メリーミュージックブログ

演奏家夫婦が優しく丁寧に指導

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楽器・弓

日常生活と音楽と

 映像は我が家の姫「ぷりん」トンキニーズ、女の子、7歳です。
子供のころから{犬派」だったのですが、7年前に出会った瞬間から猫派に寝返りました。すみません。あ、でも、いまでも犬大好きです。

 と言うお話ではなく(笑)、今回のテーマは「音楽」と、生きているすべての人の生活とのかかわりです。
 まったく同じ生活を送る「日」はありません。また、自分とまったく同じ生活を送る人もいません。「似たような生活」になることがあります、たとえばケガや病気で入院したとき、同じ病室にいる患者さんの生活は、起きる時間から食べる時間、寝る時間までが同じです。その人でも、退院すればまた「日常生活」に戻るのです。
 人それぞれに、日々それぞれに、違った生活をするのが、私たち人間です。

 音楽を演奏することを職業とする人の「日常生活」とは?
その人の、音楽との関わり方と、生計の立て方によって大きく違います。
プロのオーケストラで演奏する「正規団員」の場合でも、給与だけで生活できる人とアルバイト=副収入がないと生活できない人がいるのが日本の現状です。多くは後者です。
 ソリストと呼ばれる、ごく一部の演奏家の場合の年収も人によって大きく違います。ただ、オーケストラの団員とは比べ物にならない年収です。
 オーケストラメンバーの場合、多くはほぼ毎日「出勤」して練習か演奏会で日々の生活を終えます。サラリーマンと変わりません。
 ソリストの場合、演奏会の頻度にもよりますが、世界中で演奏するソリストの場合、移動移動の繰り返しに多くの時間を割くようです。移動した先で、練習する時間も限られ、すぐに演奏会。終わればすぐに移動。体力勝負ですね。
 音楽大学で学生を指導する「先生」の場合、会議などの「校務」も含めて学校からの給与で生計を立てられる人と、その他の副収入がないと生活できない人がいますが、多くは後者です。「教授」であれば恐らく前者ですが、大学でレッスンをする人の多くは「講師」つまり教授と言う肩書ではない人がほとんどと言っても過言ではありません。
 

 私の場合は「会社経営」で生計を立てていますが、これを音楽家と言えるか?については自分なりに疑問も感じますが、気持ちとしては間違いなく「音楽」で生きているつもりです。
 フリーランスの演奏家の場合、収入は不安定になる人がほとんどです。コロナの影響で生活が苦しくなり、音楽以外の仕事で生計を立てているフリーの音楽家が日本中にいます。それを放置している「日本の政府」が世界の中で最低の政府であることは言うまでもありません。

 アマチュア、つまり趣味で楽器を演奏する人にとっての日常生活。
これもひとそれぞれ、全くと言っていいほどに違います。生活のために必要なお金を得るために「働く」人もいます。家庭で家族を支える「仕事」をする人もいます。働きたくても事情があり、働けずに家や施設で暮らす人もいます。
 そんな中で楽器を演奏する楽しみを持つ人を、私は心から尊敬しています。

 プロでもアマチュアでも、どんな生活にしてもその人が望んだ生活とは限りません。他人の生活がうらやましく感じられるのも珍しい事ではありません。他人の生活をすべて知っている人はいません。自分の生活「だけ」が基準になります。日々の生活に「満足感」「幸福感」「充実感」を感じられるか?と言うのも、自分だけの基準で感じるものなのです。他人と比べられるものでは絶対にありません。
 音楽と言う「楽しみ」を生活のコア=核にすることは、どんな生活をしていたとしてもできることです。
 生活の「時間の中心」つまり、一日24時間、一週間、一か月という単位の中で音楽に関われる「時間」だけを考えれば、ほとんどの人は、ごく一部のはずです。週に1日、1時間だけ楽器を演奏できる人にとって、その1時間の楽しみが「生活のコア」であっても不思議ではありません。
 その1時間以外の時間に楽器を演奏できないからこそ、楽しめる1時間。
それまでの時間を「楽しみ」のために使う時間だと考えられれば、音楽がその人にとって、何物にも代えられない「中心」になるはずですよね。
 時間だけが生活の中心ではないと思っています。先述の通り、生活の基準は人によって違います。どこにも「平均」はありませんし、幸福感の「ボーダーライン」もありません。すべては個人の「考え方」で決まります。

 現実に自分が少しでも、一時間でも楽器に触れていたい、音楽に関わっていたいと思う気持ちは、音楽家の誇りでもあり「証」でもあります。それができない生活だからと言って、自分が音楽から離れるのは「逃げ」だと思います。
私自身は20年間、ヴァイオリンから遠ざかりました。ほとんど楽器のケースも開けませんでした。日々の生活は「サラリーマン」として生き、家族を支えることに徹しました。その期間にもしも「ヴァイオリンを弾きたい!」と思っていたら退職していたか?おそらく生活のために、現実的には「住宅ローンのために」やめられなかったと思います。その20年間、自分の楽器から遠ざかっている間は「ただ家族のため」に生きました。そして今。
 ぷりんと浩子という、二人の姫と共に暮らす人生の「コア」には音楽があります。お金もない、時間も体力もない、健康に不安もある生活ですが「音楽」が人生の「ど真ん中」にあることだけは疑いません。それが他人からどう?見えるかは関係のないことです。音楽に関わって、家族と暮らせれば満足です!
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

