メリーミュージックブログ

演奏家夫婦が優しく丁寧に指導

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楽器・弓

演奏者はなにを演じるの?

 映像は映画「シンドラのリスト」のテーマ音楽です。
映画の音楽が必ずしも映画の内容と一致していなくても不思議ではありませんが、この曲も含めてテーマ音楽が映画の内容、ラストシーンと重なる印象になるケースが多いですね。

 さて、今回のテーマは音楽を「演奏」すると書きますが、この「演」という文字は実地に何かを行うときに使う文字です。演技、演算、演奏など。
演技と演奏の共通点を考えます。演技を演じる人を今、役者とします。
演劇、映画、テレビドラマなどで「役を演じる」人たちは、台本に書かれている「人」になりきって、見ている人をある時は笑わせ、ある時は苛立たせ、またある時は泣かせます。役者さん本来の人柄やその時の心理とは無関係に、見ている人をある意味で「騙し」ます。騙すと言うと印象が悪いのですが、「嘘の世界」をまるで「真実」に見せるのが演技です。

 一方、音楽を演奏する私たちはいったい何を?演じているのでしょうか。
言うまでもなく、作曲家の作った音楽を実地に奏でるのが「演奏」です。
では作られた音楽=楽譜と、役者さんの使う台本は違うのでしょうか?
台本の多くは「せりふ」です。そこに脚本家や演出家が動きや、感情を指示します。音だけの劇である「朗読」の場合は、動きはありません。言葉だけで台本の内容を演じることになります。
 ひとつの話の中に登場する人物が感じているであろう感情を役者が演じます。
話の展開、結末は台本を書いた原作者や脚本家によってきめられます。
役者が感じたままに演じる場合もあります。優れた役者さんに、監督が何も指示をださず役者とカメラマンに任せるという方法を黒澤明監督が使ったのは有名な話です。朗読の場合にも同じように、一人ですべての登場実物を演じきり、聴く人を魅了します。
楽器の演奏では言葉を使わずに、聴く人に音楽を伝えます。
音楽のタイトルがあったとしても、作曲者が特別な思いをもって作った音楽であっても、演奏する人と聴く人にとっては「音楽」です。
よく耳にする「音楽の解釈」と言う言葉があります。
作曲者の意図や当時の心情、作曲された時代を深く調べることで、演奏の「あるべき姿」を模索することだと思います。
 ただ、極論すれば作曲者自身が演奏しない限り、楽譜を作曲者の思った通りに演奏することは不可能です。そこには演奏者の「推察」が入るのです。
作曲された音楽のテーマや一部分だけを使って演奏する音楽を「邪道」と言う人がいます。

dougaha

動画は大好きなギタリスト「Marcin 」のパガニーニカプリース。
これを聴いて原曲と違うと言ってしまうこともできますが、もしパガニーニ本人が聴いたら「すげぇ!こっちのほうがかっけー!」と叫ぶかも知れない気がします。パガニーニ自身、ギターの演奏にも深い関心を持ち自身もギターを弾きました。ギターの奏法をヴァイオリンに持ち込んだのも、パガニーニなのですから。
 話がそれましたが、原曲の楽譜をどう?演奏するのかという演奏者の問題です。楽譜は記号です。文字も同じです。文字が「文」になり「文章」になり「作品」になるように、音符と休符が「モチーフ・テーマ」や同時に鳴ることで「和音」になり「フレーズ」になり「曲」になります。
 単語は意味を持ちます。ですが、文章になった時には違う感情を読む人、聴く人に与える場合があります。「空」と言う単語が、ストーリー=文章の中で、特別な意味を持ち、聴く人の涙を誘う事もあります。
 音楽の「ドシラ」という3つの音だけで感動する人はいないかもしれません。
それが…

 チャイコフスキーの弦楽セレナーデの冒頭部分です。
ファーストヴァイオリンの「ドシラ」がこの曲のテーマになります。
たかが「ドシラ」されど「ドシラ」です。
音楽が意味を持たない音の集まりだとしても、聴く人がなぜか?感情を揺さぶられることにこそ、演奏家は常に疑問を感じながら、試行錯誤を繰り返すべきです。「こう、書いてあるから」ではなく「こう弾くと、なにを感じる?」ことにこそこだわるべきだと思います。作曲者の意図より、自分の演奏を初めて聴く「普通の人」が何を感じてくれるのか?のほうが、ずっと大切だと思うのです。
演奏が単なる「楽器で音を出す」ことではないとするならば、私たちはその「音」で聴く人を感動させる技を磨くことが必要だと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

音楽の幅と演奏能力

 上の動画は「ステファン・グラッペリ」さんの素敵なJAZZヴァイオリン演奏です。聴いていて、体に降り注ぐようなヴァイオリンの軽やかで、甘い音色が大好きです。
 今回のテーマである「音楽の幅」は、音楽のジャンルだけではなく、演奏する楽器の編成、演奏方法などの「種類」でもあります。
 ヴァイオリンを使って演奏する音楽にも、様々な音楽があります。
クラシック音楽と呼ばれる音楽でも「オーケストラ」「弦楽アンサンブル」「ピアノとの二重奏」「無伴奏」他にも色々な演奏形態があります。
音楽の種類にしても、バロック時代の音楽でのヴァイオリン、ベートーヴェンやブラームスの時代の音楽、現代作曲家の作品でもヴァイオリンは使用されます。
 オリジナル作品がオーケストラのための音楽でも、ピアノとヴァイオリンで演奏できるように「アレンジ」された音楽もあります。
動画のようなヴァイオリン演奏も、その一つです。
私は音楽の学校で「クラシック音楽のヴァイオリン演奏」を学びました。
だからと言って、クラシックと呼ばれる音楽の「すべて」を学んだわけでも演奏できるわけでもありません。学校で学べるのはほんの数年間。その間に学べる音楽の幅は、ごく限られた範囲の音楽です。

 時代と共に音楽の幅は広がります。音楽の「基礎」にあたる和声や形式は変わっていない面もあります。一番大きく変化しているのが、人間の手によらない「機会による音楽演奏」です。もはや「楽器」と「電子機器」の差が混然としてしまいました。コンピューターにデータを入力すれば、どんな音色の音も、どんな高さの音も、どんんなに短い音でも、間違えずに何度でも演奏するのが「電子楽器」です。それを「楽器ではない」と言い切るのであれば、ピアノと言う楽器でさえ、ピアノが出来る以前の人たちからすれば「それは楽器ではない」と言われるのと同じことです。エレクトーンという楽器はヤマハの作る「電子楽器」です。突き詰めればコンピューターも楽器なのです。

