜があるの?」という曲もたくさんあります。メリーオーケストラで演奏す為に、アレンジしています。
 正確に言えば、本来の=オリジナル編成ではなく、メリーオーケストラの編成に合わせて演奏しています。それが「間違い」だとしても、演奏できることの方が重要だと考えています。
 演奏会の動画には、曲間のMCをカットしていますが、実際には曲の説明やオーケストラのエピソードなども織り込んでお客様との一体感を感じられるようにしています。
 これからもできる限り、この活動を続けていきたいと思っています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

NPO法人メリーオーケストラ理事長・指揮者  野村謙介

15年間の足跡

Earth 村松崇継
愛の挨拶 エルガー
愛の悲しみ クライスラー
愛のよろこび クライスラー
愛の喜びは マルティーニ
愛を奏でて(海の上のピアニスト) モリコーネ
アヴェヴェルム モーツァルト
アヴェマリア ピアソラ
アヴェマリア シューベルト
アヴェマリア グノー/バッハ
アヴェマリア カッチーニ
赤とんぼ 山田耕筰
朝の歌 エルガー
明日 アンドレ・ギャニオン
アダージョとアレグロ シューマン
アダージョ・レリジオーソ ボーム
あなたがそばに居たならば バッハ
アニーローリー スコットランド民謡
亜麻色の髪の乙女 ドビュッシー
アリオーソ バッハ
アレグロ フィオッコ
家路 ドヴォルザーク
異国より(リーダークライス) シューマン
ノクターン遺作 ショパン/クライスラー
糸 中島みゆき
いのちの歌 村松崇継
祈り ラフマニノフ
ウィーン奇想曲 クライスラー
ヴィオラ協奏曲より第2楽章 カサドシュ/J.C.バッハ
ヴォカリーズ ラフマニノフ
歌の翼に メンデルスゾーン
美しい夕暮れ ドビュッシー
美しきロスマリン クライスラー
駅 竹内まりあ
エストレリータ ポンセ
F.A.E.ソナタ スケルツォ ブラームス
オールドリフレイン クライスラー
踊る人形 クライスラー/ポルディーニ
オフェルトワール(奉献歌) エルガー
オブリビオン ピアソラ
オリビアを聴きながら 尾崎亜美
オン マイ オウン(レ ミゼラブル) シェーンベルグ
カヴァティーナ ラフ
カヴァレリア・ルスティカーナ間奏曲 マスカーニ
カフェ ピアソラ
悲しみのクラウン スティーヴン・ソンドハイム
彼方の光 村松崇継
ガブリエルのオーボエ モリコーネ
神の御子は今宵しも 讃美歌
枯れ葉 コズマ
カンタービレ パガニーニ
カントポポラーレ エルガー
きよしこのよる 久木山直
クッペルヴィザーワルツ シューベルト/R.シュトラウス
グランタンゴ ピアソラ
クロリスに アーン
恍惚の時 アーン
荒城の月 滝廉太郎
ゴッドファーザー愛のテーマ ニノ・ロータ
この道 山田耕筰
ガヴォット ゴセック
子守唄 ショパン
子守歌 フォーレ
コレルリの主題による変奏曲 クライスラー
サラバンドとアレグレット クライスラー
G線上のアリア バッハ
シェルブールの雨傘 映画モリコーネ
シシリエンヌ フォーレ(ピアノチェロ版)
シチリアーノ パラディス
シュピーゲル イン シュピーゲル アルヴォ・ペルト
序奏とロンドカプリチオーソ サン・サーンス
シンコペーション クライスラー
シンドラーのリスト ウィリアムス
スイートメモリーズ 大村雅朗
スケルツォ(懐かしい土地の思い出) チャイコフスキー
スペイン舞曲 ファリャ/クライスラー
スラヴ舞曲第2集第2番 ドヴォルザーク/クライスラー
千の風になって 新井 満
即興曲D899-3 シューベルト
ソナタ K.304 モーツァルト
ソナタ第一番第一楽章 ブラームス
タイスの瞑想曲 マスネー
太陽がいっぱい 映画ロータ
ただ、憧れをする者だけが チャイコフスキー
チェロソナタ第2楽章 ショパン
ツィゴイネルワイゼン サラサーテ
チャルダッシュ モンティ
中国の太鼓 クライスラー
月の光 ドビュッシー
テンポ ディ メヌエット クライスラー
トロイメライ シューマン
ナイトクラブ ピアソラ
亡き王女のためのパヴァーヌ ラヴェル
メロディー(懐かしい土地の思い出) チャイコフスキー
瞑想曲(懐かしい土地の思い出) チャイコフスキー
虹の彼方に ハロルド・アーレン
ニューシネマパラダイス モリコーネ
ノクターン チャイコフスキー
ノクターン アザラシヴィリ
白鳥 サン・サーンス
パピヨン 映画ゴールドスミス/町田育弥
遥かな友に 磯部俶
はるの子守唄 渋谷牧人
ハンガリー舞曲5番 ブラームス
Believe 町田育弥編曲
フーガ クライスラー
ふるさと 岡野貞一
プレギエラ(祈り) クライスラー
プレリュード(無伴奏パルティータno.3) バッハ
プレリュードとアレグロ クライスラー
ポエム フィビヒ
星に願いを ハーライン/久木山
菩提樹 シューベルト
マズルカ エルガー
マドリガル シモネッティ
ノクターン(真夏の世の夢) メンデルゾーン
見上げてごらん夜の星を いずみたく
ミスターロンリー レターメン
ミスティ エロル・ガーナー
ミッドナイトベル ホイベルガー/クライスラー
ムーンリヴァー 映画マンシーニ
無窮動 ボーム
無言歌 クライスラー/チャイコフスキー
無言歌 メンデルスゾーン/クライスラー
6つのやさしい小品 エルガー
めぐり逢い ギャニオン
メディテーション グラズノフ
メヌエット ベートーヴェン
メロディー パデレフスキ
もみの木 久木山編曲
椰子の実 大中寅二
ユーモレスク ドヴォルザーク
夕焼け小焼け 岡野貞一
ユーレイズミーアップ ラブランド
夢のあとに フォーレ
夜の歌 エルガー
パガニーニの主題によるラプソディー ラフマニノフ
ラブミーテンダー プールトン
ラベンダーの咲く庭で ナイジェル・ヘス
ラルゴ ヘンデル
リベルタンゴ ピアソラ
瑠璃色の地球 平井夏美
ロマンス エルガー
ロマンス ブルッフ
ロマンスOp.94-2 シューマン
ロマンティックピース1 ドヴォルザーク
ロマンティックピース2 ドヴォルザーク
ロマンティックピース3 ドヴォルザーク
ロマンティックピース4 ドヴォルザーク
ロンディーノ クライスラー/ベートーヴェン
ロンドンデリーの歌 クライスラー
我が母の教え給いし歌 ドヴォルザーク
私を泣かせて下さい ヘンデル

