メリーオーケストラ定期演奏会を終えて

今年で16年。毎年2回の定期演奏会を一度も欠かさず続け、33回目の定期演奏会が2月4日に終わりました。
70名の演奏者がステージに集まり、同じ音楽を作り上げることは、楽器を演奏する中で最も規模の大きな演奏になります。
オーケストラで演奏するために必要な技術と、ひとりで楽器を演奏するために必要な技術について考えてみます。

もちろん、順序で言えば「個人の技術」→「合奏の技術」です。
一つの楽器をひとりで好き勝手に演奏するだけでも難しいものですよね。
いい音で、正しい音の高さで演奏する。
そして決められた音符と休符の長さで演奏し、音の大きさを変えられること。
それだけの事が出来るようになるのに、何年も何十年もかかります。
これが「ひとりで演奏する個人の技術」なのですが…
これをマスターしてから「一緒に演奏する=オーケストラの一員として演奏する」ことに進むとなると、ほとんどの方は途中でドロップアウトしてしまいますし、「これが出来たらオーケストラに入れる」という基準は

ありません!!

アマチュアオーケストラでオーディションを行うことに、強い疑問を感じます。
プロのオーケストラの場合、演奏しようとする曲を、プロの演奏として自分たちが決めた水準以上の技術を持った人だけを集めます。
これは正しいことだと思います。
一方でアマチュアオーケストラの場合は、メンバー個人の問題より、合奏する「演奏者」が趣味で演奏を楽しむ人の集まりなのです。
メンバー個人の技術力に差があることを認めないのは、間違っていると私は思っています。
「そうはいっても、サードポジションができなければ交響曲は弾けないだろう」と言い切る人がいますが、これもアマチュアオーケストラとして考えれば間違っています。
現にメリーオーケストラにはサードポジションでまだ弾けないヴァイオリンのメンバーが何人もいます。構わないのです。
その子供たちやメンバーだけを特別に扱っているのではありません。
「できないから出来るようにがんばる」のが趣味の世界です。
「できて当たり前」がプロの世界です。
5歳のちびっこヴァイオリニストが、9曲のプログラムすべてに「すべて」参加しました。
弾けない音もたくさんありました。それでも、最後まで楽譜を目で追いかけ、ほかのメンバーと一緒に弾ける場所の弾ける音だけを弾きました。
その子供が次回の演奏会で、もう少し多くの音を弾けます。
さらに次の演奏会、次の演奏会と経験を重ねる中で、やがてすべての音を演奏できるようになるのが「成長」なのです。
今現在、できることだけで線を引いてしまい「あなたはできるから一緒に」と弾けない人を排除するのがアマチュアオーケストラのオーディションです。82歳の元ちびっこヴァイオリニストもメリーオーケストラにいます。
その方にとって、練習に来ること、本番に出ることは体力的にとても厳しいことです。
その方が生き生きと演奏している姿に純粋に感動しました。
その方の演奏技術が問題でしょうか?その方だけを特別扱いしていません。
メリーオーケストラは全員が特別なのですから。
一緒に演奏するための技術は、一緒に演奏してみないと必要な技術、自分に足りない技術がわかりません。
だからこそ、初めてのオーケストラで学ぶことが大切なのです。
出来ないことをできるようになるまで、個人一人一人が練習して、また合奏に参加することの繰り返し。一人で練習しなければ合奏だけで弾けるようにはなりません。「アマチュアだから」という言葉はこの面では言ってはいけません。自分がオーケストラで楽しみたいのなら、合奏の前に一人で練習することが「必要」なのです。その量や内容はみんな、違います。でも、

「合奏までに練習する気持ち」を持つことが一番大切です。

メリーオーケストラ代表
野村謙介

アマチュアオーケストラのすすめ

日本中にたくさんのアマチュアオーケストラがあります。
私が立ち上げて、特定非営利活動法人(NPO法人)として認定してもらい活動を続けている「メリーオーケストラ」もアマチュアオーケストラです。