 ヴァイオリンを人間が演奏する楽器と限定してみます。
ヴァイオリンの音は人間が演奏する音だと定義してみます。
ヴァイオリンで演奏できる音楽に、向き・不向きがあると思います。
音楽の要素の中で「旋律」だけを演奏する場合、ほとんどの曲はヴァイオリンで演奏できます。演奏できても、ヴァイオリンの持つ特性を活かせない曲。

https://youtube.com/watch?v=OWITxKjwPjQ

動画での演奏内容について、コメントするつもりはありません。
生徒さんが「次にやってみたい曲」として教えてくれた動画です。
その生徒さんが小学校の運動会で踊った曲らしく、「知っている曲をヴァイオリンで弾いている動画を見つけたから」という理由です。
 もし、クラシック音楽だけを教える先生であれば当然「却下」するケースです。「もっと他の曲を練習しなさい」と言うのでしょうね。
 趣味でヴァイオリンを演奏する人にとって、あるいはクラシック音楽になじみのない人にとって、この曲がヴァイオリンの為に作曲された音楽ではないと、気付くでしょうか?最初の動画、グラッペリの演奏はクラシック音楽ではありませんが、演奏技術も内容も素敵だと私は思います。
 実際問題、この「群青」なる曲をヴァイオリンで演奏して本人が楽しいと感じるのであれば、、思うように演奏できるようにレッスンしてあげるのが私の仕事です。クラシックではないから、ヴァイオリンのための曲ではないからという理由で「ダメ」というのは理由としてあまりに説得力に欠けると思います。

この動画は、メリーオーケストラ定期演奏会に、教員時代に顧問をしていた軽音楽同好会のメンバー「JIRO」くんがギターでゲスト出演しくれた時の演奏です。
ドラムセットとエレキギターの「サウンド」と弦楽器の音色。会場で聴くと感動モノでした。

https://youtube.com/watch?v=-Fj58b59xy8

こちらは「ガブリエルのオーボエ」という映画のテーマ曲です。
当然、オーボエで演奏するために作曲された音楽です。
それをヴィオラで演奏したのが上の動画です。下の動画はメリーオーケストラ定期演奏会にオーボエ奏者「沖響子」さんをお招きしての演奏。
メリーオーケストラの演奏技術には目をつぶってください(笑)
作曲科の「意図」した音楽とは違うかもしれませんが、初めて聴いた人にとって違和感のない演奏なのか、なんとなく変な感じがする演奏なのか?演奏技術もさることながら、旋律の「向き・不向き」はあるのかも知れません。

 最後に、演奏者がコンサートで、自分の好きな音楽「だけ」演奏する場合、お客様がそのコンサートで満足できるのか?ということも考慮するべきです。
予め当日の演奏曲をすべて、あるいは大部分公開して開催するのであれば、そのコンサートに来る人は「その曲」を楽しみに来る人でしょう。それが出来るのは「すでに誰かが演奏した音楽」だからです。もし、新作の音楽で初演だとしたら?プログラムを公開しても誰も知らない音楽ですよね?
 プログラムを公開していなくても、お客様が「どんな曲を聴けるのかな?」と期待しながら会場に向かうのも楽しいと思うのです。期待を裏切られることもあるかも知れません。でも、初めて見る映画のストーリーを知っていたら、面白さは半減しますよね(笑)
 一人でも多くのお客様が、一曲でも楽しんでもらえるプログラム=音楽の幅で、私はコンサートを企画しています。クラシック音楽が好きな人もいれば、ジャズが好きな人もいます。映画音楽が好きな人もいます。それらを、リサイタルならヴァイオリンとピアノ、もしくはヴィオラとピアノで演奏します。オーケストラでも同じです。
 「お子様ランチ」のようなプログラムかもしれません。ただ、美味しいお子様ランチは、懐石料理と同じだと思います。少しずつ、好きなものを聴ける=食べられるのも楽しいと思えるからです。
音楽に幅がある以上、演奏する私たちもその幅を知ることが必要だと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

指導者と演奏家

 動画はファリャ作曲のスペイン舞曲をクライスラーがアレンジした曲です。
今回のテーマは、一般の人から見える指導者とプロの演奏家との共通点・相違点と、実際に両者を経験した立場での両面から考えてみたいと思います。

 楽器の演奏技術を教えて対価を受け取る人を指導者とします。
楽器を人前で演奏し対価を受け取る人を「演奏家」としてみます。
もっと広い定義も可能ですが、音楽の専門家でない人の目線で今回の定義を決めています。
 ・指導者がいなければ演奏家は生まれないのか?
多くの場合は指導者によって演奏家が育てられますが、必ずしも誰かから指導を受けなくても演奏家になることは可能です。
 ・指導者はプロの演奏家を育てることが使命なのか?
これも結論から言えば「そうとは限らない」と思います。
音楽大学に通う学生でさえ、プロの演奏家を目指していない人がいるのは事実です。ましてや、専門家を目出していないアマチュア演奏家にこそ、指導者が必要に思っています。
 ・優れた演奏家は優れた指導者か?
応えは「いいえ」だと思います。もちろん、優れた演奏家であり優れた指導者もたくさんいます。ですがこれも、イコールの関係ではありません。そもそも、人に教えることが好きではない演奏家も多くいます。実際、教える時間がない演奏家もいます。
 ・指導者は演奏家でなくても良いのか?
演奏のできない人が演奏を指導するのは「無理」です。
今回は、演奏家の定義を「対価をもらって演奏する演奏家」としていますので、演奏家としての演奏技術があれば、指導することは可能です。
演奏技術の低い指導者もいます。自戒を込めて書きますが、指導者自身が自らの演奏技術を高める意欲、努力をしていない人であったり、「○○音大卒業」とか「△△音楽祭に参加」などの肩書にうぬぼれる指導者が、生徒を教えられるとは思いません。
 ・指導者は演奏家より「下」なのか?
おおざっぱな言い方をしましたが、様々な意味があります。
たとえば「年収」「社会的信頼」だけで比較することもできます。
また音楽家としての「プライド」は本人が考えるもので違ってきます。
 日本において、演奏家として生計を立てられる人数は、極わずかです。
毎年多くの「演奏家の卵」が音楽大学や専門の学校から誕生しています。その数を分母として考えると、演奏することで生活できる人は、数パーセントにも満たない数です。それほどに、需要と供給のバランスが悪く供給過多なのです。
プロの演奏家の一つとして「プロオーケストラ」の「正団員=社員」がいます。
プロのオーケストラで演奏している人の中で、正団員ではない「短期アルバイト=エキストラ」がたくさんいます。その人たちもプロの演奏家ですが「雇用」の形態が違います。
正団員としての「給与」だけで生活できる人は、日本ではごく一部です。
指導者にも色々なケースがあります。自宅で教えている人、音楽教室に雇われて教える人、音楽高校や音楽大学で演奏を教えている人などです。
 こちらの場合も比較される内容は様々です。ちなみに、楽器演奏を指導するための公的な資格はありません。学校で教師として働く場合でも、場合によっては教員免許がなくても、演奏技術を教えて対価を得ている人もいます。ましてや、音楽教室や自宅で指導する場合には、なんの資格がなくても指導できるのが事実です。その意味では、演奏家の場合も「公的な資格」がない点では同じです。

演奏家になれない人が指導者なのか?
答えは「違います」私は確信しています。
先述の通り、指導者には演奏家としての技術が必要不可欠だと思います。
だからと言って、指導者の演奏技術が演奏家の技術より低いとは思いませんし、そうあってはいけないと思っています。
 では、指導者を目指す人はどうすれば良いのでしょうか?何を学ぶべきなのでしょうか?