 上のリストは、私と浩子さんが15年間に演奏してきた「音楽」たちです。
音楽の数え方にもいくつかの方法がありますが、楽章を単独で演奏する場合も現実にあるので、それぞれを一つの音楽としてカウントしてみました。
2022年6月1日現在、153曲
多くが「小品=こもの」ですが、それぞれの音楽に個性があるのです。
中には、リサイタルで演奏した曲もあれば、ボランティアコンサートで演奏した曲もあります。さらに、何度も演奏した曲や過去に一度だけ演奏した曲もあります。
すべてを「すぐに演奏できる」わけではありませんが、思い出があります。
音楽を分類することには大きな意味を感じない私たちです。
むしろ原曲が「歌」や「他の楽器のために作られた音楽」と、「ヴァイオリンやヴィオラとピアノのために作曲された曲」という大まかな分類の方が少しは興味がありますね。
言うまでもなく、二人だけで演奏してきた音楽のリストです。
これらの他に、ピアノトリオで演奏した曲たちもありますが…
「他の人を加えないの?」と言う素朴な疑問があると思いますが、現実的に私が楽譜を読みながら演奏できなくなった今、「合わせる」ことが、他の方のご迷惑になってまで一緒に演奏することに、正直「ためらい」があります。
全盲でオーケストラの中や室内楽を演奏されるヴァイオリニストを、心から尊敬します。私が出来ない…と決めているわけではありませんが、二人だけで演奏することの楽しさだけでも、十分に満足していると言うのが本音です。
 まだまだ、新しい音楽に巡り合って私たちの「友達」になるのが楽しみです。
単純計算して「1年間に10曲」増えてきたことになりますが、それにこだわるつもりもありません(笑)
曲数にこだわりもありません。いつの間にか増えただけです。
さぁ!また暗譜だ!頑張ろう!
最期までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

