メリーミュージックの野村謙介です。
新型コロナウイルス感染症が、世界中で人々の命と暮らしをむしばんでいます。
今回は、日本の中での音楽を取り巻く現状を、私なりに考えてみたいと思います。
大きく分けて、趣味で音楽を楽しむ人々の変化と、音楽を生活の糧にしている、いわゆる「音楽家」の現況があります。
共通していることは、感染への不安は、人それぞれに違うことです。家の外に出ることさえ、不安になる人もいれば、風邪の一種だからそこまで恐れることはない、と感じる人がいるのは当たり前のことかもしれません。
もう一つの共通点は、世界の中で感染対策が最悪の状況下で、多くの人々が生活の困窮に喘いでいることに、政治が目を向けない日本に暮らしていることです。
趣味で音楽を聴いて楽しむ人や、楽器を演奏して気分転換をしている方の中で、外出が不安な高齢者が多いのが現状です。
また、音楽を聴く楽しみをホールの閉鎖によって奪われた方が、たくさんおられます。
そうは言っても好きではない人から見れば、音楽は自宅で聴いたり自分で弾いたりできるから、大したことではないと思われるのかもしれません。価値観の問題です。
さて、一方で音楽を演奏したり、人に音楽を教えたり、ホールを運営したり、そのホールで働いて、生計を立てている人たちにとっての変化はどうでしょう。こうした人たちの、日本の人口における割合はとても少ないですし、経済効果としても大企業のような莫大なお金の動きはありません。
日本では、音楽で生計を立てている人の大部分は「フリーランス」です。
国会やニュースで、時々耳にした言葉かも知れません。
「きちんとした大きな団体と契約して、給料を貰えば良いじゃないか」
そう思われている政治家や一般の方が多いのですが、現実はそんなに甘くありません。
そもそも、日本は世界の先進国の中で、最も文化芸術に使われる国の予算が少ない「文化度の低い」国なのをご存知でしょうか。
分かりやすい例で言えば、日本には国立のオーケストラが存在しません。
地方自治体の名前が付いたオーケストラで演奏する人は「公務員」にもしてもらえません。それが現実です。
文化や芸術に関心のない国が、先進国であるはずがありません。
ビジネスとして考えれば、自動車産業のように、目に見える物を造り販売する業種と、人の心にだけしか見えない感情を残す音楽は、異次元のものです。
つまり、音楽は「物として売れない」のです。
「LGBTは生産性がない」「種の保存の観点で差別は必要」
こんなヘイトを平然と口にする政治家が、私たちの国のトップにいます。
「音楽なんてなくても困る奴はいない。違う仕事をすればいいだけ」
そんな言葉が彼らの顔に書いてある気がします。
音楽や芸術、自然や歴史的建築物は、壊すのは一瞬、元通りにすることは不可能なのです。
原発の真逆です。あれは、造るのは簡単。壊せないのですから。
コロナ禍で、音楽生活を諦めた人も多くいます。
その原因は「ウイルス」ではなく「人の無知」なのです。
音楽の演奏は、その場で消えて、聞いた人の心の中に残る「無形の存在」です。
それを造れるのは「演奏家」だけなのです。その演奏家を消してしまったら、音楽そのものがなくなることは、小学生でも理解できることなのです。
CDやYoutubeで音楽なんて聴ける。という安直な考えは、
「レトルト食品があるから生産者はいらない」と胸を張っている変わった人の仲間です。
生産者のいない食べ物は、地球にはありません。
例え、コンピューターが音楽を演奏したとしても、打ち込んでいるのは人間です。コンピューターが音楽を作っているのではないのです。
オリンピックをやらないと死んでしまう政治家が、音楽を大切にすることは、天と地が引っ繰り返っても望めません。
せめて演奏家を生存させるために、心のある方々がいらっしゃれば、少しだけお金を使っていただけないでしょうか?
音楽会でも、習い事でも構いません。
皆さんのお金を中抜きするピンハネ組織「〇〇らっく」に負けず、
私達演奏家・ホール関係者を助けてください。
ご理解を頂ければ、幸いです。
メリーミュージック 代表
野村謙介