NPO法人
よく聞く言葉ですが、実はあまり実態は知られていません。
国がその団体(法人)に認めた活動を行うのがNPO法人です。
メリーオーケストラの場合は「青少年の健全な育成」と「音楽の普及」という二つの目的を達成するために「月に一度のワークショップ(公開練習)」と年に2回の「定期演奏会」さらに「施設等への訪問演奏」を行います。
その他に目的を達成するための活動が許されています。
一般のアマチュアオーケストラと違い、活動の内容、社員(メンバー)、収支や財産の提出が義務付けられています。もちろん、定例社員総会や必要にも応じて理事会も開き、その議事録も必要になります。
運営の費用は、社員(メンバー)からの会費、賛助会員(メンバーでなくてよい賛同者)からの賛助会費です。これも設立時に作成し提出し認められた「定款」に書き込まれます。演奏会の入場料をいただいても構いません。ただし、広告収入は「その他の事業」となるので課税対象となり、多すぎれば問題となります。
理事を含む役員は「役員報酬」を定款で定めれば受け取ることができます。
ただしこれは法人の課税対象となります。
また、音楽で生計を立てている人への謝礼を支払うと、これも課税対象となります。
もちろん、メンバー(社員)が報酬を受け取ることはできません。
つまりプロの演奏家たちが集まってNPO法人オーケストラを作って給料をもらって生活することは「不可能」なのです。

その手間の多さは、普通のアマチュアオーケストラと比較してかなりの量になります。
では、そこまでしてNPO法人にするメリットは?
ずばり。「団体の透明性を高め、活動に賛同してくれる方を募る。」ことです。だからと言って、助成金があるわけでもなく、優先的にホールが確保できるわけでもありません。
長い時間をかけ、多くの市民に活動の趣旨を理解してもらい、その人数を増やすことがメリーオーケストラの活動趣旨なのです。

アマチュアオーケストラですから、プロのオーケストラのような演奏は出来ませんし、もとより目指していません。
演奏技術を高めることはとても重要なことです。
ただ、何のために演奏技術を向上させるのか?という焦点が、メリーオーケストラのの場合は、先述の二つの目的なので、言い換えれば「演奏技術を高めること」が第一の目的ではないのです。
私のリサイタルと同様に、ひとりでも多くの方がコンサートで「楽しかった」と思いながら、笑顔で帰られるコンサートを目指していますので、難しい曲は避けています。
難しいというのは「聞いていてよくわからない」つまり、普段あまり音楽を聴かない方でも、親しみを持てる「難しくない」という意味です。
どんな曲でも演奏は「難しい」のです。
それはプロであれ、アマチュアであれ同じことです。
どんなに短い曲でも、どんなに楽譜の簡単な曲でも、良い演奏をしようとすれば「難しい」のです。
ましてや、趣味で演奏を楽しんでいる人にとって、楽譜が難しければ演奏を楽しむ以前に、ストレスになってしまします。
賛否両論ありますが、アマチュアオーケストラが大曲を演奏することに、私は無理を感じています。
メリーオーケストラには4歳の子供から80代の方までが会員として活動しています。
その多くのメンバーが初心者です。つまり、楽譜が難しくなればなるほど、参加できる人が減ってしまいます。
入会のためのオーディションを行うアマチュアオーケストラがたくさんあります。
技術を高め、難しい楽譜を演奏し、完成度を高め、クラシックファンの期待に応えようとするならそれも「あり」です。
演奏技術の高い人だけを集めるのなら、最終的にはプロのオーケストラが一番うまいのです。
アマチュアの割にはうまい。
という評価は私個人としては「意味がない」と思っています。
アマチュアの演奏には、他の演奏と比較する必要性がないのです。
どこそこのアマチュアオーケストラより上手に弾けるなんて話を聞くと
「何がしたいのかなあ?}と疑問に思います。

演奏者たち一人一人が音楽を楽しめること。
その演奏をコンサートで見て聞いた人たちが純粋に感動できること。
その活動を継続すること。

それが私にとってアマチュアオーケストラのあるべき姿です。
メリーオーケストラは活動を始めて16年目です。
今回の演奏会(第33回)には、私の母校である桐朋学園で学んだ人が
私を含めなんと13名。他の音楽大学を卒業した人も6名。現役の音大生が3名。みんな交通費だけで参加してくださっています。本当にありがたいことです。
その方たちと一緒に4歳のちびっこも席を並べて演奏します。
9曲のプログラムの中には、ドボルザークのチェロコンチェルトやベートーヴェンのロマンスがあるかと思えば、小学生が歌い、オーケストラが伴奏する曲があり、荒城の月があり、オペラ座の怪人があり、ビッグバンドのメドレーがあり…。
音楽のジャンルという垣根を超え、演奏技術や経歴の垣根を超え、年齢の垣根もなくし、どんな人が聞いても楽しめるコンサートを開き続けるアマチュアオーケストラ。