 演奏家としての技術を身に着ける練習と勉強は、演奏家を目指す人と全く変わらないはずです。それを含めて必要なものは、以下の3点だと考えています。
1.演奏家として評価される演奏技術
2.演奏技術を言語化する能力
3.人に対する適応力
演奏家でも共通の「努力」や「経験」は言うまでもありませんが、何より指導は「対面」であり限られた時間内で、自分の教えたいことを伝える能力が求められます。適応する力は、迎合することではありません。常に自分と相手との考え方や生き方、価値観の違いを擦り合わせる能力です。

 最後に現在、演奏課や指導者を目指している人と、その指導者に伝えたいことです。
師弟関係は、両思いであることが何よりも大切です。双方が互いを認め合え、信頼できる関係がなければ伝えられるものは限られています。
習う側からすれば、師匠を尊敬できること。師匠は尊敬できる存在であること。
そして、常に次の世代に伝承することを考えることです。伝承は技術だけではありません。人の生き方、考え方こそが後世に伝えられるべきです。
優れた演奏技術があっても、人として魅力のない人や、他人を受け入れないわがままな性格の人は音楽家としての素養に足りません。演奏の評価だけを評価してくれるのは、容姿だけを評価されるのと同じです。音楽は自分で作った芸術ではありません。ラーメン屋の「秘伝のスープ」とは違うのです。先人が今に伝えた音楽があるからこそ、私たちが音楽を演奏できるのです。思い上がりは捨てるべきです。一流と言われて悪い気持ちになる人はいません。ただ、本当にその人の音楽が評価されるのは、次世代、さらにその次世代に「レジェンド」として評価される人かどうか?だと思うのです。
 これからも優れた指導者を育てたいと思っています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

 

ヴァイオリンとピアノ

 動画は以前、私と妻浩子のデュオリサイタル時に、ケーブルテレビ局「むさしのみたか市民テレビ」の取材を受けた際の番組です。
 今回のテーマは、ヴァイオリン演奏とピアノについてです。

 私たちのように夫婦でヴァイオリンとピアノの「デュオ」が出来るケースは多くありませんが、ヴァイオリンだけで曲が完成する音楽は、それよりずっと少ないのです。つまり、ヴァイオリンの曲の多くは、ピアノと一緒に演奏して初めて完成する音楽がほとんどだという事です。
 私自身、中学2年生の時に、師匠の門下生発表会に初めて参加させていただき、ピアノの「伴奏」とレッスンで「伴奏合わせ」をした時の感動を記憶しています。それまで、ヴァイオリンを弾くと言うのは「ひとりで弾く」ものだとしか考えていませんでした。ヴァイオリンの教本や練習曲を練習して、レッスンに持っていき「合格」すると次の曲に進む…。その繰り返しがヴァイオリンの練習でした。
 通っていた公立中学校のクラブ活動で「音楽部」に入り、ヴァイオリンを弾いて合奏する楽しさを、初めて知りました。それでもレッスンは「別物」でした。
 発表会でハイドンのヴァイオリン協奏曲第1楽章を演奏し、少ない伴奏合わせの後、銀座のヤマハホールで演奏したときの緊張感も覚えています。

 音楽高校に進み、年に2回の実技試験や、友人との遊びアンサンブル。その経験から他の人と共に音楽を作る、楽しさと難しさを体感しました。
 親友とのアンサンブルで、光栄なことに、演奏するアルバイトの機会も頂けるようになりました。先輩に声をかけて頂き、室内楽のメンバーに入れてもらって演奏したのも刺激を受ける学びの場でした。
 やがて「人間関係」が「音楽の核(コア)」であることを感じるようになりました。見ず知らずの人とでも演奏は出来ます。練習を重ねる間に、親しくなることもありますが、本当に心を通わせられる人との演奏とは、根本的に何かが違う気がし始めました。
 大学生時代、プロのオーケストラにエキストラとして参加させてもらったり、アマチュアオーケストラでのエキストラ、レコーディングスタジオでの演奏など、お仕事としてヴァイオリンを弾かせてもらえる機会が増えて「間違えず演奏できること」で、次の演奏の仕事をもらえることを知ります。
 それがいつの間にか、レッスンに通って合格し、次の曲を練習することと、大差なくなっていることに気が付きました。
それは私の「不勉強」と心構えの問題です。多くの仲間は、それぞれの演奏で新しい事を吸収していたのだと思います。

 20年間の教員生活を経て、再び演奏をを主体としてヴァイオリンを弾く生活に戻りました。その後、リハビリに多くの時間を費やしました。
 私たち夫婦の演奏で、ピアノを伴奏とは考えていません。
演奏形態として、ヴァイオリン独奏・ピアノ伴奏という「呼び方」は確かにあります。また、曲によっても、そう(伴奏)と呼ぶ曲もあり、ヴァイオリンソナタのように、それぞれが「ヴァイオリン・ピアノ」と独立して紹介される音楽もあります。どんな形式の曲であっても、その曲がヴァイオリンだけでは完成しない音楽である以上、「一緒に音楽を作る」意識が何よりも大切だと思っているから、「デュオ=2重奏」という紹介をしてもらっています。

 ヴァイオリンの楽譜には、ピアノの楽譜は書かれていません。
一方でピアノの楽譜には、大譜表の上段にヴァイオリンやヴィオラの楽譜も書かれています。つまり「スコア」を見ながらピアニストは演奏しています。
私の場合、ヴァイオリンやヴィオラの楽譜を演奏する事は出来ても、ピアノの楽譜をヴァイオリンでも、ましてやピアノでも演奏する技術がありません。一方で、ピアニストは、ヴァイオリンの楽譜を「ピアノ」で演奏することが当たり前のように出来るのです。
 私の場合は、自分のパートを弾けるように覚えるまで練習します。
その曲の「音源」がある場合は、色々な演奏を聴いて、自分の「弾かない音」を確かめます。音源がない場合、妻のピアノを聴いてそれを確かめます。
 そのうえで、改めて自分のパート(ヴァイオリンやヴィオラ)を練習しなおします。さらに、ふたりで一緒に弾きながら、修正をお互いの楽譜に加えていきます。