音楽で社会貢献できるのか

 映像は、NPO法人メリーオーケストラが演奏する「レ・ミゼラブル」の音楽です。
私の調べた限り、日本国内で現在(2022年5月30日)NPO法人=特定非営利活動法人として活動しているオーケストラは、私たちのメリーオーケストラしか見当たりません。NPO法人…ニュースで耳にすることはあっても、実際にどんな活動をする団体なのか?知られていない場合がほとんどです。
 難しい定義は書きませんが、要するに国が認める社会に貢献する活動を、予め定められた事業で行う「非営利=営利を目的としない」団体です。
 ひとつの例で言えば、社員=会員は、給与を受け取れません。
オーケストラの演奏者が「社員」であれば、演奏者に給与を支払えないのです。
この時点で「なんだよ。それじゃ生活できないじゃん」とあっさり考えます。
現実にメリーオーケストラ会員=社員は、給与どころか、逆に毎月3,000円の「会費」を納めています。演奏会を開くたびに係る経費は、その会費と賛助会員からの会費年間一口2,000円、さらに会員が支払う演奏会参加費で賄います。
 経費の中には、プロの演奏家への「交通費」も含まれます。「謝礼」を支払うこともできますが、その場合は法人が法人税を支払う必要が生じます。
会場の費用、付帯設備の使用料の中で、相模原市から年間最大100,000円の助成金が受け取れる場合もあります。申し込んだ事業の中で審査され
選ばれなければ、一円も助成されません。

 オーケストラに限らず、私たち音楽家が、「演奏会を開く」ことや、「楽器の演奏方法を指導する」ことは、どんな社会的な意義があるのでしょうか?
「考えすぎだ」と思う人もいるかもしれませんが、社会で必要とされない活動で、営利を求めること=生活することは現実的に不可能です。
 音楽を聴いたり、楽器を演奏したりすることに何かしらの「価値」を作るのは、音楽家と行政の役割です。音楽家はすぐに分かりますよね?行政って何?
簡単に言ってしまえば「政治」です。国や県・市・町が音楽にどれだけの「予算」という価値を付けるかです。
 演奏の「対価」として聴衆が支払うお金があります。このサイクルだけで、演奏会は成り立っていません。「一流の演奏家なら出来るだろう」と思われますが、演奏会を開くホールの多くは「公的」つまり税金を使って作られ運営されています。民間が運営するホールもありますが、当然収益を挙げなければ=ホールが利益を出さなければ、運営できないので使用料金は莫大な金額になります。その代金に見合う「入場料」は一人10,000円近い金額で満席にしても足りないのが現実です。確かに一流の演奏家なら可能だし、富裕層なら演奏会チケットを買えます。でもそれ、社会貢献でしょうか?ブルジョアの贅沢に感じるのは私だけでしょうか。

 音楽家に対する公的な予算ってあるのでしょうか?
公務員として音楽に関わる業種は。
1.公立学校の音楽教諭
2.音楽隊(消防庁や自衛隊など)
3.音楽療法士、理学療法士
です。演奏家として働けるのは2.の音楽隊だけです。
プロのオーケストラに公的な助成があるケースもありますが、基本は民間企業です。財団法人などでも演奏家への公的な支援は非常に少ないのが現実です。
要するに、日本国内で「音楽活動」が社会的に貢献する場は、ほとんどないことになります。それは音楽家の責任ではありません。国が音楽・芸術・文化を軽視していることの証明です。

 政治が音楽で社会貢献を考えていなくても、民間や個人で社会貢献することは可能です。ひとつの例が「ボランティア・コンサート」ですが、この活動にも様々な問題や意見の相違があります。
 ボランティアだから、何もかもが無料で実施できる、と言うのは嘘です。
演奏者が自費で会場まで行ったとしても、本来は交通費がかかっています。
途中で食事を取ることになれば、食費もかかります。
大型の楽器を使用するのであれば、運搬費がかかります。
「善意」と言う綺麗な言葉で、お金が要らなくなるわけではありません。
そもそもボランティアは、行う側と受ける側の「気持ちの一致」がなければ成り立たない行為です。音楽の演奏を「望む」人たちと「提供する」演奏家の気持ちが一致しなければボランティアではありません。
 気持ちをお金=対価にすることが、日本の経済活動です。それは、すべての業種で本来行われていることです。物を作る人も、売る人も、相手が望むから職業として成り立っているのです。演奏家も本来、望まれなければ職業として成立しません。つまり「ボランティア=無料」と言う発想は間違っていることになります。
いくらならボランティア?も違います。両者の「同意」がなければ成立しないはずです。冷たい言い方ですが、ボランティア活動にも契約が必須だと思います。
後でどちらかが、嫌な気持ちにならないためにもこの契約は必須です。