もうすぐ演奏会です。

メリーオーケストラ
理事長・指揮者
野村謙介

私の個性的な「眼」

網膜色素変性症という治療法のない眼の病気です。
進行性の病気で原因も不明。多くの場合、失明に至ります。
その進行の速さや内容は人によって大きく違います。
日本だけでも約3万人の患者がいる「難病指定」の病気です。

私の場合、3歳ごろに夜盲の症状があって両親が気付き、この病名だとわかりました。
進行が遅かったので、20代までは夜盲症状以外、日常生活に支障がなかったので車の運転も、教員生活にも困ることはありませんでした。

45歳を過ぎたころから、視野の狭窄(見えない部分がどこかきまっていません)と夜盲の症状が進みました。
10年前は普通の大きさの楽譜を見ながら演奏することもできました。
次第に楽譜が見えずらくなり、A3サイズの紙横向きに数段の楽譜を拡大し、暗譜しながら弾くようになり、今はそれも辛くなり、21インチのタブレットに楽譜をアクロバットファイルにしたものを好きなだけ(笑)大きくして、覚えては弾く、覚えては弾くの繰り返しです。

そんな生活ですから、夜、駅前教室でレッスンが終わって、外に出る時は白い杖を持っています。
白い杖を持っていると「全盲」、つまりまったく光を感じられれない人だと思われるので、電話をしようと携帯を出したりすると「にせもの?」という目で見られてしまいます。「半盲」という言葉があります。私が今そうです。見えるものもあるが、見えないものが多い。
視覚障害1種2級の手帳も持っています。でも人から見て、どのくらい見えないのかはわからないのが現実です。

ステージが暗転するときややステージ袖。
私には「真っ暗闇」の世界で、光っている電球「だけ」が見えます。
そんな病気なのです。

その夜盲の私が幼いころから「夢」だったのが「夜見えるメガネ」
魔法のような世界、あったらいいな、ドラえもんに近い夢でした。

とうとう、できました。

メディカルウエラブルというメガネの形をしたカラーで透明な有機LEDディスプレイに高感度カメラの映像を映し出す道具。

12月に発売予定でしたが、さらに改良を加えるため、来年1月に量産のモデルを手にします。その前に、最新のプロトタイプ(試作品)をリサイタルまでにお借りすることになりました。

「0.5ルクスの明るさで歩くことができる」というお話。
この明るさは「月夜で街灯のない道の明るさ」だそうです。
私には街灯がどんなにあっても「街灯」だけしか見えませんが、このウエラブルを付けると真昼のように見えます。

まだ、厚労省が「補装具」として認めてくれないので全額負担です。
開発にかかった費用、高感度カメラの価格などを考えると40万円は高くないのです。むしろ、私たちの「目」がこの値段で買えるのなら。

楽譜はどうやっても見えないのは同じですから、少しでも見える間に、少しでも多くの曲を暗譜したいと思っています。

リサイタルで演奏する16曲。頭に書き込みました。
舞台から客席の皆様の顔が見えませんでした。暗いので。
今度のリサイタルでは皆様の表情が見えます。
気持ちよくお昼寝している方の表情や、喜んで腐っている方の表情が見える。
夢のようです。
リサイタルのステージに、似つかわしくないサングラスをして登場します。
そんなヴァイオリニスト、世界で今は一人です。楽しんで下さい。

野村謙介

夢の眼鏡発売ニュース


ニュースです。
「夜盲症」つまり薄暗いところでものを見ることができない病気です。
私の眼の病気「網膜色素変性症」はこの症状があります。
その苦しみから解放してくれる夢の眼鏡がついにできました。

この魔法のような眼鏡を開発し発売まで頑張ったのがHOYA
2017年12月に発売される予定です。まだ高額なうえに
医療器具として厚労省が認可してくれていないので
私たち障がい者の全額負担です。
一人でも多くの方にこの病気で苦しむ日本国内だけで
5万人以上の人のために知っていただければと思います。
YAHOOニュースでも取り上げられました。
こちらからどうぞ。