 信頼関係とお互いを認められる気持ちがなければ、ひとつの音楽は完成しません。
 それ以前に、ヴァイオリニストは自分以外の「楽器」と一緒に演奏することを前提にして練習することが不可欠なのです。
 自分「だけ」で弾けるだけでは「アンサンブル」は出来ません。
自分が弾きながら、ほかの人が何を弾いているのか?どんなリズムでどんな和声になっているのか?を聴きながら演奏する「余裕」を持たなければ、音楽が完成しないのです。ピアノを弾ける必要は、絶対とは思いませんが、せめて自分のパートを「暗譜」するぐらいの練習は必要な気がします。
 あくまでも、アマチュアの場合の話です。プロはその技術を身に着けているから「プロ」なのだと思います。暗譜しなくても、他の音を聴く技術や、楽譜を注視しながら音を聴く能力です。聴音、ソルフェージュなどの「トレーニング」は、演奏家を目指す人なら、絶対に必要不可欠だと思っています。それを学ばずに卒業できる「音楽学校」に大いに疑問を感じます。

 長くなりましたが、音楽を楽しむ以前に、挫折してしまう人が多いのが趣味の音楽です。特にヴァイオリンは、ひとりで練習していて「つならない」と感じて当たり前なのです。ピアノのように和音が演奏できるわけでもなく、音の高さが定まらず、高さを考えれば音色が汚くなる…うまくなった実感が持てない楽器だからこそ、ぜひ!ピアノと一緒に演奏する「感動」を味わってください。
その楽しみを得るために、楽譜を見なくても弾けるようになることを目標にするのも、モチベーションの維持につながると思います。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

日常生活と趣味の楽器演奏

趣味で楽器の演奏を楽しむ人にとっての日常生活。
楽器の演奏や指導を職業にする人の日常生活を考えます。
当然のことですが、どんな職業の人にとっても、身体的に精神的に健康であることが何よりも優先されます。そして、経済的なことや家族同士の関係も日常生活から切り離すことはできません。
 コロナ禍で収入が減少した人は、音楽家に限らず日本中にいます。
また、物価が高騰し日々の生活に困窮する人も増えています。
先行きが見通せない今、趣味どころではないという人が増えているのも事実です。
子供を持つ家庭なら、進学や進路について家族ならではの心遣いがあります。
受験を控えた子供が、趣味を我慢して頑張っている姿に協力しない家族はいません。
そうした日常生活の中で、楽器の演奏で得られるものは、なんでしょう?

 そもそも趣味は「楽しみ」です。極論すれば、いつやめても困らないのが趣味です。ただ、趣味のない生活が味気ないものに感じる人も多いと思います。
生活の為に必要な職業や、家事、育児、学業。それとは違う「息抜き」が趣味です。スポーツで体を動かす趣味もあれば、旅行や読書を趣味にする人もいます。
人それぞれの「楽しみ」があります。楽器の演奏を楽しむ人でも、色々な楽しみ方があります。
楽器を気ままに弾いて、楽しむ方もいます。
だれかと一緒に演奏する「合奏」を楽しむ方もいます。
多くの方は前者だと思いますが、ヴァイオリンはひとりで曲が完成しないことは、以前のブログに書きました。
それでも、ヴァイオリンの音を出して好きな曲を気ままに演奏するのは、楽しいものです。
職業ヴァイオリニスト(固い言い方です)は、楽しくなくても、仕事として楽器を弾くことが求められます。好きな音楽とは限りません。それが一番大きな違いです。

 日常生活の中に、楽器を演奏して楽しむ時間のゆとりが…ある人の方が少ない現代です。事実、ピアノを習っている子供の数は、減少し続けています。
音楽を習うことが、子供の情操教育になるとは限りません。
ただ、現実として楽器を習い続けている子供の「学力」が高いことは事実です。
楽器を練習するときの脳の使い方も、時間のつかいかた、集中力の維持、など様々な理由が挙げられます。頭をよくするため、東大に入れるために音楽を習わせても「無意味」ですので誤解の無いようにお願いします。
大人の場合、周囲に気を使いながらの楽器演奏になります。家族の理解と協力、さらには環境が揃わないと難しいのも現実です。
楽器を演奏することを「楽しい」と思える生活が、なによりも大切です。
 うまくならなくても、いつも同じ曲でも楽しめれば「趣味の演奏」です。
自己満足で完結できるのが「趣味」です。
ひとりでも多くの人が、演奏を楽しんでもらえる生活ができる「日常」が、戻ってくることを祈っています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

音楽にまつわる「うそ・ほんと「

 音楽を演奏したり教えたり、広めたりする活動をしてきた私が、常日頃、出くわす、音楽にまつわる話の中にある、間違った情報「うそ」と真実「ほんと」について。
 動画は子供たちが主役のNPO法人メリーオーケストラを紹介するものですが、この活動や下の動画、私が経営する小さな音楽教室メリーミュージックでの生徒さんたちを見て頂くと、どんな印象を持たれるでしょうか?

  おそらく「趣味の音楽って楽しそう」という率直な感想を持たれる方が多いのではないでしょうか?それは間違いなく「真実」です。
 音楽を趣味にすることは、私の知る限り最高の楽しみの一つだと信じています。それでも、中には「才能がないと上手にならない」という間違った先入観を持っている方もいらっしゃいます。また「裕福な家庭でないと音楽は習えない」という思い込みもあります。

プロの音楽家はお金持ちという嘘

 これは一番多い間違いかも知れません。世間一般で「音楽家」と言う職業は「特殊な人種」として扱われることがあります。理由は様々ですが、先ほどの「特殊な才能がある」と言う思い込みや、「楽器が高いのだからお金持ちに違いない」
さらには「テレビで見る音楽家はおしゃれで外車に乗って現れる(笑)」と言うイメージなどなど。
 確かに一部の音楽家は「お金持ち」と言って良い収入を得て裕福と言える生活をしています。それは、ほんのごく一部!ほんの一握りの人たちだけです。
多くのプロ音楽家は、そのような「有名人」とはかけ離れた生活をしています。好きで選んだ職業なので、嫌なら違う職業に転職すれば良いだけです。
ですから、私は音楽家が貧乏だからと言って「可哀そう」と同情する必要はないとも思いますが、現実を知って頂きたい気持ちはあります。さらに、国や自治体が文化芸術にお金を出したがらない!と言う「民度の低さ」が一番の問題です。