「社会貢献」と言うと「営利を目的としない」と言うイメージが付きまといますが、非営利だからお金が掛からないことにはならないことを、演奏者も市民ももっと理解する必要があります。
私の考える社会貢献は、「不特定多数の人」に対して、自分の持っている技術や能力を使って喜んでもらうことだと考えています。逆に言えば、特定の人に対しての行為は「社会貢献」ではないのです。公務員は不特定多数の人のために働く人たちです。一方で多くの演奏家は、お金を払って音楽を聴いてくれる人や、お金を払って演奏技術を習う人に対して、演奏や技術を提供して生活しています。その前提が日本では、崩壊している状態です。
 多くの音楽大学を卒業した若者が、演奏活動で生活できない現状があります。
様々な要因があります。一言で言えば「供給過多」です。需要より卒業生の数が多すぎるのです。さらに、就職先であるはずの「組織」の経営が困難です。プロのオーケストラを考えた場合、黒字経営にするためには、人件費を抑えるしか方法がありません。演奏会を開けば開くほど「赤字」になる状態に音大卒業生が入り込む余地は、1ミリもありません。薄給で定年まで演奏する演奏家に、頭が下がる思いもありますが、若い人が入り込めないことも事実です。
 オーケストラを増やせば解決する問題ではありません。
むしろ逆効果です。「観客の奪い合い」を推し進めるだけです。自滅行為です。
オーケストラを「合併統合」する場合があります。多くの問題を解決する時間と忍耐が必要ですが、生き残るためには必要なことだとも思います。
はっきり書きますが「○○キネンオーケストラ」こそが、不要です。
そもそも「記念」で立ち上がったはずなのに、なぜ延々と活動しているのか私には理解できません。
 若い音楽愛好家が、社会貢献できるシステムを構築しなければ、いずれ日本の音楽大学は自然消滅すると思います。それは「種の存続」の定理だと思います。せまい社会に多くの「同種」が存在すれば、やがてその種は消滅するのです。活動の場を増やすか、新たな音楽家の排出を抑えるしか方法はあり得ません。
 その両方を同時に行うことが最も合理的です。
社会が音楽を求めているのか?と言う問いに、自信をもって「はい」と答えられるように、全体を変えていくことが、私たちの仕事だと思うのですが…。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

家族と生きること

 映像は、「愛を奏でて」をヴィオラとピアノで演奏したものです。
海の上のピアニストという映画のメインテーマ曲で、エンニオ・モリコーネ作曲。この映画でピアノを演奏する主人公は、船で生まれて親に船に捨てられたた男の子です。その子供が船底で働く一人の男性に育てられ、やがてその船でピアニストとして生き、最後は…という涙を誘われる映画です。
 ピアニストとしての生き方を最期まで貫いたことも悲しくもあるのですが、産みの親に捨てられるという、人間の持って生まれた「苦悩」も感じます。
 今回の内容は、演奏技術とは直接結びつかないかも知れません。お許しください。