オーケストラ演奏会は準備の結晶

 上の図はNPO法人メリーオーケストラ第41回定期演奏会の舞台設営図。
指揮者を含め、71名の演奏者が演奏に参加します。その他にも、受付・客席ドア係(非常誘導)・舞台ドア係などのスタッフが10名ほど、演奏会を支えてくれます。今回の配置は「対向配置」ファースト・セカンドのヴァイオリンが、舞台の左右に分かれ、向き合う形で演奏します。メリーオーケストラ定期演奏会を、第1回から20年間、使用し続けている「杜のホール はしもと」の舞台は、この編成で狭く感じるホールではないのですが、感染対策と「チェンバロ」「パイプオルガン」「ハープ」「ピアノ」の音を一台で演奏できる電子ピアノを背理する必要があり、ドラムセットも使用するため舞台上には、隅から隅まで(笑)演奏者と楽器があります。この舞台図は「イラストレーター」と言うソフトで自作したものです。

 アマチュアやプロのオーケストラがたくさんありますね。素晴らしいことだと思います。それぞれのオーケストラに個性があります。演奏する曲の「志向性」もあります。当然、規模も様々です。
 自分で立ち上げ育てた「スクールオーケストラ」のメンバーが150名になった頃、全員が演奏できる舞台を持つホールは、限定されていました。その巨大オーケストラの練習と運営、演奏会の準備をほぼ、一人で行なっていた経験が今に至っています。違うとすれば、学校と言う場所には印刷、製本、裁断などの「機械」が揃っていました。メンバーが多かったので、楽器の量も4トントラックにやっと積み込める量でした。さすがに運転は業者にお願いしました。楽器の移動は、生徒たちがテキパキと全員がスタッフになって動いていました。よほど、指揮者が怖い人だったか「聖人」だったかどちらかですね。←いまさら言うか。

 オーケストラの演奏は、弦楽器・木管楽器・金管楽器・打楽器・鍵盤楽器のすべてが含まれる「合奏形態」でおこなわれます。それらすべての種類の楽器を使う「曲」はあまり多くありません。
 例えば、トロンボーンが編成に含まれていない曲も多くあります。
チューバの場合、さらに少なくなります。ハープも編成に書かれていない曲の方が多いですね。ちなみに、かの有名な(笑)「ピアノ」はピアノコンチェルト以外で合奏に含まれる曲は、クラシックと呼ばれる音楽には数曲しかありませn。
映画音楽やポピュラーの場合には、意図的に作曲者がピアノを含める場合がよくあります。

 毎回、演奏する曲を考える際に必要になるメンバーと楽器を考えます。
決めた曲の楽譜が手に入らない場合には、プロの編曲者にメリーオーケストラの編成と技術レベルに合わせて編曲をお願いします。
賛助会員への案内はがきの作成、楽譜を印刷し、当日のリハーサルから参加される仲間の楽譜も用意します。
広報のためのポスターを手作り。前日の舞台設営の準備。
当日の打楽器移動の人員配置、タイムテーブルの作成、配布するプログラムをイラストレーターで作成し印刷、お弁当の手配、演奏会後の撤収の計画等々。
41回目の同じ会場でのコンサートとは言え、まったく同じメンバー・同じプログラムの演奏会は二度はありません。すべてが「初めて」の繰り返しです。
 リハーサルが無事に終わるまでが私の仕事です。この繰り返しにいつか?幕を下ろすとしたら、相当に前から計画することになるのか?それとも、突然「おしまい」になるのか?誰にもわかりません!
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト・事務員 野村謙介

演奏の楽しみ方、色々

 映像は、今から20年前の2002年、1月14日におこなったメリーオーケストラ第1回定期演奏会の様子です。モーツァルトのディベルティメントニ長調。
小学生の会員とプロの演奏者が同じステージで「一緒に」音楽を楽しみました。
楽器の演奏を楽しむ人は、世界中にたくさんいます。
それらの人たちが演奏する楽器も様々です。どんな楽器でも演奏を楽しめます。
手軽に持ち歩ける楽器ハーモニカやオカリナから、パイプオルガンまで大きさも様々です。一人で和音を演奏できるピアノやオルガン、ギターやハープもあれば、一人では和音を演奏できないフルートやトランペット。限られた「重音」が演奏できるヴァイオリンやチェロ。本当に楽器の特徴も様々です。

★楽器を演奏すること「そのこと」が好きな人もいます。
極端に言えば、曲が演奏できなくても「音を出すことが好き」と言う人も立派ンアマチュア演奏家です。
★自分の好きな音楽を演奏することを楽しむ人もいます。
ジャズやポップス、クラシックなどどんな音楽でも立派な音楽です。
★一人で楽器を演奏することが好きな人もたくさんいます。
生活の中で楽器を演奏できる時間は、限られています。自分の好きな時間に自宅で一人、楽器を演奏することが、最も現実的なことです。
★誰かと一緒に楽器を演奏する「楽しさ」を知った人の多くは、「一緒に演奏する」友達ができます。もちろん、気の合わない人と一緒に演奏するのは楽しい事ではありません。楽器をひくのは好きでも人間関係が煩わしくなることも、残念ですが、稀にあります。
★プロでもアマチュアでも音楽の多くは、誰かと一緒に演奏されるものです。
言い換えれば、一人だけの演奏より数もジャンルも楽しみ方も、誰かと演奏するほうが圧倒的に「楽しみが広がる」と思います。