当たったけど来ないバリスタ

昨年応募して、そのままになっていたこの「アンバサダー」というネスレの企画。
今月10日に営業から「実は当たっていました」電話があって、「発送します」という事だったので待っていました。
が、来ないどころか連絡がないので、昨日電話して確認しましたが、営業部署に伝えておきますとのことでした。でも連絡がない。そこで、再度営業にこちらから今日、電話してみるとまたもや「2点の条件について同意いただければ…」と先日と同じことを言われて、思わず「それ、10日に答えましたけど」と抗議。すると「申し訳ありません。発送に2週間ほどかかります」初めて聞いたお話でした。もちろん、最初からそう言ってくれていれば、こちらも「ふんふん」と納得てきたんですけれどね。せっかくの期待もうれしさも、こういういい加減な対応されると幻滅ですね。ネスレさん。しっかりしてくださいよ。


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謙介の日記(その6)

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24日(日)

今日は、朝、早くおきて、ごうえん山へ
四人で、のぼった。その山の道のけわしい
こととは、ものすごい。でこぼこ道で、
いっぱいだ。でも、山の中は、とても、きれ
いだ。ウグイスがないたり、セミがないた
りだ。けしきも、さいこうだ。
ちょう上から見る大山は、さいこうだ。
おじぞう様があった。おかあさんは、そ
のおじぞう様のうしろにあった。かめの
石が、ほしくてこまっていた。
そのごうえん山をおりて、こんどは、リフ
トで、大山のとちゅうまでのぼった。
ぼくは、小さい時、一回おかあさんのひざ
にのって、リフトにのったことがあった
だけだ。こんどは、もちろん一人だ。

感想…
改行がまるで原稿用紙のようである。
けわしいこととは、ものすごい
とは。劇画チックである。
今までの日記と比較して、わりあい、よくかけました。

おかあさんのエピソードは子供らしくてかわいい。
リフトに一人で乗れたことを必要以上に強調している。

謙介の日記(その4)

ken4
25日(金) はれ

あしたぼくたちは、大山へ行く
バスと、でん車でいくそうだ、
その大山にとまる時のばしょは、ぶじぎ
ん行のりょうだそうだ。
あしたが、くるのが、楽しみだ、

う~ん。父親の勤めている銀行の名前を間違えている…
ぶじ
ではなく、ふじである。富士銀行ね。無事銀行か?
そして、大山が、犬山に見える。
句読点が、はちゃめちゃである。
そして、右よりである。もっと書けよ!と言いたくなる。
ぶじ銀行かぁ。

謙介の日記帳(その3)

今日は、しんじくんとキャッチボール
した。ソフトボールでした。
時どき、ぼうとうがくることがある。
しんじくんは、玉が早いように見
えるのだが、とってみるとぜんぜん早くな
い。

という日記なんですけどね、まず、この言い回しが硬いというより、全然かわいくない。
小学校2年生の文章なのに「だが」とか日記に書くだろうか?
そして、内容を見ると、お隣のお友達で一学年下の「しんじくん」をまるで上から目線でみおろしている、この態度が好かん。とってみたら、全然「早く」ない。そうそう速くだしね。そして「玉」ときました。これは…まぁいいや(爆) 親父くさい小学生なのか?それとも、とってもまじめに父親の言葉遣いを真似しているのか?まるで論文のような、である調。頭はあまりよくないらしいです。はい。
ken3

謙介の日記帳(その2)

ken2前回に続き、小学校2年生当時と思われる夏休みの日記帳から二日目です。

日付なし。天気なし。

今日は、お母さんとぼくとでえいかの
チキチキバンバンを見にいった。
はじめはクーラーをかけていなかっ
たのに、きゅうにかけはじめた。
あまりさむいのですみの方で
みた。

映画の感想は…一言もない。
どんな映画だったのか、書いていない。
ただ、さむかったことだけが印象に残ったらしい。
挿絵をみると、一応見たであろうことはわかる…

普通、こういう日記って「おもしろかった」とか「かっこよかった」とか
「ないた」とか、書きませんか?ねぇ?野村さん。
これが夏休み二日目の日記です。

懐かしのお弁当箱

なんと!ボクが幼稚園の時に愛用していたアルマイト製のデイジーお弁当箱。今から約40年前の話。代々木上原に住んでいた当時、シオン幼稚園に通っていました。病弱な子どもでしたが、母親が毎日お弁当を作ってくれたんですね!そのお弁当箱を大事に取っておいてくれた母親に感謝。我が姫君お手製のお弁当を詰めて出勤です。IMG_20130404_081708