裕福な家庭じゃないと…と言う嘘

 これも、良く言われます。「きっとお父様やお母様が音楽をなさっていたのですね」とか。露骨には言われませんが、きっと裕福な家庭で育った「おぼっちゃま」「おじょうさま」ばかりだと思われていますが、これも「大嘘」です。
 例外的にそういう方もいますが、どんな世界にもいるのと同じ割合です。
私の家庭は、父が銀行員、母は専業主婦という、いたって普通のサラリーマン家庭でした。資産家の家計でもなんでもなく(笑)、社宅暮らしがほとんどでした。音楽高校でも周りの友達は、ほとんど私と同じ環境の「普通の家庭の人」でした。むしろ、厳しい経済状況で、地方から単身上京し、風呂なし・トイレなしの6畳一間のアパート暮らしの友人がたくさんいました。それが当たり前でした。

クラシックにしか興味がないと言う嘘

 クラシック音楽を専門にしているから、普段から…いいえ。
人によってはそういう方も、いるかもしれませんが、私の音楽仲間の多くは違いました。ジャズ大好きなチェリスト、なぜかジュリー(沢田研二)とクイーンとロッド・スチュワート大好きなピアニスト(私の妻、H子さん)
 なぜか、法人女性歌手(中国人か!)ようするにアイドルや、女性シンガーの歌が大好きなヴァイオリニスト(今、これを書いている人)などなど。
 クラシックも聴きます。好きですが、いつも聴いているわけではありません。
むしろ、聴いていると「分析する」聴き方をしてリラックスできないという人が多いですね。

変わった人がいるという真実(笑)

  えーっと。確かに私から見ても、やや?だいぶ?普通の人と考え方や、行動パターンが違う音楽家「も」いるのは事実です。ただし、そうでない「私を含めた」音楽家の名誉のために申し上げますが、一般常識をもって普通の日本人として行動する人がほとんどです。
 おそらく、自分の好きなことに打ち込んで、「お金より音楽」と思う音楽家ほど、どこか…その…面白い性格になるようです。ただ、悪い人はいないのです。
人に危害を加えるような人はいません。
 プロなのに、ぼろぼろのヴァイオリンケースで楽器を持ち歩く演奏家。
 オーケストラの安い給料のほとんどを、レコードを買うことにつぎ込む演奏家。
 ひたすら楽器を買い替え続け、自己満足に浸る演奏家。
 掃除機の音ををステージで鳴らし、楽器として扱う作曲家。 
ちょっと、怖いでしょうか?(笑)

音楽家は人嫌いという嘘

 ステージで怖い顔をして演奏している演奏家でも、話をしてみると案外「明るい普通の人」がほとんどです。中には、ステージ降りても怖い人もいますが。
ただ、普段一人で黙々と練習することが多いので、人と会話をするのが下手な演奏家が多いのも事実です。だから?なのか、ただ演奏してお辞儀して演奏会を終わる人には、個人的に違和感を感じています。お客様に媚びを売るわけではなく、人として接することも必要だと思っています。

音楽家は漢字を書けないという真実

 これは私だけなのかも知れません。すみません。
いや、高校時代の同期男子は全員、現代文のテストで追試を受けていたので、恐らく真実です。
 なにせ、音楽高校の入試は、一般科目にかかるウエイトが低い。というより、私のころは無いに等しかったのです。授業も単位が取れれば良い。単位は、総授業回数の3分の2出席していれば、テスト0点でも単位が取れました。
 大学でも同様でした。なので、私「と同期の男子」の一般科目学力、特に漢字能力は「中学卒程度」で、しかも字を書かない生活でしたので、それは恐ろしいものでした。
 誰とは言いませんが、同級生のヴァイオリニスト「K君」は、卒業後年賀状の宛名に「野村 嫌介 様」と書いてくれました。素敵な男です。
 私は、中学校・高校で20年間、音楽の授業を担当しましたが、音楽理論の授業で黒板に「旋律短音階」と書こうとして、せんりつ…せんりつ…
だめだ!と思い、「メロティック短音階」と板書してその場をやり過ごしたトラウマがあります。生徒たちはノートに書き写していました。懺悔します。

終わりに…

 最後までお読みいただきありがとうございました。
音楽家という生き物、少し理解していただけたでしょうか?
これから音楽家を目指す人や、若い音楽家が「みんな」こうだとは思っていませんが、少なくとも私たちは、普通の人間です。ほとんど人畜無害であり、無芸大食です。どうか、皆様に暖かい目で見て頂ければと、思っております。


ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

弦楽器の元気

写真は私が演奏させてもらっている、陳昌鉉氏が2010年に制作したヴィオラです。弦楽器の世界では、生まれたての赤ちゃんのような年齢です。
一般に弦楽器の寿命は、300年以上と言われています。
当然のことながら、生まれて(製作されて)からの管理が悪ければ、10年も経たない間に、使い物にならなくなる楽器もあります。個体の寿命が長いほど、演奏する人が増えていきます。
「中古」という概念を、使い古されて新品より程度の低いものと思い込んでいる人がたくさんいます。すべての「もの」に当てはまる言葉ではありません。
人間は生まれた次の日から「中古」なのですから。

人間は何よりも健康であることが一番です。
心と体が健康であることの有難さを、病気やケガをした時に改めて感じるものです。普段、当たり前に生活していると、小さな不満や不運をボヤきがちなのは、健康であることの有難さを忘れているからなんでしょうね。

さて、弦楽器の場合はどうでしょうか。
寿命が人間より長いことは先述した通りです。
弦楽器はすべて、人間が造り出した「道具」であり、生物ではありません。
弦楽器に使われる「木材」は元々は「生物」ですが、切り倒され削られ、加工された楽器は、すでに生命活動はできません。
人間には、再生できる部分が多くあります。皮膚や骨は傷ついても再生します。「歯」は再生しないため、自然治癒がないことは知られています。
楽器は?自分で傷ついた部分を再生…できません。
削れてしまったり、割れてしまったり、穴があいてしまった「木材」は、元通りには戻せないのです。人間が修復をしても、元の木材の状態に完全に戻すことは不可能です。
そうは言っても、楽器は演奏するための「道具」であり、使わなければ造られた意味がありません。楽器の価値は、演奏されて初めて評価されるものです。
傷がつくことも避けられません。壊れて使えなくなってしまうことも、燃えてしまうことも、可能性はゼロではありません。
そうならないように、気を付けられるのは人間だけです。