「人と一緒に演奏する技術なんてありません」と仰る生徒さんがたくさんいます。気持ちは理解できます。確かに、自分以外の演奏を聴きながら演奏する「技術」には何よりも慣れが必要です。慣れるためには「技術」より「決意」が必要ですよね。
 メリーオーケストラ会員=メンバーのほとんどは、楽器演奏の初心者です。「まさか!と思われそうですが事実です。会員の中には、若いころ(笑)部活動で吹奏楽を経験した人や、他の団体を辞めて参加している人も数人います。
では、どんな技術があれば?オーケストラで演奏を楽しめるのか?という話です。
1.楽譜の「ドレミ」と「音符の意味」を少しでも理解できること
2.自宅で練習できること
以上です。本当に!
楽譜を音にする技術を身に着けるためには、何よりも「自分を追い込む」練習を繰り返すしかありません。それを、自宅で繰り返すことで、合奏に参加して楽器を演奏することができるようになります。当然、始めのうちは、楽譜を目で追いかけるのが精いっぱいか、どこを演奏しているのか?迷子になるのが普通です。
 一人で演奏して楽しむ人=ひとり演奏者の多くは、楽譜を覚えることより、自分の知っている音楽を演奏したいですよね?早い話「主役」である「主旋律」だけを演奏するのが「ひとり演奏」です。
 一方で誰かと一緒に演奏する場合、自分が演奏する音楽が相手の「支え=副旋律」を演奏することも必要になります。覚えにくいメロディーの場合もありますし、CDや動画を聴いても「聴きとれない」場合もあります。一緒に演奏する人が全員ん、同じ旋律を演奏することを「ユニゾン=斉唱(奏)」と言います。「校歌斉唱!」でみんなが同じ旋律を歌った記憶がありませんか?「二部合唱」の場合、二つの声部が同じ旋律を歌ってしまえば「斉唱」ですから、違う旋律を「時々」歌うのが一般的な二部合唱です。

 自分の演奏する音楽と、同時に誰かが演奏する音楽が「ひとつの音楽」になる。それを「特別な音楽」と思い込むのは、楽器は一人で演奏するものだと思い込んでいる人の勘違いです。
 私たちが生活していて耳にする音楽は、ほぼ100パーセント「複数の人が演奏している音楽」です。オーケストラやクラシックを聴かない人でも、「一人だけで演奏している音楽」ばかりを聴く人がいるとしたら、かなりのマニアです笑。
 J-POP、映画音楽、ゲーム音楽(複数の音色が同時に鳴っています)、ドラマやニュースのテーマ音楽、コマーシャルなどなど…無意識に聴いている音楽は、いくつもの声部=旋律が同時に演奏されている音楽です。人間が演奏していない音楽もありますが、今は「演奏する楽しみ」がテーマですので割愛します。
 ある時は主旋律を演奏し、ある時は誰かと一緒に主旋律を、ある時は副旋律を、ある時はリズムを、ある時は「休符」で他の演奏者を目立たせる…などなど、それが「合奏」の楽しみです。
 合奏するためには、誰かと交流することが不可欠です。それが「苦手」な人もいて当然です。無理に…とは思いませんが、音楽をもっと!楽しみたいと言う気持ちと「苦手だなぁ」と言う気持ちを天秤にかけて、よしっ!音楽だ!と決意するのも「あなた自身」なのです!
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

聴くのが好きなヴァイオリン曲

 映像は、アンアキコ=マイヤーズが演奏するラヴェルの「ツィガーヌ」です。
多くのソリストが演奏するこの曲。学生時代は「なんのこっちゃ」と不謹慎にも興味を持てませんでした。ただ難しいだけ…のように思いこんでいたことと、自分の音楽の引き出しが少なかったことが原因です。

 人によって好きな音楽が違うように、それまでに聴いた音楽の「数」も大きく違います。数が違えば当然、音楽の「スタイル」についても聴きなじみのあるスタイルの数も変わります。それは「食べたことのある料理や食材」に似ています。カレーとハンバーグと目玉焼きしか食べずに暮らせば、それ以外の食べ物は「食べたことがない」料理です。もしも、聴いていた音楽が「モーツァルトとバッハだけ」だとしたら?おそらくそんな人はいないと思いますが、少なくともツィガーヌを初めて聴く人の中には「なんかよくわからない音楽だなぁ」と感じる人がいても不思議ではありません。それが何故なのか?を説明するためには、ツィガーヌと、その人の聴いたことのある音楽との「違い」を説明する必要があります。その専門的な知識や説明より大切なことは、音楽にも料理のように「幅」があることを知ってもらう事だと思います。
 聴きなじみのない「様式」の音楽に違和感があるのは当たり前のことです。
実際、私は現代音楽と呼ばれる音楽の中で、未だに違和感のあるものがたくさんあります。その現代音楽が好きな人もいるのです。

 さて、私もヴァイオリン弾きの一人として、このツィガーヌを「演奏したいか?」と聞かれたら、迷わず「いいえ」と答えるでしょう笑。聴くのは大好きなのに、なぜ?
・自分の演奏技術に足りない技術が多用されていること。
・自分が演奏する「イメージ」が全然わいてこないこと。
・演奏することに必死になっている演奏を聴きたくないこと。
一言で言えば「逃げ」です。素直に認めます。演奏技術に「定年」も「期限」もありません。61歳の私が今日から練習して、身に着けられる技術が必ずあります。挑戦する「意欲」が不足していることが何より「ダメ」です。
強いて言い訳をひとつ増やすと「楽譜を覚えるためにかかる時間と労力が恐ろしい」2小節ずつ?画面に映し出して記憶してから楽器を持つ「暗譜方法」の今、この曲、いったい何ページ?と思うと逃げ出したくなります。でも、ただの言い訳です。すみません。

