小学校2年のお兄ちゃんと、幼稚園児の妹。二人とも本当によく練習してきます。
レッスンが終わるとこうして、思い思いにくつろいでいます。
二人がいま、練習しているのはヴィヴァルディの二つのヴァイオリンのための協奏曲。
一週間で譜読みしてきます。すごいです。
受験生レッスン
83歳の生徒さんに
昨日、元気に教室に来られた83歳の生徒さん。一時間のレッスンを心から楽しんで、そして学んで帰られました。楽譜も読めず、楽器も習ったこともない生徒さんです。
それでも、とにかく「音楽が好きなんです」という純粋な気持ちと、子供のように好奇心旺盛で人の話に耳を傾ける姿勢は、人生の後輩として学ばせてもらうことばかりです。
楽器を弾けるようになるという目的ではなく、自分のやってみたいことに躊躇せずにチャレンジすることを私は忘れていた気がします。「出来ない」「難しい」そして「もう若くない」という
逃げの姿勢ではなにも生まれないことを知らされます。この83歳の生徒さんが満足できるレッスンをできるか?と天から問われている気がします。今までに何人教えていようと、自分がどれだけ弾けようと、純粋な気持ちに応えられなければ私の技術もその程度です。私にとってのチャレンジです。
和波たかよし先生のサマーコース
和波たかよし先生の演奏会を聴いて
和波先生のコンサートを楽しませていただいた翌日は休日。
ゆっくり起きて朝(昼)風呂を楽しみました。
昨日の演奏会が終わって夜、自宅のテレビで偶然、同じブラームスのソナタの演奏を聴きました。
改めて何がこんなに違って聞こえるのかと考えていました。
和波先生の演奏を、ヴァイオリン弾きとして考えると自分の受けた教育と通じるものを、とてもたくさん感じました。
誤解されないよう書いておくと、ここで評論家めいたことを書いているつもりは、まったくありません。また、すべてのヴァイオリンを愛好する人に敬意を持っています。さらに、プロとして演奏している方々の演奏に「けち」をつける気もありあせんし、序列をつける気も毛頭ありません。
和波先生の演奏を「内面からの音楽」と感じました。
演奏の核がからだの中心にある演奏方法だと感じました。
ボーイング、左手、上半身全体の使い方、楽器を構えた姿勢
すべてが外に向かってまた、からだの中心に戻ってくる私の受けた演奏方法に共通するものを感じました。
それを抽象的にあらわすなら「音楽を一生懸命演奏していている」というわかりやすい言葉てあらわせると思います。和波先生のように50年という年月、演奏活動をされていないヴァイオリニストの多くが、この一生懸命さを感じさせない演奏をしている気がします。
好みの問題はあります。でも、誠実さは好みの問題以前の問題だと思います。
ひたむきな音楽が好きです。形だけの演奏や、指先から始まる音楽には、情熱を感じません。みんな上手です。でも、演奏者がどんな人間であるか?を感じることが演奏を楽しむことではないかと、昨日強く感じて和波先生の偉大さを改めて痛感しました。
今日はゆっくり休みます!
メリーオーケストラ最年少メンバー
83才の手習い
トランペット、ピアノ バイオリン
今日はマンガを描いて来たよ!
音楽家への道
「音楽家って何か免許とか資格とか、いるのですか?」答えは「ノー」だといえます。
確かにコンクールで高い評価を得ることがひとつの評価基準であることは事実です。そして、その評価が日本では「肩書き」となり仕事をもらえる…つまり職業として生活していけることにつながりやすいのもまた、事実です。
では、そのコンクールで高順位にならなければ「下手」なのか?といえば、これはまた「ノー」です。さらに、
プロだから上手で、アマチュアだから下手という公式もありません。ヴァイオリンならヴァイオリンで長い時間、厳しい訓練と経験を重ねた人には、演奏技術の甲乙をつけることができます。でも好き嫌いとはべつの問題です。一方で、専門家でない人にとって演奏が上手いのか下手なのか?よくわからないのが当然のことです。ですから、よくインターネットでも見かける「あの人はうまい」とか「技術がない」とかという書き込みがありますが、本当にその方が技術の甲乙がつけられる人かどうかは定かではありません。その点でコンクールの審査員、特に国際コンクールともなれば専門家以外が審査することはありえないので、評価としては間違っていないでしょう。
では、音楽家になりたい思ったら?
ひとつの方法として、音楽を専門に教えてくれる学校に通うことがあります。
ただ、これも色々な学校があるので一概に「音楽学校」といっては問題があります。
学校で言えば、文科省が区分けをしています。普通科の学校なのか、音楽科の学校なのか?専門学校なのか、大学なのか?などです。音楽の学校に行ったから上手くなるわけはありません。卒業したからといって プロになれるわけでもありません。あくまでも、本人がうまくなるか、ならないか?だけの問題です。消去法で進学する学校を決める若者が多い現実を学校の教員をしていて強く感じていました。悲しいことだと思います。自分が行きたいから行くのではなく、行けるところがあったからいく。これで本当にスタートしてしまうのかと心配になります。スタートしてから頑張ることももちろんできますが、消去法で進路決めるのはいかがなものでしょうね。
で、音楽。どんな分野でもそうですが、入試は落ちるか受かるかの二つに一つです。
惜しい。は落ちたことになります。
この入試に勝ち残る強い意志がなければまず、学校に入れない。
運だけではいったとしてもその運が一生涯続くとは思えません。
そして、音楽を職業とするならすべてのことに興味と関心を持つことだと思います。
若いうちは苦手だったことも、音楽家として成長するうちに必要になってくることもたくさんあります。
まずは、本気になること。
これに尽きると思います。音楽学校受験生の皆さん。入試までの限られた時間を必死に駆け抜けてください。