健康な弦楽器とは?
製作された時から、誰かに演奏されて手入れをされている場合でも、まったく誰にも演奏されない場合でも、楽器は少しずつ変化します。両者を比較すると、演奏したほうが大きな変化を見せます。
ニスが乾くのに、最低でも1年、長ければ2年以上かかる場合があります。
その間、楽器の音は変化します。
弦楽器に使われる「木材」は、理想的には何十年も自然乾燥させた木材を使用するそうです。伐採したばかりの木材には、多くの水分が含まれているため、乾いた音色を出さず、水分が抜ける時の変形もあることがその理由です。
ただ、現代の科学でストラディバリウスは、伐採してから数年の木材で楽器を作っていたという事が判明しました。もちろん、「当時」の「数年前」です。
それでも、ストラディバリウスの楽器は当時から、非常に高い評価を得ていたという史実があります。現代とは全く違う音色の楽器だったことだけは、間違いありませんが、「良い楽器」であったことは確かなようです。
その弦楽器が年月とともに変化する中で、人間でいう「病気」にかかることもあります。「ケガ」は楽器に傷を付けてしまうことになります。
人間なら、薬を飲んだりお医者さんに治療してもらえば、多くの病気は完治します。それは「再生能力」を持った生命に共通することです。

弦楽器の病気。
一言で言ってしまえば、「良い音が出なくなる」「音量が減る」「雑音が出る」という症状です。
始めの二つ「音色」と「音量」は、多くの場合人間の主観的な「感覚」で判断されます。つまり「なんとなく」という言葉が頭に付く病気です。
演奏者の体調で自分の楽器の「音色」「音量」がいつもと違って聞こえる場合が良くあります。演奏する場所によっても大きな違いがあります。
一方で「雑音」は、客観的に判断できます。
雑音の「音源」がどこにあるのかを、注意深く探すと大体の場合は見つけられます。

アジャスターが緩んでいたり、表板に金具が触れていたりするケース。
ペグの装飾部品が、取れかけて振動しているケース。
顎あてのアーチが、テールピースに当たっているケース。
顎あての止金具が緩んでいるケース。
重症なものとして、
糸枕(ナット)が低すぎたり、指板が反り上がったり、駒が沈んでしまって、弦が指板にあたっているケース。
楽器の表・横・裏のそれぞれの板を接合している「膠=にかわ」の接着力が、湿度や高温のために少なくなり、板同士が「剥がれる」ケース。
眼には見えない「割れ」や「ひび」が表、裏の板に出来てしまったケース。
その他にも、雑音や異音が出る原因は数々ありますが、場所を見つけることが第一です。修理は、自分でできるケースと職人さんにお願いするケースがあります。
雑音は出なくても、ネックが反って、指板が下がり表板に近づきすぎるケースは、ハイポジションで弦を押さえられなくなります。
また、調弦する度に駒は「ペグ方向=指板方向」に傾こうとします。これは、弦を緩める時=音を下げる時には、駒にかかる弦の圧力が下がり、弦を張る=音を高くするときには、駒にかかる弦の圧力が増えるために、常にペグ方向に引っ張られる動作が繰り返されるからです。駒の「傾き」は病気ではありません。これは、演奏者が毎日気を付けて観察し、もし目で見て、わかるほどに指板側に傾いてしまった時には、
・4本の弦を少しずつ下げて駒への圧力を減らし
・両手の指を駒の両側から当て、
・少しずつ、傾きをテールピース側に戻す
作業が必要です。これは、弦を張り替えた時にも必要な点検作業です。
この作業をせずに放置すると、駒が傾き、最悪の場合駒が割れたり、倒れたりします。そうなると、楽器の中にある「魂柱=こんちゅう」が倒れます。この柱は、弦の張力→駒→表板→魂柱→裏板という、接着剤を一切使わずに「減の張力」だけで、弦の振動を楽器の裏板に伝える、「弦楽器の仕組み」の中核をなしています。だから「魂」という言葉を使います。
これが倒れたままで弦を張ると、表板が割れます。楽器は二度と演奏できなくなります。

弦楽器の病気治療のほとんどは、医者である「職人さん」に委ねます。
もし、あなたや家族が病気になったとき、信頼できるお医者さんに診察、治療して欲しいと思いますよね?誰にでも命を預けた大手術をしてもらいたいという人は、いないはずです。
弦楽器の病気を治す職人さん。
正直に申し上げて、技術も考え方も「千差万別」の違いがあります。
特に、前述の「音色」「音量」の不満や違和感について、職人さんの「主観」が入ることになります。当然、演奏者自身(自分)とは違う判断をすることになります。その差が、演奏者である依頼人の「好み」「求めた結果」と違う結果になるのは、本当に不幸なことです。
良かれと思って治療をお願いしたら、前より悪くなって戻ってきたら…ぞっとしますよね。では、どうすれば良いのでしょうか?

多くの弦楽器は、製作者に治療をお願いすることが出来ません。
陳昌鉉さんも、すでに他界されています。
職人さんは、自分が作った楽器でなくても、治療=修理を行えます。
ただ、自分が作った楽器ではないので、製作者がどんな音を目指して、その楽器を製作したかはわかりません。製作者によって、好みが違うので当たり前です。
依頼する人=演奏者が、信頼できる職人さんを見つける。
これは、人間の主治医を見つけるのと同じことです。
とても難しいことです。
ちなみに私は、自分のヴァイオリンの調整・修理は、購入した当初から、私と私のヴァイオリンを知っている職人さん「ただ一人」にしかお願いしていません。誰にも調整させません。その職人さんが倒れてしまったら、私のヴァイオリンを調整修理する人は、いなくなります。その時にはまた考えるしかないのです。
あなたの楽器を治療してもらうのに、信頼できる職人さんを選ぶためには?

信頼できるヴァイオリニスト、またはヴァイオリンの先生から直接紹介してもらうことです。
その方が実際に、ご自分の楽器を調整してもらっている職人さんがいるはずです。その方が、その職人さんを紹介しなかったとしたら、理由はひとつ。
「職人さんの負担が増える」ことを心配しての判断です。
それでも紹介したほうが良いと思えば、きっとその方の信頼する職人さんを紹介してくれるはずです。
私自身、自分の楽器を治療してくれる職人さんを、すべての生徒さんに紹介していません。必要な知識と技術を持った、別の信頼できる「若手」の職人さんを紹介しています。
少なくとも、見ず知らずの楽器店に、自分の大切な楽器を「治療」に出さないことを強くお勧めします。削ってしまった楽器は、二度と元に戻らないことを忘れないでください。

最後に。
人間の病気と同じです。
神経質に考えすぎると、かえって良くない結果になることがあります。
少し音が変わった「ような気がする」からと、調整に出すのは良いことではありません。まずは自分で良く考えることです。
そして、考えても時間がたっても、その「違和感」があるなら、信頼できる方に相談してから、治療してください。
できれば最初は「セカンド・オピニオン」が必要です。
修理する前に、ほかの職人や演奏家に相談し、複数の人の「治療法」を聞いてから最終的に判断してください。
楽器は自分で、声を出せません。意思を伝えられません。
演奏する人の「身体」だと思って、健康を観察してください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト 野村謙介