 生徒さんたちから、新しい曲の楽譜を見て「むずかしそう!」と言う悲鳴に似た言葉を聞きます。つい、「大丈夫!ほら、こことここは、こうやって練習すれば…」と元気づけるつもり言ってしまいますが、本人にしたら巨大な壁が立ちはだかっている気持ちですよね。子供の場合には、「むり(泣)できない(泣)」楽器が涙で濡れます。その生徒さんたちの「挑戦する心」に敬意を持ち続けたいと思います。
 自分ができるから、生徒もできると思い込むのは、指導者として最悪です。
一方で、自分が出来るようになった「道」を生徒に教えてあげることと、その道以外の道も教えてあげられることは、何よりも必要な指導技術です。
「なんで、そんな簡単なことができないの?」は最悪です。
同じシチュエーションで
「そこ、どう?むずかしいの?」と聞いて生徒に考えさせるのは良いことです。
生徒の「むずかしい」を解決する「答え」を持っていない人、あるいは難しいと思う生徒を教えたくない人は、生徒を指導する資質に欠けていると思います。
 自分ができない理由を、一番知らないのが、自分自身です。
死ぬまでに笑、ツィガーヌをひけたらいいなぁと思うのでした。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

平和と音楽と政治

 映像は中学生・高校生のオーケストラが演奏する「イムジン河」: 임진강(イムジンガン)です。北朝鮮で作られた楽曲です。1968年にフォーク・クルセダーズ版、日本語訳の歌としてカバーされましたが、当時「作詞作曲者不明」としていたことへの抗議もあり、発売は見送られました。確かに原曲を作った人が判明している以上、その人の名前を出すことを求めるのは間違っていないとも感じます。

 私個人の考えですが、地球上のすべての人類は、間違いなく同じ「種」の生き物であり、どんな理由があっても戦争と言う名の「殺し合い」は許せません。
「戦争は仕方がない」と言う考え方を、完全に否定します。
「許せないと言うのなら、お前が止めに行け」と言う論理もそもそも成り立っていません。「起こさない」事が先決なのです。戦争を起こしてしまった「人」や「集団」に対しての怒りは、「戦争を起こした責任」を問うべきです。
「きれいごと」ではありません。現実にどんなに完璧な法律があっても、破る人がいるのは事実です。交通法規を含め、すべての日本人が全員、すべての法律を守って暮らしている日は、法律が作られてから今日までに、一日もないはずです。それも事実です。その法律を犯した人が「罰」を受けるのも「法律」があるからできるのです。わかりますよね?「法を作っても破る人がいるから無意味だ!」と叫ぶ人の論理が間違っているのは、「法を破る人を裁くのも法」だという事を、意図的に「考えない」からです。
 戦争を起こすことは、国際法で「禁止」されているのにそれを破って、戦争を起こした人は「法で裁かれ、罪を償う」のが人類の知恵なのです。
 ぶたれたから、ぶちかえす。
 盗られたから、盗り返す。
それは幼稚園児の発想です。知恵のある人間は、それを許さない「決まり」を作り、破ったら「罰を受ける」決まりを作ることで、「決まりを守る」ことを考えます。殺人を犯した人が、自分の命で償うことを「悪い」と言う人がいます。
日本の法律が「重すぎる」と言う考え方の人です。
海外の法律で「終身刑」のある国もあります。日本にはありません。また、終身刑があっても、実際には20年ほどで「釈放」される法律がある国もあります。
日本で「二番目に重たい刑罰」は「無期懲役」ですが、実際にはいつか釈放されます。それを遺族が許せないと言う感情も、理解すべきです。
つまり「法」の中で「罰」の内容によって、犯罪者の数が変わることは、残念ですが事実なのです。
もしも、スピード違反20キロを超えたら「終身刑」と言う法律が出来たら、おそらく20キロを超えるスピード違反は激減します。それでも、破る人はきっといます。でも、間違いなくスピード違反で命を落とす人は減るのです。

 政治の役割は「法」を作ることです。そして、その法律を破った人を裁き、罰を与えることも政治の役割です。
 今の日本の政治家で、法を守らない人間が、毎日のように報道されています。
最低最悪な政治家は、「法の解釈」と言う逃げ道で自分に都合の良い法律を作ります。法を破っても、自分だけを無罪にする「法律」を作ってしまえば、その政治家は何をしても…人を殺しても、なんの罪にも問われない「法」を作れてしまいます。

 平和は人間が作るものです。正確に言えば、人間の「英知」で作り守るものです。知恵が人類を、地球上の生物を「存続」させてきました。今日までは。
 愚かな人間、異常な考えの人間はいつの時代にもいます。今もいます。
その人を「無力」にできるのも、人間の知恵です。
 人間以外の生物は、「無用な殺生」はしませんよね?
自分が生きるために必要な最低限の「他の命」で自分の命を守っています。
人間が「優れている」と威張る前に、虫たちに教えを乞うべきです。