 人はそれぞれ、生まれてから死ぬまでに違った経験を積み重ねます。
両親に愛され続けて育つ人ばかりではありません。それを他人と比べても無意味です。
子供を育てる「親」や「親に当たる人」がいて、子供はやがておとなになります。
大人になって、誰かと新しい家族になる人もいます。私もその一人です。
その家族と円満に暮らし続ける人もいますが、それが普通だとも思いません。
生きていく時々で直面する別れがあることも避けられない現実です。
家族との別れ(一緒に暮らす動物も含め)は、なぜか家族以外の別れとは違う悲しみがあります。別れにも色々あります。死別だけではありません。
 自分も家族も年齢を重ね、それまでと違う生活に変わっていくことも現実に起こります。後悔しても時間は戻せません。受け入れることしか出来ません。
 家族である「親」が自分より先に天国に逝くのは、ある意味で自然の摂理です。むしろ、生き物として考えれば「当たり前」のことです。
 友人の中に、親より先に亡くなった…という現実を何回も眼にしました。
親の気持ちを考えると、心が引き裂かれる悲しみを想像できます。
 親がいつまでも元気な家族もあれば、子供として親を助ける時を迎える場合もあります。それを「不幸」とは思いたくなくても、子供も親も「苦しい」のは事実です。避けることは出来ません。家族だからです。
 自分が誰かに助けられることを「恥ずかしい」「嫌だ」と考える人もいます。
それが家族なら許せて家族以外の「助け」は嫌だと言う親が多いのも現実です。
気持ちとして理解できますが、子供の立場で言えばどこか悲しく、納得できないのも自分の「親」だからです。
 子供のいない家族もたくさんあります。夫婦が高齢になって、親戚もいない二人がお互いを助け合っていられる間は、それまで通り幸せです。でも…不安はあります。誰が面倒を見てくれるのか?生きていけるのか?
 生きることが難しいと感じる時、人は生きていることの意味を考えられなくなります。安直に言えば「死んだほうが楽」と思ってしまうのが人間です。他の動物は決してそんな考えを持ちません。人間だけなのです。
 それが間違った考えだと言えるのは、他人だからです。家族と言う「絆」を感じる人が、いなくなったり感じられなくなった時、一人で生きていくことに耐えられなくなるのも本人にしか理解は出来ないものです。

 両親を看取ることができた私は、幸運だったと思っています。
そうは言っても、働き盛りの頃に突然「介護」も生活に加えることになって、正直「パンク」しました。家族だから…出来ることをしていたつもりが、出来ないこともしていました。後悔はしていません。誰の身にも起こり得ることです。
 それぞれの人が、自分の価値観で考える「家族観」があります。同じ家族の中でも違います。兄弟でも夫婦でも「違う人間」なのですから当然です。
 現実に生きている今、そしてこれから先に起こる「かも知れない」ことに怯えていても何もできなくなりますし、何も考えずにいることもリスクが高すぎます。「転ばぬ先の杖」を用意しながら、今まで通りの生活が出来ることを、願える生活が理想です。
 音楽を演奏できる「時間」を考えるより、自分の最期を如何に迎えるかを考える年齢になったのかも知れません。偏屈おやじだった父を反面教師にして(笑)、穏やかなおじいさんに鳴れたらいいなぁと、ぼんやり考えています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

60歳の音楽がサンダーバードでいいの?いいの。

 映像はNPO法人メリーオーケストラ第40回定期演奏会の映像です。
「サンダーバード」は幼稚園時代の数少ない記憶の中で君臨しています。
「神童」の皆様方は幼稚園時代、すでに演奏家としての準備活動をされていたのでしょうけれど、凡人代表のわたくしは。トッポジージョのゴム人形の耳を噛むのが癖でした←凡人の証か?
 その時代の音楽が今でも大好きです。白黒テレビとレコードの前身「ソノシート」で聴いていた音楽には「ぶーふーうー」「エイトマン」「鉄人28号」「鉄腕アトム」「スーパージェッター」などなど。今風に言えば「アニメ音楽」←どこが今風。
 ヴァイオリンを習い、音楽高校、音楽大学で学んだ「生まれてから20年」
生活のために(生きるために)ひたすら我慢して働いた教員時代「子供のための20年」
人間らしく生きることを思い出してからの「音楽に支えられる20年」が過ぎました。その集大成が「サンダーバード」です。あれ?振出しに戻った?(笑)

 音楽に優劣は存在しないと確信しています。
人として、まっとうに生きている人にも優劣はありません。
私が「人」としてまっとうなのか?は自分で判断できません。
クラシック音楽を学びましたが、音楽よりも人に興味があります。
どんなに高名な音楽家でも、その人の素顔=考え方・生き方に関心が行きます。
その人の事を知ることで、その人の評価が変化します。
演奏家自身も変わります。若さゆえに「天狗」になっていた人の鼻がいつの間にか、普通の鼻になっていることを感じることもあります。
 逆の場合、ひたすら音楽に向き合っていたはずの人が、いつの間にか「名誉・地位」にしがみつく「哀れな高齢者=はだかのおうさま」になってしまったケースもあります。
出来ることなら、私は前者になって棺桶に入りたい人間です。もとより、地位も名誉もお金もないので安心ですが(笑)
私の死んだ後に「若いころは良い奴だったのになぁ」と思われたくないです。はい。あ?若いころに、いい奴だったかな?自信ない…。