オーケストラを身近な存在に

今(2022年1月12日)から20年前、2002年1月14日(日)
小さな小さな「メリーオーケストラ」と名のついた、弦楽器による演奏集団が、初めての演奏会を開きました。
次があるのかないのか(笑)さえわからないのに、「第1回定期演奏会」と銘打って、再開発を終えたばかりの橋本駅前に、出来たばかりの「杜のホールはしもと」を会場にしました。定員520名。どう考えても大胆すぎる。

当時、私は中学・高校の教諭(いわゆる先生)として働いていました。
その学校も1985年に新設された時に、たった一人の音楽教諭として着任しましたが、誰の力も借りることが出来ない環境で、11人の部員でスタートしたオーケストラを2002年当時には150人の日本でも1・2の規模のスクールオーケストラにしていました。
地域の子供たち、自分の子供たちが演奏できるようなオーケストラを、地元で探しましたが、当然!ひとつもありませんでした。
「ないなら作る」
という安直な発想で、2001年に準備を始め「楽しい」という意味がある(だろう)と思う「メリー」という名前のオーケストラを立ち上げました。
4歳から小学校5年生までの子供たちのヴァイオリン。
ヴィオラ、チェロ、コントラバスはプロの仲間に演奏してもらいました。
子供たちが私の家や、ホールの練習室、さらには合宿で練習し、本番ではめいっぱい!ドレスアップして舞台に立ちます。
予想をはるかに上回るお客様に来場いただき、子供たちは初めての舞台で緊張しながらも、弾き終えた感動、信じられないような大きな拍手を体験しました。
ふるさと、夕焼け小焼け、赤とんぼなどを、なんとか全員で演奏し、少し難しい曲は弾ける子供たちだけで演奏しました。それでも余りに時間が短かったので、最後にプロだけの演奏も加えてコンサートを成立させました。
この演奏会が、まさか20年間、毎年2回の定期演奏会を開き続けることになることは、私も含め誰も想像していませんでした。

1回、2回の演奏会を開いてやめることなら誰にでもできることです。
継続することが、どれだけ大変なことなのかを知りました。
メンバー同士のいざこざ、指導に自ら関わってきた地元のヴァイロン指導者の
「生徒持ち逃げ」、運営自体を保護者に任せられない「信頼感欠如」など。
さらには自分自身の退職と、うつ病と闘いながらの演奏会。
それでも「NPOにしたら?」という当時のホール館長の軽い言葉を真に受け、自力で県庁に通って特定非営利活動法人(NPO)化を成し遂げました。
夏には台風、冬には大雪に見舞われたこともありましたが、演奏会は開き続けました。
メンバーの子供たちは成長とともに地域を離れるケースもありました。
それでも当時小学校5年生だった女子メンバーは、音楽高校、音楽大学と進学し、メリーオーケストラの指導者になっていました。やがてその「子」が「母」になりました。今はまだ幼く、お仕事で海外にお住まいですが、きっと帰国されたらメリーオーケストラの「2世代目メンバー」になってくれることを夢見ています。

オーケストラは器楽演奏の規模がもっとも大きな演奏形態です。
演奏に必要な「こと」「もの」「ひと」があります。
一番必要な「こと」は「絆」です。
どんなにお金があっても、人との絆がなければオーケストラは成立しません。
そして「もの」として必要なのは「ホール」です。
毎回の演奏会ごとに、ホールの抽選会に参加しています。
会場がなければ演奏会は開けないのです.
さらに必要な「もの」はずばり「お金」です。
ホールは無料では使えません。練習会場を借りるにもお金がかかります。
演奏会で参加してくれる仲間に、最低限の交通費を支払うのにもお金はいります。楽譜を作るのにも、備品を購入するのにもお金がかかります。
そして「ひと」です。
演奏する人も、聴いてくれる人も、応援してくれる人も必要なのです。
もちろん、こんな演奏に興味のない「ひと」もいます。
もっとクラシックだけやれ!という人もいます。
色々な意見を言ってくれる人も必要です。
メリーオーケストラの財産は「ひと」なのです。
今まで演奏に少しでもかかわってくれた人。
一度でも演奏会に来てくれた人。
賛助会員になってくれた人。
オーケストラ活動を20年間続けるためのエネルギーは
すべて「人」からもらいました。決して自分の力ではありません。
人の輪が広がることが、音楽を広めることです。
音楽でつながれば、人と人の「和」ができます。
争いも戦いもいらない「和」それこそが「平和」です。
メリーオーケストラを続けることが子供たちの明るい未来につながることを
ただ、願っています。

NPO法人メリーオーケストラ理事長 野村謙介



今年の夏こそ趣味の楽器

皆様。お変わりありませんか?
梅雨入りしてから天候がころころ変わる毎日です
楽器にとって高温多湿は最大の試練です。演奏する人も息苦しいうえに、楽器が結露したり、思うような音が出ないストレスに悩まされます。

楽器の演奏に最適な季節は、日本で言えば秋・冬ですが、生活を考えると、必ずしもそうではないようですね。
インドア派、アウトドア派。それぞれに楽しみ方が違いますが、
少なくとも健康に害のあることは、誰でも避けるべきです。
運動に適した環境もあるはずです。ここ10年ほど、東京の気温は
屋外での運動は命に係わる危険さえあります。実際、熱中症で救急搬送される数、さらに死亡してしまう人が連日報道されます。
喉元過ぎれば熱さを忘れるとは、まさしくこのこと。

さて、今年の夏は?涼しくて快適な真夏が来るのでしょうか?
私が子供のころは、夏休みに外で遊ぶのは当たり前でした。

麦わら帽子をかぶらされ、ランニングに半ズボンで虫を取ったり、友達と走り回ったり出来ました。
思えば道路は、舗装されていない砂利道が多く、エアコンのある家も少なかったので、打ち水をすれば涼しくなっていました。夜だって、蚊帳の中で団扇で十分寝られました。時代の違い…ですね。
ヴァイオリンの練習をするのに、扇風機を使わせてもらえましたが、あの独特な音の変化が懐かしく思い出されます。
中学生になってから我が家に「クーラー」が初めて付いたのは、私の部屋でした。1975年頃のことです。かなり贅沢でしたが、当時のクーラーは、とにかくうるさい!ヴァイオリンの練習をしていても、気になってしまうほどでした。