 音楽も人類の「知恵」が生み出したものです。楽器を作る知恵も、楽譜を書く知恵も、人類だけが持っています。
私たちが音楽を演奏し、聴くことができるのは「平和」だからです。
平和を壊すのは誰ですか?「人間」ですよね?天災から命を守る知恵を持っている人類が、自らの命を無意味に消しあう姿から「音楽」は想像できません。
「悪知恵」と言う嫌な言葉があります。現代日本の与党政治家たちの「特技」ですね(笑)悪知恵に負けない「良い知恵」を持っている人は、たくさんいるはずです。
 音楽家って悪知恵が働かない=使えない生き物の代表格に思います。違います?もう少し、ずる賢く・あくどく知恵を働かせれば、もっとお金も稼げるのに。馬鹿正直だったり、クソ真面目だったり。「音楽バカ」だったり。
でも「平和」がなければ、音楽は演奏できないのですから、本当に音楽が好きな人は「戦争」を起こさせない、起こした人を許さないと言う「知恵」は持つべきです。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

音楽に救われる人間

 映像の音楽は、ヘンデル作曲「オンブラマイフ」をヴィオラとピアノで私と浩子さんが演奏したものです。音楽を演奏したり、聴いたりすることが好きな人は、時に音楽に救われる気がするものです。私だけかもしれませんが…。
 楽器を演奏しているときに、音楽の事だけを考えられる人を「音楽が好きな人」と言います。音楽を聴いているときに、聴こえてくる「音」に身を任せられる人も「音楽を好きな人」だと思います。
 好きなことに没頭できる人は、とても幸福な人だと思います。
ただ、それを「幸福」と感じないまま過ごしていることも珍しくありません。当たり前のことになっているから感じられない「健康」と同じです。
 「音楽が中心」の生活は単純に時間とお金の問題だけではないと思っています。音楽に関わる仕事をしているから「音楽が中心」の人生?とは限りません。一日の大半を家事や仕事、育児に費やす日々が続いたとしても「いつかきっとまた!」と思い続ける人は「音楽が中心」の生き方だと思います。
 生活の為に、音楽から遠ざかる「時間」が、ある人の方が多いのではないでしょうか。その時間に自分を失わないでいることは、口で言うほど簡単ではありません。その生活に「我慢」できなくなった時、改めて音楽に向き合えるうれしさを感じます。

 たかが音楽ですがが、音楽が好きな人にとって、音楽以外のことは…
「たかが」よりさらに「どーでもいいい」ことなのかも知れません。
・他人との関係
・仕事場のストレス
・お金のこと
・暮らしの事
・病気の事
いっぱいありますよ(笑)
音楽を大切にできることは、音楽を好きな人にしかできないことです。

 アマチュアもプロも関係ありません。
音楽が好きだという気持ちこそ「音楽家の証」だと思います。
音楽家である必要もありません。音楽が好きな気持ちがあれば。
「好き」と言う感情に勝るものはありません。
自分を救ってくれるのも音楽です。
形もない、目に見えない、触れられないのが音楽です。
その人にしか感じられないのが音楽です。
自分の音楽は、自分自身の感情だと思います。
いつまでも大切にしたいと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介





音楽大学は生き残れるのか?

 映像は、メリーオーケストラの演奏した「仮面舞踏会よりワルツ」です。
趣味で楽器を演奏する人と、音楽家を目指す音大生、さらに音楽大学を卒業したプロの演奏家が同じステージで音楽を楽しみ、お客様にも気軽にオーケストラの演奏を楽しんで頂いています。この空間に「プロ」「趣味」の垣根はありません。音楽は誰にとっても楽しいことを、その場の人たちが共有します

 さて、今回のテーマは以前にも少し触れた「音楽大学」についてです。
 不景気が25年間続く日本、さらにその影響で少子化がますます加速しています。そこに、コロナでさらに景気が落ち込み、ダメ押しでロシアが戦争を起こし原油や小麦の価格が激高し、一般家庭は生活苦に陥っています。
 その日本で、大学に通うための学費を「出世払い」と言う詐欺師まがいの言葉で学生に借金を負わせています。
 そんな社会情勢で、音楽大学は存続できるのでしょうか?
すでに新規学生を募集していない音楽大学も出ています。
これから、いったい幾つの音楽大学が消えていくのでしょうか?どこの音楽大学が生き残れるのでしょうか?推察します。

 学費の安さだけで考えれば、国公立大学は有利です。
もし、学費の安さだけが音楽大学の勝ちだとしたら、私立の音楽大学の高い学費でも受験し、通う学生がいることの説明がつきません。確かに、国公立大学に合格できずに「仕方なく」私立の音大に通う学生もいるのは事実です。ただ、実際には祖霊ガニの「魅力」があって私立を選ぶ「未来の音楽家」がいるのも事実です。
 音大の学費以来の「価値=魅力」はなんでしょか?

「社会が求める音楽を育てられる指導能力」に尽きろと思います。
特に大学で学生を指導する「教員」は本来、高校教員と違い「学問」を享受できる能力がなければなりません。大学を卒業して得られる学位である「学士」は単に4年間なにかを学んだというものとは違う意味を持っているはずです。
もし、大学が高校と同等の教育しかできないのであれば、それは高等専門学校「高専」です。今の音楽大学は事実上の「高専」以下の指導レベルでも「大学」と名乗っている気がします。
「学部」は何のために付けられた名称なのか?音楽学部は何を研究する場所なのか?音楽大学の必履修単位・必修得単位に音楽と無縁の科目が多すぎることに、いつ?誰が?気付くのでしょうか。