 アマチュアオーケストラを20年間指揮して来た中で、初期に良く言われたことがあります。
「はじめは、ハイドンやモーツァルトの音楽を練習しないと、難しい曲をじょうずに演奏できるようにならないよ」という、涙がちょちょぎれるアドバイスです。私は、まったく違う計画を持っています。それは今も変わりません。
 アマチュアオーケストラは、うまくならなくても何も問題はないのです。
聴く人が「もっと」と期待するのはごもっともです。もっと、じょうずな演奏を聴きたい方は、ぜひ!プロのオーケストラの演奏をお聴きになってください。
 だんだん難しい曲を演奏する以前に、簡単な曲ってなんですか?
簡単な音楽がある!と言う自惚れこそが間違っています。
モーツァルトやハイドンが「簡単=初心者向け」なんでしょうか?だとしたら、プロのオーケストラは絶対演奏しないんですよね?バカにされるんですか?「けっ!モーツァルトのシンフォニーかよ!」って(笑)
 メリーオーケストラにとって、どんな音楽も「演奏困難」なのです。
それは私自身のヴァイオリン、ヴィオラと同じです。簡単に演奏できる音楽が、一曲もないのです。「譜面=ふづら」が簡単そうに見える曲は存在します。
それを「簡単に」演奏するのは、その演奏者が「へた」だからです。
一音だけで、聴衆を魅了するための努力は、正解もゴールもない「永遠の課題」です。

 60歳を過ぎて、これから何をしたいのか?
実は考えたことがありません。別に現実主義者でもありませんし、かと言って理想偏重主義でもないつもりです。「出来るところまでやった」と自分が思えたら、自分でピリオドを打つことができないと、生きていても苦しいだけのような気がします。無理をしないで生きることができれば、最高の人生だと思っています。上を見てもキリがない。上から目線で誰かを見たくない。自分の立ち位置を考えられる「音楽愛好家」でいたいと願っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

悲しみと音楽

 一般的に「短調=悲しい」「長調=明るい」と言うイメージですが、ある音楽の「曲名」を表す場合、その曲の「最後の部分」が短調なのか長調なのか?何調なのか?を書き表すことが「多い」と思っていました。
実際に、上の二つの動画を聴いていただくと「シンドラーのリスト」は最初も最後も短調です。一方、クライスラーの「サラバンドとアレグレット」は出だしが短調、湖畔と最後は長調です。
さぁ、有名なベートーヴェン作曲、交響曲第5番「運命」は短調です!

 あれ?最後思いっきり「長調」だよ~?
そんな曲もありますってことです。

 短調の音楽でも、すべてが短音階=悲しい音階と短三和音=悲しい和音だけで作られているわけではありません。ところどころに、明るい長調が織り込まれています。長調の曲でも同じことが言えます。
 全体として「悲しい」音楽を聴いて、感情の中で悲しい記憶が蘇ることがあります。映画の音楽でもそうですね。
 演奏する人間が「悲しい」感情を持ちながら演奏することもあります。
長調の音楽でも、悲しい記憶が重なることもあります。
 一つの音楽がいくつかの楽章で出来ている音楽が多いことを、文学や映画で考えてみると、いわゆる「ハッピーエンド」のストーリーもあれば、悲しい結末のものもあります。音楽の場合には、終わりが短調でも長調でも曲名に付く「調」と直接結びつかないようですね。
 音楽にストーリー性を求めるのは、聴く側の自由ですからタイトルの「○○長調」「△△短調」っていらない気がします。勝手な私見です。
 音楽が人の心の琴線にふれる時、それが長調か短調なのかという事にこだわっていません。演奏する時にどうしても音階や和音を考えますが、全体を通して演奏し終わって残る「余韻」を大切にしたいと思います。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

音楽と個性と自由

 今回のテーマは、音楽を演奏する人の「個性」についてです。
上の動画は、2020年に亡くなったイスラエルのヴァイオリニスト、イヴリー・ギトリスの演奏するバッハのシャコンヌと、手嶌葵の「ただいま」と言う音楽。あまりにも、かけ離れた音楽に思えますが、「個性的」と言う意味で考えると共通している一面を感じます。
 演奏に限らず、個性的であればあるほど、人々の好き嫌いがはっきり分かれます。ファッションや髪型でも同じことが言えます。
 個性的でないことを、ありきたり・平凡・普通・二番煎じなどと表現します。
演奏者に限らず、人間は本来全員が異なった個性を持っているはずです。
社会の中で「ルール」に従って生きることは、個性とは別の問題です。
組織の中でも同じ事は言えます。守るべき「普通」があります。
一方で個人が自由に考え選択できることに、個性が現れます。
音楽で考えると、作曲者が作る音楽の「個性」があります。
他人の作った旋律をそのまま真似して使えば「盗作」であり、本人の個性は1ミリもありません。ただ、和声の進行=コード進行になると、全く同じ進行が数小節続く音楽は、いくらでも存在します。これを「盗作」とは言いません。
 演奏者の個性は、どこにあるのでしょうか?