今年、コロナウイルスの感染拡大は止まりそうにありません。
ワクチンは万能ではありません。ニュースを見れば世界中で2度のワクチン接種を終えた人の感染拡大がわかります。もちろん、効果はあるのですが、天然痘のワクチンのように、完全に感染をゼロにはできません。インフルエンザウイルスより、コロナウイルスは変異株がすぐに拡大するのが問題ですね。
マスクの問題も大きな社会問題です。真夏に屋外で、効果の高い不織布マスクを着用すれば、熱中症になるのは当然です。だからこそ、今は外出を控えるしか、自分の身を守る方法がありません。
もちろん「できる範囲で」という事です。お仕事や家事で外出するのは避けられません。マスクをしないで外出できるようになっても、外気温が35度近くになると、屋外に出ることは大きなリスクを伴います。。
体温に近い空気の中で運動すれば、何が起こるかぐらい小学生でも知っています。サウナとは違います。サウナの中で歩き回る人、見たことありません(笑)

インドアで楽しむことを見つけましょう。テレビを見たり、本を読んだり、ゲームをしたり。そんな中に楽器の演奏を!
趣味の楽器を涼しい屋内で楽しむことは、誰にでもできますし、自分の家の中でマスクをする必要もないのですから。気分は最高!
楽器のためにも弾いてあげた方が良いのです。演奏すれば楽器も涼しい部屋で過ごせます。楽器を高温の部屋に放置すると、悲しい大事件が起こります。弦楽器の場合、接合部分の「膠(ニカワ)」が接着力を無くして、接合部分が剥がれます。また、表面のニスが柔かくなって、ケースの内張りに張り付きます。光沢がまったくなくなり、元には戻せません。外出するときなど、エアコンを付けておけないときには?
直射日光の当たらない場所で、楽器用のスタンドに立てておくのがベストです。ウクレレ用のスタンドが最高です。2500円ほどで買えます(アマゾンでも)
もったいない!というののであれば、せめてケースから楽器を出して、できるだけそーっと、駒を下にして(斜めになります)机の上やピアノの上に置いておいてください。表面のニスと接する面を極力小さくすることが楽器にとって「呼吸の出来る」状態なのです。

イベントが中止、延期を余儀なくされている今だからこそ、一人でも多くの方に音楽を楽しむきっかけになる夏になってほしいと願っています。

子供たちに明るく楽しい思い出をと願うのは普通の大人の考えです。
運動会や修学旅行の思い出を無くした子供たちを、学徒動員する政府を許すことはできません。せめて、自宅で音楽を楽しんでもらえればと願っています。どうぞ皆様もご自愛ください。

メリーミュージック代表 野村謙介

おかげさまで60歳

皆様、いかがお過ごしでしょうか?秋の虫たちが美しい歌声を聞かせてくれています。

2020年9月30日、今日は水曜日。
私、野村謙介は60回目の誕生日を無事に迎えることができました。
皆様のおかげです。ありがとうございます。
私を産んでくれた母が亡くなってからまだ3か月しか経っていないことが不思議な気持ちです。頑固で偏屈だった父が亡くなってちょうど3年経ちました。

学生のころ、薄暗い場所で何も見えない自分が将来、大人になっても生活できない。仕事なんてできない。大人になりたくないと思っていました。周りにいある他の人と自分の「できることの違い」がものすごく大きく感じていました。
中学、高校と成長して両親とも毎日のように喧嘩をしました。兄とも話をするのも嫌でした。ひどい反抗期でした。
大学生になって自分のできることに、ほんの少しだけ広がりを感じました。同時に生きることへの不安は薄らぎました。友人との遊び、練習、何より大学生活を「お祭り男」として過ごしました。年に一度の文化祭に異常な情熱を感じていました。(笑)
大学卒業の延期…簡単に言えば「留年」で私の人生は大きく変わったのかもしれません。ヴァイオリンを弾いて生活する「卒業後」の予定が、中学・高校の教壇に立つことになろうとは。
大学4年の卒業試験で自分の演奏を初めて高く評価されたことを、師匠から留年と同時に激怒されながら教えられるという貴重な経験もしました。

教員になったのが25歳、長女が生まれたのが30歳。2~3年働いたらやめるつもりだった教員生活なのに、生活のためにやめられない状況になっていました。ヴァイオリンはケースを開ける時間も気力もなく、うっぷんを晴らすようにオーケストラを指導することに没頭しました。年収は高かったですね。公立中学・高校の先生方とは比較にならない高給でした。その分、ストレスも半端なく(笑)命がけの19年と8か月。
やっと学校を辞められると思っていたら、いきなり本当の地獄に落とされました。自分の音楽教室を経営し朝から夜まで休みなしで働きながら、抗うつ薬の影響で、立ちながら意識のない状態でレッスンを続けていました。そこから約3年をかけて、完全にうつ病を克服しました。

浩子との演奏活動再開が、第二の人生をスタートさせました。
高校時代のマドンナ、大学時代の憧れの片思い相手(笑)。
生きること、楽しむこと、演奏すること、人と接すること…
すべてが今までは大きく変わりました。
両親も喜んでいました。もとより父はその時もまだ「うつ病」でしたが。
両親が有料介護施設で暮らすようになり、兄との関係もいつの間にか「仲良し兄弟」に変わっていました。

これから先の人生が、今までの時間よりも短いことだけは間違いありません。「老後」とか「余生」とか考えたくもないのは、私が「死ぬことへの恐怖」が弱いからかもしれません。もちろん、一日でも今と同じように暮らしていたいと思います。それでも、もしかしたら自分の目が見えなくなる日が来るかもしれません。その日がいつなのか、誰も知りません。こないのかも知れません。考えても無意味だし、心配しても無意味なんです。だからきっと、昔の自分と違って少しはポジティブになったんなと思います。
今は、浩子とぷりんというふたりの姫のお陰で毎日を楽しませてもらっています。たまに、ぷりんに噛まれますけどww
今日この日を迎えられたのは、自分の力だとは思っていません。家族や助けてくれた、たくさんの人たちの力です。一度、失いかけた命です。人は弱いものです。瞬間的に自死を考え行動してしまいます。「自分だけはそんなことはしない」と誰もが思います。違います。本当に怖いのは「発病の瞬間」です。病気になってから苦しんで、治る前に自死をする人もいます。それより恐ろしいのは、自分がうつ病になったことを感じる前に襲う「絶望感」「死にたい」という衝動的な気持ちです。本当に突然、襲ってきます。
自死をする人を「特別な人」扱いするのは間違いです。誰にでもその可能性はあるのです。

あれ?話がそれまくった(笑)ごめんなさいww
とにかく!これからも皆さんのお力をお借りして、一日でも楽しく生きていこうと思っています。末永くお付き合いください!
よろしくお願いいたします!
野村謙介