 職業として音楽を考えることさえ出来ない音大に、学生が通うはずがありません。卒業して「音楽家」になれないのは「本人=学生の力量」だから仕方ないで済ませている大学が生き残れるとは思えません。音楽家として必要な技術、能力、知識を身に着けさせることが大学の役割でなければ、ほかに何を?教えるのでしょうか。
 音大で指導している方が、演奏家・音楽家としての「技量や評価」がどうのこうのという、表面的な価値観の話ではなりません。指導者としての「資質」です。そしてそれを第一に据えた「大学経営」をする経営者が絶対に必要です。
 もとより、音楽で生計を立てることはとても難しいことです。音大を卒業して、一般大学を出た人と同じ程度の知識・技量で飯が食える…と思わせる方が間違っています。趣味で音楽を楽しむ人とは違う「技術・能力・知識」を持てなければ、音楽大学に通う意味・価値はまったくありません。
 

「レベルを上げると学生が集まらない」と言う音楽大学は、なくて構わないのです。消えて当たり前です。存在する意義がないのですから。
音楽大学のレベルは、指導者の「質」がすべてです。そしてその指導者と経営者が同じ方向を見ていない音楽大学は、遅かれ早かれ消えるでしょう。
指導者が「経営者が悪い」と言い、経営者が「指導者が悪い」と言い争う大学で、学生が音楽を学べるはずがありません。
 最期に、これからの社会が求める音楽家について書きます。
「コンクールで優勝した人」ではありません。
「音楽バカ」でもありません。
「迎合する芸人」でもありません。
音楽を知らない人が魅力を感じられる「人」であり、社会に溶け込める「人」ではないでしょうか?その人の造り出す音楽で、音楽を知らない人を幸せにできる音楽家ではないでしょうか?
 音楽は生活のエッセンスです。音楽がなくても生活はできます。音楽が加わることで、生活に潤い、ゆとり、安らぎ、リフレッシュ、笑顔が生まれる存在だと思います。クラシック音楽だから「崇高」だと勘違いするマニアは今後も生き残ると思いますが、そのごく少数の人に音楽家を支えるだけのお金もエネルギーも期待できません。高齢者でも子供でも、音楽は楽しめます。体力がなくても、病院で寝たきりになっても音楽は楽しめます。コンサートホールだけが、音楽を楽しむ場所ではないのです。
 もっと音楽を広い視野で考えるべきだと思っています。
最期までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

 

はじめてのボレロ

 映像は、NHK交響楽団が演奏するラヴェル作曲の「ボレロ」
これまで、なんちゃって指揮者として150名の部活オケ、神奈川県合同高校オーケストラ、清泉女子大学オーケストラ、信州大学オーケストラ、そしてメリーオーケストラで、多くの音楽と出会い、指揮をしてきました。
 そんな経験の中で、どうしても手を出せなかったのが、この「ボレロ」です。
考えてみると、それほど大きな理由はなかったはずなのに、なぜか?今日まで演奏の機会もなく、もちろん指揮も初めてです。
 ひたすら、同じテンポの3拍子。「幼稚園児でもふれるべ?」と思われそうです。スネアドラム=小太鼓が居れば、指揮者がいなくても最初から最後まで演奏できる曲ではあります。ではなぜ?

 特殊な楽器が編成に含まれているから…と言うのが「表向き」の理由でした。
通常、オーケストラで使われることの多い管楽器に加え、バスクラリネット・ピッコロ=Esクラリネット、バスファゴット・サキソフォーンなどに加え、独特の金属音が演奏できるチェレスタ、さらにハープ。演奏者がいなくても、楽器がなくても完全にオリジナル楽譜での演奏は不可能です。
 それよりも大きな一番の理由は、「私が最も好きな曲の一つだから」なのでした。私の中で「ラヴェル」は「オーケストレーション=アレンジの神様」だと勝手に思っています。ボレロに限らず、彼の書くオーケストラ楽譜には、他の作曲家にない「魔力」を感じるのです。
・異なる楽器の組み合わせかた
・楽器ごとの個性が一番魅力的に聴こえる音域の使い方
・思い切りの良い、「楽器の「き算」=無駄をそぎ落としたアレンジ
などなど、聴いていてぞくっとする「響き」が連続します。

 来年1月15日(日)に実施する、メリーオーケストラ第42回定期演奏会で、このボレロを演奏に加えます。
 会員と賛助会員からの「会費」と「参加費」、相模原市からの助成金で、一体どこまでオリジナルに近づけられるのか?まだわかりません。先述の通り、特殊管を持っておられる演奏者に、交通費だけで演奏をお願いできるのか?と言うネックがあります。もし、無理な場合はどこかを「カット」するか、代わりの楽器で演奏するかの二つに一つです。好きなだけに「切りたくない」気持ちがあります。ですが、無い袖は振れません。
 さらにこのボレロに加え、チャイコフスキーピアノ協奏曲第1番、第1楽章を演奏予定です。ソリストは同期ピアニストの落合敦氏に依頼しています。彼の体調が悪くならないことを祈りつつ。
 と、心配する前に来月8月7日の演奏会が「始まらないと!」なのです。
「終わる?じゃないの?」私は、演奏会は「始まりさえすれば満足」なのです。
舞台の仕込みが終わり、リハーサルが終わり、本ベルが鳴った時には、舞台袖で「ここまで来られたら、もう大丈夫!」と言う安堵感で、全身の力が抜けます(笑)本当の事です。準備にかける時間と労力に比べれば、本番の2時間は一瞬の出来事です。
 まずは来月!そして来年!
その前に発表会とリサイタル!
●●暇なし
自転車操業
七転び八起き
●●にクチナシ←違う気がする
の清新で頑張ります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介


音楽仲間

 写真は2022年7月10日(日)に撮影したものです。
最初の一枚は、NPO法人メリーオーケストラの公開練習後に撮影した写真。
下の2枚は、その後我が家で撮影した写真です。
 今回のテーマは「音楽仲間」について。