 楽譜に書かれた記号を、指示に従い音にする。
テンポが厳密に指定されていたとしても「音=音色」までは指定できません。
また、音の大きさを「デシベル」で指定した楽譜はクラシックにはありません。常に「相対的な音量の変化」で演奏しています。
音色と音量は演奏者の自由です。音符の長さ、休符の長さは指定されたテンポの範囲内であれば演奏者の自由です。
 演奏者は「個性的な演奏」と言うと、「突飛な演奏」と勘違いします。
ギトリスの演奏を多くのヴァイオリニストが真似をすれば、いずれその演奏方法が「ありきたり」になります。つまり、現代の演奏方法は、すでに誰かが考えた当時の「個性的な演奏」をみんなが真似をしているだけなのです。
 それを平凡だから駄目だとは言っていません。なぜなら、「音色」を完全に真似ることは不可能だからです。音符の長さ、音量は真似ができます。でも、音色を完全に同じにすることは、絶対に不可能なのです。

 一人一人に違った「声」がありますよね。親子、兄弟姉妹で声がそっくりなのは、声帯や骨格が似ているからです。機械で作られる音は、完全に同じ音を再生することが可能です。木製のスピーカーで再生すると、厳密には1本ずつ違います。「木材」が同じではないからです。
 ヴァイオリンは、すべての楽器が違う音を出します。
以前にも書きましたが、ストラディバリウスの楽器でさえ、すべて音色が違うと言うのは、周知の事実です。地球上に全く同じ音色のヴァイオリンは2本=2丁ありません。その時点で「個性」です。
 演奏方法によって、楽器の個性に演奏者ごとの個性が重なります。
つまりは、すべての演奏者が「似た音色」で演奏できても「同じ音色」で演奏できる確率は、天文学的に低いという事です。
 自分の楽器の音に不満を持つヴァイオリニストがたくさんいます。「隣の芝生は…」で、やれオールドが素晴らしいとか、新作はダメだとか、何の根拠もなく断言するかたがおられます。その方の耳はたぶん、すべての音色を聞き分けられる「超能力」を持った耳なのでしょうが、一般の人類にはその能力はありません。
 新作のヴァイオリンにも、300年前のヴァイオリンにもそれぞれに違う個性があるのです。それを「個体差」と呼ぶのであれば、あって当たり前なのです。
演奏者が手にしたヴァイオリンの音色に不満を持つのは、単純に好みの問題なのです。楽器の良い悪いではありません。
 自分の好みの音色のヴァイオリンを探したとします。
仮に現在演奏できるヴァイオリンが、世界中に1万本、あったとします。
そのすべてが違う音色です。その中で、自分の好きな音色の楽器を「1本」選ぶことが人間に出来るでしょうか?絶対に無理です。自分と巡り合ったヴァイオリンの中で、自分の好みの音色の楽器を選ぶことしか、出来なくて当たり前です。
 人間同士の出会いと同じです。理想の人と出会うまで…。世界中の人とお見合いしますか?(笑)

 個性から少し話がそれましたが、演奏者が演奏する音そのものがすでに「個性的」なのです。奇抜な演奏をするまでもなく、音色そのものが世界でただ一つの音です。その音が好きな人も嫌いな人もいます。演奏方法やテンポの設定、音量の考え方も、人それぞれに好みが許されるのが音楽です。
自分が好きなテンポで好きな音量で、好きな音色で演奏することが個性なのです。他人の演奏の何かを真似したとしても、それは悪い事ではありません。すでに私たちは、師匠から多くの事を盗んでいるのです。それが悪いと言うのであれば、音楽は伝承されないのです。ただ、大切なのは自分で考えることです。
 流行の服が自分に似合うか?考えないで着るように、他人の演奏をただ真似ても、自分の音楽ではありません。
自分に自信を持ちながら、信頼できる人の感想を参考にすること。
自分にしかできない演奏に誇りを持ち、他人の演奏を称えましょう!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介