 同じ学校で苦労した友人や、同じ職場で働いた友人を「同じ釜の飯を食った仲間」という言葉で表すことがあります。学校の友人や、趣味で知り合った知人とは「一味違う」仲間です。
 音楽を一緒に練習したり、人前で演奏するための準備をした仲間は、私にとって他のどんな友人とも違う「親しみ」を感じます。
 20年間、同じ職場で働いた「同僚」の中で、一人として今交流がない現実を考えると、あの「学校」と言う場で同じ教員だった人間とは、なにも関りがなかったのに等しい関係だったことを改めて面白く感じます。私が拒絶していたのかもしれません。退職してから一度として、学校からのはがき一枚も来ませんし、教員からの年賀状も退職して18年間で「数枚」と言う恐ろしい事実!まさに、佐多氏がそこに居たことを否定しようとする人たちなのです。私もそれで構いません(笑)ですから、教員時代の「仲間」は一人もいません。

 写真に写っている音楽仲間。ちなみに私の妻も「音楽仲間」の一人です。
中学時代に同じクラブ活動で演奏した音楽仲間と、未だに交友として毎年のように私のリサイタルに来てくれたり、メリーオーケストラ出演などでお付き合いしてもらっています。かれこれ、50年近い交友関係です。
 音楽高校、音楽大学時代の友人や先輩・後輩、職員の方とも未だに親しくしてもらっています。音楽を学ぶ学校ですから、当時の友人たちは「音楽家」になるために勉強していた「学友」であり「ライバル」でもありました。なによりも、音楽という共通の「言語・行動・感動・空間」を共有した不思議な連帯感を感じます。

 音楽に限ったことではないと思いますが、自分以外の人間と、好き嫌いを通り越す「付き合い」ができる関係を持てるのは、とても貴重なことです。
 しかも「我慢」して働いたり、団体の一員=部品の一つとして何かをする「人たち」とは、共感しあえるものはありません。「酒」と「愚痴」だけが共感しあえる関係は「友人」とは言えません。「飲み仲間」と言う仲間がありますが、これは「酒を飲む趣味を共有する仲間」で、職場の愚痴を酒の力で吐き出す「吐き出し口」とは違うと思います。

 上の3枚の写真すべてに映っているのが、高校時代「隣のクラス」だったフルート奏者、I君です。高校卒業後、彼はディプロマコースに進み私は大学に進みましたが、卒業後1度、同窓会で顔を合わせて以来、5月にメリーオーケストラ指導に力を貸してくれるまでの40年ほど、対面することはありませんでした。
 彼は、留学後に日本を代表するプロオーケストラの首席奏者として、長年演奏活動を続けてきました。数年前に退団し、現在は音楽大学や音楽教室で後進の指導をしています。高校時代、同じソルフェージュのクラスだったり、学年11名の男子(女子が89名)の体育の授業の思い出だったり…。
 何よりも、高校卒業してから今日までに、本当に色々な体験をしてきたことを、お互いに語りお互いの話に共感し、60歳を過ぎても昔のままの「関係」があることがとても嬉しいのです。
 音楽を「指導する」立場になった私たちが、今でも「音楽」でつながっていられるのは、ずっと音楽に関わってきたからです。私は20年間、楽器の演奏から離れましたが、その後再び音楽を中心にした生き方に戻れたのも、中学・高校・大学時代の「音楽仲間」がいたからだと思えるのです。
 一人で粋がって(笑)生きるのもその人の自由ですが、仲間と笑って話せることが私には「宝物」です。いつまでも、彼らとの関係を保っていられることを祈りつつ…
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

音楽とコストパフォーマンス

https://youtube.com/watch?v=RHIDmzfBGbs

 映像は「踊る人形」。デュオリサイタル14での演奏です。
25年間の長い不況が続く日本は今、国民の「貧富の差」がますます大きくなっています。大企業とお金持ちに貧しい人が収めるお金が流れ込む悪循環。
私たち音楽を仕事にする職業は、とかく「お金と縁遠い」と思われがちです。
その話は以前のブログでも書きましたが、今回は音楽=音楽家の「コスパ」について考えてみます。「芸術をなんと心得る!」とお怒りにならず(笑)最後までお読みくださいませ。

 日本で暮らす音楽家の中にも「貧富の差」はあるのが当たり前です。
それを否定する気はありません。自由に競争する社会です。「勝ち組と負け組」があるのも現実です。音楽を「商品」として考えることに抵抗があります。特にクラシック音楽は「伝統」を受け継ぐものでもあり、芸術・文化に「お金」と言う概念がそぐわないと言う考え方も理解できます。
 とは言え現実に、形のある美術作品・芸術作品には「価格」があります。
演奏に必要な楽器にも「20億円」という価格が付いています。スタインウェイのフルコンサートピアノと、国産のアップライトピアノの「価格差」も歴然としてあります。
 では目に見えない「無形」の芸術や文化に「価格」はあるのでしょうか?

 演奏したり人に演奏技術を教えたりする「職業」を考えると、サービス業と言う職種が最も近いと思います。「おいっ!」とここでもお怒りになられる方もおられますよね。では、演奏家だけは「特別な職業」で、同じように身に着けた技術で生活する「スーパーの店員さん」はサービス業ですか?それって差別だと思います。人に技術を教える人を「先生」と崇め奉る呼び方をしますが、なぜかお医者さんも「先生」で、人間のくずのような政治家も「先生」と呼ばれます。大変に光栄なことで、あの政治家と同じように呼ばれるくらいなら「くん」か「さん」で呼ばれたいと思っています。あれ?話がそれました。
 演奏やレッスンで「対価」を頂く職業でありながら、多くの演奏家や教室講師は「非正規雇用」なのが日本の現状です。「ひせいき?ってなに?」と言う演奏家が多いのも日本人、特に音楽家が如何に政治に興味関心がないかの象徴です。
 大学やオーケストラ(多くは社団法人)に「正規雇用」されている音楽家は、コストパフォーマンスについて考えないでも「給与」や手当てがもらえます。適当に手を抜いてもばれなきゃオッケー!一生懸命演奏しようが、テケトーにチャラビキしようが給与は同じで、定年まで働ける。給与が安くても、手を抜けるしバイトすりゃいいので文句も言わない音楽家、いませんか?(笑)

 私は20年間「正規雇用」の教育職員=学校の先生と言う職業に就いていました。同じ職場の教員の「能力」が違おうが「熱意」が0度と100度以上に違おうが、俸給は「年齢」で決まるので無関係。副校長は一等級、校長は徳一等級、「ヒラ教員」はみんな二等級。あとは手当が違うだけ。それが「先生」でした。
 今、自分の小さなメリーミュージックという「会社」を経営し、NPO法人メリーオーケストラの「理事長」と言う肩書ですが、なんと!どちらの法人からも、「役員報酬」を頂けない状況です。それが現実です。会社に貸していたお金を「返してもらう」ことで家のローンや生活費をひねり出すにも、もう限界です!って笑い事じゃないです。
 「じゃ、教員が良かった?」と聞かれれば、絶対に嫌です!と言うテーマも以前書いたような気がするのでストップ(笑)

 「演奏と指導の対価」について、標準的な演奏技術・時間や標準的な指導技術・時間、さらにその技術と時間に対する標準的な「価格」があるでしょうか?
 ●演奏技術が高いか低いか?標準的か?の「審査の基準」がそもそもありません。コンクールの結果は一時的なものでしかありません。
 ●レッスンの内容が標準的か?標準以上・以下?と言う基準もありません。
スマホを見続けてレッスンを終わる先生がいても、レッスン技術とは無関係とされます。
 ●演奏家・指導者の「標準的な労働時間」はありません。ましてや「準備=練習」に費やした時間と労力に対しての「評価」さえありません。当然「対価」も支払われません。

 1曲をコンサートで演奏するために、演奏者がかける時間は人によって違います。数時間で終わる人もいれば、何カ月もかける人もいます。それは聴く人には「関係ない」ことです。
 その部分だけを「演奏家の立場」で考えれば、練習=準備の時間を短くする方が「コストパフォーマンスが高い=良い」と言うことになります。
 一方、聴く人・習う人=お客様にとっての「コストパフォーマンス」は、支払ったお金に対して、演奏やレッスンの内容と時間が「納得できる」かどうかで決まります。極端に言えば、無料のコンサート、無料のレッスンであれば「全然納!納得できない!」ものでも我慢するしかありません。
 では、コンサートのチケット代金、レッスンの単価によって、コストパフォーマンスが決まるか?と言えば「人によって、まったく違う」のが現実です。

 先述の通り「基準」がありません。1時間、演奏を聴く・レッスンを受ける対価として「1,000円」が高いと思うか?安いと思うか?さえ人によって違います。
もちろん、その人が違う演奏やレッスンで、同じ「1時間=1,000円」を体験していれば、どちらのコスパが高い=良いか判断できます。条件をそろえて、比較するものがなければ、コストパフォーマンスが出せないのです。

 人によって大きく異なる「コスパ」は、比較の使用がありません。
だからと言って、生活するのに必要な「最低限の金額」は大きく変わらないのです。フリーランスや自営の音楽家が、月に1万円の収入で生活できるか?無理です。少しでも演奏の準備にかける練習=時間を少なくしてコスパを上げたい!と思っても、コンサート=お仕事がなければ、収入はゼロです。コスパ以前に、生活できません。では!コンサートのチケット代金を「無料」にすれば!会場費だけで、数万~数十万円のお金は誰が払うのでしょうか?無理です。
 路上ライブ!で生活できる人はいません。いたとしても数名です。
音楽家が生きていくための「お金=出費」が少なければ、収入が少なくても生きられます。物価がどんどん高くなり、税金がどんどん高くなる。「え?税金、あがったの?」毎日毎日払っている「消費税」って税金なんですよ(笑)ガソリンに至っては、ガソリン税に消費税がかかってますけど知ってます?
 給料「さえ」25年間、上がらない日本で「非正規雇用」「自営業者」の収入が増える?わけがありません。コンサートチケットを買える人が減りました。レッスンを受けられる人が減りました。楽器を買える人が減りました。当たり前です。国民のほとんどが「生活が苦しい」からです。私たちもその一人です。
 音楽家が生き残れるとしたら、日本の景気=消費活動を取り戻すしかないのです。原因は?はっきりしています。25年間、政治の失敗を「見てみぬふり」してきた国民が悪いのです。もちろん!今の政権を持っている「与党とその一味」が一番悪いのは言うまでもありません。でも、「野党はダメだ」「誰がやっても同じだ」「保守なら自△党だ」という間違った考えが、その政治家たちをのさばらせたのです。
 音楽家も「国民の一人」ですよ!18歳以上の「音楽家」が今すべきことは?
賢明な音楽家ならお判りでしょう。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介